2018.09.24 08:23

 何か希望を叶えたいというときは、往々にして「探し回る」ものですね。それは当然と言えば当然のことで、探さないで見つかるものでもありません。ただこういうことは言えると思います。
 いちばんわかりやすい例なので、恋愛に例えてみます。恋人がほしかったとします。これこれこういう恋人がほしい・・・とただ探し回っても、なかなか理想の相手には出会えないのではないかと思います。あるいは出会っても恋という形に発展しない。
 
 つまり相手があるということです。するとこちらが必死になって探す以上に、あちらにも必死になってあなたを探してもらわないといけないですね。あちらはあちらで理想の恋人像というものがあるでしょうから、少なくともいくつかの点では相手の理想像とあなたご自身がぴったり一致していないとそもそも選択肢にひっかかってこないことになります。
 このあたりのことはよく考える必要があると思います。
 
 受験でも憧れの学校に入りたいとがつがつしているだけではだめなのであって、あちらに選択される人間としてふさわしいかどうかはつねに考えないといけません。ときどき最難関校に入りたいと強く望みながら「勉強はきらい」と公言してしまう人がいるのですが、学校側がそういう生徒を探しているわけがないと思いませんか。最難関校なのですから、当然勉強が好きな生徒を必死になって探し続けているでしょう。
 そこに「勉強はきらいですけどとりあえずいまの成績だけはいいので入れてください」ではどうしてもちぐはぐなことになってしまいます。
 
 大好きとまではいかなくても、少なくとも進学したらうんと勉強するぞという意気込みがなければ選んでもらえないでしょう。
 同じく、「受かりやすそうな」上位校だけを探し続ける生徒が毎年います。特定の学校に対する愛情ではなく、上位校ならとりあえずどこでもいいから入れそうなところに入りたいというのです。これも恋愛に例えれば「収入の多い相手なら誰でもいい」みたいなスタイルなので、どの異性(学校)にも理想の相手としてはなかなか選んでもらえないのではないでしょうか。
 
 少し落ち着いて考えていきましょう。夢を叶えるためには、その夢のほうも、夢自身が具現化されるにふさわしい特定の個人を探しているという事実を忘れてはいけません。がつがつしたい気持ちはわかりますが、ふさわしい人格にご自身を磨いていくことのほうが先です。
 あなたはどうやって夢を叶えたのですか? と質問されたとき、夢のほうからひとりでにこちらに近づいてきたのですよと余裕を持って答えられるような日常生活を心がけられるといいと思います。
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2018.09.23 00:32

 念願の「プレデター」を見てきました。もう何が何やら・・・これからご覧になる方もいらっしゃるでしょうからくわしくは書きませんが、とにかく大騒ぎでしたよ。もはや誰が味方で誰が敵だかわからないようなところもあり、私自身あらすじがよくわかっていないかもしれません。だいたいはわかりますが、細かいところで「?」という部分が残っています。
 これはもう1度見ないといけないかもしれませんね。宇宙犬がかわいかったし。
 
 おそらく続編を作ろうと考えていますね。最後のシーンを見てそう感じました。
 私は新宿の映画館で見たのですが、皆さん次から次へとポップコーンセットというのをトレイに乗せて入場されるので、何か規則(?)があるのではないかと変なことまで考えてしまいました。それぐらい大勢の方がポップコーンを買っていた。
 ああいうのは雰囲気なのでしょうね。映画館に向かいながらポップコーンが食べたくて食べたくて仕方がないという方はそうはいらっしゃらないと思います。
 
 会場について、ふと買いたくなるのでしょう。いい匂いが漂っていますからね。ポップコーンというのはなるほど便利な食べ物で、基本的に音がしません。つまり周囲の方の邪魔になりにくいということです。あれが柿の種みたいなものであったら、ぽりぽり音がしてうるさいでしょう。そういう意味で映画館向きの食べ物だと思います。
 じつは・・・あるスーパーにお金を入れてポップコーンを作る変な機械があります。それは本屋さんの隣にある。
 
 私は難しい書籍以外はそこの本屋さんで買うことにしています。将棋の本や参考書や音楽誌を買う。書籍を選んでいるときに奇妙な音楽が流れてきます。つきとめるまで少し時間がかかりました。ポップコーンの機械からなのですよ。
「ポップコーンはいかが~」と女の子の声が聞こえる。有名なネコのキャラクターが販売機には描かれていてセリフに続いて歌がはじまるのですが、それが何だかとても変な歌なのです。しかも音が小さくてよく聞こえない。
 
 変な歌だからこそ聞きたくなる。あまりにも聞きたくなってさりげなく機械のそばに行くとなぜか歌が止まる。偶然にしては頻繁に止まるので、そういう仕組みになっているのかもしれません。
 そこの書店には確実に100回以上行っていますが、ポップコーンを買っている方を目撃したことがありません。ポップコーンというのは、そういう食べ物でもあると思います。
 つぎは「ヴェノム」を見にいくかな。
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2018.09.22 06:08

 人それぞれだとは思うのですが、こうなりたいという漠然とした抽象概念よりは実際に「この人」というモデルがあったほうが実現しやすいのではないでしょうか。昔の知人で、ある海外のロック・ミュージシャン(ギタリスト)に憧れていた人間がいました。彼は若いころ太っていたのですが、大変なダイエットをしてそのミュージシャンと同じような体型に持っていきました。さらに着ているものもーーあの時代、どうやって探し出したのかわかりませんがーーそのミュージシャンが着ているような服ばかりにしました。
 
 ただ楽器は弾けないのです。それは問題ではないという。人間性(?)にひかれたのだから何をしているかはまったく問題にはならないということで、彼自身は普通のお堅い会社に勤めていたのですが、ふとサングラスをかけてみたりそのミュージシャンと同じ種類のタバコをくゆらしてみたり、まあ見ていて面白かったですよ。
 私はそのミュージシャンのことも比較的よく知っていたのでいろいろ気づきましたが、知らない方から見るとちょっと風変わりだが魅力的な人間・・・ということになるのではないかと思います。
 
 ある飲食店のご主人は、若いころ日本のロッカー(ロックンローラーかな)に夢中になった。若いころどころか、中年になったいまも現在進行形で夢中は夢中でコンサートにもいらっしゃるそうです。そのロッカーのインタビューをたくさん読んで、人生観も大きく揺さぶられた。ご自身は音楽の道は志さなかったものの、いまの仕事で「そのロッカーならこうするだろう」という道を模索して生きてきたと胸を張っていました。お子さんも「そのロッカーならこう考えるだろう」的な育て方をしてうまくいったとおっしゃっていました。
 
 生きる指標みたいなものが具体的に出てくると確かに生きやすいというか、人生の荒波を乗り切りやすいというか、そういう要素は多々あると思います。となると、モデルとなるどなたかを見つけないといけないですが、そこはやはり画面でときどき見かける程度ではそこまで傾倒できる相手かどうかわからないでしょう。
 活字媒体でその方がどんな方なのかいろいろ調べてみるといいと思います。エッセイだとか伝記だとかいまは簡単に手に入りますからね。
 
 若いころ、自分は破滅的なタイプの人間や行為や芸術作品にひかれました。これは育ちと関係していると思います。破滅的な美学にひかれているときは行動もメチャクチャはメチャクチャでした。ただそのときの経験というか、蓄積というかは大きかったように思います。
 破滅的な人間は非常に美的で崇高な何かを求めているらしいということ、だからこそふと見つめる方向を変えれば、相当社会の役にたつ可能性もあるらしいということを学んだような気がします。
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2018.09.21 09:05

 ときどき生き方についてのご質問をいただくことがあります。そうした問題は正解があるようなないような・・・人間の数だけ解答がありそうで難しい要素も多々あるのですが、生きているかぎり私たちはつねに変化していますから一方的に絶望だけに陥ってしまうのはちょっと早計でしょう。
 とくにお若い方の場合、結論らしきものはもっともっと先に出てくることであって、現状で「だから自分はだめだ」と決めつけてしまうのは問題だと思います。
 
 だめだと決めつけたいのはある種感傷なのかもしれませんね。だめだだめだという芸術作品(文学や映画など)は昔からいろいろな形で存在していますから、それはそれで価値がないわけではありません。ただ作品として昇華されたものではなく、行為の当事者であるご自身をだめだと断定されてしまうのはちょっと乱暴ではないかと思いますよ。
 私はーーだめな話なので自分のことしか書けませんがーーたとえば自分は親子関係がだめでした。これはもう全然お話にならないぐらいだめでした。
 
 だからこそ息子との関係を良好に保つことができました。私が両親から強制されていやだったことは息子には一切薦めませんでした。両親は「お前のためだ」と言い、事実そういうありがたい要素があったことでもいやだったことは息子に強いなかった。結果として息子の生活常識に多少の欠落は生じたのも事実ですが、関係性ははるかにうまくいきました。
 何を言いたいのか。要するにご自身のどんなマイナス体験も、生きていく過程でプラスに変換できる可能性が十分あるということです。ですから絶望することはない。
 
 先日のコメント欄にも書いたのですが、それぞれの人間の価値はあるとき「発見」するものではありません。仮に何も見つからなくてもよき自分を「発明」していく過程で価値は作られていきます。ご自身に価値がないような気がされるときは、どういう自分になりたいかということをじっくりと考え、そちらの方向に少しずつ軸を移していかれるとよいと思います。
 たとえば「かっこいい人」にも何種類もあり、サッカーで活躍する選手もかっこいい人ですが、黙々と手術しているお医者さんもかっこいい人です。
 
 ギターをかき鳴らすミュージシャンもかっこいい人ですし、歌やダンスが上手な人もかっこいい人ですし、難解なパズルを解いていく人間もかっこいい人ですし、ひたすら詩を書き続ける詩人もかっこいい人です。
 ですからたとえば漠然と「かっこいい人」になりたいにしても、そうやって無限にある「かっこよさ」の中からご自身に近いタイプを選んで、いまからオリジナリティーあふれるあなた自身のかっこよさを発明していけばいいのではないでしょうか。
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2018.09.19 08:38

 毎年似た催しを実施しているのですが、つい先日もZ会の教室から日本を代表するような一流大学に合格された先輩たちをお呼びして、中学生や保護者の皆さんにお話していただく機会を設けました。今回は3名の大学生がいらっしゃった。そのうちのおひとりは、私もよく知っている生徒でした。Z会進学教室の渋谷教室から第一志望の高校に(そして大学に)進学されたのです。
 今回面白かったのは「保護者の方との関係性」についてのコメントでした。
 
 3人が3人とも「おいしいご飯を作ってくれた」という事実を感謝の筆頭に持ってきたではないですか。たとえば朝の4時台に起きて、部活の朝練に行くお子さんのお弁当を欠かさず作ってくれた。あるいはZ会進学教室は教室を出る際にスイカやパスモを使ってご家庭に連絡がいく仕組みになっているのですが、帰宅までに30分かかるある生徒はご家庭にちょうど着くタイミングで温かい食事が用意されていたことを感謝されていた。皆さんそうしたことに心から感謝したとおっしゃっていました。
 
 作ってくださったというところも感激したのでしょうね。いまの世の中流通が発達していますから、お金だけ渡して「適当に食べなさい」でも大丈夫は大丈夫ですがそうではなかった。相当むりしてでも、手作りのものを出してくださっていた。
 中学生高校生でもやっぱりそのあたりの温かみは伝わるものです。自分が勉強しやすいようにご家族もまた応援してくれている・・・という感謝の念は、非常に強かったように感じました。
 
 そもそもこうした席でご家庭の方との関係を問いかけたとき「進学についてのアドヴァイスがありがたかった」とか「サボり気味のときに注意してもらえてよかった」とか「成績について叱咤激励してもらった」とかという類の感謝の言葉を私はまったく聞いたことがありません。
 逆に干渉しないでくれて助かったとか、点数が悪いときは静かに見守ってくれたとか、およそ逆の形の答ばかりが出てきます。
 
 要するにご家族があれこれ心配して発言されたり行動されたりしても、悲しいことにご本人にはまったく逆の効果をもたらしている可能性がきわめて高いということです。周囲が心配しすぎると生徒自身が著しく不安定になる例はきわめて多い。その事実はこういう仕事に携わっている人間であればほぼ全員が気づいていることです。
 ご家庭内の穏やかな空気の中で、多少つまずいたってあとから追いかけていけば大丈夫だよぐらいの会話が出てくる環境であれば、彼らも落ち着いて努力できるはずです。
 
 毎年面談のときに「では、私は何もできないのでなるべく健康的でおいしいご飯を作ることにします」とおっしゃるお母さまが実際にいらっしゃるのですが、そうしたご家庭の生徒はおおむね情緒も安定していて明るく穏やかです。お子さんの成績が気になっておいしいご飯を作るどころではないという状況であれば、何かしら本末転倒気味かもしれないということは少し意識されておいてもいいのかもしれません。
 
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2018.09.18 08:49

 今年の夏、大手のコンビニエンスストアーの店頭でビールを飲ませる企画がありましたが、残念ながら中止になってしまいました。いろいろ理由はあるらしいのですが、まあ難しいのだろうという気持ちはしました。実施されたら真っ先に飲んでみようと意気込んでいたのですが、空振りに終わりました。
 ところが、終わりました・・・ではなかった。じつは別のコンビニでは、店頭で堂々と生ビールを販売しているではないですか。
 
 これはまったく偶然発見したものです。先日、ある私立高校の塾向け説明会に参加した記事を書きました。その高校は王子神谷というところにあります。私は授業があるので渋谷教室に戻ってこないといけません。いろいろルートを考えたのですが、バスで赤羽まで出て電車1本で戻るのがいちばん楽だろうということで赤羽に出ました。
 そこで偶然、コンビニ店頭の宣伝ポスターを見つけました。100円引きキャンペーンまでやっているではないですか。
 
 ただそのときはーーもちろん仕事中ということもありますしーーお店の前を通り過ぎただけです。あとでいろいろ調べてみると、そのコンビニエンスストアーのいくつかの店舗だけで店頭で生ビールを飲ませている事実がわかりました。
 おーっ! ですよ。こりゃ行かなくちゃとは思うものの、渋谷や新宿では実施していない。渋谷から行きやすいところだと池袋の西口店、自宅の近くでは高円寺店で実施しています。
 
 こういうことはすぐに実行に移すのが私のいいところ(?)です。
 さっそく池袋西口店に行ってきました。そもそも店舗自体がなかなか見つからなかった(地上をうろうろしてしまいました)のですが、執念で探しまわりました。行ってみると入口に小さな黒いカウンターがあり、でかでかとキャンペーンのポスターが貼られています。
 注文の仕方がよくわからないので、店員さんに生ビールと告げると奥からコップに入った泡だったビールを持ってきてくれました。
 
 自分でコップをセットする・・・みたいなことが書かれていたような気がするのですが、店舗によって違うのかもしれません。カウンターで通路を通る人をながめながら飲んでみたところ、けっこう落ち着かないですね。こいつコンビニで何やっているんだ? 的まなざしを浴びながら飲むことになるので、だんだん恥ずかしくなってきました。壁のほうを向いてこそこそ飲む。まあ、やっぱりふさわしいところで飲むべきなのでしょうね。
 
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2018.09.17 09:48

 ときどき学校や塾に来られなくなってしまうケースがあります。大人でも会社に行きづらくなってしまう方はいくらでもいらっしゃいますね。あまり深刻になりすぎないことです。不治の病みたいなものではないですよ。そうすることが必要な時期があったというだけです。
 行けないご自身を責めないようにしてください。周囲はいろいろ理由を訊いてくると思いますが、じつはご本人にも正確な理由はわかっていなかったりします。人間関係の煩雑な部分でちょっとだけつまずいたのが、心の内側で拡大していたりするからです。
 
 塾は義務教育でも何でもないですから、来られなくても大丈夫です。その気になればこの情報化社会、いくらでも学校以上の勉強が可能です。通信教育でも何でも利用できそうなものは利用して真剣に学習されれば、十分な学力はつくはずです。
 学校や会社には行けそうな日は行ったほうがいいのですが、行けないときはむりに行かなくてもいいですから生活面だけは気をつけてください。
 規則正しい生活を崩さないようにしてください。食べたいときに食べ寝たいときに寝るというようなスタイルは避けましょう。
 
 そもそも文化的な人間生活では、食べたいときに食べるとか寝たいときに寝るというのは不自然なことです。ご自身をそんな風に動物レベルで扱ってはいけません。人間の文化圏にいることに誇りを持たないといけない。まず朝は必ず起きて、夜はしっかり寝るように努力してください。いずれ学校なり会社なりに戻れば、必ずそうした生活になるわけですから心理面は別にしても物理的にはいつでも戻れる状態をキープしておきましょう。
 さらにせっかくの機会ですから本を読んでみてくださいよ。社会人の方であれば生き方や人生論の本などを読まれるといいでしょう。
 
 その種の本はじつに玉石混交で、すばらしい内容のものからなんだこれ? みたいなものまでたくさん出版されています。大きな書店の店頭でちょっと比較しながら次々読まれてみるといいと思います。私は昔「インスタント願望達成法」みたいな何だかインチキ臭い(?)本を手当たり次第に読んでいたのですが、そこからいろいろと裾野が広がっていって人文系の難解な書籍にも親しめるようになりました。
 ずーっとゲーム「だけ」をやっているというような状況は避けてください。それもまた文化的な人間生活ではありません。あらゆる面でご自身を人間以下にしてはいけないということです。
 
 基本的にはどこにいてもご自身を磨く気持ちを大切にすることです。出席していようがいまいがあなたはあなたなのですから、1人の人間としての格というか器というか内面というか、できるだけ高めていく。そういう意志を持ち続けることです。
 やがて自然体で復帰していくことができるでしょうが、そのとき力まないことです。できないものをぜんぶできるようにしなければと緊張しない。得意なもので稼ぐというのは、試験と一緒です。勉強や仕事以外でもいい。明るく振舞う、困っている仲間に声をかける、空き缶があふれているのを簡単にまとめておく・・・
 
 そんなことは厳密に言えば勉強や仕事とは違うと思うかもしれません。ただ世の中全体にとってはもっと大切なことかもしれません。世の中にとって大切なことをやっていると、人は自然と立場も有利になってくるものなのです。大丈夫です。落ち着いて日々を過ごしてください。
 
 
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2018.09.16 00:27

 新聞で読んだのですが、いわゆる「リーマン・ショック」から昨日で丸10年たつそうですね。あの日のことは鮮明に印象に残っています。と言っても、何か個人的に損失があったとかそういうことではまったくありません。街中が騒然としている様子をぼんやりながめていたことを覚えているというだけです。
 その日、何かしら理由があって私は後半休をとりました。そして少なくとも夕方は1人で五反田にいました。
 
 この夕方五反田にいた・・・というのが謎で、当時は池袋教室勤務でしたからわざわざ五反田まで出てきたことになります。その日は最終的には五反田のあるお店(現在は移転してしまいました)でさんまの塩焼きを食べることになりましたが、それは結果的にそうなったというだけでした。ひょっとするとわざわざ目黒から五反田まで歩きに行ったのかもしれません。気に入った散歩道があるのです。
 電気屋さんの前に人だかりができていました。皆さん、テレビに映るニュースを凝視しています。
 
 さらに駅売りの夕刊紙にリーマンがどうのこうのとでかでかと載っていました。ひょっとすると駅前で号外みたいなものも配られていたかもしれません。よくわからないものの、これは相当大変なことになったぞと思いました。
 用事があって目黒川にかかる橋の上から教室に電話をかけた記憶があります。あれはどうなった? 程度の簡単な確認でした。
 そのとき、斜め前のとんかつ屋さんの建物が壊されているところが目に入りました。
 
 そのとんかつ屋さんを私は(その時点で)20年ぐらいは知っていました。特別どうということもなかったのですが、何度か入ったことがありました。近隣では有名なお店なのです。昭和の半ばはまだ街全体がそれほど発達していませんでした。川沿いにたつ威風堂々とした木造の建物はそれなりに風格があり、ある種歴史的威厳のようなものまで感じさせました。
 それが無残に壊されていました。現在進行形で、どんどん壊されていくところが見えています。
 
 K字橋という橋からしばらく見ていましたよ。その光景は心に焼きつきました。ああ、とうとうあの建物もなくなったのかという気持ちでした。感傷的な気持ちにはなった。リーマン・ショックの話題が出ると、私は決まってそのシーンを思い出します。
 
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2018.09.15 00:24

 宗教色の強い本を読んでいると「そのままでいい」「いまのままで正解である」という概念がさかんに出てきます。等身大のあなた自身でいい、どこにも行く必要はないというのです。
 ものすごく乱暴に解釈してしまえば、仮に自分自身が何もかもうまくいかないような気がしていても、そのままそのままということになります。どこに行く必要もないし何をやる必要もないとなると・・・ま、寝ちゃうかみたいなことになってしまう。
 
 それで本当にいいのか? という凡庸な疑問がかすかに残ってもいるのですが、どうもこの「どこにも行かず何もやらず」の思想(?)は体感的な理解が難しい側面があります。
 私は現在、あえて負荷のかかる努力を何もしていません。また人さまに話せるような目標も作らないようにしています。そうしたわざとらしい個人の目標をたてることに後ろめたさというか、不純さというか、本流の生き方ではないだろうという先入観ができてしまったのです。
 
 ですからここ数年の自分の生活は流れのままであり、これほど気ままな人間は珍しいと言えば珍しいかもしれません。私自身のことに関しては、現在何も不安はありません。不安を感じること自体に罪悪感を持つので、不安を感じないように訓練してしまったようなところがあるのかもしれません。
 趣味の将棋を(ネットで)指しているとき多少の目標(勝とうとか)を持つこともないではないのですが、あくまでも娯楽の狭い枠内の話であって、人生を賭けてどうこうということではありません。
 
 無目標、無努力、行き当たりばったりの日々・・・ですからね。家内と息子が難しいことを話していると全然わからず、またわかろうという気力もまるで湧いてこないので我ながら大変な境地にたどりついたと感心することがしばしばあります。もはや自宅で、私が対等に語りあえる相手は1歳の柴犬だけです。
 この境地は、旅行中の心境に似ているかな。旅行中というのは不思議なものでーー自分だけかもしれませんがーー何一つ失敗を意識することがありません。雨が降ればそれもよし、眠れなければそれもよし、お店が閉まっていればそれもよしと楽しめます。
 
 まあ、人生も1つの旅行ですからね。日々を旅行中だと考えればいいのかな。いずれ息子に子どもができたら「おじいちゃんみたいな人間にだけはなったらだめだぞ」とか言われるのでしょうね。
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2018.09.14 08:01

 おとといある私立高校の塾対象の説明会に参加してきました。現在は昔ほどあちらこちらの高校の説明会には出向かなくなっています。昔ほど・・・というより今年はほとんど行っていません。だいたいのことは進学した生徒から直接聞けるので(校則が厳しいとか数学の授業が面白いとか)、まあお若い先生方にお任せして自分みたいなのはわざわざお邪魔しなくてもいいのかなという気持ちがあります。
 ただその高校には毎年行っています。というのも、じつは数年前に衝撃を受けたことがありそれ以来どうしても気になるのです。
 
 衝撃というのはもちろんいい意味ですよ。そのときは映像で授業の様子を流していました。それが英語や数学の授業ではないのです。人間の大切さや生命の貴重さを学ぶ授業でした。小児癌の患者さんとお母さんの映像が流れました。結論から書くと悲しい展開にはなるのですが、だから生命は大切なのだ、自分1人のものではないのだから安易に自殺なんかをしてはいけないのだという授業でした。
 私の前席にいた女性の先生が泣いていました。周囲もシーンとしていました。
 
 いい授業だなあと思ったのですが、それより何より塾向けの説明会でこういうシーンを流すという高校側の見識に感心しました。国公立大学合格者何人とか、難関私大合格者何人とか(もちろんそういうお話も出てはきますが)ということ以上に、揺れ動く時期の少年少女たちにこういう教育をしていますよという強烈なメッセージを感じました。非常に信頼できる高校だと思います。
 この私立高校には例年何人かの生徒が進学していますが、今年もある生徒が「すごくいい学校だった」と宣伝(?)に来てくれました。
 
 第一志望校ではなかったわけです。ただ進学してみたらすごくよかった。だから後輩にも自信を持って紹介できるというようなことをおっしゃっていました。遊びに来てくださったのは夏前でしたが、その時点ですでにばりばり勉強している(させられているではなく)という。相性もよかったのでしょうね。
 ただその年以後の説明会では、そこまでの映像は流さなくなりました。ひょっとするともっと受験のことだけ話してほしいという要望があったのかもしれません。
 
 そのあたり難しいところだと思います。私もタイトルがついた説明会で、そのことは話さなければいけないものの、別種の大切なことも強調しておきたいと感じるときがあります。たとえば「早く勉強させてください」ではなく「早くきちんとした生活習慣をつけさせてください」だったり、「塾に通ってください」はともかくとして「娯楽の時間を整理してください」だったり。ただあまり関係ないことばかり話すわけにもいかないので、多少苦心しますかね。教室の説明だけでいいのであれば、じつはすごく楽なのですが。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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