生きている実感と喜び、ワクワク、そして、自分の成長が実感できる「幸せなキャリア」を目指したいと思いませんか?
あなたの「キャリアデザイン」にきっと役立つ情報・ヒントを毎週お届けします。
※この記事は2007年5月31日に「キャリアでざいんBOX」で掲載されたものです。
こんにちは。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
キャリアの話でよく出てくる「自分探し」。
これってどういう意味なんでしょうか。深く考えたことありますか?
「自分探し」の本質的な意味は、「自分らしさ」、すなわち「自分の個性」がどんなものなのかを知り、理解することです。わざわざ、‘探しにいく’必要はありません。私たちは、生まれながら一人ひとりが異なる個性を持っています。元々自分の中にあるものですから、どこか別のところにあるかのように考えなくてもいい。今ここにいる自分自身を理解することが、「自分探し」です。
とはいえ、自分自身を理解するのは結構難しいことですよね。灯台下暗し。「自分がどんな人間か、よくわかってるよ」と確信を持って言える方は、意外に少ないんじゃないでしょうか。でも、働くことのひとつの意義は、仕事を通じた「自分らしさ」の発揮にあります。ですから、自分を理解することはとても大事なことなのです。
そこで、今回は「自分らしさの見つけ方」をお教えしたいと思います。
なお、「自分らしさの見つけ方」の‘見つけ方’とは、元々持っているけれども、埋もれてしまって気付かない自分の個性を掘り起こすというイメージです。
さて、「自分らしさの見つけ方」について大きなヒントを与えてくれる映画があります。
89年の映画、『いまを生きる』(原題:Dead Poets Society)です。
この映画は、厳格な全寮制高校に赴任したキーティング先生と生徒たちの交流を描いた話です。詩を教えるキーティング先生は、規律を重んじる学校らしからぬ、型破りの奇妙な授業をやって生徒たちを驚かせています。ある日の授業では、生徒たちを中庭に集め、まず3人の生徒を歩かせます。
そして、キーティング先生は次のようなことを言うのです。
“3人の生徒それぞれ、独自の歩き方やペースがあるのがわかるだろう。私たちは、他人と異なる歩き方をしたいと思うものだが、つい他人の歩き方に自分を合わせてしまいがちだ。同様に、自分の信念を貫き通すのは難しい。だが、自分に自信を持ち、たとえ他人に非難されようとばかにされようと、自分だけの歩み方を見つけるのだ。自分の信念に従って生きよ!”
ここで、キーティング先生は、いたずらに他者と同化することをせず、自分の個性を発揮して生きることの大切さを教えてくれているわけですね。実に印象的なシーンなのですが、私が別の視点で気付いたことがあります。それは、キーティング先生が、まず生徒たちに他人の歩き方を観察させた点です。自分の個性というものは、自分自身を見つめているだけではなかなか見えてこない。まず他人の歩き方を見ろ、ということを示唆しているのだと私は思ったのです。
「自分らしさの見つけ方」は、実は「他人らしさ」をまず観察することから始めるべきなんです。
あなたの同僚、上司、友人・知人、まったく知らない人でもいいんですが、周囲にいる人々の行動を注意深く眺めて見ましょう。人それぞれ独自の思考スタイル、行動スタイルを持っていますよね。一人として同じスタイルを持っている人はいないはずです。こうして、さまざまな人々の「他人らしさ」を見ていく中で、「自分らしさ」がだんだんとわかってきます。
たとえば、あなたとはまるで気が合わない人が何人かいるでしょう。おそらく、その人たちの個性に対して、あなたの個性は正反対のものでしょう。逆に、とても気が合う人がいたら、その人の個性とあなたの個性はとても近い、すなわち似ているんだと思います(言うまでもなく、どんなに似ていても、決して「同一」ではありませんよ)。
「自分らしさ」は、「他人」と比較することによって、理解しやすくなるのです。
最近出版された『イッセー尾形の人生コーチング』に書かれているのですが、イッセー尾形の演出を長年手がけている森田雄三氏は、「自分探し」は「他人探し」とおっしゃっています。「他人探し」とは、まさに他人の個性を理解することです。それが「自分探し」につながるのだということなのです。また、脳科学者の茂木健一郎氏も、「自分の個性を理解したければ、まず人に会いなさい」とおっしゃっています。
他人は、あなたの外側にたくさんいますよね。ですから、文字通り「他人探し」のために外に出かける必要があります。「自分らしさ」を見つけたかったら、家にこもって鏡の中の自分を見つめているだけではダメです。自分の殻を出て、さまざまな人たちに会いまくるのです。そうすればきっと、少しずつあなた自身がわかってきます。
※この記事は2007年5月24日に「キャリアでざいんBOX」で掲載されたものです。
こんにちは。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
英語に、
“White Lie”(ホワイト・ライ)
という表現があります。直訳すれば「白いうそ」となりますが、どういう意味かご存知ですか?
「ホワイト・ライ」の意味を具体的に説明すると、たとえば、あまり一緒にいたくない人から食事を誘われた時、予定は空いていても、「申し訳ないんですけど、先約が入ってまして」と言って断ることがありますよね。この場合、「あなたは好きじゃないのでお断りします」などと、ストレートに本音を言ってしまえば角が立ちます。誘ってきた相手が、会社の上司や同僚だったりするとその後、きまずい関係が続くことになりますよね。そこで、相手を傷つけないように、思いやりの気持ちでうそをつくのが「ホワイトライ」です。つまり、相手をだますための「黒い」(ブラックな)うそではなく、罪のないうそなので「白いうそ」と表現するわけです。
さて、キャリアづくりの上で有効なのも、実は「白いうそ」です。私は、もっと過激な表現である「白いはったり」と呼んでいます(いつもながらの、私の変な造語ですいません)。
「白いはったり」とは、自分の成長のための「はったり」(ちょっと無理な背伸び)のことです。
具体的には、自分がまだ未経験な仕事を「できますか」と言われた時に、勇気を持って「できます」と答えること。もちろん、引き受けたはいいものの、内心は焦りまくりでしょう。なにしろやったことがないんですから。でも、投げ出すわけにはいきませんよね。そこで、必死で仕事に取り組んでなんとか仕上げることができたなら、その時あなたは一歩成長しているのです。
今できることは、過去に身につけたことです。ですから、今できること以上の難しいこと、やったことのないことにチャレンジしないかぎり、さらなる成長、つまり能力向上はのぞめません。幸い、仕事上では次々と難題がやってきます。ここで、「やったことがないので、できません」と本音を出して逃げるのではなく、「できます」とはったりかませましょう。相手を陥れるための悪意を持ったはったりは、「黒いはったり」ですが、自分の成長のためのはったりは、まさに「白いはったり」と呼べるんじゃないでしょうか?
具体例をご紹介しましょう。
フラッシュアニメーション作家として知られる青池良輔氏は、若いころ映画監督にあこがれ、どうしても映画業界に入りたかったそうです。ある時、知り合いから「カナダ人の映画監督なら紹介できる」と言われた青池氏、「行きます。英語ばっちりです!」と答えました。こうして、22歳の時、カナダの映画製作会社に就職を果たすのですが、実は青池さんは英語はまったく話せませんでした。就職のために向かったカナダが初めての海外旅行だったほどです。
さらに、その会社で製作した映画のプレス試写会のチケットが刷り上ってこなくてみんなが慌てていた時、青池さんは、またまた大胆にも「僕、つくれるよ、明日の朝までにチケット250枚!」と言ってしまいました。やはり、パソコンもまったく触ったことのなかった青池さんでしたが、急いで24時間営業のコピー屋に行ってパソコンを借り、一晩でなんとかチケットを仕上げることに成功します。青池さんは、この「白いはったり」をきっかけにして、パソコンを使ったデザインの世界に足を踏み入れ、現在に至っているのです。
ここだけの話(笑)、私もまた、やったこともない仕事をさも経験があるかのように振る舞い、仕事を引き受けた後で、必死で勉強したり、人に聞いたりしてなんとか仕上げた経験が何度もあります。でも、そのおかげで、以前よりもより高度な能力を身につけることができたんだと思います。
あなたも、「白いはったり」をどんどんかませましょう!
ただし、「白いはったり」で引き受けた仕事を仕上げる途中では、周囲の人に多大な迷惑をかけることがあります。また、さまざまな人の助けが必要になることが多いです。ですから、こうした方々に対する感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。
また、現在の能力をはるかに超える仕事は、さすがに引き受けないこと。やはり、どうがんばっても無理だという、今のあなたにとっては難易度の高い仕事もありますから。もちろんその見極めは簡単ではありませんが、仕事の内容を聞いて「必死でやればなんとかできるかもしれない」と感じるレベルなら大丈夫でしょう。
*文中の青池良輔氏のエピソードは、『ディレクターズマガジン』2007年6・7月号(発行元:クリーク・アンド・リバー社)のインタビュー記事から引用しました。
※この記事は2007年5月17日に「キャリアでざいんBOX」で掲載されたものです。
こんにちは。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
前回、「マルチな自分」というタイトルでブログを書きましたが、今回も同じ「自分」つながりで、「もう一人の自分」というお話をしたいと思います。
「もう一人の自分」というのは、自分を「客観視できるようになること」を意味しています。
たとえば、仕事でとんでもないミスをしてしまった。お客さんが怒っている。上司も怒っている。一刻も事態を収拾しなければならないのに、頭に血が上ってしまって何をしていいかわからず呆然として何も手がつかない。泣きたくなるような気持ち。
あなたにはこんな経験ありますか?私にはあります。こんな状態を「自分を見失っている」と言いますよね。「自分を見失っている」というのは、どいういうことでしょうか?それは、しまった、どうしようといった「焦り」や「後悔」の感情に支配されて、冷静な判断ができなくなっているという状態です。
でも、ちょっとしたきっかけで、「自分を取り戻すこと」ができる場合があります。「自分を取り戻す」というのは、一歩引いた状態で全体を俯瞰し、客観的に自分や周りの状況を見つめることができるようになった状態です。
こうして自分を取り戻した時って、私には、まるで「もう一人の自分」が、元々の自分の1メートルほど上方にいて、私を見おろしているような感じです。周囲や自分の感情に振り回されている自分を突き放して冷静に見ているもう一人の自分。彼は、「おいおい、何焦ってんだい。できることをやるしかないだろ」とか、「起きてしまったことを後悔しても何も換わらないよね。今から何をすべきか考えようよ」などと、落ち着いた声でアドバイスしてくれるとてもありがたい存在です。
今年、アメリカ大リーグに挑戦した元巨人のピッチャー、桑田真澄選手は、ピンチに強い安定したピッチングに定評がありましたが、彼もまた「もう一人の自分」を意識していると聞いたことがあります。桑田選手は、残念ながら予期せぬケガによって今年の開幕メジャー入りの夢は消えました。相当に落胆していることと思います。しかし、だからといって自暴自棄になったりすることはないでしょう。おそらく、桑田選手の中の「もう一人の自分」が、つらい気持ちに押し流されそうになることをくい止めてくれているからです。
さて、あなたには、「もう一人の自分」はいますか?いなければ、「もう一人の自分」を意識的に作り出しちゃいましょう!
仕事にしろプライベートにしろ、大変な状況に放り込まれて茫然自失になることって時々ありますよね。たとえば、結婚式でスピーチを頼まれてしまった。話す内容をしっかり練ったはずなのに、マイクを前にしたら、頭が真っ白になった。あるいは、資格試験に臨んだら、ヤマが外れて違うところが出ていた。どちらも、脂汗がタラーリ。気ばかりが焦ってしまいますよね。
そんな時に、パッと自分の上方にもう一人の自分がいて、高いところから俯瞰しているという意識を持つようにするんです。「あ、オレ(ワタシ)、上がってるな、焦ってるな」と自分を客観視できるだけで、すっと楽になるものです。
もちろん、「もう一人の自分」を持つことはそう簡単にはできるようになりませんが、自分を見失っている状態をできるだけすばやく解消し、自分を取り戻すことができるようになれば、ストレスに強くなれます。厳しい状況でも落ち着いて行動できるようになるので、周囲の信頼も高まりますよ。
なお、私は、わかりやすさのために「もう一人の自分」という喩えを用いましたが、自分の思考・感情や行動を自分で客観視することを心理学の専門用語では「メタ認知」と言います。興味のある方は、検索エンジンなどで調べてみたらいかがでしょう。
ついでながら、自分で自分を客観視するのはやはり難しい。そこで、「もう一人の自分」的な役割をやってくれる第三者の助けを借りることがあります。それが、いわゆる「コーチ」です。誰よりもゴルフについては知っているはずのタイガーウッズでさえコーチを雇うのは、テクニックを学ぶためではないですね。客観的に自分のフォームを見てもらうため。本当の意味での「客観的な視点」で自分を観察してもらっているわけです。そして、最近流行の「コーチング」は、スポーツ選手だけじゃなく、広く一般のビジネスパーソン等を対象として、「コーチ」の役割をやってくれるサービスです(私も、ビジネスパーソン[主にエグゼクティブ]向けに、プロコーチの仕事を少しだけしています)。
※この記事は2007年5月10日に「キャリアでざいんBOX」で掲載されたものです。
こんにちは。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
先日のゴールデンウィークは、どのように過ごされましたか?
休日であちこちに旅行された方もいらっしゃるでしょうね。車で出かけて渋滞に難儀された方、お疲れ様でした。(笑)ほんとは休みたかったけれど、忙しくて結構仕事をやったよ、という方もお疲れ様でした。私もそうでしたが・・・(苦笑)また、ゴールデンウィークは書き入れ時の流通・サービス業等で多忙な毎日を送られた皆様、本当にお疲れ様でした。
さて、今週は、「厳しい現実」に負けないためのヒントの第2弾、「マルチな自分」になるということについてお話します。
「世間の荒波にもまれる」という言い方がありますよね。実際、世の中って厳しいです。自分の思い通りにならないことが多いし、どう考えても納得できない不条理な目にもしょっちゅう合います。
「世の中そんなものだ、ある程度受け入れるしかない」と、いい意味での「あきらめ」(私は、「健全な諦念感」と呼んでいます)ができればいいですが、どうにも我慢ができず、ひどく落ち込んでしまうことがあります。
こんな時に、前回話した「心の支え」が大きな力になってくれますが、もっとぼろぼろになってしまって「心の支え」さえもあまり効かない時にはどうしたらいいのでしょうか?
ひとつはとことん休むことですね。傷ついた心身をそっとしておいてあげる。その意味で、ゴールデンウィークのように連休を取れる機会は大変ありがたいですね。ただ、、ゴールデンウィークであろうがなかろうが、大きな精神的・肉体的なショックを受け、仕事や日常生活に支障が出ているようであれば、思い切って長い休みを取りじっくりと癒すことが必要な場合があると思います。
骨折のような身体的なけがや、自分でもはっきりと痛みを感じるような内臓の病気の場合は、入院といった形で長期に仕事を離れることが比較的容易にできますが、慢性的な疲労感や、意欲の低下といった症状はある程度我慢したり、やり過ごしたりできるので、ついつい無理をしてしまいがち。
ただ、どんなに柔軟性のあるゴムも伸びきってしまったら、いつかプチンと切れる時がきます。いったん切れてしまうと、元通りにつなぐことがなかなかできなくなるので、切れる前に緩めてあげなければなりません。特に、完ぺき主義の頑張り屋さんは無理をしがちなので、自分で、「自分のゴムが伸びきっていないかな」と意識してほしいですし、また、周囲が気遣ってあげてほしいと思います。
さてこの「休む」というのは、厳しい現実に直面して落ち込んでしまった場合の、いわば「治療的」な対応ですが、もうひとつ私が推奨したいのは、「予防的」な対応です。それが、冒頭に書いた「マルチな自分」になるということです。
私たちは、本来、他人や社会との関係でさまざまな役割を持っているわけです。もちろん、社会人の皆さんの場合、「働く人」というのがその中でも最も大きな役割ですが、それ以外に、自分の家族との関係では「夫」、「妻」、子供がいれば「親」、あるいは自分の親との関係では「子供」という役割を持っています。
また、プライベートの時間に、草サッカー、草野球での選手、あるいは監督という立場で関わっている方、その他さまざま趣味の集まりでなんらかの役割を果たしている人もいます。
そして、私が言う「マルチな自分」というのは、これらの役割の中でいくつか「自分の居場所」を確保しておくということです。なお、ここで、自分の居場所というのは、「今の、ありのままの自分」を受け入れてくれる場所という意味です。
家族や親との関係の中で、「自分の居場所」を確保できればいいですが、その身内での問題が起きてしまうとだめですよね。ですから、できれば利害関係のない趣味の集まりや、ボランティアなどのような社会貢献活動に普段から時間を見つけて関わっておく。もちろん、「自分の居場所」を確保するためには、相応の時間を投入する必要があることは言うまでもありません。
こうした、仕事以外の居場所は、厳しい現実に翻弄されている時のいい「雨宿り場所」になります。そして、たとえば「失業」といった最悪の事態を迎えたとしても、仕事以外の役割を果たしている自分が自覚できれば、必要以上に落ち込むことがありません。ぼろぼろの自分をやさしく受け入れてくれる場所があると考えることができるからです。これは、身内で発生するさまざまな問題の場合も同じ効果を発揮します。
つまり、「自分の居場所」としての役割を複数持っていれば、どれかひとつやふたつが傷つきまた最悪壊れてしまっても、別の役割がまだ残っていますから、あなたの自我は守られる。一方、厳しい現実に負けてしまい、再起困難に近い状態にまで行く人に見られる共通点は、多くの場合、仕事にしか自分の居場所を見つけていないことだと思います。
仕事にかまけて、他の役割を一切ないがしろにしてしまう。仕事がうまくいっている時はいいのですが、いったん仕事がうまくいかなくなると、それまで、ほぼ「仕事=自我」で来てたわけですから、自我が完全に破壊してしまう危機を招きかねないのです。ですから、普段から仕事以外の活動(最優先は家族としたいところ)に関わり、マルチな役割を持つ自分になっておくことを皆さんにお勧めします。
なお、この「マルチな自分」になる、すなわち他人とのかかわりにおいて複数の役割を持ち、複数の居場所を確保しておくことの重要性は、ある社会心理学の実験でも実証されていることです。たとえば仕事の役割だけしか果たしていない人と、それ以外のさまざまな活動になんらかの役割で並行して取り組んでいる人を比較した時、複数の役割を持つ人の方が社会的なストレスや問題に対して精神的に強いらしいのです。
「いやあ、そう言われても、現実問題として、仕事がめちゃくちゃ忙しくて他の役割を果たしている暇がないよ」と感じる方もいらっしゃるでしょうね。しかし、そう感じる時点ですでにやばいです。「仕事=自我」の状態になりかけています。
あなたの人生の主役は、あなた自身です。仕事を含めた人生全体の生き方についてしっかりと手綱を引いてほしいと思います。たとえば、仕事に振り回されるのではなく、仕事を振り回すにはどうしたらいいかという発想の転換をしてみてはいかがでしょう?
※この記事は2007年5月3日に「キャリアでざいんBOX」で掲載されたものです。
こんにちは。
キャリア・アドバイザーの松尾順です。
今週と来週は、「厳しい現実」に負けないためのヒントを書きたいと思っています。
まず今週は、「心の支え」を持つということです。
・仕事でミスして上司から怒られた。
・友人や、妻、夫、パートナーと意見が合わず、喧嘩してしまった。
・会社が倒産して、働き先を失ってしまった。
・新しい会社になじめない・・・
いきなり、不愉快な出来事ばかりを羅列してしまってすいません!
生きてるといろんなことがありますね。良いことばかりだったらありがたいんですが、上記のような様々な仕事や人間関係上のトラブルがしばしば起こってしまうのが「厳しい現実」です。
できれば、こうした「ネガティブな出来事」をありのままの「事実」として受け止め、感情にまで持ち込まないのがベターなんです。
落ち込んだり、自信を失ったり、いらいらしてしまったり、くよくよ悩んだり・・・「ネガティブな出来事」に対して、「ネガティブな感情」を抱いても何も解決しません。
ただ、
“くよくよしても何も変わらない。だから、つらくても目の前の現実を冷静に見つめ、問題はどうやったら解決するのかを考えて、行動に移そう!”
と、第三者的としてアドバイスするのは簡単ですが、人間はそうそう強くはないわけです。私自身、つらい現実に遭遇してうじうじ悩んだり、やる気をなくしたりがしょっちゅうです。
ですから、私は、一時的に落ち込んだり、悩むことを決して否定しません。そんなどん底の気分を味わうのも、大切な人生の一部なんですから。
とはいえ、いつまでもネガティブな感情を引きずっていては、幸せな人生、幸せなキャリアは実現しませんよね。いつかは涙を拭き、毅然として立ち上がり、顔を前に向けて「ようし、やるぞ」と復活の雄叫び(笑)を上げて歩き始めなければなりません。
さて、冒頭に羅列したようなネガティブな出来事のせいであなたがどん底の状態にいる時、何か「心の支え」になるものがあれば、必要以上に落ちこむことはなく、また復活までの時間を短くすることができます。
ですから、普段から「心の支え」を持つように心がけておくことが、不測の事態に備える最善の策となるといえます。では、具体的には、「心の支え」にはどんなものがあるのでしょうか。
ひとつは、「ありのままのあなたを受け入れてくれる人」。
こうした人になりえる最有力候補者は、肉親や配偶者のはずですよね。でも、現実にはたとえ血を分けた肉親でも、ありのままのあなたを受け入れてくれるとは限りませんし、あなたの妻、夫もまた、あなたに対して不平不満を持っていたりすることが多い。(あなたが相手に対してそう感じているように・・・笑)
「ありのままのあなたを受け入れてくれる人」はなかなか見つからないがやはり厳しい現実なのです。
そこで、「ペット」の登場。
犬や猫などのペットとは言葉での会話はできませんが、気持ちを通じあわせることはできる。あなたが愛情を注げば、ペットもあなたに最大限の愛情を示してくれます。
ペットはあなたのすさんだ心を癒してくれるだけでなく、心の支えにもなってくれるでしょう。
でも、ペットが飼えない部屋に住んでいたりするとだめですし、もし飼えたとしても、寿命が尽きたら死んでしまう・・・。愛したペットの死はとても悲しく、落ちこまざるを得ない出来事になってしまうのが難点です。
また、「お守り」を持つという方法もあります。
ここでの「お守り」というのは、宗教的なものでも、宗教とは関係のないものでもいい。常に持ち歩くことができて、自分の体の一部のような感覚を持てる何か。大切な人からもらったネックレスとか、観光地で買ったキーホルダーのようなものでもOK。どんな時でも、常にそこにある、変わらないである、というのが、強い「心の支え」になってくれるのです。
しかし、こうした「お守り」も、うっかりなくしてしまったらおしまいですね・・・
そこで、私が最もお勧めする「心の支え」をお教えしましょう。それは、自分の内側に持つものです。
上記にご紹介した心の支えは、すべて自分の外側にあるものでした。ですから、自分の思い通りには手に入らなかったり、なくしてしまうことがある。でも自分の内側に持っていればなくしてしまうことはありません。
さて、自分の内側に持つ「心の支え」ですが、実はとても単純なことです。
すなわち、「自分の成長が感じられることを継続する」ということです。
たとえば、朝のジョギング、あるいは語学の勉強。なんでもいいのですが、できれば毎日、短い時間でいいので、ちょっと努力が必要なことを続ける。そうすると、自分でも予想しなかった水準まで自分の能力が伸長していくことを実感できます。
そして、
「自分にだって、ここまでできるようになれるものがあるんだ」
という、実績に基づく、揺るがない自信が生まれてきます。
これこそが、逆境にあってあなたを救ってくれる「心の支え」になるのです。
精神的にタフな人は、若いころにスポーツなどで限界に近い努力を重ねてきた人が結構多いと思うのですが、それは、「あの時にあそこまでできた自分」が心の支えになっているようです。
あなたに、こうした過去の「原体験」がなくても大丈夫。たった今から自分の関心の持てる何かを始めてずっと続けていけばいい。続ける中で感じる自分自身のわずかずつの成長こそが、最大の「心の支え」になるんですよ。
ちなみに、私の場合、20歳くらいのときから続けている英語の勉強が「心の支え」になっています。
今は、NHKラジオの英語講座を1日30分ほど聞いているだけです。また、普段の仕事で英語が活用できる機会はそれほど多くありません。それでも、コツコツ続けてると、私だってそれなりに上達できるんだという自信、そしてそれ以上に、「20年以上にわたって続けていること」自体が、落ち込んだ時にも、「なんとかなるだろう」と気分を切り替えることに多いに役立っています。
えっ、飽きっぽくって、何事も続かない?
それは、まだあなたが心底のめり込めるものを見つけていないからかもしれませんね。途中で止めてしまうことがあってもいいので、いろいろなことにチャレンジしてみましょうよ。そのうちきっと、「ずっと続けたい」と思えるものに出会えます。
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