2019.06.30 00:52

 犬は現在9、6キロです。前回測ったときもそれぐらいでしたから、質量としてはそろそろ完成型かなと思います。はじめは2キロ台でしたから4倍以上ですね。身体だけではなく、精神的にも少しずつ大人になってきているようには感じます。散歩のときの振る舞いなどは以前より落ち着いてきました。家内といるときははしゃぎすぎてしまうらしいのですが、私と一緒のときは以前より暴れなくなりました。
 先日はこういうことがあったそうです。何から何まで間が抜けた話なので笑ってしまいましたよ。
 
 当日、私は留守にしていました。家内が自分の昼食の準備をしていた。ハムとチーズをトーストしたパンの上に乗せて食べようとしていた。チーズは・・・とにかく好物なので彼女(犬のほうです)は匂いでわかるのです。彼女(犬)にあげているチーズはベビー用のもので塩分なんかはほとんどないやつなのですが、匂いそのものは大人が食べるものも同じなのでしょう。
 1度私が夜中にチーズケーキを食べていたら、真っ暗な部屋から眠そうな目でよろよろ出てきたのにはびっくりしました。匂いに迷い出てきたのですね。
 
 家内はトーストを用意してからちょっとだけ席をはずした。犬はテーブルの下にいるので大丈夫だろうと考えたのです。ところが人間の座る椅子がありますね。人気がなくなるとぴょんとそこに飛び乗った。それから顔を突き出してお皿の上のパンをくわえ、床の上に落としました。
 息子が帰宅してドアを開けたのがその瞬間だったそうです。椅子から飛び降りた犬が床の上の何かを食べている。あまりにもすごい勢いなので「床を食ってるのかと思ったよ」と笑っていました。
 
 家内も戻ってきたのですが、うーうー威嚇しながらとにかくハムとチーズはぜんぶ食べてしまった。パンはとりあげたものの、そのまま床をぺろぺろ舐め続けている。「こら!」と一応は叱ったらしい。まあ食べたもの勝ちですね。
 人間用のハムとチーズなので塩分が過剰なのでしょう。そのあと何度も何度も水を飲んでいたそうです。私はあとでその話を聞いてだめだろうと言いながら頭を撫でたのですが、もちろん何の話だかわかりません。うれしそうにすり寄ってきます。
 
 犬は本当に家族化してくるものですね。昔、座敷で飼っている秋田犬にお箸でおかずを食べさせていたというよそのおじいさんの話を聞いたことがあり、いくら何でもやりすぎだろうと感じたのですが、だんだんうちも近づいてきているような気がします。
 息子が帰ってきてから、犬はなぜか息子の部屋に入らなくなりました。犬なりに遠慮が出てくるのでしょう。そのへんはまた犬側からの家族感覚なのだと思います。
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2019.06.29 01:16

 やる気がない状態を私はまったく否定するものではありません。私自身、あまりやる気があるタイプではありません。いちばん困るのは生きることにやる気がないという状態ですね。心の病気の方などから相談を受けることがありますが、さすがにそれは困ります。ただ困るものの、そういう方に「やる気を出してください」と強く激励するのはかえって負担になりますから、まあだらだら生きやすいように生きなよぐらいのアドヴァイスをしています。なげやりみたいですが、それで救われる側面もあるのです。
 
 仮に勉強のやる気がないとしても、生きる気力が強ければそれはそれでよしとしたい。そのままずーっと勉強をしなくて志望校に合格できるかどうかは別問題ですが、好きなことで何か頑張ってくだされば救われますよ。運動でもダンスでも料理でも芸術活動でもアルバイトでも、何でもいいですから打ちこんでみてください。
 最近いやな事件が多いので、改めてちょっとだけ書いておきます。うちの息子は小学生中学生時代勉強を好みませんでした。要するに勉強はやる気がない。テスト前でさえたいしてしていませんでした。
 
 いわゆる生きる気力がないわけではないので、放っておきました。家内には「あいつは大学までは行かない選択をする可能性もあるが、それはそれで認めてやろう」とは伝えていました。小学生だった彼自身から私は「お父さんの職業は知っているけど、ぼくは勉強したくないんだ。それでもいい?」と心配そうに訴えられたことがあり、私はぜんぶお前の自由だよと答えていました。
 ただ私の家庭は伝統的(?)に怠惰きわまりないのですが、非常に穏やかであるとは思います。穏やかなので親子の会話は常に存在します。
 
 やれとか、だめとか単語ではなく、落ち着いた会話ですね。大人が喋る。子どもが聞く。子どもも喋る。大人も聞く。ときには子どもはとんでもないことを言い出します。未熟ですから当然ですね。親がうれしくないことも言う。「親と歩くのは恥ずかしい」と言う。それもまた静かに最後まで聞く。
 穏やかに話していると当然さまざまな単語が出てきます。私たちは加減せずに喋りますから矛盾だとか葛藤だとか皮肉だとか時代錯誤だとか、ぽんぽん出てくる。語彙の乏しいほうは、豊かなほうから潜在的に学び続けることになります。
 
 また親が書籍に囲まれる(は大げさかな)生活を送っていたので、本を読むことに関しては抵抗がなかったと思います。楽しみに読む過程で漢字がわかってきたというぐらいですから。そうやって文化的な香りでガードしていた部分はあったかもしれません。
 次第に大人になり勉強するという定義ではなく、将来のために必要だからという定義でいわゆる勉強をはじめました。将来のためにやらなければいけないと考えたことが、昔いやがっていた勉強だったという程度です。
 
 勉強のように繊細なものを粗野にすすめるものではないですね。やる気がないのか! などとよくわからない子どもに体罰を加えたりするのは、非常に問題だと思います。道徳的な意味ではなく、永続的な効果がないから意味がない。繊細なものを伝えていくためには、ふさわしい繊細さが必要です。
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2019.06.28 01:26

 あるところで食事中の方がお店の人に「マヨネーズをもらえませんか?」とおっしゃっていました。しばらくして皿にのったマヨネーズが出てきた。するとお客さん(おじさんでした)は「うれしいなあ、ありがとう」といたく感激していました。
 本来はマヨネーズがついていないメニューですから、特別につけたいということなのでしょう。気になったので横目で観察していると(私はこんなことばかりしています)、キャベツの千切りにつけていました。他の方はソースをかけていた。それをマヨネーズで食べたかったのですね。
 
 教室近くの中華屋さんで、メニューにマヨネーズ50円とはっきり書かれているお店が2軒あります。おそらくマヨネーズに対する需要がときどきあったのでしょうね。無料ではあげないよという意思表示だと思います。私が見ている感じでは、わざわざ50円払ってまでマヨネーズを所望されるお客さんはあまりいらっしゃらないようです。
 私は比較的マヨネーズが好きなほうではないかという気がしています。子どものときから食べてきたからでしょう。母は自身でもマヨネーズを作っていました。市販されたものと食べ比べたりしたことを覚えています。
 
 私が小学生のころは、たらこマヨネーズというのはまだ珍しかったのですが、母はテレビの料理番組などをよく見ていて、そういうものを食卓に出していました。さらにチコリという苦い野菜はマヨネーズをつけると非常においしくなるとか、いろいろな形でマヨネーズが大活躍する環境でした。
 現在の家族もまた私のことをマヨネーズを好む人間だと見ているらしく、いつだったか家内と息子にからかわれたことがありましたよ。
 
 子どものときに食べたことがないものは、大人になってから苦手な人が多いという記事を読んだことがありますが、こうした香辛料や調味料みたいなものもそういう要素があるのかもしれません。
 最近、女性を中心に大人気のパクチーは私は30歳ぐらいまでまったく食べる機会がなかったせいか、現在も苦手です。ただ何人かで食事をしているときなど露骨にまずそうな顔をすると(昭和のじいさんはこれだから困る)といやがられるかもしれないので、平気そうな明るい顔をして口の中に入れ息をしないですぐ飲みこんでいます。
 
 ある飲み屋さんで、お通しみたいな形でときどきパクチーのおひたしが出てくることがあります。「うっ」となるのですが、お店もいらしているお客さんも皆さん大変オシャレなうえに経営者の女性がとても素敵なので、息を止めて飲みこみ「こういうの、本当にいいですね!」などと意味のない笑顔をふりまいている私がいます。つくづくバカだなと思うのですが、逆に考えればこれこそ漢(おとこ)でしょう。
 人生、難しいですよ。
 
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2019.06.26 03:36

 歯医者さんに定期的に通っています。健診ですね。月に1回というのは多すぎる気がしないでもないのですが、先生がおっしゃるので単純にそのほうがいいのだろうと通っています。
 もう何年にもなります。だいたいは朝一番に予約を入れる。9:30ですね。月1回としてまあ5年間60回ぐらいは(治療も含めて)通っていますが、1回も遅れたことはありません。
 
 9:30のときも9:45のときも、それ以外の時間帯もだいたい5分前には到着するように心がけています。早すぎても迷惑でしょうから、5分より前に着いてしまったらあたりをうろうろして時間をつぶす。
 ただ今日書きたいのは、そういう話ではありません。待合室で週刊誌を読んでいたら、痛ましい事件についての記事が出ていました。いわゆる社会的エリートのお父さまが暴力的なご子息を結果的にあやめてしまった・・・
 
 息子さんがはっきりとご両親の教育方針は間違っていたと、何かの文章に残していたそうですね。期待通りの点数がとれないと罰として宝物のようにしていたプラモデルだの何だのを壊されたりしたらしいのですが、もし本当だとしたらいくら何でもちょっとまずいやり方だなと思いました。
 息子さんは体力的に互角以上になるまでひたすら待ち、それからは逆襲(家庭内暴力)に転じた。積年の恨みを晴らすことが、もはや正義や使命になってしまっていたのでしょう。
 
 たかがおもちゃをこわされたぐらいで? と考えるのは大人のエゴであって、ものの価値はいちばん大切にしていた人間にしかわからない。それは私自身の体験とダブる部分もあり、自分の場合は楽しみにしていたテレビやマンガをこんな点数では今日から一切禁止と何の予告もなく命じられた。ご家庭のルールは親がかっとなって独断で決めるものではなく、闊達な話し合いの中で少しずつ調整していくべきものです。ですから、当時は私も「いつか絶対に復讐してやるぞ」と強く思いました。
 
 民主的に話し合う過程で、ひょっとするとこの子はあまり勉強に向かないかもしれないというケースは出てくるかもしれません。それはそれで本質がわかってきたわけですから、全然悪いことではない。見栄や体面をとりつくろおうとするよりも、よほど正直で幸福な生き方になっていくと思います。
 あるときある会合で、非常に社会的地位の高い方からお子さんについての教育方針をうかがったことがありました(仕事とは関係ないですよ)。
 
 猛勉強させすぎて、ご本人がおかしくなってきた。心療内科のお医者さんはこれ以上はむりだとおっしゃっている。お父さまは豪快に笑い「受験勉強程度でつぶれてしまうのであればどうせモノにならないわけですから、勝手につぶれろという気持ちでとことんやらせます」とおっしゃっていた。ライオンはわが子を谷底に突き落として這い上がらせるというたとえ話まで出てきました。
 そういうのは「先に行ってこわい」かもしれません。復讐心はつねに部分否定ではなく、全否定として働くからです。
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2019.06.24 01:22

 たとえば詩というものは言葉からできていますね。日本の詩であれば日本語でできています。ただその素晴らしさを探ろうということで、徹底的に単語に分解して研究したら素晴らしさの理由が解明できるかというと、そういうものでもない。これは非常に示唆に富んだ実例で、部分をいくら精緻に分析しても全体の価値はよくわからない可能性があるということです。
 おそらく人体なんかもそうでしょうね。西洋医学は、あまりにも部分の解析に固執しすぎているような印象を持ちます。
 
 言葉の組み合わせでうん? と感じるものがいくつもあります。なぜそこに触れるのかはよくわかりません。最近、飲食店で「一生懸命支度中」だとか「真心こめて準備中」だとかという札がかかっていることがよくありますね。昔読んだ何かで、あの札のことを「ふざけるな!」みたいに面白おかしく論じられていたものがありましたが、誰もいらっしゃらない真っ暗な店舗(要するに無人状態)のドアにあの札がかかっていると、現時点ではそれほど一生懸命でもないかもしれない・・・と感じることはありますかね。
 やはり言葉の持つ何かでしょう。
 
 話し言葉でもそうですね。若い方が経営されている飲食店でーーよくありますよーー挨拶が決まっている。大声で「あざーす!」(ありがとうございますという意味だと思います)と怒鳴ったりするのですが、場合によっては怒っているようにも見えます。場内いっせいに野太い声で「あざーす!」は、こわいですよ。
 そういうお店は統制がとれていて、全員がお揃いの原色Tシャツに鉢巻をしめていたりして漠然とした威圧感がある。Tシャツの背中にも白抜き文字で「命賭けます!」みたいな文言が印刷されていたりする。
 
 言葉のことを考えるとすぐに思い出すのが、個性的なコメディアンだった故たこ八郎さんの名言(?)「迷惑かけてありがとう」です。これまた非常に不思議なセリフですが、単純な間違いと考えるのが惜しい詩的情趣を感じます。たこ八郎さんは元ボクサーでパンチをもらいすぎて脳にダメージを受けていたという説や酔っ払って酩酊状態だったのでは? などという説もあるようですが、仮に言い間違いであってもこんなオシャレな表現ができるのはたいしたもので、ああいう姿はキャラクターとして見せていただけで、案外表現力のすぐれた方だったのではないかという気がちょっとだけします。
 
 この「迷惑かけてありがとう」などはそれこそ分析してしまうとだめですね。迷惑をかけられるぐらい親しい関係であることに感謝を捧げているに違いないなどと解釈してしまったら、全然面白くない。全体の雰囲気というか力というか、波動の面白さを損なってしまいます。あえて分析しないということもときには大切であると思います。
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2019.06.23 00:39

 ある都立中高一貫校の校長先生が教室に講演にいらしてくださいました。そのとき保護者の方のご質問に答えてこういう話をされていた。
 学校はいいことばかりではない。つらいこと、いやなことなんかも起きるでしょう。そういうものですね。誰が悪い何が悪いというわけでもないのに面白くないことがなぜか起きます。そういうのは大人の世界と変わらないですね。そんなとき、お父さんやお母さんとあれこれ話せる環境だとうまくいく。よく出来る子のご家庭にはそういう要素があるというお話でした。
 
 先生は「そうしたご家庭は小学生のときからずーっとそうだったのでしょう」ともおっしゃっていた。世の中でいろいろ難しい事件なんかが起きたときに、ご家族であれこれ話し合う習慣があった。
 私も親子関係が円満であるというのはとてもいいことだと思います。いいことというより、必要なことでしょう。勉強でも何でもそうですがうまくいかなくなってしまう以前に、環境がまず劣化する事実があります。何だか親子関係がぎすぎすしてくる。いわゆる反抗期と言いますが、いきなり反抗するわけではないのです。
 
 はじめに独自の考えを持つようになる。大人が考えるのとは違う方向に発想していくようになる。生徒でもいます。奇妙なことを言い出すのが。たとえば全然勉強していないのに、びっくりするような難関校に入ると言い出す。どう考えても発想的におかしいところがある。そういうときーー仮に身内だとしてもーーお前みたいな成績の怠け者がよく言うよみたいなことを言ってしまったり、お前の点数でそんなところに合格できるわけがないじゃないかと嘲笑してしまったりするから、次は「反抗」という形をとらざるを得ない。
 
 ここはじっくりと聞いてやる。そのうえで現在の自分のレベルを脱却したい気持ちはよくわかった。ただそれを高名な学校の名称を出すことだけで、隠れ蓑にしていないか? というようなことをご本人と話し合える状況が大切です。
 このままではいけないということがわかっているだけでもたいしたものではあるのです。そこからスタートする。今日の勉強、いまの勉強がどうであるかということがいちばんの問題です。ところが、それは見たくないものだから将来どこどこ大学の医学部に行きますなどと飛躍させてしまう。
 
 そしてどこかで(そんなところを目指している自分はきっと大物だから)と安心しようとする。見えている部分、見ようとしない部分、見るのがこわい部分、けれども見なければいけない部分・・・落ち着いて「みんなの会話」にできるかどうか。おうちの方もできればご自身の失敗談を披露されるといいのです。私であれば、惨めな気持ちを払拭したくて「おれはそこらの雑魚と違ってノーベル文学賞を目指すから」などと言って(実話です)ごまかそうとした。しかも、気づかなかった。そうしたことを温かい空間で話せるかどうかはけっこう大切だと思います。
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2019.06.22 06:44

 年金制度のことで、世の中何だかかまびすしいですね。かまびすしいという用語も久々に使いました。小中学生の方、ちょっと辞書で調べてみてください。「雅語」と出てきましたか? 日本語にはいろいろオシャレな表現がありますね。
 政治的なことはよくわかりませんが、税金などはやはりたくさん持っている方から多めにいただいて、あまり持っていない方からは少なめにいただくという形しか本来はうまく機能しないように思います。
 
 おそらく多く持っている方の相当数が「正しく使われるのであれば多めに払ってもいい」と考えていらっしゃるでしょう。ところが、使途があちらこちらで不透明だったり理不尽だったりするので、そういうこと(世の中全体のためになっていないということ)であれば、多めには払いたくないと考えるのだと思います。
 私もいずれ老後ということになりますが、とくに着々と準備しているわけではありません。非常に不安定です。そのあたりは個々の生き方ですね。
 
 私は特定の宗教、宗派の信者ではありませんが、宗教書の類を非常にたくさん読んできました。意図せずにそういう人生になってきたのです。とくに40代半ばからは仏教や禅、道教関係の書籍が多くなってきました。そして、人間の1つの究極の開花がブッダではないかと考えるようになりました。普通のお金持ちがさまざまな過程を経てあの境地までいけるということは、大げさに言えば奇跡のように感じます。
 その思想に感銘を受けたので、たとえば執着するなとか極端な情熱を持つなとか貪欲さを捨てて無欲であれとか、自分自身もそうありたいと考えるようになりました。
 
 その結果としての現在の生活です。世間的な平均値でどうこう言われても、そもそも平均値は全然考えなかったから・・・としか言いようがありません。現状は、ブッダという高峰に憧れあれこれ活動してきた結果であり、その状態を「不安」と定義されるのであればそれはそれで甘んじるしかないと考えています。あらゆる方面において執着と過度の情熱に基づいた貪欲な生き方を選択することは不誠実に感じられるわけですから、どういう報告がなされようとも今後も執着や貪欲はできるだけ手放して無欲に生きようと考えています。
 
 もちろん、こんなことはあくまでも個人的な見解で、私は息子にさえ「ブッダの本を読みなさい」などと言ったことはありません。彼には彼の出会いがあるでしょうから、それこそ大富豪や大権力者に憧れ私とは真逆にひたすら金銭を貯めこむ生活を志したとしても、他者の人生に私自身が執着を持ちたくないという思いがあるのでまったく干渉しないと思います。こうした個人主義的なあり方は、親子関係を良好に保つための鍵にもなってきたかもしれません。
 
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2019.06.20 01:39

 何年か前、都立トップ高校のある校長先生が講演会で「何と言ってもまずはきちんとした挨拶でしょう。それができないようでは何もはじまらない」という意味のことをおっしゃっていたことがあって、そういうものだなと思いました。ちょっと考えてみればよくわかりますが、大人と大人の関係で何かを一緒にやっていこうというときに挨拶もせずいきなり作業というケースはまずありません。
 親しさの程度によって「おはようございます」なのか「オッス」なのかは別として。
 
 関係のスタート時点では挨拶が当然ということです。そんなものなくたって作業は可能じゃないかという考え方はわからないでもないですが、挨拶があったほうが心理的に円滑に進むのは間違いありません。それどころか挨拶なしではちょっとしたしこりが残る可能性もあります。片方が「こんにちは」と言ったのに、もう片方が何も返さなかったりした場合ですね。
 上下関係があるときなど尚更そうだと思います。先輩が「こんにちは」と声をかけたのに後輩が無視ではサイアクでしょう。
 
 何度も書いたように、私は少年期に両親への反抗心が高じて大人全体に絶対に挨拶をしないと決めていた時期がありました。それはもうひどいもので、たとえば先生(そういう先生もいらっしゃった)のほうから「おはよう」と声をかけてくださっても、下を向いて返事をしませんでした。ただ先生が憎いわけではないので、うしろめたさはつねに感じたものです。先生は悪くないけど、ぼくはもう大人に挨拶しないと決めたから・・・みたいな感じですね。
 
 ちょっとだけ気になるのですが、私の周囲にもやはり挨拶しない生徒が何人かいます。こちらから声をかけても挨拶はない。声は出さなくてもちょっと頭を下げてくださったりする子は大丈夫でまあ恥ずかしいのだろうなと理解できるときもあるのですが、まったく無反応という子もいて背後にあるものが何なのかちょっと心配になることがあります。そもそも学校の「内申」がとれないでしょう。校長先生が「まず挨拶」とおっしゃるぐらいですから。
 
 ご家庭での習慣の大切さというのは、そのあたりにあると思います。挨拶がまったくできない(しない)昔の私のような心理状態は、先天的なものではありません。挨拶をしないことで彼ら自身も葛藤していたりしたら気の毒です。ひょっとすると、ご家庭でも挨拶は一切なしできたのではないか? 
 挨拶の習慣や演出は、やはり大人のほうから積極的恒常的に努力するべきであり「一切挨拶しない少年」だった自分は、息子が私みたいにならないようにずいぶん配慮しました。まあ、できるところからですね。10代の彼らが、挨拶だけでも相当の人間関係が築けると気づいてくださるといいのですが。
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2019.06.19 00:10

 今年度、珍しくきちんと週に2回休めているように思います。こういうことがなぜかうまくいかなくなる時期があるのですが、だいたいは臨時の授業が入ったりしてですね。現在までのところ、自分の授業がある曜日は土日と水曜日だけです。
 ところが10月ぐらいになると隔週でおそらく月曜日に授業が入ると思います。少なくとも例年だとそんな感じですね。すると休めるのは火曜日か木曜日か金曜日ということになります。
 
 金曜日というのは、教室ではとくに何もなくても本部で大きな会議があったりして毎週金曜日を定休にするのはちょっと難しい。そこで今年は月曜日火曜日木曜日のどこかでお休みをいただくようにしています。
 本当は固定化したほうがいいのでしょう。一緒に働く仲間のお休みが、私の休みによって左右されてしまうのはよくないですからね。皆さん、前もって予定をたてるものです。毎週何曜日はお休みできるはずだから・・・と予定をたてる。
 
 そのとき私が突然、その週の何曜日は自分も来ないよなどと言い出したら、他の方の予定がたたなくて困ってしまう。
 ただ私はいちおう教室長という立場でもあるので、何ヶ月も何ヶ月も決まった曜日だけを定休にするということになると、特定の先生やその日だけ通ってきてくださる生徒とは何ヶ月も会えないということになります。頼りない教室長ではあっても、場合によってはあちらも何か相談したいことがあるかもしれないので、それだけは避けたい。
 
 そこで月に何度かは休みをずらしています。今週であれば、木曜日に出てきてかわりに金曜日にお休みします。来週は、月曜日に出てきて火曜日にお休みをいただく。そのあたり、細かいばらつきみたいなものは心がけています。
 昨日は近所のご主人が入院されている食べ物屋さんに行ってみたのですが、4週間たったのに(貼紙にははじめは3週間の予定だったのが4週間休むと書かれていました)やはりお店は閉まっていました。もう少しかかるということなのでしょう。
 
 働けなくなると、人間働きたくなると思いますよ。自分が社会の役にたっているということは、やっぱり仕事で実感することが多いでしょうから。役にたつ形は人間の数だけあると思いますが、得意なことをこつこつやっていくのがベストでしょうね。自分で言えば、国語の授業ということになりますか。
 お休みが待ち遠しいときもありますが、それは仕事をしているおかげです。ありがたく明日(もう今日か)の授業も、自分なりのやり方で励ましていきたいと考えています。
 
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2019.06.18 01:10

 講師時代の話ですから20年以上昔のことです。ある塾の先輩(教科は私と同じでした)が後輩講師のことを非常に悪く言っていたことがありました。あの先生はだめだと決めつける。酒席での話ですし、細かいところは忘れてしまいました。ただ、授業が雑である。生徒や父兄にひたすら迎合している。塾の偉い人たちにおもねってばかりいる。ところが周囲が見る目がないものだからいい感じに重用されて・・・
 ああなったら終わりだよ。若いくせに進歩がないとおっしゃるのですが、正直なところ私が感じたのは単純な嫉妬心でした。
 
 よくある話で、批判する対象が「自分がそうなれずうらやましいから」ということから激烈に非難してしまうことは世間にはよくありますね。
 ときどき「世の中にはずるいことをやってうまい汁を吸っている奴がたくさんいる。自分なんかこんなに正直に生きているのに」という嘆きを耳にすることもありますが、どこかに自分もできることなら多少ずるいことをしてでも儲けたい。そういう仲間に入れないものだからやたらと批判する、というケースもあるのではないでしょうか。
 
 ですから、批判的な気持ちが起きたときには私は冷静に自己分析するように心がけています。するとだいたいは同じような「変な」芽に気づくことがあり、その後を調整することができます。
 また、あることで騙されたという知人がいました。彼は「自分は全然悪いことをしていないのに」と嘆くのですが、私にはその人の人一倍強い欲が十分危険な要因であったと感じられました。つまり「普通ではありえない」儲け方を狙う貪欲さですね。その結果として損失が生じた。
 
 健全に儲けたいという欲求はあっても、「普通ではありえない」方法で儲けたいとは考えない人間も当然います。そういう人は度の過ぎた貪欲さは好ましくないと考えている。だからこそ同じ話にひっかからないわけで、ひっかかってしまった原因の1つが個人の内面にあったのだとすれば、場合によってはその貪欲さにこそ罪があるのかもしれません。
 いつもそうですね。与えたものが返ってくる。
 
 若いころ、女の子にふられるたびにーー私の青春時代はそんなことの連続でしたーー落ち込んだりしたものですが、いま冷静に考えて、太宰治にかぶれて自殺願望を持っている破滅的な作家志望者(私のことですよ)なんかと恋愛したいと考える女性がいるわけがありません。そこにまるきり気づかなかったというのですから、お粗末きわまりない青春でした。
 自己分析はやはり大切だと思います。極端に腹がたったりすることは、その人間の深い何かが触れている可能性があります。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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