2019.11.30 09:10

 どちらがよくてどちらが悪いということはまったくないのですが、世の中に粋だとか野暮だとかという価値観がありますね。どちらも極端になるといろいろ問題が生じてくるように思います。どちらをどの程度好むかはそれぞれの気質にもよるのでしょう。
 若いころの私は、野暮ったい空気が非常に苦手でした。世間一般では野暮とは言えないようなことでも野暮ったく感じる傾向がありました。
 
 野暮を辞書でひくといろいろ面白いことが書かれています。簡単に言えば「洗練されていない」という意味になりますか。あまりオシャレではないということです。
 若いときの自分のように極端になってくると、仲間うちで同じ話題でいつまでも盛り上がっているなどというのも耐え難く野暮ったく感じられました。いつまで同じ話をしているんだよという感じで、周囲が話を繰り返すと群れから離れることが多かった。
 
 仲間にしてみると「変なやつだな」というところがあったと思います。中学高校時代、私は同級生から「無視するなよ」という意味の抗議を何回か受けたことがあるのですが、同じ仲間と同じ話をいつまでもしている状況が許せない心理がありました。
 会話にしてもべたな会話は恥ずかしい。詩的で暗示に富んだ会話がいいのであって、いつどこでだれが何をした・・・みたいな話は途中で真面目に聞く気をなくしました。ふんふんうなずいていただけです。
 
 友だちができないのが当然であって、むしろ友だちなんか少ないほうが粋みたいな勘違いまであった。仲間がたくさんというのは、野暮ったくて見ていられないという気持ちでした。
 その後多少は常識みたいなものも身についてきて、とりあえずまともな生活も可能になったのですが、野暮ったさへの恐れはつねにどこかに隠れていて、たとえば集団で飲んでいても私はふと1人で帰ってしまったりします。
 
 どなたにも挨拶せずさっと帰ってしまう。酔っぱらっているので大胆になっている面もあるのですが、ふと消えるのが粋である気がするのです。
 家族には自分が不意に死んだときは一切どこにも連絡せず、最短である業者さん(チラシを見つけてとってあります)に連絡して、またたく間に散骨してもらってくれと話してあります。野暮ったく集まられたりするのは耐え難い。長野? そんな人いたっけ?  というのが究極の粋という気持ちがあるのです。
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2019.11.28 01:19

 料理に関していろいろな時期がありましたが、現在の私はやらない方向に来ています。一時期、得意になりたいと真剣に考えたことがありまして、ちょっと作ったりしていました。もちろん趣味的にということですが、どうも向かないような気がしてきた。やればもっとできるようになるかもしれないものの、ほかのことをやったほうがいいような気がしたのです。
 いくつか理由はあり、他者との比較で感じたこともありましたが、ここでは省略します。
 
 テレビの料理番組を見るのは、子どものときから好きでした。いまはユーチューブで料理関係のものをいろいろ見るときがあります。何だこれ? みたいな映像も中には混じっていますが、けっこう面白いものもあります。
 先日、チキンラーメンを使ったチャーハンというのを偶然見つけました。チキンラーメンを粉々にして湯戻ししておきます。普通のチャーハンを作り(卵とネギぐらいで)チキンラーメンをぜんぶ入れる。味つけはコショウとうまみ調味料だけでした。
 
 ホンモノのチキンチャーハンみたいだと作った方はおっしゃっていた。何だかおいしそうに見えたので、ぜひやってみようという気持ちになった。じつはすぐに作ろうと思ってキッチンをうろうろしたのですが、あいにくチキンラーメンはありませんでした。
 他の動画でおいしそうな湯豆腐もありました。これがホンモノの「湯」は使用しないのです。日本酒を使う。完全に日本酒のみです。
 
 日本酒の中にわずかに油を加えます。ごま油でしょうか。そして豆腐を入れる。かなり日本酒の味が強いのではないかと思いますが、味が深くてコンブでダシをとる必要はまったくないという話でした。
 ポン酢と薬味で召し上がっていました。これまたぜひやってみたいと思いました。料理酒でいいのでしょうが、少しいい日本酒を使ってみたらどうなのでしょう。休みの日に食べてみようと思っています。
 
 以前も書いた話ですが、私は幼児期「男の子は台所に入ってくるものではない」という育てられ方をしました。封建的な時代だったのですね。母親からはっきりそう言われたのを覚えています。何となく母のそばにいたくてキッチンに入っていくと、男なのだから外に出ていなさいと言われた。妹は何も言われていないので、うらやましく感じたものでした。
 いまはそんなことを言う親はいないでしょう。むしろ料理ぐらいできないようでは困ると言われるのではないか。この件に関しては、いい方向に時代が変わったと思います。
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2019.11.27 09:45

 どう生きたらいいかというのは人それぞれ違いますし、だからこそ個々人の価値が生じてくるのでしょう。どなたにも共通した唯一の法則みたいなものはまずないと考えていい。ただひどく混乱しているという相談を受けたときには、私はいつもだいたい同じ話をしています。
 それはこういうことです。仮に何かの事情であと1日しか生きられないとして、人間はそれでも「よりよく生きよう」と考えるしかないだろうということです。絶望してあえてひどく生きようというのは、冷静に考えれば得策ではない。
 
 パニックや絶望がまったく無価値であるというわけではありません。そうした状況を経験することに意義がないこともないでしょう。
 しかし、それで終わりたくないということであれば、どこかの時点で「いままでより少しでもましに」と考えるしかありません。あんなことをしなければよかった、あそこで大きな失敗をした・・・その思いがあっても現実は現実ですから、当時の幸福とは質が違っても、いまよりはましに生きるべきです。そのための計画をたててください。
 
 前向きな精神云々という掛け声の問題ではなく、理論的に考えていま以上によく生きようという生き方以上に賢い生き方はない。
 自分自身のことはあまり語りたくないのですが、たとえば私は現在64歳でいわゆる会社人間として最終地点に来ています。さまざまな終わりが見えている。また子どもも大きくなり、家庭生活もある意味結論じみたものが見えています。同世代の他者と比較してどうなのか真剣に考えたことはありませんが、過去に後悔がまったくないと言ったらウソになるでしょう。
 
 しかし、後悔する時点に戻って作業することは不可能なわけですから、せめてそうしたことを意識している人間としてよりよく生きたいと考えています。
 年齢とは関係なく自分なりの夢や希望はある。それらを阻むものは私の意識以外何もないので、これからも自分の望む方向に努力していくつもりです。どなたにとっても問題なのは、青春期にさかのぼってベストを尽くせないことではなく、現時点で停滞してしまってもはや今後にベストを尽くそうと考えもしないことなのではないかと思います。
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2019.11.26 01:00

 こういうのは個人差があり、責めるような形にしてはいけないと思うのですが、ときどき「うちの子はけっこう机に向かっている時間は長いのに、あまり成績が上がらない」というお話をうかがうことがあります。理由ははっきりしています。勉強は時間ではないのですよ。作業量が大切なのです。
 年に何度か中1のクラスでわざと10分間だけ漢字練習をしてもらうことがあります。狙いは2つあります。
 
 基本的には真剣にやればたったの10分間でもこんなにたくさん覚えられるということを知ってもらいたい。たかが10分間、されど10分間です。相当のことができる。ふだん「たった10分しかないから」とむだにしている時間を有効に使えるようになってほしいという気持ちですね。
 もう1つは、同じ10分間でも人によって作業量がこんなに違うということを実感してもらいたいということがあります。
 
 早い生徒ですと、10分間で120のマス目を書き取りと読み取りの練習で完全に埋め尽くします。雑な文字ではないですよ。丁寧に漢字を60、読み(こちらはひらがなです)を60書く。それこそ7~8分で完全に終了します。そして、書き終えたあとの彼らが何をするか観察していると、残った時間で欄外にまで練習しはじめます。もうできることはわかっている。わかっているけれども真摯な気持ちで時間がある限りはきちんと練習し続けようとする。
 
 かたや半分も書けない生徒もいます。私は彼らに「はやく書けないことを気にすることはないが、すべて書いてしまう仲間がいるということは意識しておくといい」と話しています。言外に、少しずつでいいからてきぱきできるようになってくれという期待をこめてお話しているつもりです。
 たったの10分間でさえそうなのです。漢字練習120以上書ける生徒と半分もいかない生徒がいる。中には休み休みでないと書けない生徒もいる。これが1日、1週間、ひと月、1年でどれだけの差になるか。
 
 ゆっくりな生徒をだめだと言いたいわけではありません。すべて、ご自身のペースでいいと思います。ただ「けっこう長く机の前に座っているのに」ということがあまりにも気になるのであれば、そうした作業量の差が大きいということは意識されてもいいでしょう。何らかの工夫で、作業量が増えるようにしていかないといけないということです。となると・・・日常生活全体のペースを見直す必要は出てくるかもしれません。食事でもお風呂でも支度でも、少しスピードをあげていくということですね。
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2019.11.24 08:54

 最近、昭和期から続く古い食堂が脚光を浴びて(?)いますね。特集されている雑誌を何種類か見ました。そうした食堂を飲み屋さんのように使う方が増えてきたらしい。食べるだけでなく、アルコール類を飲むということですね。ですから、食堂の壁に「2時間まで」という貼り紙があったりします。
 普通にごはんだけを食べるのであれば2時間かかることはまずありえないので、そのあたりは居酒屋さんとして使用される方が増えたのだろうと思います。
 
 古い食堂というのはそれなりに深いものがあり、新しいチェーン店だとなかなか2時間飲み続けるというわけにもいかないでしょう。何か注意されそうですし、注意されないまでもかなり奇異な目で見られてしまうものです。
 昔、チェーン展開している食堂でたいした量ではないと思いますが、昼間からお酒を飲んでいる人がいました。周囲に新しいお客さんが座ろうとしないので、静かに飲んでいてもやはりこういうお店ではなかなか難しいものだと感じましたよ。
 
 そこへいくと古い食堂にはいわゆるおつまみ類が大量に用意されていて、飲むことに寛容な文化があります。ご家族経営なので、お金を多めに使っていただくために積極的に飲ませたい気持ちもあるのでしょう。
 先日、中でも有名な北区のある食堂に行ってみました。休みの日にバスと電車を乗り継いでわざわざ行った。ところが、外からは様子がわからない。おそるおそる扉を開けたところ、13時すぎなのにそこにいたほぼ全員がアルコール類を飲んでいました。
 
 内訳は年配のカップル1組、年配の女の人2人組、単独のおじさん2人、そしてこの方だけ食後のお茶を飲んでいたのでそれ以前にアルコール類を摂取していたかどうか不明な若めの女性1人・・・そして私でした。
 様子をうかがいながらとりあえずビールを頼んだ。それからオムライスを頼みました。するとこの安価なオムライスがすごくおいしい。オムライスというのは、こんなにおいしいものだったかと感動しましたよ。
 
 正直、お酒を飲むこと自体はあまり落ち着かなかったのですが、食堂と名づけているだけあって食事がすごくおいしい。昔の食堂というのは本当においしかったのですね。
 近いうちに改めて出かけていって、べつのものも注文してみたいと考えています。
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2019.11.23 08:15

 毎年、正月に「正月特訓」という講座を設置しています。年度によって日数が違うのですが、来年は1月2日の1日だけです。中1中2の皆さんはまだゆっくりされていてもよいのではないかということで、対象は受験生のみです。
 お正月は独特ののんびりした波動が充満していますからね。なるべくなら緊張感を保ったままでいてもらいたい。で、朝から午後の6時ぐらいまで勉強です。気の毒みたいにも見えますが、来てくださっている全員がやっていることなので、まったく悲壮感は漂いません。
 
 次年度ちょっと問題があり、正月期間ここ渋谷教室が停電で使えないのです。全館停電だそうで、これはもう私たちの力ではどうしようもない。もっとも渋谷教室にはたくさんの受験生が通ってきてくださいますから、正月特訓はやりませんというわけにもいきません。
 そこで新宿教室のビルの8階を使わせていただくことになりました。もちろんふだんもZ会が使っている教室ですが、大学受験部が使用しています。そちらがお休みなので、私たちが使用させていただけることになりました。
 
 新宿までは渋谷から山手線ならたった3駅で7分です。いちばん近い改札口(南口の甲州街道改札)からは教室まで5分ぐらいでしょうか。遠くはありませんし表通りで、物騒なところはまったく通りません。ましてお正月ですからね。渋谷教室にいらっしゃるのと印象は変わらないと思います。
 特訓授業のみ、お弁当が出るのですよ。とくに出さなくても大丈夫なような気もするのですが、伝統的にそうなっている。
 
 これが妙に楽しかったりするのも事実です。そんなに御馳走が出るわけでもない。大人の方の趣味の会などとは違って、あくまでも勉強の集まりですからね。勉強と勉強のあいだに食事が用意されているに過ぎない。それでも皆さん妙に喜んでくださるのが面白いと言えば面白い。
 うまかったとかまずかったとか量が少ないとか多すぎるとかおかずをもらったとか交換したとか、「同じものを食べる」ことの連帯意識はたいしたものだと思います。
 
 私も毎年授業を担当しています。かれこれ20年以上そんなことをしてお正月を過ごしてきました。お弁当は私たち先生にも出るのですが、こんなことを書いておきながら私もけっこう楽しみだったりします。外に出てもっとおいしいものを食べることだってできるのに、教室で皆さんと同じものを食べるのが楽しいのです。
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2019.11.21 01:31

 たとえば中学生でもけろりと「きのうは1日14時間勉強しました」という子がいることはいます。夏休み、自習室に8時台から来ている。帰るのが22時すぎ。約14時間ですね。授業も休み時間もあり途中で何か食べたりもしているでしょうが、まあざっと14時間。帰ったらどうする? と質問すると、勉強しますと笑顔で答えます。
 そういう生徒は毎年います。ご本人の選択であり、誰に強制されたものでもない。そこが尊いところだと思います。
 
 難関高校に合格してからもすぐに塾に通わなければだめでしょうかというご質問をいただくことがあります。現実に、すぐに通ってくださる生徒はいる。ほとんど中学時代の継続という感覚ですね。もちろん塾はZ会だけではありません。とにかくどこかしら学校以外で勉強している。
 声をかけてみると、要するに通いたくて通っている。学校の宿題も大量にあってすごく大変ではあるというのです。それでももっと難しいことを学びたい。だから私塾に通う。これまた「もっと勉強したい」というご本人の意志がすべてです。
 
 こういうことを他人に強制するものではないでしょう。何々くんは1日14時間勉強しているのにあなたはどうして2時間もできないの? などと強く責めるべきではない。それは大人が「もっともっと残業している人間もいるのに、あなたはなぜその程度しか残業できないのだ」と責めたりしてはいけないのと同じ理屈です。
 2時間しかできないのであれば、とにかく2時間だけ集中して必死にやればいい。あとの12時間は勉強はしなくても、何かしらご本人の糧になることに励まれたらいいと思います。
 
 向き不向きというものはどうしても存在し、誰もが黙々と勉強に励めるものではありません。むしろそういう生徒は少数派でしょう。そんなことでは超難関校に合格できないじゃないかという考え方もあります。ただ超難関校に合格していくような生徒はじつは結果的に合格しているだけであって、合格するためだけに勉強しているわけではないのです。
 妙な前提ですが、試験が中止になるといまからわかっていたら猛勉強をやめるかね? と彼らに訊ねたことがありますが、全員「楽しいので勉強は続けます」でした。
 
 こうした性向は成長とともに変わってきます。だから変に決めつけないことも大切です。中学時代2時間しか続かなかった勉強が、何らかの理由で高校生になると8時間以上あたりまえのように勉強できたりすることもある。体質が変わるからです。
 息子もそんな感じでした。おれは(他者からの勉強の)強制による金属疲労がいままでないから、いくらでも勉強できると変な自慢をしていました。私みたいにぼろぼろの少年ではなかった。短気を起こしてつぶさないことです。
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2019.11.20 08:24

 入試改革でさかんに表現力を増強しなければいけないというようなことがうたわれていますが、ということはこれまでの世代は表現力が乏しいということなのでしょう。その世代の中にはもちろん大人も含まれています。要するにいままでの日本人はどこかしら表現力に難がある。もう少し伝わるように工夫努力しなければならないということになりますね。
 考えてみれば、親が子どもに対してどれだけ愛情を伝えられているかという問題も出てきます。愛情があるのはあたりまえでも、表現力がともなっていなければ全然伝わらない。
 
 私は心理学者ではありませんし、これから述べるようなことを「権威を持って」お話したいとは思っていません。ただ自分が経験もしくは見聞きしてきたかぎりにおいては、こうしたことは真理に近いのではないかという気がしています。
 愛情ということに関してですが、基本的な方向性としてはとにかく大前提として「まるごと愛する」という配慮がそれなりに必要ではないかと思います。つまらない条件をつけずに「まるごと」です。それが相手に伝わっているかどうか。
 
 条件がついてしまうと相手もバカではない。これができるから愛されるのだなという気持ちになります。芸事でも勉強でも競技でも何でもいいですが、できたら愛され、ちょっと調子が悪いぐらいで愛されなくなる。ましてやすごく調子を落とすと、けなされたり怒鳴られたりする。
 こんなので本当に愛されているのだろうか? と疑心暗鬼にもなるでしょう。愛されているのは自分ではなくて、優秀な競技者や優等生にすぎないのではないか。
 
 まるごと愛されることの安心感の土台があってはじめて次の段階に進めます。私はーーさんざん書いてきたので繰り返すのもどうかという気持ちがあるのですがーー子どものとき自分が「まるごと」愛された記憶はほとんどありません。あくまでも素行がよくはきはきしてさらに成績がよかったらはじめて愛されるという付帯条件をつねに感じました。
 それに気づいたときからむしろ身近な大人(とりわけ両親)に嫌われるようなことをしてみたいとさえ思いました。相手がどう出てくるかに興味があった。
 
 勉強をしない。あきらかに態度も悪くする。すると彼らは怒りますね。なぜ怒るのか。彼らもまた本音のところでは自身の子どもを愛したい。当然でしょう。ところが目下の状況では愛しようがない。そこで条件を整えようとする。はやくいい子にもどして、全面的に愛したいという焦りが生じてくる。
 そうした焦りを私はむしろいい気味だと思っていました。おれはあなたたちのロボットではない。そんな価値観では絶対に生きないぞと考えました。
 
 これがなかなか難しいところなのですが、いったん「どんなに悪いことをしても自分は愛されるのだ」という安心感を得ると、人はそうそう悪いことができなくなるものです。まるごと愛してくれる相手が失望しながらもさらに愛してくれるに違いないと思うと、さすがにしのびなくなるからでしょう。
 大事に思っていることがわが子に伝わらないのであれば、もっともっと表現力を磨く必要があると思います。
 
 ビジネスのような感覚が混じってくるとうまくいかないものです。いい点をとったらとか何番以内に入ったらとか勝利をおさめたらとか、商売上の契約みたいな愛情は人間が渇望している本当の愛情とはまるで違います。徹底的な反感を抱かれる可能性さえある。愛情を表現する工夫や技量みたいなものは、油断なく常に磨き続ける気持ちが大切です。親子関係の良好さというのは日々のトレーニングみたいなところがあり、問題が生じようが生じまいが大人側は常に配慮していく必要があると思います。
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2019.11.18 09:34

 私が生まれてからしばらくして日本は高度成長期ということになりました。当時、デパートという施設は大変にぎわっていました。ある意味で、夢の世界みたいな感覚もあった。子どもたちは親から次の休みはデパートに行くぞと言われると大喜びしたものです。小学校低学年のころ、私は同級生から「明日、デパートに行くんだ」という話を何度か聞かされたことがあります。おそらく私もそんな話をしていたに違いありません。
 
 ファミリー・レストランだとかコンビニエンスストアーだとかをまったく見かけない時代ですからね。デパートの大食堂(というものがありました)で家族で食事するというのは1大イベントでした。
 ご飯ものでは「お子さまランチ」というのがあって、よく注文しました。学年が上がってくるとむしろソフトクリームなどの甘いものを食べていた。いずれにせよ、それなりの価格で家族で食事をするのにデパートの大食堂は好適だったのでしょう。
 
 私立中学に入って下校途中に友だちと盛り場をうろうろする機会ができるようになると、やはりデパートに入って遊びました。当時は屋上に動物がたくさんいて動物園みたいになっていたり、ゲーム機が大量に並んでいてゲームセンターのかわりになっていたりしました。
 本当のゲームセンターだとときどきこわいお兄さんがいたりする印象があったのですが、デパート内では安心して遊べました。
 
 そのデパートがだんだんなくなってきていますね。とくに地方都市は顕著です。先日、先祖のお墓がある豊橋市でも最後のデパートが来春閉店するという知らせを目にしました。昔は市内に3つもデパートがあったのですよ。1970年代、友人と屋上のビアガーデンに入ったことがあります。生バンドが「ハイウェイ・スター」を演奏していた。ギターソロがへろへろでヴォーカルの人がステージ上で顔を覆ったりしているので、かえって(田舎に旅行に来た!)とうれしくなったのを覚えています。
 
 豊橋市だけではなく、東三河地区にデパートというものがとうとうなくなってしまうそうです。閉店まえに1度行って来ようと思っています。
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2019.11.17 08:17

 渋谷という街にはあまり本格的な蕎麦屋さんがないと思っていました。以前、ときどき行っていた老舗のチェーン店がありましたが、いつのまにか閉店してしまいました。改装かな? と期待していたのですが、その後はステーキ屋さんになっています。
 立ち食いの蕎麦屋さんはたくさんあり、時間がないときはお邪魔することもあるのですが、じっくり味わう感じではありません。他にも蕎麦関係の専門店はいくつか見つけたものの、どこもとくにどうという感じではありませんでした。
 
 私自身、いわゆる「グルメ」ではありません。世の中で唯一わかるのはビールの味ぐらいで、あとは何だかよくわからない。いつだったかどなたかにカレーの中ではC&Cのカレーがいちばんおいしいと話したところ、それは非常に安上がりですばらしい。うらやましい限りですと褒められたようなあきれられたような微妙な感想をいただいた。
 その程度の「舌」であるということです。ですから蕎麦がどうのこうのと語ったところで的外れかもしれません。
 
 渋谷教室に勤めるようになって丸8年が経過しました。今年になってはじめて私はすごくおいしい蕎麦屋さんを発見しました。昔からずーっと存在していたらしいのですが、こちらのアンテナに引っかかってこなかったのです。
 建物の2階に入っていたということもあります。外から見て蕎麦屋さんがあるようには見えない。偶然発見して入ってみたら、これが明るくて雰囲気がよくてすごくおいしい。
 
 そもそも陽光が燦燦とさしこむうえに照明も底抜けに明るいというだけでも得点が高いですよ。どういうわけか蕎麦屋さんの中には薄暗さを売りにしているようなお店があります。悪気はないのでしょう。老舗の居酒屋さんにもそういう感じの名店がいくつかある。神経が疲れないようにという配慮なのですね。
 そういうお店はきらいではないのですが、飲み屋さんならともかく食べ物屋さんはやっぱり明るいほうがいいですね。
 
 テーブルに着くとお茶と水を両方持ってきてくださる。そういうところも配慮が行き届いている。当然いつ行ってもにぎわっていますが、女性の1人客も安心できる感じです。先日はカキ南蛮蕎麦というのを食べてみました。少し高めではありましたが、感動的においしかった。お酒を飲んでいる方もけっこういらっしゃって、いつか早く帰れた日にやってみたいと思っています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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