2019.06.07 07:12

 高校時代、渋谷に「人形じじい」と呼ばれているおじいさんがいました。何人もの同級生が目撃した。髪の長い大きな西洋人形を抱いて街中を歩いている。おばあさんが一緒だったという話も聞いたことがありますが、私が目撃したときはいつもおじいさん単独でした。
 お歳はおそらく65歳ぐらいだったのかなあ。もうちょっと上かもしれません。人形はつねにきれいな洋服を着せられていました。
 
 高校生ですから、それなりに残酷な好奇心も湧くわけです。仲間の誰かが「今日どこそこで人形じじいを見た」と報告してくると、それでそれで? と何人かが群がってくる。
 もっともそうしたことにまったく興味を持たないクールな連中もたくさんいて、そのへんは人それぞれですね。私なんか真っ先に「それでそれで?」のタイプでした。おじいさんが人形を抱いて歩くという奇矯さが、いてもたってもいられない感覚をかきたてるのです。
 
 なぜだろう? と私たちは語り合いました。確か小林秀雄先生の随筆に、列車の食堂車で人形を抱いた老夫婦とテーブルが一緒になったというのがありました。小林先生はご夫婦がお嬢さんを亡くされてこういう形に発展したのではないか? と想像されるのですが、私たちの結論もそんな感じでした。
 この「人形じじい」については高校卒業後すっかり忘れていました。ところが卒業から数年経ったある日曜日の夕暮れどき、私は偶然用事で渋谷に来て人形じじいを目撃しました。もちろんそのときも人形を抱いていました。
 
 衝撃が全身に走り、私はあとを着けてみようという気になりました。時間からいっておじいさんは帰宅するところでしょう。おじいさんの自宅をつきとめるチャンスかもしれません。
 適当に距離をとって着いていく。おじいさんは国道沿いをひたすら歩いていきます。車はたくさん走っていますが、やがて人通りはなくなりました。人形の無表情な白い顔がおじいさんの肩越しに見えました。坂の上でおじいさんはふと足を止めた。それから思いもかけない行動に出ました。
 
 おじいさんはゆっくりこちらを振り向き、にやりと笑いかけてきました。気づかれていたのか! 私は動転してーー冷静に考えればそんな必要はなかったのですがーー坂道を一目散に駆け下りて逃げました。
 この件を私はずーっと忘れていました。先日渋谷のある場所がずいぶん変わったという話を聞いてちょっと見に行ったとき、突然思い出した。おじいさんにはずいぶん失礼な書き方になってしまいましたが、まあこわかった。何かとてつもないものと出会ってしまった感覚がありました。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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