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プロフィール

元大学受験コースの答案提出応援団長。家に帰れば受験生の父でもある。

プロフィール

答案提出応援団

[2008年07月25日(金) ]

入会当初、Z会員の意欲は高い。
だから、3月4月はたくさんの答案が届く。
しかし、学校が始まり文化祭、定期テストなどで忙しくなり、
さらに、出題範囲に未習の部分がある、問題をざっと見て難しそう、
そんな理由で答案を出さなくなる人も増えていく。

せっかくの問題が解いてもらえないのは残念でならない。
われわれが自信をもって出題した良問をもっと活用してほしい。
そんな気持ちで結成されたのが、答案提出応援団である。
応援団員は教材編集に携わる教科スタッフである。
最年長の私が団長に祭り上げられた。

応援団は答案提出を呼びかけるキャンペーンを企画する。
団員の激励メッセージを載せたチラシを作成。
そこに団長の似顔絵がそえられた。
似顔絵は団員が描いてくれた。
(娘たちに見せたら「そっくり」と笑われた。)
先着答案には記念のスタンプを押してあげよう。
企画自体には賛成したが、団長の似顔絵入りというのは悪趣味に過ぎないか?
「大丈夫、Z会員の心の広さを信じましょう。」
幸いクレームを聞くことはなかった。
感想欄に「スタンプが楽しみ」と書いてくれる心やさしい会員までいた。
もう使われることもない先着認定スタンプ。
「せっかくだから、プロフィールで使ってください。」
と印影の画像が届く。

Z会を利用して入試突破力を高めて欲しいという気持ちは部署が変わった今も同じ。
答案提出を強く呼びかけたい。
夏休みはためてしまった答案を一掃するチャンスである。

親の目の届かないところで

[2008年07月24日(木) ]

高3の長女と高1の次女とで、昔した遊びの話題で盛り上がっていた。
昔話で盛り上がるのは10年早いと思うのだが、
10年前、長女は小学生、次女はまだ幼稚園児であったころのことらしい。
「よく、土ぐもを引きずり出してあそんだよね。」
土蜘蛛って何だ。神武天皇の東征に反抗したあの土蜘蛛か?
どうやら、ハナミズキの根元にできた地グモの巣のことらしい。

「バッタの脚って、持つと簡単にもげたよね。」
「ふつうのバッタはそうだけど、ショウリョウバッタは脚をもってふりまわしてももげなかったよ。」
「もげた脚をネコにあげても食べなかった。」
「そうそう、自分では捕まえて食べるのにね。」
「ネコはトカゲのほうを喜んだ。」
「でも、遊んだだけで、食べなかったよ。」
「うん、ネコが遊びにあきたころには、トカゲ本体はぐったりしてるのに、切れたシッポだけ元気よく動いてた。」
「カエルもよくつかまえたね。」
「オシロイバナを石で潰して汁を塗りつけたりとか……。」

わが家の西側は堤防で雑草が生い茂っている。
ときどき国土交通省が委託した業者が草刈するのだが、すぐまた生い茂る。
雑草とはいえ、季節ごとに花をつける。それなりに美しい。
茂みの奥には、虫たちがたくさんいて、それを狙う鳥も舞い降りてくる。
幼い子どもたちにとっては格好の遊び場である。
子どもたちが、シロツメクサやアザミを摘む姿はよく見かけた。
ほほえましく見守った。
しかし、まさか、地グモの巣を引き出し、バッタを振り回し、カエルにオシロイバナを塗りつけて遊んでいたとは知らなかった。
妻も唖然としていた。

勉強以外の大学入学準備

[2008年07月23日(水) ]

部活が終わり、支障なく受験勉強に専念しているはずの長女。
「今年の夏休みは、受験勉強以外にすることがなくてつまらない。」
なんていい方をするから、すかさず妻のカウンターパンチが飛ぶ。
受験勉強以外にやることがないなんて、考え違いもはなはだしい。
玄関前・風呂・トイレの掃除、洗濯・洗濯物を干す・たたむ
買い物、食事の用意・後かたづけ、ゴミ出し
ふだん、親がやってくれるからといって、
自分のやるべきことではないと考えているとしたら大きな間違いだ。
子どもが何もできない幼児なら、一切親がやる責任があろう。
しかし、親と背が並ぶほどになれば、応分の家事を負担して当然。
つまり、少しは手伝えということだ。

わが家から都内の大学なら通えないこともない。
通えないこともないが、通学のための時間は相当かかる。
大学入学を機に家を離れ、一人暮らしをする。
その可能性も考えておいたほうがいい。
いずれは、親を頼らずに生活しなければならないのだから。
大学入学のための準備、それは自立のための助走である。
自分で生活をする覚悟、そして能力をもつことは絶対必要である。
これは私の意見だ。

えらい方向に話がいってしまったと困惑顔の長女。
「一人暮らしかあ、できるかなあ。」

大学入学時に家を出て、もどることなく就職、そして結婚。
私も妻もそうであったように、十分ありうる話だ。
そうなれば、一緒に暮らせる時間は、大学に入学するまでの数か月しか残っていない。
今のうちに母親からたくさん学んでおくといい。

国語総合の教科書

[2008年07月22日(火) ]

次女の国語総合の教科書がテーブルにあったので手にとってみた。
小説、評論、詩、古文、漢文、みな一冊に納まっている。
カラフルでにぎやかなレイアウト、
自分が高校のときに使った教科書とは違うなあ、と思いつつ見ていると、
俳句のページがある。
子規、虚子、蛇笏、山頭火、汀女、誓子、当然のビックネームが並ぶ。
現代俳句の世界というページもあって、そこになつかしい名を見つけた。
 初めてのまちゆつくりと寒椿  田中裕明

かつて、「獏」という同人誌があった。
短歌・俳句・川柳・一行詩を作る高校生・大学生たちの同人誌である。
彼はその仲間だった。
彼は若くして本格的な俳句を作り、皆に尊敬されていた。
私はもっぱら一行詩を作った。
「そもそも一行詩とは何だ」と仲間うちでも議論になるぐらいだったから、
私は異端の部類に属していたのだろう。
「獏」の大会には議論好きが集まったが、
彼はいつもにこやかに聞き役をつとめていた。
京都で開かれた大会に参加したときには、
帰りそびれてしまい家にとめてもらった。
先輩俳人の短冊を宝物のように見せてくれたことを思い出す。

大学卒業後、「獏」も廃刊となり、以後、会うことはなくなった。
それでも、彼の活躍ぶりはさまざまに知ることができた。
小林恭二著「俳句という遊び」(岩波新書)に若手俳人の一人として登場している。

教科書に載った生年は私と同じ。
没年が記されているのが寂しい。

甲子園大会予選の応援

[2008年07月21日(月) ]

夏の甲子園大会の予選、各地で熱戦が続いている。
これまでわが家の野球熱は高くなかったのだが、
次女の高校は甲子園に出場したことのある名門校だそうで、
土曜日、次女も応援に行った。
妻も次の試合には絶対に応援に行くといいはっている。
野球のルールも知らないくせに‥‥。

長女の高校の野球部は早くも夏を終わらせてしまっている。
長女に勝ち残っている高校がうらやましいかと聞くと、
「うらやましいけど、応援に行かなくていいのは助かる」という。
制服での応援は暑くて苦痛なのだそうだ。
でも、男子のズボンより、女子のスカートのほうが涼しそうだ、
といいかけたところで、妻が割って入る。
「そんなこというのは、夏、スカートをはいたことがないからでしょ!」
確かにそうだ。夏に限らず、スカートをはいたことがない。
「スカートって、案外、熱がこもるんだよ。」
それは、知らなかった。
「だから、両手でつかんでバサバサやりたくなるよね。」
妻のことばに、長女もうなずく。

昼前に次女からメール。
延長戦で惜敗との知らせ。
これで、妻のスカートバサバサはなくなった。

祭囃子が聞こえる

[2008年07月17日(木) ]

会社を出て家に着くまでのところどころで、鉦の音が聞こえる。
三島周辺ではシャギリというらしい。
子どもたちが、鉦を連打し、掛け声をそろえる。
威勢の良さは、故郷の祭囃子とは比べものにならない。
故郷の祭囃子は、ゆっくりで、笛の響きに余韻があった。

シャギリのリズムは後をひく。
遠ざかっても、そのリズムから逃れるのは難しい。
頭に響く鉦の音を口づさんでいたりするのだ。

それでも、ふと、故郷の祭囃子を聞くことがある。
みんな寝静まった夜更けに。

板倉勝静と山田方谷

[2008年07月16日(水) ]

恩師と同窓生20数名で毎年夏に泊まり込みで研究会を行っている。
参加者は高校・中学の日本史・社会科教員が多い。
大学教授、博物館職員、文科省職員もいるが、私企業に属しているのは私だけだ。
立場はそれぞれだが、同窓生という信頼があって率直に議論できるのがうれしい。

開催地は毎年変わる。
今年は鳥取県の米子市ということで楽しみにしていた。
空路、羽田から米子に飛ぶのが一番早い。
でも、新幹線で三島から岡山まで行き、岡山から伯備線で米子に行くほうが安い。
それなら、備中高梁駅で途中下車し、備中松山城を見たいと思った。

幕末、備中松山城の主は板倉勝静だった。松平定信の孫にあたる。
勝静は山田方谷という陽明学者を登用して藩政改革にあたらせる。
この山田方谷という学者はただものではない。
(長岡藩の河合継之助も方谷に教えを乞うたという。)
大坂商人に藩の収支を説明し、借金の返済猶予を認めさせる。
信用の低下した藩札を回収して公衆の面前で焼き払う。
産業を興し、窮民救済策を実施し、農兵を組織するなど、豪腕を発揮する。
こうして、破綻寸前の藩財政の立て直しに成功するのだが、
その結果、板倉勝静は、老中に任じられ、幕政の立て直しを託されることになる。
勝静は当然、方谷をブレーンとして期待するのだが、
方谷はすでに幕府の衰退を見通していて、逆に老中を辞して領地に帰るよう勝静に勧める。
しかし、徳川吉宗・松平定信の末裔という自負がそれを許さない。
結局、勝静は幕府の最後を見届けることになる。
慶喜の意をうけて大政奉還に尽力するが、戊辰戦争を避けられず、旧幕府軍とともに奥羽で戦い、箱館にまで行ってしまうのだ。
一方、備中松山城にあった方谷は新政府軍に降伏し、新藩主を擁立する。
それしか領民と主家を守る方法はなかったのだろう。
結局、勝静は箱館から家臣に連れ戻され、新藩主を認め隠居する。
方谷の言を用いなかったことを悔やんでも、方谷を恨んだりはしなかったようだ。

祖母の法事と重なり研究会への参加がかなわず、本当に残念だ。
板倉勝静と山田方谷ゆかりの備中松山城探訪、次の機会があるだろうか?

参考:矢吹邦彦著「炎の陽明学−山田方谷伝」(明徳出版社)

毒蝶と擬態

[2008年07月15日(火) ]

日曜日の午前中、妻は家のまわりの植え込みを手入れしていた。
見慣れぬ蝶がふわふわと飛んでいるのに気づく。
最初は特にどうとも思わなかった。
オレンジ色に黒い斑点が鮮やかな蝶である。
飛び去ったかと思うとまた戻ってくる。
なんだかわが家をうかがっているように感じ、妻は不審を抱いた。

早速、ネットで調べる。
ヒメアカタテハ、ベニシジミ
似ているように感じるが、いずれも小型の蝶という説明があり、あてはまらない。
いくつものサイトをまわっているうちに、そっくりな蝶を見つけた。
カバマダラという蝶だ。
熱帯性の蝶で、日本に迷いこむこともあるようだが、まれなのだという。
ということは、やはり違うのか?
このカバマダラという蝶、毒蝶だということで鳥たちには大変嫌われている。
だから、擬態する蝶も多いのだという。つまり、似た蝶がいるということだ。
本来、西日本が生息域だが、近年、東海・関東でも観察されるようになったというツマグロヒョウモンが怪しい。
生息域が違う蝶の擬態で捕食者に「食ったら毒だぞ」とアピールできるのだろうかという疑問は残るが、それは置いておこう。
ツマグロヒョウモンの幼虫はスミレ類を食べるという点が重要である。
ここで、妻はようやく事件を解決する鍵を握ったのである。
玄関先にパンジーが植えてある。
犯人は卵を産む機会をうかがって、パンジーのまわりを飛んでいたのだ。
私は妻の名探偵ぶりに拍手した。

これで物語は終わったのかと思ったのだが、そうではなかった。
ずっと、蝶やその幼虫の写真を見つづけた妻。
「気持ちが悪くなってしまったから、昼食は作らなくていい?」
そうきたか。

模擬試験二日目を終えて帰ってきた長女とともに店で中華丼を食べた。

団地の給水タンク

[2008年07月14日(月) ]

昨日、テレビで団地の孤独死についての特集を見た。
高度経済成長期、人々は農村から都市部に大量に移動した。
そうした人々の住宅として作られた団地で孤独死が今問題になっている。
最新のライフスタイルに合わせて作られたはずの団地も、
住民とともに歳を取り、老朽化してしまっているのだ。
団地の住人は核家族が多かった。
核家族用の間取りは2世帯で住むには狭すぎる。
結局、団地には老人だけが取り残されている。
つれあいがいればいいが、なければ孤独死しても容易に人に知られない。

私は小学生だったころ、団地に憧れていた。
私自身は商店街の中にある店舗兼用の住宅に住んでいたが、
小学校の同級生に団地の住人がいた。
父親は大きな企業に勤め、母親は専業主婦、両親ともに教育熱心で、その子も学業優秀だった。
初めて団地の敷地内に足を踏み入れたとき、空気の違いに気づいた。
商店街ではいろいろな匂いがする。
豆腐屋の前は蒸した大豆の匂い、魚屋の前は潮の匂いがする。
なのに団地の中は、季節の花が咲き匂っていたのである。
見上げれば、整然と高層の建物が並ぶ。
(高層といっても4〜5階建てであったが、当時はそれでも十分高層だったのである。)

しばらくして、寝苦しい夜に恐ろしい疑いを抱いた。
団地の住民は選ばれた人たちである。
ある日、一斉に地球を飛び立ってしまうのではないか。
団地の屋上には給水タンクが設置されているが、
あれは月着陸船なのだろう。
(アポロ11号の月着陸船は団地の屋上の給水タンクにそっくりだった。)

結局、団地の住民が一斉にいなくなることはなかった。
しかし、同級生一家は家を建てて団地から引っ越した。
一度、その家も訪ねたが、新しくてもふつうの住宅で少しがっかりした。


オープンキャンパスと巨匠対決

[2008年07月11日(金) ]

志望大学はなるべく早く決めたほうがいい。
そうしないと、覚悟をもって勉強することができない。
だからといって、親主導で大学・学部を決めてしまうわけにはいかない。
昨年、高2の夏になっても部活優先で進路を考えようとしない長女がもどかしかった。
なんとか気持ちに火をつけたいという思いがあって、オープンキャンパスに連れていった。
最初は友達を誘って行ってごらんと勧めたのだが、なかなか具体化しない。
結局、私が日程や段取りを決め、長女とその部活仲間を引率する形になってしまった。
保護者同伴のオープンキャンパスなんて、みっともない。
親離れできない子、子離れできない親、いずれにしても嘆かわしいものだ。
そう思っていたのに、まったく面目ない。
(午後は別行動だった。私は個人的に参加している研究会のため海辺のホテルに宿泊、長女らは部活で必要な道具を物色してから新幹線で帰った。)

今年もまたオープンキャンパスの季節になった。
<Eye-z 2008年オープンキャンパス情報>
http://www.zkai.co.jp/z-style/eyez/080429.asp

「今年はオープンキャンパスに行く予定はないの?」と聞くと、
「去年行ったからいい。」という返事だ。
結局、去年連れて行った大学が長女の第一志望ということになっている。
別に第一志望を変える必要はないが、併願する大学の雰囲気を見ておいたほうがいいのではないか。
進学先となる可能性が高いのは第二志望のほうかもしれない。
なかなか一人では行動できない長女。
今年も私が連れ出さなければならないのだろうか。
長女をオープンキャンパスの入り口まで連れて行き、自分は東京国立博物館にまわるというのは悪くない考えだと思う。
<東京国立博物館特別展「対決−巨匠達の日本美術」>
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=5315





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