2019.04.07 07:01

 ときどき「受験でつぶれてしまった」という表現を目にすることがあります。中学受験が多いですね。どうしてそのようなことが起きるのか?
 これは私自身がまさしくそうだったので、非常によくわかります。やるのであれば、受験勉強は本当にエレガントにやらなければいけない。周囲にそうした配慮がないと、きわめて危険でもあるのです。春期講習の報告会でもその話をしたのですが、せっかくですからここにも残しておこうと思います。
 
 彼らはなぜ失速するのか? 暴力的な価値観に対する反抗が、受験が終わって何年もたってからわーっと出てくるのです。いわゆる反抗期に入って、あのときの自分はいいように踊らされていたという悔しさが出てくる。多くはご両親に対してですね。中には「強制的な受験勉強という虐待を受けた」と語っていた生徒もいました。
 私が育った時代は、体罰あたりまえという時代でしたからまだわかる。ところが彼らは精神的な意味でこの用語を使っています。
 
 人さまの例を出すわけにはいかないので自分の話をしますが、私もいちおう合格はできたので、受験勉強がむだではないということは理解できた。ただその過程において、点数がいいか悪いかだけの評価軸ですべてが決定という脅迫的な価値観を押しつけられたことは、ずっとあとになってからひでえじゃねえか! という気持ちになりました。
 つまり点数がいい子をーーそれがどんな人間であってもーー両親揃ってあの子は素晴らしい、お前もああいう人間を見習いなさいと言う。
 
 逆に点数が低い子をーー私の親しい友人であってもーーできない子と遊んでばかりいるから成績が伸び悩む、もうつきあってはいけないと命じられる。こうした見方が何という浅薄な人生観だったのだろうということは、中学生になって外の世界が見えてくるにつれ実感できるようになりました。
 偏差値ですべての序列を決める価値観は、資本主義下では貧乏人はぜんぶ役立たずでお金持ちだけが有能であるという乱暴な決めつけ方とちょっと似たところがあります。
 
 そして金持ちになる(高い偏差値をとる)ためなら手段を選ばず他者を蹴落として何でもやれということになる。
 ある時期から私はそうした価値観は一切捨てようと強く思いました。きっかけはいろいろありますが、とにかく全否定でいこうと思った。ですからじつは勉強そのものがきらいになったわけではなかった。誇りを持って別の座標軸で生きようと思ったわけです。
 
 豊かな人生観を与えてやれない大人は、子どもから反逆されるものです。そこは少し気をつけないと。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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