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2018.07.18 09:01

43沢村さん家はもう犬を飼わない

「沢村さん家はもう犬を飼わない」益田ミリ 文藝春秋

 

犬の話かと思ったら全然そんなことはなくて、60代の両親とアラフォーの独身娘の日常の漫画だった。十五年も昔に亡くなった犬のエピソードが出てきて、そこから題名が付けられたらしい。
 
60代の両親はそれなりに日々を楽しんでいて、ただ、アラフォーの娘がこれからも一人で生きていくのだと、それが少しだけ気がかりでいるみたいだ。娘の方は、淡々と生活しているように見えても、やっぱり独身であることにたまに負い目を感じている。かといって結婚したいと思っているわけでもない。そのあたりはとてもナチュラルだ。
 
年配の人がメインに据えられた漫画が増えてきたなあ、と改めて思う。昔は漫画なんて子どもの読むものだったから、登場人物も読者層に合わせて若かった。最近は漫画読みがどんどん高齢化しているから、登場人物だって高齢化するというものだ。どんな年齢の人間にだって漫画はマッチする文化である。
 
母と昔語りをする機会が増えた。子ども時代に漫画を禁止されたことに対する恨み言を言ったら、昔は漫画なんてくだらないものとされていたし、漫画なんてものを全く読んだこともなかったから、禁止しても何の問題もないと思っていた、と言われた。まあ、そうなんだろうなあ。「そういうものである」だけで子どもを規定するとそうなるんだろうなあ。もう、そのことで争っても得るところはないので、それ以上の追及は、しないけどさ。
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2018.07.17 08:20

42テキトーだって旅に出られる

「テキトーだって旅に出られる」蔵前仁一 産業編集センター

 

たぶん著作は全作読んでいる蔵前仁一の本。蔵前さんは以前、このブログにコメントを寄せてくださった。そればかりか、講演か何かで私のブログを紹介してくださったらしい。いろいろありがとうございます。
 
「旅行人」というバックパッカー向けの雑誌を編集し、自らも世界中を旅して歩いてきた著者が、そんなに綿密に準備なんてしなくても、旅ってテキトーでもちゃんと楽しめるんだよ、ということをわかりやすく書いた本。
 
いかに安く費用を抑えるか、に夢中になって旅の目的が変節してしまうくらいなら、テキトーなところで手を打ったほうがいいし、目的地にうまく着けなくてもそれこそが良い思い出になることもある。トラブルが功を奏することだってある。
 
興味深いエピソードが載っている。はじめてのインド旅行で大きなバッグをロストバゲージされてしまった男。もう旅は無理だから日本に帰ろうと考えている時に宿で蔵前に会う。
 
「着替えも、ガイドブックも、カメラもなにもかもバッグに入れてあったので何もないんですよ。失敗でした。もう日本に帰ろうかと思ってるんです」
彼は憔悴した面持ちでそういった。
それを聞いた他の旅行者は笑いながらいう。
「だけどパスポートと現金があるんでしょ。それならいいじゃないですか。それで旅行できますよ。せっかくインドに来たのに、なんですぐに日本に帰るんですか」
「着替えもないんです」
「そんなもの、インドで買えますよ。ここにいる連中が着ている服はみんなインド製ですよ。日本製の服なんかとっくになっくなっちゃってる」
そういってどっと笑った。
「大丈夫ですよ。パスポートと金さえあればなんとかなりますから。それじゃ歯ブラシでも買いにいきますか」
一人の旅行者に誘われて買い物に出かけた彼は、数日後、インドの服を着て楽しそうに街を歩いていた。
「どうですか、もう買い物は終わりました?なにか足りないものはありませんか?」
ボクがそう声をかけると、彼は顔をほころばせていった。
「ありがとうございます、ぜんぜん大丈夫です」
「それはよかったですね。旅は続けられそうですか?」
「もちろんです。いや、今思えば、あのバッグをなくしてよかったです」
「え?なんで?」
「実はあのバッグ、インドに行くというんでいろんなものを詰め込んできたんですよ。それが重くて重くて大変だったんです。だけどなくしてもぜんぜん困らないんですよねえ。バッグがなくならなかったら、あの重いのをずっと抱えていなくちゃならなかったかと思うと、なくして正解ですよ」
彼は笑いながらそういった。
           (引用は「テキトーだって旅に出られる」蔵前仁一 より)
 
 
そう、旅は日常の延長にある。あれもこれもと欲張らずに、その場所で生活している人もいるのだから、足りないものはそこでも手に入ると考えて、あまり構えずにのんきに行ってしまうに限る。何か不足しているからこそ、手に入るものだってあるのだから。
 
がむしゃらな若さなど、もう持っていない年齢の私ではあるが、子どもも手が離れ、これからこそが旅の適齢期であると思っている。のんびりと、好きな場所、行ってみたかった場所を、これから訪ねて回りたい。蔵前さん、良い旅をお互いに楽しみましょう。
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2018.07.16 08:11

41天才になりたい

「天才になりたい」山里亮太 朝日新書

 

ずいぶん昔、南海キャンディーズをM-1の決勝で初めてでみた時はびっくりした。それまで見たことがない異様なコンビだった。審査員の西川きよし師匠が目玉をさらに大きく見開いて「しずちゃん、ボクとコンビを組んでください」と言ったような記憶がある。
 
その頃は、しずちゃんの特異性にばかり目が行っていた。猛獣使いの山ちゃんの実力に気づいたのは、ずいぶん後である。しずちゃんが女優デビューしたり、ボクシングでマジになったりしている間、山ちゃんはひたすら一人で仕事をしていた。通行人にいきなりクイズ仕様の帽子をかぶせて「問題!」とクイズを出し、その人の個人的な事情に踏み込んでいく番組で、彼の瞬発力に感心した。深夜ラジオのしゃべりも飽きさせなかった。しずちゃんがあちこちを変遷して、また漫才に戻ってきて、最後のM-1に挑戦したのもかっこよかった。山里、いいぞ、と思った。
 
この本は、そんな南海キャンディーズの山ちゃんの青春記である。高校時代にお笑い芸人になると決めて、お笑いなら大阪だ、と一浪して関西大学に入り、寮で生活しながらNSC(吉本のお笑い養成学校)に通い、芸人となり、M-1に出場し、その後、しばらく停滞し、また復活を目指していった経緯が描かれている。わがままだったり、人の気持ちを踏みにじったりしていた、若さゆえの傲慢な部分もありのままに描かれている。
 
人を笑顔にさせる仕事は素敵だと思う。無駄でなにも生み出さないものではあるけれど、人は、無駄なしには生きられない。笑っていろんな嫌なことを吹っ切って、また明日に進める。
 
山ちゃんもしずちゃんもがんばれ、と思った。私はいつも笑っていたい。
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2018.07.11 16:07

39舞姫テレプシコーラ

「舞姫 テレプシコーラ」一巻~十巻 山岸凉子 メディアファクトリー

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舞姫テレプシコーラ第二部「舞姫テレプシコーラ 第二部」一巻~五巻 山岸凉子 メディアファクトリー

 

十年ほど前、図書館に行くたびに、「ダ・ヴィンチ」を雑誌コーナーで読んでいた。ちょうど「テレプシコーラ」が連載中で、読むのを楽しみにしていた。が、常に書棚に「ダ・ヴィンチ」があるとは限らず、飛び飛びにしか読めなかったし、そうこうする内に、例によって引っ越したりなんだりで中途半端なまま続きを読めずにいた。
 
この春の転居で、かなり遠いところまで自転車を頑張って走らせないと図書館には行けなくなった。けっこうたいへん。でも、見つけたのだ。座り心地のいい椅子のある雑誌コーナーに、何故か漫画も少々置いてあって、なんと「テレプシコーラ」が並んでいる!そうか、では、図書館に通うたびに一冊ずつ読んでいけばいいではないか。良いモチベーションとなる。と思ったのだが。
 
最初の二巻までは、行くたびに一冊読む、ができたのだが、三回目に行ったときには我慢ならず、五巻まで一気に読んでしまった。いや、本当はもっと読みたかったのだが、六巻が見当たらず、七巻以降しか置いていない。仕方ないので、六巻を予約した。が、この段階で、ちょっと疑問が。というのは、五巻を読み終えた時点で、「完」と書いてあったのだ。が、まだ伏線は全部回収されていない。確かに、ローザンヌは終結を見たのだが、物語としてはわからないことがたくさん残されている・・・・。
 
六巻はすぐに確保された。で、図書館に取りに行って、疑問が氷解した。なんと、私が読んでいたのは、第二部であったのだ。そして、第二部は、五巻で完結。私がわからない伏線だと思っていたのは、第一部でみんな知っていたことだったのね。私が予約した六巻は、第一部の六巻だったのね。そして、私が読んでいた雑誌連載も、第二部だったのね。
 
しょうがないので、第一部をまとめて十冊、借りてきた。図書館に通うごとに一冊読んでいく計画はどうした、と自分にツッコミを入れざるを得ない。かくて、最初から読み出したのだが。(ここから先はネタバレがあるので、これから読む人は、ここでやめてね。)
 
 
 
第二部は、主人公がローザンヌ国際バレエコンクールに挑戦して、数々の苦難を乗り越えつつ、成長を遂げる話なので、非常に明るく前向きに読めたのだが、第一部は、そうではなかった。非常にヘビーなテーマが詰め込まれていた。第二部では遺影になっている主人公の姉の千花ちゃんが、ここではまだ生きていて、才能あふれる素晴らしいダンサーの卵として将来を嘱望されている。主人公の六花ちゃんは、お姉ちゃんの後を必死で追う、少しできの悪い妹なのである。が、その千花を悲劇が襲う。また、六花の同級生の空美は素晴らしいバレエの才能の持ち主なのだが、顔が醜く、かつ児童虐待、児童ポルノの餌食となっていて、胸が傷まずにはいられない展開である。
 
正直言って、全巻借りてきていなければ、途中で読みやめたかもしれない。それくらい、重く辛い展開であった。これは、バレエの漫画でありながら、子どものいじめの問題や、子どもの苦悩に気づいてやれなかったり、子どもを食いものにするような大人の抱える闇がえぐられている作品なのである。
 
千花は、バレエの才能にあふれていたが、膝の故障でバレエを諦めなければならなくなる。それでも、バレエをやめて医者になる、という彼女の希望は否定される。もう一度バレエをやる、と彼女が言ったことが、何よりも嬉しい、と家族に受け止められるのだが、結果、彼女は投身自殺する。この下りは、本当に苦しい。バレエだけが全てである、と価値観が固定された家庭において、違う方向が否定され、かつ、ひとつしか許されない方向に希望が見いだせない状態で、千花は他にどんな選択ができたのか。怒りすら覚えてしまう。漫画なのに。
 
バレリーナの卵を指導する教師たちも色々なタイプが登場する。否定から入るタイプ、意地悪な言葉を投げつけて奮起させるタイプ、良いところだけをすくい上げて励ますタイプ。どれもが、それなりに意味を持ち、それぞれに子供を成長させていくのではあるが、否定から入ったり、意地悪を言ったりするのは、それがどんなに子供を伸ばす結果につながろうと、嫌だなあと思ってしまう。私は甘いのだろうけれど。
 
単行本一冊ごとに、山岸凉子はいろいろな人と対談をしている。魔夜峰央との対談で、魔夜峰央が実際にバレエの舞台に立って踊ったとあって、笑ってしまった。バンコランか。クックロビン音頭か。でも、ふたりともマジだったんだけどなあ。怖いもの見たさで、見てみたい。
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2018.07.10 14:47

38こわいもの知らずの病理学講義

「こわいもの知らずの病理学講義」仲野徹 晶文社

 

若い頃は友達と会うと恋バナというか、誰と誰がくっついただの別れただの、今あんたの彼氏とはどうなってるのだの、文字通り生産的な(?)話題が中心だったというのに、今や話題と言えば、病気である。γGTPがいくつだの、血糖値やコレステロールがどうしただの、やっぱり抗がん剤は怖いらしいよだの、トホホではあるが、歳を重ねるとはそういうことである。病気自慢というか、どこがどれくらい悪くて危ういか、をとりあえず告白し合うところから、会話は始まるのである。
 
そんなお年頃のわたしなので、この本は非常に興味深かった。大阪大学医学部で教えている先生が、街のおばちゃんおっちゃん相手に、病気ってこうやってなるんだよ、こんなふうに治療するんだよ、と病気のなりたちを、できるだけわかりやすくまとめてくれた本である。
 
読み終えて、最初に思ったのは、医者にならなくてよかった!である。書いてあることを、その場その場でなんとなく、おぼろげに理解することはできるが、この一つ一つを微に入り細に入り完全理解し、かつ、覚え、日々進歩する医療の現場にて実践し続けねばならない医者というものは、なんと大変なことか、改めて思い知らされた。無理だ、私。
 
とはいえ、著者も書いている。知らないことを学ぶときには、大きな流れをきちんと捉え、原理的なことをしっかり頭に叩き込んでおくと大きく間違えることはない。細かいことは必要に応じて原理の幹に枝や葉としてくっつけて覚えていけばいい、と。我々素人は、その大きな流れだけでも、ぼんやりとでもいいから理解しておけば、大きな間違いはしないで済むのかもしれない。
 
この本で大いに気に入ったのは、そういうところである。専門用語がたくさん出てくるので難しいように思えるけれど、それは論理的な難しさではないし、小学校高学年の気の利いた子だと理解できる程度のことがほとんどである、とちゃんと書いてある。それから、わからない言葉があったら、専門書を読むのではなく、まず、広辞苑にあたってみなさい、というのも、極めて正当で正しい指導だと思う。
 
これを読んだからと言って医学的に知識が突出するかと言われればそうではないが、少なくとも様々な病気に出会ったときに、いたずらに怖がることなく、ちゃんとドクターの説明を聞いて、必要な情報を得て、これからを考える姿勢をもつ、そのための土台くらいは作れたような気がする。
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2018.07.06 09:00

37今日はヒョウ柄を着る日

「今日はヒョウ柄を着る日」星野博美 岩波書店

 

ヒョウ柄は、主に関西圏に生息する。もちろん関東圏でも時として出会うが、その頻度は関西の比ではない。ちょっと攻めてみた感じで着られるのが関東のヒョウ柄。関西では、ごく当たり前にカジュアルにヒョウ柄がチョイスされている、気がする。
 
星野博美の住む戸越銀座では、このところ年配女性のヒョウ柄の出現率が高まっているという。星野はヒョウ柄を「自らを大きく見せて戦いを有利に運ぼうととする行為、つまり「武装」なのではないか」と見ている。ライオンは、柄がなく、たてがみでしか強さを象徴できないが、ファッションに取り入れにくい。虎柄は、タイガースファンと間違われる危険性があり、そして、タイガースはあんまり強くない。オオカミは柄がないから、やっぱり自らを強く見せるのは、ネコ科のヒョウである、と。社会全体が年寄りを騙そう、むしり取ろうという方向へ動いているからこそ、おばちゃんたちはヒョウ柄を着るのである、と彼女は看破する。
 
このように、星野博美は一つの物事に着目すると、とことん突き詰める人である。無人島へ本を一冊持っていくとしたらどんな本を選ぶか、という雑誌の企画に、彼女は、どういう状況で無人島に行くのか、と尋ねる。飛行機事故?大型客船座礁?じゃあ、客船で、という答えに対して、その状況で本を持っていることはありえない、仮にポケットに入っていたとして、それが百歩譲って読める状態で残されていたとしても、それが無人島で読みたい本であることはありえない。おそらく客船の「安全のしおり」を暗記するまで読むことになるのではないか、と。じゃあ、自分の意志で無人島へ行ったとしたら、と条件が変更される。彼女は、生きて帰るつもりがある旅か否かでちがう、という。生きて帰るつもりなら生存に必死で本は必要ないし、死ぬつもりなら、そのときに読みたい本があったとしても人知れず死ぬのだから永遠の謎となる、と。かくて、電話は切られる。最後の晩餐に関しても、同じような経過で、永遠に答えは出されない。
 
星野博美の本を何冊か読んで、彼女の人となりがどんどんわかってきて、笑ってしまう。面倒な人である。生きにくい人である。大変だろうと思う。そして、たぶん彼女は私が好きにはならないだろうし、私も友達にはなれないと思う。でも、シンパシーは感じる。そして、彼女が物を書くという仕事を得てよかったと思う。私のように彼女にシンパシーを感じる人が、この世には、割にいるだろう。本当に多種多様に様々な人がいて、人生は、だから面白い。
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2018.07.05 10:41

36幻滅と別れ話だけで終わらない

「幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方」

きたやまおさむ よしもとばなな 朝日出版社

 

「帰れないヨッパライたちへ」以来のきたやまおさむである。今回はよしもとばななとの対談。
 
母と子の二重性、ストーリーの裏と面、人生の多面性など、あらゆるものは一括りにはできない、二面性があるということを中心に話が展開している。
 
きたやまおさむは若くして短い期間、シンガーとして売れた後に医師になるが、診察の現場で、芸能人になんかうちの子を診てもらいたくありません!みたいな対応を受けて愕然とする。それで一時期、音楽関係の友人関係をシャットアウトして、イギリスに留学したりもする。けれど、彼にとって音楽という場は必要なものであった。それは、楽屋と表舞台、表と裏、人間としてどちらも必要なものであったのだ。
 
よしもとばななも、若くして小説家として成功してしまったがために、本来の自分とヒット作家としての自分とに引き裂かれるような経験をする。そこを抜け出すためにも、よしもと「ばなな」は自分の本名を明かさない。吉本さんちの次女としての自分と、作家の自分の両面を生きている。
 
と軽く書いているけれど、ふたりともそれは壮絶な経験であったのだ。それを乗り越える過程で、人間の二面性というものに突き当たっている。どちらも必要。なにしろ、北山は、音楽から離れて鬱になったという。
 
私もこうやってブログを書いているときは「サワキ」だけれど、本名は「サワキ」と何の関係もないし、普段は別人間だものなあ、と思う。おちゃらけたおばちゃんだし、口うるさいおかあさんだし、親にとっては面倒な娘でもある。
 
自分の内面を語るということは、その分、自分を客観化して遠くから見るということで、それができただけで、問題は少し前進する。そういう自分を笑える余裕ができるのはとても大切なことだ。自分の二面性を自分で受け入れて、自分にはそういうところがあると思えるのと、世界に振り回されて場当たり的に生きるのとではちがう。自分が分裂していることに対する自覚がないと、病的なところへ行きあたってしまう。
 
こうやって分けのわからんブログを書くことで、きっと私は何らかの自己分析なり整理なりをしているのだと思うし、本を読むということがそれを媒介してくれているのだと思う。人は、それぞれに自分の支え方を持っているということなのだろうな。
 
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2018.07.04 11:16

35学校が教えないほんとうの政治の話

「学校が教えないほんとうの政治の話」斎藤美奈子 ちくまプリマー新書

 

2016年の本。選挙権年齢が18歳に引き下げられたのを受けて、斎藤美奈子、頑張りました、という本である。
 
周囲に「行け行け」とせつかれ、しょうがないので、あなたは投票所に向かいました。投票所の前には候補者の顔写真がついたポスター。並んでいるのは見知らぬオッサン、オバハンばかりです。誰が誰やら分かりません。投票用の個人ブースには「自民党 A山B男」「共産党 C山D子」などと書かれた紙がはってあります。ますますわからなくなります。困ったあなたは考えます。
「自民党?なんか聞いたことあんな。共産党ってのも聞いたことあんなどっちにすっかなあ。まあ良いや。じゃあ自民党ってことで」
 これで選挙のすべてが終わりです。そしてあなたはいうのです。「こないださあ、選挙に行ってみたけど、べつにおもしろくもなかったわ」。そしてついでにもう一言。「政治なんか、誰がやっても変わんないんじゃね?」
 
だよなー。と、つくづく思う。上記描写は非常にリアルである。選挙って、行っても達成感がないし、結果に実感もわかない。私は一度たりとも棄権したことがない真面目な選挙民ではあるが、投票後の無力感は、こんなもんである。あれこれ考えきちんと投票しよう、と思っていてさえ、似たような感想に陥ってしまいがちである。
 
そんな彼らに、斎藤美奈子は、贔屓のチームを作れ、と勧める。AKB総選挙に行くのは贔屓の子がいるからでしょ?と。そして、どうやったら贔屓のチームを作ることができるか、を丁寧に教えてくれるのである。
 
政治に中立はありえない、というところから話は始まる。何故か「中立」という言葉は一番正しそうに見えたり、穏健そうに見えたりしがちであるが、政治は中立なんてものが存在しないのだ、ときっぱり彼女は教える。そして、体制派と反体制派、資本家と労働者、右翼と左翼、国家と個人、保守とリベラルなど、それぞれの対立する概念について、歴史に立ち戻って紐解いていくのである。これらのどちらをあなたは選ぶのか、どちらに親しさを覚えるのか、そこから贔屓チームを選べばよろしい、と。
 
非常にわかりやすい解説である。そして、彼女自身の書く姿勢もまた、中立ではないのではあるが、かと言って、反対する側への理解や解説も丁寧に行われているので、読み通した結果、斎藤美奈子と全く違う立場を選ぶことも十分にできるものとなっている。
 
学校で政治を教えることが非常に難しい昨今、これは個人的な政治の教科書として非常に優れた本である、と思うし、うちの子たちにも読ませたいなー、と思うんだが。だが、これを読み通せるほどの読書力、理解力、忍耐力がある人は、実はすでにここに書かれていることくらい、全部知っているんじゃないか、という疑問もちょっとあるわね。
 
      (引用は「学校が教えないほんとうの政治の話」斎藤美奈子より)
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2018.06.30 10:10

34島へ免許を取りに行く

「島へ免許を取りに行く」星野博美 集英社

 

「みんな彗星を見ていた」で星野博美は、五島列島を含む「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」をユネスコの世界遺産にしようとする動きに対する批判を展開している。この本は、それより前に、彼女が車の免許を五島列島の合宿生自動車学校で取得した時の話である。運転免許取得という目的により、彼女は五島列島と出会っているのだった。
 
以前にも書いたが、私は星野博美という人の書くものを面白いと思う半面、彼女に違和感を抱いている。非常に攻撃的で、彼女の思う正しさから外れる価値観に対してあまりにも許容範囲が狭い。その割に、受け入れられたい、認められたいという思いだけは人一倍強い。生きるのが大変だろうなあ、と思っていたら、案の定そうだった、という人である。
 
車の免許を取るにあたって受けた適性検査の結果は、まさしく私の読み取った彼女そのものであった。気分の浮き沈みが激しく、攻撃性(自己主張の強さ)、協調性の欠如、情緒安定性の危うさ。そして、下手に運動神経だけはいいために、自ら危険に飛び込むようなところがある、という指摘までドンピシャで、笑ってしまった。
 
そんな彼女が、何か達成可能な目的を持ってそれに対して邁進することで救いを求めるという行動に出た。どうせなら、景色のいいところで癒やされたい、という願望も相まって、馬を飼っています、教習の合間には乗馬もできます、という天国みたいな五島列島の自動車学校に合宿生で飛び込んでいったのである。
 
最初は楽しかった。読んでいる方も、である。いいなあ、老後は夫婦で五島列島の自動車学校に一緒に行って、一緒に免許とるのもありかな、なんて妄想すらした。だが、運転って過酷だ。星野博美に違和感が、なんて言っている私だって、かなり難ありな人格の持ち主であり、たぶん運転には非常に向いていない。彼女がいつまでも運転技術を取得しない、その苦悩がまさしく自分の不器用さとシンクロして、読んでいてだんだん苦しくもなっていく。だが、その中で、島に暮らすという現実に出会い、美しい海に癒やされ、変わらぬ人間関係の閉塞感に悩まされ、しかし、新鮮な魚介に感動し、馬と戯れ、いろいろな経験を経る中で、たしかに何らかの救済は行われていくのである。
 
16日で取れるはずの合宿は、さらに伸び、伸びに伸び、彼女は寮長とまで呼ばれるようになる。が、ついに免許取得の日は来る。だがしかし、五島列島の道と、東京の道は、あまりに違うのである。現実って厳しい。五島列島では、海に見とれないように気をつけねばならなかったのに、東京じゃ、溢れる車と人をさばかなくちゃならないのである。車の運転って大変。
 
やっぱり免許を取るのはやめておこう。というのが、最終的な私の読後感想である。星野博美さんは、やっぱり偏屈な人であったけれど、少しは好きになったかも。
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2018.06.29 15:07

33虫捕る子だけが生き残る

『「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか 虫捕る子だけが生き残る』 

養老孟司 池田清彦 奥本大三郎 小学館101新書

 

先日、とある主婦サイトで読んだ。園児である子どもが虫を殺そうとしているのを「かわいそうだから殺しちゃダメでしょ」とたしなめたのに、保育士が教室内の虫をバシッと叩きつぶして「もう殺したから大丈夫よ~」と言った。虫を殺していいのか良くないのか、子どもが混乱するだろうに、どう教えたらいいんだろうという相談である。それに対して、害虫は殺していいと教えろだの、いずれ殺していい虫とそうじゃない虫の区別がつくようになるだの、様々なドバイスがついていたのだけれど。
 
いや、かわいそうだから殺しちゃダメでしょ、って、そうなのか?と私は思うのである。かく言う私は子ども時代にアリを踏み潰したこともあれば、モンシロチョウを捕まえて、ギュッと握ったら潰れたこともある。トンボを追いかけて捕まえて、気がついたら殺してたとか、カマキリを握り込んだら噛まれて叩き落として踏み潰したとか、セミを大量に捕獲して放置して死なせたこともある。今も昔も蚊はバチバチ叩き潰すし、Gが出れば、容赦なく新聞紙丸めてひっぱたく。虫の大量虐殺者、サワキなのである。
 
子どもが小さいときは蝉取りに付き合ったこともあるし、鈴虫を飼ったりもした。虫を捕まえて、手に持たせるとかもよくやった。かわいそうだから殺しちゃダメ、とは一度も言ったことがないなあ。
 
実際に虫を殺したことがある子どもであった私としては、さっきまで元気に生きていたものが、ひくひくして、ぐったりして、動かなくなる一部始終を見ているわけで、しかも手のひらでそれが起きるから、触感としても命が失われる経過がまざまざとわかる。そこから、命ってこうやって簡単に失われるんだ、とか、死ぬって、動かなくなって二度と元に戻らないんだ、とか、しかも死体はどんどん腐って汚くなっていくんだとか、ものすごくいろんなことを学んだのだと思う。ゲームで敵をじゃんじゃん殺して、自分も死んじゃっても、またすぐ復活できるようなバーチャル世界ではなく、実感できる現実としての死を、日々遊びの中で体感していたわけで、それは、決して無駄な体験ではなかったと思っている。
 
なんて考えていて、見つけたのがこの本である。著者の三人はいずれ劣らぬ虫屋で、虫大好きで生きてきた、解剖学者、構造主義生物学者、フランス文学者、各分野の大家揃いである。
 
「好きな虫、嫌いな虫は誰でもあるとしても、保護されるべき虫と、殺してもいい虫といった根拠なき差別がある」と池田氏は、まさしくこの園児母の疑問に対する回答的発言をしている。奥本氏は「それは、アメリカ人や日本人の命は大事だけれど、イラク兵は殺してもいいというのと同じことじゃないの?」という。そして、遠くから赤外線モニターでイラク兵を殺すゲーム感覚の戦争のあり方に言及している。養老氏は「近頃は、虫を殺さないから人間を殺しているんだよ。」という。奥本氏「やっぱり、ピクピクしている虫を持った時の、あの感覚が大事なんだと思う。生き物の感覚。その経験がまったくない人は、加減ができないんじゃないですか。」そして、虫取りは「精神を養う殺生」である、と三人で話すのである。虫を採ったり魚を釣っていると、「どうして人を殺しちゃいけないの?」という質問は出てこないだろう、と。
 
なんだかものすごく納得である。かわいそうだから殺しちゃダメ、なんていうよりも、自分の手で虫を捕まえて、殺しちゃった、という経験のほうが、数倍も様々なことを教えてくれる。
 
更に、池田氏はこんな指摘をする。「大体、平気でゴルフをやっているような人たちが、虫を捕るなって言ったって、まるで説得力がないよ。ゴルフ場を作れば、そりゃもう大殺戮ですよ。山があったところを切り拓いて、草原だったところに芝生を植えてね。たっぷりと除草剤を撒き続けるんですから。まったく、何を考えているのかね。」
 
子どもに虫を殺すのはかわいそうだと教える母親は、自分がゴルフをしても、それは関係がないことだと思うだろう。子供がその場で現実に虫を殺さなければいい。それは、毎日魚や肉を食べていても、教室で飼った豚を食べるのは残酷だということと同じだし、カエルを理科の授業で解剖させるのは残酷だというのと同じだ。そうやって表面上、お優しく穏やかに過ごすことこそが優しさであると思っている限り、物事の本質は見えてこない。
 
それにしても、虫の数は減った。私が子供の頃は、もっと周囲は虫に満ちていた。刺されたり、噛まれたり、痒かったり痛かったりもしたから、今のほうがいい部分もあるのかもしれないけれど、子どもが虫を平気で捕まえて、殺しちゃったりする環境は、あったほうがいいとつくづく思う。かわいそうだから殺すななんて私は孫にも言わないな。まあ、孫ができるかどうかは知らんが。
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プロフィール

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サワキ
転勤族なので、全国を転々として、2018年春からは夫婦二人の北関東ぐらし。息子は東北へ、娘は関西の大学でそれぞれ忙しく暮らしています。読書とお笑いが好き。読んだ本の紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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