生きている実感と喜び、ワクワク、そして、自分の成長が実感できる「幸せなキャリア」を目指したいと思いませんか?
あなたの「キャリアデザイン」にきっと役立つ情報・ヒントを毎週お届けします。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
最近、
「企業に就職した新社会人の3割は、3年以内に最初の会社を辞めてしまう」
と言われます。
実際、統計数値を見るとその通りです。
そして、この話の後は、たいてい
「最近の若者は我慢が足りない!」
という説教的な内容が展開されることが多いですよね。
実は、恥ずかしながら、私も我慢が足りない若者の一人でした。
大学を卒業して入社した会社をわずか1年半で辞めてしまったからです。しかも、次の働き口を見つけないまま・・・。
最初の会社を辞めた後は、短期間でしたが、千葉・船橋の工場の夜勤などのアルバイトをして生活費を稼いでいました。
いわゆる「フリーター」のはしりです。
(「フリーター」という言葉が生まれる前の話ですよ・・・)
今思えば、この退職は100%間違っていたと思います。
なぜ、たかだか1年そこらで、せっかく新卒で入社した会社を離れることにしたのか、その理由は、これまで誰にも話したことがないほど、情けなく、他愛もないことです。
ですから、さすがにこのブログでも恥ずかしくて書けません。
ただ、1つ言えるのは、どちらかと言えばかなり感情的な理由で、衝動的に退職を決めてしまったという点です。
「若気の至り」といえばちょっとマシに聞こえるかもしれませんが、率直に言えば、「未熟だった」ということに尽きます。
幸い、短期間のフリーター経験後に入社した会社では、現在の私にとって「天職」となったマーケティングの仕事に出会い、また素晴らしい上司や先輩たちに鍛えられたおかげで、それ以来は十分に幸せなキャリアを築いてこれました。
ただ、私の場合本当に運が良かっただけだと思います。
当時は、自分の身勝手な理由で辞めたくせに、いざ冷静に周囲を見渡してみると、自分の将来は真っ暗、不安で一杯だったことを思い出します。
さて、こんな私の情けない過去をあえて書いたのは、若いあなたには、私の二の舞を踏んで欲しくないからです。
その時々の気分や感情で衝動的に会社を辞めてしまうのは、必ず後悔します。
長期的なキャリアデザインに基づかない、せつな的な行動は、「次」につながることがないからです。
私のようにキャリアの断絶を招くだけに終わることが多いでしょう。
あなたの可能性を閉じてしまうかもしれない。
日本を代表するアニメ監督の高橋良輔氏は、あるインタビュー記事(※参照)で次のようなことをおっしゃっています。
会社を辞めるのもそうですが、何かについて選択肢から選んで決断に至るまでに‘反応’と‘判断’があると思うんですよ。
‘反応’というのは、脊髄反射に近い感覚的なものですね。
例えば、会社に入りました、ばんと怒られてぱっと辞めちゃう。そういうのは反応でしょう
私は、高橋監督のこの言葉を聞いて、
「あぁ、私が最初の会社を辞めたのは、明らかに‘反応’だった」
と思いました。
高橋監督は続けます。
‘反応’したらダメというんじゃないですよ。
人間というのは反応しちゃう生き物で、また反応しないとだめなんだけど、‘反応’だけだとだめなような気がするんですよ。
‘判断’がないと。
そして、‘反応’と‘判断’の違いについて次のように説明しています。
会社でガツンと怒られたとして、あぁ怖い、腹が立つ、悔しい、と思って、もう行くのが嫌になっちゃって、何日かしたら辞表を郵送するというのは、「反応」しちゃったというだけであって。
一方で、「ああそうか、この会社ではこういうことをすると、ああいう怒り方をされるんだな、それについては、俺は嫌だな」といのは「判断」だと思うんです。
私も当時、まだ20代前半でしたが、高橋監督が言うような‘判断’する力があれば、最初の会社を辞めることはなかっただろうと思います。
既に社会人になってらっしゃる方は実感していると思いますが、会社の仕組みには理不尽なことも多く、仕事のこと、そして社内外の人間関係にも、悩みやトラブルが尽きませんよね。
そうしたことにいちいち過剰反応して、会社を次々と替わったり、人間関係を絶っていたらまともな社会生活が営めないのが現実です。
もちろん、明らかな人権侵害や搾取をしている会社とは即刻縁を切るべきですが、そうでない普通の会社にも、それぞれ良いところ、悪いところがあります。
また、あなたが人生で出会う様々な人たちにも、それぞれ良いところ、悪いところがある。
自分に取って不愉快なことに‘反応’して衝動的な行動をするのではなく、ある程度受け入れ、理解し、適切な付き合い方を‘判断’した上で行動するようにしませんか?
複雑な人間社会のなかでうまく適応するには、
‘反応’と‘判断’
の両方をうまく使い分けることが大事なのです。
※高橋監督のインタビュー記事
NBonline(日経ビジネス オンライン)
今日から始める「敗者復活」
〜“アンチ天才”のボトムズ流仕事術・2
5:今いる会社の辞め時、見切り時
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
あなたは、今の仕事を始めてから何年目ですか?
「仕事」というのは、現在のポジションでやっている仕事の種類や内容のことです。
まだ始めたばかりの方は、いろいろと慣れなくて大変でしょうね。
でも、それだけに新鮮な毎日。最初はわからなかったことが、だんだんとわかってきたり、できなかったことが、少しずつできるようになることが楽しいと感じる日もあるのではないでしょうか。
一方、もう何年も同じ仕事をやっている方の中には、既に達人の域に達していて、鼻唄を歌いながら楽に仕事を終えられるようになっている人もいるでしょう。
ただ、今の仕事にすっかり慣れてしまっただけに、新鮮味はもはや感じられないかもしれません。
もちろん、毎日充実感を持って仕事ができているのであれば問題はありません!
しかし、ふとした拍子に、仕事に対する不快感や違和感、将来に対する不安感など、ざらついた感情が頭をもたげてくることがあるなら、その思いを打ち消そうとせず、なぜそんな気持ちになったか立ち止まって考えてみることをオススメします。
多くの人は、同じ会社で同じ仕事を長く続けていると惰性状態に陥りがちですよね。
そして、「なんのためにこの仕事をやっているのか」といったそもそもの目的や将来の夢を見失ってしまい、深く考えることなく、決まりきった手順・行動を毎日繰り返してしまう。
でも、そんな状態になっても、無意識の中では
「このままではよくないぞ・・・!」
という思いが増殖しています。
その結果、不快感や違和感などのネガティブな感情となって現れてくるのです。
つまり、そうした感情は、自分自身が自分に対して鳴らしているアラーム、つまり「警戒信号」なのです。
警戒信号なのですから、気が滅入るからなどと強制終了してはいけません。
その警戒信号の持つ意味を考えてみるのです。
おそらく、その警戒信号は、
「そろそろ仕事の内容そのものか、もしくは仕事のやり方を変える時期だよ」
という意味であることが多いでしょう。
「現状のままを続けていてもこれ以上の成長はないし、自分の可能性は拡がらないよ。変化をしかける時だよ」
ということを教えてくれているのです。
コピーライターとして有名な、糸井重里さんは、以前から
「寝返り理論」
というユニークな理論を提唱されています。
病気になって同じ姿勢で寝続けると背中に床ずれができますが、この原因は、体の重みで血流が滞ってしまうためです。
ですから、血が滞らないようにするには、寝返りを打つことが必要なのです。
仕事でも同様で、「滞っている」と思ったら、
“寝返りを打つ”
つまり、別の仕事をやってみたり、仕事のやり方を変えるなど、何かを変えてみるのです。
そのことによって、新たな成長や可能性がひらけてきます。
会社にお勤めの方は、「そうは言っても自分の願いどおりに別の部署とかに異動させてもらえるわけじゃないし、仕事のやり方だって勝手に変えられない」と反論されるかもしれません。
でも、会社って意外に柔軟なんですよ。
現状を変えたいという強い思いがあればたいていのことは受け入れてくれるものです。
(もちろん、その変化は会社にとってもよい効果をもたらすものであることが必要ですけど)
前述したように、なにも考えずに同じ仕事を繰り返していると、、なかなか「仕事が滞っている」ということも感じられなくなってしまうものです。
ふとした瞬間に浮上してくる「ざらついた感情」こそが警戒信号です。
そんな感情が生まれてきたら、それは変化をしかける時なのです。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
‘納棺師’と呼ばれる職業があるのをご存知でしょうか?
ひとことで言えば、遺体を棺(ひつぎ)に納める仕事をする人のことです。
「納棺」といっても、単にモノを箱に入れるような作業をするだけではありません。
故人の全身をきれいに拭いて清め、あの世への旅立ちのためにふさわしい服を着せる。
顔については、口の中に含み綿を入れ、お化粧をほどこす。もし故人が女性なら、生前使用していた口紅をさす。また、故人が好きだったネックレスなどの装飾品もつけてあげる。
故人の手を胸元で結び合わせる。その後に、故人を棺に移して、親族との最期のお別れをしてもらう。
こうした一連の動作は、
‘納棺の儀’(のうかんのぎ)
と呼びます。
今年(2008年)9月13日封切りの映画、『おくりびと』は、この‘納棺師’の話です。
私は、試写会でいち早く観ることができました。
『おくりびと』は、「死」という重いテーマを扱っていながら、暗さ、陰気さはほとんどなく、むしろカラっと明るい雰囲気。笑える箇所もあちこちにあります。
なにより、全編を通して、人々に対する穏やかで、暖かな愛情に満ちている映画でした。
主役の納棺師を演じる本木雅弘さん、NKエージェント社長役の山崎努さんを始めとして、俳優陣の演技が素晴らしいです。
おそらく、『おくりびと』は、現代の日本映画における「名作」のひとつとして数えられることになるのではないかと思います。
では簡単にストーリーをご紹介しましょう(ネタばれにならない範囲で・・・)。
本木さん演じる主人公、小林大梧は、東京のクラシックの楽団のチェロ奏者でした。
ようやくつかんだプロ音楽家の仕事でしたが、その楽団は突然、経営難により解散してしまうのです。
小林は、自分の音楽的才能に限界を感じていたため、音楽家としての道を続けることをあきらめ、奥さん(広末涼子)と共に故郷山形に戻り、新たな人生を始めることにします。
そして、故郷の町で職探しをする中で小林は、ひょんなことから、「納棺」を請け負う会社‘NKエージェント’で働くことことになるのです。
彼は、この会社の社長に強引に引き入れられたような形で、この仕事を始めることになっただけです。
決して自分から納棺師になりたいと思って、NKエージェントに就職したわけではありませんでした。
彼の初仕事は、なんと死後2週間経って発見された一人暮らしの老人の腐乱死体です。
しょっぱなからいきなり納棺師の厳しい現実を味わい、大きなショックを受けます。
このため、小林は、奥さんにはどんな仕事をしているのか言うことができません。「冠婚葬祭」関係という説明でお茶を濁していました。
しかし、ある時奥さんに仕事の内容がばれてしまい、
“こんな仕事をして恥ずかしいと思わないの。どうか他の仕事を探してちょうだい!”
と泣きつかれるのです。
また、幼なじみの友人からも、
“町で噂になってるぞ。ましな仕事を探せ。”
と、この仕事をやっている限りは、友達づきあいをしたくないような冷たい対応をされてしまいます。
確かに、納棺師は、死に関わる仕事ですから印象は決して良くありません。小林も最初の頃は辞めることを考えました。
でも、小林は、結局、納棺師の仕事を辞めることはなかったのです。たとえ、奥さんがあいそをつかして実家に帰ってしまっても・・・。
なぜなら、彼は、納棺師という職業の本質と喜びを早い段階で知ったからでした。
映画の中で、小林が独白として語った言葉の中で、納棺師の本質を端的に説明していると感じたフレーズがあります。
それは次のようなものでした。
“冷たくなった体にいのちをよみがえらせ、永遠の美を授ける”
納棺師によって丁寧に心を込めてお化粧された顔は、生前元気だった頃の故人に戻っています。
まさに「永遠の美」が感じられる美しさを故人は取り戻すのです。
そして、奥さんに死なれた喪主の夫からは、
「あいつは今までで一番きれいでした。ありがとうございました」
と心からの感謝の言葉をかけられるのです。
納棺師は、悲しい別れの場に立ち会う仕事ではあるけれども、故人と親族との間の「絆」や「愛」を感じることのできる職業であることを小林は実感します。
そして、納棺師の仕事に、やりがいと充実感を持って取り組むようになります。
うれしいことに、奥さんも最後には彼と彼の仕事を認めてくれます。
さて、世の中には実に多種多様な職業がありますよね。
こうした職業の中には、納棺師のような、対外的な印象が良くないものもあります。
また、肉体的、精神的にかなりの負担を伴うものや、逆に単純作業の連続のため、一見、退屈でつまらない仕事だと感じるものもあります。
でも、『おくりびと』を観て改めて思ったのは、仕事を表面的な印象や、見かけの仕事内容で判断すべきではないということです。
どんな仕事もそれは社会的に必要とされているからこそ存在しているのです。
その仕事をやってもらえて喜んでいる誰かがきっといます。
あなたの現在の仕事がどんなものであれ、どうか「その仕事の本質は何か」を考えてみてください。
そしてまた、「ありがとう」と言ってくれる人の存在を感じられたらいいですね。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
ビジネス書評家の鹿田尚樹さんが、読書を通じて見つけた言葉に次のようなものがありました。
「100本の映画を観ることにより、10回繰り返して観る1本に出会う。そのために100本観る」
これは、10回繰り返して観るだけの価値のある「名作」を発見するためには、100本の映画を観るという、ある意味「無駄」とも思える行動をしなければならないことを教えてくれているのです。
私は、「そうそう、そうなんだよなぁ・・・」と思わずうなずいていました。
この言葉が当てはまるのは、映画に限りませんよね。
人生の多くのことに当てはまります。
例えば、「良書」に出会うことも全く同じ。
私自身、ちょっと興味を引いた本はかたっぱしから購入して、どんどん読むようにしているのですが、繰り返し読むほどの価値がある本にはめったに出会えません。むしろ、内容の薄い駄本によく出くわします。
結果論から言えば、私は、それほど読む価値のなかった本に無駄なお金と時間を使ったことになりますよね。でも、私は後悔したことはありません。
「良書」に巡り合うためには、そうした「意味のある無駄」が欠かせないことを経験を通じて自覚しているからです。
もちろん、だれがが読んでも「良書」と認めるものもありますよね。そんな本だけ誰かに教えてもらって読めばいいと思うかもしれません。
でも、読む人の年齢・性別、置かれた状況、性格、価値観などによって、本の評価は人によってずいぶん分かれます。
ある人にとっては「座右の書」となっているものが、別の人にとっては、眠れない夜のための「退屈な本」ということもあるわけです。
また、子供の頃は読んでもピンと来なかった本なのに、大人になった今になって再読してみたら、人生が変わるような示唆を得る
といったこともあります。
ですから、たとえ他の人がどんなに良い本だ、あるいは逆にくだらない本だと言っていたとしても、私は自分の目で判断することにしています。
自分にとっての良書は自分にしかわからないからです。
様々な分野の学習や、資格試験のための教科書、参考書選びも同様です。
過去の学習者、受験者の評価が高いかどうかを参考にするのは当然ながら、だれにとってもこれさえやればOKという決定本はありません。
「無駄遣いじゃないかな・・・」という気持ちにちゅうちょすることなく、目ぼしい教科書や参考書をどんどん購入して、実際にやってみるのです。
実際にやってみると、これが自分には一番しっくりくる、わかりやすいと認識できる、あなたにとっての良書に出会うことができるでしょう。
近年は、なにごとにつけ「効率」が重視されるため、上記のようなことは、「全くの無駄」だと考えてしまいがちの方が増えているかもしれません。
しかし、良いものと悪いものを見分ける力は、良いもの、悪いものの両方をたくさん自分で体験することを通じてのみ培われるのです。
効率を求めるのは、何を選ぶべきか、やるべきかがはっきりしてから!
それまでは大いに無駄を重ねるべきなのです。
意味のある無駄なんですから。
*鹿田尚樹さんのブログ
>> 【ビジネス書評】鹿田尚樹の「読むが価値!」【ビジネスブックミシュラン】
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