2019.01.30 00:08

 何となく疲れてしまいましたよ。で、月曜日は早めに帰りました。熱があるとか咳が出るとかではないのですが、基本的に恒常的な寝不足なのだと思います。昨日も半休をいただいて午後の4時すぎに教室に来ました。
 やっぱり犬の散歩だな。帰ってから夜中に行くのですが、これがものすごく寒い。鼻が出るのを気にしながらうろうろします。で、朝は朝で出勤の関係でけっこう早く連れていかないといけない日がある。すると睡眠時間が4時間ぐらいの日もあります。
 
 もっと早く寝ればいいのでしょうが、夜中に帰って犬の散歩のあと食事をするわけで、どうしても午前2時就寝ぐらいにはなるものです。夜更かしをしようと意図しなくても、人間それぐらい余裕がないといけません。そして朝は早ければ6時に起きます。
 家内も体調がよくなってきたので、きのうやおとといの夜は散歩を代わってもらいました。
 昔から、自分はそろそろ倒れそうだなという予感を持つことがあります。少しだけ倒れる(?)のはそろそろかなと。
 
 長いこと生きているので、何となくサイクルがわかる。それでいくともっと前に倒れていてもおかしくなかった。そういう予感がありました。ところが、倒れない。今回は大丈夫かなとも思ったのですが、気が張っていただけなのでしょう。もっともその昔は連続で徹夜みたいなことをしていた時期もありました。どちらかというと、遊んでいてそんなことになってしまう。20代30代ですね。
 それでも平気でした。頑健だったのでしょうね。仲間も一緒に朝まで飲んだりしていましたが、誰も授業に穴をあけることはなかったですよ。
 
 いろいろな事情から休みの日も来なくてはいけないことがあり、それがいちばん大変です。私ぐらいの年齢になったら週に2回はきちんと休んだほうがいいのでしょうが、そういうことが難しい「時期」もあるのです。受験期なんかですね。
 そして、私はまた休みの日に来ることは全然いやではないのです。それはまあ頼りにされれば、そういうものでしょう。次の木曜日は完全に休みにしました。教室に来ない完全な休みは17日以来、2週間ぶりです。
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2019.01.29 08:40

 他者に何かを贈る機会というのがあります。礼儀として贈るという場合もあるかもしれません。私も昔、息子がお世話になった方に何かしらお贈りしたことがありました。ただ礼儀というより、簡単なお礼ですね。
 教室もときどきいただきものをすることがあります。お菓子類をいただくことが多いですね。基本的にはいただき物は禁じられていますが、わざわざお持ちいただいたものを「お持ち帰りください」はないでしょう。ありがたく頂戴して皆さんで食べています。
 
 皆さんというのは、教室で働いてくださる皆さんということで、教務の方や先生方ですね。もちろんその生徒を教えてくださった先生限定というような変な規則は設けていません。その日にいらっしゃった先生であれば、どなたでも召し上がれるように出しています。
 ときどきそのお菓子を見つけて「食べてもいいですか?」と訊いてくる生徒がいます。だめだろうな、でも質問するだけ質問してみよう・・・という感じですかね。「すまないけど先生のためなんだ」と伝えます。
 
 生徒たちも食べていいルールにしてしまうとめちゃくちゃになりますからね。渋谷教室には350人以上の小中学生が通ってくださっている。彼ら全員分いただきものをすることはまずないわけで、そこは我慢(?)してもらわないといけない。彼らもちゃんとわきまえていて、そのことで不満が出たことはありません。
 私はときどき他人に贈り物をしますが、そうしたいという気持ちに突き動かされてというケースが多いようです。
 
 ある飲食店ーーお酒のお店ではありませんーーのシェフにお孫さんができました。つい先日生まれたばかりです。私はただの客ですが、なぜかお孫さんの写真を見せていただきました。うれしいのでしょうね。
 それから何日か、お祝いを贈りたくてうずうずしています。うずうずしたものの、気まぐれな客(私のことです)がいきなりお祝いを贈ったらちょっと不自然ではないかという気持ちもある。贈るとしたら少し高めのベビー服を贈りたいのですが、それはかえって心理的な負担にならないか。
 
 これまでも赤ちゃんが生まれた方にはベビー服をお贈りした経験があります。それらの方は私との関係が深い方ばかりだったので、おかしい感じはありませんでした。ところが今回は要するに定食屋さんのおやじさんと客にすぎず、お互いに何も知らないと言えば何も知らない関係です。
 でも贈りたい。で、少しだけ高価なベビー服を取り寄せてもらいました。来週にでも持って行こうと思います。喜んでくださるでしょうね。わくわくしますよ。結局自分の場合、贈り物をするのは自分のためだったりしますかね。
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2019.01.28 08:33

 人間というものは(と無意味に大きく出てしまいましたが)、基本的には自己の完成を目指して生きるべきでしょう。外部に何を創造しても自分が未完成のままでは寂しいですからね。力まずに自然な自己の完成だけを目指していけば、おのずから「真・善・美」のようなものが醸成されていくはずです。
 ただ、誰しも一直線に自己の完成に到達できるものではありませんから、そこに至るまでの試行錯誤・・・それがけっこう大変ではあります。
 
 勉強をするのもその試行錯誤の一過程でしょう。たくさん勉強したほうがいろいろな方向に可能性が開けていくのは確かです。勉強しているときは、こんなこと世の中を生きていくうえでたいして役にはたたないのではないかといぶかしく思っていたことが、のちのちあれこれと役立ったりするから不思議です。
 実用と人生はやはり違うもので、役にたつことばかりをして生きようという姿勢そのものが人を貧しくしてしまう可能性もあります。
 
 ときには人生をリセットさせなければならないと感じることもありますね。激しい恋愛に落ちるのは、劇的な相手に出会ったという要素以上に心のどこかで「人生をリセットさせたい、いまの状況を激変させたい」と強く念じていたケースが多いものです。自分では何をどうしたらいいのかわからない。そこで「恋」になだれこむことによって、これまでの構成を変えようとする。
 ただこの感覚には非常に危うい要素もあります。人生を激変させたいという意識下の部分が正確に見えていないからです。
 
 恋は多くの場合無意識が選んだ人生変革の「手段」であるのに、「目的」に見えてしまう。すると相手にしがみつく感覚が過剰に出てきてしまって、本来の自己の構成がめちゃくちゃになる。まさに本末転倒ですね。
 恋をしているときの高揚感や幸福感は、本来自己の中に眠っていた感情です。もともと持っていたものなのであればふだんからそうした感情で生きられるのに、他者からのプレゼントだと誤解してしまうと相変わらず自分は無力であるという誤った結論に陥ってしまいます。
 
 恋というのは、人生の素晴らしさ、自己の有能さ、生活の拡大による豊かさへの案内人です。だから美しく感じられる。相手を失うことによって、1度確認した人生の素晴らしさや自己の有能さ、生活の豊かさそのものが喪失してしまうことはじつは錯覚に過ぎません。ただそのあたりのことがわかってきたときには、恋を手段としても必要としなくなっていたりするのが皮肉ですね。
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2019.01.27 07:23

 昔、都内のあちらこちらにY食堂という趣のある食堂がありました。典型的な「街の大衆食堂」で、何種類もの定食をその場で作って出していました。適当に料理を組み合わせることも可能でした。私は都内の何か所かでこの食堂に入ったことがあります。同じ名前でもチェーン店というより、それぞれが独立しながらゆるい連帯を保っていた感じでしたよ。
 よくは覚えていませんが1980年代~90年ごろにかけて、少なくとも中野、東中野、落合、荻窪で入ったことがあります。
 
 ほとんどがすでになくなってしまったのですが、まだ残っている店舗もあります。やはりご家族で経営されているようです。年に何度かお邪魔する程度ですが、先日ご主人がお客さんとこういう話をされていました。
 お客さんも飲食店を経営されている方で、今年のお正月はお休みが多かったのでその後お客さんが少なくて苦しいというお話でした。正月はずっと働いているので私は気づかなかったのですが、今年は例年よりお休みが多かったみたいですね。
 
 お休み中はどうしても出費が重なる。するとその後外食を控えるようになってくる傾向がある。「皆さんの給料日まで我慢するしかない」と嘆いていらっしゃる。さらにご主人がこうおっしゃった。「でも、今年はもっともっと大変な時期が来るよ」4月から5月にかけての10連休のことでした。「本当にどうなってしまうのだろう」
 10連休についてはいろいろなところで、お客さんが来ないのではないかと危惧されているようです。
 
 こういう庶民の不安を昨今の為政者はあまり考えていないように感じるときがあります。これにはいくつか理由があるでしょう。基本的には現代人の想像力が欠如している。ご自身のレベルだけで物事を考えてしまう。始末の悪いことにシステムそのものは「民主主義」じゃないかということで、そのときの流れを民意と断定してしまっていいやという退嬰的な姿勢もあるかもしれません。
 昔の有能な君主は、まず民の生活を第一に考えていましたね。そうした徳は民主化されていないからこそ持てた何かだったのかもしれないと考えると皮肉です。
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2019.01.26 07:00

 渋谷教室で教室長をさせていただいてからもうすぐ丸8年になります。この2月まで継続したところで、8年間ということですね。それ以前、池袋教室にいたのが丸7年間でしたから、いつのまにか池袋時代より長く勤め(この場合務めかな?)させていただいたことになります。
 中学生や保護者の方との関係は、どこでも同じと言えば同じです。これが東京と大阪みたいに距離が離れてくるとそれなりに違いも出てくるのでしょうが、池袋と渋谷ではそうは変わりません。
 
 街そのものとしては、私は池袋のほうが愛着があります。最近の渋谷はどんどん変わってしまうので、落ち着いて歩けない感覚があるのです。のんびり散歩する気持ちにはなれないですね。お店の変遷なんかも渋谷のほうが激しい。8年間のあいだに何度変わったのだろうという店舗もあります。
 渋谷はやはり圧倒的に若い方が多いですね。どの地域に行ってもそう感じます。例のハロウィンの日なんかは本当に大騒ぎですが、私にはあまり関係ないですね。
 
 教室は、おかげさまでうまくいっています。何をもって「うまくいく」と呼ぶのか難しいところがあるのですが、要するに通ってくださっている生徒自身がどれぐらい楽しんでくださるかということがいちばん大きい。さらに保護者の方がどれぐらい安心されているか、あるいは教えている先生がどれぐらい落ち着けるか、さらには教室に関係しているーー自動販売機の業者さんや清掃をしてくださる方などーーがどれぐらい気分よく仕事をしてくださるか・・・ということです。そうした空間の演出がいちばんの仕事だと考えています。
 
 生徒はときどきこういうことを口にするわけですよ。「安心して授業を受けられるとほっとする」教室を預かる人間は相当考えなければならない問題で、彼(あるいは彼女)自身は大人しく成績のいい子でいつも褒められていたとしても、他の生徒が同じ教室内で強い叱責を受けたりするとそれなりに大きなストレスを感じるものなのです。ときにはひどく調子が悪くなりもする。
 そうしたご自身に起因しないストレスも、できるだけ生徒たちが受けないようにとはつねに心がけてきました。
 
 柔らかい空気を演出することはさほど難しいことではないのですが、柔らかい空気を保ったままいい成績を残し続けることはじつは非常に難しい。見せかけだけではないホンモノの愛情がないと、むりではないかと思います。それは集団でも個人でも同じことです。
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2019.01.25 08:03

 最近は犬の散歩に行くためにかなり早起きしています。ふだんは出かける2時間前に起きていました。それに合わせて寝る時間も調節する。だいたい11時台に自宅を出ますから9時には起きる。すると寝るのが2時半ぐらいでしょうか。
 それをさらに1時間以上、早く起きています。土日は6時に起きた。寝る時間は自由自在にというわけにいきませんから、当然寝不足になります。いつも眠い。ただそれはそういうものでしょうから、気にしません。
 
 それより、やはり早く起きて外を歩くとすごくいい気分ですね。朝日が昇ってくるところが見えたときは感動しました。早朝の散歩は健康にいいと書かれていましたが、こういうことかと思いましたよ。
 帰ってきても二度寝するほどの余裕はないので、そのまま準備にとりかかる。すると相当自由時間が増えました。自由時間にやりたいことをやる。具体的には書きませんが、朝起きて仕事に行く準備「だけ」の生活よりかなり人間らしい満足感を得られています。
 
 それからおなかがすくようにもなりました。基本的にきちんと食べるのは昼だけなのですが、いまは一食分ではちょっと物足りない気持ちになります。そこで高校生みたいにお菓子をコンビニで買ってきたりする。朝から犬と一緒に走ったりしているからなのでしょうね。
 昨日はお休みだったのですが、朝は犬の散歩に行き昼は霊園に行き(お参りではなくいろいろな手続き)帰ってからまた犬を散歩させ、夜は少しだけ教室に寄りました。帰ってからはまた犬の散歩。
 
 新しくお墓を作る必要が出てきて、霊園には妹と行きました。彼女がすべててきぱきと処理してくれるのですが、いちおう私が継承者(?)らしい。「家紋は入れますか?」と業者さんが訊く。妹が私に「どうする?」と言う。私はどっちでもいいので何も答えず「よきにはからえ」です。業者さん「線香たてはどうしますか?」、妹「どうする?」、私「よきにはからえ」。業者さん「戒名も書きますか?」、妹「どっちがいい?」、私「よきにはからえ」で、要するに私はいてもいないのと同じです。
 
 私は基本的にそうやってほとんどのことは「よきにはからえ」で終始しています。人生のどの側面においても、いてもいなくても同じなのです。じつは、そこがいいところだと思っています。
 
 
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2019.01.23 01:26

 世間に「ご馳走」と称されているものがありますね。寿司とか天麩羅とかうな重とか。無意識のうちにおいしいと決めている可能性があります。私もそうでしたが、だんだん歳をとってきてご馳走ではあってもそれほど好きではないものもあるらしいということに改めて気づきました。
 いわゆる「握りずし」を私はあまりおいしいと考えていない傾向があります。もっとも私が食べているのはきわめて安いお店(回転寿司を含む)のものなので、ホンモノの味はわかっていないかもしれません。
 
 もちろん少しだけ高めのお店にお邪魔したことがないわけではないのですが、だいたいは酔っ払っていたりしてあまり覚えていません。寿司を食べるというきちんとした目的意識を持っていなかったわけです。
 昼のランチでちゃんとした(という表現も変ですが)おすし屋さんに入ったときは、だいたいちらしずしを食べます。握りのセットもいろいろありますが、どういうわけかちらしを選択してしまう。
 
 ただ、私はちらしずしの正式な食べ方がよくわかっていません。その昔、M市場という魚の刺身の丼を食べさせるカジュアルなチェーン店がありました。数年前は渋谷にもあり何度かお邪魔していたのですが、いつのまにかなくなってしまいました。渋谷店だけではなく、他の地域でも少なくなっているみたいで心配です。
 そこでは皆さん、小皿に醤油を入れワサビをといてさーっと丼にかけまわしていました。真似をしながらこれは手っ取り早くて便利だと思ったものです。
 
 ところがそれなりに本格的なすし店でそんな変なことをしているお客さんは基本的にいらっしゃいません。ちらしを食べるときは、それぞれの刺身を小皿の醤油につけてあらためてご飯のうえに乗せたりして食べている。
 この繰り返しが何となく不安を抱かせます。うまく説明できないのですが、こんなことを永久運動みたいに繰り返していて、礼儀にかなっているのか? という不安があるのです。
 
 卵焼きとかかまぼことかたくわんとかでんぶ(ピンク色の甘いやつです)とかも乗っていますが、どう食べるのが正解なのか。かまぼこはやっぱり醤油をつけるのでしょうか・・・みたいなことを考えていると気が狂いそうになります。
 あるお店で、ものすごく安いちらしずしを食べてみたことがありました。すると乗っているものが少なすぎて下の白米がいたるところでのぞいている。かんぴょうだとか海苔だとかでごまかそうとするのですが、さすがにむりがある。これでは提供する方も食べる方も全員が敗者になる可能性があると思いましたよ。
 
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2019.01.22 01:34

 センター試験に上林暁の作品が取り上げられていましたね。こういう「いぶし銀」みたいな作家の作品をあえて出題するところが、非常に面白い。現在上林作品を愛読されている高校生は(残念ながらと表現するべきでしょうね)、ほとんどいらっしゃらないのではないかと思います。
 私は、じつは上林暁の全集を片っ端から読んでいた時期がありました。上林先生は大病で2度倒れられるのですが、2回目に倒れられる以前の作品が中心でした。
 
 大学生のころですね。私小説というものにはまっていた。一般的には私小説はどちらかというと・・・日本文学をこじんまりしたものにしてしまったという批判を受けることが多いようです。身の回りのことばかり書いているから、どうしたってスケールは小さめになります。自分なんかはまさにそこが面白いのですが、悪く言われることも多い。
 よく電車の中でこの作家の全集を読んだものです。重かったですよ。
 
 山手線内で全集を読んでいても奇異の目で見られなかったのは、それだけ読書している人間が多かったからでしょう。上林暁、木山捷平、滝井孝作あたり相当読みました。それぞれ作風は違いますが、基本的には「私小説家」と呼ばれる作家ばかりです。
 上林暁先生はお酒が大好きでずいぶん失敗されているようでした。それを小説に書く。小説のネタのためにわざと失敗しているのではないかと疑いたくなるような出来事もあったようです。
 
 私には昔から「蔵書」という概念がないので、上林暁の作品は現在手もとにありません。いつだったか「禁酒宣言」という面白い文庫本を入手したのですが、どなたかに貸したままなくなってしまいました。
 ものすごく刺激がほしい方は「禁酒宣言」をお読みになってみてください。いまでも入手可能らしい。ふだんテレビなんかで享受している面白さとは別次元の、もはや前衛的な面白みを感じることができると思います。何だこれは! という衝撃に近いかも。
 
 上林先生は何もないときは、かつおぶしに醤油をかけて酒を飲んでいると書かれていました。小説の中に堂々とそういう描写が出てくるのですよ。真似して何度かやってみたことがあります。火曜日も帰ってから(犬の散歩のあとで)やってみるかな。
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2019.01.21 08:43

 面接試験がある方もいらっしゃると思います。簡単に心得みたいなものを書いておきます。
 まずご自身がいまのままで「志望校に必要とされる人間であるか」ということをじっくり考えてみてください。各校のホームページなどに「学校側が望んでいる生徒像」のようなものが何かしら書かれているはずです。あなたがそれに該当していなければ、あちらが望まない生徒が面接にきたということになってしまいますから、そこは気をつけて。
 
 リーダーとして活躍できる人間と書かれているのであれば、ぼくはあまり目立つのは好きではありませんではまずいですね。あるいはグローバル社会に羽ばたける人材というようなことが書かれているとしたら、人と話すのは苦手ですではちょっと心配です。
 うそをつくという低次元の解決策ではなく、ご自身を相手側が望む形に進化成長させていこうという意志が大切になってくる。いまはまだ十分ではないかもしれないけれども、その方向に進歩していくぞという強い気持ちですね。
 
 志望理由は必ず訊かれます。そのときどうしてもその学校でないとだめだというものを試験官の先生に感じさせるようにしてください。たとえば大学進学率がいいからでは、いくらだって大学進学率のいい高校は他にあるじゃないかと思われてしまいます。英語教育に定評があるから、理系指導に力を入れてくださるから・・・これまたいくらでもそういう高校はあります。それがどうして「その高校」でなければならないのかということを相手にわかってもらえるような答を用意しておいてください。
 
 中学時代強く印象に残ったことも確実に質問されます。そのときに、ただ面白かった楽しかっただけではなく、できればあなたご自身がその物事を通じてどのように人間的に成長できたのか、何を学んだのかということを答えてください。すべての出来事を自己の成長の糧としているところを見せるのです。
 あなたの長所と短所を考えておいてください。短所は矯正しようという意志を持っているということも必ず伝えます。
 
 不得意科目について訊かれたときもそうです。それを高校生活で得意科目に変えようとしているという意志は伝えましょう。
 将来についても「べつに」ではいけません。また職業名だけをぽんと投げ出すだけというのも印象がよくありません。どういう人間になりたいのかという決意表明が大切なのです。わからないことがたくさんあるのでこれからも好き嫌いを出さずに勉強して、より多くの人の役にたてる人間に自分を鍛えていきたいぐらいで十分です。
 
 話すときに、ただぼそぼそと言葉を並べるだけでは通じ方が弱いのがわかりますか。落語だとか漫才だとか音声だけでも面白いですが、身振り手振りが入るからより強く伝わる。そういう部分を自分のトークに取り入れてください。可能であれば両手を動かしながら答える。熱を入れると人間は自然とそうなると思います。
 緊張していること自体は全然マイナスにはなりません。以前部屋を退出する際に混乱してドアを内側からノックするという・・・何が何だかわからないことをしてしまった生徒がいましたが、ちゃんと合格しています。
 
 私を選ばないでどうする。校舎に向かってそう呟いてから、ゆっくり校門をくぐってください。
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2019.01.20 00:06

 つけ麺という食べ物がありますね。私が子どものころはーー存在していたのかもしれませんがーー名称を聞く機会さえありませんでした。はじめて食べたのは20代のときで、池袋の親戚の家で近所の有名店から買ってきた「つけ麺」をいただいたことがありました。おいしいものだと感じましたが、あえてどこかに食べに行こうとまでは思いませんでした。いまと違ってつけ麺を出しているお店が少なかったですし、有名店の大行列に並ぼうという気にもなれませんでした。
 
 2004年から私は池袋教室で教室長を7年間務めさせていただいた。池袋はつけ麺激戦区ということもあり、何軒も専門店があります。食べ比べたりしているうちに定期的に食べるようになりました。あつもりだとか味噌つけ麺だとか、少し変わった種類のものもいろいろと食べました。
 おいしいお店は、やはり複雑な味を出しています。やたらと量が多いだけのところもありましたが、あっという間に閉店になったりしていましたよ。
 
 渋谷教室に来てからは、あまり食べなくなりました。どこもお若い方がたくさんいらっしゃるので、何となく気恥ずかしく感じるのです。そういうものですよ。おっ、じいさん元気につけ麺か・・・みたいに注目されたら、恥ずかしいじゃないですか。
 ほんの数回です。食べるとおいしいと思うのですが、何となく避けてしまう。昨年、教室のすぐ近くにつけ麺屋さんができたので、先日行ってみました。かなり濃厚な汁で麺の量も多めでした。
 
 隣席の若者が、ちょうど麺を完食されたところでした。彼はお店の方に「汁をスープ割りにしたいのですができますか?」と声をかけました。お店の人は待っていましたとばかりにスープで割って持って来ました。
 若者は少しずつ飲み続け、とうとう最後まで飲み干してしまいました。
 口当たりがまろやかになっているからでしょうが、もともとのつけ汁をぜんぶ飲んだ勘定になります。丼一杯のどろどろのつけ汁です。相当なものだと思いますよ。
 
 汁のままであれば、こんなにたくさん飲めるわけがないしその必要もないと理解している。ところが知らず知らずのうちにぜんぶ飲んでしまう。うすまってわからなくなるのですね。安易に教訓話にする気持ちはありませんが、人間が決定的な間違いを犯すのはそういううすまった「あれ?」の蓄積ではないかと思います。個人的に気をつけようと思いましたよ。
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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