Dr.Toko's Clinic

大学受験を終えたということで、今度は僕が受験生の方々にアドバイス等していく番となりました。
これからは、大学生活のこと、受験生活の思い出とかを綴っていきたいと思います。
学習相談等、随時受け付け中です。

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大阪大学応用自然科学科1回生のDr.Tokoと申します。
生物系の研究者目指し、勉学に励んでいます。

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僕の好きな選手の話。 [2008年03月21日(金) ]
ずっと勉強の話が続いたので少し違う話題を。

今、フィギュアスケートの世界選手権が行われています。

昨日(というか今日というか)女子の方が終わりました。

僕がずっと応援しているスケーターがいます。

ミキティこと安藤美姫選手です。

2年前のトリノオリンピック。

荒川・村主両選手とともに出場しましたが、この2人の選手がそれぞれ1位・4位という結果を残す中で、安藤選手は10位以内にも入れませんでした。

安藤選手はこのとき、怪我のため満足な演技ができなかったのです。

怪我をしてるくせにオリンピックなんかに出るな、という非難の声もありました。

でも僕は、多少調子が悪くても試合に出るあのひたむきな姿に心魅かれました。

ずっとこの選手を応援したいと思いました。

その4年後には、表彰台の一番高いところで嬉し涙を流す安藤選手が見たいと思いました。

その1年後に早くもそれは実現したわけですが、是非とも、バンクーバーでも素晴らしい演技を見せてほしいなと思っています。

最近、1年前の演技直後のインタビューを見たのですが、それまでの苦労がひしひしと伝わってきました。

僕たちの前で活躍する人たちは誰しも、僕たちの目には見えないところでものすごい努力をしています。

僕は、そんな人たちに対しては、「頑張って下さい!」と応援する気持ちしか出てきません。

非難を浴びせようなんて、ちっとも思いません。

今年は、途中棄権という結果に終わってしまいましたが、

一生懸命過ぎる安藤選手が、僕は大好きです。

2年後、また1年前と同じような、いや1年前以上の感動の瞬間が訪れることを願って。

大相撲春場所 千秋楽 [2007年03月25日(日) ]
中学時代の友人の影響で大相撲に興味を持つようになりました。

実は僕の名前も、ある力士の名前にちなんでつけられたんです。


いよいよ今日、千秋楽ですね。

幕内優勝争いは12勝2敗で横綱朝青龍と大関白鵬が並んでいます。

昨日の結びの一番、白鵬が勝てば5場所ぶりの優勝が決まる勝負は本当に見物でした。

結果、横綱が勝ち、優勝争いは今日までもつれました。


去年のいつだったか忘れましたが、白鵬の綱とりがかかった場所の千秋楽。

既に白鵬と星2つの差で横綱朝青龍の優勝が決まっていました。

白鵬の綱とりの可能性が完全に消えたわけではなかった中でのあの一番はすごく印象に残っています。

白鵬が押し倒し(でしたっけ?)で朝青龍に勝った瞬間、他の相撲では感じることのない、何かを感じました。

朝青龍が後ろに倒れていく間のあのわずかな、でも少し長く感じられた時間に、新時代の到来を予感させました。

一人横綱の時代が終わった気がしました。


しかし、白鵬の横綱昇進はありませんでした。


そして今場所、白鵬に再び優勝のチャンスが巡ってきました。

何とか今日勝って、優勝決定戦に持ち込んでほしいものです。

白鵬は体格が、「平成の大横綱」といわれた貴乃花に似てきてるような気がします。

今場所は相撲内容も日に日によくなっていき、横綱昇進の日もそう遠くはないかもしれません。
思い出の一コマ [2007年03月22日(木) ]
今回は、Z会のSNSパルティオゼットで僕が書いた日記を転載します。



この日記では、僕が参加したある水泳の試合で起こった出来事について書きたい。

大会のプログラムをもらい、自分が入った組とコースを確認したとき、ハッとした。

隣のコースが僕の知り合いだった。

その知り合いというのも、単なる知り合いではなく、僕にとっては特別な人だった。

ずっと前の日記にも書いたことだが、僕はその3年前に出場した大会で全種目優勝し、優秀選手賞を受賞した。

だが、最初から優勝が約束されていたわけではなかった。

リレーは1チームしか出場しておらず、4人がきちんと完泳すれば優勝は約束されていたし、2種目出場した個人種目のうちの1種目も僕のエントリータイムは1位でほぼ優勝確実だった。

だが、もう1種目の個人種目である50m自由形はエントリータイムが2番だった。

自己ベストでエントリーしたのに、である。

そのときのエントリータイム1位というのがこの前の試合でも同じ組を泳ぐことになった彼である。

3年前の大会本番では、僕がエントリータイム(すなわち自己ベスト)を0.7秒下回ったのにもかかわらず、僕が勝ち、優勝

たった0.7秒と思われるかもしれないが、50mで0.7秒というと相当大きい。

小学生のときに出場した大会の同じ50m自由形の種目でエントリータイムは1位でありながら、自分の力を出し切れず、2位に終わったという苦い経験をもつ自分にとってはこの大会での優勝は本当にうれしかったし、自信もついて非常に良い思い出として残っている。

彼と同じ組で泳ぐことがわかったとき、僕はすぐにこの大会を思い出した。

大会で僕と彼が再び同じ組で泳ぐことになった種目はもちろん50m自由形。

水泳に対して少しやる気をなくしていた僕だったが、彼とまた一緒に泳げると思うと、燃えてきた。

状況も3年前とほとんど同じで、エントリータイムも彼の方が上だった。

この3年間でお互いがどれだけ成長できたかを試すときがきたわけだが、僕は彼に勝つ自信なんて全くといっていいほど、なかった。

というのも、僕は約3年前に自己ベストを出してから、50m自由形はずっとベストを更新できない状態が続いていた。

水泳をしてて、3年間も自己ベストが出ないなんて致命的である。

その3年間の間、彼は着実にタイムを伸ばしてきているのだ。

勝てるはずなんて、ない。

もし、ここでまたしても彼にエントリータイムで負けながら、本番で僕が勝ってしまったら、彼があまりにもかわいそうだと、思った。

僕は、相手のことなんか考えず自分のできる精一杯の泳ぎをするだけだ、と考えた。

野球やサッカーでは相手チームのことを研究して、試合に勝つことはできるが、水泳はできない。

いくら自分が頑張ったって、他の選手のタイムを落とすことなんてできない。


競技前のウォーミングアップで彼に偶然会い、軽く声を交わした。

いよいよだな、という気持ちが僕の中に起こってきた。

順番を待つ待合室の中で彼と話をしていると、緊張がほぐれた。

これだけリラックスしてレースに臨めたのは初めてだったかもしれない。

それが良かったのか。

僕はスタートでいきなりミス。

浮き上がって泳ぎ始めたころには既に彼に体半分の差をつけられていた。

時間がたつにつれて、その差が広がっていくのが感じられた。

そろそろ疲れてきたな、と思ったとき、見えてきたのは25mのライン。

まだ25mか、という感じだった。

短水路と違って長水路ではターンなしで50mを泳ぎ続けるため、かなりきつく感じた。

後半25mは精神力の勝負。

泳ぎ切った後は完全に疲れ果てており、これではろくなタイムも出ていないな、と思った。

出場制限記録すら切れていないことも覚悟した。

レース後に電光掲示板を見れば自分のタイムが分かるのだが、僕の視力では見えないため、タイムも知ることなく、クールダウンをした。

そのときは、まあこんなもんか、フライングなどの大きなミスがなかっただけいい、と思っていた。

何より彼と一緒に泳げたことが幸せだった。

控え場所に戻り、記録をとっていた同じ学校の部員からタイムを聞いた。

そのとき、僕は自分の耳を疑った。



自己ベストだった。



短水路よりも良い記録が出にくい長水路のプールで短水路の自己ベストを上回ったのだ。

奇跡としか思えなかった。

と同時に大きな喜びに包まれた。

彼に負けた悔しさもなかったことはないが、それよりも自己ベストを更新できた喜びのほうがはるかに大きかった。

50m自由形では、実に37か月ぶりの自己ベスト更新だった。

このとき、自己ベストを更新することの喜びを実感した。

3年前の大会では、彼に勝ったものの、自分のタイムが自己ベストでないことを知ったとき、かなり落ち込んだのを思い出した。

あの時の方が泳ぎの内容も手応えも今回よりは良かったはずなのに、越えられなかった自分自身という壁。

今までの3年間、イケると思っても越えられないということがあった壁。

その壁をこれだけ簡単に乗り越えられたことが少し不思議な気もした。

なぜ自分はこの壁を乗り越えることができたんだろう?

やはりそれは、どうやったらタイムを上げられるかが分かったからではないか。

タイムが伸びない自分も筋トレなどはしていた。

でも、そのことに満足していた。

本当の「努力」をしていなかったのだ。

あの時の自分が筋トレをしていた目的は「筋力アップ」ではなく、「筋力維持」にすぎなかった。

一時期、僕は何回泳いでも同じタイムしか出ないことに苛立っていたことがあった。

タイムは上がらなかったが、下がりもしていなかった。

僕が嫌だったのは、ずっとこのまま同じタイムしか出せなくなるのではないかと思ったからだ。

タイムが下がった後はその反動で次はタイムが上がるかもしれない、というのが僕の考え方だ。

僕はここで、「変わる」ことの必要性を感じたのだ。

タイムが「上がる」とは、「良い」方向に「変わる」ことであり、タイムが下がるとは、「悪い」方向に「変わる」ことを意味する。

タイムを上げるためにはまず「変わる」ことが必要だ。

そして、「良い」方向に変わっていかなくてはならない。

「変わら」なければ、確かにタイムが落ちることもないかもしれないが、上がることもない。

こんな状態は本当にもどかしいに違いない。

では、具体的に何を「変えた」のか?

それは、1つはフォームの改造、もう1つは筋トレ重視からストレッチ重視になったことである。

これにより、今回タイムを上げることができたのではないかと思っている。

また、隣のコースの彼に引っ張ってもらえたのも大きいかもしれない。

これからも「変わる」ということを大切にして生きていきたい。
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