2019.08.22 08:30

 いまの時期、私自身の授業は午後なのですが、朝から講習をやっているのに教室長が毎日のんびり昼過ぎに出てくるというのはどうかという気がするので、いちおう朝のうちに来るようにしています。午前中は教室もぜんぶふさがっていて面談もできない時期なので、必ずしも私がいる必要はないのですが、まあ何となくですね。
 朝は例によって自宅を出る2時間前に起きてはいます。しかしなかなかまとまったことはできません。まとまったことといっても、たいしたことではないのですが。
 
 要するに「落ち着かない時期」ではあるということになります。するとこういう変なことが起きてくる。私がやっていることは本当に私自身の選択なのだろうか? ということが起きる。
 わかりやすい例を出すとこういうことです。ときどき自分は本当に食べたいものをいま食べていないなと感じるときがあります。お店は自分で選んだ。メニューの選択も自分でした。ところがよく考えてみると、現時点で「これ」を食べる必然性は全然ないと感じるときがある。
 
 何となくなじみの店で何となくなじみのものを何も考えずに食べている。まあ、どなたにもあるのかもしれませんが、それは生き方としては大変もったいないような気がするのです。本当に食べたいものを食べない、本当に会いたい人に会わない、本当に行きたいところに行かない、本当に見たい映画を見ない、本当に聴きたい音楽を聴かない・・・忙しいから仕方がないと言い切るには、あまりにももったいなくないですか?
 まあ、そのあたりをどれぐらいきちんと把握していけるかというところに、人生の価値みたいなものも隠されているのでしょう。
 
 いちいちじーっと熟考し続けるわけにもいきませんから、その「本当に」という本質をどれだけ的確にぱっとつかめるか。そうした能力は先天的なものというより、訓練によって鍛えられるべきものだと思っています。ときどき話題にしていますが、どれだけ意識的に生きているかということですね。
 何となく・・・というのがいちばん問題でしょう。人間は何となく自動的に、いくらでも生きられてしまいますからね。せめて本当はどうしたいのかということを意識するようにすべきでしょう。本当に生きるというのは、そうしたことの連続なのだと思います。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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