2019.10.30 01:56

 就職に迷われている方がときどきいます。すごくわかりやすく書いてしまうと、あなたご自身を世の中でどう役だてるか、でしょう。役だてると当然「ありがたい」と感じる方が出てくる。あなたがなさった何かに対して本当にありがたいと思う。そして、何が何でもお礼をしたいと考える。こんなにいい思いをして、あるいはこんなに助けてもらって、言葉だけの感謝ですませてしまうのはあまりにも申し訳ないぐらいまで考える。
 それでは何かしらお礼をしよう・・・ということになってきて、対価が発生します。
 
 あくまでもお役にたてる結果として対価が発生するものです。ただあまりにも行き当たりばったりでは、落ち着いてお役にたつことを「し続ける」環境にないこともありうるわけで、それでは困るので組織が出来て給料制度みたいなものが発達してきました。お礼の集まる組織だとか分配する組織だとかがあったほうが、個人は落ち着いて得意なことができるからです。
 ですから、就職なさるときその仕事が儲かるかどうか「だけ」を考えるのは若干本末転倒にも思われます。
 
 儲かるかどうかを熟慮すること自体はもちろんいいのですよ。言いたいのはそれ「だけ」ではうまくいかないのではないかということです。
 あなたが得意なことというのは、あなたが好きなことでしょう。好きなことだから徹底的に磨いて得意になってきた。すると「得意になりたがっている」後輩たちにどうしたら得意になるのかを伝えてやることもできます。私の場合は、その後輩たちが「生徒」になっているわけです。
 
 世の中「どういう職種が収入が多いか」という調査がなされています。収入が多いところを目指されるのはもちろんいいのですが、あなたがやりたいこと得意なことと仕事内容があまりにもかけ離れているとしたら、働きはじめてからちょっと後悔されるかもしれません。
 たくさん収入があると遊べるからいいという考え方を否定するものではまったくありませんが、どうしたらいちばん世の中の役にたてるかということを意識されるとお金だけではない豊かさまで流れこんでくるのは事実だと思います。
 
 こんな仕事をしていても友だちより儲からないという愚痴を聞く機会がありますが、現在のあなたがあなたなりに世の中の役にたっているのなら、それはそれで別種の豊かさが潜んでいるはずなのでよく考えてみてください。豊かさは「金銭」だけではない。他者からの尊敬だとか静かな生活だとか家族と密に過ごせる自由時間の豊富さとか「生き馬の目を抜く」ようなことをせずに倫理的に生きられる誇りだとか・・・これもまた豊かさなのだなということは、あえて意識されてもいいと思いますよ。
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2019.10.29 03:08

 大げさなタイトルをつけましたが、食べるときのくだらないお話です。私は勤めに来る日はだいたいどこかで朝食兼昼食を食べることになっていますが、以前よりは真剣に食べることを考えるようになりました。これは年齢と関係がありそうです。
 深刻にとらえているわけではないのですが、歳をとってお若い方より残りの食事の回数が少なくなっています。寿命というものがありますから。すると1回1回の重みは自然に増してきますね。
 
 時間のないときは別ですが、余裕がたっぷりあるのに大慌てでよく考えずに立ち食いの何かをかっこむようなスタイルはちょっとどうかな・・・という気がしてきました。そういうのがお好きな方ももちろんいらっしゃっていいわけで、批判的な気持ちを持っているわけではありません。私自身の問題としてです。
 じっくり考えて、なるべくそのとき「本当に食べたいもの」を食べるように心がけています。仮にそれがーー何でもいいのですがーーフライだったとしますね。
 
 まずお店を選んで、フライの定食を頼みます。定食のフライというのは平均して3種類ぐらいついてきますかね。私がよくいくお店では、エビフライと鮭のフライとカニクリームコロッケが出てきます。それにサラダ、タルタルソースが添えられてくる。
 ここでじっくり考える。毎回毎回鮭のフライから「何となく」食べている私は何なのだろう? そういう姿勢は怠惰なのであって、ときにはいつも最後に回すエビフライをいきなり食べて展開を劇的に変化させてみてはどうだろうか?
 
 あるいは「添えられているから」という理由だけでタルタルソースに執着しないで、場合によっては卓上のウスターソースを使ってみてはどうか? そうしたことを食事しながら途中で考え考え進めていくのです。
 簡単なようで、これがけっこう難しい。食べはじめると自動的に手が動く。その「自動的」はだいたいが習慣でしかない。もっともそのおかげで大きな失敗は防げたりもするのですが。
 
 先日はあるとんかつ屋さんでキャベツの千切りにドレッシングをかけてみました。いつもはとんかつソースなのですが、その日は劇的な変化が大切だと思ってそうしてみた。結果、後悔しましたよ。とんかつ屋さん特有の「キャベツのおかわり自由」でしたので、珍しくおかわりしてやり直した。そういうこともありますが、熟慮のあとの失敗はまあよしとしますかね。
 
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2019.10.27 00:45

 立場上、生徒の学校成績がわかります。志望校を決めていくときにどうしても学校成績ーー内申と呼ぶやつですねーーは大切なので、いくつとれているのか申告していただくことになります。中には恥ずかしがって本当の成績を書かない生徒もいるかもしれませんが、だいたいの方は正直に書いてくださっているのではないかと思います。
 すると必ずしも模擬テストの偏差値どおりではないということがわかる。テストはかなりとれているのに、内申が低いケースはしばしば目撃します。
 
 オール3というのは要するに「普通」ということですね。悪くはない。いいというほどでもない。オール4は普通よりはよいということです。残念ながらすごくよいというわけではありません。
 この内申と私自身の価値観は必ずしも一致しません。簡単に書けば自分が非常に「買っている」生徒でもオール3ぐらいの子はいます。私も「先生生活」は40年近く続けていますから、自分の見方にはそれなりの自信を持っています。
 
 ですから、いずれは伸びるだろうと確信を抱いている生徒にいまオール3がついていても、そんなに心配はしません。
 ある意味で、感情の動きが乏しいとか表情が乏しいとかで損をしている中学生がいます。いい子なのですよ。ただ挨拶みたいなことは避けたがる。避けているつもりはないのかもしれませんが、こちらから見るとそう見える。たとえば「こんにちは」と声をかけたときに相手がかすかにうなずく程度であれば、挨拶したほうは歓迎されているとは考えないものです。
 
 ひょっとして自宅でも挨拶の習慣がまったくないのではないか。おはよう。おやすみ。いただきます。行ってきます。お帰りなさい。うちの息子はいまでも大きな声でその種の挨拶をしますが、それは幼いころからの習慣であって、道徳的な何かではありません。自然な動物の「鳴き声」みたいなものですね。
 ご自宅で挨拶が皆無なのに外でいきなり「こんにちは!」とか「おはようございます!」とか快活に挨拶できる方はまずいないでしょう。
 
 感情のやりとりの入口が挨拶ですから、何とか工夫して明るく(暗い挨拶というのは本来の意味で挨拶の役目を果たしていないかもしれません)挨拶できるようにもっていきたいものです。「ちょっと後ろ通るよ」とか「いきなり前をごめんね」とか「これ貸してもらえる?」とかもりっぱな挨拶でしょう。配慮をあえて表現するということ。身体をぶつけながら黙って強引に背後を通るなどというのは、ちょっとどうなのでしょうか。
 
 
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2019.10.26 06:26

 こういうことがありましたよ。ここのところ私は傘を同じ店で買うようにしています。すごく高い傘を買ってみたり、あえて洋服屋さんで買ってみたりした時期もあったのですが、いまは同じ店(「しぶちか」というところにあります)で買う。
 これが不思議なもので、そこの傘が特別いいわけではないのです。ただそこ以外のどこかで買いたいかというとそれもまったくない。であるなら・・・という程度で、同じ店で買っています。
 
 しかもまったく同じ傘を買っています。少なくとも3本連続で同じものを買った。1本はこわれてしまいました。1本はなくしてしまった。どこでなくしたかよくわからない。そこで3本目を買いました。
 私はもう10年ぐらい血圧をコントロールする薬を飲んでいます。たいしたことはないのですが、飲み続けなさいとお医者さんがおっしゃるので言うことを聞いている。毎月、診てもらって薬局で薬をもらう。
 
 先日薬局に入った日は雨が降っていました。薬局の傘たてに傘を置こうとして気がついた。先月なくなってしまった私の傘が入っているではないですか。(ここに忘れていったのか!)その日さしてきた傘はありましたがせっかくだからと思い、薬の用意をしてくださっている女性に「この傘は先月からずっとここに置いてあるものではないですか」と訊いてみました。「どなたかの忘れ物です」とおっしゃる。「私のではないかと思うのですが・・・」と告げると、ちょっとだけ本当か? という顔をされた。
 
 そこで自分のさしてきた傘を提示し、ほら、同じでしょう? と言ってみた。「いつも同じ傘を買っているので、なくしたと思ってまた同じものを買ったのです」
 女性は両方の傘を見比べてから、それならどうぞお持ちくださいとおっしゃった。ただ何となく気味の悪いお客さんだなあぐらいは思ったかもしれません。反応が微妙ではありましたよ。
 雨上がりの中を同じ傘を2本手にして自宅に帰りましたが、何となくおかしくて笑ってしまいました。
 
 同じ傘を買い続けるという行為は必ずしも皆さんがされていることではないのかもしれませんね。気分転換の意味もあり、まったく別の色や柄の傘を買うものなのかもしれない。とくに女性の方はそうではないかという気がします。
 たとえばこうやって毎日渋谷に来なくなればわざわざ傘だけ買いに来るとは思えないので、また別の種類の傘を買うでしょう。同じ傘のひとつは教室の置き傘にしてあります。
 
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2019.10.25 00:43

 真面目な人間というのが存在します。私自身は真面目ではありません。かなりいい加減なほうだと思います。以前、こういうことがありました。大切なものをあるところに置き忘れた。責任を持って保管しておくべきものを忘れてきた。そのままだと当時勤めていたところをクビになる可能性がある。
 そのとき私は気楽に「ま、いいか」と考えました。少なくともすぐ探しに行こうではなかった。働くのも大変だから、クビになっちゃったら楽かもなと考えた。
 
 ウソみたいな話ですが、本当です。なくしちゃいましたー! でいいやと気楽な気持ちでした。忘れてきた場所はわかっていたので、なければないでいいやぐらいの気持ちで見に行ってみたらまだ残っていました。発見したときはほっとしたものの、少しだけ「これで一発でクビになる夢は消えたか・・・」というがっかり感もありました。
 これだけいい加減な人間は珍しいと思います。ですから真面目な方の気持ちが十全にわかっているとは思えません。
 
 真面目な方でやたらと悩み事を分析して語る方がいます。楽になるのであれば、そうされたらいいと思います。信頼のおける相手に話を聞いてもらう。いいアドヴァイスを受けられることも多いと思います。
 ただ勉強に関して言えば、悩んでいるだけではまったく向上しない。勉強の不調を先生や友だちに一生懸命話したところで点数は上がらない。勉強は作業ですから、そんな時間があったら1つでも多く単語を覚えたり、1回でも多く練習したりするほうがよほど効果があるでしょう。
 
 語るのが好きというのは悪いことではないのですが、年がら年中「自分はこれこれこうなのですがどうしたらいいでしょう」と相談ばかりして作業そのものに真摯に向き合うことをしていなかったとしたら、どこまでいっても物事が上手にはならないでしょう。
 悩みながらも黙してひたすら作業を進めている人間もたくさんいます。何だかんだ言ったところで、作業を大量に積み重ねて自身の質を変えていくしかないということにどこかで気づいているからですね。
 
 ときには語ることで作業から逃げているケースもあるかもしれません。これはもちろん勉強に限りません。どんなに大変か、どんなに苦痛が伴うか、あるいは自分自身がどんなに弱い人間であるかというようなことを分析して熱く熱く語り続ける。その間は作業から逃げていられるという要素がどこかにある。さらに「自分はわかっているのだ」という変な安心感もある。
 その仕組みに気づいていないといけない。愚痴や嘆きが全面的に悪いというわけではないですよ。ただ本当は、作業を積み重ねる「しか」方法はないのも事実です。
 
 私のようないい加減な人間にはわからない部分もたくさんあるでしょう。ですから、特定の何らかの行為を責めているわけではありませんよ。
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2019.10.23 09:57

 積極的であることは素晴らしいとさかんに喧伝される世の中ですが、積極的に生きることを何となく恥ずかしがる性向はけっして文化的に劣ったものではないと思います。照れであるとかはにかみであるとかというのは非常に高度な感情であって、そうした感情は他者への思いやりや弱者への共感という形で世の中全体に大きな貢献を果たす可能性があるでしょう。
 ものすごく単純化して書けば、恥ずかしがるような子はやさしくて思いやりがあるということですね。
 
 ところが、そうした視点に立った論調が少ないために、ご本人が積極性のないご自身を過剰に責めることがよくあります。こんなことではだめだと自己嫌悪に近い感情を持つことさえある。その気持ちでご自身をつねにさいなむような状態になってくると、毎日が全然楽しくない、厭世観でいっぱいということにもなりかねない。
 欝状態と呼べるような症状の小学生中学生が増えているという記事を読んだことがありますが、原因の一端はそうした部分にもあるのではないかと思います。
 
 世間の標準的な価値以外の価値もあるのだということはもっと子どもたちに伝えてやらなければいけないと思っています。
 現在の私は職業として先生をやっていますから、人さまの前で話すことはそれほど苦痛に感じません。高校や小学校での講演会で何百人かの前でお話させていただく機会もありましたが、特別緊張することはありませんでした。
 ところが子どものころはこうではなかった。2~3人の前でさえ緊張して発表なんかできませんでしたよ。
 
 人間は必要に応じて自然に変化成長していくものだということです。ですから、いま仮にあなたが消極性のかたまりみたいであっても、そのことをあまり心配しすぎないことです。あれもできないこれも無理だろうと絶望したりする必要はまったくないのであって、積極的になろうとして心身に不調が出るなどというのは本当につまらない。時宜を待つ気持ちが大事です。
 私が文章を書くようになったきっかけも、きちんと話せないからでした。話すのが恥ずかしいとなると伝えるためには文字にするしかない。
 
 そのおかげで文章を書くこと自体にはまったく苦痛を感じなくなった。何が幸いするかわからないものです。弱点が逆に長所を生み出す種にもなる。しかも長所だけに集中していたら、いつのまにか弱点まで消えてしまうことさえあるのです。
 いまの形で大丈夫ですから、とにかくできることを丁寧になさってください。できないことをしようとする前に、まずはできることを浮足立たずに「きちんと」することです。そこからいろいろはじまってくるはずです。
 
 
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2019.10.22 08:25

 世の中、不可思議な事件がいろいろ起きていますね。大人の世界の「いじめ」もそうです。いじめを根絶していくべき立場の方が職場でいじめを行っていたというあきれた報道も目撃しました。
 ただこういうのは、その加害者「だけ」がどうこうではないような気もします。その人たちだけが特殊な悪人だったという結論にしてしまっては、大切なものを見失う可能性があるように思うのです。
 
 そもそも人間の本質には、何かしらそうした要素が潜んでいるのではないか。多くの人はそんなわけがないと考えるでしょうし、確かに子どものころからどなたかを意識的にいじめた経験など1度もないという方は大勢いらっしゃるでしょう。それでもこういうことはあるかもしれません。
 他者が困惑しているときに知らん顔をしていた。見て見ぬふりをしてきた。あるいは他者があきらかに自己責任で困っているときは、助ける必要性を感じない。
 
 いじめの多くは加害者側にも一応の理屈が出てきます。だってそもそもは相手が・・・となるわけですが、要するに被害者にも責任があるような見方をしていることが多い。「調子に乗って騒いでいたから」とか「無視するから」とか「こっちをじろじろ見ていたから」とか、つまらない理由が次第にエスカレートしていっていじめにつながる。
 仮に多少のクセがある相手に対しても、寛容さは非常に大切です。
 
 どなたかが自己責任で失敗して上の人間に叱られている。何もおっしゃらなくても「いい気味だ」と心の中でほくそ笑む感情が動いているようであれば、何かの拍子に悪い方向に加担してしまう可能性があるぐらいの用心は持っていたほうが無難だという気がします。
 国と国との関係でもよくありますね。こっちは悪くないと双方の国民がエキサイトしてしまう。そうした感情を利用する人間が出てくる。
 
 私たちは自分自身の何から何までわかっているわけではありません。むしろ不明な部分のほうが多いかもしれない。さらに人間の特質としてダークな感情(近所で火事があるとうきうきして飛び出していく程度ではあっても)はどこかに隠れているでしょう。それをないことにしてはやはり危険です。
 つねに自分がいまどういう状態であるか敏感に気づいていなくてはいけない。気づいてさえいればつねにコントロールがききます。
 
 世の中「悪いことをする人」はたくさんいますが、じつは気づかずに何となくというケースも案外多い。何となく悪口を書きこんだだけ。何となく残っていたものを持ってきただけ。何となく確かめずに話を広めてしまっただけ。何となく要求してもいいような気がしただけ・・・何となくという状態のときに、冷静に気づけるかどうか。そこが何より大切でしょう。
 
 
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2019.10.21 00:36

183fc8a0ee4cd77318b154a0dbe138128475f3fb.JPG あ、死んでしまったわけではないですよ。
 最近、犬はこういう格好で寝ていることがよくあります。究極の油断というか何というか・・・昼でも夜でもしばしば目撃するときがある。見られていることに気がつくとさすがに気まずそうに元の形態(?)に戻りますが、もうすっかり慣れたということなのでしょう。
 体重は10キロちょっとです。200グラムぐらいオーバーしている。最近は何度計測しても同じなので、成長は止まったみたいですね。
 
 おかげさまで健康を回復した家内が、基本的に散歩には連れていきます。小さな犬には相変わらず飛びかかろうとするらしい。まあ、温厚な家族(うちのことです)が厳しく叱ったりせず穏やかに育てたつもりなのですが、そのあたりはもともとの気質みたいなものもあるのでしょう。
 幼犬のときより少しだけ大人しくなったとも思います。私と一緒のときは「あきらめなさい」と言うと、むりに他の犬に寄っていこうとはしなくなりました。
 
 犬が正面から歩いてくると、どういうつもりか「伏せ」の態勢をとることがあります。臨戦態勢の気持ちなのか、低く低く構える。ところが、そのまま相手が無視してすたすた行ってしまうことがある。すると拍子抜けしたように起き上がって歩き出す。
 逆に相手がこちらを意識しはじめると、それはそれでまた大変で近距離まできて突然飛びかかろうとする。狩りか何かのつもりなのでしょう。誰に教えられたわけでもないのに、不思議な行動です。
 
 夜は家内の蒲団で寝ようとします。すぐ脇に自分用の蒲団(この写真のものです)があるのに、わざわざ人間の寝床に行く。おまけに枕に頭を乗せたりしています。真似しているのかもしれませんが犬ですからさすがに枕はきついらしくすぐに頭をおろす。すぐおろすぐらいならはじめから枕なんかするなよと思うのですが、そこはどうしても真似してみたいようですね。明るく育てていますよ。
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2019.10.20 00:44

 元クリームのドラマーだったジンジャー・ベイカーがつい先日亡くなりました。80歳でした。ジャック・ブルースはすでに亡くなっていますから残されているメンバーはエリック・クラプトンだけになってしまいました。
 ベイカーは1994年ごろ、やはりジャック・ブルースとギタリストのゲイリー・ムーアとでBBMというバンドを組みました。当時55歳ということになりますね。
 このBBMというバンドを私はかなり気に入っていました。
 
 相当の意気込みでスタートしたバンドだったと思いますよ。そのわりにアルバムは1枚しか残さなかった。1曲目からまるでクリームみたいでした。「これじゃ『ホワイト・ルーム』じゃないか!」とびっくりしていた友人がいた。それぐらい似ていました。
 当時、デイヴィッド・カヴァデールとジミー・ペイジがカヴァデール/ペイジというユニットで活動していたのですが、ジャック・ブルースはインタビューで「一緒にしないでくれ」と吐き捨てていました。すごく印象に残った。
 
 まあ、3人とも気難しいですからね。ライヴで何となくテンポが合わないという記事を読んだことがあります。ゲーリー・ムーアはもっともっとテンポをはやくしたい。ところがジンジャー・ベイカーはわざとゆっくりリズムを刻む。ゲイリー・ムーアよりはるかに年上でしたから、この自分に向かって生意気な・・・的なところはあったのかもしれません。
 来日したら絶対に見に行くつもりだったのですが、とうとう日本には来ませんでした。ジャック・ブルース単独のライヴは地方まで見に行ったことがありますが。
 
 最近、次々と好きだったロック・ミュージシャンが亡くなっています。ここ数年でもレミー、ゲーリー・ムーア、エディ・クラーク、バーニー・トーメ、ポール・レイモンド、スコット・ウォーカー(この人だけ色が違いますが)、ジンジャー・ベイカーが亡くなった。まだまだいたような気はしますが、とりあえずさっと思い出せるだけでもそんなに亡くなっています。
 私と年齢がそうは違わないミュージシャンもいたりして、いろいろ考えさせられますね。
 
 昨日タワー・レコードに行ってみたらジンジャー・ベイカーの追悼コーナーがありましたが、残念ながらBBMのアルバムは置かれていませんでした。あまり認知されていないのかもしれない。私もかつてどこかで手放してしまったわけですが、この機会にまたぜひ入手したいと考えています。
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2019.10.19 02:29

 高校受験部と大学受験部で交互に使用している教室がいくつかあります。先日、その部屋に弁当箱の忘れ物がありました。私たちが発見したのではなく、ある生徒が「これ、忘れ物みたいなんですけど」とわざわざ受付まで持ってきてくださった。
 中にまだ何か入っている。食べかけかもしれないと思って、その教室を使用している生徒たちに食べかけのお弁当が消えてしまったりしていないかと訊いたのですが、誰も何も言ってこない。
 
 ということは・・・高校生の忘れ物という可能性があります。高校部のほうに持っていこうかとして、はたと考えた。
 忘れ物の弁当箱というのは、基本的には保管しておいて忘れたご本人が取りにきたら渡します。当然ですね。ただご本人がいつ取りに来るかは予想できません。今日来るかもしれないし明日来るかもしれない。1週間後かもしれない。
 中身が残っているということは、1週間後にはちょっと悲惨な感じになってしまうでしょう。
 
 以前も書いたように、私は自教室の忘れ物の弁当箱は基本的に自分で洗っておくようにしています。今年に入って隣席にいらっしゃる(実質的に副教室長の)Y先生が「僕が洗います」と先に洗ってしまうことがよくあるのですが、とにかくそうしたことをいとわない精神が大切だと思います。
 生徒の忘れた弁当箱についての規則はさすがにありません。「洗わなければいけない」というルールはない。また「誰が洗うか」というルールもない。
 
 おととしの夏休みは、毎日のようにどなたかが弁当箱を忘れていく日が続きました。私はそれを1つ以外(私が帰ったあとで教務の方が洗ってくださった)すべて洗った。マナーというわけではないのですが、やり出すと誰かのだけ洗わないという選択肢がなくなります。
 先日の弁当箱も、とにかく洗ってから大学受験部に届けておいた。するとこのまえ非常に賢そうな女の子が受付に「お弁当箱の忘れ物はありませんでしたか?」といらっしゃった。
 
 洗っておいたよと告げると、ありがとうございますとうれしそうでした。
 誰々のためを思ってという表現があり、こうした表現は「おためごかし」でしかない場合があまりにも多い気がして私自身はめったに使いませんが、この種の周縁部のことがさっとできなければ本当はだめだとも思っています。勉強頑張れ! だけが生徒思いなのではないということですね。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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