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2017.08.20 09:10

87にんじん

「にんじん」ルナール 光文社文庫

 

東京都では、都民半額鑑賞会というありがたい制度があって、抽選ではあるのだが、幾つかの舞台を半額で鑑賞できる。今回は「にんじん」と「Beautiful」のふたつに当選したので見に行った。「にんじん」は大竹しのぶの還暦記念講演である。22歳の時にやった役を60歳で再演しようというのだからあっぱれである。前の方の席だから心配したけれど、ちゃんと少年であった。おお、化け物よのう、と感心した。
 
「にんじん」を見たいと思ったのは、大竹しのぶだったからというだけでもない。子ども時代から「にんじん」は何度も読んだ。何度も読んだのは、わからなかったからだ。おかあさんがひたすら息子をいじめるだけの話が、古典名作として推奨されている。何処かに良さがあるのだろう、どこかに感動ポイントがあるのだろう、でも、それってどこ?と不思議で不思議で、何度も読んだ覚えがある。ちっともわからなかったのだけれど、それでもなんだか引きつける力があった。後にルナールの「へび ながすぎる」などの詩を読んで、これって、あの人?と意外に思ったりもして。
 
あの「にんじん」をどうやって芝居にするんだ?と私は疑問だった。ましてや、それを子どもに見せてどうなるんだ?ひたすら、延々、母親が我が子をいじめる芝居を子どもに見せて、そこから何を学べと?それが知りたくて、舞台が見たいと思ったのだ。
 
芝居は、思ったよりもずっとウエットなものであった。そして、どうにかこうにか、にんじんという少年に心を寄せ、暖かく見つめる大人も(子どもも)登場し、にんじん少年も、最後には自分の道を行くという方向性を示して終わっていた。結局、にんじんが親を捨てる話なんだな、と思った。にんじん、がんばれよ、と観客が応援する気持ちを持てるほどには作られてはいたと思う。にんじんの母親の抱える辛さや父親の葛藤も描かれてはいた。が、やっぱり彼らは自己弁護ばかりの、反省のない、屑な大人であった。ちっとも共感できなかった。大人って嫌な奴らだな、と子どもに思わせる芝居なのかと思えてならなかった。
 
疑問は解消せずに終わってしまったので、帰宅後、書棚のポプラ社文庫「にんじん」を読もうかと思ったのだが、あとがきをみたら、書面の都合で少しエピソードを省いてあるなんて書いてあった。しかも、表紙のにんじん少年があまりに漫画チックで可愛らしくて、なんだこりゃ、であった。なので、図書館で探して借りてきたのが、この本である。
 
久しぶりに読む「にんじん」は思ったよりもずっと乾いた文体であった。もしかしたら翻訳者(中条省平)のテイストのせいかもしれない。そして、乾いているがゆえに、わかる、と思える部分が多かった。結局、これは、にんじんという少年の目を通してみた世界観である。この世は欺瞞や絶望に満ちているけれど、その中で淡々と生きていくしかない。理想や美しさや首尾一貫した論理などはない。だとしても、その中で、ささやかな人間らしい喜びに出会うことも、時としてはある。あらゆる感情を排した、乾ききった観察だけに徹した文体から虚無と希望が同時に伝わってくるような物語だった。
 
これは、本当に古典児童文学なのか?おとなが読むべき本なのではないか?と私は思う。
 
かつてフランスの児童文学は、かわいそうな子どもが主人公になるのが主流だったらしい。家なき子とかね。フランダースの犬とかね。子どもがかわいそうな目に遭う物語を読ませることで、自分はまだましだ、と思わせたかったのか。それとも、辛い思いをしても最後には幸せが待っているよ、と言いたかったのか。辛い思いをしている、ということこそが、特別な存在としての価値であったのか。
 
なんだかよくわからない。と、私はまたしても思ってしまった。「にんじん」はつらい物語である。この辛さを、読み手はどう消化していけば良いのだろう。私は、ルナールの父親が猟銃自殺したことや、母親が井戸で事故死したこと、ルナール自身も四十代で早死したことなどを知って、余計につらくなった。
 
人は、幸せであったほうがいい。あたりまえだけど、大事な真実だ。
 
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2017.08.19 09:50

86医者の稼ぎ方

フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」筒井冨美 光文社新書 

 

筆者は「ドクターX 外科医大門未知子」シリーズの制作協力をした医師だそうだ。このドラマを私は見ていないが、米倉涼子が自信満々の顔で「私、失敗しないので」と言っているのには何度かお目にかかっている。おお、かっこいいわねえ、と思ってはいた。
 
この本は、医者がどうやってどれだけ稼いでいるか、のリアルな話を書いている。研修医制度の実態や、化石と化した爺医の弊害、「世界に冠たる」と誇っている有名私立大医学部のトホホな現実なども明らかにしている。
 
どうやら、時代はフリーランスの麻酔医らしい。勤務医より、博打を打つような開業医より、大学病院の教授より、フリーランスの麻酔医のほうが儲かるようだ。世にはびこる困った医師や、使えない医師の実態、それに研修医の使えなさなんかもバシバシ書かれている。副題に「稼ぎ方」ってあるものね。どうやったらどれくらい儲かるか、という身も蓋もない現実が書かれているけれど、結果として医療体制批判や、現実の他業種の働き方に対する提言にまでつながっているのは、さすがお利口さんが書いただけのことはあるという感じだ。
 
結婚して子どもを産み育てながら仕事をする女医に対する視線が厳しいのは、まあ、現実に役に立つかどうかという視点に立てば仕方ないのかもしれない。でも、もうちょっと長いスパンで物を見てほしいなあ、とは思う。途中でブランクがあっても復帰できて、やりがいがあり、それなりの収入が得られるという点では女医ってありがたい職業ではあるからね。
 
外科医はみんな心のなかに墓場を持っている、なんて「当然でしょ」的に書かれていると、やっぱりぎょっとする、医師あるあるなんだろうけれど、つらい。一人の人間にとって、病気になったときの医師は、それが全てであり、次はないからね。医療職に着くには、まずは人間性、命の大切さをしっかりと身にしみてわかっている人であってほしい、と心から思う。最近、医師との関わりが増しているこの頃だからこそ、そう思う

 

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2017.08.18 08:30

85大人ボン

大人ボン 41歳からの運転免許編」ボンボヤージュ 主婦の友社

 

「旅ボン 大阪編」をやや、けなしてはいたが、図書館で見つければ、やっぱり読んでしまうボンボヤージュである。今回は旅ではない。41歳にして、カッコいい大人になるためにカッコいいクルマを乗りこなすために、まず免許を取る話である。
 
ボンボヤージュは、二十歳の学生時代に一度教習所に通っている。鬼のような教官に恐れをなし、仮免検定に落ちたショックで教習所を逃亡、二十年後には車なんて人間が運転する時代じゃなくなっている、と確信して免許取得を放棄していたのである。が、二十年後、車は多少進化したが、まだ人間が運転している。しょうがないので、教習所に通うことにしたわけだ。
 
ところで我が家は夫婦二人して運転免許を持っていない。車のない夫婦はたまにいるが、免許のない夫婦はかなり珍しいらしい。が、なんとかこの年までやってきちゃったもんね。今までに何度か教習所通いを画策したこともなくはないが、その度に周囲に猛烈に反対された。たしかに私の性格は運転向きではない。社会の平安と幸福のためにも、私は免許を取るべきではないのかも。
 
でも、読んでみると、ボンボヤージュも、ほぼ私と似たようなもんである。緊張するし、すぐ忘れるし、反応が鈍いし、怖がりだし。ただ、彼はひたすら暇なので、がっつり教習のスケジュールを組める。怯えたり嘆いたりしながら、結構すごい勢いで邁進しちゃうのである。無事、免許取得して、最後には日光いろは坂までクリアしちゃう。ただし、初心者減点を受けて、公安委員会の呼び出しのおまけも付くのだが。
 
うーむ。私も免許取ろうかな・・・と例によってまたちょっと考える私である。だが、この年まで曲がりなりにも他害行為を避けて生きてきたのに、ここで人様を怪我させたり殺しちゃったりしたらなあ・・・と思うと踏み切れない。老後の生活に、車ってどう?必要?でも、すぐに認知症になって周囲に迷惑をかけるかもしれないしなあ。
 
などと自分の老後問題に最終的には行き着いてしまう私であった。あ、この本には老後問題はないのよ。誤解しないでね。

 

 
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2017.08.17 08:30

84旅ボン大阪編

「旅ボン 大阪編」ボンボヤージュ 主婦と生活社

 

ボンボヤージュは旅の嫌いな引きこもり体質のくせに、時々旅に出て、頭の大きい猫のかたちで旅漫画を描く。今までにイタリアとか北海道とか沖縄とかの本がある。振り返ってみると、この人の本は、いつも大したことないなあ・・・と思いながら読んじゃっている。今回も、旅先で梅田に向かう阪急電車の中、「おはなしして子ちゃん」も読み切っちゃって、他に読む本がないから新大阪の書店で血迷って買っちゃったのである。たいしてうまくもないのに、つい買っちゃって、咀嚼しちゃって、ほーら、そうでもなかったじゃん、と言いたくなるような駄菓子的な本なのかも。
 
で、今回は大阪なんだが。例によって、特に観光ガイドになるようなことは何一つなく、ただひたすら、たこ焼きを食べ、お好み焼きを食べ、串かつを食べ、うどんをすする。朝ごはんはいわゆる純喫茶のモーニングを食べ歩く。たしかに大阪って、こういうチープな食べ物が異様に美味かったりする場所だ。
 
高所恐怖症のボンボヤージュが空中庭園のエグいエスカレーターに乗って、とんでもない高い場所へ行く勇気はたたえたい。私は無理だもの。
 
文字が基本、書き文字で、細かくて、雑で、読みにくいことこの上ないのだが、それがこの作者の味でもあるので、そこは文句を言わずに読むしかない、という暗黙の了解が成り立っている・・・と思ったら、結構、ネットで批判されている。芸風だから仕方ないっちゃ仕方ないんだよね。
 
文句言いながら、読んでしまう。そういう本である。
 
 
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2017.08.16 08:53

83グレさんぽ

グレさんぽ 琵琶湖とかインドとか」グレゴリ青山 小学館

 

「深掘り京都さんぽ」とほぼ同時期に出されたこの本。あっちは正直いってそれほど楽しめなかったけれど、この本は出来が良い。なぜなんだろう。
 
ワンデイパスを買って琵琶湖を一日で一周してみたり、名古屋や犬山や伊豆、川越、鎌倉、別府などをぶらついてみたり。グレちゃんのさんぽは、京都だと下手に慣れすぎていてついていけないのかも。この本で歩いた場所とは、どこも程よい距離感があって、いい。後半のアジアめぐりの話は中国やインドだったりするのだが、生活感と臨場感がいい感じである。
 
全体に、グレゴリ青山らしさに溢れた旅情があって、こういう本をまた描いてほしいなあ、と思った。琵琶湖にまた行きたくなったわ。
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2017.08.15 09:40

82嫌われる勇気

「嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え」

岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社

 

そもそもは、NHK「100分で名著」でこの本を取り上げていたのを見たのが始まりである。15分×4回で一冊の本を解説してどれだけのことがわかるのか、とも思うが、この会は非常に興味深く面白いものだった。講師は作者、岸見一郎であった。どうやらこの本はベストセラーになったらしく、図書館に予約しても延々と順番は回ってこなかった。やっと回ってきたと思ったら、後ろに600人以上控えているという。なら買えよ、というツッコミはこの際お許し頂きたい。
 
アドラーはフロイトやユングと並ぶ高名な心理学者である。「人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる」というのがアドラー心理学の基本である。これを読んだだけだと危ない新興宗教や自己啓発セミナーの臭いがプンプンする。内容も、気をつけないと、そっち方面になだれ込みそうな危うさがある。その危うさをいかにバランスよく乗り切って、真髄を受け止めるか、が重要なポイントとなると感じる。
 
読んでみると、書かれていることの大半は「そうだよな」で構成されている。私は結構な歳になってしまったおばちゃんであるが、この歳になるまでに様々な経験を経る中で「なーんだ、結局そういうことじゃん」と気がつくことがたくさんあった。そして、気がつくたびに、生きるのが前より楽になった、という実感があった。そういった「気づき」がこの本には整理され、説明されている。いわば、「おばちゃんの開き直り本」じゃん、と言ってしまったら、岸見先生に怒られるだろうか。
 
自分に自信が持てず、出自や学歴、さらには容姿についても劣等感を持ち、過剰なほど他者の視線を気にし、他者の幸福を心から祝福できず、いつも自己嫌悪に陥り、様々な教えは単なる理想論の絵空事としか思えない。そんな青年とアドラー心理学者の対話が、この本である。と書いていて思うんだが、上記のような青年って、ほぼ全員じゃないの?少なくとも、私自身も覚えがあるし、周囲を見渡しても、若者なんてみんな多かれ少なかれ、そんなもんである。・・・と思えるようになったら、それだけで、もう、ずいぶん楽なんだけどねえ。
 
キーワードはいくつもある。心に引っかかったものを列記すると
 
あなたの不幸はあなた自身が「選んだ」もの
劣等感は主観的な思い込み
課題を分離せよ(「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない)
ここに存在しているだけで、価値がある
自己肯定ではなく、自己受容
普通であることの勇気
 
あたりであろうか。
 
結局、自分の人生は自分のものであり、誰かの評価のために生きるのではなく、自分の存在自体を受容して、当たり前に普通に生きることを受け入れる勇気を持ては幸せになれますよ、ということ。五十年以上生きてきて、割と自然に、そう思えちゃってる部分もあるので、そうだよねえ、おばちゃん、わかるわよ~、みたいなノリで読んでしまった。
 
でも、思い悩んでいる若者が周囲にいるのよね。彼らに私が、それこそ「上から」何かを言ったところで、きっと伝わらない。そういう人たちに、この本をそっと渡したら、それを最後まで読み切る熱意があったら、たぶん、楽になるだろうなあ、と思う。
 
なんだかね。多くの人は、人間関係を縦に捉えがちなのだけれど、本当は、横なのよね。横に、広がる。誰より上だとか下だとか考えたり見積もったりするから、ややこしくなるのであって、横に並んでいたらそれでいいじゃない。と思っていても、「上から」と受け取られることが多いのは、残念だなあ。自分を下に置かれたと思いこむのをやめるだけでも、かなり楽になるだろうに。
 
それにしても、この本がベストセラーになるということは、こうした気づきを欲している人がそれだけいるということなのに、なんで未だにみんな上だ下だと捉えたがるんだろう。まあね、この本を読む人の人数なんて限られているし、読んだからと言って必ずしも考え方が変わるわけじゃないんだけれど。
 
フラットに行こうよ。と、改めて思う私であった。
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2017.08.14 11:35

81日本の覚醒のために

日本の覚醒のために 内田樹講演集」晶文社 内田樹

 

内田樹の講演集である。内田樹の講演は面白い。それは、彼の大学の最終講義で確認済みである。あ、これちょっと自慢ね。うっふっふ。彼の本は何冊も読んでいるが、やっぱり講演は面白い。あんまり準備はしないで喋りだして、どこに行き着くか、自分でもわからないんだそうである。だから面白い、と本人が言っているのには笑うが。
 
講演は6つ、それにおまけがひとつ。題目は以下の通り。
 
資本主義末期の国民国家のかたち
これからの時代に僧侶やお寺が担うべき役割とは
伊丹十三と「戦後精神」
ことばの教育
私が白川静先生から学んだこと
憲法と戦争 ー 日本はどこに向かうのか
(おまけ)SELDs KANSAI京都集会でのスピーチ
 
見てわかるようにテーマは多岐に及んでいる。これだけタイプの違うことを長々喋れるというのはすごいなあとまず単純に感心する。素人だから、間違っても責任が生じないから、などとご本人は言われるが、聴き応えのある話である。
 
面白かったのは伊丹十三論かな。伊丹十三を、人は映画監督として捉えがちだが、彼はどちらかと言うと一人の思想家というか、ものの見方を提示する人であった、と私は思っている。内田氏が言われる通り、私も「ヨーロッパ退屈日記」を振り返し読んだひとりである。英語に堪能な日本人役者としてヨーロッパで映画を撮影した際の体験記と単なるブランド紹介と捉えられる向きもあるこの本が、いかに深く偉大であるかを改めて思う。内田氏は、伊丹十三の評価を、改めて内田流に行う。それがあっているかどうかは問題でない。伊丹十三という人間を、このように捉えることも出来る、という発見が、私には大きく新鮮であった。
 
それから、ことばの教育の件。内田氏の前に文科省のお役人が演壇で話したのだが、それを楽屋で聞いて、俺はこの人とまるで逆のことを話すのだが大丈夫だろうか、とスタッフに聞いたら、「ご自分の話が終わったらすぐにお帰りになるから大丈夫ですよ」と言われたという。で、内田センセイは「聞いてたらごめんなさいね」と言いながら、それはもう、何度も言いながら、文科省を、その役人の話したことを、ばっさばっさと切り捨て、持論を展開するのである。その小気味よさよ、面白さよ。
 
講演が面白いのは、それが聴衆に向かって話されるからである。芝居のテレビ中継が一気に面白くなくなるのと同じように、講演も、演者の発する言葉が、聞く人一人ひとりに向かっているからこそ、生き生きとしたものになる。逆に、相手に届けようという気持ちのない言葉は、聞いていてすぐに分かる。薄っぺらっで、耳に聞こえても、心に届かないからだ。文科省の役人と、内田センセイのことばの違いは歴然であったろうと確信する。耳障りの良い、いかにも何か意義深いことを言っていそうな言葉をどんなに並べ連ねても、心のこもらない言葉は、何の力も持たない。国語教育の基本は、そこから始まる。はずである。
 
それにしても、同じように社会を語っても、どちらもちゃんと心には到達するのだが、森達也の言葉は絶望的でやさぐれているのに、内田センセイの言葉はちょっと元気が出るのはなぜだろうね、と夫に聞いたら、そりゃ内田センセイは、自分を認めてくれて、話を聞きたがる弟子が周囲にいて、武術をやったり、聖地巡礼もしながら楽しく暮らしているからで、森達也はカツカツの中で、あんまり認められもしないで、苦労して生活してるからじゃないの、と言っていた。そうなのか。そうなのかなあ。どちらもいうこともわかるけど、そういうことなのかなあ。私には、まだ、わからん。
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2017.08.11 09:40

80おはなしして子ちゃん

「おはなしして子ちゃん」藤野可織 講談社文庫

 

題名だけでジャケ買いしたのは迂闊であった。可愛らしいお話かと思いきや、全部、ホラーではないか。うーむ。苦手なジャンルなんだよな。
 
最初の「おはなしして子ちゃん」が、もうだめである。ホルマリン漬けの猿。陰湿ないじめ。苦手な分野満載だ。その後も、取った写真が全て心霊写真になっちゃう主婦とか、そばにいるだけでとんでもないことに巻き込まれ続ける少女とか、半分笑いの要素もあるんだが、好きな人は大喜びで読むのもわかるんだが、私は苦手であった。
 
だのに、もう、読み物がこれしか残っていなかったので、阪急電車の中を、これで過ごすしかなかった私である。
 
藤野可織さん、とてもきれいな芥川作家。どうかこんな怖いお話じゃないのを書いていただきたい。はい、私の好みに問題があることは知っていますが。
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2017.08.10 09:30

79彼女のこんだて帖

「彼女のこんだて帖」角田光代 講談社文庫

 

旅のお供の二冊目はこれである。最初に出たのは2006年9月。文庫化される前の、最初の単行本は、ベターホーム出版局から出されている。そう、これは料理本なのである。
 
短編小説がいくつか集められている。前の物語の登場人物の誰かが必ず次の物語に登場する。そして、必ず、誰かが料理をする。本の後半は、物語に登場する料理のレシピと写真である。ベターホーム監修だから、家庭で作れて、しかも美味しそうな料理ばかり。
 
短い中にいろいろな制約があるので、思わず夢中になってしまうような物語はないが、さすが角田さんだけあって、ちゃんと読ませる。いろいろな立場の様々な人物がちゃんとリアリティを持って立っているのは流石である。そして、登場する料理がみんな美味しそうでならない。
 
その中に出てきたミートボールのトマト煮を、娘のところで作ってみたら、好評であった。苦手なはずのセロリもうんと入れてやったが、ぺろりと食べてしまった。レシピがほしいと言うので、そのままこの本を置いてきてしまったら、まだ読んでないのに、と夫が残念そうであった。ごめん、あれは料理本だから。他にも作れそうな料理がいくつもあったので、自炊している娘の役に立ちそうだったから。ベターホームのレシピって、わかりやすくて、おいしくて、いいのよね。
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2017.08.09 09:20

78シュガータイム

「シュガータイム」小川洋子 中公文庫

 

二泊三日の旅に出た。一泊目は飛行機で徳島に飛び、大塚美術館を巡る。翌日、高速バスで三宮に出て娘の住居の視察。翌々日、新幹線にて帰宅。旅のお供の文庫本を三冊買った。その一冊目がこの本だが、出発の羽田に着く前に読み切ってしまった。
 
小川洋子の1994年の作品。23年前なのね。女子学生の失恋の話だ。と書いてしまうとごく普通の小説みたいだが、主人公は突然とんでもない食欲に取り憑かれる。そのきっかけになったのが、彼女がバイトをしているホテルのレストランのウエディング用の巨大アイスクリームで、それを片付けるために従業員が黙々とスプーンを持って口を動かし続けるのだ。彼女の恋人は不能で、近所に下宿してきた弟は小人症。後の小川洋子ワールドは、ここでもう十分に始まっている。
 
林真理子があとがきを書いていて、これが面白い。小川洋子は変だ、と彼女は看破していて、これがピタピタと当たっている。意地悪としか思えない書きっぷりなんだが、本当のことなんだもの、しょうがない、という感じである。そう、小川洋子の奇妙なワールドの原型がここにはちゃんとあるのに、本人は普通の青春小説のつもりで書いているのか!!と林真理子は呆れているのだ。それがツボにはまって、しばらく笑ってしまった。
 
小川洋子の書くものはへんちくりんだが、その変さ加減が実に心地よく、奇妙な質感の空気の中にどっぷりはまり込むと、しばらくそこから脱したくなくなる。それが、23年前にはもう始まっていたのね。と、改めて感心する一冊だった。
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プロフィール

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サワキ
転勤族なので、全国を転々として、今は夫婦二人の東京ぐらし。息子は北海道の大学院へ、娘は関西の大学へ旅立っていきました。読書とお笑いが好き。読んだ本の紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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