2018.10.31 09:28

 今回ちょっと汚いお話なので、食事中の方はあとでお読みください。
 犬の散歩に行くと犬がフンをしますね。まさかそのまま置いてくるわけにはいきませんから、私の場合コンビニでもらう袋を手袋のように装着してそのまま路上のフンをつかみ裏返してくるみます。いろいろな方法があると思いますが、手先があまり器用ではないのでそのやり方がいちばんうまくいくのです。
 するとコンビニの袋1枚を通して生温かいフンの感触が伝わってくる。
 
 おそらくその経験が、今回のような夢を見させたのではないかと思います。夢の中でなぜか私は、紙包みに入ったフンを持ち歩いていました。袋ではなく、昔の油紙(なつかしい!)のような紙でした。もっと問題なのは犬連れではなかった。したがって持っているフンが犬のものなのかどうかはっきりわかりません。
 夢の中では人間のもの(だれの?)である可能性も感じていました。さらに私は音楽雑誌の入った袋も持っていました。
 
 フンをどこかに捨てたいのですが、捨て場所がない。さらにそのとき遠い昔勤めていた塾で授業を担当する予定になっていました。午後3時からなのですが、もう10分ぐらいしかありません。塾内に持って入るわけにはいきませんから、とにかくどこかに捨てようと焦っていました。
 正直なところを書くと、下水に流してしまおうかみたいなことを考えました。環境問題を考える余裕はとてもありませんでした。
 
 ところが路上にはやたらと人がいて、どこにも捨て場がない。そうだ、確か近所に人気のない小さな公園があったはずだと考え、これまたけしからんのですが公園のゴミ箱に捨てようと思って行ってみたら・・・何と! 「なんとかフェスティバル」というのをやっているじゃないですか。
 子どもたちがわーわー走り回り、出店みたいなのもたくさん出ていてフンを捨てるどころではありません。
 
 とりあえずフンを雑誌の袋に入れて・・・と路上でごそごそ作業していたら油紙の脇から一部がもれてきて、雑誌についてしまいました。あちゃー、こりゃ雑誌も捨てるしかないなと思う。すると雑誌の袋と油紙の包みを同時に破棄しないといけない。何だか異様に目立つような気がします。
 腕時計を見るともう授業がはじまりそうです。こうなったら路上に置いて全力で走って逃げようかと決意したあたりで、目が覚めました。
 
 しばらく考えましたよ。いい歳をして、ばかじゃなかろうかと。たださすがにここまでの話題は珍しいものの、私はときどきすごく幼稚な夢を見るときがあります。精神が幼稚なのでしょうね。
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2018.10.29 08:05

 ハロウィーンの季節ですね。教室でも入口のあたりにちょっとだけ飾りつけがあります。プラスチック製のかぼちゃの容器に1週間だけお菓子が入っていて、来た生徒はその日に1個だけ取っていいことにしてあります。難しく考えることはないのであって、クリスマスには小さなツリーを、お正月には小さな門松を飾っています。
 お菓子は、私や仲間がポケットマネーで好きなものを買ってきます。私たちとすれば生徒たちが楽しんでくれればそれだけで十分満足です。
 
 面白いですよ。とても上品なお嬢さま風の生徒がいちばん駄菓子みたいなものを持っていったりする。よりによってきみがそれかよ! と突っこみたくなりますが、もちろん何も言いません。ときどきずるをして2つ持っていく生徒が出てきたりもしますが、目くじらをたてるほどのことではないですね。お菓子がなくなればまた補充するだけです。
 ただ今日書きたいのはそういうことではありません。かぼちゃの容器はふたを開けるようになっているのですが、かみ合わせのぎざぎざ部分が若干複雑です。
 
 開けて、しめるときにちょっとだけ神経を使う。神経を使わないときっちり閉まらないようになっている。もともとはふたなのですから、難解というほどでもありません。私が開けたときも何度もすぐには閉まらなかったのですが、かみ合わせ部分をずらしていけば何ということもなく収まりました。
 ですから見ていると皆さん少しだけ迷いますが、優秀な子は例外なくきちんと閉めていきます。
 
 ところがそうしない生徒もちらほらいる。ふたが閉まらないのですぐにあきらめてしまう。半開き状態でさーっと行ってしまう。ひどい例だとふたは別の場所に放置したままです。
 これは道徳の話ではありませんよ。そういう生活の基礎の基礎の部分で、優等生とまだ発展途上のご自身の差がついているという事実を意識してほしいのです。ふたをきちんと閉められない、その僅かな努力や工夫の放棄が生活のすべてに、教科の成績の差にと広がっていく。
 
 ま、いいかという安易な判断。ふたが閉まらなくて「ま、いいか」というのと科目の内容がわからなくて「ま、いいか」というのは確実に共通項を持ちます。練習が足りない「ま、いいか」も、覚え切れていない「ま、いいか」も、教材の整理ができないままの「ま、いいか」も、すべては同根であるということですね。
 生活自体から「ま、いいか」の文化をなくしていく必要がありそうですね。教室に来てくださっている方、31日まではお菓子を補充し続けますから落ち着いてきちんとふたを閉めてみてください。
 
 
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2018.10.28 00:19

 私はさまざまな方のご助力で、ブログを9年半ぐらい書かせていただきました。そしてあと少しは書き続けることになると思います。勉強法に関しましてはーー何度も繰り返しますがーー右側の「どうしたら勉強ができるようになるか?」のコーナーに77回分まとめてしまいました。そこで最近はもっぱら勉強法以外のことを書いています。
 35年以上こうした仕事を続けてきて、気づいたことですね。と同時に私自身がふと感じたこともあまり深く考えずに書いています。
 
 最近、若干の違和感を世の中全体に対して抱くことがあります。これは声を大にして言いたいわけではありません。心の呟きみたいなもので、私自身がどう生きたいかということと密接につながっているだけではあります。
 世間で「偉い」と目されている方の中には、やたらと厳しい方がいますね。記者会見で新人の記者の方を罵倒したり、ツイッターという手段でひたすら攻撃的な文言を並べたてたり。すると世間の一部は「リーダーシップのある強い人だ」ともてはやすことがあります。
 
 あるいは交渉事は一筋縄ではいかないということで、外交なんかは裏取引や買収なんかもどんどんやって場合によっては相手をひっかける汚い手段も使い一方的に自国の得のみを積み重ねていくのが本筋であり、ばか正直さや誠実さなんて何の価値もない・・・というお話が「やり手で頼もしい」とやはり高く評価されていたりします。そういうものなのかもしれないですね。
 ただ昔の聖人はどなたもそんなことをおっしゃっていないのは確かで、そもそも私たちは幼いときにまず正義とか正直とか愛とか譲る気持ち、犠牲心、慈悲の心の大切さなんかを学びますね。
 
 幼稚園ではそう教えていると思います。それはおそらく人間が人間になるための最も大切な概念だからであり、その思想を最上位に置かなければいつまでたっても人間になれないからでしょう。具体的なお話ではないのですが、たとえば「領土」などもつねに変化してきました。これからも変化していくでしょう。つまり普遍性がそれほど強くないということです。そうしたもののために最上位にある愛や平和や寛容さや友愛の精神が侵されていくのは、若干本末転倒ではないかという危惧も抱きます。
 
 いまの自分は熱心にやらない生徒に変に厳しく接しない(まあ、やりなよぐらいは伝えますが)のですが、むりやり勉強させたり言うことを聞かせたりするより、やはり愛情や慈悲の概念のほうが上位にあると信じるので秩序を大切にしたいのです。
 どんなに情けない事件があったとしても、それこそ記者の方に対して「偉い」立場の方が「勉強が足りないんだよ! 出直して来い!」とおっしゃるような姿勢は絶対にとりません。むしろ「わかりにくいもんな」とまず生徒を安心させます。それは究極の強さなのではないかとひそかに考えるときもあります。
 
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2018.10.27 08:24

 先日、北千住のいつもの居酒屋さんへ行った話を書きました。「肉とうふ」を頼んだ。これ、正式名称が「肉とうふ」なのです。「肉どうふ」ではない。メニューにそう書いてありますから間違いないですね。ところがほとんどのお客さんは「肉どうふください」とにごって発音しています。ですから、私が「肉とうふください」と正式に発音すると、89歳になるお父さんは「おーう!」と大きな返事(この返事自体がお店の名物になっています)でにっこり微笑んでくださるのです。
 
 お店の方にしてみれば、やっぱり正しく読んでもらったほうがうれしいのでしょうね。手拍子は「てひょうし」とは読みません。「てびょうし」です。掲示も「けいし」とは読まない。「けいじ」とにごります。
 その種の連想から肉どうふになってしまうわけでしょうが、私はこういう部分に生き方の繊細さの違いが出てくるのではないかと考えています。メニューの読み方だけでなく、生活のすべて(勉強も含めて)の次元で「肉とうふ」を「肉どうふ」と思いこんでまったく疑わないような何かが起きているのではないか。
 
 注意深く丁寧に生きるというのは、そういう形で試されてくると思います。
 さらにこういうことがありました。昨日電車の中でカバンに小さなアクセサリーをつけているおじさんがいました。おじさんではなく、紳士と書くべきなのかな。将棋の駒の形をしたアクセサリーだったのでふと目がいった。するとその駒は王将でも飛車でも角行でもなく「歩」なのです。裏返ったときに「と」となっていたので間違いないですね。
 いちばん能力の乏しい「歩」を持ち歩くというところにその方の何らかの表現や意志を感じました。
 
 何でもいいやではなく、意図を持ってお好きな駒を選択しているのでしょう。結果として性能は最弱といってもいい「歩」を選択した。1つ1つのことを意識的に行動しているかどうかというのは、生き方の問題であって生活のすべてに広がっていくと思います。
 ひ弱さという意味ではなく、繊細に生きたほうがいろいろ納得できることも多いでしょう。少なくとも繊細さの中に、かけがえのない何かが宿るような気はします。
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2018.10.26 09:47

 人生、何もかも思うがままという方はむしろごく少数なのではないかと思います。うまくいくこともあれば、思うようにならないこともある。そういう連続性の中で生きていかなければならないのは、人間の宿命みたいなものでしょう。
 うまくいっていることはそのままでよいと思うのですが、うまくいかないことが出てきたときにどう考えるか、ここはなかなか難しい問題だと思います。
 たとえばやりたくないことをしなければいけない。そのときにどう考えるか。
 
 人間、誰でもその人ならではのやり方というのがありますね。服を着る、ご飯を食べる、寝る、歩く、テレビを見る・・・同じことをしていても全員がまったく同じということはありません。よく噛んで食べる人もいれば、ほとんど噛まないでどんどん飲みこんでしまう人もいる。一つずつおかずを完全に片づけていく人もいれば、少しずつ周期的におかずを食べ進めていく人もいる。
 要するに人それぞれなわけです。であれば、何をするにしてもあなたなりに「心をこめて」やってみたらいいと思います。
 
 あなたなりにです。どうしてもテレビを見ながら食事をしたいというのであれば、心をこめてテレビを見る。なおかつ心をこめて食事もとる。テレビは消して食事に専念したほうが消化にいいのは確かでしょうが、あなたの生き方としてどうしても食事どきにはテレビを見たいということであれば、その範囲内での最善を目ざすことが大切になってきます。
 同じように仮に何か非常に不本意なことをしなければならないことになっても、あなたなりに心をこめて最善をつくしてください。
 
 こういう状況は非常に極端な例ですが、私の父親も祖父も軍人でした。戦争を経験しています。殺す殺されるの世界です。非常に不本意な状況ですが、そういうときでもただ漫然と暴れているのと何かに心を留めて行為しているのとではずいぶん違ってくるのではないかという気がします。
 祖父はそれなりに偉かったらしいのですが、部下の方が寝たきりの祖父に会いに来たとき幼い私に「おじいさんはとにかく優しい指揮官だった」と言っていたことがあり、そのときはぴんとこなかったのですが、あとでいろいろ考えさせられました。
 
 戦時下の軍隊内でさえ、相対的に他者に優しくあることが可能だったということですね。戦時下というのはどなたにとっても不本意ではあるはずですが、そんなときでも心をこめて自分なりのやり方を貫くことはできるのかなと思います。
 こんなつまらない人生なんて・・・と思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、すべての作業にあなたなりのあなただけのやり方があるのだということはちょっと意識なさってみてください。
 
 
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2018.10.25 09:38

 この時期、なかなかお休みがとれないですね。先週は火曜日だけ、今週も火曜日だけでした。生徒たちの進路を決めるための先生方との会議などが入っているのです。今週の火曜日はお休みをいただいたとはいっても午前中模擬テストの業者さんが開催している説明会に出席してきました。そのために休みの日ですが、いつもより早く起きた。
 調整のために半休という形で半分お休みをいただいたりはしているのですが、なかなか「ゆっくり」という感じにはなりません。
 
 業者さんの説明会のあとはどこか遠出してやろう・・・と考えました。遠出というのは列車に乗ってということです。自分の場合列車(電車)のとくにグリーン車が好きということがあり、移動目的ではなくグリーン車に乗ること自体が大きな娯楽なのです。
 ですからそう遠くないどこかーーグリーン車の場合行き先を決めないとスイカに情報を入れられないのでーーにグリーン車で行こう、場合によってはグリーン車内で飲み食いしてやろうとはりきってまずはある駅まで出向きました。
 
 そこまでいろいろ考えているわけです。新宿湘南ラインがいいのではないかと思いました。しかも北側に行く。心理的にそちらのほうが親近感が湧くのです。とくに理由はないのですが、横浜方面は仕事でちょくちょく行っていた(毎週授業を持っていた時代もありました)ので、若干仕事のことを思い出したり考えたりする傾向がある。
 のんびりするためには、埼玉県から群馬県、もしくは栃木県に・・・などと駅で考えていたところふと携帯の履歴に気づきました。
 
 ビルの管理会社からでした。さきほど説明会のあとで教室に資料を届けた。鍵を出してもらって間違いなく返却ボックスに戻したはずなのだがと不審に思って電話をかけてみたら、管理会社の偉い方が出てきて「間違ってご自宅の鍵を返却されたみたいですよ」と穏やかに、あくまでも穏やかにおっしゃるではないですか。
 えーっ! ですよ。ポケットの中を見ると確かに教室の鍵が残っています。「ちょっと遠くにいるので1時間未満で必ず返却にうかがいます」とお詫びして電話を切りました。
 
 それから慌てて戻りました。もうこれからグリーン車で遠出を、という気分ではなくなってしまいました。仕方がないので、買い物をしてあとはせめてもの気分転換にと北千住まで出て89歳のお父さんが現役でばりばり働いている有名な居酒屋さんで名物の肉とうふを食べましたよ。
 来週は何とか2回休めそうです。ちょっとゆっくりできるかな。
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2018.10.24 09:02

 生きていて自己の内面には非常に興味があるのですが、外で起きていることに関してはあまり深い関心を持ちません。物価のことだとか消費税のことだとか年金のことだとか少子高齢化のことだとか・・・私の生活にも密接にかかわりますし自分なりの感想がないこともないのですが、いちいち発表したいとは思わないのです。基本的にはそうしたお話を他者と交わすことはありません。
 それは個人のマナーみたいに考えている部分もあり、あまり声高に主張したくないのです。
 
 政治的なことに興味がまったくないわけではなく選挙にもしばしば行くのですが、本来は人間は政治で救われる存在ではないとも考えています。若干のよりよい生活を導くために参加する程度であって、生きる意味は政治の世界をうろうろすることから安易に見つけられるとは考えていません。
 いまの世の中大変な問題が山積していますが、政治力ですべてを解決するのはかなり困難でしょう。感情の問題がありますから、国と国の条約なんかでも正論らしきものが通らなかったりしますね。
 
 私が昔の「元祖」聖人たちに惹かれるのは、彼らのほとんどが「個」でありいわゆる広義の意味での政治力で何かをなそうとしていないからです。あそこなら顔がきくからとか、あいつは昔世話したからとかという要素がまったくない。
 同じく経済に大きく頼る要素も希薄ですね。大きなビジネスになりそうだからやりましょうみたいな話も出てきません。
 あくまでも個の判断で同じく個に働きかけているように見えます。集団は成熟した個の集まりでしかなく、同じ方向に動く原動力は個の意見でしかない。
 
 個が真理に基づいて生きるというごく単純なことが、なかなかできない世の中になってきているのでしょう。
 ときどきこれから10年後にはなくなる職業リストみたいなのが発表されていますが、ああしたリストだけに頼って職業を選択するのは危険ではないかと思います。テレビが普及しはじめたころこれで映画はなくなると多くの方がおっしゃっていたとか、電話の発明で郵便制度が消滅すると考えられていたとかという話を読んだことがありますが、同じような要素があるような気がします。
 
 考え方としては、ご自身の興味のあることを個性的な形で追いかけていかれるのがベストだと思います。本当に運転がお好きなら自動運転が普及しても必要とされるタイプの運転手さんになればいいですし、語学を極めたいのであれば翻訳機が広まっても必要とされる面白い通訳者になられたらいいと思います。
 塾の先生なんかもこれだけ「映像授業」が普及してもありがたいことにまだ需要があるわけで、そのあたりは「ホンモノ」が残っていくのではないかと感じます。
 
 
 
 
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2018.10.22 08:12

 教室で何かしら催しがあるときは、だいたい10時からスタートすることになっています。催しというのは、説明会や保護者会などですね。10時半からということもありますが(来月10日の自分の公開授業は10:30~にしました)、会場となる教室を大学受験部にお借りしていることが多く、なるべく12時には撤退したい気持ちがあります。
 自宅から教室までは45分なので、何かあったときのためにだいたい倍の時間を見て出ています。
 
 つまり8時半には自宅を出るということですね。いままで山手線の事故、中央線の事故、私自身の不調・・・といくつかアクシデントがありましたが、この時刻に出ていたのですべて何とかなりました。遅刻したことは1度もありませんから、これからもこの時刻には自宅を出るつもりでいます。
 催しのある日は土曜日曜が圧倒的に多いですね。平日の朝では基本的に皆さんお仕事なので、いらしていただくことができません。
 
 土日の中央線快速東京行きは荻窪を出ると中野と新宿にしか止まりません。平日のように阿佐ヶ谷駅、高円寺駅には止まらない。便利なので、いつものように総武線を使わず中央線の快速電車に乗ることが圧倒的に多い。
 新宿駅にはだいたい9時前に着きます。すると向かいのホームに9時8分発の「新宿さざなみ」という特急列車が停まっています。館山行き。この列車は平日は走っていないのです。土日に限定して走っている。
 
 ときどき館山(那古船形)のことは記事に書いてきました。高校時代、思い出がある。館山という電光掲示板の文字を見るたびにふとよぎるものがあります。まず海を、次に真夏の太陽を思い出す。ああ、あんな日があったなと・・・自身の未熟さ(若さと表現するのはちょっと恥ずかしい)と共によみがえってくるのです。
 後悔に近い感情が脳裏をよぎるのですが、厳密に言えば後悔ではなくある種の感傷ですね。あの日々をつかみきれたのだろうかという疑問がないわけではない。
 
 新宿さざなみを見るたびに次の休みのときにでもなどと思うのですが、現実問題として土日の休みというのはほとんどなく、なかなか乗る機会を持てません。8年前のゴールデンウイークに1度だけ乗っていますが、あの日は前日むりをしたのでじつは非常に調子が悪かった。
 行くには行ったけれどもふらふらで・・・という感じでした。またどこかであと1度ぐらいは9:08発の新宿さざなみに乗ってみようと考えています。
 
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2018.10.21 01:26

 少し先の楽しみというのは、現在に属している部分もありますね。たとえば来週の土曜日コンサートに行くとします。楽しみでしょう。来週の土曜日が楽しいのはもちろんですが、いまこの瞬間も楽しい。わくわくする。
 そうした意味で「旅行は計画をたてたところからスタートしている」という言い方もされますね。計画をたてる瞬間からどんどん楽しみが増していくという意味です。地に足のついた生活は大切ですが、近い将来の楽しみは生きていくうえでの活力になります。
 
 それがまったくないという人がいるとしたら、ちょっと気の毒な感じがしますよ。工夫次第で手に入れられますから、気が向いた方はちょっと試してみてください。
 まずは好きなものを紙に列挙してみてください。どのジャンルで? すべてのジャンルです。たとえぱこんな感じで。愛犬、だれそれの音楽、いつもチェックしているタレントさん、愛読書、チョコレート、テレビ番組、特急列車、オシャレ、タマゴ焼き、隣のクラスの何々くん、サッカー、ボードゲーム、映画・・・
 
 とにかく好きなものを列挙する。
 つぎは少しでも憧れる対象(こちらはだいたい人間ということになると思います)を列挙してみてください。尊敬できる方でもけっこうです。
 個人名でも職業名でもいいと思います。映画俳優、天文学者、飲食店の経営者、作家、先生、野球選手・・・むりに増やさなくていいですよ。とにかく憧れるものがあったら書いておいてください。
 本当にご自身のお好きなものだけを書く。
 
 そうしたらそれらの材料でいますぐできることがないか、考えましょう。たとえばタマゴ焼きであればすぐにでも作ってもらえそうです。場合によっては、次の休みにあなたご自身が研究しながら「究極のタマゴ焼き」を作ってみたらいいのではないですか。大好きなタマゴ焼きだけでなく、料理するという新しい視点がもたらされました。何かしら楽しみが拡張されてきますね。
 特急列車であれば、日帰りでも乗れます。以前は日帰りは考えなかったかもしれません。これまた新しい視点だと思います。
 
 さらに作家になりたいのであれば、列車に乗った感想を書いてみたらいいと思います。窓から見た景色、列車の内部の様子、他のお客さんはどうであったか・・・いきなり活字にならなくてもいいではないですか。訓練のつもりで書いてください。なかなかうまくいかなくて何度も何度も書き直したくなるでしょうが、そのこと自体あなたにとっては至福の作業になるでしょう。
 そうやって好きなこと、やってみたいことをふくらませていくのです。好きなものを組み合わせて遊んでみる気持ちが大切ですね。
 
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2018.10.20 00:37

 これまであまりそのときどきに起きた社会的な事件を話題にしてこなかったのですが、それはまた私自身が世の中の出来事にあまり興味がないからでもあります。世界情勢なども新聞で見かける程度のことは理解しているものの、わが国はこうあるべきだ的な熱い意見は持っていません。
 そういう議論自体を青年期からあまり好まなかった。性格的なものでしょうから、まあ仕方がないですね。
 
 ただ今回の五反田の土地にまつわる詐欺事件には少しだけ興味が湧きました。というのも、私自身が昔からあの旅館を不思議だと思って何度か周囲を観察(?)したりしてきたからです。はじめて認識したのは1990年前後だと思うのですが、当時はまだ営業されていた可能性がありました。灯りがついていた記憶があるのです。
 とにかく古い感じで独特の雰囲気がありました。五反田の目黒川沿いは当時からいろいろと興味深い建物が存在していました。
 
 昭和のころですが、テレビである大物タレントが「五反田には東京のすべてがある」と発言されていたことがあり、深い興味を持つようになりました。下町と山の手の接点だというのです。ものすごく上品なものから真逆のものまで、東京にあるものは何でも揃っている。そんな説明だったと思います。
 もともと少年期に五反田に友人がいて知らない街ではなかったのですが、それからは意識的に五反田で飲んだりするようになりました。
 
 今世紀の頭まで24時間営業している飲み屋さんが駅のすぐ近くにあり、なるほどこれは奥が深いなと思ったものです。その24時間営業の飲み屋さんが夜逃げに近い形でいなくなってしまったという話もこれまたいまはなくなってしまった高架下の飲み屋さんで聞きました。
 駅前に屋台がたくさん出ていたころは屋台のご主人と親しくなったときもありました。その後、屋台は規制され街全体があたりまえの盛り場に発展してきました。
 
 と同時に興味は少し薄れてしまいました。駅前に個人経営の洋品屋さんがあったり雑居ビルのなかに将棋道場があったりしたころは面白かったのですが、ぜんぶきれいな普通のビルになってしまいましたからね。
 駅前に「イルモンド」という靴屋さんがあった。エンゲルベルト・フンパーディンクの歌のタイトルと一緒だったのですぐに覚えた。とっくになくなってしまいましたが、地図を見るといまでも「イルモンドビル」と記載されたビルは残っています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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