2020.01.31 06:10

 日曜日(あさってですね)の午前10時から町田教室でお話することになっています。町田教室は新しく、いままで1度もお邪魔したことがありません。ちょっと心配だったので、昨日行ってみました。お話する予定の部屋を下見しておくと、何となくイメージが湧きますからね。
 こじんまりした教室で、Z会進学教室の人気を考えると受験学年なんかはけっこう早い時期にしめきりになってしまうかもしれません。迷われている方は見学にいらっしゃるといいと思います。
 
 何かのお店がときどき「うちの自慢はお客さんだ」というようなことをおっしゃるときがありますが、塾も同じように感じるものです。生徒の質ですね。もちろん偏差値だけがどうこうということではありません。
 たとえば先日、都立高校の推薦入試がありました。推薦入試には面接試験があります。そこで学校でも塾でも練習をします。練習を希望しない生徒の気持ちも私にはすごくよくわかるので、個人的に強制はしていません。それでも毎日のようにどなたかと練習してきました。
 
 そもそも推薦入試を受けることができるだけでたいしたものです。うちの息子なんか受けられもしませんでしたよ。つまり学校成績がよくなければ合格は難しい。学校成績がいいということは、点数だけではなく生活態度もしっかりしているということです。テストの点だけでなく、授業中の姿勢も評価される。
 その推薦入試を受けられる子がそもそも何十人もいること自体すごいことだと思いますが、あるときこういうことがありました。
 
 推薦試験を受ける生徒が集まって自分たちで面接の練習をしている場面を何となく目撃しました。何となくというのは干渉しすぎると彼らは遠慮してしまうかもしれないので、放っておいた。生徒同士の面接練習用の教室があるわけではないですからね。
 そういうことを自主的にやれるというのは本当にすごいことで、たとえば学校であれば多くの生徒が推薦試験は受けなかったりするので、場合によってはねたまれたりからかわれたりするかもしれません。
 
 もちろん塾内にも推薦試験を受けない生徒はたくさんいますが、できる生徒をうらやましがってからかう空気はまったくない。そういう「場」ができているのです。
 まあ、そんなこともまたお話しようと思います。育てていく過程で、質の向上をどのようにして図るか。まだ人数的に余裕はあるようでした。お近くの方でーーお時間があればですねーーどうぞいらしてください(予約制になっています)。西口を出て西友さんの横を奥に入ったところです。私はちょっとだけ迷いました。
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2020.01.29 09:23

 先日の休みの日に、25年以上昔に教えていた生徒とあるところで飲みました。25年以上昔の中学生ということです。彼ももう40代に入ります。
 Z会で教えていた生徒ではなくいろいろ複雑な経緯があってつながってきたのですが、こちらを慕ってくださってときどき連絡をいただくことがあります。今回会ったのは5年ぶりぐらいでしょうか。もっと昔だったかもしれない。赤羽に飲みに行ったときがありましたが、それ以来です。
 
 ちょっと迷いのようなものがあって連絡をくださったようです。彼はこのブログの存在を知っていてときどき読んでもくださるそうで、露骨な内容は書かないでおきます。まあ、生き方みたいなものですかね。若干の迷いが生じたということでしょう。
 一般的にどなたかが悩んでいるとしますね。相談されたとき、よくわからないので手がかりを探す。いちばん安易な方法はわかりやすい「数値」に頼ることでしょう。塾で言えば、この塾なら難関校に30人合格しているけれども別の塾では10人しか合格していないぞという感じでしょうか。
 
 しかし、その数字が本当に意味を持っているのかどうかは、じつは言っているほうも聞いているほうもよくわからなかったりします。そもそもある人間が難関校に進むこと自体に、どれぐらいの決定的な意味があるのかよくわからない。のんびりした学生生活を送りたいという人間だって相当数いらっしゃるわけで、数字でどうこう決めつけるのはちょっと危険かもしれません。
 私なんかその最たるもので「頑張らない」自由を享受してきました。義務の放棄までしてはいけませんが、最低限「頑張らない」権利はどなたでも有しているはずです。
 
 すべての価値を数字であらわそうとするからおかしなことになるのであって、たとえば私は自分の生活を相当豊かなものだと感謝していますが、数字で周囲に豊かだろう? と主張できる類のものは何も持っていません。それでも気分的には豊かなのですから、貧しいと嘆いたり反省したりする必要もないだろうと思っています。
 私は、年齢とともに自分が他者に寛容な姿勢を持つことができるようになってきたことを大変な豊かさだと考えているのです。
 
 何かの件で私が「まあ、いいじゃないか」と言うと、親しい知人から「長野はいつもそんな風に言うけど自分は許せない」と抗議(?)を受けることがあり、私は私自身の寛容さ(いい加減さ)に本当に救われていると実感することがあります。若いころはこうではなかった。歳をとり自然に豊かになってきたとしか表現しようがないですね。
 生きていて目覚めの感覚がよかったり散歩をしていても憂鬱な妄想に苦しめられたりということがありません。そういった内実の豊かさに生きてみるのもいいかもよという話をしました。
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2020.01.28 08:59

 理解のあるベテランの先生の日誌に、後ろの席に座っている特定の生徒がこそこそ答を写してまるをつけているとありました。さらに「かわいそうに。親が厳しいのだろう」と続けられていた。
 やみくもに叱ったりしないところがさすがです。ときどき私もそういう生徒を見かけますが、同じような感想を持ちます。少なくともみんなの前でいわゆる不正を暴いて恥をかかせるようなことはしません。あとで事情を訊いたときはありましたが、まあ想像通りの答が返ってきました。
 
 かなり昔にそんな記事を書きましたが、私も小学生のときに進学教室や塾(いくつも通っていました)でカンニングをしていました。私だけでなく、そういう仲間が何人かいた。時代も時代でしたから、悪い点数をとるとみんな体罰を受けていました。話を聞いていると、だいたいは父親ですね。
 自分の場合、素手だけではなく竹刀で叩かれたり蒲団を敷かずに寝かされたり、いま思い出してもうんざりするようなことばかりでした。
 
 体罰にともなう説教みたいなものも屈辱でした。負け犬だとか落伍者だとか低能だとかさんざんにののしられた。子ども心に彼(父親)は他者にそうした暴言を吐くのが快感なのではないか? と感じたことがあります。同じような話は仲間の小学生からも聞きました。自分の親はどんなにひどいかということが自慢話になったほどです。
 当時の自分としては、とにかくひ弱なうちはカンニングでも何でもして怒られないようにしようとしか考えられなかった。
 
 そして仲間同士互助会みたいな感じで点数を上げる。すると少しだけ褒められる。「痛い思いをしないとできないやつだ」などと苦笑され、いまに見ていろよと思ったものです。
 私はその後いわゆる意図的な親不孝を大量にしましたから、いまに見ていろの部分は十分に果たせたと思っています。いまさら恨みも何もなく、いわゆるプラスマイナスゼロの地点にいるのですが、同じような感情の生徒が存在するとしたら本当に気の毒だと思います。
 
 大脳生理学の記事に「怒鳴れば叩くのと同じ」と出ていました。さすがに現在体罰は減少していると思いますが、それでもかっとなって「何だこの点数は! 本当にバカだな」みたいなことを言ってしまったら、暴力とほとんど変わらないでしょう。いまに見ていろという意識を育てているのは誰なのか。
 見守るという美しい言葉がありますが、見守るどころか「見壊す」にならないよう周囲は気をつけるべきだと思います。
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2020.01.26 07:58

 渋谷教室にはじめて来たのが2011年、大震災があった年のことです。新年度となる3月1日に来たわけですが、それまで7年間も同じ教室(池袋)にいたので非常に心細かったことを覚えています。
 私はそういう人間なのです。感傷的なところがあり、慣れ親しんだ環境から離れることに過剰に詩みたいなものを感じすぎてしまうことがあります。こんな話を書くのは恥ずかしいのですが、渋谷教室に移ってからも休日に池袋の街をぶらぶら歩いたりしていた時期がありました。
 
 渋谷教室に来た初日にどこで食事をしたかということは明確に記憶しています。新しい街なのでなじみのお店というのはないですね。するとどこに入ったらいいのかわからない。すべてのお店が等距離です。
 教室を出て適当に歩いているうちにどんどん遠くに来てしまいました。そういうところも気弱で、迷うわけですよ。ここに「いま入る必然性はない」みたいなことをけっこう真面目に考えてしまう。そりゃそうです。必然性なんかあるわけがない。池袋だったらあそことあそこがあったのに・・・と迷っているうちに、遠くまで来てしまいました。
 
 埼京線の改札口のほうまで来た。教室からは歩いて10分ぐらいでしょうか。教室の近くにいくらでも飲食店はあるのにと思いながら、思い切ってうどん屋さんに入りました。うどんが食べたかったわけではなかったのですが、いつまでも迷っていてもきりがないという気持ちでした。
 次年度も渋谷教室で授業だけは担当させていただくことにはなっているのですが、1日じゅう滞在してるわけではないので食事はとらない可能性があります。ですからここ9年間入ったお店は退職までにぜんぶ回ろうかなと変な計画をたてています。
 
 なくなってしまったお店がけっこうあることに気づきました。きちんとした洋食屋さんが2軒なくなりました。とんかつ屋さんが2軒、ラーメン屋さんというか町中華が2軒、歴史のあったお蕎麦屋さんが1軒、お寿司屋さんが(回転ずしも含めると)3軒、カレー屋さんが1軒、それ以外にもチェーン展開しているお店がいろいろ代替わりしています。
 何かで移動することになり「また来ます」とあいさっしたお店には、実際はなかなか再訪する機会がないものです。最後のつもりで行っておこうと思います。
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2020.01.25 07:05

 定礎というのがありますね。ビルの入口に掲示されていることがよくあります。渋谷教室の入っているビルは昭和52年とありますから、かなり古いですね。私は西暦で数えるクセがあるので1977年のほうがぴったりくるかな。
 当時、大学生でした。このビルのすぐ隣にあるビル(現在は2階建てのうなぎ屋さんになっていますが)の将棋道場にときどき来ていました。このビルを見ているはずなのですが、まったく記憶にないですね。
 
 自分が住んでいるマンションの定礎は1980年代になっていました。私は1980年に自動車の免許を取得したのですが、自動車学校の車で現在住んでいるマンションの前を何度も走ったことがあります。そのときはおそらく民家が並んでいたのではないかと思います。
 ただそうやって走っていたところに将来マンションが出来、こうして20年間も住むことになるとは夢にも思いませんでした。
 
 そういう偶然は面白いものだなと思います。
 偶然と言えば、私の田舎は愛知県の豊橋というところにあります。ありましたと書くべきか。ときどき墓参りに行ったりしていましたが、まあマイナーと言えばマイナーな街で、住んでいる方に怒られてしまうかもしれませんがわんさか観光客が押し寄せてくるようなところではありません。手筒花火の発祥地らしい。あとちくわが有名。
 豊橋と地名を出しても「どこにあるの?」と質問されることがあります。
 
 ところが、3月から私に代わって渋谷教室長になるY先生は豊橋をよくご存じでした。すぐ近くに住んでいらっしゃったというのでびっくりした。豊橋にもときどきいらっしゃって、ご友人と遊んだりなさっていたそうです。そしてまた現在の私の上司の方も豊橋でお身内の方のお祝いをされたことがあるとおっしゃっていたので、それにも驚きました。
 その話が出たときは、私の隣席がY先生私の前の席が上司の方でしたので、狭い空間に豊橋に関係ある人間が3人偶然並んだことになります。
 
 まったく何も意識せずにうろうろしていた場所が、それこそあとあとの人生で大きな意味を持つということもあるのかもしれません。
 それとちょっと違いますが、小学生のころ両親と京成電車に乗っていて、小さな子どもの発した「キタセンジュのおばさん」という言葉がひどく耳に残ったことがありました。北千住という街があるのだなと漠然と思った。現在年に数回北千住に飲みに行ったりしますが、あのときのことを思い出します。この街におばさんが住んでいたのかと。
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2020.01.23 09:53

 どういう職種でも同じだと思いますが「お客さま第一」ということを掲げていない職場はまずないでしょう。それは教育産業も同じですね。ただちょっと難しいところもあって、たとえば生徒が「宿題は減らしてほしい」とか「解くのが大変だから答を見せてほしい」とか「授業中でも少しぐらい飲み食いさせて」とかおっしゃっても、お客さま第一ということでほいほい許可してしまうわけにはいかなかったりもします。
 まあ、ときどきびっくりするようなことを要求してくる生徒はいるものです。まだ小中学生ですからね。
 
 もっとも規則でできないのだと説明すると、彼らも素直に納得してくださる。トラブルになるようなことはありません。
 もう20年近く昔ですが、真夏に冷房をつけないでほしいと要求してきた生徒がいました。アレルギーがあって冷房を受けつけない体質なのだそうです。ただ20人以上いるクラスですから当然室内はすごく暑くなる。はじめは完全に冷房なしでやるつもりだったのですが、みんながひどく暑がるので(私は平気でした)少しだけつけていいかと訊きました。
 
 窓も開ければ大丈夫ということだったので、窓を開け冷房をつけた。効いているような効いていないような微妙な感じでした。こうした場合、特定のお客さま第一がほかのお客さま第一には全然ならないわけで、判断が難しいところがあります。
 大切なのは、場をおさめる人間が場の空気をどれぐらい和ませられるかという部分です。暑い暑くないという問題以上に、全体が弱者のために「でも、これぐらいなら我慢できるよ」と考えてくださる気運をどれぐらいまで起こせるか。
 
 私個人はリーダーという言葉はあまり好きではないのですが、場を支える人間にはそういう配慮がないとだめだと思います。夏に暑いのはあたりまえで、特異体質の方が少数いらっしゃっても圧倒的にそうではない人間のほうが多いわけですから、多数決的に考えて少数派は我慢しなさいという考え方には一理あります。しかし、あえて少数派(この場合はひとりだけ)を守る姿勢を見せていく過程で、全体からの妥協点を引き出す力ですね。
 何かの形で自分が弱者の立場になったとしても、ここにいれば安心だと皆さん感じてくださったかもしれない。
 
 そういう意味で、昔の宗教家なんかは立派でした。リーダーの資質云々と騒がなくても、ご自身のいらっしゃる空間で起きたすべての出来事はご自身の責任だと考えていたという話が伝わっています。現在のさまざまな分野の、いわゆるリーダーと呼ばれている人たちとの違いを感じるときがあります。
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2020.01.22 09:51

 教室で生徒たちに話したことをここにも書いておこうと思います。特別いい話というわけではないのですが、実用的(?)で役にたつような気がします。
 日々の生活で努力しているのになかなかうまくいかない時期というのがありますね。運が向かないというかついていないというか、そういうときが出てくる。
 私は昔からそれはある種の「のろい」みたいなものだと思っています。のろいと言うとおおげさですが、要するにこういうことです。
 
 これから書くことは私個人の感想ですから、もちろんどなたにもおしつける気持ちはありません。多くの方はのろわれるような「悪いこと」はなさらずに生きてこられたと思います。ただ生活の必要に応じて、やむをえず害虫を駆除されたり生き物を調理して食べたりなさったとは思うのです。あるいは一般的には感情がないと考えられている物質(ドアだとか消しゴムだとか)を腹をたてて蹴ったり投げたりした可能性があるかもしれません。怒鳴るなどというのも周囲に波及しますから、否定的なものを撒き散らしていることになりそうです。
 
 するとそれは深い部分で恨まれている可能性があります。まして他人に実害を与えていれば、直接的に恨まれたりもするでしょう。そうした外部からの恨みの観念が蓄積してきて何かしらいたずらの害をなすことがある。そして、運が悪くなったり事故が起きたりする。
 かと言って、昔殺してしまった虫や食べてしまった動物たちをいまさらどうこうできるものではありません。そこでどうしたらいいのか。自分はここから「いいこと」の貯蓄額をうんと増やせばいいと考えています。
 
 この「いいこと」というのは簡単に書くと、他者からお礼を言われるようなことです。その定義だけでいい。身内に対しても見知らぬ他人に対しても動物や虫などの生き物や物質に対してもそれだけです。お礼を言われる方向に行為する。実際に言われなくてもお礼を言ってもらえるだろうと想像される言動だけでいい。
 そうやって「いいこと」の貯蓄が増えてくるとーー要するに銀行の残高と同じですーー簡単にマイナスにはなりません。マイナスにならなければ運も向いてくるはずです。お礼を言われるようなことだけをなさってみてください。
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2020.01.20 09:13

 公立中学では比較的わかりやすいドリル以外に国語の課題はあまりないようですが、私立中学では教科書以外に相当難しい読解の問題集を課している学校がたくさんあります。たとえば私が知っているある私立中学では、問題集をノートに解いてまるやばつをつけ(自己採点)間違えたところは訂正させたうえで提出を義務づけています。その際、語句の意味調べなども必ず書いておかなければならないことになっています。
 ノート提出は通知表の評価に直結するので、サボることはできません。
 
 先生は丁寧に見てくださいます。さすがに人数が多いので添削まではしてくださらないものの、ただ判を押すだけという感じではありません。
 すごいのはここからです。定期テストにもその問題集から出題されるのですが、問いの形がすべて変わっている! 問題集と同じであれば極端な話、アとかウとか解答を丸暗記するだけで何とかなるかもしれません。それだって相当大変ではあるのですが、定期テストに出る範囲は毎回10題ぐらいですからヤマをかければ何とかなる。
 
 ところが問いの形式がぜんぶ違ってくるとなると・・・これはもう本当に深い読解が必要になってきますね。文章が完全に理解できていなければ得点になりません。教科書以外にそこまで勉強しておきなさいということです。
 さらに課題図書の内容を定期テストに出す私立校もあります。課題図書というのはだいたい文庫本か新書ですから、問いはどこにもついていません。その内容を訊かれるということは1冊まるまる完全に理解していなければならないということで、そうやって鍛えられていくわけです。
 
 もちろん中には課題図書をしっかり読んでいなかったり、問題集の解答を写してしまったりという生徒も出てくるでしょう。すると定期テストで点数がとれないことになり、結局成績を回復するために「しっかり読む」しかないというところに戻ってしまいます。
 国語力が大きく低下しているという新聞特集の最後の最後に「読むしかない」というあたりまえの結論が出ていましたが、私立中学高校はそうやって「読むしかない」とご自身が考えられるように具体的に対策をたてています。
 
 公立校でも活字を読む奨励はなされていますが、読むしかないというぎりぎりまで生徒を追いつめることはまずありません。すると同じ13歳14歳15歳でも読解力がじりじり開いていく。さらに先日も発表されていたように紙の本を読むと読解力だけではなく、集中力や思考力も高まっていくそうですから、そうした力まで開いていく。
 何度も書いてきたように意識的に読む生活を心がけること、そこがスタート地点になると思いますよ。
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2020.01.19 06:29

 保護者会でもお話をはじめたので、ブログにも書いておこうと思います。煩雑でわかりにくくなるといけませんので、なるべくシンプルに事実関係を書きます。
 この春で私は退職することになりました。何かやらかしたわけではないですよ。単純に年齢の関係です。春以降まで残ると次の年度の途中で引く規定になってしまう。現場にいながら途中退出はさすがにまずいでしょう。
 身分的には3月まで社員であるそうなのですが、教室は3月から新年度ですから、3月上旬の入試の合否発表のあたりで基本的には引こうと思います。
 
 同時に社員の形で書かせていただいていたこのブログもおしまいになります。いままでは会社(の方たち)がぜんぶお膳立てしてくださっていて、私はただひたすら文章を書くだけですみました。そうしたさまざまなことを個人でやる能力や才覚は残念ながらありません。静かに終わることにします。
 もともと隠者として生きたいという気持ちも強いので、個人的にどんどん露出していく生き方はちょっと本音と違ってしまうということもありますかね。
 
 何かしら文章は書いていくでしょうが、文芸的なものを書くぐらいでしょうか。まあ、そちらは日の目を見ることはなくても、私個人の中で完結できればある種満足でもあるのです。
 退職後も先生としては使ってくださるということでしたので、3月からはいくつかの教室で授業を担当させていただくことになりました。別の形で教えることも可能にはなりますが、とくに予定しているものはありません。
 
 渋谷教室はいままで一緒にお仕事をさせていただいていた国語科のY先生が教室長になります。彼は若いですが(若いからと書くべきかな)、非常に能力が高く生徒に人気があります。毎日毎日隣席の彼のところにたくさんの生徒が質問などで来てくださる光景を見てきました。上の方から次の教室長に現時点でどなたがいいだろうと打診されたときは、迷わずY先生を推薦しました。
 また本部からS先生という英語科の若手の実力者が副教室長としていらっしゃることになっています。教材も作られている先生で、渋谷教室自体は盤石です。
 
 3月度は基本的に有給休暇をいただく(消化する?)つもりですが、授業は休暇も何もないので1日から淡々と展開していきます。講演会は2月2日の町田教室、2月29日の川越教室が終わると当分機会はないと思います。ブログそのものはどうなるのだろう? おそらくしばらくは残されていると思いますが、4月には完全に私の手を離れます。コメントなどもできなくなるかもしれません。
 残り少ない日々ですが、いましばらくおつきあいください。
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2020.01.18 05:58

 推薦試験の面接練習をしていると多少それぞれの持つ厚みの違いみたいなものを感じることがあります。ただこれは時期的な問題もあり、早熟な子のほうがどうしても厚みが出てくるのは仕方のないことで、現在面接は苦手という中学生も合否は別にして劣等感は一切持たれなくていいと思います。
 たとえば自分が中学3年生のころは本当にひどいものでした。話せないというより話したくない。高校受験がなかったので大丈夫でしたが、面接試験があったら一発で落とされていたでしょう。
 
 当時、担任の先生から何か訊かれてぜんぶ「別に」と答えた記憶があります。別にありませんと敬語は使っていましたが、はなから話そうという気持ちがなかった。担任の先生はとてもいい先生でしたが、私はとにかく大人を信用していませんでした。その気持ちはいまもどこかに残っていて、極端に大人みたいなことを口にする大人(?)はあまり信用していないかもしれません。
 ただこの件に深入りしてしまうと本題に入れないので、入試の面接の話に戻すことにします。
 
 どういうところで差が出るか。
 ひとつには「抽象的な」問いかけに対する答えです。「友情とは何か?」「勉強するとはどういうことか?」「よりよい未来を築くために私たちは何を心がけたらよいか?」
 こうした問いかけに考えながらも比較的すらすら答えられる中学生がいて、非常に大人びた印象を受けます。抽象的な問いかけに答えられるということは、ふだんからそうした思考を心がけているのでしょう。目の前の事象に頼って生活するだけでなく、概念的な何かをつねに意識して生活しているということですね。「~とは?」に答えられる生活。
 
 さらに変化球的な質問というのがあります。たとえば「うちを受ける生徒に生徒会長はたくさんいるけれども、きみは他の生徒会長とどこが違う?」とか、「獣医さんになりたいと書いてあるけど動物実験のことはどう考えますか?」とか。
 こうした質問に「うっ」とつまったままになってしまっては感心しないのであって、正解はないのですから正しいかどうかではなく、ぱっと切り返せる活力や能力の片鱗を見せないといけません。
 
 たとえば「どの中学より民主的な運営を心がけてきました」とか「多くの動物たちを助けるために必要最低限の実験はこわがらない精神力も必要かもしれません」とか。練習中にも途中で、難しい質問ですねえ・・・と笑顔で返してくる生徒がいて、そういう感じだと質問者の先生とのコミュニケーションが闊達に進んでいくので好印象を持たれるでしょう。
 結局感情のやりとりなのですよ。やりとりを通じて(いいやつだなあ)という思いが相手の心に堆積していくかどうか。
 
 単純にセリフを棒読みしているような形ではうまくいかないと思ってください。会話というのはやりとりですから、相手がどうであろうと丸暗記というスタイルは自分勝手な部分がありどんなにいいことがらを並べたところで所詮は「暗記」ですから、高評価はあまり期待できません。相手の出方によって考え考え答える気持ちが大切です。それが会話の基本ですからね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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