2008.12.23 01:41


 あと1週間ちょっとで、2008年も終わりますね。
 年々、1年間が過ぎるのが早いなぁ、と思うのは、僕が40代に入ったからでしょうか?

 43歳という年齢は、日本人の平均年齢の80歳の半周を既に回ったあたりです。
 そこで、自分の仕事ぶりを振り返ってみたくもなるのですが、例年2冊ペースで新刊本を出して来たのが、今年はたった1冊しか出せませんでした。

 いろんな理由はありますが、あえて不問にします。
 むしろ、来年は2月に編集本が2冊、書き下ろし1冊以上の新刊の発表が既に決まっています。

 もっとも、「フリーライター&エディター」と名乗っている僕も、年収における執筆・編集ギャラよりも、講演ギャラのほうが上回っているのです。

 むしろ、新しく出す本の意味は、「こういう話題で講演できます」という参考資料を売るようなもので、出版業界というより、講演業界に軸足を置いたビジネスモデルで生計を立てている感じなんですね。

 もちろん、売れる本を書けば、執筆ギャラのほうが上がっていくと思いますが、これまではマイノリティの読者を見据えた本作りをここ10年間は心がけてきたのです。

 自殺未遂者だったり、ニートだったり、家出人だったりと、僕の言葉を届けたい相手は必ず「マイノリティ」でした。
 それは、インターネットにもない救済マニュアル的なコンテンツを提供したかったからです。

 少数派の読者向けの本ですから、当然、大ヒットするような本にはなりません。

 しかし、彼らの抱える問題をビジネスの手法で解決しようという「社会起業家」の存在を訴えていくという気持ちがあるので、今後は社会起業家や彼らに投資する企業のCSRなどに注目した新しいビジネス本を作っていくつもりはあります。

 それは、広く市民に開かれている21世紀の働き方そのものだからです。

 もっとも、そうしたノンフィクション(取材)ベースの仕事だけでなく、娯楽としてより多くの人が楽しめるコンテンツとして、マンガ原作や、マンガになるような小説の執筆も手掛けていきたいと考えています。

 さらに言うなら、新しい時代のゲームになるようなストーリー&キャラクター設定もふまえた小説を書いてみたいと思っています。

 今日のゲームのスペックでいえば、たとえば、ニートが稼ぐ力をつけられるだけの魅力あるゲームさえ制作することが可能でしょうし、そのためのノウハウになる娯楽的な小説も必要だろうと考えるからです。

 不況だの、リストラだの、派遣切りだの、暗いニュースが続く年末ですが、楽しみながら問題解決の希望が持てるインフラとして、ゲームというメディアはとても魅力的なので、2009年はゲーム化をめざしたエンターテインメント小説を書いてみたいです。

 さて、どこの出版社が興味を持ってくれるかな?

 コノユビトマレ!
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2008.10.21 11:10


 いきなりですが、僕の読書タイムはトイレです。
 で、いま、読んでいるのは小室直樹さんの『論理の方法』という本です。

 その本に、「予定説」と「因果律」という言葉が出てきます。

 「予定説」とは、あの人が言えば、それはすべて正しいと考えること。
 そこには「なぜ」という問いかけはなく、そういうものだと受け入れてしまうことです。

 それが本当に正しいかどうか、その人が善人か悪人かという判断より先に、その人が言っている以上、それは正しいものだと受け入れてしまうことを意味します。

 いわば、「理屈じゃない、信じろ!」と迫られて、「ははー!」と頭を下げるような感じで、真理の是非の前に、その人の存在の前でひれ伏してしまうこと。

 何が正しのかを決める判断の主体は、その人以外にないのだから、自分は考えない(考えてはいけない、考えなくていい)という行動規範なんですね。

 一方、「因果律」は、前述の「予定説」とはまったく違って、「その人が正しいことをするから信じる」という具合に、相手とその行動を見る側が主体的に善悪や真理を探す(決める)ことを意味するのです。

 これは、魔法と手品の関係に似ていますね。

 非科学的・非論理的な魔法でも、それを信じていられるなら、予定説。
 そこに、科学的な因果関係を探し、客観的な真理を求める主体となろうとすれば、それはちゃんとタネのある手品になりますから、それは因果律というわけです。

 さて、なんでこんな話をしているかといえば、現代日本のような格差社会であっても、国全体では貧乏でもなんとか生きていける程度の「そこそこ満足」という感覚で生ぬるく生きられる時代の場合、人はものを真剣に考えるチャンスに乏しいといえるのです。

 すると、どうしても平安無事な生活の中で、多くの人は知らず知らずのうちの「予定説」のように、社会に対して主体的に考えるチャンスを奪われているような気がするのです。

 逆に、格差社会の末端で、今日の飯の調達にも困っているような、たとえばホームレスの暮らしを見ると、湘南の海岸近くの森を違法占拠して住み込んだり、自家発電装置を調達してくるなど、自分で知恵を働かせて生きていくことを学ばざるを得ません。

 人は追い詰められてこそ、主体的にものを考え、知恵をひねり出そうとするわけです。

 どうすれば、毎日残飯をあさらずに済むのか。
 それには、自家栽培で野菜を育てたほうがいいい。
 それなら、コンクリートジャングルの路上よりも、森林の密生地が好都合だ。
 自分の生活の快適さを求めるなら、それができる土地に移動しよう。

 そこには、一つ一つの行動が現状分析から論理的に因果関係にある結論を導き出そうとする営みが見られます。
 こうなると、因果律の行動規範そのまんまですね。
 誰かの言葉をうのみにするのではなく、自分自身にとって気持ちよい方向へ主体的に考え、行動するわけですから。

 で、日本人の多くは、この「予定説」と「因果律」を状況に合わせて使い分けていることに鈍感です。

 自分の努力で五輪で金メダルをとっても、天皇の前では「あなたのために頑張りました」と言う。
 平時は「因果律」でも、非日常的な場面では「予定説」になる。

 これが多くの日本人の特質だと、小室さんは再三指摘しているわけです。

 『論理の方法』を読むと、これまで教科書ではよくわからなかった日本史も、よくわかるようになります。 
 それは、日本人自身が日本人とどう付き合えばいいのかを理解する大きなヒントになるかもしれません。

 お勧めです。
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2008.09.23 04:09


 僕は、43歳になった。

 田舎に一人で閑居する僕には、お祝いのプレゼントも届かなければ、
一人でバースデーケーキを買う趣味もない。

 こんな誕生日を例年のように続けている。
 今更、珍しくもない1日なのだ。

 もっとも、小さい頃から誕生日を祝われた記憶はほとんどない。

 というのも、誕生日が秋分の日で、毎年家族総出で墓参りに行っていたから、
父方の祖父の眠る墓のある川口市の親せきの家でおはぎを食べるのが習慣で、
ケーキのように甘いものを帰宅してからまた食べる、ということがなかったのだ。

 誕生日らしいことをしていたのは、恋人と同棲していた頃だけ。
 同棲は2回も経験があるので、それはそれで楽しかった。

 それでも、43歳にもなると、誕生日があまり特別に感じないのだった。
 これは、結婚しても、子どもがいても、同じかもしれない。

 僕は独身で、子どもはいない。
 恋人も、この10年間、作らなかった。

 恋とは、「落ちる」ものだ。
 交通事故のように、突然、ときめきが全身を包むような瞬間がある。
 その人のことばかり気になって仕方がない、というのが、恋なのだ。

 そして、そういう感性も、もしかしたら、体力の衰えと同時に薄らいでいくのかな、と
最近、少し臆病になっている自分を感じる。

 ビートルズに、「WHEN I'M 64」という歌がある。
 64歳になっても、祝ってくれますか?
 …というわけだ。

 彼らが20代の若い頃に作った歌だけど、すでにポール・マッカートニーは
64歳を超えているだろう。

 ポールは3度の結婚を経験している。
 そのたびに、慰謝料をしこたまふんだくられている(笑)。
 それでも、命があれば、3回くらい人生をやり直せる金があるのだから驚きだ。

 こういうスーパースターの人生を見ると、ささやかなものが愛しくなる。

 金も名声も手に入れた男でも、ゆるぎない愛はなかなかつかめないってことだろうか?

 43年も生きて思うのは、僕の人生で一番大事にしているのは、「自由」ってことだ。
 自由に生きるには、それなりの覚悟があり、それゆえの楽しみもある。

 何よりも自分の自由を求めるこそ、自尊心だ。
 そう、はっきり言える。

 自由は時に孤独だけD、誰かに従属していない分だけ、
心はいつも晴れやかだ。

 しなくちゃいけないことなんて、何もない。
 したいことだけをすればいい。

 そんな自由な人生も、まんざら悪くないものだと思うのさ。


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2008.08.14 13:40


http://createmedia2007.blog88.fc2.com/

 今月、東京にイギリスのLGBTの若者たちがやってきます。
 日本の若いLGBTと交流するためです。

 LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアルの性的マイノリティ(少数派)を意味する総称です。

 同性愛者、両性愛者は、ヘテロセクシュアル(異性愛者)が圧倒的な多数派であることによって不当な差別やいじめを受けることが珍しくありません。

 しかし、今日では芸能界でもふだんの日常でも、そういう性的少数派(略してセクマイ)を見かけたり、知り合ったり、友達の友達にいたりするなど、身近な存在になっているように思います。

 でも、当事者のセクマイさんたちは、やはり孤独を感じることが多いようです。
 そこで、上記のイベントでは、イギリスからLGBTさんたちが来日し、日本のLGBTさんと交流しようというものなんですね。

 田舎にいると、なかなか周囲に理解されないと悩む10代の当事者も少なからずいると思いますが、ぜひこの機会に東京でイギリス人はもちろん、日本のセクマイさんどうしのつながりを作ってみてはいかがですか?

 ちなみに、このイベントには僕の友人のレズビアンの女性が手伝っています。

 僕自身はヘテロセクシュアルですが、僕には同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーやトランスセクシュアルの友人が少なからずいます。

 もし、これを読んでいる君自身がヘテロセクシュアルであったとしても、友人に孤独を覚えながら暮らしているLGBTがいたなら、ぜひこのイベントを教えてあげてほしいのです。

 メールで上記リンクを教えてあげることも、友情のしるし。
 その1個のアクションを大事にしてみてください。

 
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