2019.06.01 09:19

 最近こういうことがありました。ある専門店があった。仮に(本当は違いますが)回転寿司屋さんだったとしますか。まずまず流行っていて私も何度か入りました。味そのものは悪くないのですが、気に入ったところとそうでもないところがありました。
 しばらくしてすぐ隣に、何と別の回転寿司屋さんが進出してきた。あきらかに意図的にぶつけてきた。そちらも入ってみたのですが、味そのものは同じぐらいでしたが総合的には後発のお店のほうが少しだけよかった。
 
 これはちょっと危ないかなと感じていたら、はじめのお店は数ヶ月でなくなってしまいました。ただチェーン展開しているので、別の場所で新たにスタートさせればいいだけだと考えているかもしれません。
 後発のお店は生存競争に勝ったことになりますが、こういうのはちょっとこわいとも思いました。勝算があって隣に出店したわけでしょうが、なかなかそこまではやらないものです。当然、恨まれるでしょう。逆念みたいなものはどうしたって残ります。
 
 よく運がいいとか悪いとか言いますが、運というものは私が見た感じでは全体に対する配慮が働いたほうがよくなるような気がします。全体というのは世の中全体ということです。自分だけ自分の周りだけ自分の仲間だけ自分の所属組織だけ・・・と小さく小さく得しようとやっきになると、敵だらけになり変なアクシデントが起きたりする。
 愛情を注ぐのであればより広範に注ぐべきで、隣の店をぶっつぶしてやろうぜ! という好戦的な姿勢は徳性という意味においていくらか心配になります。
 
 私たちは全体の中の部分なのですから、全体のバランスがおかしくなってきたら部分はどんなに頑張っても結局幸せになれません。ですから何かを展開するときには、全体に対する配慮はどうしても必要になってくると思います。全体の中には当面の敵も含まれるわけで、敵に対する配慮でさえ必要ではないかということです。
 こういう視点が欠けてくると敵なんか殲滅しちまえ! ということになり、国家間民族間でも非常に深刻なことになってくる。
 
 いまは世界中で勇ましいことさえ言っていれば何だか人気が高まる傾向があり、部分が全体を無視して突出しようとはりきりすぎているように感じます。勇ましさは美徳ではあるでしょうが、暴力や紛争につながるのであればやはりどこかしら知恵が欠けているので気をつけなければいけない。
 知恵があれば、敵と呼ばれる組織の中にも赤ちゃんや子どもやよい人たちが一生懸命生きているという想像が働くでしょう。そうした想像力は非常に貴重であり、ある種の暴走や熱狂を抑止する力になるでしょう。
 
 部分の活動が全体の強さに貢献していくという発想、全体を弱める部分の活動は慎むべきではないかという想像力、勇ましさだけに目を奪われない徳性や知性。思想云々とは別の次元で、穏やかに伝えていくべきことではないかと考えています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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