かつぼんの日記 〜子供の情景〜

     
感謝をこめて最終回
[2008年01月28日(月) ]

「子供の情景」と言うことで1年間、気ままなお喋りをさせて頂きました。

私は小学生の親になる以前から多くの小学生たちと関わってきました。
音大卒業と同時に楽器会社の音楽教室で勤め始めたからです。
生徒の多くが幼稚園児や小学生ですから、まだ自分が「子ども」の立場かもしれない独身の頃から周りは子どもたちでいっぱいでした。
「ピアノ」という範囲を限定された関わりではありますが、仕事の性質上、それぞれの子どもと数年単位での一対一でのお付き合いをしてきました。

「子ども」とは言っても、私には単に後から生まれてきたから自分より年齢が少ない人としか見えません。その「たましい」は自分と同じ大きさ、存在としては対等なものに感じています。
「たましい」といっても最近流行りのスピリチュアル的なものではなく・・・河合隼雄さんのお話に出てくるような感じの「たましい」でしょうか。

自分が「たましい」の姿のまま子どもの前に立つと、子どもも「たましい」の姿のまま(子どもは自然体でいる状態がこれです)応じてくれます
幼い子供同士がアッという間に仲良くなる・・・あんな感じでずっと子どもたちと関わってきました。

そんな関わり方をしていると、生徒の親御さんや我が子のお友達のお母さまに「ウチの子、そんなことを喋ったんですか」と驚かれたりするような話を他所さまのお子さんから聞かされたりもします。
ブログ中の会話等で、時々子どもたちの口から衝撃のセリフが飛び出したりもしていますが・・・実話です
(私はシロウトなので実際にあった話しか書けませんし)

自分の子との間でも似たようなものです。
当然のこととして親と子ですから立場としては決して対等ではないのですが、親も子もそれぞれ自分の友達に接するような感覚があります。
ぶっちゃけ話をしてしまう一方で、たとえ子供同士でも友達にはそうするように遠慮したり気遣ったりもしている、って感じでしょうか。
そういう関係だったことが、例えば反抗期のはずの長男にダンマリを許さなかった等々、我が子を子どもっぽい甘えから早くに卒業させることになったのかも知れないです。

そういう意味で、自分の子もそうでない子も、私の周りの子どもたちは私に対して「ちゃんと一人前」の誠実な態度で関わってくれているんだな、とブログを綴っていて気付きました。
御縁のあった子どもたちみんなに改めて感謝です

そんな風に私はこれからも私の周りの子どもたちと一緒に「子供の情景」の中での日々を送っていくのですが・・・次男の小学校卒業を機に(私も小学生の保護者ではなくなりますし)小学生コースBlog「かつぼんの日記」は今回をもって終了させて頂きます。

拙い文章を読んでくださった皆さま、パルティオで直接・間接にコメントを下さったり励まして下さったZ会保護者仲間の皆さま、禁止ワード(内容もかな?)を不安がって最後までお目通し頂いてからのアップをお願いし続けたのに辛抱強くお付き合い下さったZ会の担当さま、本当にありがとうございました。

感謝をこめて擱筆。  2008年 春待ち遠しい厳冬の晴れた日に
Posted at 00:33 | この記事のURL

落書きセンセイの語る真実
[2008年01月23日(水) ]

同業他社のCMの話で恐縮ですが
「○○○は落書きするヒマを与えません」・・・とかいうキャッチコピーが流れる直前まで、真顔で語るセンセイの顔に落書き三昧というTVのCMをウチの子どもたちも私も大好きで、これが流れると「出たよ!出たよ〜!」と別室にいるのを呼んだりまでして、みんなで見てはゲラゲラ笑っていたのですが。

あまりにも面白おかしい画面の変化を目で追うのに夢中で聞き流してしまっていたセンセイの言葉が、数日前ヒョイと聞こえてきたんです。
「やる前から自信をなくしている子が結構いて・・・」
家庭教師による学習指導をしている会社なので、その問題はマン・ツー・マンでの指導でこそ解決出来るんだ、って主旨の話でしたが。
・・・添削による通信教育もマン・ツー・マンですよね、Z会の小学生コースはアドヴァイス・コール(レター)で、ダイレクトに添削して下さっている先生とふれ合う折もあるし、ってフォローいれとこ〜!

学習内容を理解させるハウツーは分かりませんが、私の仕事もマン・ツー・マンでの指導形態ですから、落書きセンセイのおおよその手の内は分かります
自信って周りから与えてやれるものではないし、褒め言葉も本人が同感できるものでなければ無意味です。結局、当人が自身の経験を通して獲得するしかない。
なので、「とにかくやらせる」ところから始めるわけね!と。
子どもの傍で指導しているので落書きなどさせないのは勿論ですが、時に子どもが避けて通りたい事も無理矢理にでも「やらせる」ことが可能なのです。

実は「やらせる」のは親より他人の先生の方がやりやすいです。
子どもも先生との関わりは「勉強」「ピアノ」などの目的があっての人間関係なのを分かっていますから。
先生の仕事は、避けて通りたい(逃げたい)って気持ちから動き出さずにいた子どものゼンマイを巻いてやることも含んでいます。
落書きセンセイの言葉の中にある「真実」に類似の指導形態で仕事をしている私はうなずいてしまったのでした

じゃ、親は何ができるのか?
具体的なことは、その子の性格や年齢などで何が必要なのかが違いますから、一言では言えないのですが・・・
私のような立場から親御さんにお願いしたいのは、子どもが自分で自分のゼンマイを巻けるように助けてあげて欲しいってことです。
宿題として「やる(ことになっている)」ものを首尾良くやってしまえるように子ども自身に見通しを持たせてあげて欲しい、そして、その順調な実践のための諸条件を整えて欲しい、って感じでしょうか。

そして、ピアノの場合は弾いているのをニコニコして聴いてあげて欲しいです。音楽って奏者だけのものではなくて、聴いてくれる人とシェアするものなんです。
子どもは「親が」聴いてくれる=シェアしてくれたり見守ってくれたり上達を喜んでくれたりが何より嬉しいんですから。
Posted at 00:18 | この記事のURL

間違えない間違い?
[2008年01月18日(金) ]

公立小・中学校では、その学年の教科書がその年度で終わらないことがままあります子供たちがまだ学校で習っていないために(最悪の場合、習わないままになるために)通信教育の添削問題を解けずに頭を抱えることもあります。

我が家の子供たちは、そういう場合は父親に教わりに行くのですが、父親は子どもが教わりに来た部分以外の間違いも指摘して直させたりもします。
添削問題はテストではないのですから、本人が「出来た!」と思っているものは間違わせてやれば良いのに〜、と私は思うのですが、父親にすれば間違いを見つけたら放ってはおけない気持ちになるようです。

学習において絶対に間違えない、失敗しない方法というのがあります。
「自分からアクションを起こさない」というのがその方法です。

生徒の中にこういう体質(?)の子たちがいます。
こういう体質、と言っても、いくつかのタイプがあります。

1.単に汗することが面倒くさいタイプ
お家でもう一度、自力で思考のプロセスをたどってレッスン内容を再現するのも、反復練習をするのも面倒くさい。世の中が便利になり過ぎたんでしょうか?
ラクなことは自分でしますが、ちょっとハードルの高いことは反復練習も含めて私に丸抱えで世話してもらおうという構えでいます。全部を付き添ってもらってやるなら失敗もないという訳です。

2.ひたすら指示を待つタイプ
言われるまで待っていて、言われたことを言われた通りにしかしないので、成果に不足はあっても大間違いは起きません。
素直というか従順なのですが、裏返すと自分に自信がないのかもしれません。
「ここから先は自分で分かるからやってごらん!」とけしかけるのですが、不安なのか「出来ない、分からない」という反応が返ってくることも多いです。

3.アクションの起こしかたを知らない(らしい)タイプ
キットが揃えられた、万事セッティングされた状態の中の活動が体験のほとんどなのかな?と疑ってしまうタイプ。
このタイプは、上記の1.や2.の要素を併せ持っていなければ「失敗した時のフォローは引き受けるから、自分の力をどんどん試してごらん!」とけしかけると生き生きと動き出したりもします。

こういう子たちは能動的に動いた経験が少ないんじゃないかと思います。失敗も少ないけれど、成功した経験、達成感を味わった経験も少ないのでは?と。
3.のようなケースで子どもたちが積極的に動き出すように変わるのを見ていると、習い事というのは箱庭のような世界かもしれませんが、人生における色んな経験のシミュレーションも出来る場かもしれないと思います。
Posted at 23:57 | この記事のURL

親には言えなくて・・・
[2008年01月12日(土) ]

年末年始は趣味仲間との会食の機会も多かったのですが。
一部のメンバー(女性ばかり)で軽いランチをしていた時のこと、自身やお子さんのピアノのお稽古の話になりました。

隣に座っていた仲間が「私は子どもの頃に男の先生に習っていたんだけど、身体をさわられるのが本当に嫌で・・・こんな風に肩に手を回して・・・」と私の首を抱えるように腕を伸ばし・・・「その手がずーっと降りていくの」と私の背中をなでて腰のあたりで止まります。
仲の良い友達ですし私は彼女にそうされても不快には思いません
その『先生』も、このくらいは軽いスキンシップって感覚だったかもしれませんが、十代の女の子にとっては・・・さぞ嫌だったでしょうね。

「でね、弾いている時によくこんな風に太ももに手を乗せてたりして(と、彼女は今度は自分の太ももに手を置きました)、怖いのもあってピアノをやめちゃったのよ。でも、何でやめたいかを親には話せなくてね、簡単にやめるなって親が言うのをどうしても嫌だ!って言ってやめさせてもらったの。で、またすぐにピアノを習いたいって言ったら親にすっごく怒られて(笑)」
どう考えてもピアノを教えるのに太ももを触る必要性などありません

こういう“被害”って、なかなか人に言えないものですよね。
彼女も親には心配を掛けたくないという「子心」から余計に言いにくかったりしたのかもしれません。
多分、真面目な彼女は練習も頑張っていたんだと思いますから、親御さんも(専門に進むとまでは思わなくても)期待していたというか、上達を楽しみにもしておいでだったと思います。そんなことになっているとは想像もなさらなかったでしょうから、簡単にやめるなと仰ったのも分かります。

もちろん、男性の先生がみんなこういうことをなさるわけではありません。
私自身は3歳から22歳までコンスタントにレッスンを受けていて、父が転勤族だったために先生をよく代わりましたが、ほぼ半分の期間(10年)は男性の先生に習っていました。でも、そんな嫌な目にあったことは一度もありません。

子どもが頑張っているはずの習い事を急にやめたいと言った時には、周囲の親子に様子を尋ねるなどの方法で情報収集や調査をしてみる必要があるかもしれません。こういうタイプの被害ではなくても、子どもが言えないでいる理由はあるかもしれません。
Posted at 22:08 | この記事のURL

通じない言葉
[2008年01月08日(火) ]

塾の冬季講習の全日程を終えて帰宅した長男に軽く声をかけました。
(:私)「今日は・・・最終日だからテストの日でしょ。どうだった?」
(:長男)「もぉ〜、ハンパねぇ(半端じゃない、の崩れた言い回しらしい)」
「『ハンパねぇ』・・・って出来たの、出来なかったの?伝わらないよ」

長男は、私は彼の成績が悪くてもウヒャヒャと笑うだけなのも、テストの出来を尋ねているのは「最近、調子どう?」程度の問いかけなのも分かっています。
彼は結果を隠すつもりはないのです。ノリで喋っているだけです。
(なので、このあと「数学はね、まぁ大体出来たと思う。国語がヤバイかな?」と、マトモな返事もしてくれました)

生徒たちにも「通じない」子がいます。
レッスン室に入って来た。そこで「こんにちは」と声をかけても無反応という子がいます。私の声は商店街のBGMか何かのように聞き流されます
・・・再度「こんにちは。」と声をかけると、ようやく「・・・こんにちは」と返ってくる。いえ、再々度目にやっと返ってくる子もいます
簡単な挨拶ですら返さないこの子は、もしかしたら誰かに話しかけても返事もしてもらえない環境で暮らしているのかな?と心配になる一瞬です。

別のタイプの通じない子もいます。
レッスン中に私が何か注意する、それに「って言うか、そっちかぁハイ!ハイ!ハイ!」ってノリで笑顔で大きく頷くのですが・・・これが実は「その場しのぎ」の上っ面の返事なのです。私の話の内容は伝わってはいません
本当に理解しているのかどうかは、やっていることを見れば分かります。
・・・女の子ということもあるのでしょう、周囲に調子を合わせて愛想良くしている方が生き易いというか・・・そういう本人の選択があるのかもしれません。

次男と二人でちょっと遠出をした冬休み最後の日のこと。
午前中の用事を済ませ、昼食にしようとお店を探しました。
お寿司のチェーン店を通りの反対側に見つけた次男が「開店してるかな?(と私には聞こえました)」と言います。
道路を渡ってガラス製の自動ドア越しに店内を覗きながら次男が再度「開店してるかな?」と言うので、「中で食べてるお客さんがいるんだし、開店してるに決まってるじゃん!」と、変なことを言う子だな、と思っていると・・・。
ううん、ベルトコンベアーが見えないって意味だよ。ボク、ここで食べるのやめとく〜
・・・次男は「回転してるかな?」と言っていたのです。
(彼は、お昼をお寿司にするなら回転寿司で食べたかったのです)
落語のネタみたいですが・・・実話です
こういう「通じない」なら、いつでも歓迎なのですけれどね
Posted at 23:34 | この記事のURL

子どもと趣味を語る
[2008年01月04日(金) ]

年末にいくつか長時間の大型歌謡番組がありました。
冬休み中もずっと塾通いで帰宅が遅かった長男がほとんど録画していたので、年末年始の夕食時に長男と一緒に少しずつ「分割視聴(?)」しながら食卓の話題にもして楽しんでいました。

(:長男)「Aqua Timez(アクアタイムズ:バンド名)って、i-Tunesにほとんど曲ないんだよ。デビュー曲かなぁ?初期の曲が一曲出てるだけなんだ」
(:私)「なんでー?結構売れてるんじゃないの?TVで良く見るよ」
「これが、好き嫌いが結構分かれるバンドなんだな」
「ふーん。母さんは曲は好きだよ。歌詞が・・・ちょっと青臭い気がするけどね」
「そう!その青臭さがイイ!って人とヤだ!って人に分かれるんだよ」

私はポップス系の音楽も結構好きなので、こういう話ではi-Pod を片時も手放さない長男と話がはずみます。
…と、共有できる趣味は良いのですが。

大晦日の夕食時のことです。
長男がどうしても総合格闘技の番組を見ると言い張ります。
「殴りあい見ながらゴハン食べたくない!少なくとも食事中は家族全員が楽しめる番組にしてよ。HDDには見てない録画がいっぱい残っているし。」
「オレ、どうしても見たい選手がいるんだよっ!」
「んじゃ、基本的にHDDの番組にしといて、ちょいちょいチャンネル変えて誰が闘っているか見ていいよ。キミの気分でいつでもチャンネル変えていい。録画は見直せるから」

・・・ってことで話に決着がついて、HDDの番組の方は話を突然に話をブチ切られたりしながらも、全員が妥協出来るトコロで一台しかないTVを平和裡にシェアしました。
夕食後、長男が「次の試合は見なくてイイし!」とカラスの行水をしにお風呂にスッ飛んで行ったので、食事の後片付け中のキッチンから次男に言いました。

「チャンネル変えようよキミの好きなので良い。格闘技でなきゃ何でもいいわ」
クラシック好きな次男は「第九」にチャンネルを合わせました。
(:次男)「○○君(長男)の好きな歌手とかの曲ってサ、まぁブラバンの曲決めの時に全然知らないと困るから見ても良いんだけど・・・」
「え?キミはあぁいう番組を見るのはイヤだったの?
「ううん、ブラバンの女子たちも大体があぁいう曲が好きだしサ、だから良いんだけど・・・あんな数年したら廃れるような曲を(とは限らないでしょうが)みんな何であんなに熱心に聴けるんだろ?
「シ、シブい御意見だねぇぇ」

私はもちろんクラシックも好きです。よく聴きますし演奏して楽しむのもほとんどクラシック音楽です。
でも・・・どうしても自分の使う楽器に関係のあるもの、仕事につながるものに偏ります。
パルティオで若い人たちと話していて、その吸収力にはしばしば驚くのですが、私とは違う楽器を好み、違う畑(吹奏楽)に歩みを進めようとしている次男と趣味のお喋りを楽しみ続けるには、私も守備範囲を広げていかなくてはならないのかも・・・と焦りを感じてしまいました。

子どもと趣味を共有するのは無常の喜びでもありますが、時に自分も学び続けなくてはならないというキビシさも伴っているようです。頑張ろっと
・・・と思いがけず年頭の決意をしてしまったのでした。
Posted at 09:08 | この記事のURL

今ドキの年賀状
[2007年12月30日(日) ]

最近は個人情報保護とかで同じクラスの子たちの住所も分からないので、子供たちの出す年賀状は少ないです。
「しまった!○○君の住所を聞いてくるのを忘れた!
などと、終業式の日に帰宅してから嘆いていることもしばしば。
でも、わざわざ電話して住所を聞いてまでして出しはしないのですね。

担任の先生にもお尋ねしなければ住所は分からないので、子供たちが「先生に出したいのに〜!」と言っていた時には学校宛に出させたこともありました。
しかし・・・最近、ビビっちゃうのは先生から先に頂いちゃうことです
昔は、生徒の方から年頭のご挨拶として出して、先生からお返事を頂戴するのが普通だったように思うのですが。

日本の習慣を教えるという意味では教育の一環なのかもしれませんが・・・きっと郵送料は先生のポケット・マネーですよね。
先生方の間で申し合わせが出来ているのかなぁ・・・などとも思ったり。
子どもが自分の立場というか、上下関係を感じ取れなくなっちゃわないかな?と心配になったり。

子どもが先生に出していないのに、先生から先に頂いてしまった時には正直慌てます
なので、私は自分からピアノの生徒には出しませ〜ん
いつも大体の枚数を予測はするのですが、いつも年頭に年賀状が足りなくなって、元日に慌ててコンビニなどに買いに走ります。
生徒の多くは小さい女の子たちなので、キャラクターものの可愛い年賀状を買い足すことも多いのですが・・・今年はキティーちゃんのはあるのかしら?
干支がネズミなだけにネコはどうだろ・・・
Posted at 23:17 | この記事のURL

サンタさんがいっぱい来る家
[2007年12月26日(水) ]

クリスマス明けの今週は、年少の生徒たちのサンタさんにもらったプレゼントの報告でレッスン中のお喋りも華やぎます

ある小2の女の子。
「パパからクリスマスプレゼントにWii Fit をもらったの!」
「まぁ!イイわね!楽しいよね!家族みんなで楽しめるしね!」
「うん!」

ああ、この子のお家では「サンタクロース」じゃなく、パパからプレゼントをもらうことになっているのね、実際にプレゼントを用意したパパが「ありがとう!」って言ってもらえるし、それも良いわね、と笑顔で話を聞いていました。

と、彼女は唐突に開いてある楽譜の曲を弾きだしました。
・・・子どもなので、嬉しい気持ちを受け止めてもらえば会話は終了。
聞いてもらって満足すれば、自分でレッスンに戻るのです。

と、また唐突に
「サンタさんにCDプレーヤーをもらったの」
「・・・え?プレゼントはパパにもらったんじゃ・・・」
と言いかけて、ハッとして私は口をつぐみました。
・・・そうか、サンタクロースも信じているから、パパのとは別にサンタさんからのプレゼントもあるんだ。
「おばあちゃんにはね、Wii のソフトをもらったの」
「わぁ、いっぱいもらったのね!良かったね!」
「うん

可愛がられているんだな〜とほほえましく思う一方で、サンタクロースの正体はなんだ、と知った時に、サンタさんとパパのプレゼントをどう統合するのかなぁ?と・・・余計なお世話ですが、ちょっと気になったりしました
Posted at 00:13 | この記事のURL

サンタさんがもう来ない家
[2007年12月21日(金) ]

子どもたちが小さい頃は、それなりに『クリスマス』をしていたのです。
頑張ってローストチキンを焼いてみたり、ケーキのデコレーションで子どもたちと大騒ぎをしたり。家の中もそれなりに飾りつけましたし

我が家では、サンタさんのプレゼントは小学校まで、ってことにしています。

(:私)「最後のクリスマスプレゼントは何が良いの?」
(:次男)「んー、ボクの通帳に5千円入れといてもらえる?」
「げ、現ナマですかぁ?」

・・・こんなことを言うようになった子が、ワクワクしながら眠りにつくわけもないですし、もうサンタさんにおいで頂く家でもないかなと。
それに、プレゼントを用意する側だって、目覚めと同時に歓声を上げて喜ぶ子どもの顔を見る楽しみがなくちゃ散財も出来ませんって

(:長男)「オマエ、貯金かよ!夢がないなぁ」
「ボクは中学で自分の楽器を買う夢があって貯金してるんだよっ!」

・・・まぁ、確かにクリスマスプレゼントに20万円もする楽器をねだられても買ってはやれません。使い道がハッキリしているのならクリスマスプレゼントがお金でもいいかぁと親も思ってしまいます。

サンタクロースも、あれだけお世話になったのに(?)今では散々な言われようです。
数日前にサンタクロース講習会の様子が海外の話題としてTVから流れていたのですが、受験のストレスを解消しているのか最近はブラックユーモア満載の発言で毒づいてばかりの長男がツッコミます。

「サンタって体重が120kgだってさ!そんなヤツが乗ってもミシミシいわない頑丈な屋根の家に住んでる金持ちのトコロにしか来ないってことよ!」
「ドラえもんは120kgでもタケコプターで空を飛ぶんだよ。サンタさんは、きっと屋根に乗らずに家に入れるんでしょ」
「分かった!講習会ではピッキングを教えてんだ!
「こらこら!サンタさんを犯人扱いかぁ
・・・夢がないのは誰ですかぁぁぁ

男の子たちだからでしょうか、二人とも最近ではケーキもあまり喜びません。
それでも次男がねだりました。
「一度さ!思いっきりプリンを食べてみたいから、クリスマスケーキの代わりにケーキくらい大きいプリンを作ってよ
「おっ!それイイね
・・・最近流行りの「メガサイズ」のプリンですか。

それでも、数年後にはこの子たちもクリスマスはお友達やカノジョと過ごすようになるのでしょう。
もうサンタさんは来ませんが、夢見るイベントとしてもガタガタになってますが、それでも、まだどうにかクリスマスは家庭の中にあります
Posted at 21:42 | この記事のURL

こんなモンでよかろう、って・・・(よくない!)
[2007年12月16日(日) ]

長男が、塾の彼が敬愛する英語の先生の「本日の余談」を話してくれました。

『某進学校の東大合格率が一時低迷した原因には、新入生が学校生活に慣れるまで、と4,5月は学習面を緩やかにしていたところ、「高校の勉強ってこんなモンでよいのか」と思ってしまう生徒もいて、それが大学受験まで引きずられてしまったこともあった。なので、4,5月も容赦なくその学校本来のペースで授業を進めるようにしたら東大合格率が再度上昇した』という内容でした。
難関校に合格するような実力のある子でも甘い心構えになってしまうとそうなのかぁ・・・いや、待てよ!同じようなニオイを身近に知っているぞ!

最近の十歳くらいまでの小学生たちです。ピアノの生徒たちです。
(高学年になってもピアノをやめずにいる子は、ちゃんと自覚があります)
昔・・・二十年ほど前の小学生は、課題に対して年齢相応にある程度の責任感というものを持って取り組んでいたように思います。子どもですから間違った方角に行ってしまっていることもありましたが、多くはその子なりの思考の道筋が見えるものでしたし、こちらの教え方の至らなさを反省したこともあったくらいです。

最近の小学生には、課題が何なのかを認識しない、その課題を自分がクリア出来ているか否かの判断をしない子が多いです。レッスンに持って来た時に信じがたいほどにデタラメな状態というのも時々見ます。指示されたのと違うやり方でも(たとえ間違ったやり方でも)その子なりの考えが見えるのならまだ良いのですが、指示を無視したテキトーで気まぐれな作業をして「自分は努力をしたんだ」と主張します。出来栄えがどうであれ、とりあえず「やった」のだから認められるべきだ、という甘い心構えが常態となっているようです。

その傾向のはなはだしい子・・・弾き直したのも、止まったのも、途中でテンポが弛んだのも、本人の中では「なかったこと」にしているらしく「ちゃんと練習した」「出来ている」と主張して譲らない子に、当人の弾いているものを録音して聴かせてみました。客観的に聴かされて初めてそのデタラメぶりを認め、これでは通らないということをやっと理解した・・・というかショックも受けたようでした。(翌週は、それまでと段違いにマトモに弾いてきました)

就学前・・・幼稚園児というのは、二十年前も最近もあまり違いはないように思います。何事にも(多分ピアノ以外のことも)全力で取り組み、幼いだけに小学生以上に進むべき方角を間違えていることもありますが、全力で取り組んだことで得るものは何かしら必ずあります。

また、最近の小学生全部がそんな状態ではなく、もちろんキチンとした子もいます
これは幼稚園児のように自己を客観的に見られないゆえの全力投球ではなく、その子の置かれた環境・・・家庭や周囲の人々の生きる姿勢からその子が体得した判断基準がマトモだったということなのでしょう。

子どもたちばかりを責められないと思います。
子どもは環境に大きく影響を受けるもの、昨今の大人の世界では政界でもお役所でも企業でも自分に都合の良い理屈をつけて、本来あるべき姿から遠い仕事をして・・・その結果、世の中に迷惑をかけ自身も貶めるという話が多い、多すぎます
社会のあちらこちらで無責任を謝罪する大人を目にする情けない昨今ですが、これを反面教師として、自分の都合や論理で「こんなモンでよかろう」で事に当たっていてはならないのだということを子供たちに感じてもらえたらいいのだけれど、と思ったりもしています。
Posted at 21:59 | この記事のURL

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