2008.11.18 12:08


 先週末、僕は新宿でアメリカ人たちと飲んでいました。

 彼らは全米で人気のラジオ番組「studio360」の取材クルーで、日本のサブカルチャーについて僕にインタビューをしてきたわけです。

 日本側スタッフとして通訳を務めたアメリカ人は僕の4年前からの友人で、インタビュアーは東大で教えているアメリカ人の先生で、やはり2年前からの知り合いでした。

 その経緯で、たとえば、秋葉原の事件とサブカルチャーについて聞かれたりするわけですが、彼らの質問が僕にはちょっとおもしろかったです。

 ラジオ取材班は、こう尋ねました。

「秋葉原の事件を起こしたカトウは、自分の気持ちをネット上に文章で延々と書けるような人間なのに、その文章力をべつのことに役立てることはできなかったのか?」

「アメリカでも韓国人が銃を乱射する事件があったが、それは彼が周囲の人間に憎悪を抱いていたからだ。
 なぜ、カトウは自分とは直接憎悪関係にあるわけでもない市民を無差別に狙ったのか?」

 みなさんなら、どう答えますか?

 僕は、こう答えたのです。

 今の日本人は、二つのコミュニケーション作法に引き裂かれている。
 そのはざまに、どちらの作法にも慣れずに孤独を持て余す人がいて、そういう人たちにとって自分の周囲は無理解な人ばかりに映るから、自分を無視する社会は敵対視されていくのだ、と。

 そして、敵対視している顔のない「社会」に対して、自分の能力を売り込むこともなければ、あらかじめ無視されていると思い込んでしまうのだ、と。

 前述のコミュニケーション作法の一つは、従来型の「共同体」志向のコミュニケーション。
 いわば、自分の興味のある話題でつながりあえる共同体の内側に入ることで孤独をいやす作法で、ヲタは自助グループとして機能している。

 もう一つは、自己決定(自己責任)によって自分で自分の社会的な存在価値を訴えていける自己評価の高さに担保された作法。

 自分がはまっているオンラインゲームの話をしていたら、「それ知っている!」と話題に乗ってくれた友人がいたとしましょう。

 しかし、「じゃあ、これは知ってる?」とべつのゲームの話をしたら、「知らない」と話題がそこで途切れてしまった時、それ以上、何も言えなくなって寂しい思いをする。

 たとえば、そういう経験が日常的に当たり前になっていますよね。

 共通の話題で話せる関係は、まさに「共同体」のコミュニケーション作法であり、「知らない」という相手に自分の話題についての魅力を存分に伝えて興味を持ってもらう努力を自己責任で試みるという作法に及べば、それは「自己決定」のコミュニケーション作法でしょう。

 しかし、田舎で育ち、同質性を前提として人と付き合ってきた多くの日本人にとって、なかなか自己責任で趣味の違う相手と話題を共有し、共通の話題に巻き込んでいくということまでは試みないわけです。

 すると、友達との共通の話題はひどく限定的になり、自分の趣味との共通点の多い相手を探そうにもなかなか大変。

 この寂しさを持て余すことのむなしさを解消するために、自分の興味のない話まで聞いてあげる心の余裕の必要性を学んでいけば、人とつながることは難しくなくなります。

 人とつながることは、まさに自分には興味のないことでも、相手が聞いてほしい、わかちあってほしいと望んでいることをたっぷりと聞いてあげることから始まるのですから。

 アメリカのように、あらかじめいろんな人種や異なる文化を持つ人たちの集合体である国なら、そのようなコミュニケーション作法が人とつながるために必須になりますし、そもそも資本主義社会は自己責任を前提とするキリスト教の思想に基づいているので、共同体の内部に埋没してしまうことが愚かしいことだというのが前提なので、カトウのような犯罪者が出てくること自体が不思議なのです。

 カトウが女の子にモテず、それゆえに無差別テロに走ったのも、おそらく自分が興味が持てない人の話を聞くという作法が人とつながるうえで必要な試みだということを誰からも教えられなかったことに起因するでしょうし、彼自身、それを教えられても、誰の話を聞くだけの心の余裕がないほど、孤独な心を持て余していたように僕には感じられるのです。

 みうらじゅんさんは、自分の興味の持てなさそうなものに興味を持つために、わざわざ地方にある「ゆるキャラ」グッズを買い集めてみたり、銅像の写真を撮影してみたりして、自分の身近に置くことで「それまで興味がなかったものに興味が出てくるのを待つ」んだそうです。

 みうらさんは、美術や文学などのカルチャーシーンの王道で語られることがなく、常にその周辺というか、極北の「マイブーマー」の人として語られがちですが、既にメインもサブもない文化状況の中では実は一番先鋭的なポジションを得ていた、と後世に再評価されるような気がします。

 いつの時代も時代の最先端というものをマスメディアは拾い上げません。

 その証拠に、アメリカのメディアすら、みうらさんに「あなたはking of OTAKUですよね?」と取材を申し込んでしまう勘違いをしてしまうんですね。

 ヲタは、共同体の作法で元気になれる人たちです。
 そして、それ自体が自分自身の孤独を再生産してしまうことから降りられなくなっている人たちです。
 そこにある孤独は、実は世界中のヲタと分かち合える普遍性をもっています。

 だからこそ、宮崎駿さんは、こう言っているのです。

「ファンタジーは気分転換に必要なんです。
 気分転換だから現実に引き戻させるものです。
 今の多くのファンタジーは、引き戻させない毒ばかりですよ」
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2008.06.18 01:57


 今週木曜日、千代田区役所で秋葉原でエコな方々や街の方々と一緒に、秋葉原文化が貢献出来る楽しいエコアクションについて考える「第二回 秋葉原環境会議」というトークショーが実施されます。

第二回 秋葉原環境会議
http://www.licolita.org/akikan02.html

 当日は、秋葉原で出来る楽しいエコアクションのほかに、秋葉原に会社を構えるゲーム会社「株式会社ダレット」の代表取締役社長の稲船さんなどもゲストにお呼びして、ゲームで出来るエコアクションも考えるトークショーも予定。


 つい先週、秋葉原で起きた悲惨な事件。
 今後、コスプレうち水などを手掛けるNPO「リコリタ」の活動についてもどうしていったほうが良いのか、今年の秋葉原の打ち水についても、みなさんからの知恵と勇気を結集したいところ。

 席が先着100名なので、お早めにサイトをチェック!



■第二回 秋葉原環境会議
~アキバ文化が貢献できる楽しいエコアクション~

http://www.licolita.org/akikan02.html

日時 2008年6月19日 15時~18時30分
会場 千代田区役所1階 区民ホール 先着100名
司会 今一生(フリーライター、エディター)
ゲスト 鈴木菜央(グリーンズLLP 代表)
ハッタケンタロー(環境エンタメプロデューサー)
関幸子(秋葉原タウンマネジメント 専務取締役)
稲船敬二(株式会社ダレット 代表取締役社長)
深野暁雄(神奈川工科大学 教授)
ホスト 真田武幸(NPO法人リコリタ 代表)
大矢中子(NPO法人リコリタ サポートメンバー)

プログラム

15:00 前座 講演「楽しいソーシャルアクションが社会を変える」
16:00 第1部 議題「秋葉原でできるエコアクションを考える」
17:15 CM ~リコリタ版キャンドルナイトの過ごし方~
17:30 第2部 議題「ゲームでできるエコアクションを考える」


 ちなみに、翌20日(金)は、夜8時半頃から西新宿のロイヤルホストで、7月30日の社会起業支援イベントのスタッフ・ミーティングをやってます。

http://www.cccjp.org/

 社会起業に興味のある大学生諸君、若者は、ぜひ一度ミーティングに参加してほしいです。
 参加したい方は、メール(conisshow@gmail.com)くださいな。
 よろしく!
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2008.06.13 09:38

 今日から米沢に行きます。
 明日、山形県高等学校PTA連合会主催の講演会に講師として登壇するのです。

 高校生の父兄の方が300人も集まるそうで、僕はそこで「命」についての話をするのです。
 そんな折におきてしまった秋葉原無差別殺傷事件。
 やはり、この話題から話し始めることになるでしょう。

 多くの人は、「何の罪もない人を殺した犯人が憎い」という気持ちを抱いているかもしれません。
 しかし、そうした正義一本やりでは、今回のような事件は再びどこかで起きてしまうと僕は思うのです。

 正しいことは、その通りに行かない世界があります。

 それは、たとえば、バングラデシュあたりの貧しい国を観れば、わかりやすいです。

 バングラデシュなどの発展途上国で、しかも貧困にあえぐ国民が1日1ドル以下で暮らしているようなところでは、信頼・約束・愛情といったものは、贅沢品です。

 どういうことかピンとこない方は、今すぐ『裸でも生きる』(山口絵理子・著/講談社)という本を読むといいでしょう。

 信頼のない国を貧困から立て直そうと闘っている20代の女性がいます。

 そしてこの日本でも、秋葉原事件の加藤容疑者のように、正規雇用からあぶれたら死ぬしかない→だったら自分を追い詰めた「社会」に復讐してやる→無差別テロという凶行に走る人が出てきて、それが無理心中のように多くの命を奪うことにつながってしまうのです。

 そういう犯罪がいやなら、人間関係が下手な人と積極的に関わり、仲間に入れてあげること。
 これって、日常的な付き合い方の問題です。

 誰も孤独にさせない社会。
 きれいごとに聞こえるかもしれませんが、遠回りに見えてそれが一番有効であることを、30代の10年間を自殺未遂者ばかり取材してきた僕ははっきりと伝えてみたいと思うのです。
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2008.06.10 13:12

秋葉原で起こった無差別殺傷事件。
きみは、あの事件と自分がまったく関係ないと言い切れるだろうか?

少なくとも、僕はそこはかとない責任を感じる。
なぜか。
それは、僕があの犯人よりも頭が良く、たぶんケンカでも彼より強く、
彼よりも稼ぐ力があり、また確実に彼よりは女性にモテるからだ。

言わば、彼にとって僕は「強者」なのだ。

強い者は、常に自分より弱い者の存在を思いやる義務が生じる。
自分とは180度境遇の異なる人間の気持ちを思いやる必要があるのだ。

学校に進学できる程度に金のある人は、金がなくて進学できない人の気持ちを考え、
モテる人はモテない人の気持ちを考え、腕力のある人は腕力のない人の気持ちを考え
る。

そうでなければ、強い者が弱い者を追い詰めてしまう世の中になってしまう。
だからこそ、強い人は弱い人のことを常に想定し、彼らを「強者」からの攻撃や支
配から守る義務が生じるわけだ。

これは、社会が健全に作動し、「みんなの安心」を作るのに不可欠な基礎的なルー
ルといえる。
数学で言えば、公理とでもいおうか。

しかし、意外なことだが、この公理は今日、学校でも自宅周辺の地域社会でも教わ
らない。

なぜだろう。
たぶん、みんな自分自身が幸せになるのに必死だからだ。

相対的な「強者」の位置に上り詰めようと躍起になってしまい、そうした毎日の競
争が勝てば勝つほど「弱者」を生み出しているということに、いつのまにか気がつか
なくなっているからだ。

このブログを通じて、これを読んでいる君が誰を守れる存在なのかを考えてくれた
ら、僕はうれしい。


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今一生@フリーライター/Create Media代表
http://www.createmedia.co.jp/

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今一生
 君は誰かにとっての「強者」。その意味を一緒に考えよう!

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