http://publications.asahi.com/syukan/briefing/823.shtml
まずは、上記を読んでみよう!
世界には、ホームレスにストリート・サッカーを呼び掛けて、社会復帰のチャンスを作るという仕事をしている人がいるんですね。
人を幸せにしながら、ちゃんと自分も稼げるって、素敵だと思いませんか?
でも、このように、身の回りの社会的弱者を救うビジネスは、中流層出身の社会起業家には、とんと思いつかないという傾向があるんです。
もっとも、「社会起業家」を当然としている人にとって、社会起業家という言葉は煙たいのね。
なぜなら、本来ビジネスは公益を目指すものだから。
それが、いつからか、自社の利益と株主への配当ばかり気にして、社会的にはダメなことばかりやってきたから、環境は破壊され、社会的弱者を放置しまくり、追い詰められた弱者は自殺まで考えてヤケになり、「勝ち組はみんな死ね!」と言いながら無差別殺傷事件を引き起こすことになったんです。
では、なぜ、「社会起業家」という言葉が必要だったのか?
もう、わかると思います。
中流資産層にとっては、社会的弱者を守るのが本来のビジネスだという視点がなかったから、それが珍しいためにわざわざ「社会起業家」という言葉で従来のビジネスと一線を画す必要があったわけなんです。
下流資産層では、昔から相互扶助が当たり前にあるよね。
貧乏人は助け合わないと生きていけないからさ。
つまり、社会起業家は、下流資産層のやっていることを中流資産層が「発見」した言葉にすぎないのね。
だから、中流資産層出身の社会起業家は、途上国の支援に目が行っても、今この国にある貧困に対しては取り組まない傾向があるってわけ。
ニートやホームレス、低所得を強いられている障害者などの雇用問題に取り組んでいるのは、下流資産層出身の社会起業家だけ。
中流資産層の家庭出身者は、なかなか自分より貧しい人を見ようとしないんですよ。
日本にある貧困に関心がないから、途上国の貧困を珍しがるというか、ショックを覚えるわけ。
それこそ、中流資産層(しかも下流化しない上のほう)の感覚です。
生まれながらの貧乏を知らない中流〜上流の家庭出身者は、公立の小学校・中学校の通学経験があっても、「金持ち喧嘩せず」というか、クラスにいる貧乏な子がヤンキーとか不良になっても、見ないふりですごします。
当然、高校や大学に行っても、そういう貧乏人とは付き合わないわけね。
すると、開発学とかを学んで途上国に行くとショックを受ける(笑)。
ふだん、東京にいるホームレスを無視しまくっても、途上国では無視できないほど極貧の人たちがいっぱいいすぎて、自分のケチぶりを責めざるを得なくなり、社会起業に目覚める…。
というのが、中流資産層出身者の起こす社会起業の実存的なモチベーションだと思います。
日本では、年間3万人が自殺しています。
理由の多くは貧困です。
しかも、この自殺率はアメリカの2倍。
国際的にも高いわけ。
つまり、「今ここにある貧困」の最先端は、日本にあるんです。
ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行で救われる途上国の人には希望がありますが、日本のホームレスやニートなどには希望がありません。
同世代の2人に1人がワーキングプア(働いても働いても貧乏になるばかり)になっても、あなたは自分の幸せだけを追い続けられる自信がありますか?