2019.12.31 06:11

 2019年も今日で終わりです。来年は2日の正月特訓(受験生のみ)からスタートします。お正月は毎年ほとんどお休みがないのですが、何十年もそういう生活を送っているとそれがあたりまえになってしまって、苦痛に感じるどころかお正月ひまになったら何をしたらいいのだろうと考えるぐらいです。
 20代のころ、1度だけお正月に旅行したことがありました。地方都市に行ったのですが、お店がほとんど閉まっていて食事をするのも大変でしたよ。
 
 当時のウォークマンで、モーターヘッドのライヴ盤を聴いていた記憶があります。現在私は耳鼻科に通っていて、なるべくイヤホーンの類を使用しないようにと言われているので、本当は外でも音楽を聴きたいのですが自粛しています。聴きたい曲を聴けた20代のころが懐かしいですね。
 初詣の形で夜中に昔の生徒のご実家の神社に行くようになってから、10年以上経過しました。来てと言われているわけではないのですが、こういうのは突然行かなくなるのも不自然でしょう。
 
 時間をつぶす目的もあり、大晦日の夜ひとりで路線バスに乗るという変なことをときどきするようになりました。自分の授業そのものは最後のコマではないので、教室のしめを仲間に任せて少し早めに出る。そして、面白そうな路線バスに乗ってみる。
 これがじつに寂しくていい感じなのです。大晦日の夜の路線バスはがらがらもがらがらで、最後はだいたいひとりになってしまう。始発から終点まで乗っているのは私だけです。
 
 どの路線もそう。普通の日だと始発から終点までという方が他にも必ずいるものですが、大晦日はいない。お店が閉まっているせいで、道も暗く歩いている人も少ない。とてつもない田舎に来たような錯覚が起きます。そういう街の様子をあれこれ観察するのは楽しいですよ。
 昔は知っているお店でだらだら飲んで時間をつぶしていたのですが、最近は年齢のせいかすぐ酔っ払ってしまうので、ずーっと飲み続けるわけにもいかず適当に分散していろいろなことをしています。
 
 元旦はさすがに完全休養日ですね。年賀状のお返事を書くぐらいだと思います。そういえば昔は何となく福袋を買ったりしていた時代もありましたが、いつのまにか買わなくなりました。
 今年もありがとうございました。よいお年をお迎えください。
 
 
 
 
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2019.12.30 00:18

 現在、冬期講習中です。今年はちょっと変則的で、12月31日まで中3生は講習があり、1月1日の元旦だけお休みです。正月特訓は1月2日のみですが、特訓が1日間というのは私が記憶する限りでははじめてかもしれません。
 正月特訓は新宿教室の8階をお借りすることになっています。いつも使用している渋谷教室がお正月の2日間全館停電になる。新宿教室の大学受験部が当日お休みでしたので、運よくお借りすることができました。
 
 心配なのはどれだけ徹底しても、間違う人が出てくることです。さすがに正月特訓だけは(受験生ばかりですから)大丈夫だと信じていますが、じつはそういうところがしっかりしてこないと成績も伸びないのです。
 このことは講演会でも強調しています。よくできる生徒で、たとえばテストの日時を間違えたりする子はめったにいません。日にちも開始時刻も両方とも守る。事前にきちんと確認できているからです。
 
 そもそも各生徒に必ずテストの開始日時を印刷した紙を渡しています。またテストが近づくと廊下の数ヶ所にポスターを貼り、告知もしています。学年もコースも開始時刻もぜんぶ明記されている。あとはご本人が意志的に見て記憶するかどうかだけです。それをなぜか見ないままでよしとしてしまう。まあいいやと安易に考えている。
 中には「聞いていなかった」「自分には特別に声をかけて教えてほしい」と不本意そうに訴えてくる生徒もいます。
 
 そうした姿勢はちょっと問題なのであって、なぜ大半の仲間が間違わないのかということをご本人がもっともっと真剣に考えないといけません。同じ条件で同じ告知の紙を渡され、同じように廊下のポスターを目撃していながら、ご自身だけがどうして「聞いていない」になってしまうのか。
 これは、テストでみんながとれる問題をいつもうっかりミスしてしまうことにつながってくる重大な何かなのです。
 
 入学試験はとても意地悪に作られていて、わざとミスを誘発する構成になっています。選択肢問題は、それこそ偽のポスターが貼りまくられている中でホンモノを見つけ出す感覚に似ています。正しいものを選ぶために、細心の注意を払い冷静に考える必要がある。持っている条件をすべて利用して正解に到達するのは、配布された紙や壁のポスターを丁寧に見て間違いなくテスト開始日時に教室に入るのとまったく同じ能力です。
 生活の中でしっかり判断できない人が、入試の意地の悪い選択肢問題を解ききれるとは到底思えません。ふだんの生活をしっかりさせることこそが第1歩なのがわかりますか?
 
 
 
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2019.12.29 05:50

 学習法については何度も何度も同内容の記事を書いています。この話も繰り返しになってしまいますが、はじめて読んでくださる方もいらっしゃるでしょうからもう1度だけ書いておきましょうかね。
 講習のときは、相当勉強している気分になると思います。何しろ毎日ですから。毎日毎日やることがたくさんある。テキストに明日までにどこどこをやってきてくださいと書いてあります。サボってしまう人もいるでしょうが、だいたいの方は指示を守ってくださいます。
 
 そもそも講習に参加してくださるということは、成績を上げたいということでしょうから、サボっていては意味がないですね。そこで頑張ってやってくる。各教科課題があるので予習の貯金(?)がない人は、相当大変でしょう。中には5教科課題をこなさなければならない人もいます。
 するとそれで十分という気持ちになってしまう。塾で5教科5時間の授業を受けた。帰ってから5教科分の課題を3時間かけてやった。
 
 学校のない時期にそれだけやれば十分じゃないかという満足感に浸りがちですが、勉強時間の問題ではなく内容としてこれ以外やっていないということだとちょっと心配です。
 授業を受けてできなかったところの振り返りの時間がまったく用意されていませんね。いわゆる復習の時間がない。復習よりは明日の課題だろうという考え方には一理ありますが、長い目で見れば復習のほうが大切です。ご自身のできないところ間違ったところをできるようにする以外に本当の進歩はないからです。
 
 ただ復習というのは個人的にやるわけで、どなたかに評価される機会はありません。予習や課題であれば、たとえば漢字の小テストがあり「よくできた」ということが客観的に評価されます。満点をとれれば気分もいいでしょう。ところがテストでミスしたいくつかの漢字については、適当にちらりと見るだけで済ませてしまう。仮に改めて練習したところで誰も褒めてくれません。
 英語や数学も同じ。解けなかった問題をきちんと解きなおしても誰も褒めません。それでもやっておかないといけない。
 
 講習が終わったらまとめて復習するという人がいますが、だいたいはかけ声だけで終わってしまいます。資質の問題ではなく、時期を逸するとできないことがあるのです。濃密な時間を逃すと気持ちが萎えてしまう。講習中にーー少なくとも得意にしたい科目についてはーー毎日復習してください。復習→予習や課題という順番が本来は理想的です。
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2019.12.28 07:35

 幼児のころ「ウソをついてはいけない」と習います。正直でいなさい。ウソをつかなくてすむ清廉潔白な生活を送りなさい。大人になるに従って、自然とウソをつくようになります。不思議ですね。
 ウソまでいかなくても、ごまかしが入ってくる。よくわかりませんとか、その記録はもう廃棄してしまいましたとか、お答えは差し控えさせていただきますとか。
 ご本人が面白がってそうするわけではなく、やむにやまれず・・・という事情がありそうです。
 
 私なんか、幼児期からウソばかりついてきました。根本には周囲への反発がありました。両親の決めた規則に納得がいかないので、彼らがしてはいけないということを隠れてする。そして「していないよ」とウソをつく。してはいけないことの中には「誰それと遊んではいけない」というのがあった。逆に「誰それと友だちになりなさい」というめちゃくちゃなものもありました。相手のあることを私だけで決められるわけがない。
 遊びたい子とは遊びたいし、遊びたくない子とは口もききたくないものです。もういいやと自分勝手に判断して「言う通りにしているよ」とウソだけつく。
 
 寄り道せずに帰って来いとか買い食いしてはいけないとか、そうした約束もことごとく破りました。発覚したらすごく叱られそうです。叱られるとうちに入れてもらえないかもしれない。そういうことがよくあった。そこで、ウソをついて両親の言いなり風を装いました。
 そもそも「こうあるべき」「こうしなさい」という大前提が真理とは限りません。するとウソをつくことが必ずしも反真理というわけでもなかったりします。
 
 何かの力に圧倒されてウソをつかざるをえない立場の方も多いでしょう。組織全体の利益のためですね。組織の正義がいわゆる倫理的な正義と一致しているとは限らない。その場合、どうするかという問題が出てきます。
 難しく考えすぎるとちょっと苦しいかもしれませんね。宇宙には本来上下左右の概念がないのと同じで、広大な世の中では善悪を一概に決定できない要素が強くある。そうした人生観を持っていないと、場合によっては行き詰ってしまう。
 
 ただ大昔の易経関連の本なんかを読んでいると、為政者は常に国家や民のことを考え欲張らず身を正しく云々と書いてあります。為政者までいかなくても主人たる者、我が身を律して徳を積むように・・・とさかんに説かれている。
 現代はそのへんの道徳的な枠組みも少し崩れかけてきているように思います。何がそれを壊したのか。ときどきそういうことを考えます。
 
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2019.12.27 06:11

 私が小学生のとき「てぶくろの反対を言ってごらん」というくだらない遊びがはやりました。いまの小学生はこんなつまらない遊びはしていないようにも思いますが、ご存じの方もいらっしゃるかもしれません。てぶくろを反対側から読むと「ろくぶて」になります。解釈の仕方によっては6回ぶってという意味になる。そこで相手はすかさず6回ぶちます。もちろん遊びですからそんなに強くぶつわけではない。いち、に、さん、し、ご、ろくと声をあげながら軽くぶつ。
 
 ほどなく、この遊びは相手によって印象が全然違うということに小学生の自分は気づきました。ぶつ力は誰でも同じようなものなのですが、ぶたれたときの印象が違う。こちらはわざとひっかかってやるわけです。私自身がぶつ側にまわったときは、友だちがひっかかってくれていたのでしょう。わざとひっかかるぐらいですから、敵みたいなのはいないはずなのにぶたれたときの印象が非常に不快な相手がいる。また多少強くぶたれても女の子相手だとわくわくする。
 
 子どもでしたから、どうしてなのだろう? と不思議でした。ぶつという行為で相手が放出するエネルギーは一定なはずです。それがどうしてここまで違う意味を持ってくるのだろうと考えた。
 で、子どもなりにこれはあくまでも心の問題なのだろうと考えました。自分が対象をどう考えるかということでいい悪いが180度変わってくる。不快になるのとわくわくするのとでは真逆ですからね。
 
 そのあたりが原点だったのではないかと思います。
 人生、長いこと生きているといろいろなことがあります。いわゆる「いいこと」も起きれば「悪いこと」も起きる。試験、就職、人間関係、お金の損得、健康状態、何かの勝敗・・・
 悪いことが起きたときのダメージは一定の力を持って押し寄せてくるものですが、こちらの姿勢によってかなりのレベルまで緩和することができますね。
 
 先週、昔の卒業生がある名門大学に進学することになったと報告にいらしてくださった。文字通りの一流大学です。すごいじゃないかという話になったのですが、彼はじつは高校は第一志望校ではないところに進学しました。ベストの結果が出なかったわけですね。それで高校で頑張った。相当頑張りましたとご本人がおっしゃっていたので、間違いないと思います。結果として第一志望だった高校からもそうは簡単に入れない大学に合格できた。 
 
 私たちの人生は解釈の仕方によってどうにでも変わる可能性があるということです。ぶつかってくる力は一定でも、いくらでもいい方向に持っていくことができる。その解釈の仕方こそ、まず学ばなければならないものなのかもしれません。
 小さなエゴでいらいらするのでなく、ご自身が「試されている」という事実に誇りを持って前進してくださったらいいと思いますよ。
 
 
 
 
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2019.12.25 00:04

 紙の本で読むほうが電子機器で読むより総合的な力がつくという調査結果が出たそうですね。昔からそうではないかと言われてきましたが、数字ではっきり示されると説得力が増します。新聞に大きく掲載されていたのでお読みになった方も多いでしょう。
 紙で読む利点はぱっと前に戻れるところだと思います。あれ? 似た話は前も出てきたぞというときにーーきちんと読んでいればーーこのあたりだなというところにぱっと戻って確認することができる。それこそ行ったり来たりで理解が深まります。
 
 そうした作業の繰り返しが「読解」なのであって、疑問を抱きながらも確認しにくいので先へ先へと進んでいくような読書だとやはり十分な成果が上がらないということなのでしょう。
 さらにこれは近い将来試験というものが紙媒体でなくなれば解決していくことなのかもしれませんが、現状で入学試験は基本的に紙で実施されていますから、同じレベルの刺激に反応できなければいけません。紙に印刷されている文字では気づけないということではいけない。
 
 電子機器はくっきりしていてきわめて刺激が強いですから、画面のレベルだと気づけるのに印刷された平凡な文字だと気づけないということが起こりうるように思います。これは当代の一流棋士が画面で見ているだけでは力にならず、きちんと盤に向かって実際の駒を動かして考えないといけないとおっしゃっているのと似た感覚がありそうです。
 画面で見ればわかる変化をいちいち盤に並べるのですから二度手間みたいなものなのですが、そのあたりがじつは重要なのでしょう。
 
 紙の本を読むときには印をつける人もたくさんいます。真剣に読むという意味ではよいことですね。そうした作業がやりやすいのも本のよさでしょう。まったくストレスがかからずに印をつけられる。さまざまな線をひっぱったり星印をつけたり丸で囲んだり、自由な作業が可能です。
 作業そのものが読み取る力だけでなく、集中力や忍耐力や判断力を涵養してくれる。集中していなければ線なんか引けませんから。
 
 本をまったく読まないグループはやはり力が落ちるとも書いてありました。単純な読解力とか国語力だけではないからこわい。集中力や理解力、表現力なども落ちる。それでも読みたくないということであればそれはそれでいいのですが、好きなことを活字で体験するのは案外楽しいものですよ。
 サッカーやダンス、料理、音楽なども活字によって違った楽しみを得ることができます。とにかく経験してみてくださいよ。けっこう楽しいぞとわかってくるはずです。
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2019.12.24 09:04

 いろいろなご質問をいただくことがあります。非公開でというものも多いので、ご迷惑がかからないようにお答えするようにしています。先日いただいたものはなかなか深遠な要素があり、読んでいてなるほどと感心しました。
 私たちは日々自分たちの生活を作っています。生活だけでなく、自分たち自身も作っています。その事実は相当意識していいことだと思います。自然に推移しているわけではなく、じつは無意識であってもやはり「作っている」のです。
 
 たとえば字の汚い人というのがいます。責めているのではないですよ。わかりやすい例としてあげさせてください。字が汚いというのは乱暴に書くから汚いのであって、丁寧に書きはじめれば次第にきれいになります。上手下手はともかく、乱雑ではなくなるはずです。少なくとも丁寧に書く人だと周囲には認識されるでしょう。
 そうやって一瞬一瞬作っていくという事実は間違いない。ところが、そのときふとこういう疑念が出てくることがあります。
 
 こんなこと(丁寧に書くということ)をやっているけれども、本当は自分はすごく字が汚い人間なのだ、こんなことは一時しのぎのメッキみたいなものにすぎないのだという気持ちですね。それはそうでしょう。何年も何年も、場合によっては何十年も汚く書いてきた。歴史的にはそちらのほうがよほど長い。丁寧に書きはじめたのは今日ですから。
 そこが人間の偉大なところで、そうやって人は自分の意志でいい方向にも悪い方向にも変わることができます。いくらでもいい方向に、ご自身を作り直していくことができます。
 
 他の動植物ではできないことで、自分の世界を自分で創造していくというのは神さまの領域に近いでしょう。そうした能力を秘めているのにまったく利用しないというのは、非常にもったいないことだと思います。慣れてくるまでは(偽物の自分)ぐらいの疑いを持たれるかもしれませんが、どちらが本当になりたい自分なのかということをしっかり考えてください。
 本当になりたい自分になるための第一歩なのであれば、いままでのことはもういいですから、ここからしっかりご自身とご自身の世界を作り変えてください。
 
 何かに依存せずにきちんと自分の人生を生きるというのは、結局そういうことなのだと思いますよ。私たちはありとあらゆる習慣から離れる自由も持っています。あなたが「本当は」どういう方向に進んでいきたいかということだけが大切なのです。
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2019.12.22 01:30

 自宅に昭和50年ごろの将棋雑誌が1冊だけあります。当時は毎月のように将棋雑誌を購読していました。ただそのころのものはぜんぶ処分してしまっていて、この本は後に上石神井の古書店で買い求めたものでした。
 なぜその号を求めたのかははっきりしません。掲載されていた棋譜に興味があったのだと思いますが、どの棋譜かわからなくなっています。当時はインターネットも何もありませんでしたから、一般の人間が棋譜を見るためには専門誌を買うしかありませんでした。
 
 さまざまな広告が載っていて、それがまた面白い。将棋道場の広告も大量に載っていますが、現存している道場は皆無です。ただ有名な新宿の道場などは、場所を移していまも営業されているはずです。
 現在将棋を指す人の多くは、無料でネットで指しているのではないかと思います。もちろん大会に出ようという志の方は別でしょう。そういう方はやはりリアルな対局が欠かせないですね。盤と駒を使う対局ですね。
 
 ときどきこの将棋道場の跡はどうなっただろう? と気になって、現地まで見に行ってみることがあります。我ながら変な趣味だとは思うのですが、何となく気がかりで仕方がない。ビルはそのままで別の会社やお店が入っていることが多いですね。さきほどの新宿の道場は飲み屋さんになっていました。懐かしいので入ってみたのですが、若い方がたくさんいらっしゃって、まさかここが将棋道場だったとはどなたも思わないオシャレな内装になっていました。
 
 一軒家の道場だと完全になくなってしまっています。跡地を見てもどこにどういう形で建物があったのか思い出せなかったりする。杉並区にあった道場もそうでした。住所だけを頼りに行ってみたのですがーーこの話は以前も書いたなーーマンションと民家が並んでいるだけで、こんなところに? という感じでした。
 そこには電車に乗って日曜日にわざわざ出かけていったことがあった。木造家屋のひと部屋を使用しているのですが、タバコの煙が充満していてとにかく苦しかった。
 
 1990年代、新宿に非常にオシャレな道場ができたことがあります。道場というよりクラブという感じ。いわゆる「おじさん」だけでなく、学生さんや女性もたくさんいらっしゃった。アマの女流名人をとられた若くて美しい女性と指したことがあります。それはもう本当にきれいな方で、変なおじさん(私のこと)は緊張してしまって将棋どころじゃなかったですよ。あれも苦しいと言えば苦しかった。どうかと思います。
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2019.12.21 00:54

 父親が他界して、ちょうど1年。97歳でしたからね。冷たいようですが、あまり感慨はないというのが正直な気持ちです。こういうことはもっともらしく装うことでもないでしょう。いい悪いではなく、淡々とした親子関係もあるという記録を残しておきます。
 今年は法事の真似事みたいなことはやりましたが、個人的には今後は無理にやらなくてもいいのではないかという気持ちがしました。
 
 リバーシブルの服というのがありますね。小学校低学年のころ、そういうジャンパーを持っていました。表側が濃紺の普通の生地で、裏はつるつるした赤い生地でした。男の子が赤い服を着ているとからかわれるような気がして、裏を着たことはほとんどなかったと記憶しています。
 大人になってからはリバーシブルの服というのは1度も買ったことがありませんでした。子どもっぽいような気がしたのですね。
 
 ところが昨年の冬、ある通販のカタログでリバーシブルのコートを見つけました。表側が黒、裏は青でした。それなりの値段のきちんとしたコートで、私は通販で服を買うことはまずないのですが、どうしてもほしくなって買ってしまった。やはり表側の黒ばかり着ています。
 裏も悪くないので着てみようとは思うのですが、ふだん外側になっているほうを着込むところに若干抵抗を感じるのです。汚れているような気がする。
 
 父が死ぬ数日前でした。施設の部屋で家族がちょっと出かけてくるとみんないなくなってしまった。私と父だけになった。ベッドの上の父は半身を起こしてじーっとこちらを見ていました。会話はすでにない状態で、彼が何を考えていたのかはわかりません。
 私はふと自分がリバーシブルのコートを着ていることを思い出し、こういうのはどう感じるのだろうと父の前で黒い側を脱いでみました。
 
 それから今度は裏返しに青い生地側を着てみた。身動きせずただ見つめている父に向かって「リバーシブル!」と言ってみました。父はかなり注意深く見ていましたが、私のパフォーマンス(?)が終わると、これはどうしたことかという調子で目を閉じました。やれやれという感じだったので、最後の最後まで我が息子はこれかと絶望したのではないかと思います。
 私は私で最後に自分らしい芸が見せられたと誇らしかった。人はそれぞれの真実に生きるしかないと思いますよ。
 
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2019.12.20 00:27

 講師から社員という形にしていただいたのがちょうど20年前の春でした。ある教室の副教室長職と国語科の教材関係を兼任しなさいということになりました。そのとき前任者の才色兼備の女性(現在も年賀状のやりとりをさせていただいています)から、はじめてのお仕事はこれですよとある方の履歴書を見せていただいた。
 国語科の講師を志望されている女性でした。「どうしますか? 書類は合格にしますか?」とおっしゃった。私がまごまごしていると「これからはそういうことを決める立場ですよ」と。
 
 履歴書を見る限り、申し分ないように感じたので合格にしますと答えました。こういうのはある種のご縁でしょうね。
 話は突然とんで今週の水曜日、私はお休みをいただきました。午前中、月に一度うかがうクリニックに行きました。血圧の関係で継続的に診察していただいているのですが、おかげさまできわめて順調です。深刻なことは何一つ起こりません。
 薬をもらって池袋に出ました。
 
 最近出たばかりのある本をジュンク堂で買おうと思ったのです。渋谷のジュンク堂には3回、新宿の紀伊国屋書店にも1回行ったのですが、残念ながら売っていなかった。特殊な書籍なので流通がうまくいっていないのかもしれません。
 池袋のジュンク堂でもぱっと見た感じではなさそうに見えたのですが、1冊だけ発見しました。新刊なのに背表紙だけを見せる形で売られていた。それを買って、西武デパートのレストラン街に行きました。
 
 池袋は昔勤めていましたから、いくつかいいお店は知っています。ただ個人店でだらだら本を広げたりするのは迷惑かなという気持ちもしたので、デパートに行った。するとどのお店もーー相当店舗があるにもかかわらずーー廊下で椅子待ちしているお客さんがたくさんいました。どちらかと言えばお年寄りが多いですね。多少値段が高くてもゆっくりできますし、味も安定しているからでしょう。こんなに待っていられないなという気持ちがしたので、食事はあきらめて近くのエレベーターで下りることにしました。
 
 このエレベーターがまた来ない。そういうものですね。4基ならんでいるのに、みんな同じような階をうろうろしています。で、来るとなるといっせいに来る。あるエレベーターに乗りました。レストラン街は8階にあったので、各階で停まります。ある階でふと最後のお客さんが乗ってきた。
 それが20年前私が「合格にします」と言った先生なのです。現在はZ会進学教室のある教室の教室長にもなられていて、模擬テストの問題なども毎年作成され昔とは逆に私が教えていただく立場です。
 
 不思議ですねーと笑い合って1階でお別れしたのですが、こういうのは確率的にありえないことで、やっぱり何かのご縁としか考えられない。そしてじつは見えない法則というものがあるような気がします。凡人の私には見えないだけで、必然なのかもしれません。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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