2019.04.01 06:24

 先日、スラックスのベルトを忘れて仕事場に来る夢を見ました。
 まれに本当にベルトを忘れて来るときがあります。落ち着かないので安いベルトを買ってきたりした日もあったのですが、とにかく今回そういう夢を見た。夢の中で、またベルトを忘れたなと強く意識していました。仕事場だかどこだか、とにかくスーツを着ているのは確かでした。そしてベルトはしめていない。
 
 目が覚めてから、変わった夢を見たものだと思いました。そしてその日、支度をしながら何度も夢のことを思い出した。夢の中ではベルトを忘れていったものの、現実でそれではいけないなと考えながら支度し続けた。ワイシャツを着てネクタイをしめスラックスをはき・・・そして私はどうしたことか、その日現実でもベルトを忘れて教室に来てしまいました。唖然としましたよ。あれだけしょっちゅうベルトのことを思い出しながら、なぜ最後の最後は忘れたまま自宅を出てしまったのか。
 
 今回はばかばかしいので、途中で買いに行ったりはしませんでした。ただ正夢になってしまったことは不思議でしたよ。ベルトがなくても困ったことはまったく起きずそのまま帰宅しましたが、あれだけベルトベルトと繰り返し意識しながら忘れてしまうのはどういうことなのだろうとは考えました。
 と同時に、恐れていたから現実化したのではないかという気持ちもありました。ベルトを忘れてはいけないと通常よりこわがりすぎたのではないか。
 
 ときどき、そういうことがありますね。昔、太宰治についてのどなたかのエッセイを読んでいたら、太宰治が広い場所で座っている自分に草野球のボールが飛んでくるのを恐れていたというエピソードが出ていました。相手の方は確率的にそんな偶然があるわけがないとおかしく思っている。ところがしばらくして本当にボールが飛んできたそうです。太宰は「ほら見ろ、僕はいつもそうだ」という意味のセリフを口にしたらしいのですが、こわがりすぎると実現してしまう傾向を示す例だと思います。
 
 こわがるということは、痛烈に現実化を意識するということですね。こうなるかもしれない、そうしたらどうしようと頭の中で描き続ける。するとマイナスの強い「願望」のようになって絵が現実化してしまう。負の方向で、夢が現実化する。
 なるようになるという広い視野を持つことが大切かもしれません。あるいはどうにでもなるというような大きな信頼感ですね。飛んできてほしくはない。ただ飛んできてもそれはそれでよし、ということです。おおらかさはすべてに対する現実的な処世術だと思います。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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