2019.05.26 00:05

 先日、自宅マンションでタンク清掃があり長時間断水しました。朝の9時から午後の3時まで。6時間水が出ないというのは、けっこうつらいものがあります。もちろん実際は9時になった瞬間に水が止まるわけではありませんが、いつ止まるかいつ止まるかとびくびくしながら使うのはあまり気持ちのいいものではありません。
 水洗トイレなどもどのタイミングで使えなくなるかわからないので落ち着かず、家内はどこかに出かけてしまいました。私もいつもよりは少し早めに教室に来ました。
 
 ふだんは水道のことなんか何も意識していません。朝起きて好きなときにシャワーを浴び、好きなときに洗濯(全自動なので私でもできます)しています。水が使えることを改めて感謝したり、ましてや使えますようにと祈ったりすることはまずありません。不便さが生じてはじめて、はっと気づくことがあるわけです。
 健康もそうですね。ふだんの私たちは身体のことをさほど意識しません。意識するにしても、健康面というよりむしろ美容的な要素が大きいように思います。
 
 かっこよく見えているだろうか? とか、かわいらしく見えるだろうか? とか。それが不調になってはじめて強烈に身体を意識するようになる。高熱が出た、頭痛がひどい、お腹の調子が悪い、痛みで一睡もできなかった・・・そこではじめてふだんはそんなに恵まれていたのか! ということに思いあたる。その恵みに対してほとんど敬意を払ってこなかったことも、はじめて意識します。
 健康があたりまえではなかったということですね。健康であることはこの上ないプレゼントだった。
 
 そもそも持っているものの拡大ばかり考えるから、感謝という意識が乏しくなるのでしょう。千円持っていても増やすためにはどうしたらいいのかということばかり考えて、千円持っていること自体はあたりまえだと決めつけている。本当にあたりまえでしょうか。500円しか持っていない人は千円持っている人がうらやましくて仕方がないと思います。
 相対性の中だけで生きていたらどうなるか。うらやましがることの連鎖は決してなくならない。不満は生きる限り続くでしょう。
 
 そうした生き方はしかし、私たち自身が(多くは無意識のうちに)選択したものです。あれがほしいこれが足りない、もっともっと大量にと渇望して生きる姿勢を「向上心が強い」と評価する向きもあり、ご自身が幸せならまったく問題ないと思います。ただ落ち着かない、不安である、人間らしい感じがしないというのであれば、生き方の転換を図ることもまた問題ないと思います。
 世の中には少なくとも2つの生き方があります。「何をどれだけ得られたら幸せか」という生き方と「何をどれだけ得ているから幸せだ」という生き方です。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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