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プロフィール

名古屋在住の18歳です
高1から今年の7月までZ会を受講していました

専門学校進学予定です        

プロフィール

1.17

[2008年01月17日(木) ]

阪神淡路大震災から13年が経ちましたね。

私は当時まだ4歳で、記憶もおぼろげなのですが、揺れたときのことは覚えています。
名古屋でも震度4はあったんじゃないかなと思います。あの時兵庫では、どんなに物凄い揺れだったんだろうと思う。

家に阪神淡路大震災を経験した人の出版している「地震イツモノート」という本が買って置いてあります。大震災を経験した人達の現実的な感想、メッセージが載っています。
とても参考になります。地震大国日本の住民として、一度読む価値があると思いました。

あの頃はきっと、地震対策という発想が今に比べてあまり無くて、家具を留めたり電化製品が飛ばないようにしたりということがそれほど一般的ではなかったんだろうなと思う。
実際あの時我が家は、ズラリと並ぶ箪笥を枕元に蒲団を敷いて寝てました。
揺れた時ガッタンガタン言ってましたよ・・・今は考えられないな・・・。

東海大地震とか首都直下型地震とか、大地震が必ず起きるといわれている(しかもいつ起きても不思議じゃない)中、できる限りの対策はしないといけないですよね。
それ以外でも毎年のように全国様々な場所で大きな地震が起きているのだから、常に油断することなく対策をしておきたい・・・と思ってます。


ところで防災って、家具を固定したり非常食を確保しておく以外に、大切なことがあるんですよね。

挨拶です。

実際に大地震が起こったら、近所の人同士の協力が絶対に必要だと上記の本に書かれていました。
普段からすごく仲がいい、というわけじゃなくても、いつも挨拶をしていればいざという時にとても大きな意味をなすのだと思います。

「インキャラ」やと?

[2008年01月14日(月) ]

今日久しぶりに会う友人と遊んで、家で話をしました。
その時に聞いた話。
最近若い子の間で、暗い感じの人に対して使用する用語が存在するそうです。


その名も「陰キャラ(インキャラ)」。


ハハア〜ン 陰キャラねえ。なかなかええ度胸しとるやないの。

インキャラとは「陰気」なキャラクターという意味と、「インドア」なキャラクターという意味があるそうですよ。まあ前者の方が本家っぽい感じしますけどね。

しかしこの用語が私が小中学生のときに流行らんでよかった〜
「陰キャラ」て。アタクシに当てはまりまくり代じゃないですか。絶対アウトだわ。
完全根暗だもん。一人大ッ好きだもん。自分の時間めっちゃ大事にしてるもん。

いや〜それにしても余計なお世話ですよこれは。
どんどんどんどん人は人のことに無駄な侵入を図ってきますねえ。
キモイとかウザイとかよりその人の性格について割り込んできてますからねえ。
これは個性破壊機ですよ。このような用語を使用する人は最早人間の個性を破壊するウンコマシーンですよ。

だいたいいっつも群れてアホみたいに無駄に明るくおる真っ黄っ黄の造花のような奴等に、本当に深い面白い人間なんているのか?

なんて思っちゃったりします。根暗な手前といたしましてはね!!ハハン。

いいがや別に。物静かだって。つまらん時は笑わなくたって。人付き合い悪くたって。とっつきにくくたって。多少空気読めなくたって。だから無駄にしゃしゃり出ず黙って静かにしとるんだろーが!

♪根暗 is Freedom 根暗 is Freedom
  根暗 is mugendai∞ 根暗 is mugendai∞ イエーイ

まあ人付き合いは社会に出たらどうしても必要になると思いますけど。
でもそーゆうのが苦手だからって差別される筋合いはねえ。
しかも「陰キャラ」て・・・キャラと違うわ!なめんな!


要は黙っとってくれってこと。人のこと裁く前に己と向き合ってみい。
他人のこと裁ける器か?
って、本気で問いたいキブン

(ついつい燃えてしまいました。言い過ぎてたらすみません。「陰キャラ」・・・なんせ人事と思えん激しい怒りを覚えましたので。)

大殺界入ります

[2007年12月13日(木) ]

六星占術の話です
来年私(水星人+と先程判明)は大殺界に入るそうです。実はもう今年から陰ってたらしいです。来年私一応受験生なんですけど・・・。ちなみに再来年は「減退」とのことで大殺界の出口らしいです。

つ・ま・り・・・

10代最後の3年間はずっと大殺界ってことですね☆

新しいことは始めちゃいけないって・・・じゃあなんですか、私と同い年の人は皆現役で大学に入らない方がいいってことですか‐‐;
水星人の傾向もあんまり当てはまらないしなあ。
なんかよう分からんですわ^^;
でも2006年の「安定」は当たってます!2007年の陰りもなんか納得。じゃあやっぱ来年は「停滞」なのかな。頑張って耐えます。

それにしても、私は元々占い&風水というのに興味が無いのですが、やっぱり何かあるんでしょうかね?特に風水はなんとなくボンヤリしたイメージなんですが、美輪さんも風水のことをチラっと話されてたことがあるように記憶してて、ちょっと気になったりしてます。
実は我が家の玄関の方角がどうも不幸を招きやすい方を向いていると判明したことがかつてあって・・・で、事実この家に引っ越してから私の自律神経失調症、父の交通事故(鎖骨を骨折)、姉の情緒不安定、その他諸々のよからぬことが起こっているのであり・・・。でもだからといってこのマンションに住んでいるご家庭皆何かしらの不幸が起こっているとも感じないわけで・・・無論そんなことは分からないんですが。

占いに頼りすぎるのはどうも好かんのですが、それでも生活のヒントとして何かしら柔軟に取り入れるのは良いことかもしれないですね

まあ私は来年冬のど真ん中祭なんですけどね。

見えんもんこそ

[2007年12月10日(月) ]

岡真史という、12歳で自死した男の子の生前に書き溜めていた詩・作文を収録した本、『新編・ぼくは12歳』
この本の中で、印象に残った中学一年の時の作文がありました。

タイトル「見せかけより 中身で勝負したい」

内容は、著作権の関係で書いていいか微妙なので記載は避けますが、それでもこのタイトルだけでも、力強さというか、自分の中心を持っている、そんな印象を受けます。
箱根の美術館で見た、中国のすごく古くて「見せかけ」の汚い、しかし今まで残ってきた重みの感じられる立派なつぼに感動して、この作文は生まれたそうです。

中学生の時といえば、自分の見かけとか、そういうのがやたら気になる時期のような気がするのですが、それをあえて強く否定するようなこの言葉は、偉大だと思う。内面へ向かう要求をもつことは、大人になっても(或いは、大人にこそ)難しいことのような気がする・・・。

外見だけでなく、例えば能力を表す数字、ものの価値を表す数字、肩書きを記す文字などもそうだと思う。

目に見えるものはそこに「認める」もの。
目に見えないものは感じ、信じるもの。
それは真実に繋がる・・・・・・・・・?

百聞は一見に如かず、という言葉はその通りだけど、それだけでは足りない。心がなければいけない。

目は殆ど全ての動物が持っている部分だけど、心は(多分)人間だけが持っているもの。人間がもし他の動物と全く違う種の動物だとしたら、それは心のせいだと思う。人間は、特別に「心で見る」能力を許されている。それは言語をもつ能力より素晴らしく、また重要なものであると思う。

五感に頼り過ぎないようにしたい。常に、第六感も働かせていたい。

岡真史君は、大切なものは「目では見えない」と言い残して倒れた、星の王子さまと重なります。


正直に言って、私はこの作文によってハッとさせられたのでした。
自分も、これからは内面こそ育んでいきたい。
見えないものを尊ぶことの出来る「人間」でありたい。

残酷フリーでは居られない

[2007年08月01日(水) ]

ロッ●リアで友人と2時間。粘ったりましたよ100円のシェーキで。
ずっと相手の悩みに終始した・・・詳細は書かないけど
今の女子中高生がギャルとしてなんとか切り抜けるには

・病的に明るくあること
・「キモイ」などの一つや二つサラッと言えて尚自分が言われてもサラッと流せること
・バカである(あろうとする)こと
・ある種の残酷さがあること

こんなんなのかなーとか思いました。違ってたらスミマセン。多分ちょっと極端です。
「あいつキモイ!」
「なんかされたの?されてないんならさあ、なんで?皆ちょっとおかしくない?」
「なんもされてないけど、キモイからいいんじゃない?」
↑はいつか実際に交わした会話。
それまでそれなりに仲良かったコでも、こーゆうふうに軽率に他の人間を踏み潰す発言をしたので
すっごく軽蔑した。見損なった。
でもこんなことで一々憤慨してたりするようでは、今時ハッキリ言って集団としての学生生活を「楽しむ」ことは難しい、そう思う。
別に特別荒れたグループに入ってなくても、ある程度の妥協が要る。
ある程度残酷でないと疲れる、やってられない。
「その少年の残酷さで」という言葉が本に何度か出てきたけど、そんな感じ。
自分のSな部分を楽しんでいるような。

10代って大変だなー。残酷で傷つきやすいんだからね。八方塞。
きっと私も残酷。「キモイ」とか言うのとは違う面で。で、何かと引っかかるし。
思春期は一種の精神異常だっていうらしいけど、ホント面倒。

もうよく分からないけど、思春期の苛立つような気まぐれさには散々振り回されてきた。
皆振り回し、振り回され。

なんだか、話聞いて頭が疲れてしまって、こういう日記書いてみたけど
滅茶苦茶なこと言ってたらゴメンナサイ

平成生まれの名前は意外に渋い

[2007年06月25日(月) ]

私の名前はどちらかと言うとちょっと珍しい方かな??と最近思います。
苗字にしろ名前にしろ、別に「珍名」と言うほどのものではないにしても、あんまり見かけないような気がします。

で、小さい頃は自分の下の名前がイヤだったわけです。
正直ちょっと古臭い。平成生まれのくせにやけに渋い。姉のよりはるかに渋い。
しかも侍顔だからシャレにならない。はっはっは。

親に「なんでこの名前にしたの」と訊ねれば
「え〜、う〜ん・・・まあこれならお婆さんになっても違和感無いだろうしー・・・」と
苛立ち要素満載の返事が返って来るだけで
幼心に己の名と、またこんな名前を付けた親を恨むともなく恨んでいたわけですが

この頃自分の名前が好きです。

しかもこれは祖母によって予言されていた事で
というのも小さい頃から「あんた大人になったら絶対自分の名前好きになるよ」
と自信満々に言われていたのです。
当時は「いや、永遠にならないだろうよ」と思っていたのですが
本当になりました。しかも思ったより早く。

さすがに「お千代」とか「お園」なんていう類じゃないですよ。さすがにね。
っぽい名前なんです。
それで、その響きというよりは、字面が気に入ってきたという感じ。
実際名前そのものよりも字が珍しいらしくて、大きくなってからは「こうやって書きます」みたいな場面では、大抵「へー、これで○○って読むの」と言われます。
(それ故郵便物の宛名や病院の診察券などの誤字も多いのだけど^^;)
それから、「いい字だね」と大人の人から言われると、やっぱり嬉しい。

これと言った意味もなく付けられた「何となくネーム」ではありますが
一見意味深な物語風の名前かな、と良いふうに考えてます。
まああくまで「ばあさんになっても浮かない名前」という有難いんだか有難くないんだか分からぬ配慮によってつけられた名前なんですけどね。ハハン。
でも「良い字でしょ!」と、やっぱり字には母も自信があるらしいです。

(余談ですが、私を含め姉、それから従姉妹、その従姉妹の3人の娘、みんな名前が二文字なんですよ )

抹消された15歳

[2007年06月20日(水) ]

不思議なことに15歳の記憶が非常におぼろげなのです。

14歳の時のことはよく覚えています。13歳の時のことも、12歳の時のことも、11歳の時のことも・・・よく覚えています。そして16歳(去年)のことも勿論よ〜く覚えています。
そらあさすがに一年前のことくらいは覚えとるだろう、でも16歳の時既に15歳の時の記憶がほぼ無くて、自分でもそれに気付いていました。

でもその時は「一年前のことって案外印象に無いものなのかもな。また時間が経ったらちゃんと思い出して、今度はこの16歳が思い出せなくなるんじゃないかな。」と思っていました。
しかし17歳になった今、いよいよ思い出せない・・・・・・

これはさすがにちょっと変だと思い、この年にどんなことがあったか集中して、脳をフル回転(自分なりに)させて、思い出そうとしました。

まず、これは覚えているのです。家に担任の先生が来て、玄関で話をしたこと。春頃に「本を100冊読もう」と決めて、一年間頑張って本を読んだこと(それすら空虚で、何の足しにもなっていないような気さえするのだけど)。14歳の頃の「学業を下に見て、全く勉強をしない」という状態から抜け出て、一応勉強をする習慣がついたこと。
でもその他が微妙なのです。

大体年に一回どこか旅行に行くので、この年に何処へ行ったか思い出すことにしました。
本当に悩みました。何処!?絶対どっか行ってるはずなのに・・・!
で、長い間考えた末、ディズニーランド&シーに2泊3日行っていることを思い出しました。
しかもこの時ミラコスタに泊まったんですよ・・・どうして忘れられたでしょう・・・。
しかもそれが人生3回目のディズニーだったので、ディズニーにはもう飽き飽きだなんてことは絶対にないんです。
ついで森山直太朗のコンサートに行ったことも忘却の彼方から思い出しました。
これだって人生初のコンサート、どうして忘れられましょう。
でもどちらも完全に忘れていました。

こんなイベントフルな年なのにも関わらず、それらをすら記憶から抹消させるような15歳って、一体どんなん。

それにしてもこうして頑張って思い出せるものも全て『行為』ばかりで(スケジュール帳が残っていますしね)、その時の精神状態だとか、例えばどんなことで悩んでいたかとか、どのくらい楽だったかとか、どんな気持ちで毎日過ごしていたかとか、そういうことは全っっっっっっったく思い出せないんです。もうここまで思い出せないと、記憶は一生蘇らないのではと思わずにはいられません。

ずっと一人で不思議だなあ〜と思っていたのですが、先日ついに母にこのことを何となく話してみました。
母曰く、人間の脳はなにやら凄く嫌なことが起こるとその記憶を勝手に抹消する傾向があるらしいのですが、15歳がそんなに嫌な年だったかと言えば、全くそんなことは無く、寧ろすさんだ14歳の時の方がドロドロしていて辛かったし、それ以上に9歳、10歳なんて丸で地獄でした。
母:「じゃあその年にきっと何かが大きく変わったんじゃない?」
そうなのかなあ??
不安に苛まれてじっとり激しく悩んだ14歳。
生活態度も体調も改善して、悩むといってもそんな正体の無い不安に襲われるということもなくなった16歳。
この私にとって対照的ともいえる2つの年の間の一年。空白の一年。果たしてその時に私は大きく変わったんだろうか??

本当に分からないです。多分これを読んでくださっているあなたの思う以上に(!?)空っぽなのです。

(ちなみにずっと日記をつけてきているのでその頃の日記もびっしりあるのですが、読んでみてもピンと来ませんでした。『え、これ私が書いたの?』とすら思いました。想像していたのとかなり違って、さらに謎は深まってしまいました。つまり、日記を読んでも何の刺激にもならないのです・・・。)

人と「苦労」

[2007年05月27日(日) ]

「苦労」は人生の貴重な体験です。
人によってする苦労は様々で、年齢も違えば内容も違います。当然です。

いかにその「苦労」を越えるか・・・。
いかにその「苦労」を活かすか・・・。


苦悩の真っ只中は大変ですが、それを乗り越えた暁には何にも代えがたい成長があると確信しています。どことなく崇高な、内から光るような成長です。

こうして苦労の「貯金」をしておけば、人生は寧ろ良いものになるのではないかと思います。

しかし貯め続けてきた「苦労」に安住して、深刻なようでいながらなんとなくのほほんと、乗り越える動きもしなければ成長しようともしないで、つまり自分のそれまでの「苦労」に過信して甘え続けていれば、あっという間に貯金は無くなり、反対に借金地獄という事態に知らずとはまっていくものと感じます。折角の自分自身の位を上げる機会をゆっくりと見過ごし、これといった覚醒も無く(というよりその覚醒を恐れ避け)、何の成長も無く死んでいくのです。

「自分の人生所詮闇に始まり闇に終わるのだ」と楽な方へ楽な方へ、動きの無い方へ動きの無い方へ開き直っていればそれまでです。成長もクソも無い。

もし自分に先天的、あるいは後天的なハンデがあるとすれば
「一般の人と同じことが出来ないなら、まず自分にはどんな道があるか。どんなことなら出来るのか」と自らに問い、ゆっくり模索していく。模索するだけでなく、少しずつでも思い切って行動していけば、それは間違いなく成長であり、そしてそれこそが人生であると思うのです。

自分の価値観を脅かされるのが恐い・・・
自分を否定されるのが堪らない・・・
自分を誤解されるのが絶対に許せない・・・


そんな甚だしすぎる自己防衛は捨てなければいけない。
電気すら走っている高すぎる障壁を少しずつでも下げていかなければいけない。
まず人の話にきちんと耳の傾けられる素直な精神を手に入れなければいけない。
そして世の全ての人に自分自身を押し付けようとするクセを断ち、自然とある程度の妥協をもって、割り切っていかなければいけない。

他人と自分が交わるのが不安で恐いくせに、何かと突っ掛かっていく。
弱い犬ほどよく吼える。
人の話を受け入れず、ただ自分の絶叫で相手を黙らせようとするのは、何の価値も意味も成さない。

「苦労」は糧になる。しかし扱いよう(もしくはその人の知性の有無)によっては、人を駄目にする玩具にも成り得る。

と、私はこう思うのです。

潔癖症

[2007年05月23日(水) ]

良い潔癖症と悪い潔癖症がある、と思う。
良い潔癖は、所謂「綺麗好き」に言い換えることが出来る。
悪い潔癖は「綺麗好き」なのではない。

健康な精神に悪い潔癖は宿らない。
一方崩れかけた精神には「拒絶」という名の潔癖が宿りやすい。

例えば、それまでなんとも思わなかった物事に激しい嫌悪、気持ち悪さを感じたりする。
一気に体調が悪くなり、口数が激減し、呼吸が荒くなる。
簡単にいえば、拒絶反応。
そのショックからなかなか立ち直れず、その日一日、あるいは数日体調を崩す。
こんな嫌悪の対象は、モノであったり、人間であったり、食事であったり、言葉であったり、音であったり、匂いであったり、TVであったりする。

こういった潔癖症の始まりは突然やってくる。
実際は徐々に確実にやってきているのだけれど、本気で気付く時には大抵もう遅い。
引き金を引いたように、あとはもう止まらない。
肉体、精神ともに健全な状態が瓦解した証拠といえると思う。
厄介なのは、最早不治とも思えるほど完治するのに時間が掛かること。
一度この手の潔癖症を手に入れてしまうと、その支配を完全に脱するのは非常に難しい。

潔癖症・・・この闇のような存在。
日常に忽ち闇を落とすこの支配者。
改善に向かいかけの忘れた頃に、瞬時に人をヒヤリと凍らせるこの影の支配者。
人間を不自由にする権力者。



もし異常に敏感な、異常に繊細な人が居ても
「どうしてそんなに潔癖なの?」なんて訊いてはいけない。