2019.07.13 02:18

 20代のとき、こういうことがありました。大学生だった私は、中学時代からの友人たちと飲んでいた。有楽町のほうではなかったか。汚い話ですが、当時は飲みすぎてしばしば吐きました。友人にもそういう人間がいましたが、とくに私はひどかった。暴れたりはしませんが、めちゃくちゃになるまで飲んでやるという気持ちが非常に強かった。
 友人に「どうして破滅的に飲むのか?」と訊かれたことがあります。よくわからない。自身に対する漠然とした処罰感情があったようにも感じます。
 
 その日も途中で具合が悪くなりました。何度か電車を下りて吐いた。みんなそれぞれ帰っていったのですが、1人だけ最後まで介抱してくれる男がいました。終電近く、田町駅かどこかのベンチに寝転がっている私のすぐ横に静かに座っている。私は彼に「すまないな・・・」と言いました。それぐらいの理性は働いた。
 すると彼は「いいんだよ、おれたち昔からの親友じゃないか」と答えました。親友? 私は目をつぶりながら「残念ながらおれは親友だとは思っていない」と考えた。
 
 あのときの冷たい感情は妙に心に残っています。と同時に、自分はいつもこういう人間だったし、これからもこういう人間でありたいとも思いました。安易に親友を持たない人間。底の底の部分に冷たい感情を持っている人間。
 実際、彼とのつきあいは長かった。彼は非常に複雑な悩みを抱えていて、私はその秘密をすべて聞いていました。どうしたらいいということを簡単に言えるような内容ではなかったので、ただ聞いていただけです。
 
 少年期、親友という概念は自分に重くのしかかってきました。私には「いつも一緒にいる友人」というのがなかなかできなかった。また矛盾する感情ではあるのですが、いつも誰かと一緒にいたがる自分を嘲笑する気持ちも強くありました。
 親友候補みたいな人間があらわれることがまったくないわけではない。しばらくはいいのです。しばらくは一緒にいる。ところが少したつと、いつも相手といなければ落ち着かない自分をみっともないと思う。そこで突然、冷たくなる。相手に冷たくというより、自分の生活を反省する過程で、相手と距離をとる。
 
 ひょっとすると私だけではないのかもしれませんね。人間は強く憧れるものに対して同時に嫌悪感を抱くことがあるような気がします。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2019年07月   >>
  01 02 03 04 05 06
07 08 09 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

新着記事

月別アーカイブ