2010.01.15 13:24



 若槻千夏さんが「インドに学校を建てるために」行った「セミヌードTシャツ」の販売収益によるチャリティが寄付先に断られたと発表された昨年2月18日から、既に326日めです。


 しかし、このチャリティを番組で企画したTBSの番組ホームページには、まだ新着情報はありません。


 つまり、市民の善意で集められた「チャリティTシャツ」の売り上げ1200万円を、TBSは今日も宙に浮かせたままでいるのです。


 さて、TBSが問題を解決しないまま、1年間近くも視聴者にうんざり感を与え続けている一方、世の中には今より少しでもマシな時代状況を作り出そうと働く人たちが一部で増えてきています。



 その一つは社会起業家ですが、毎日のように僕はTwitterの「社会起業」のタイムラインでつぶやいています(フォロー歓迎)。



 そこで、ここ最近の社会起業に関する僕のつぶやきを集めてみます。

 社会起業を知らない方には、理解の補助になるかもしれません。



 以下、Twitterからのコピーです。



 負の課題を踏まえない活動を追求する中で副次的に負の課題が解決される活動の具体例は? TFTの活動プロセスはそれに似てますが。でも、負の課題を見ずに正義を自称するって、「国民が求めている」とアバウトに自説の正当性を語る政治家と同じに見えます。



 負の課題をふまえずに「正の価値」なんて本当に生み出せるんでしょうか? そうだとしたら、ニーズではなく、ウォンツのように思いますが。



 幸せモデルの一元化によって社会的弱者になってしまった人たちの問題を解決するミッション以外に、社会起業の崇高さを担保するものなんて本当にあるのだろうか? 世の中には解決が放置され、今なお苦しんでいる人があまりにも多いというのに。



 大人が人材として認める条件は、艱難辛苦を乗り越えて最後までミッションをやり通した実績があること。学生が学生の座に居直り、市民意識に目覚めないなら、社会起業家なんかになれはしないだろうし、むしろ社会起業家の時間をいたずらに奪うだけだろう。



 社会起業は日本ではまだマニアックな話題。アショカ財団来日もせいぜい「東京」の話題でしかない。社会起業家が実際にどんな活動をしているかが目に浮かぶ人は、ほんの一握り。だから既存の発想で誤解して過小評価する人もいれば、問題解決実績の程度を知らずに過大評価する学生もいる。



 大企業のCSRでも、具体的で切実な社会的課題の解決に取り組んでいるところはまれですし、そもそも解決現場にタッチすること自体が珍しいです。



 日本は戦後、天皇が神格を失うことで、公を担保する大義も同時に失った。そして今なお、分かち合える大義がないまま、天皇を神格化しなくても可能な大義を新たに模索、構築しようとしている。社会起業家はその流れを作り、「新しい公」の姿を投影する存在の一つかもしれない。



 世のために尽くすとか、社会貢献というアバウトなミッションと、具体的かつ切実で、政治や行政、既存の団体では解決しえない問題を解決するというミッションでは、現場レベルでは大きな隔たりを感じる。だから社会貢献企業が社会起業家になるには、生き方・働き方自体のモデルチェンジが問われる。



 ロックもソーシャルビジネスも、両方共「社会変革」という共通目的から生まれたものなので、あらかじめ親和性が高いですし、そもそもロックはショービズから生まれ、原始的な社会起業がロック・アーチストともいえるので、ロックアーチストにはチャリティ参加者が多い。



 途上国の貧困層に目を奪われてしまう人がいるのは、それまで日本で貧困層に対して関心がなかった証拠。帰国後も日本の貧困層(とくに子ども)の境遇に関心を持たずに、途上国ばかりに目を向けてしまうなら、それは世界観の狭さを自覚してないのだ。



 高学歴→高所得の幸せモデルは低学歴→低所得の不幸モデル。これを打破するモチベーションは低学歴層にあり、社会的弱者へのコンパッションも確かなので既存の社会起業家を出し抜ける可能性大! http://www.bk1.jp/product/02457844


 社会起業の目的が「社会的課題を解決すること」だと理解できている人は、解決コスト0円にできれば、収益を作る必要すらないことに思い当たれる。事業の「手法」を手段にするのが社会起業。だからコスト0円=収益を作る時間ゼロにできれば、究極モデル!



 社会起業家たちが、政治や行政、従来型企業、宗教団体などに対する「新しい公」として社会的弱者を速やかに、かつ実質的に救済する時代の流れは止まらないだろうね。


 良くも悪くもCrazy。それが社会起業家。だって寝ても覚めても社会的弱者と彼らを苦しめる社会的課題と、その解決モデルのことを考え続けて生きているわけだから。これはもうニュータイプ(笑)。だから誤解もされるし、歴史も作れる。



 誰かがサクッと社会的課題を解決してくれるなら、そもそも社会起業家の存在意義はないわけですよ。そこに、解決が放置されている社会的弱者がいるからこそ、社会起業家の存在が必要になるわけで。


 社会起業が誤解されやすい理由3点。

1.事業目的が社会的課題の解決にあることが容易に受容されにくい

2.事業の「手法」を解決手段にするのであって、経常利益を出すこと自体は活動コストを賄うための必要条件であり十分条件ではないことがわかりにくい

3.利益分配の優先順序に対する関心が薄い



 社会起業を志願しても、体力増強できなきゃ、実践で心が折れるよ。そういう脱落組も歓迎すれば、吉本のお笑い学校と同じように「儲かる学校」にはなるだろう。でも、それって社会起業家を生み出す費用対効果としてどうなんだろうね?



 社会起業を志願する若者には、社会的弱者と一緒に汗を流し、共に苦しみを分かち合う現場経験を忌避する人が多いのかも。僕が社会起業家大学にコミットするなら、まず体力増強→弱者の当事者ニーズヒアリング実践→コンパッションが理解できた後、ボラ実践→解決したい課題決定→事業モデル策定の順だね



 社会問題を解決する社会起業家同士は同じ市場を奪い合うのではなく協働し合って早期解決を目指す連携が促進されていい。だからいずれミッション別に整理する
http://bit.ly/8MYP0o



 困ったことに新聞記者やテレビ記者も、特集の時だけ取材に来るだけだから、ほとんどのメディアでは社会起業はアバウトにしか扱われていない。広告に依存したメディア業界ほど社会起業のアプローチによるモデルチェンジが必要なのに、無自覚な病人みたいに見えるなぁ。



 社会起業を装い、大資本で零細な社会事業家をつぶしにかかる会社もあれば、社会起業の特異性を知らずにコンサルを名乗る人もいて、日本では世間に社会起業が十分に位置づけられておらず、ブーム未満であることを痛感する。



 社会起業を十分に理解している人は、社会起業という言葉を聞いた瞬間、社会的課題のために切実に苦しんでいる社会的弱者の姿が想起されるはず。放置されれば、そのまま苦しみ続けてしまう人達の顔が思い浮かぶはずだ。



 社会の実態を知らない学生の中には、すべての企業は社会起業だという、あまりにもざっくりとした納得をしている者もいて、「おいおい、世の中、そんなにきれいにできてねーよ」と言いたくなる。



 社会起業と従来型企業の違いに鈍感な人は、社会的課題の解決の速度と質、費用対効果にどれほど真剣味が従来型企業になかったかに思い当たらないのだろうなぁ。



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