2019.08.17 08:17

 先日、電車の中でこういう光景を目撃しました。どういう背景を持つものなのか私にはわからないのでにわかに善悪でくくりたくはないのですが、母親と女の子(幼児)が席についていました。女の子は小さいのであまりじっとしていられない。席に立ち上がったりするのはいいとしても、靴は履いたままなのです。こういうのは女の子自身で気づくケースはまずないわけで、自分が親であれば靴のまま椅子に立たないように注意するか靴を脱がせるかするのではないかと思いました。
 
 実際、息子が小さいころはバスや電車の中で靴を脱がせていましたし、私自身もそんなことをさせられていた記憶があります。女の子はさんざんシートを靴で踏みつけてからある駅で下りていきました。するといくつめかの駅で、非常に上品そうなオシャレな白い服を着たご婦人が電車に乗ってきました。何となく予感があって目で追っていたところ、ご婦人は女の子が踏みつけていた席に吸い寄せられるようにして座りました。目で見た感じでは汚れているかどうかまったくわからないですからね。
 
 あちゃーとは思ったものの、わざわざ立ち上がっていって何か告げるのも変でしょう。そんなことをしたらむしろ私自身が不審人物だと思われてしまう可能性もありそうなので、黙っていました。と同時に、こういうのは何かしら避けがたい必然なのかもしれないというようなことも考えた。因果関係とでもいうのでしょうか。ご婦人にバチがあたったとかそういう話ではないですよ。「業」とかそういうお話でもない。自然界のプラスマイナスの均衡という意味で、不思議な現象が起きるケースがあるということです。
 
 私が伝えたいと思っているのはこういうことです。つまりある日、自分側の世界で完璧に準備したとします。身なりをととのえていちばんいい服を着て外出したとする。その時点で私にーー一般的な意味ではーーまったく落ち度がないにもかかわらず、場合によっては世の中全体の均衡のために理不尽な思いをする可能性がある。だから「つねに注意していたほうがよさそうだ」ということです。
 宗教的な解釈などに踏みこむ気持ちはまったくありません。
 
 世界にプラスをもたらす活動を心がけていれば、徐々に不慮のマイナス事故はこちらの貯蓄に追いついていかなくなるだろうという気もしています。何しろこちらは「意識的に」プラスの言動行為を増やしているわけです。無意識的なマイナスがそれを凌駕するということは考えられない。所詮事故ですから、だんだんこちらの豊かさに追いつかなくなるでしょう。稼ぎに追いつく貧乏なしというのと同じ理屈ですね。「情けは人のためならず」ということわざもそのあたりの事情を暗示しているのかもしれません。
 
 損をするのではないか? という躊躇が何よりもよくないですね。あるいは報いはたいしたことがなさそうだからこの程度の貢献で十分かも・・・という吝嗇に似た感覚がよくない。世の中にとって「私」は得をもたらす人間だという定義や意識を貫き通していかれれば、マイナスや損はけっして追いつかないものだと思います。
 
 
 
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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