2020.02.29 02:20

 2009年の6月からスタートしたこのブログですが、ひとまず本日で終了いたします。長いあいだどうもありがとうございました。渋谷教室長も本日で退任です。以前も書きましたが社員の身分はあとひと月残っているようですので、出社状況とは関係なく3月中も気が向いたら記事を更新させていただくかもしれません。
 渋谷教室で授業を持つのは土日のみになります。土日以外基本的に私はいませんから、卒業生の方はご注意ください。
 
 また今年度は例のウイルスの関係で、Z会進学教室の3月度の本科授業がなくなってしまいました。公立の学校がお休みになるのに追随する形ですね。こうしたことはもはや教室単体で賛成も反対もありません。結果的に、自分の授業はいちばん早くても春期講習からになります。春期講習が実施できるかどうかは様子を見てということですね。
 予定通りであれば、春期講習は新宿→渋谷と動きます。午後から夜にかけて、いくつかの学年をまたぎます。
 
 職場のメールは仕事場だけで確認していました。今後はうっかり見逃す可能性がありますので、何かございましたら渋谷教室に直接お電話をいただくのが確実です。
 いい加減な自分が、11年間ブログだけは続けてこられました。読んでくださる方がいらっしゃればこそで、お力添えに感謝いたしております。
 書きはじめて数週間経ったとき、Z会ブログの10位にランクされてうれしかったことを覚えています。
 
 あ、こんなところに出てきたぞ! という感じでした。ただどなたにも知らせませんでした。自分の中には昔から矛盾する感情が渦巻いていて、まったく知られたくないという気持ちと少しは認められたいという思いが衝突しているのです。
 5年前に主婦と生活社さんから書籍を出していただいたことも印象に残っています。あのあとじつにいろいろな方にお声をかけていただいた。ブログを書きはじめたときは夢にも思わなかったので、不思議と言えば不思議な気分でした。
 
 人生はタロット・カードに似ていますね。相当経験を積み重ねても、正確に意味をとるのが難しい。いいことが起きているのかそうでもないのか。いいことのあとに悪いことが起きる可能性がある。すると喜んでばかりもいられない。どれぐらい喜ぶべきなのか、あるいは何に気をつけるべきなのか、読み解く人間の器が試されますね。
 どのようなときも落ち着いて生きていきましょう。方向がわからないときはどこにも行かずに内側に入ることです。ご自身にとって「よりよく」は何なのか。あなたの求める幸せが、つねに世の中の光源になることをお祈りしています。
 
 
 
 
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2020.02.28 11:02

 今日は教室に行こうとは考えていましたが、形はお休みにするつもりでした。ここのところ何回かそういう形式で未消化だったお休みを取得しています。先日も教室にある方からお便りが届いていました。生徒や保護者の方ではなく、簡単に書くとブログの読者の方ですね。そういうこともあるので、本当に連続で休んでしまうと若干さしさわりが出てくるような気がするのです。
 教室の高校受験生はいちおう受験が終わり、さすがにいまは自習室も静かです。
 
 ブログも休むつもりでしたが、世間が非常にかまびすしいことになってきているので、そのことについて感想めいたことを書いておこうと思いました。これは私個人の感想でしかないので、そこは誤解なさらないでください。
 私はそもそも人生というのは、非常に不可解なものであると思っています。なぜ予定通りにいかないのか? ということがときには連続します。納得のいかないことばかりが続く可能性もありますが、だからこそ神秘と呼べるのではないかとも思います。
 
 生は神秘であり、それだけに価値がある。予定された何かではない。思いがけない事故だとか自力ではどうしようもない災難だとか、あるいは逆にいわゆる「僥倖」と呼ばれるような事件が起きてくる。動的な展開こそが生きるということであって、全部が全部あらかじめ用意されたものであれば、私たちの意識は進化成長できないのではないかと考えます。自身に起きた不可解なことを解決する力こそ、他者を救う原動力になるでしょう。
 ですから、生じたことは仕方がありません。チャレンジを正面から穏やかに受け止めて、よりよく対処すること「だけ」を考えます。
 
 悪い病気が流行していますが、それ以外にも数えきれない難病だってあり、私自身がそうしたものに一切かからない保証はどこにもありません。災難というのは病気だけではなく、大小の事故に巻きこまれる可能性もいくらだってあります。その可能性をゼロにしてくれと要求するのは、一枚の花弁でさえ散らしたくないのでいっそのこと造花にしてくれと願うのと同じことだと考えています。生花として生きることを希望するのであれば、風が吹くか雨が降るか動物などに踏まれるか、いつどうなるかわからないからこそ一瞬一瞬に全力を尽くして生きる形をとるしかない。
 
 ただそのうえで、昔の古典、たとえば易経なんかを読んでいると、徳のある人物は世の中が混乱してとても助けられる見込みのないときは山に隠棲して道を楽しみ、その身を大切にして恐れることも憤ることもないと書かれていたりします。そうした示唆は生きるヒントになります。
 山に隠棲してというのはもちろん比喩ですね。冷静にやれることをしっかりやって、混乱からは距離をとり落ち着いて生活するということです。道を楽しむというのも比喩的なもので、できるだけ善性を保ち慈悲深く生きるぐらいでしょうか。
 
 精神的に、あるいは神経的に巻きこまれないというのは本当に大切なことで、予防は予防として、あとは静かにあなたがやるべきことをやってください。
 昔の疫病や災害は現在の比ではないわけで、古典のいいところはそういうものに対処する心構えみたいなものがさりげなく説かれているところだと思います。
 元気を出してください。
 
 
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2020.02.27 01:59

 とくに昔の卒業生から「教室長(会社員)をやめたら何をするのですか?」と質問される機会があります。何となく、私が2月で教室長をひくことに気づいてくださっていたりする。
 話してみると「忙しそうに見えたから」とおっしゃる。教室長のときはなかなか連休もとれず、忙しそうに見えた。授業だけではなく、面談だとか説明会だとかいろいろな仕事がありますからね。自習室が騒がしいときは、騒がないようにという手紙を書いて貼ったりしていました。
 
 騒がしさもそのときどきで種類が違います。問題が生じるたびにふさわしい手紙を書いて貼っておく。それでちゃんと伝わるところがここの生徒たちのすごいところで、騒ぐとやめさせるぞ的な殺伐としたセリフは一切使わずにすみました。
 一連の行動を見ていた彼らにしてみれば、そうしたことに使っていた時間を何を使うのか興味があるのでしょう。あるいは何もすることがなくて、耄碌(?)してしまうことを心配してくださっているのかもしれません。
 
 私はいわゆる「仕事」をしているときも仕事以外のことをしているときも、どちらも私として生きています。1日は同じ1日で、1時間も同じ1時間です。仕事をしなくても何かしら行為はしているわけで、そうした全行動に魂をこめるのが正しい生き方ではないかと考えています。
 わかりやすく書くと人生は「何をするか」以上に「どのようにするか」が大切だと思うのです。たとえば食べるとか飲むとか本を読むとかは自分にとっは必要で大切なことで、収入が発生する「仕事」でなくても全力でやるべきでしょう。
 
 スキのない生き方などと漠然と表現してしまうと息苦しくとらえられてしまいそうですが、すべての時間帯を充実させたいぐらいの意味ですね。
 趣味的に深めたいことがないこともないのですが、仮にそうではないことでも行為する限りはしっかりやるという覚悟を持つ。世の中いろいろ不透明なことも多く、それこそ何がどうなるかはもちろんわかりませんが、気づいたところからむだにしないという気持ちこそがどなたにとっても救いになるはずです。
 
 何をするのですか? 時空間を濃く生きますよ、ですね。
 
 
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2020.02.24 08:24

 いよいよ今週でブログはおしまいの予定です。3月中はまだ身分的(?)には社員という形ですので、気が向いたときに何度か更新する機会があるかもしれません。教室に来る日は授業日のみに限られてきますので、何かございましたら渋谷教室にお電話をいただけたらと思います。私が来る日や時間帯は決まっていて、お知らせすることが可能です。もっとも受験の発表日には終日待機しているつもりです。
 2月29日の午後、新教室の川越教室でお話させていただく予定になっています。先日、その下見に行ってきました。
 
 自宅からだとけっこう時間がかかりました。池袋経由でうかがったのですが、1時間半ぐらいかかった。バス→JR→私鉄電車です。東武線というのはふだんあまり使用しないので、とても新鮮な感じがしました。快速というのですか、はやい電車に乗ると池袋の次が成増だったりしてびっくりしました。あいだに10ぐらい駅があるはずですが、すべて停車しない。
 遠い昔中板橋や大山などいくつか下りた記憶がありますが、すべてもう前世紀のことです。
 
 川越教室は思っていたより大きかった。非常に明るく清潔な空間である印象を受けましたが、こういうのはやはり働く方たちの配慮が大きいですね。とくに明るさというのは大切な要素で、現場で働く人間がどんよりした雰囲気で仕事をしていると何もかもそういう色を帯びてしまうので、明るく明るくということは心がけなければいけないと思っています。
 教室内もそういうところがあり、先生が極端に暗かったりすると(ということも珍しいでしょうが)生徒たちも元気が出ません。適度な明るさは必要だと思います。
 
 川越の商店街を少しぶらぶらしました。風呂桶店があり、片手で使える木の桶にかなりの値段がつけられていました。手作りのものとなると、もともとそれぐらいの価値があるものなのでしょう。ほかにもいろいろ珍しいものがありほしかったのですが、思いつきで妙なものを買って帰ると家族にあきれられるような気もしたので断念しました。
 長い商店街にはけっこう大手のチェーン店が多く、個人営業のお店は少なかったように感じました。だんだんそうなってしまったのかもしれません。
 
 自分もお世話になってきた塾がこうした時代もどんどん発展していく姿はやはり誇らしく感じます。今回も教室長や教務の方が突然下見に来ただけの私に対して、非常に親切に対応してくださった。こちらはお仕事の邪魔をしてしまって申し訳ないぐらいに思っているのに、本当にフレンドリーに接してくださったことを感謝しています。ただ「私に」だけではなく、皆さんにそうなのでしょう。
 そのあたり成功の秘訣ですね。人間が教室という「場」を作るわけですから。
 
 
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2020.02.23 00:27

 先日のお休みの日は朝から歯医者さんの予約が入っていました。現在、月に1度歯医者さんの定期診療を受けています。そんなに行かなくてもいいような気もするのですが、歯医者さんが来なさいとおっしゃるので何となく通っている。歯垢をとっていただいて、あとはクリーニングですね。おかげさまで調子がいいのは確かです。
 40代は何年間も歯医者さんに行かなかった時期がありました。少しぐらい虫歯があっても放っておいた。6年ぶりですよ、とあきれられた。
 
 歯医者さんに行く前の晩はアルコール類を一切とりません。それほど飲まなくても完全に分解されず、万が一アルコール臭かったりすると失礼ですからね。アルコールを飲まずに明け方まで本を読んだり考え事をしたり将棋を指したり、映画や動画を見たりしています。
 だいたいはいよいよあと3時間ぐらいで起きなければという時刻になって「やばい!」と寝る支度をはじめます。歯医者さんだけなら帰ってきてから眠ればいいのですが、そのまま予定が入っていると極端な寝不足は若干響きます。
 
 だいたいそういう感じのとき、荒唐無稽な夢を見ます。潜在意識下のどこかに急いで眠らなければという焦りがあるのではないか。でなければ、どう考えても見るわけがないような夢を見る。その日は、ローリング・ストーンズに手紙を書いている夢を見ました。世紀のロックバンドのストーンズです。
 そもそもまず何の手紙だかわからない。英語で書けたのかどうかもわからない。そのあたりは記憶にないのです。
 
 封筒に入れ宛名を書く段になって、はたと迷った。ローリング・ストーンズの住所はどうやって調べればよいのだろう? さらにローリング・ストーンズ名義だと受け取ってもらえないのではないかと心配になってきた。
 ミック・ジャガーとかキース・リチャーズとか、個人名のほうがよいのではないか? ということであれば・・・ここはいちばん実直そうなドラムのチャーリー・ワッツ宛にしようかなと真面目に悩んでいる。
 
 目が覚めて息子に話したら「お父さん、大丈夫か?」と大笑いされました。
 私が若いころ、ストーンズは全盛期だったと思います。「ミュージック・ライフ」誌の人気投票ではじめて1位をとったのが1973年か74年でした。それにしたってもう半世紀も昔です。
 ストーンズの曲で好きな曲はたくさんあります。「シーズ・ア・レインボー」「ビッチ」(すごいタイトル)「ミス・ユー」がベスト3かな。
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2020.02.20 15:19

 見えているようで見えていないことというのは大量にあります。志望校、就職先、結婚相手、信用できる対象・・・そうしたものが見えているようで見えていない。だから、学校や会社を途中で移ってしまったり(それが悪いという意味ではまったくありません)、厚い友情や婚姻関係が途切れてしまったりもするのです。
 ある意味で仕方のないことではあると思います。ただそうしたことがなぜ起きるのかということは少しだけ意識されていてもいいかもしれません。
 
 だいたいは事実を自分の中でねじまげて解釈してしまうところからスタートしていますね。つまり好きになった人を「何から何まで」いい人であると決めつけてしまう。行きたい学校入りたい会社を「何から何まで」すばらしいところであると決めつけてしまう。物事をうまくいかせるためには大きなエネルギーが必要で、そのエネルギーは「どうしても手に入れたい!」という熱意が原料になりますから、強い憧れは必要でしょう。ただそこに多大な幻想を抱きすぎると、ちょっと心配でもあります。仮に合格できたり入社できたりご結婚なさったりしても、そこからもかなりの努力が必要だからです。
 
 別の進学先、別の会社、別の方とご結婚されたときとまったく同量の努力がなされなければ、絶対にうまくいかないと思いますよ。夢が叶った! ではないのです。人生自体が終わりではないですから、これからますます頑張るしかない。つらいことも大変なこともくじけそうになることも大量に出てくるでしょう。
 そういったことを考えるにつけ、この学校に入れなかったら何もかもすべておしまいだというようなことは絶対にないと思ってください。入れたらもちろんうれしいですが、万が一入れなければ次の手段が必ず出てきます。
 
 こういうのは個人情報になってしまうのではっきりとは書けないのですが、いわゆる「第一志望校」に落ちてしまったけれどもその後頑張って夢を叶えたという生徒は、数えきれないほどたくさんいます。高校受験で第一志望校ではなかったのに第一志望の大学に合格できたという生徒もたくさんいますし、第一志望の大学には届かなかったけれども、就職だとか将来設計は理想通りにいったという生徒もまたたくさんいます。もっとも、そこもまだゴールではありません。
 
 永遠に夢を叶え続ける過程が人生です。そしてまた夢というのは学校名や職業名だけではなく、あなた自身に帰結していく要素が必ず出てきます。どこの学校、どこの職場、どの環境下においても、あなたがどんな人になりたいのかということこそが重要です。学校や職場の名前によりかからなくても「すごい人だ!」と感嘆されるような人間がいるもので、あなたもそうなってくださったらいい。
 試験場にはウエットティシューを持っていかれると便利です。甘いものも持っていくといいかもしれない。すぐ溶けるチョコレートとかですね。
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2020.02.19 09:46

 私は特別神経質な人間だとは思っていませんが、たとえば財布の中のお札は同じ向きに揃えています。これはもう何十年もそうしていて、裏表も上下もぜんぶ同じ方向に揃えている。長いこと当然ではないかと思っていたのですが、あるとき友人に「そんなこと考えたこともなかった」と言われて、皆さんがそうではなかったのかと意外に感じました。
 お札の顔は下向きにしておいたほうがお金がたまるという説を聞いたことがあります。恥ずかしがって財布から出ていきたがらないからだそうです。
 
 いくら何でもそれは迷信だと思いますが、相手の方にお札で支払うとき顔を下向きにしておいたほうが正面を向けて支払いやすいということに気づいてから、私もまたお札の顔は下向きに並べています。
 そんなものなのかな? と感じるのは、銀行でお金をおろすときですね。ATMでおろすとお札の向きがめちゃくちゃになっていることがよくあります。同方向に揃って出てくるときのほうが珍しい。
 
 こういうのはお金を補填しておく方が同方向に揃えたいと考えないのかなという気持ちになります。私がお店でお支払いするときでさえ、すべてのお札を同じ向きにしてさっと出しますが、それはある意味で礼儀だと思うのでそうやっているわけです。ATMでお金をおろすのは基本的に銀行を使うお客さんですから、私が責任者であればできるだけ揃えてあげようよぐらいの提案はするのではないかと思います。
 せめて裏表ぐらいは揃っていないと、みっともないでしょう。
 
 昔、こういうことがありました。ATMでいくらかおろしたところ、1枚だけ破れてくしゃくしゃのお札が出てきました。感じが悪いので、そのお札は機械にもどして新しいお札を出そうとした。ところがーーはでに破れているせいかーー機械に入らないのです。何度やってももどってきてしまう。
 仕方がないので「こんなお札が出てきてしまったので」と窓口のほうにいくと「並んでください」と注意されました。「破れているお札の交換をお願いしたいだけです」と言ったのですが、順番ですとけっこう待たされました。
 
 あれは何となく理不尽な思いがしました。ATMではもともと選びようがないではないですか。ひどいお札が出てきたうえに、それを取り換えるために窓口に並ばないといけない。せいぜい10分程度ですが、何となくですね。
 
 
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2020.02.17 08:44

 来月は有給休暇をいただこうと思っているのですが、それ以前に少しだけ調整する必要が出てきまして、今後は多めに休みをとります。ただお休みの日も何らかの形で教室に出てくる日があります。そもそも都立入試はこれからなので、相談などが出てくる可能性があるのです。
 通われている方は直接教室にお電話をいただければ、私が完全に休む日がいつであるかお知らせできます。ブログが更新されていなくても来ている日があると思ってください。
 
 繰り越しになっているお休みがたまってしまっている。なかなか回数通り休めずにきてしまいました。これは私個人の資質の問題で、いわゆる働き方の稚拙さによるものでした。きちんと予定をたてるべきなのですが、行き当たりばったりを格好よく感じてしまう特質があるのです。休みの日を決めるのがその週だったりしました。
 家内や息子なんかはちゃんと早い時期から予定をたてていますから、そういうところは全然違いました。
 
 2月の最後に1泊で旅行しようかと考えていたのですが、それは中止にしました。これだけいろいろ騒ぎになってくると、うきうきしないですからね。私個人は昔から何かに守られている感覚があるので自分についてはまったく心配していないのですが、世の中全体がダウンしているときに浮かれているのは申し訳ないので大人しくしていたいという心理が働きました。
 私みたいな感想を持つ方は多いのではないか。経済活動は停滞するでしょうが、ここは仕方がないですね。
 
 休んでいても何をするわけでもありません。インターネットで将棋を指したりするぐらいですが、ここのところ惰性でいい加減に指しているのでもう少し真面目にやりたいものだとはしばしば思います。
 そこで少し研究でもして・・・と考えるのですが、あまりにも情報が多すぎて何を研究したらいいのかわからない。私が学生のころは、プロの先生方の棋譜なんかめったに手に入りませんでした。せいぜいテレビ将棋と新聞の将棋欄ぐらいでした。
 
 新聞の将棋欄を切り抜いたりしていたことを思い出します。そうやって偶然手に入るプロの先生の棋譜をこつこつ勉強するしかなかった。ところがいまではどの先生の棋譜も対局翌日にすべてわかったりする。便利さの洪水の中で唖然としてという状況は、しかしどの世界の勉強でも同じかもしれません。多すぎる情報の大半を捨て去る知恵が大切になってきますね。
 10冊のテキストを1回ずつ解くより1冊のテキストを10回解くほうが効果があるとはよく言われる言葉ですし、真理であるとも思います。
 
 
 
 
 
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2020.02.16 01:16

 あまり興味を持ってこなかったのですが、インターネットでふと最近の国会中継を偶然目にする機会がありーー特定のどなたということではなくーーけっこうめちゃくちゃなのでびっくりしてしまいました。単純に、あれでは子どもたちに見せられない気がしましたよ。
 それこそひと昔まえの荒れた中学高校の学級会ではなく、大人の国会ですからね。あのざわついた雰囲気はどうなのでしょう。
 
 江戸時代のような封建的な世の中ではありませんから職業に貴賤はないわけですが、国を運営していくトップの方たちのやりとりがああでは世の中あちこちでトラブルが起きるのもむりはないのかもしれません。
 いわゆる「偉い人」と称される人がいますね。私の世代は、周囲の大人から単純に「偉くなれよ」と言われて育ったものです。しかし現代はその偉さがどういうものなのか、ちょっとわからなくなってきているような気がします。
 
 単純にうまくやるということでいいのかどうか。うまくやる能力が偉くなる能力と重なる部分がすごく大きくなってきていませんかね。偉さの基準が善悪や美醜や正不正ではなく、上手か下手かに変わってきている。善であり美であり正であっても、下手をうてば偉い人にはなれそうもない。逆にあいつはばか正直だから損ばかりしているなどということにもなりかねません。
 その「損」という概念にも問題があります。真善美を貫いたうえでの損であれば、本当に損なのかどうか。
 
 昔も書きましたが、何かの本で「権力は腐敗するという言葉があるがそうではなく、腐敗している人間だからこそ権力がほしくて仕方がないのだ」という記事を読んだことがありました。全面的に賛成するわけでもないのですが、たとえば自分に自信がないから肩書や権力やよい待遇を求めるなどということはどこにでもある話で、うまくやることだけで人間は偉くなれると盲信してしまった方がいてもおかしくはない。
 自分の場合、ここまでほとんど何も考えずに生きてこられたのは幸せでした。
 
 今後はさらに世捨て人(?)生活に入るので、私個人はまったくストレスがなく来られましたが、お若い方は大変だろうと思います。
 結局、自分は生まれ変わっても高速道路には乗らないでしょう。はやすぎると真善美の景色がよく見えない可能性があり、それはちょっとこわい感じがするからです。人間にとっていちばん幸福なのは馬の速度であると看破した古代の哲人がいるそうですが、このご時世馬で走っていては当然ビリです。自分の場合はそれでいいということかもしれません。
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2020.02.15 00:49

 10代のころ、私はキックボクシングが好きでした。もちろん見るのが好きという意味ですよ。地上波で2つぐらい番組があったように記憶していますが、両方とも必ず見ていました。この人はすごい! という日本人選手が何人かいました。
 ブームになった初期のころは残念ながら日本人選手は本場のタイ選手に全然歯がたたないわけです。キックボクシングの源流であるムエタイはあちらの国技ですからね。日本チャンピオンでさえ、あっけなくKO負けしてしまう。重い階級になると向こうは選手層が薄いのですが、それでもやっぱり負けてしまう。
 
 何年かたって日本のキックボクサーの水準も上がってきました。1970年代にはとうとうタイのチャンピオンを敗るようなすごい日本人選手まで出てきた。その過程で、ある選手(チャンピオン)をとりわけ好きになりました。非常に動きが華麗なのです。飛び上がって後ろ回し蹴り一発でタイ選手を倒したりする。
 のちのちキックボクシングの世界も何から何まで真剣勝負ではなかったというような記事を読んだことがありますが、当時の私はすべて真剣勝負だと固く信じていました。
 
 その日本人チャンピオンはタイ人のすごいボクサーに勝つ反面、日本人選手にうっかり敗れてしまうような取りこぼしも若干ありました。そこがまた人間らしくてよかった。絶対に勝つはずだと安心して見ていられないところがスリリングでいいのです。
 20代のとき、渋谷でその選手が派手な女性と連れ立って歩いているところを偶然目撃しました。緑色の光沢のあるスーツ(!)を着ていてあまりにも派手なので、一瞬こわい人かとも思った。
 
 次にあああのチャンピオンだと思い、その時点でさえ懐かしく感じたものです。キックボクシング自体徐々に下火になってきていて、その選手も全盛期は過ぎていました。ただいでたちがいかにもという感じでしたし、お連れの女性もこれまたいかにも(?)という感じでうれしくなりましたよ。私がその選手に会ったことを興奮して伝えたら、何人かの友人は反応してくれました。
 今週、そのときとほぼ同じ場所で、おそらくはそのチャンピオンではないかという方を目撃しました。
 
 40年以上たつわけで、絶対にそうであるとは言い切れません。インターネットであれこれ調べてみたのですがそのチャンピオンに関しては何もわからず、その日渋谷にいらっしゃることが可能なのかどうかもわかりません。昔から短髪でしたが、髪型は相変わらずで色は白くなっていました。コートを着て鋭い目つきで今回は単身で歩いていらっしゃった。
 渋谷の「ほぼ同じ場所」(宮益坂下です)というのが妙な機縁でうれしい。人生終盤に近づいてくると、そういうことが非常に大切だったりするのですよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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