2019.05.25 00:38

 私は自分の生き方が「正しい」という気持ちはまったく持っていません。単純に心地よいかどうかということを大切に生きていますが、他者に「干渉しない」という姿勢はけっこうはっきりしているかもしれません。余計なことを言わないということですね。それが相手のためになるかならないかわからない場合、余計なことは言わない。場合によっては、相手のためになることであっても黙っている。黙っていることの品格を意識する場合もあります。
 
 家族や生徒に対してもそうです。気づいたけれども言わないでおこうということがよくあります。相手から意見を求められたり望まれている場合は、それなりにお話することはもちろんあります(金曜日の晩もそういう機会がありました)。それでも露骨なことは口にしない。
 少年時代、ありがた迷惑みたいな友だちがいました。いい奴なのですよ。いい奴だけれどもあれこれ干渉してくる。あの時代なのでメールもラインもなく、定期的に電話がかかってきます。
 
 善意から来ていることは私にもよくわかりました。友だちの少ない私を気づかってくれて、みんなでどこそこに行くのだがきみもどう? と誘ってくる。私はほとんど「用事がある」と断っていました。仲間はずれにならないように配慮してくれるのはありがたいのですが、善意の干渉ではあってもどこかしら暴力的な感じを受けました。
 たとえばーー変な例えですがーー口臭のある人に「あなたは口が臭いからすぐに何とかしたほうがあなたのためだよ」と忠告する乱暴さとでも言えばよいのでしょうか。
 
 だいたいにおいて、おせっかいな方は善人が多いものです。でしゃばりだとか何だとか批判されても本来はいい人が多い。そういう意味で言えば、私はいい人ではないのでしょう。よほど信頼関係ができているときだけ、遠まわしに間接的に干渉する程度です。
 先日、10代のころの息子にあてて書いた私の置手紙が何通も出てきたと家内が見せてくれました。すでに記憶にはなかったのですが、口で言うと少しうるさくなりそうなことがさらりと書かれていました。
 
 置手紙ですから相手に通じたかどうかは確認できずじまいです。そもそも彼がそれを本当に読んでくれたかどうかもわからない。私の干渉というのはそのレベルです。ただそれで私と息子の親子関係がとても快適に推移したのは事実です。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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