2019.04.10 01:48

 先日、あるところで初老の男性が若い男女に向かって「うちのオヤジは厳しくてなあ、おれはいたずらをしてはよく桜の樹にしばりつけられたもんよ」と語っていました。彼らは深い知り合いのようなそうでもないような微妙な関係みたいでした。お相手の男女は、それは大変でしたねと驚いたような表情を浮かべていらっしゃったのですが、私はその男性の話には少しうそがあるのではないかと思いました。批判する意味ではありませんよ。人間にはそのように多少のうそを交えて自分の人生を調整していく必要がある、ということを言いたいのです。
 
 べつのところではーーこれは飲み屋さんですがーーある中年男性がおでんを頼む際に仲間に向かって「なにしろ今日は朝から何も食べていないんだ」と繰り返しおっしゃっていたのですが、これまた私は微笑ましいうそではないかという気がしました。おでんを真っ先に頼みたい照れ臭さが、そういう言い訳をつけ加えさせているような気がしたのです。
 もちろん、あまり食べていないのは確かでしょう。ただ本当に朝から「何も」食べていないのかどうか。
 
 こういうことは私にもよくあることで、たとえば東日本大震災の日の話をするときに、私は面倒なので(というより大変さを強調したくて)、「渋谷教室から荻窪の自宅まで夜中に歩いて帰った」と話すことがあります。実際は南阿佐ヶ谷から荻窪間ひと駅だけは復旧したばかりの地下鉄に運よく乗ることができました。けれども、大変さが軽減してしまいそうであまり言いたくないという気分がある。
 人生についてもそうです。子どもが生まれて家内が育児で働けなくなり、私は小説を書きながらお気楽に講師業だけで生活できなくなって40歳を過ぎて生まれてはじめて「就職」しました。
 
 このストーリーの時系列そのものにはうそは1つもありません。ですから事実なのですが、私自身の気持ちのどこかには、当時自分のさまざまな才能に見切りをつけた部分があるのです。要するに「自分はこれといって特別な人間ではなかった」ということです。それを直視するのが切なくて「家庭のためにきちんと働かざるをえない」というストーリーを作って、狂気(?)をなぐさめた要素がどこかにあります。
 ときどき他人が不思議なことを言い出し、ひょっとしたらうそかもしれないと思うことがあります。
 
 ただそこはあえて突っこまない。場合によっては「それは大変じゃないか」と相手の物語を補強してやる。
 人は他愛もないうそ(他者には迷惑のかからないうそ)や物語を信じることで、何とか人生の難局を乗り越えることができたりしますね。ばっさりうそだろう? と斬っていくような残酷なことはしたくない。「貧乏だったから」「運が悪かったから」「裏切られたから」・・・おおかた事実でも、かすかに何か残されている。しかしそれは、そっとしておいてあげたいということです。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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