思いの強さ[2008年07月31日(木) ]

キャリア・アドバイザーの松尾順です。


三重県内の高校を卒業後、家出同然で東京にやってきた中村文昭さんは、極貧生活の中、アルバイト先の焼き鳥屋で生涯の師匠となる田端俊久さんに出会いました。

当時、田端さんは軽トラック3台で八百屋の行商をやっており、中村さんは、田端さんの5人目の弟子となって行商の仕事を一緒にやることになります。


以来、中村さんは、田端さんから日々鍛えられるのですが、それは、社会人として最も重要な「人間力」を高めるための愛のある厳しい教育でした。

とりわけ、あらゆる場面で繰り返し問われたのが、前回ご紹介したように

「なんのために・・・?」

という言葉だったわけです。



実は、田端さんは学生時代に興した事業で一度大成功を収めたことがありました。

当時は、高級ブランドを身に着け、高級外車を乗り回し、銀座で豪遊する毎日。しかし、奢れるものは久しからず。あっという間に没落!

八百屋の行商は、多大な借金を背負っての再起の第一歩だったのです。


それでも、田端さんの語る将来の夢は大きく、

‘なんのために八百屋をやっているのか’

が極めて明確でした。

中村さんは、そうした田端さんの人としてのスケールの大きさに惚れ込んだからこそ弟子入りしたのだそうです。



さて、田端さんが、事業で失敗した後の失意の日々から再び立ち直るきっかけとなったことがあります。

それは、父親の死でした。

まさにどん底に落ちて鬱々としていた時期、田端さんは、熊本の実家から父親が亡くなったことを知らされます。

田端さんは、事業で手にしたものをすべて失ったばかりなのにさらに父まで失うとは・・・とさらに落ち込んで帰郷したそうです。


ところが、実家で行われた父親の葬儀に立ち会った田端さんは、全国から駆けつけてきた3千人もの弔問客に驚きます。

田舎町の無名の人間の葬式にこれだけの人々が集まり、父親の死を悲しんで大泣きしていたのです。

そして、田端さんに出会うと、皆、

「あなたが息子さんですか、
 あなたのお父さんは本当にすばらしい方でした」

「あなたのお父さんのおかげで、今の私があるのです」


と口々に言ってくれたのだそうです。

田端さんは、父を失った悲しみ以上に、3千人もの人が別れを悲しみ、熊本での葬儀にわざわざ来てもらえる父親を誇らしく思ったそうです。



田端さんの父親は教師で、弔問客のほとんどは教え子たちでした。

父親は、子どもの頃から教師になりたいと願っていました。ただ、当時の日本ではほとんどの子どもが中卒で就職している時代です。

田畑さんの父親は、夜は工場で働きながら自分で学費を稼いで高校に通いました。

教師になるためには大学にも行かなければなりません。しかし、そのままでは学費がどうしても足りません。教師の道をあきらめなければならない。


そこで、父親は究極の行動に出ます。

アルバイト先の工場の機械に左手を突っ込んだのです。

仕事でケガをすれば労災が受けられる、また身障者になれば給付金がもらえる、そうして得たお金を大学の学費にあてるため、自ら片腕を犠牲にしたのです。

片腕を失ってまで目指した教師の仕事ですから、田畑さんの父親にとって、

「なんのために教師をやるのか」

ということは極めて明確でしたし、教師の仕事に深い思いと情熱を持って生徒たちの指導に当たったに違いありません。

このことは、父親の死を惜しんで参集した大勢の元教え子たちの言葉が物語っていました。



田端さんは、お金ではない、もっと大切な何かを社会に残すことの大切さを父親の死から学んだのです。

田端さんが八百屋の行商を始めた時、目先の目的は当然ながら金を稼ぎ、借金を返済することではありました。

しかし、その先、稼いだお金を自己満足のために散財するのではなく、社会的に意味のあることに使うことを決意していた田端さんにとって、もはや迷いはなかったのです。