2019.07.18 00:56

 昨日の朝刊に10代の自殺者数が過去最悪であるという記事が出ていました。抽象的に書けばお若い方が希望を持てない世の中だということになるとは思いますが、低年齢層になればなるほど自殺理由がご家庭やご両親との確執にあるということでしたので、ここはやはり大人側がきちんと考えないといけないと思いました。
 要するに、追いつめてはいけない。追いつめるというのは、何が何でも1つの価値観で1つの方向に引っぱろうとすることです。努力しろと追いつめる。勉強しろと追いつめる。それは危険です。
 
 私なんかーーこんなのは自慢になりませんがーーきわめて適当な人間で、ぶらぶら生きていればそれでいいような気がするので、自分の子どもに「努力しろ」などと言ったことはありません。適当にやっておきなよぐらいで、かえって息子のほうが「そんなんじゃだめだよ」と奮起していたぐらいです。
 就職のときも、彼は家内に40代半ばではじめて就職した私の話題を出して「お父さんみたいになったら大変だから」と頑張っていたそうです。そのあたりは、まあ人生観の違いもありますね。
 
 いずれにせよ、追いつめないということは本当に大切なことで、私自身子どものころ父から「勉強するのかしないのかお前自身が決めろ!」などと怒鳴られたりしたのですが、そういうのはじつに狡猾で恫喝的なやり方で、やります、頑張りますしか選択肢がない。いまにも鉄拳がとんできそうな雰囲気の中で、ではやめますと小学生が言えるわけがないのです。そしていやいややっていると、あのとき約束したのは誰なんだ? 約束を守れないなら家を出ていけなどと乱暴なことを言われる。毎日毎日そんなでは、自殺したくもなるでしょう。
 
 追いつめないこと、話を聞いてやることは本当に大切です。人間の心の中には、いろいろつまらないゴミが蓄積しているものです。友だちに悪質ないたずらをされればもちろん本気でなくても「ぶっ殺すぞ」と考えたりもする。次第に心の中はゴミ屋敷みたいになってくる。未熟な子どもたちの心の中は、けっこうそういう状態です。
 それを聞いてやることでゴミが減っていく。ただ聞いてやる。ぶっ殺すなどと言い出しても、とりあえずは一生懸命(ここは大切)に聞いてやる。
 
 ゴミ整理やゴミ出しのお手伝いですね。それを途中で言葉をさえぎって「お前はそれだからいつまでたってもだめなんだ」などと余計な意見をするものだから、逆にゴミは増える一方だったりする。
 仮にお子さんを叩いたとしますね。多くの場合、激情にかられてそうしてしまう。大人の社会でいきなりそんな行為に出たら大変なことになりますよ。怒鳴っただけでも大騒ぎになる。それをお子さんにだけは許されると考えるとしたら、やはり不安な要素が出てくるとは思います。
 
 大人の世界で到底許されない行為を持ちこまない礼儀は、子どもに対しても大切だと思います。私たち大人の見識が試されているということです。
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2019.07.17 00:07

 先日ユーチューブであれこれ見ていたら、川端康成と三島由紀夫、伊藤整(敬称略でいきます)の対談番組が出てきました。1968年ごろでしょうか。川端康成のノーベル文学賞受賞決定直後らしい。貴重な映像資料ですね。カラーではなく、白黒でした。
 川端康成だけ着物、三島由紀夫と伊藤整はスーツ姿でした。対談の途中で川端康成も三島由紀夫も当然のようにタバコを吸っていたので、そう言えば私が小学生中学生のころは職員室でさえ煙が充満していたなと思い出しました。
 
 川端康成は作品が翻訳されたものであることをちょっと気にされていました。要するにすべてがご自身の手柄というわけではない。そこで辞退もちょっと考えた・・・というようなことを話されかけて、三島伊藤両先生がそれはあまり気になさることはないとおっしゃっていました。
 映像を見ながらいろいろなことを感じましたが、とくに印象に残ったのは三島由紀夫のスーツです(そこかよ!)。
 
 伊藤整が着ているものは、要するに昭和の背広であり、当時の原風景を感じさせるものでした。ところが三島由紀夫の着ているダークスーツは非常に洗練されたオシャレなもので、オーソドックスなスーツとは違っている。極端な話、いま画面を抜け出してそのまま銀座の街角に立っても古臭いどころかとびぬけてオシャレな人という印象になるでしょう。ファッションに敏感な方がご覧になったら、なおさらそう思われると思います。
 自意識の高さがこういう形でもあらわれるのかと感心しました。
 
 さらにすべての動きが、どなたよりもカメラを意識されているように感じられた。一瞬横柄に見えたりする瞬間があるのですが、それは動きだけのことで川端康成に対する丁寧な敬語は大変気持ちのいいものでした。突然自分のことを書きますが、私はきちんとした敬語を自然につかえるのですが、それは幼少期にかなり厳しく両親に躾けられたからだと思っています。幼稚園児のときから「父」とか「母」とか言わされるというのは、周囲では珍しかった。玄関先で「母からことづかってきました」というセリフを何度も練習させられたことがあります。
 
 三島由紀夫のリラックスしつつも敬意に満ちた話し方を聞いていて、こういうのは本当に幼いときから躾けられていないと難しいだろうという気持ちがしました。勉強した後天的なものというより、身体にしみついている何かだと思います。
 途中でつい先日亡くなられたドナルド・キーンの名前が出てきたりもしました。対談はむしろ明るい感じで進んでいくのですが、この対談から数年もたたないうちに3人とも亡くなられている。この時点では、おそらくどの先生もそこまでは予想されていなかったでしょう。そうした事実もまた、いろいろ考えさせられるものがありました。
 
 
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2019.07.16 00:17

 言葉に対する感覚というのは人それぞれで、たとえば私は子どものころ「おでん」という名称をなぜか非常に恥ずかしいものだと感じました。「おでんを食べる」とか「おでんが好き」とか口にするのは、全裸で銀座の三越前を歩くのに近い羞恥心を抱いたものです。
 語感の問題でしょうね。その当時の感覚をなくしてしまったので細かい事情は自分でもよくわかりませんが、とにかくおでんという用語だけは聞きたくない使いたくない。母親が今日はおでんよと告げると、赤面して失神しそうになりました。
 
 時代とともにその感覚がなくなり、いまでは普通におでんを食べますし、好きか嫌いかと訊かれたら、むしろ好きなほうだと答えると思います。名称を聞いても赤くなることはありません。
 同じように子ども時代、半分休める日や土曜日のことを「半ドン」と呼ぶ習慣がありました。この半ドンも私は非常に抵抗があった。恥ずかしい用語という気持ちがするのです。「土曜日は半ドンだ!」などと大声で話している同級生が近くを通ると、ぞぞぞーと鳥肌がたちました。
 
 半ドンは現在でもあまり好きな言葉ではありません。つい最近息子が使っていて(いまも死語ではないのか!)と意外に感じましたが、私自身が使うことはまずないと思います。
 他者を何と呼ぶかというところにも私はこだわりがあり、唯一「お前」と呼ぶのは世界中で息子だけで、あとはすべて「きみ」です。家内も二人称ならば「きみ」です。息子に対してはまったく抵抗がないのに、その他の方(もちろん生徒も含めて)に対しての「お前」はむしろ私自身が不快になるのです。
 
 これはもちろんその呼び方が悪いということではなく、語感は人によって年齢によって著しく違ってくる面白い例だと思います。
 地名なんかでも好きな地名と恥ずかしさを覚える地名がありますが、昔、ある人に「枇杷島」という地名(愛知県にあります)を素晴らしいと思わないかと告げたところ、相手が自分はとくに何も感じないとおっしゃったので、とても意外だったことがありました。袖ヶ浦(千葉県)とか四日市(三重県)とか須賀川(福島県)なんかも意見がわかれました。私はすべていいと思った。うん? すべて三文字ですね。
 
 感性の違いみたいなものでしょう。
 横文字の表記を自分は恥ずかしいと感じることが多々あります。カフェとかスイーツとかアティテュードとか。ただ横文字がぜんぶだめというわけでもないのです。レストランとかリサイクルとかアイスクリームとか。食べ物と同じで、子どものときに使用していた横文字は抵抗がないのかもしれませんね。
 
 
 
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2019.07.15 02:14

 土曜日に教室でいわゆる講演会を実施させていただきました。ここのところお話していなかったので、久しぶりですね。教室の規模いっぱいーー約70名の方ーーがいらしてくださった。以前は100名近く入っていただける教室があったのですが、現在は70名ぐらいが上限になっています。
 たくさんの方に温かいお声をかけていただいた。アンケートもすべてきちんと読みました。多くの方が感想を書いてくださった。裏面にまで及んだものもありました。絆は強いですね。
 
 どうもありがとうございます。私は、私自身がどうこうはもうどうでもいいと思っているのです。長野正毅という人間が何をしているかは、ある意味でどうでもいい。いい歳をして、これから何かでうんと認められようとか大儲けしてやろうとかはまったく考えません。昔から私はいい加減な人間で、いわゆる「偉く」なるより徹底的に自由でありたいと望むタイプではあったのですが、現在はちょっと違った意味で変な煩悩は落ちています。
 
 私がお話するという事実より、内容のいくつかがお役にたてばそれで十分であると思っています。今回は「人間が他者にできる最大のプレゼントは相手の話を聞いてあげることだ」という話をさせていただいた。よく雑誌などで「一流大学生を育てたご家庭」特集みたいなのが組まれていますね。一流大学という部分に具体名が入っていることもしばしばあります。繰り返し繰り返し特集されるのは、それだけ需要が多いからでしょう。
 毎回同じことが書いてあります。保護者の方が決して感情的にならない、愚痴を言わない、つねに冷静にお子さんに接する、ご自身が勉強している姿を見せる・・・
 
 具体的なことがたくさん書かれていますが、何年も何年も読んできて、私は要するにご自身のお子さんだからといって失礼な取り扱いをしないということに尽きると気づきました。なるほど自分の周囲のよくできる生徒のご家庭もそうだなと感じます。
 お子さんが極端に反抗的であるのは、周囲の大人側にも落ち度があることが多い。つまりこちらがあまりにも子どもに対して失礼だったので、向こうも失礼な反応を返してくるようになった。そのあたりは、微調整をかけていかれるといいと思います。よりよい明日、というのが人生のテーマですから。
 
 尊厳みたいなものを重視されて育った人間は当然きちんとしてきますし、他者に対しても配慮できるようになります。人は扱われたように反応するようになるのです。
 ブログを続けてほしいというご要望やいつまでもいまの立場で仕事を続けてほしいというご要望もすべて確認いたしました。個人で決められないことも多いのですが、基本的には価値のあることであれば続くだろうと考えています。私があなたに多少なりとも価値があるうちは、私が突然消えることはないということです。
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2019.07.13 02:18

 20代のとき、こういうことがありました。大学生だった私は、中学時代からの友人たちと飲んでいた。有楽町のほうではなかったか。汚い話ですが、当時は飲みすぎてしばしば吐きました。友人にもそういう人間がいましたが、とくに私はひどかった。暴れたりはしませんが、めちゃくちゃになるまで飲んでやるという気持ちが非常に強かった。
 友人に「どうして破滅的に飲むのか?」と訊かれたことがあります。よくわからない。自身に対する漠然とした処罰感情があったようにも感じます。
 
 その日も途中で具合が悪くなりました。何度か電車を下りて吐いた。みんなそれぞれ帰っていったのですが、1人だけ最後まで介抱してくれる男がいました。終電近く、田町駅かどこかのベンチに寝転がっている私のすぐ横に静かに座っている。私は彼に「すまないな・・・」と言いました。それぐらいの理性は働いた。
 すると彼は「いいんだよ、おれたち昔からの親友じゃないか」と答えました。親友? 私は目をつぶりながら「残念ながらおれは親友だとは思っていない」と考えた。
 
 あのときの冷たい感情は妙に心に残っています。と同時に、自分はいつもこういう人間だったし、これからもこういう人間でありたいとも思いました。安易に親友を持たない人間。底の底の部分に冷たい感情を持っている人間。
 実際、彼とのつきあいは長かった。彼は非常に複雑な悩みを抱えていて、私はその秘密をすべて聞いていました。どうしたらいいということを簡単に言えるような内容ではなかったので、ただ聞いていただけです。
 
 少年期、親友という概念は自分に重くのしかかってきました。私には「いつも一緒にいる友人」というのがなかなかできなかった。また矛盾する感情ではあるのですが、いつも誰かと一緒にいたがる自分を嘲笑する気持ちも強くありました。
 親友候補みたいな人間があらわれることがまったくないわけではない。しばらくはいいのです。しばらくは一緒にいる。ところが少したつと、いつも相手といなければ落ち着かない自分をみっともないと思う。そこで突然、冷たくなる。相手に冷たくというより、自分の生活を反省する過程で、相手と距離をとる。
 
 ひょっとすると私だけではないのかもしれませんね。人間は強く憧れるものに対して同時に嫌悪感を抱くことがあるような気がします。
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2019.07.12 00:51

 基本は、ご自身で考えることです。どう生きるかということを人間は自分で考えないといけない。選択権は1人1人にあります。他者に迷惑をかけないかぎり、どういう道を選ぼうと自由なはずですから、とくにお若い方はどうすれば優秀に見えるかではなく、ご自身が本当はどう生きたいのかということをじっくり考えてください。
 人間は自由に考えられるとき萎縮しがちであるということは意識されてもいいと思います。そして、周囲の期待をそのままご自身の選択だと勘違いしてしまうケースが多々あります。
 
 気をつけないとずーっと突っ走って、大人になってからはっと気づく可能性もある。ただその時点では身動きがとれなくなっているかもしれない。ここまで来てしまったら、このままいくしかないということも起こりうるでしょう。
 ただそれはそれでいいのかもしれません。引き返せないところまで来られただけでもりっぱなもので、ベストではなくてもあなたはその生き方に「向いている」のですよ。私自身、中高生のころは先生という職業に就くとはまったく考えていませんでした。
 
 それが40年近く国語を教え続けているわけで、向いていなかったとも言えなくなってきています。小学生のときは漫画家になりたかったりテレビに出られる人(職種は何でもよかった)になりたかったりと無邪気なものでしたが、それは夢みたいなものでした。14歳のとき、少し真面目に詩人になりたいと思ったことがありました。
 そのとき、日本では詩人として生計をたてていくことは不可能だとどなたかに言われた記憶があります。
 
 結果的に現在の私は「詩人」ではないものの、生き方そのものがきちんとした散文というよりは詩みたいでしたので、これはこれでいいのだろうと感じています。
 ときどき志望校に合格した生徒から、期待していた生活を送れていれないという相談を受けることがあります。とにかくいちばん偏差値の高いところを志望校にすればいいと単純に考えてしまったので、日々の勉強が大変でやりたかったさまざまな活動が思うようにできないというのです。
 
 皆さんがすごいすごいといういわゆるトップ校に胸を張って入学したところまではよかったものの、着いていくためにはどうしても勉強中心の生活にならざるをえない。あれもしようこれもやりたいと考えていた活動がほとんどできていない。どうしたらいいのだろう。
 まさしくどう生きたいかという問題ですね。勉強するから偉いという発想は漠然とした指針にすぎず、あなた個人の希望にあてはまるかどうかはまた別問題です。そこはよく考えて道を見つけてください。
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2019.07.11 01:15

 今週は水曜日から土曜日までお休みをとれないので、月曜火曜に連休をいただきました。ふだん連休はめったにとれないので、一瞬静岡県に旅行しようかとも思ったのですが、まあ慌てなくていいかということで見合わせました。以前もちらりと書いたことがあります。静岡市の音羽町というところで昔の知人がお店(小料理屋さん)をやっているはずなのです。9年前に1度だけ行ったのですが、私もいつどうなるかわからない(?)ので、前回と違ってはじめから名乗って(予約して)うかがいたいと考えました。
 
 前回は気がつかれなくてもいいやということで、ふらりとお邪魔してずーっと黙っていました。帰りがけに私だと告げたら相手はちょっとびっくりされていた。その時点で、最後に会ってから15年ぐらいは経過していましたからね。東京から突然来るというのも不自然ですし、わからなくて当然だという気がしました。
 静岡であれば泊りがけでなくても行けることは行けるのですが、まあそこは連休の高揚感とでもいうか、1泊して帰りは浜松でものぞいてやろうかとちょっと考えた。
 
 うちの犬のふるさとは静岡県で、彼女は家内と一緒に「こだま号」に乗って浜松から東京に来ました。そこで「こだま」と名づけたわけです。安易ですね。私はもっと安易に、いっそのこと「いぬ」という名前にしたらどうか? と提案したのですが、家内と息子にすぐに却下されてしまいました。「いぬ」はいい名前だと思いますよ。どなたにもすぐ覚えてもらえます。犬が「いぬ」なのですから、長野先生が「人間先生」になるぐらいわかりやすい。
 で、旅行に行かなかったので、いろいろと動きました。
 
 床屋さんに行った。上皇陛下と同い年のご主人に散髪していただいた。クリニックに行って薬をもらった。期日前投票にも行きました。出張所ではまだ実施されていなくて、わざわざ区役所まで行きました。
 一時期自分は投票していない時期があったのですが、数年前からあまりにも世の中がすさんできているので、私ほど政治に興味のない人間が多少なりとも参加すれば「猿のイモ洗い文化」みたいに世の中が少し動くのではないかと思い、再び投票するようになりました。ちょっと事情があって携帯をスマホに代えたのですが、こちらはどっちみちあまり使わないので関係ないですね。
 
 
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2019.07.10 03:38

 私はオシャレな人間ではないのですが、生徒がこちらをどう見ているかということはそれなりに気になるので、たとえば着ている服は日々手帳に書きとめるようにしています。以前気づいたのですが、なぜか曜日によって着たい服というのが決まってくる傾向があり、毎回同じでは見ている生徒も退屈(?)するでしょうから、前の週とはあえて違うものを着るようにしています。
 お昼に食べたものも書いておきます。これまた毎週、同じ曜日に同じお店に行きそうになるので、書いておくことで微妙にずらすことができる。
 
 考えてみると、毎週同じ曜日に同じお店に行っても何も悪くないのですが、陰で「月曜日の人」「火曜日だけの客」などと呼ばれていると恥ずかしいので、そういうことをしています。手帳は何十年分もあり、ときどき昔の手帳を取り出して見てみることがあります。池袋教室時代の手帳を見ているとなつかしいですよ。
 ああ、こんな服を持っていたなあとか、そう言えばこういうお店に通っていたなあとか感慨深いものがあるのです。
 
 池袋から渋谷に移ってきたのが2011年でしたから、池袋にはすでになくなってしまった個人店もあります。おばあさんがやっていた有名な定食屋さんがあったのですが、何年か前に近くを通ったらラーメン屋さんになっていました。それこそ昭和40年ぐらいからやっていたので引退されてしまったのでしょうね。料理を作られている方もおじいさんでした。なかなか個人店を継ぐ方はいらっしゃらないのかもしれません。
 なかにはこんなお店あったかな? という店名も出てきていろいろ考えさせられます。
 
 当時、びっくりするようなお店もありました。のちにテレビで取り上げられていたりしたのですが、あのときは何も知らずに入ってしまって、あれれ? という感じでした。味がどうのこうのではなく、お店のコンセプトというか方向性というかに「著しい」特徴があったということです。
 三鷹教室に勤めていた2000年ごろの手帳を見ると、休憩時間食事をするためだけにわざわざ電車に乗って吉祥寺まで出ていったりしています。いまはそんなことはしないので、若かったのでしょうね。
 
 2回食事をしていた日もありました。仕事に来るまえにどこかで食べ、仕事の途中でまた食べる。昔から朝は食べていなかったので、要するに朝食と昼食ということにはなるのですが、現在はそもそもそんなに食べられません。やっぱり微妙に若かったのでしょうね。
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2019.07.07 07:55

 教室に来た日はどこかで食事をするわけですが、何かのきっかけでこのお店はそろそろ卒業かな? と考えることがあります。だいたいは何となく気になる出来事が起きる。それで卒業してもいいなと思う。
 店員さんの雰囲気でということがあります。態度がいいとか悪いとかにわかには決められないものですが、挨拶の類が一切ないのは場の空気がいかにも固い感じで、腹をたてることはなくてもわざわざ行かなくてもいいかという気持ちになります。
 
 食べ物屋さんだけではないですね。コンビニエンスストアーで、夜遅く行くと店員さんがずーっとスマホをいじっているお店がありました。挨拶などもほとんどない感じでどうなのかなと思っていたら、いつのまにかお店自体がなくなってしまった。コンビニはたくさんある地域なので、やっぱり皆さん感じのいいお店に行くようになってしまったのでしょう。
 感じのよしあしは、けっこう大切なところだと思います。
 
 教室も同じで、なるべくなら感じよくしたい。相手に関係なくです。生徒や保護者の方だけでなく、お掃除の方や宅配の業者さんや自動販売機の管理会社の方なんかにもできるだけ感じよくしたい。私は総合力としてのやさしさややわらかさのことを強調したいのであって、よくある「笑顔で接客」みたいなマニュアルとは全然別次元の話です。
 そういう気持ちはお互いに伝播するもので、私がお掃除の方に「いつもありがとうございます」とお礼を言うと、あちらも「こちらこそありがとうございます」と笑顔でおっしゃるようになりました。
 
 何も言わずに掃除の現場をただ見ていたり、あちらもまた何もおっしゃらずに黙々と掃除されるよりは多少なりとも空間に温かみが出てくるわけで、そうやってほんの1℃か2℃教室の温度を上げておくことは間違いなく、そこに所属するすべての方に意味のあることだと考えています。
 こういうのはしかし、それぞれのご家庭でもできることであって、なぜやらないのか? という問題が出てきますね。
 
 ひょっとすると少年期の私のように何となく意地になってしまって、温かみのある空間なんかいまさら作れるかという要素があるのかもしれません。しかし、それはサイアクの感覚で、国と国の関係であったらーー戦争になりますからーー許されない。外交的な努力がどうしても必要です。その努力は成員全員でやっていくべきですが、当然知恵のある者が上手に歩み寄る必要があるでしょう。大人と子どもでは大人のほうが知恵がありますから、大人が意地になっていてはどうなのでしょうか。知恵のある者は本来強者なのですから、いくらでも歩み寄ることができると思いますよ。
 
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2019.07.06 00:52

 ホッピーという飲み物がありますね。ホッピーだけを飲むのではなく、アルコール類(主に焼酎かな)をこの飲料で割ります。ビールに似た味で、その昔はお金のない方がビールの代用品として飲んだそうです。いまはビール味の飲料が他にもいろいろありますが、昔はなかった。それでビールを飲めなければホッピーで我慢するということだったようです。
 私は1970年代の後半からいわゆる飲み屋さんに入るようになりました。もちろん、はじめは1人ではないですよ。
 
 私の友人は私と違って比較的お金持ちが多かった。で、ホッピーなんかは嫌がるわけです。ホッピーを置いているお店さえ嫌がっていました。あれは一部の特別な人たちの飲み物じゃないかと言う。あのころのホッピーは、あまりいいイメージでとらえられていませんでした。
 私もそういう文化圏にいたわけですが、将棋の道場に通うようになって、それまでの友人とは違ったタイプの知人ができた。大学生の自分を飲みに連れて行ってくださるいわゆるブルーカラーのおじさんたちがいました。
 
 おかげで友人とは入らないようなお店をのぞくこともできました。きわめて大衆的なヤキトリ屋さんなんかです。煮込みがあり、ホッピーがある。煮込みというものも、はじめはちょっと抵抗がありました。何だかよくわからない塊ーー内臓系ですねーーがいっぱい入っている。臭みを消すために味噌味がかなり強かったりして、不思議な印象でした。煮込みを食べてホッピーを飲む。使っている焼酎はあまりいいものではなかったように思います。
 友人と飲んだときはそれほど酔わないのに、そういう酒場で飲むとすぐに気持ちが悪くなりました。
 
 現在、ホッピーはとにかく健康的であるという売られ方をしていますね。プリン体ゼロだとかカロリーが低いとか低糖質だとか。安いことよりそちらを前面に出して強調しているのは正解だったように思います。
 ときどき行く立ち飲み屋さんにもホッピーは置いてあります。観察しているとお若い女性も頼まれたりしていますね。昔は女性が飲まれているところを見たことさえなかった。だいたい大衆的な個人の酒場にはそもそも女のお客さんがいませんでした。時代は変わりますね。
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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