2018.05.25 03:56

 Z会進学教室の授業は毎回カリキュラムが決まっていて、基本的にはどのクラスでも同じことをやります。振替制度というのがあり、たとえば日曜日のクラスに用事で出られなかった生徒が平日のクラスに出てくることがあります。まったく別のことをやっていました・・・ではちょっと困ってしまうので、同じ週はどのクラスも同内容の授業を実施することになっています。
 ただときどき私は、少しだけ別のことを取り入れてみることがあります。時間に余裕があるときですね。
 
 先日は新中1のクラスで、いままでで読んだ中でいちばん面白かった本を1冊だけ書いてくださいというアンケートをとりました。2冊書いたらだめですか? という質問も出たのですが(おそらく1冊にしぼりきれないのでしょう)、今回だけは1冊にしてほしいとお願いしました。面白くてみんなに薦めたい本を1冊だけ紹介してくれよと。
 無記名にしましたよ。そのほうが自由に書けるでしょう。真面目ぶらなくてもいいということです。
 
 その日は自分のクラスでは22名の生徒が参加してくれていました。前の週に「来週アンケートをとるからね」とは伝えてあったのです。いきなりでは思いつかないかもしれない。1週間考えておいてということです。
 複数名が書いてくださった本があった。まったくの偶然です。「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」「怪人二十面相」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」この3つはそれぞれ2名の方があげていました。
 
 中にはすごい本もあった。外山滋比古先生の「思考の整理学」と書いた生徒がいる。大学生が読む本ですね。東大生に強く支持されています。まだ中学に入ったばかりですから、おそらく小学生のときに読んだのでしょう。近藤誠先生の「医者に殺されない47の心得」をあげた子もいました。医学に興味があるということなのでしょうね。「三国志」と書いて横に1から5までありますと書いてくれた生徒もいます。わざわざ付記してあるのは、ぜんぶ読みましたという意味でしょう。小学生のときから読んでいないと読みきれないですね。
 私は何か教訓めいたことを書きたいわけではないのですよ。
 
 ただこういう小学生中学1年生が実在するのは事実です。かたや「何年もまともな本なんか読んだことないや」という生徒もいます。そこに大きな差が出てくるのは歴然で、読解力という意味では何も読まないままであればどこでどのようなテキストで習っても外山滋比古先生の書籍をいちばん面白かったと考えている同級生にはなかなかかなわないでしょう。それだけの思想、概念、語彙などが備わっていないからです。
 読書というのはやはり文化であり、国語の読解力は何を勉強するか以上にどういう文化圏に属しているかで決まってしまうところがあるのです。
 
 たった1冊でマンガ以外ということであれば・・・私ならおそらくジュール・ベルヌの「彗星飛行」をあげると思います。瞬間最大風速的にはいちばん面白かったですね。この時間(夜明け前)にこんなことを書いている人間にとっては最高でしたよ。
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2018.05.23 01:38

 来月、ちょっと遠出をしてある方と会う予定になっていたのですが、先方の深刻な体調不良で中止になってしまいました。心配です。まあ、それとは関係なくせっかく連休がとれたので1人でどこかに行ってこようかなとも思っています。
 旅というのは変なもので、1回計画をたてると中止にはしたくないものですね。当初の予定とは違ってもとにかく東京から出たくなる。私なんか旅先でひたすら飲んでいるだけで観光も何もしないのですが、それでも行きたくなるから不思議です。
 
 ただあまり土地鑑のないところには行きたくない。本当は金沢だとか弘前だとか、昔1回だけ訪れた場所を再訪してみたいのですが、1人で1泊2日で行くところではないだろうという気持ちがあります。交通の便のことを考えると、やはり東海道山陽新幹線に乗ることになりますかね。
 ゴールデンウイーク中に豊橋に行ったという話を書きました。さすがに連続して豊橋には行かないですね。東海道山陽新幹線沿線では熱海、静岡、浜松、豊橋、名古屋に泊まったことがあります。
 
 その先ですと京都や大阪、神戸、姫路にも泊まりました。
 以前もこの話は書いたかもしれません。私の本籍地は姫路市なので、その本籍地の住所跡というのを確認するためだけに姫路に行ったときがありました。しかも1度目のときはうまく発見できず、2度目でやっとーーだいたいのところがーーわかりました。壁があっただけでしたよ。
 そんなところに本籍を置いておくのはちょっと面倒なのですが、何か先祖(?)がそう言っていたとかという話で、私の代はこのままにしておくつもりです。
 
 本籍地の住所跡を見に行ったとき感じたのですが、関西人は確かにバス停に並ばないですね。私はいちおう始発の姫路駅で並んでいるつもりだったのです。ところが両サイドからわーっと人が殺到してきて、あっという間に席がなくなってしまいました。ああ、こういうことなのか・・・と噂で聞いていたので腹をたてたりはしませんでした。
 知らないホテルに泊まるのはちょっとリスクがあるからなあ。またわかりきったところに行ってしまいそうですよ。
 
 
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2018.05.22 04:35

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   犬がいたずらばかりして困りますよ。いろいろと考えているということがわかってきました。
 やたらとスリッパをくわえていきます。で、メチャクチャに噛んでだめにしてしまう。こちらも注意しているのですが、さっと取っていってしまうのでなかなか難しい。自分の部屋(?)に持っていってがりがり噛んでいます。とりあげようとすると低く「うー!」とうなる。それでもむりにとろうとするとわっと威嚇する真似をします。
 
 さらに面白いのがこっちがあきらめて怒らなくなったときです。まあ、スリッパの1つぐらい仕方がないとこちらがあきらめる。こらっ! とか返しなさい! とか声をかけなくなる。好きにしなよと。
 するとつまらないらしいのです。怒られながら噛むのが楽しいらしく、もう1度のこのことやってきてスリッパをくわえている姿を見せるのです。悪いことをしているぞと見せに来るということですね。
 
 近くに来ればやっぱりこちらは「こらっ!」となります。すると狂喜乱舞してまた向こうの部屋にスリッパをくわえて逃げていく。どうもそういう遊びだと錯覚している傾向があります。
 他にもいろいろ変化がありました。私が「お座り」と命令するとどうしてだか逃げていくようになりました。椅子の下にさっと逃げていって白目を出してこちらをじーっと見ている。意地悪をしたことは1度もないのですよ。おやつを片手に「お座り」と言ったらあるときから逃げていくようになりました。
 
 何か勘違いがあるのはわかりますが、むりをするのはよくないので時期が来るまで放っておこうと思います。そのうち誤解もとけるでしょう。
 昔からそうなのですが、喜怒哀楽をあまり出しません。ただうれしいと耳が寝る傾向がある。それでクールにしていても本当は喜んでいるということがわかってしまう。私が帰ってくると耳が寝ます。まあ、出会ってよかったな。そういうことだと思いますよ。
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2018.05.20 01:21

 妙な事件が起きるとよく「あの人がまさかこんなことをするとは思わなかった」という反応が出てきます。日ごろの人づきあいもきちんとしていたし、仕事(勉強)もズル休みしたりせず真面目にこなしていた。それがこんなとんでもない事件を起こすなんて・・・という話はしょっちゅう聞きますね。
 この場合、事件を起こした本人も「まさか自分が」という気持ちを持っていたりするものです。いわゆる「魔がさす」という心境ですね。そういうことがどうして起きるのか。
 
 日ごろからきちんと自分自身に向き合っていれば避けられたはずなのですよ。ところがあまりにも厳しくしつけられてきたりすると善悪の二項対立にいつも単純化させて、他者に正しい自分だけを見せようとします。正しい自分を「装う」だけであればきわめて簡単です。そのために本当の自分は徹底的に隠す。いいところだけを見せる。
 ところが、隠しているうちにご自身でも見失ってしまう。何かしら邪悪な影を感じると「これは自分ではないな」と考えよう考えようとする。
 
 残念ながらそうではないのです。それもまたご自身の一部ですよ。善だけということはない。悪だけということももちろんない。それがないまぜになって人間が形成されています。ですからいちばんいいのは、自分は善だけではないということに気づいている状態ですね。自分を油断なく見ているかどうか。
 本当はガイドできる人間が周囲にいると助かります。誰かが何か問題を起こす。「お前は最低だ!」とただ弾劾するのではなく、なぜそんなことをしたのかね? と本人に考えさせるガイドですね。
 
 自分がした行為についてーー子どものときの小さないたずらからはじまりますーー相手に考えさせる。たとえば、なぜお金を払わずに持ってきてしまったのか? なぜ見てはいけないところをのぞこうとしたのか? なぜ弱い者いじめが楽しかったのか? ご本人に考えさせる。
 だめだとか最低だとかというセリフは、内省的な何かとしてご本人がしみじみご自身に言い聞かせるべきもので、頭ごなしに怒鳴りつけて終わりでは内側に芽生えるべき貴重なものが芽生えずに終わってしまいます。
 
 まず気づかせる、自覚させるということは非常に大切なことだと思います。
 私自身、たとえば小学生のころ嬉々としてお金を払わずに商品を持ってきてしまった経験があります。高校生のときは北海道の温泉地で知り合った悪い男子大学生数人に誘われて女湯をのぞこうとして全員岩場から転がり落ちて失敗したことがあります。そういう愚かな過去は私自身が覚えている。油断したら再びあちら側に転落しないとも限らない。まさかこの私がどころか、私だからにやりかねないという恐れがあるのです。だからこそ逆に絶対にそちらには近づきません。
 
 やたらと断罪するだけでなく、とにかくご本人に考えさせてください。そのあたりが鍵になってくるはずです。
 
 
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2018.05.19 06:18

 勉強というのはりっぱな文化ですね。やりようによってはそれなりに面白いはずですよ。ただテストがどうのこうのと点数のことばかり気にしているとあまり面白く感じられないでしょう。心がけとしては、何か面白いことがないだろうか・・・という前向きな姿勢が大事です。
 文化が成熟していくためには「楽しみ」がないといけない。楽しいことしか上達しないものです。これは勉強に限らないと思います。
 
 ですから、私個人は塾もそれなりに楽しくないといけないと思っています。げらげら笑うような楽しさでなくても、とにかく塾のある日はそれなりに充実しているという感想を持ってもらいたい。
 授業が終わって何となく教室に残っている生徒がいます。勉強をしているわけではない。ただ走り回ったりゲームをやったりしているわけでもない。友だちと学校の出来事なんかを話している。うちの学校でこれこれこんなことがあったよと夢中で喋っている。
 
 そういうときに「自習しないのならすぐに帰りなさい」ではつまらないのであって、10分15分ぐらいはそういう会話ができる余裕を与えてやったほうがいいのです。勉強をしていない瞬間はすべてむだだというような考え方はうまくいかないものです。勉強の前後に何かしら心の余裕があったほうが、間違いなく成績も上がっていく。
 塾でのくつろぎというのはまた学校とは違うもので、その中に何かしら自分もしっかりしなければというものが出てきます。
 
 「そんな難しい本、面白いの?」みたいな会話が聞こえてくるときもあります。教科の勉強とは全然関係ないものの、難しい本(何の本だか確認していないのでわかりません)を読んでいる同学年の子がいたという認識を持つだけで勉強になるでしょう。
 最近も中1のテストにいま話題の「君たちはどう生きるか」が出ていました。問いの解説なんかをしてもつまらないので、大事そうなところには線を引いてもらってただ文章を読みました。そういう文化的な後方応援がじつはいちばん大切なのです。
 
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2018.05.18 00:46

 有名なエピソードなので、ご存知の方も多いでしょう。昔、アメリカの原住民が白人と自分たちの違いを聞かれてこう答えたそうです。この答は多くの人間の予想を裏切るものでした。まさか、そんなことをいちばんの違いに考えているとは思わなかった。
 彼らは何と答えたか。
 白人は花を折るけれども自分たちは花を折らない、と答えたそうです。回答そのものが大きな暗喩になっているような気がします。少なくともある種の人間には示唆を与えるでしょう。
 
 私自身もそうありたいという気持ちを強く持っています。現代の平均的日本人と自分はどう違うのか。意志的に花を折らないということです。
 くわしくはわからないのですが、スポーツの世界で変な事件が起きたみたいですね。監督が選手に反則行為を命じた可能性もあるらしい。選手は素直に従って大きな事件に発展した。どういう方向に展開していくのかわかりませんが、監督はもちろん反則行為に実際手を染めてしまった選手もちょっと難しいことになってくるのかもしれません。
 
 政治の世界でもりっぱな立場の方たちが次々と不自然な答弁をしたということが話題になっています。忖度という言葉が流行(?)しましたが、もっともっと露骨な何かでしょう。圧力が働いて良識みたいなものが発動しにくい状況になっている。個々人が悪人であるというのとはちょっと違った何かだという気がします。
 変な話題になってしまいますが、第2次世界大戦で残虐な行為を働いた集団の幹部の人間の精神面を戦後くわしく調べたら、どなたもきわめてまともで常識的な人間だったという結果が出たという記事を読んだことがあります。
 
 きわめて常識的な人間が集まってあたりまえのように残虐な行為に走ってしまったというあたりに人間の本質的な弱点があると感じます。いわゆる悪い人が悪いことをするとは限らないということです。
 それにしても、花を折らないことの高潔さについて私たちはほとんど教育されていないように思います。生き方の美学ですね。折らなかったらどれぐらい得するの? みたいな即物的な視点があまりにも強い。精神世界の進化を目指そうという意気込みを持つ人間がいても「あぶない」とか「あやしい」とか揶揄されて終わりになってしまいます。
 
 私は若いころ、花を折っていた時期が長く続いていたかもしれません。しかし現在は花を折りませんし、今後も折らないで生きていく覚悟ができています。花を折らないことの価値をーー強制するのではなくーー少しずつ伝えていきたいとも考えています。自分ができる範囲でやらないでどうするという気持ちがあるのですよ。
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2018.05.17 04:07

 先日ある居酒屋さんについて記事(「夢だったような」というタイトルでした)を書いたところ、何人かの方から「あれはどこですか?」というお問い合わせをいただきました。赤羽ですか? 北千住ですか? 
 申し訳ない。東京ではないのです。愛知県の豊橋市にあるFという居酒屋さんです。駅から歩いて20分はかかる。つまりゴールデンウイークのときに1泊だけ東京を離れていたということです。
 
 豊橋市というところは(今回はあえて行きませんでしたが)先祖のお墓があります。あまり活気がない。25年ぐらい昔はもっともっとにぎわっていた気もするのですが、いまは当時ほど勢いがないように思います。
 有名な「豊橋カレーうどん」など街おこし的なことはいろいろやっているみたいですが、地方都市は難しいのでしょうね。
 今年は生まれてはじめてお城にも行ってみました。私はそういうものに興味がないのです。しかし、今回は行ってみた。
 
 路面電車に乗って行く。うーん、とくに感動はありませんでした。
 ホテルはいくつかいいホテルがあります。それこそ前世紀まで駅周辺の宿泊施設は若干ショボかった。いわゆるシティホテルみたいなのができはじめたのが20年ぐらい昔です。
 私が子どものころ、豊橋には丸物デパートというのがありました。池袋にも東京店があった。いまはなくなってしまいましたね。丸物デパートの跡地は西武デパートになったのですが、それも撤退してしまいそこにオシャレなホテルができています。
 
 駅とつながっているホテルにもときどき泊まります。表玄関ではない側は昔は「駅裏」と呼ばれていて、あまり雰囲気がよくなかったそうです。そこにいま若い方たちが進出してきて、ちょっと面白い一角になっています。赤羽の「一番街」みたいな感じですね。新しいお店が次々できています。
 ただそこまで流れていく体力というか精神力が私自身になくなっている。今回もそれこそFと立ち飲みA(ここについては何度も書きました)だけで、十分満足というか疲れてしまいました。
 
 当分豊橋市には行かないと思います。大学生のころ、妹と2人だけで帰ってきたときがあった。法事関係で、母親は向こうに残ったのではなかったか。新幹線で帰ってくるときに窓から家具屋さんの大きな広告塔が見えました。テレビでもコマーシャルをやっていた家具屋さんだったのですが、そのCMが静止画のバックに音楽が流れているだけのきわめて単調なものでした。その音楽がーー場違いというか何というかーースピナーズの「フィアデルフィアより愛をこめて」のオーケストラ版(?)だった。そういうちぐはぐさはいい思い出になりますね。
 
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2018.05.15 08:42

 先日、ある生徒(高校生)から汚職事件という書き取りでお食事券と書いてしまったという話を聞かされました。短文の内容が曖昧だったのですね。汚職事件で・・・とも読めるし、お食事券で・・・とも読める。細かいことは忘れてしまいましたが、たとえば「オショクジケンで大騒ぎになった」みたいな文章であれば間違う可能性がありますね。
 こういうところが日本語は難しいですね。とくに同訓異義語、同音異義語というやつが難しい。
 
 小学校低学年のころ、学校で「那須」に行ったことがありました。2泊だったかな。はじめて親元を離れるということで、心細くて仕方がない。私は母に「那須でご飯作ってくれる?」と訊いた。
 母親はナスなんかでご飯は作れないと答えました。もうおわかりになったと思うのですが、母は野菜の茄子だと考えている。「えーっ、那須でご飯作ってくれないの?」「茄子なんかでどうやってご飯炊けるのよ」みたいなやりとりがあり、母親のほうが「あ、地名ね」と気づきました。
 
 バブル期にはこういうことがあった。実家で妹が新宿でタクシーをつかまえようとしたのに1台もつかまらなかったという話をしていた。「ぜんぶゲイシャなんだもん」と言う。漢字で書けば、迎車ですね。
 ところがそもそも私は「迎車」という用語にほとんどなじみがなかった。ですからてっきり全部の車に芸者さんが乗っていたのだと思いました。妹に「珍しいじゃないか、ぜんぶ芸者だなんて」と声をかけた。妹は珍しくないよ、最近新宿はゲイシャばかりだよと答える。
 
 何かお祭りでもあったのかなと私は言った。芸者祭りとか芸者さんの決起集会(?)とか新宿厚生年金会館(いまはもうありません)あたりで開催されそうではないですか。妹もまだ気づかない。お祭りなんかなくたってゲイシャだらけよと答える。「歌舞伎町のあたり?」と私。「そう、あっちもぜんぶゲイシャ」
 何時ぐらいにいるのかとたずねると、ともかく夜はゲイシャだらけだと言う。「おれはそんなに芸者を見かけないけどな」「歌舞伎町だけじゃないよ、駅のほうまでずーっとゲイシャの海よ」と言う。
 
 そこまで来て、何か変だなと気がついた。新宿を埋め尽くすほどの芸者さんが現代の東京に存在するとは思えないですからね。確認して、なあんだということになった。ただそれは身内だからであって、遠い関係であれば突っこんで話さないですからね。そうか、新宿は芸者さんの海か・・・で終わってしまったと思います。
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2018.05.14 07:17

 子どものころ、法事や何かで親戚が集まって食事したりすると大人たちが必ず(でもないか)世相のことをあれこれ喋っていた記憶があります。まあ、皆さん酔っていますからね。深刻な何かではありません。
 親戚の家庭というのはーー私にはよくわかりませんがーー皆さんいわゆる中流階級でした。昔は一億総中流などと呼ばれていた時代もありましたが、現在のように「格差」がどうのこうのという意識はあまりなかったようです。
 
 ただそういう時代でもいろいろ不正事件などもあり、親戚の誰かが「われわれ無力な庶民は損するばかりだ」と嘆いていました。庶民の税金がどうのこうのと難しい話も聞いたような気がしますが、何しろ子どもだったので正確なところはよく覚えていません。印象として、大人は「世の中にはちょっと楽をして、あるいは多少の不正を働いて得をしている人間がいる」と考えているのだなという感想だけは持ちました。そのことに対して腹をたてているのか、妬んでいるのか、そこはよくわかりませんでした。
 
 たとえば「知り合いがいるからそのチケットいまからでも手に入るよ」などというのも不正は不正ですね。私は過去に1度だけよく考えずにそうした手段を利用したことがありました(グラハム・ボネット時代のレインボーです)が、あとの十数回はすべてお断りしてきました。入手できるよと言われても、それほど見たいわけではないので・・・ぐらいで我慢する。
 これはもちろん正義感からなどではなく、単に美学からそうしているだけのことです。やせ我慢してでも、生きやすいように生きたほうがいい。
 
 生きることはどなたにとってもそれなりに大変なことだと感じます。チケットを安易に得られる人もやせ我慢して見に行かない人も、どちらも生きるのは大変でしょう。税金を巧妙に流用できる立場の人も一生懸命税金を納める人もーーこれは法律を離れた心情的な範囲でのお話ですーーどちらもやはり生きていくのはなかなか難しいことではないかと思います。
 私たちの中には社会全体から来る不安や痛みがあり、また個々人が持っている問題、後悔の念や悲しみ、嫉妬心、失望感などがあります。
 
 それでもなお私たちは少しでも楽しく少しでも幸せになろうとして、音楽やテレビや昨今では動画などを楽しみ、周囲の人間の理解や尊敬を少しでも得ようと悪戦苦闘し、何かを創造したい、結果を出したい、他者を助けたい、生きた証を残したいと必死になって毎日の生活を送っています。
 その状況はその必死さはその切なさは、例外なく慈しむ対象ではないかというところが自分自身の原点になっています。結局、底流にあるのはそんな感情だけだと思うときがあります。
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2018.05.13 07:11

 3年ぐらいまえの記憶が曖昧だというお話が話題になっていますが、記憶というのは単純に新しければ新しいほど鮮明であるというものでもないですね。私は少年期のことはかなりはっきり覚えているのですが、20代でちょっと曖昧になり30代のころのことはむしろ少年期よりはっきりしません。
 とくに前後関係でしょうか。あと因果関係。先日占いのことを書きましたが、どうやって下町の高名な占い師さんに行き着いたのかはまったく覚えていません。
 
 色が変わってしまうとわからなくなるという要素はあるでしょう。私はいわゆる会社員になったのが44歳になる年でした。それまでは講師業でしたから、生活全体の色がそのあたりでがらりと変わりました。だからといって真面目になった(?)わけではないですよ。ただその後のことは比較的覚えています。
 もっとも繰り返していることはわからなくなっています。たとえば名古屋旅行でAホテルとBホテル、どちらに先に泊まったかというようなことはよくわからない。
 
 少年期の記憶は音楽と結びついたり、将棋と結びついたりということもあるのでしょう。街中に誰それの何々という曲が流れていたというような手がかりですね。あるいは名人戦で挑戦者の先生が惜しいところで名人を獲得しそこなった年だったなどという手がかりが大きいのです。
 その後、ほとんど「流行の」洋楽に興味や好奇心を抱かなくなり(選択的に好きな曲しか聴きません)棋戦情報にもすっかりうとくなっていますから、記憶がそうしたもので補強されていないのですね。
 
 で、曖昧なことがたくさん出てきます。
 たとえば大昔、私は小学生を中心に教えていました。その後、どうして中学生や高校生を教えることになったのか経緯をよく覚えていない。また家庭教師なども、生徒は覚えているもののだれがだれの先だったかあとだったか混乱しています。
 手もとに未発表の小説らしきものがいくつもあるのですが、それもまた書いた順番がわからなくなっています。
 
 いまさら後悔はありませんが、細かい記録をつけておけば面白かったのかもしれません。私の日記や手帳はあまりにも大雑把で、詩的な(私的の誤字ではありません)どうでもいいこと以外一切記録していないのです。
 たとえば32年前の今日、当時住んでいたアパートの階下の部屋におばあさんが引越してきて「おそば券」というものを持ってきてくださった。まだそういう風潮が生きていたのですね。私の日記には、そんなことしか書いてないのです。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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