とくに何か理由があってというわけではないのですが、ふと昔の生徒を思い出すときがあります。彼(彼女)はいま何を考えているだろうか? という感じですね。私が教えた全生徒ということになると、上は50代になります。去年担当していた生徒が今年基本的に16歳ですから(現在教室にいらっしゃる生徒は直接話せるので、さすがにどうしているだろう? とは考えません)50代から16歳までのどなたかのことを思い出すという意味です。
必ずしもこちらを慕ってくださっていた生徒ではなくても、ふと思い出すことがあります。Z会だけでも講師時代から考えればすでに20年以上経過しています。ついでに退職された先生のこともどうしているだろう? と思い出すときがあります。
先生の何人かは現役のまま亡くなりました。仕事のあと一緒に飲みに行ったりしていましたから、亡くなられたと聞いたときはショックでした。私より年下の先生もいらっしゃいました。
教室長という形では三鷹、池袋、渋谷の3教室で担当させていただく機会がありました。三鷹時代というのはもう20年近く昔になります。当時、お昼を食べに行っていた個人店のいくつかはもうなくなってしまったかもしれません。そうしたこともふっと気になります。
三鷹は自宅からけっこう近いので見に行こうと思えばいつでも行けるのですが、そのためだけになかなか出かけて行くものでもないですね。
池袋時代、私は仕事帰りにときどきある歩道橋(夜は人が通らない)から街の様子をながめてみることがありました。その歩道橋は20代のときに偶然渡ったものだった。池袋教室勤務になってしばらくしてから(あ、ここだったのか!)と気づいたのです。
いよいよ50代になった私は、若く希望に燃えていた日と何がどう変わったのかということについてしばしば考えたものです。
それは簡単に成功とか失敗とか名づけられないような感覚でした。成功でも失敗でもなく、獲得でも喪失でもなく、幸福でも不幸でもない。そういう何かが人生には確実にあるということを実感した。
生徒の世代でもそんなことを意識しはじめる方が出てきているでしょう。簡単に表現してしまえば自分は自分以外にはなれず、そうであるならかつて「どこにもモデルのない」自分自身になりきってしまったほうが幸せなのだということです。
2019.10.07 08:05
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