サワキの読書日記

パルティオゼットに載せた読書日記を中心に、時には違う話題も交えています。

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コンビニたそがれ堂  [2007年04月26日(木) ]
「コンビニたそがれ堂」村山早紀

パルティオで出会った素敵なお友達に教えていただいた本です。
ちょっと不思議な、そしてしみじみと暖かい本でした。
行こうと思ってもいつも行けるとは限らない。そして、探し物がある人は、きっと見つけることができる、銀髪に金色の目のおにいさんのいるコンビニたそがれ堂。

10分間というのは、意外に短くて、ひとつひとつのエピソードが短くても、読み聞かせに使うには少し長いかな、と思いましたが、最初のストーリーの男の子がとても魅力的で(ちょっとジュニア的で)第一篇の途中まででも、使ってみたくなりました。

オトコは硬派でなくちゃ、と思い込んでいるけれど、本当は小さな動物が好きで、傷ついた猫をお小遣いで獣医に連れて行って寝ずに看病するような心温かい少年。かっこつけて、大好きな少女を傷つけてしまったことに、自分も傷ついている・・。いいですねえ。

ひとつひとつのエピソードが切なくて、暖かくて、胸にしみました。傷ついた心が、そっと癒されていくような、素敵なお話です。

あとがきが、良かったのですよ。少し引用しますね。

(「コンビニたそがれ堂」より引用)
春から夏にかけてのことでした。わたしは、季節の移り変わりを、病院にお見舞いに行きながら、感じていました。毎年季節のその時期は、空の青さも緑も、美しいときですが、その年のひときわあざやかに感じた空と緑の色は、いまもおぼえています。
 それは、いままで当たり前に身近にあったのに、じつは、じぶんとは関係なくそこにありつづけ、これからも、父やわたしの生死には関係なく、ずっと存在しつづけるものたちのかがやきでした。とても美しいけれど、けっして手にはいらない宝物、手をのばしても、とどかない、だからよけいにかがやいて、美しく見えた、宝物でした。
 地上はとても美しく、過去も未来も美しく、人間ひとりの生死どころか、国家や、人間の社会や文明そのものが栄えても、たとえ滅びても、それとは無関係に、ただ美しいものなのだな、と、わたしは、そのとき実感をもって、感じたような気がします。

(「コンビニたそがれ堂」より引用)

わたしも、こういう感覚を確かに感じた時期がありました。美しい自然に、素直にまっすぐに謙虚に向き合える心が、物語の中から伝わってきます。この心は、たくさんのつらいことや悲しいことを乗り越えた明るさが与えてくれるものだと私は思います。コンビニのお兄さんのように、そういう心をわたしも子どもたちに少しでも渡せる存在になりたい。大人って、そういう役目だ、と思ったりしました。

大分前ですが「病院で死ぬということ」という映画(山崎章朗さんの原作も読みましたし、とてもすばらしい本でしたが)を見たとき、残り少ない余命を静かに大切に生きる人たちのエピソードの合間合間に、美しい空や咲き誇る桜の映像が映し出されて、その輝きに圧倒されたことがあります。

限られた命だからこそ、大切にしたいし、自然の偉大さ美しさに包まれたい。毎日、そういう心のゆとりがもてたらいいな、と思います。
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星の王子さま  [2007年04月18日(水) ]
「星の王子さま」サン・テグジュペリ作 倉橋由美子訳

とある外部的事情から、六年生に「星の王子さま」を読み聞かせることになりました。学校を使った任意参加の行事で、「星の王子さま」を扱うため、PRする必要があるのです。

そもそも、私は「星の王子さま」が子供向けの本だとは思っていません。どんなに高学年向けのネタに困っても、「星の王子さま」が頭に思い浮かんだことはありませんでした。「え?これを読むの?」と戸惑ったことも事実です。

ですが、やらねばならないのなら、最善を尽くすしかありません。どうせ朝の10分間です。せいぜいが、最初の二章を読むくらいが関の山です。非常に絵に頼る導入部です。挿絵を拡大コピーして、紙芝居のようにそれを見せながら、読んでみることにしました。読んだことのある方なら誰でも覚えがあるでしょう。最初の、象を飲んだうわばみの外側と中味の絵、それにヒツジの絵をいくつかと、ヒツジの箱の絵。

これが意外に受けました。絵の話になった時に、さっと持ち上げて見せるので、思わず視線が動くってのもあるんでしょう。皆が集中する感覚があって、少なくとも10分間は、実に熱心に聞いてくれました。どんな図書館にも、どんな本屋にも、きっと置いてある本なので続きを知りたい人は、自分で読んでね、で〆ました。一人くらいは、探して読んでくれるかもしれません。

今回読んだのは、倉橋由美子さんの新訳です。もちろん私は内藤濯さんの文章に長いこと慣れ親しんできました。美しい文章だと思います。ですが、今を生きる子たちには、少し難しすぎるかもしれません。実際、読んでみて、倉橋さんの訳は、すっきりとして理解し易いものでした。「うわばみ」が、「大蛇」になってしまったのは、旧友の変わり果てた姿に出会ってしまったような複雑な気持ちでしたが。

私が初めて「星の王子さま」と出会ったのは、それこそ小三くらいだったかと思います。題名に惹かれて読んだものの、「なんじゃこりゃ」でございました。あまりに分からないのが悔しくて、その後、一年おきくらいには読み返していたように思います。段々に意味はわかったものの、「恥ずかしいのを忘れるために酒を飲む、というのも、酒を飲んでることが恥ずかしいから」みたいな話は「ふざけとるんか!」とつっこみたくなりましたし、最後のページの「この世でもっとも美しい風景」は、ただ二本の線と、星のへたくそな(!)絵にしか見えませんでした。黙って頷けるようになったのは、もっともっと大人になってからでした。

恋をしている時は、王子様と会えると思うと嬉しくなるきつねの気持ちを思い出しましたし、淋しくて泣きたい時に、砂漠の中の美しい井戸を思い浮かべたりもしました。薔薇の花のように、すねるふりをしたことさえ、あります!若かったのね。

読み返すごとに、年を経るごとに、この本は、いろいろな表情を見せてくれます。今回読み返した時は、あらら、いい年した親父が若い薔薇に翻弄されて・・みたいな感慨すら抱いているおばさんと化したわたくしに出会ってしまいました。そうです、この本は、子供向けではない。オトナが何度も何度も読み返しながら、何かを見つけていくような本なのです。

それでも、子供時代にこの本に出会って「ナンじゃこりゃ」と思うのも、決して悪いことではありません。そういう経験を経て、今こんな風に私は読んでいる、と思えることが、何がしかの人生の喜びにはなるのかもしれません。ですから、子どもに読み聞かせるのも、悪い事じゃないでしょう。興味を持って、続きを読んで、「変なの」から始まっても、全然構わないのですから。
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G FILE 長嶋茂雄と黒衣の参謀  [2007年04月16日(月) ]
「G FILE 長嶋茂雄と黒衣の参謀」 武田頼政

私が野球を好きだったのは、中畑やクロマティが現役だったころから、せいぜいイチローがオリックスでばんばん打っていた時代だ。それ以降、ぷっつりと野球への興味はなくなってしまった。長嶋の現役も、監督時代も、興味がほとんどぶつかることはなかった。だから、長嶋茂雄という人は、ほとんど神の様に崇め奉られているけれど、私にはそういう感覚はない。

この本を読むと、野球ってなんてドロドロしたものなんだろう、とあっけに取られる。興味を失った後も、それなりに選手の動向などは、ニュースや新聞を通じて耳に入ってきていたから、ここに書かれている事は、私がオンタイムで知っていたことでもあるはずだ。にも、関わらず。裏側に、恐ろしいほどの陰謀が渦巻いていたとは。

長嶋茂雄より、私はむしろ一茂の方が気になった。あまり頻繁には登場しないけれどね。長嶋と言う人に、父性はない。全てを犠牲にしてでも、ジャイアンツの栄光をまっとうすることが彼の生きがいであり、家族はそれに踏みにじられてきた。あれほど偉大な人の家族なのだから、仕方ない、という人間がこの日本には大勢いるだろうけれど。

桑田もまた、父性の欠如に苦しめられた選手だったことがわかる。あの、何を考えているか良く分からない爬虫類のような表情の理由が、なんとなくつかめてくる。

歴史に、驚くべき裏側があるように、野球にも、こんなどろどろの人間関係があり、陰謀があり、名選手や企業人や政治までもが巻き込まれている。そして、それに翻弄される人々がいる。

その中で、しっかりそれを見据える人が、家庭人であったりもすることに、はっとする。選手の存在が、そのあり方が、育った環境に既定される事実にも。歴史書も、お気楽読書も、子育てに関わる重い本も。読んで来た全ての本が、どこかで繋がりあって、私に向かってくる。そんなことにまたも気がつくこの一冊だった。
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プロペラを止めた、僕の声を聞くために。  [2007年04月06日(金) ]
DVD「プロペラを止めた、僕の声を聞くために。」 千原浩史 千原靖史 渡辺鐘

2003年10月収録のコントライブです。「1人の千原ジュニアと6人の放送作家」「15弱」より三年前。この二つのDVDで「参った」と思っていましたが、それは甘かった。これは、さらに、すさまじくもすばらしいできです。

千原兄弟に、ジャリズムというコンビのひとり渡辺鐘が加わった舞台です。脚本、演出は千原ジュニア(浩史)。天才です。こんなすごい存在がいる事に気づかなかった日々が悔やまれる。気づいていよかった。改めて、思いました。

「15弱」は、多少深いところはあるにしても、実に楽しめるコントでした。ですが、この「プロペラ」は、深い。深すぎる。これを見てあんまり笑えない人もかなりいるでしょう。それから、大笑いする人がいて、そして、笑いながら、最期に泣いてしまう人がいます。私のように。

9作、コントが入っています。誰でも笑えるようなものも、あります。「ハンニバル」ばりの、かなり怖いモノも、あります。「ダンボ君」というコントは、ぞくぞくっとします。容赦が無いです。ですが、最期の「お母さん」というコントは・・泣きます。本当におかしい設定で、笑うしかないはずなのに、終わってから、泣いている自分に気づきます。

8歳までヘリコプターに育てられた少年、こぷた。設定だけで、支離滅裂でしょう?でも、この愛は、一体、何なんでしょう。こんなに繊細な、身にしみる愛情って。
これは、文学です。いつまでも余韻が残って、心が痛いです。

特典映像も、楽しめました。最期の打ち上げで、「お疲れ様でした」と乾杯の音頭を取るジュニア。そして、おにいちゃんの靖史が楽しそうに、誇らしそうに「オレの弟、おもろいもん、作るやろ?」と声をあげます。そこで、おしまい。靖史の存在の大きさも、一緒にわかります。

文学が、お笑いよりも優れた芸術だとは、思わない。人間の真実を鋭く見つめて、それを深く表現するのが文学なら、お笑いも同じです。だから、私は「プロペラ」をまるでひとつの詩の様に深く味わい、感動したけれど、それは、やっぱりお笑いとしてすばらしいことなのだと思います。

だけど。これが、たとえば演劇と言うジャンルであるなら、何らかの賞の対象にもなったでしょう、戯曲賞も取ったかもしれません。文学なら、名のある賞を受けて、絶賛されたかもしれません。でも、お笑いライブだから、ごく一部の人にしか、知られていない。その一部からは、カリスマ、天才と絶賛され、あっという間にチケットは売れ、全国からライブを見るために集まってくるというのに。

お笑いなんて、そんなものかもしれません。ですが。私は、この才能と出会えたことに震撼していますし、もっと多くの人に知ってほしいと思います。もったいない。この才能を、埋もれさせたままでいるのは、本当に、もったいなく、残念なことです。



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15弱  [2007年04月05日(木) ]
DVD「15弱」 千原兄弟

コントライブです。コントが14個入っているのと、こういう明るい14歳を過ごしたかったなあ、という思いをこめた題名らしい。先般、私の絶賛した「1人の千原ジュニアと6人の放送作家」と違って、全編、ジュニアの台本と演出です。

コンビでやると、コンビのよさがでますね。お兄ちゃんの靖史さんがとてもいい。コントは、見て、すぐにも笑えるけれど、思い返すとじわじわ効いてくる。深いです。ブラックも、エロもあるけれど、下品ではないし、ぞっともしない。愛情を、感じます。

「矢ザラリーマン」と言うネタを見て、先日、「ルミネtheよしもと」のお土産やさんで見かけたストラップの意味がわかりました。矢ガモとか矢バトっていたでしょう?ボウガンで矢が刺さったままの。公園で、昼寝していてボウガンに打たれてしまって、神経の微妙なところを貫通しているので、抜くに抜けなくなったサラリーマンが、みんなに応援される状況になっている・・と言うコントです。人気者になって、ゲーセンのキャッチャーゲームのぬいぐるみになったり、ストラップになったりしている、という設定で、製品が作られたんですね。思わず、新宿まで出て行って、買ってきました。今、私の携帯に矢ザラリーマンがぶら下がっております。いとしいです。

スピーディな展開で、とんとんとコントが一気に続きますが、これは、セット入れ替えや着替えがものすごくたいへんだっただろうな、と思います。お金もかかってる。贅沢なライブです。おにいちゃんの「お蟹様サポートセンター」、面白かったです。蟹の巨大な被り物は重かっただろうな・・。

「1人の千原ジュニアと6人の放送作家」は、ジュニアの才能にぞくぞくっとするものがありましたが、このDVDはとにかく、楽しめました。クオリティの高さはただ事ではないね。


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6人の放送作家と1人の千原ジュニア  [2007年04月04日(水) ]
DVD「6人の放送作家と1人の千原ジュニア」

今をときめく6人の放送作家が構成演出をする。普段、コントも漫才も、全部自分で台本を描くジュニアが、自分をまな板に乗せて、6人の作家に料理される。ほとんどが、初めて仕事をする相手だったというのだけれど、絶対、みんな、ものすごく緊張して、苦しんで、そして、すごーく楽しんだろうな、と思う。良い舞台を見た後は、その舞台を作ったすべての人たちに嫉妬を感じてしまうのだけれど、私はこのDVDで嫉妬の嵐になった。

1.話のモルモット

15秒でお兄さんにまつわる面白い話をして、と要求される。カウントが出るので、ぴったり15秒で、笑える話をひとつ。次に、その話を、今日は2月26日だから2分26秒かけて話してみて。次に、お兄さんの年齢36歳にちなんで、36秒で、お兄さん目線で同じ話を。次は、生年月日にちなんで、45秒で、駅員目線で。では桂三枝が、楽屋で弟子にその話を聞かせるコンセプトで、34秒で・・・高倉健さんに初めて会って、緊張しつつ、75秒でその話を・・。など、次々と時間を角度を変えて、同じ話をさせる。これが、見事に決まるのだ。

(この企画はよほど面白かったらしく、のちに某深夜番組で、この作家が「話術王選手権」として企画、いまだに続いている)

2.落語

古典落語「子別れ」をジュニアバージョンで。これはかなり緊張していた。落語は奥が深いね、でも、ここまでやりこなしているのはすごい。感嘆した。ジュニア自身も「スイッチが入った。またやりたい」といっている。緊張しすぎて、翌日、原因不明の高熱が出たそうだが、「急性落語膜炎」といっていた。

3.「24」

24枚のパネルでできた小さな箱に閉じ込められたジュニア。様々な課題をクリアするごとに、パネルが一枚、外される。さて、脱出できるのか・・。
本当にごくちっちゃな箱で、たぶん、入るのはとてもたいへんだったと思う。むちゃくちゃな課題ばかり出されるのに、果敢にチャレンジしていて、その表情があまりに豊かなので驚いた。作家も、「顔芸やなあ・・」と副音声で。これは、視覚的にきれいな場面があるのと、構成自体は単純に楽しめるので、おちびも気に入って、二度も見て、大笑いしていた。

4.「愛の確認」

ジュニアにまつわるある偽の事件を周囲の芸人に流して、その反応を見る。最後に、ジュニアの「大喜利葬」(花束の代わりに大喜利のお題をたくさん棺おけに入れる)になり、あるお題に対してジュニアがぴたりと答えて、終わる。
これは、ラストがあまりに決まりすぎていたので、最初から決まっていたのかと思ったら、その場でいきなり答えたのだそうだ。あまりに見事だったので、その続きがあるにもかかわらず、作家が「ここで暗転」と指示して終わらせた、と副音声で言っていた。ちょっとすごすぎる決まり方。でも、ジュニアにはいつも、死や葬式の話がついて回る。どうしてもそうなってしまう。みんな、同じ事を感じているのだな・・。

5.「終わりからはじめよう」

ジュニアが人生で一番の大怪我をしたときの話を、逆回しに展開する。これは難しいと思うよ。話が逆に進むので、前の話を踏まえて、今話している、状態を逆進するのだから。最初は、何がなんだかわからなくて、だんだん理解し始めて、そして、ああ、とわかって、この緊張と緩和の感覚は見事だと思う。それにしても、そんなひどい事故を笑いに昇華してして、これっぽっちも悲惨感を与えないのは、何なんだろう。絶対にじめつかない。これが、ジュニアの凄みだ。

6.「福本和枝」

私はこれが一番好きかも。「タイガー&ドラゴン」の宮藤官九郎が作家。ベテランシャンソン歌手が31周年リサイタルを開くという設定。人生を振り返った歌と語りなんだけど、まあ、女装したジュニアの気持ちよさそうな事と言ったら!ひどく下手な歌を、見事に熱唱して、それが決まってしまう。一番伸び伸びしていたと思う。本人も、一番楽だったと言っていた。

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伊藤ふきげん製作所  [2007年04月01日(日) ]
「伊藤ふきげん製作所」 伊藤比呂美

「良いおっぱい悪いおっぱい」「おなかほっぺおしりそしてふともも」など、彼女の育児書には助けられました。というか、いい加減でいいんだ、という言葉に勇気付けられ続けてきたと思います。

小さかったカノコちゃんもサラコちゃんも、思春期です。サラちゃんから八年も離れて、トメちゃんまでいます。八歳違いの兄弟って、たいへんです。うちにもいますから、よくわかります。

思春期はふきげんに満ち溢れている。しかも、この家庭は、離婚し、離婚後も同居し、不安定な状態から家庭崩壊をし、かなり年の行った、しかも言葉も生まれ育った環境も違うステップダッドがいて、最期にはアメリカ移民までしてしまう。ストレスに満ちています。不機嫌にならないわけが無い。

作者は、カノコちゃんの摂食障害に立ち向かい、サラコのいらいらを受け止め、ステップダッドの矛盾を見つめます。そりゃたいへんだわ。でも、ぜーんぶ、自分でまいたタネでもありますよね。もう少し考えろよ、とも思ったりしますが。それでも、この人は、邁進する。その時々を傷つき、苦しみながらも、楽しんでしまう。好奇心と、探究心で、突き進みます。こういうサガなんでしょうか。

思春期の子ども自身が読んだ方が、面白いのかもしれない、とさえ思います。いえ、親が読んでも面白いですが。

しょっぱなから、私をぎゅっと掴んでしまった文章を、少し、引用します。

ふつうのオトナが人前でふつう持ってるルールは、「ふきげんな顔は見せない。感情はおさえる。波風をたてない」
ところが家庭の中では、そのルールが、、「ふきげんな顔は(そこまで)見せない(ようにする)。感情は(てきとうに)おさえる(ようにこころがける)。波風を(あまり)たてない(つもりでいたほうがいいのはわかっているが、そうも言っていられない)」
・・・だいぶ甘い。それで、気がつきました。家庭というところは、ふきげんさをぽんぽん顔に出せるところなんですね。(中略)
「ああ生きるって」と子どもがわかるわけです。
「こんなにいい加減でいいんだ」

(「伊藤ふきげん製作所」より)

結婚して数ヶ月たったころ、夫が会社でよほど嫌なことがあったのか、帰宅後、TVゲームでドライビングをはじめまして。必要もないのに、バンバン、ぶつけるんですよ。他の車に、ガードレールに、電柱に。明らかに、破壊行動に走っている。まだ若くてかわいい妻だった私(!!)はショックだったんですよ。せっかく帰って来て楽しく話のひとつもしようというのに、飯もそこそこに、ものもいわずにクラッシュしまくりやがって。

で、抗議したわけです。もっと機嫌よく楽しくやれないのか、と。すると、彼は言った。自分はとてもいらいらむしゃくしゃしているが、それを君にぶつけるわけには行かない。だから、ゲームにあたっている。それは自分の努力の結果である。ふきげんを、家にも持ち帰れないのなら、自分はどこに行けばいいのか。家でふきげんでいる自由をくれ、と。

なぜかその事は鮮明に覚えています。いつも明るくニコニコしている家庭なんて無理だ。でも、不機嫌な時にそれを隠さずにいられる、だからと言って、相手に当り散らさずに済む、その程度のいい加減な家庭でいいんだな、と気がついたんですね。私も、それからは、遠慮なくふきげんを家に持ち帰りましたし、ま、そこそこ、相手にぶつけない努力はしようか、と思いました。

話が逸れましたね。そんなことを、つい思い出すような本だった、と、そういうことです。古本屋で220円。悪くは無いですね。
Posted at 22:44 | 育児 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)