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2017.05.24 09:36

32ときどき旅に出るカフェ

「ときどき旅に出るカフェ」近藤史恵 双葉社

 

「キアズマ」以来の近藤史恵さん。いや、「和菓子のアンソロジー」でもちょっと読んだか。この人は自転車レース系も面白いが、お菓子の物語も、すごく美味しそうに描くひとだ。
 
この本は、独身、アラフォー、恋人なし、美人でもなし、趣味もなしのOLが行きつけのカフェを見つけて、そこに通う物語だ。かつての同僚がカフェのオーナーで、月のはじめにあちこち出かけては旅先で見つけた美味しいものをメニューに載せるというコンセプト。そこにいろいろな事件が絡んで、ちょっとしたミステリ仕立てではあるが、人が死んだりはしないので安心して読める。
 
登場するお菓子や料理はどれも美味しそうだ。ただ、ちょっと甘みが強すぎるかな。このオーナーさんは甘みを控えることに対しては懐疑的らしい。血糖値の高い私には厳しいメニューかも。って、実際食べるわけじゃないからいいんだけどさ。
 
終盤に向かって、ややシビアな問題もだんだんでてきて、この残り少ないページ数でどう解決するんだろう・・・と不安にもなる。そのドキドキも含めて、おすすめかも。
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2017.05.23 10:58

31ざんねんないきもの事典

「おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典

今泉忠明 監修 高橋書店

 

夫から回ってきた本。子ども向けのいきもの事典。ページの箸にはパラパラ漫画がついていたりして、サービス満点だ。
 
第一章で「進化」についてざざっとレクチャーがあって、二章はざんねんな体、三章はざんねんな生き方、三章はざんねんな能力が紹介されている。
 
ウォンバットのうんこが四角いって知ってた?縄張りを示すために丸い糞だと転がってっちゃから四角いんだって。これ、残念というより便利じゃん。
 
17年に一度だけ大発生するジュウシチネンゼミは生まれてくる年を間違えると、誰も仲間に会えなくて寂しく死んじゃうって・・・来世、生まれ変わってもジュウシチネンゼミにはなりたくない。このセミの話は「素数ゼミの謎」(吉村仁 文藝春秋)でもっと詳しく読めます。興味ある人は是非読んで。
 
交尾した後、オスはメスの体にめり込んでイボになっちゃうミツクリエナガチョウチンアンコウ。男の生きる道は険しい。
 
シマリスの尻尾はかんたんに切れるが、再生はしないんだって。ビアトリクス・ポターの「リスのナトキンのおはなし」は子リスのナトキンがふくろうのブラウンじいさんに叱られて尻尾を取られちゃう話だった。「ピーターラビットのてがみの本」でナトキンはブラウンじいさまに尻尾を返してくれとお手紙を書いたけれど、返してもらえなかった。あれは、事実に基づいた物語だったんだ!!
 
知ってることも、知らないことも載っていて、あっという間に読めるけれど、楽しい本だった。小学校高学年くらいの子どもに勧めて、親子で読んだら楽しいかも。
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2017.05.19 09:57

30スイミングスクール

「スイミングスクール」高橋弘希 新潮社

 

表題作と、芥川賞候補となった「短冊流し」の二作が収められている。どちらも子どもと親との関係性が中心となって描かれている。「スイミングスクール」は母親側、「短冊流し」は父親側からの視点である。
 
夫婦が不仲になって離婚する、あるいはした後の子どもの感覚、それとその子が大人になってから我が子を見つめる目が淡々と、でもみずみずしく描かれている。読みながら子どもたちが小さかった頃のことが次々と思い出されてならなかった。
 
子どもと上手く関われない親、どうしたら良いかわからない親。それに支配されながらそれと気づけない子、あとから違和感に気づく子。うまくいかない親子関係をただ淡々と描写して、それでいて一番肝心なところは決して書かない、そんな作品だ。
 
書かないことで、ぽっかりと開いた穴に気づかせる、その存在を浮かび上がらせる。そういうことなのだろうか。不安は不安のまま、疑問は疑問のまま、物語は終わってしまう。
 
親子関係は難しい。良かれと思ったことが支配になり、押し付けになり、願ったこと期待したことが仇となることも多い。愛情が執着になることもあれば、見守ったつもりが突き放したことにもなる。親にできるのは祈ることばかりだ、とこの頃は思う。そして、子はついに親の思いに完全に答えることは出来ない、と年老いた親を見て思う。それでも、血を分け、共に行きてきた者同士の愛着は嘘ではない。互いの幸せを祈る気持ちは間違いではない。
 
そんなことをつらつら考えられる、それだけの力のある物語ではあった。
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2017.05.18 13:20

29ちいさい言語学者の冒険

ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密」広瀬友紀 岩波書店

 

「おんな」と「こころ」をくっつけたら「おんなごころ」。でも、「おんな」と「ことば」をくっつけたら「おんなことば」で、「おんなごとば」みたいに「こ」にテンテンはくっつかない。どういう理屈でそうなっているかなんてわからないけれど、私たちは自然にそういうふうにしゃべっている。
 
まっさらだった赤ん坊の頃から、私たちはいろいろな体験を経て言葉を覚えてきた。でも、どんなふうに覚えていったか、もう私たちは思い出せない。そこで、そうした言葉の知識をまさに試行錯誤しながら積み上げている最中の子ども自身ーちいさい言語学者の冒険にお供しながら実況中継するという試みが、本書である。
 
「これ食べたら死む?」「蚊がに刺された」「とうもころし」。全部、子育ての過程で聞いたことがある。「おにいちゃんきないね」に対して「こないね」と返すと、「こない」が正解だとわかって、「おにいちゃんがこた!」と得意気にいう・・・みたいな誤解も、経験がある。いや、こういったネタを楽しむための本じゃないんだけどね。どうやって、子どもたちが言語を取得していくのか、を実況しながら論理的に考察している本なのだけれど。
 
思いを言語化出来る力というのは、実はとても大切だ。なんだかよくわかんないけどイライラする、というのと、こういう理由でこのように悲しいのと恥ずかしいのがごちゃまぜになっているのだ、と具体的に理解するのとでは、その後の対応や、解決、浮上の方向性が違う。ずっとわけも分からずうずくまっているのと、問題を整理して出来ることから解決していくのとでは、その後の経過はまるで違ってしまう。言葉をより多くより深く知り、活用できることは生きる力につながる。
 
ちいさい言語学者の冒険に付き合いながら、その冒険がより深くより豊かなものであってほしいとつくづく思った。それにね。その冒険は、今も続いているんだよね、みんな。
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2017.05.17 13:30

28みんなの道徳解体新書

「みんなの道徳解体新書」パオロ・マッツァリーノ ちくまプリマー新書

 

「このごろの子どもたちは、自由をはきちがえていて、口先ばかりで実行がともなわない。また自由、自由とばかりいって、責任ということを考えない。これでは、放任の教育だ。」
 
と、まず本書の冒頭に書かれています。ありふれた意見だ、って思うでしょ。これ、実は1957年に出された「新しい道徳教育」からの引用なんだそうです。今から60年位前ですから、この道徳の教科書で勉強した子どもたちは60代から70代になっています。私たちが子どもの頃はもっと日本人はちゃんとしていた、と言いたがる世代ですね。
 
気をつけてほしいのは、この引用文は、道徳の教科書の著者である今井誉次郎さんが、こうしたありきたりな意見を否定するために引用した一文だということです。子どもたちが自由で無責任だという言い方は実際の子どもたちを知らない大人の偏見だと彼はバッサリ切り捨てているそうで。この今井誉次郎さんの書かれた「たぬき学校」を私は子供時代に何度も読んだものです。面白かったなあ・・・。
 
古代遺跡の中に「近頃の若者はなっとらん」と書かれていたというのは有名な話ですが、結局、いつの時代も大人は子どもを躾がなっとらんとか道徳的にけしからんとか言いたがるんですな。
 
日本の社会が悪くなったのは戦後の民主主義的自由教育のせいで、日本人の道徳心が低下劣化したからだ、と言ってる人たちが大勢いて、義務教育の道徳授業が強化される運びとなりましたが、何を言ってんだか・・・・と思います。この本を読むと、そう思うことの正しさと根拠がじつに明らかになります。道徳教育を強化したがる大人ほどいい加減でずるい人たちはいないということが、わかりやすく書かれています。この本、道徳の時間にぜひ読んでほしいなあ。
 
そのとおりだ、と納得する部分の多い本書ですが、そうだよなあ、と最も納得した部分を引用しておきます。
 
 日本の学校は、ともだちは多ければ多いほどすばらしいことだ、と教えたがりますが、ともだちなんて、数人いればじゅうぶんです。ムリをしてまでともだちを作らなくてもいいですよ。
 よのなかでほんとうに必要とされるのは、ともだちを作る能力ではありません。ともだちでない人と話せる能力なんです。
 お店の店員さんは、ともだちでもない大勢のお客さんと話ができなければ仕事になりません。災害が起きたあとには、ともだちでない人同士で助け合うことが大切です。ともだちしか助けない、ともだちでない人は見殺しにする、なんて区別をするようになれば、力づくでの奪い合いになるでしょう。
 ともだちなどという狭い枠に人間を囲い込むのはよくありません。ともだちを百人作れる能力よりも、千人の他人とお話ができる能力のほうが、ずっと価値があるのです。
 
    (引用は「みんなの道徳解体新書」 パオロ・マッツァリーノ より)
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2017.05.16 09:40

27恋と巡礼

海街diary8 恋と巡礼」吉田秋生 小学館

 

「あの日の青空」からどれだけ待ったことか。やっと8巻が出たぞ。みんな、出たんだよ~。
 
心配したチカちゃんの問題も、なんとか展開したよ。鈴ちゃんも新しい生活に希望を持って乗り出そうとしている。お姉ちゃんたちも、それぞれの恋が始まって・・・。鎌倉の家も、だんだん寂しくなっちゃうのね。我が家が上も下も地方に行ってしまったみたいに。二人の生活もさっぱりしていてなかなかいいもんだけどね。
 
時が経てば、家族の形態は変わっていく。だとしても、いつでも帰れる場所があるというのはいいもんだ。チカちゃんたちのお母さんの帰れる場所ってあるんだろうか・・・・。
 
また最初から読み返そうかしら。それにしても、9巻が出るのはいつなんだ。まだ、一年以上待たされるのかなあ。

 

 
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2017.05.15 09:30

26慈雨

「慈雨」柚月裕子 集英社

 

「あしたの君へ」以来の柚月裕子である。この人の誠実な姿勢はいつも変わらない。今回は、交番の駐在さんを経て刑事になった主人公が退職後、夫婦で四国八十八ヶ所のお遍路さんの旅に出る話である。厳しい旅路を歩きながら、様々な過去の出来事、そして今現在起きている事件が錯綜する。その中で、様々な真実が浮かび上がってくる。
 
世の中には、実は冤罪事件って結構あるんだろうな、と思う。組織を守ることと、その組織が本来目指していたであろう理想を守ることが矛盾する時、人はどちらを選ぶのか、という問が提示される。会社の内部告発とか、メーカーの不祥事隠しとか、いろんなことを思い出してしまった。
 
「あしたの君へ」でモラハラの証拠ボイスメモだけで調停員の心証が一気に変わることに疑問を呈したように、この本でも、養子に係る名付けの問題で、不自然だと感じる部分がひとつある。やや詰めが甘いところがあるよなあ、とも思ってしまった。だとしても、この作品への好印象は変わらないのだが。
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2017.05.14 09:20

25おかあさんの扉6

「おかあさんの扉6」伊藤理佐 オレンジページ

 

久しぶりの「おかあさんの扉」である。あーちゃんもついに幼稚園を卒園して小学生になった。なかなか立派に成長している。
 
子どもの成長話は、良いことも悪いことも夫婦の酒の肴になる。このあたりはよく分かるなー。
 
お米は日本酒になる。じゃあ、ワインは何でできているでしょう?
答え 酔っ払うため。
 
それは正解だよなあ。
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2017.05.13 09:50

24だれも知らない小さな国

「だれも知らない小さな国」佐藤暁 コロボックル書房(復刻版)

 

次回の図書館の読書会のテーマは佐藤さとるである。2月にお亡くなりになったのを受けての追悼読書会だ。我が家には2013年刊行の復刻版「だれも知らない小さな国」がある。今回はそれを読んだ。
 
「だれも知らない小さな国」は、子供の頃から数えると相当の回数、読んでいる。が、驚いたことに詳細は殆ど忘れていた。復刻版なので少しかすれた活字体がずらずら並んで挿絵もない。それがかえって新鮮だったのか。それとも単なる物忘れの結果か。
 
細かいことを忘れていたおかげで、こんなに面白いお話だったのか!と改めて感心した。時々目の前をしゅっと横切る小さな黒い影とか、耳元にいる小さな人とか、ちょっとしたイメージは懐かしいものなのだが、小さな山の風景や小川のせせらぎなどが初めて見る景色のように新鮮に浮かび上がってきた。おチビさんの赤いズック靴が色鮮やかに見えた。山を自分のものにするということの意味合いは、大人になったからこそ分かる部分もあった。自分ひとりの秘密の場所を持ち、誰にも教えない。みんなで遊んでいても、その場所のことを思い出すとドキドキする。そんな気持ちを思い出して、まるで子どものようにわくわくしてしまった。
 
夫が趣味の集まりで知り合った人と児童文学作家の岡田淳の話で盛り上がったという。我が家の子供達は岡田淳のファンで、サインをしてもらい、一緒に写真を撮ったこともある。という自慢話をしたら、心底羨ましがってくれたという。そんな大人に会うのは初めてかも。その人は今頃アーサー・ランサムに出会ってわくわくしながら読んでいるという。それなら佐藤さとるの「だれも知らない小さな国」も楽しめるかもよ、と教えてあげたのだそうだ。大人になってからランサムやコロボックルたちに出会えるなんて、これから新たに読める本がそんなにあるなんて、ある意味羨ましい、と私たち夫婦は話し合った。
 
すっかり忘れていたけれど、読み返せばコロボックルたちの国は全然古びていなくて、現在でもいきいきと楽しめる場所だ。今の子どもたちはどれくらいこの本を読んでいるのだろう。自分だけの秘密、自分だけの世界を持つことの豊かさを、この本はいきいきと教えてくれる。転校生だった私は孤独だったけれど、自分ひとりの中にも広くて楽しい豊かな場所があることを知っていた。それがどれだけ私を勇気づけてくれたことだろう。
 
この復刻版にはクヌギノヒコが書いたという「葡萄屋敷文書の謎」という短編が添えられている。ウィリアム・アダムスやスウィフトが登場する歴史的な物語であった。
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2017.05.12 10:53

23親の介護 上親の介護 下

「親の介護、はじまりました 上・下」堀田あきお&かよ ぶんか社

 

堀田あきお&かよは「旅行人」というバックパッカー雑誌に連載を持っていたので知っていた。若い頃は夫婦で世界中を旅して回っていたらしい。「旅行人」も廃刊となり、しばらくお見かけしていなかったと思ったら、こんな本を出していたのか。夫が借りてきて初めて知った。妻であるかよさんのお母さんの介護の漫画である。
 
かよさんの母、トシ子さんが家の中で転んで大腿骨を骨折した。もともと骨の弱いトシ子さんは難しい手術を乗り切ってなんとかちょこちょことは歩けるようになる。が、四年後、また同じ場所を骨折して、今度はほぼ歩行困難となる。
 
問題はかよさんの父、トシ子さんの夫である。自分のことしか考えられない彼は、車椅子で生活するしかないトシ子さんのための家のリフォームを断固として拒否する。介護保険などで補助金も出るから負担はきわめて少なく済むのに、俺が建てた大事な家を触らせない、工事がうるさいのが嫌だなどと言って許さない。多くの人の説得を受けてリフォームを受け入れたかに見せて、なんと自分で壁のあちこちにわけの分からないドアノブや、やかんの取っ手を取り付け、リフォーム完成、といい切る。それらは結局何の役にも立たない。
 
昔から自分勝手ですぐに怒鳴り散らすこの父が嫌いで、かよさんは高校卒業とともに家を出ている。弟も同じである。トシ子さんはそんな夫に耐えて今まで生きてきた。それでも良い子達に恵まれて幸せだと彼女はいい、かよさんはそんな母を大事に介護したい、という。とは言え仕事の場は東京にあり、堀田夫婦はことあるごとに二時間半の距離を車で行き来することになる。
 
トシ子さんの世話を一切しない父親との同居生活は困難を極める。更に、ちょっとしたことに腹を立てた父親はトシ子さんの頼みの綱である杖をへし折ってしまう。トシ子さんはそこで離婚を決意し、かよさんもそれに大賛成する。が、結局は知らない人に囲まれる施設の生活は嫌だとトシ子さんが言い出し、離婚は思いとどまってしまう。ただ、へし折られた杖は夫への怒りを忘れないために捨てずに持っているという。
 
異動がままならず、デイサービスやショートステイ以外ではろくな食生活も送れないトシ子さんは、徐々に認知症の症状も出てくる。が、それはまだらであり、しっかりしているときはしっかりしている。栄養不良で入院もするが、父親は全く反省しないどころかボケやがって、と怒りを見せるばかりである。
 
介護の現実とはこんなものかもしれない、と思う。トシ子さんの場合、配偶者が最も大きな問題になっている。こんな頑固爺を抱えての介護を「みんな同じ」では片付けてほしくない、とかよさんはコラムで語っている。それはたしかにそうだ。介護は、一つ一つ違っている。抱える問題もそれぞれに全く違う。だが、広い目で見ると、それらは結局のところ、いままでなんとかごまかしてきたけれど根本からの解決をはかれなかったこと、直面するのを避けてきたことがすべて表面化し、隠し仰せなくなった問題である、という意味では同じであるように思える。
 
かよさんは自分が父親から逃れ、母を一人で父のもとに残してしまったことに後ろめたさを持っている。かよさんが父に殴られても母は止めなかったことを言い訳にしていたが、それは母も怖かったからだ、と今なら思えると書いている。いま、母を介護することでそのわだかまりを少しずつ片付けている、とも。
 
これはある意味よくある家庭の問題である。父親のドメスティックバイオレンスと、それを止めない母親の典型である。母は夫と決定的に対決することを避け、子どもたちは家を出ることでそこから逃れる。ひどい夫に耐える妻と横暴に振る舞う夫は共依存関係に陥っている。
 
と冷静に分析することはできるが、読んでいて暗澹としてくる。トシ子さんはもっと早くに離婚すればよかった。夫を突き放すことで、トシ子さんは自分自身を取り戻せるし、夫は自分の過ちに気づく機会を得る。そんな過酷な状況に子どもを置いて解決しようとしなかった母親に対してし、かよさんは後ろめたさをもつ必要はない。たぶん、「正解」はそこにある。だが、それができないのが人間でもある。その問題と真正面から対決し、解決に向けて勇気をもてる人だけが生きているわけではないのだ。
 
私の父は要介護3の判定を受けている。要支援2から半年で一気に進んでしまった。認知症が進む中で、彼の中で未解決であった問題、いままで取り繕ってきた問題がむき出しになっていった。心の奥底にあった悲しみや苦しみや不安が表面に噴出し、日々口をついて出てくる。本当はもっと若い内、せめて40歳50歳あたりでその問題と向き合うべきだった。その本質は何なのか、どう捉え、どう消化すればいいのかを深く掘り下げて考え、自分なりの納得を導き出していれば、いまの事態は変わっただろう。だが、もうおそすぎる。たとえその場で心が軽くなるようなことを言って励ましたところで、父はそれを数分後には忘れてしまう。心の底にくっきりとついた傷をいまから治すことはできない。
 
若い頃にごまかして心の奥底にしまいこんだつもりだった人生の問題が、長生きをしたせいで解決不能の形となって噴出する。この本に描かれている現実も、父の姿と同じである。
 
かよさんは、親の介護って自分のためにしているのかもしれない、と最後に書いている。私は、日々わからなくなっていく父を見ながら、いまここにある問題は、いま解決しよう、ごまかすのをよそう、いま対峙し、いま消化していこう、とつくづくと自分に言い聞かせている。父は、身をもって年をとるという現実を見せてくれる。それを受け取り、年をとるということに対する覚悟を決めて準備をする機会を与えられたという意味で、父の介護はまさしく私のためとなっている。
 
それにしても、あきおさんは、じつに誠実に親切に親身になってトシ子さんを心配している。私の夫も私の愚痴を辛抱強く聞いて解決法を考え、助けてくれている。良きパートナーの存在は大きな助けである。かよさんは父親には恵まれなかったが、配偶者には恵まれた。それは本当に良いことだった。
 
これからでもいいから、トシ子さんは法的な保護を受けてきちんと離婚すればいいのではないかと思いもする。私の父よりは、まだ解決可能なこともあるのではないかと。それもまた、他人事だからこそ言えることなのだろうけれども。
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サワキ
転勤族なので、全国を転々として、今は夫婦二人の東京ぐらし。息子は北海道の大学院へ、娘は関西の大学へ旅立っていきました。読書とお笑いが好き。読んだ本の紹介を中心に、日々の出来事なども、時々書いていきます。

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