2018.09.30 00:48

 ときどき、どうしてそんなに優秀な生徒さんが多いのですか? というご質問をいただくことがあります。毎年私はあまり強調しないのですが、広告宣伝物があるのでどこの高校に何名合格みたいなことはわかりますからね。
 月例テストや実力テストの成績優秀者はご本人が望まない場合は名前を消しますが、とりあえず教室の壁に上位者を貼りだします。名前は消してあってもどこの教室の生徒さんかはわかるようになっています。
 
 すると昨年度もあるテストで、最上位コースの中3生ベスト50の中に渋谷教室の生徒が20名以上入っていたときがありました。説明会にいらっしゃった外部の方がどうしてこんなにうまくいくのか不思議がるわけです。
 基本的にはたまたまですよと答えています。総人数が多いですから。場所的にーー中学受験が盛んな地域ですからーー小学生のときから塾に通っていて努力されていた生徒も多い。中学受験で第一志望校には僅かに届かなかったので、今度こそという生徒も通ってきてくださる。
 
 中1から通ってくださる方が多いことも優秀な理由の1つではあると思います。中1だけでも秋には80名ぐらいになります。今年も私の日曜クラスは、もうほとんど締切にしてもいいぐらい来てくれている。私個人は何人いらっしゃっても授業ができるのですが、机と椅子の数が決まっているのでそういうわけにもいきません。
 そうやって皆さん頑張ってくださるので、いい成績がとれる。要するに単純に勉強しているというだけのことなのですよ。
 
 ただこういうことはあるかもしれません。毎年毎年、軽くつまずいてしまう生徒もいます。いちばん多いのは学校に行けなくなるというケースですが、教室は優等生だけでなくそうした生徒も非常に大切にしているつもりです。優等生にはわざわざ手紙を書きません(うまくいっているのに理由もなく手紙が来たら気味が悪いでしょう)が、つまずいたり苦しんだりしている方には、自筆の手紙を書くことがあります。総数は年間70通~80通ぐらいでしょうか。最高では、1日に6通書いたことがありました。
 そういうことは大手の進学塾では珍しいかもしれません。
 
 担当の先生方も成熟されていて、やみくもに叱ったりはしない。やみくもに叱るよりは、内省的な導きが大切ですからね。私たちは歳をとっているからこそ、そのあたりはすごくよくわかる。これこそ本当の大人の凄みですよ。
 つい先日も自習室に落書きについての貼紙をしましたが、落書きをなぜしたくなるのか自分自身をよく見つめて成長してほしいという文章を書きました。落書きした人は即退会! などという殺伐とした文言は避ける。やわらかい空気が文化的なムードを醸し出している側面は確かにあるでしょう。生徒たちは安心して学んでくれているように感じます。
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2018.09.29 06:33

 私は世間で言うところの「偉い人」が自分には全然偉く見えないことがあります。身近なお話ではないですよ。世界的に有名な人というのがいますね。一国の指導者とか何とか。そういう立場の方のことです。
 偉いという位置づけは理解できます。すごく優秀なのでしょう。学力だけではなく、体力も交渉力も突発的なことがらを処理する能力も、場合によっては裏でいろいろと画策する胆力もすべて優秀なのでしょう。だからこそ中枢に立てるのに違いありません。
 
 ただ私が昔から漠然とあこがれてきた(「発心集」的な)「偉い人」とは相当違っている。ですから生徒にああいうすごい政治家(具体名が出てくることもあります)みたいになりたいと言われて、え? と感じることはあります。あんなのになりたいのか? という感覚が私の中にはあるのです。
 ただ彼らの夢をこわしてはいけないですからね。もちろんどなたがどなたにあこがれていようと、一切批判めいたことは口にしません。それぞれの方がなりたいご自身になるのが幸せですからね。
 
 自分はそういう意味で、若いころから政治家であるとか集団のリーダーであるとか何かの要とかになろうと考えたことはありません。私にとって生きるうえでいちばん大切なのはひたすら「自由である」ことでした。責任ある立場に自分を追いこんでしまうと、いちばんの財産である自由を失ってしまいます。それで大学を出てからも団体に所属することを放棄して、時間講師として20年近く生活しました。
 時間講師ですから、その時間内しか稼ぎはない。風邪でもひけば、その日の収入はゼロになります。
 
 非常にリスキーな生活ではありましたが、とにかく自由でした。そして所属している組織ーーいくつかの塾や家庭教師先ということになりますがーーは非常にゆるやかなので、個人的な表現も許されました。当時、いわゆる不道徳な香りがする小説を発表させていただいたりしていましたが、問題は一切起きませんでした。
 息子が仕事の話をしているときに感じるのですが、彼はきちんと働こうとしています。つまり階段を上がっていこう、無意識かもしれませんができれば世間的に偉くなろうとしているように感じます。
 
 親としては頑張れだけですが、何かあったときは若いときの私のように上昇志向の観念を捨ててしまってもいいのだよとは言おうと思っています。彼がすごくつらそうであればすぐにでもそういう話をしますが、いまは必要ないので何も言いません。
 つらければ、すべて捨てて身軽になる選択もありということです。緊急避難的にそんな生き方もある。逃げるのは卑怯だという考え方がありますね。逃げた方の多くは私の見た感じでは、じつははじめから参加したくなかっただけではないかと思うのです。
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2018.09.27 02:23

 ときどきお邪魔するBという立ち飲み屋さんがあります。ここはすごい勢いで展開しているチェーン店で、東京(神奈川も)のあちらこちらに支店があります。自宅の最寄り駅である荻窪、西荻窪の両方にあるのですが、どちらかというと荻窪店に行くことが多いですかね。西荻窪店には近くにSという個人経営の立ち飲み屋さんもあり、そちらを応援したい気持ちがあるので、若干値段設定が高めなのですが優先的にSのほうに入ります。
 
 先日荻窪店に入ったときに店員さんから「さんまの塩焼きがおすすめです」と言われたので、それをくださいと言いました。私はそういうのはなるべく波に乗るようにしています。
 本日のおすすめボードを見たら、何と310円ではないですか。310円というのは安いですよ。普通の飲み屋さんで食べると、だいたい700円以上します。私はさんまの塩焼きをきれいに食べるのが趣味(?)であちらこちらで注文するのですが、高いところだと千円近くします。
 
 今年は昨年と違って豊漁だそうですが、それでも310円というのはすごい。そう思って飲み仲間にその話をしました。
 するとある仲間が、同じ時期に偶然Bの別の支店にいらっしゃったといいます。だいたい仲間同士発想が似てくるものですが、それはともかくとしてその支店では何とさんまの塩焼きが一尾180円! だったそうです。何かの間違いではないのかと何度も確認したのですが、180円で間違いないとおっしゃっていました。
 
 内容的にもきちんとしたさんま(大根おろしもたっぷりついていた)だったそうで、これはもう大量に仕入れているからこそできる値段設定であって、個人店ではどうにも太刀打ちできないですね。いくら立ち飲み屋さんではあっても、180円でさんまの塩焼きを出されては個人店はたまらないでしょう。
 私も安いほうがいいことはいいのですが、応援する気持ちがある場合は多少高いお店(と言っても大衆店ですが)にも定期的にお邪魔するようにしています。
 
 さんまを310円で食べたお店の中にどこかで見覚えのある中年女性がいらっしゃいました。最近は、立ち飲み屋さんでも女性の1人客は珍しくありません。どこで見た女性なのかしばらくして思い出しました。先ほど書いた西荻窪のSによくいらっしゃった方でした。経営者の方と親しく話されている姿を思い出しました。いまはSではなくこちらに来られているのかもしれません。1人で経営なさっている個人店は料理の出が遅いとか、いろいろありますからね。ただ応援したい気持ちはあり、私は(さきほども書いたように)いくつかの個人店には定期的に入るようにしています。
 
 
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2018.09.26 01:50

 時間的なことを書けば、私はもう60年以上生きています。目まぐるしく変化してきたので、どこからが自分なのかということはけっこう難しい問題だと思います。
 たとえばこういうことがありますね。私は20歳ぐらいのときたまにタバコを吸っていました。昔もそんな記事を書きましたね。クレオパトラとかベンソン&ヘッジズとかシルクカットとか・・・珍しい洋モクを女の子の前なんかで吸ってみせていました。そういうことをしたら、もてるようになるかもしれないと考えたのです。
 
 結果的にはそういうことをするからかえってもてなかったわけですが、それはともかくとして当時の私を知っている人間に「タバコが好きだったよね」といま言われても、こちらとしてはぴんとこないというか、前世の話というか、とにかく話題にしようがない側面があります。
 現在の私はタバコがひと箱いくらなのかもまったく知りませんし、そもそもタバコの存在すら忘れているような生活を送っています。完全に未知の出来事なのですよ。
 
 同じように、過去好きだったけれどもいまはほとんど興味がない物事がたくさんあります。コミック雑誌を欠かさず読んでいたとかお好み焼きが好物だったとか特定のミュージシャンのレコードを集めていたとか言われても、現在興味がないものについては自分を構成する要素に入ってこない感じがしてやはりぴんときません。
 人間関係もそうかもしれません。遠い昔いくら気が合っていたからといって、いま再会して意気投合するかといったら微妙なところではないかと思います。
 
 私自身が学生時代はどうしてあんな風に遊んでいて楽しかったのだろう? と不思議に思うこともあります。もっとも中学生時代からいやな思い出というのはほとんどありません。私の周囲にいた仲間はーーそこは文化的な障壁で守られていたように感じますーー真面目な、いい方たちばかりでした。だからといって現在の人生観が同じかと言えばそんなことはなくて、自分が同窓会に参加しないのは違和感を意識したくないという気持ちが大きいですね。夢はそのままにしておきたいとでもいうのでしょうか。
 
 これからまた変化していく可能性もあります。ソウル・ミュージックやヘヴィ・メタルを聴かなくなったり活字を読まなくなったり酒場めぐりをやめたり将棋を指さなくなったりするかもしれません。自然体がいちばんですね。自然に、そのときどきの自分でいようと思います。
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2018.09.24 08:23

 何か希望を叶えたいというときは、往々にして「探し回る」ものですね。それは当然と言えば当然のことで、探さないで見つかるものでもありません。ただこういうことは言えると思います。
 いちばんわかりやすい例なので、恋愛に例えてみます。恋人がほしかったとします。これこれこういう恋人がほしい・・・とただ探し回っても、なかなか理想の相手には出会えないのではないかと思います。あるいは出会っても恋という形に発展しない。
 
 つまり相手があるということです。するとこちらが必死になって探す以上に、あちらにも必死になってあなたを探してもらわないといけないですね。あちらはあちらで理想の恋人像というものがあるでしょうから、少なくともいくつかの点では相手の理想像とあなたご自身がぴったり一致していないとそもそも選択肢にひっかかってこないことになります。
 このあたりのことはよく考える必要があると思います。
 
 受験でも憧れの学校に入りたいとがつがつしているだけではだめなのであって、あちらに選択される人間としてふさわしいかどうかはつねに考えないといけません。ときどき最難関校に入りたいと強く望みながら「勉強はきらい」と公言してしまう人がいるのですが、学校側がそういう生徒を探しているわけがないと思いませんか。最難関校なのですから、当然勉強が好きな生徒を必死になって探し続けているでしょう。
 そこに「勉強はきらいですけどとりあえずいまの成績だけはいいので入れてください」ではどうしてもちぐはぐなことになってしまいます。
 
 大好きとまではいかなくても、少なくとも進学したらうんと勉強するぞという意気込みがなければ選んでもらえないでしょう。
 同じく、「受かりやすそうな」上位校だけを探し続ける生徒が毎年います。特定の学校に対する愛情ではなく、上位校ならとりあえずどこでもいいから入れそうなところに入りたいというのです。これも恋愛に例えれば「収入の多い相手なら誰でもいい」みたいなスタイルなので、どの異性(学校)にも理想の相手としてはなかなか選んでもらえないのではないでしょうか。
 
 少し落ち着いて考えていきましょう。夢を叶えるためには、その夢のほうも、夢自身が具現化されるにふさわしい特定の個人を探しているという事実を忘れてはいけません。がつがつしたい気持ちはわかりますが、ふさわしい人格にご自身を磨いていくことのほうが先です。
 あなたはどうやって夢を叶えたのですか? と質問されたとき、夢のほうからひとりでにこちらに近づいてきたのですよと余裕を持って答えられるような日常生活を心がけられるといいと思います。
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2018.09.23 00:32

 念願の「プレデター」を見てきました。もう何が何やら・・・これからご覧になる方もいらっしゃるでしょうからくわしくは書きませんが、とにかく大騒ぎでしたよ。もはや誰が味方で誰が敵だかわからないようなところもあり、私自身あらすじがよくわかっていないかもしれません。だいたいはわかりますが、細かいところで「?」という部分が残っています。
 これはもう1度見ないといけないかもしれませんね。宇宙犬がかわいかったし。
 
 おそらく続編を作ろうと考えていますね。最後のシーンを見てそう感じました。
 私は新宿の映画館で見たのですが、皆さん次から次へとポップコーンセットというのをトレイに乗せて入場されるので、何か規則(?)があるのではないかと変なことまで考えてしまいました。それぐらい大勢の方がポップコーンを買っていた。
 ああいうのは雰囲気なのでしょうね。映画館に向かいながらポップコーンが食べたくて食べたくて仕方がないという方はそうはいらっしゃらないと思います。
 
 会場について、ふと買いたくなるのでしょう。いい匂いが漂っていますからね。ポップコーンというのはなるほど便利な食べ物で、基本的に音がしません。つまり周囲の方の邪魔になりにくいということです。あれが柿の種みたいなものであったら、ぽりぽり音がしてうるさいでしょう。そういう意味で映画館向きの食べ物だと思います。
 じつは・・・あるスーパーにお金を入れてポップコーンを作る変な機械があります。それは本屋さんの隣にある。
 
 私は難しい書籍以外はそこの本屋さんで買うことにしています。将棋の本や参考書や音楽誌を買う。書籍を選んでいるときに奇妙な音楽が流れてきます。つきとめるまで少し時間がかかりました。ポップコーンの機械からなのですよ。
「ポップコーンはいかが~」と女の子の声が聞こえる。有名なネコのキャラクターが販売機には描かれていてセリフに続いて歌がはじまるのですが、それが何だかとても変な歌なのです。しかも音が小さくてよく聞こえない。
 
 変な歌だからこそ聞きたくなる。あまりにも聞きたくなってさりげなく機械のそばに行くとなぜか歌が止まる。偶然にしては頻繁に止まるので、そういう仕組みになっているのかもしれません。
 そこの書店には確実に100回以上行っていますが、ポップコーンを買っている方を目撃したことがありません。ポップコーンというのは、そういう食べ物でもあると思います。
 つぎは「ヴェノム」を見にいくかな。
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2018.09.22 06:08

 人それぞれだとは思うのですが、こうなりたいという漠然とした抽象概念よりは実際に「この人」というモデルがあったほうが実現しやすいのではないでしょうか。昔の知人で、ある海外のロック・ミュージシャン(ギタリスト)に憧れていた人間がいました。彼は若いころ太っていたのですが、大変なダイエットをしてそのミュージシャンと同じような体型に持っていきました。さらに着ているものもーーあの時代、どうやって探し出したのかわかりませんがーーそのミュージシャンが着ているような服ばかりにしました。
 
 ただ楽器は弾けないのです。それは問題ではないという。人間性(?)にひかれたのだから何をしているかはまったく問題にはならないということで、彼自身は普通のお堅い会社に勤めていたのですが、ふとサングラスをかけてみたりそのミュージシャンと同じ種類のタバコをくゆらしてみたり、まあ見ていて面白かったですよ。
 私はそのミュージシャンのことも比較的よく知っていたのでいろいろ気づきましたが、知らない方から見るとちょっと風変わりだが魅力的な人間・・・ということになるのではないかと思います。
 
 ある飲食店のご主人は、若いころ日本のロッカー(ロックンローラーかな)に夢中になった。若いころどころか、中年になったいまも現在進行形で夢中は夢中でコンサートにもいらっしゃるそうです。そのロッカーのインタビューをたくさん読んで、人生観も大きく揺さぶられた。ご自身は音楽の道は志さなかったものの、いまの仕事で「そのロッカーならこうするだろう」という道を模索して生きてきたと胸を張っていました。お子さんも「そのロッカーならこう考えるだろう」的な育て方をしてうまくいったとおっしゃっていました。
 
 生きる指標みたいなものが具体的に出てくると確かに生きやすいというか、人生の荒波を乗り切りやすいというか、そういう要素は多々あると思います。となると、モデルとなるどなたかを見つけないといけないですが、そこはやはり画面でときどき見かける程度ではそこまで傾倒できる相手かどうかわからないでしょう。
 活字媒体でその方がどんな方なのかいろいろ調べてみるといいと思います。エッセイだとか伝記だとかいまは簡単に手に入りますからね。
 
 若いころ、自分は破滅的なタイプの人間や行為や芸術作品にひかれました。これは育ちと関係していると思います。破滅的な美学にひかれているときは行動もメチャクチャはメチャクチャでした。ただそのときの経験というか、蓄積というかは大きかったように思います。
 破滅的な人間は非常に美的で崇高な何かを求めているらしいということ、だからこそふと見つめる方向を変えれば、相当社会の役にたつ可能性もあるらしいということを学んだような気がします。
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2018.09.21 09:05

 ときどき生き方についてのご質問をいただくことがあります。そうした問題は正解があるようなないような・・・人間の数だけ解答がありそうで難しい要素も多々あるのですが、生きているかぎり私たちはつねに変化していますから一方的に絶望だけに陥ってしまうのはちょっと早計でしょう。
 とくにお若い方の場合、結論らしきものはもっともっと先に出てくることであって、現状で「だから自分はだめだ」と決めつけてしまうのは問題だと思います。
 
 だめだと決めつけたいのはある種感傷なのかもしれませんね。だめだだめだという芸術作品(文学や映画など)は昔からいろいろな形で存在していますから、それはそれで価値がないわけではありません。ただ作品として昇華されたものではなく、行為の当事者であるご自身をだめだと断定されてしまうのはちょっと乱暴ではないかと思いますよ。
 私はーーだめな話なので自分のことしか書けませんがーーたとえば自分は親子関係がだめでした。これはもう全然お話にならないぐらいだめでした。
 
 だからこそ息子との関係を良好に保つことができました。私が両親から強制されていやだったことは息子には一切薦めませんでした。両親は「お前のためだ」と言い、事実そういうありがたい要素があったことでもいやだったことは息子に強いなかった。結果として息子の生活常識に多少の欠落は生じたのも事実ですが、関係性ははるかにうまくいきました。
 何を言いたいのか。要するにご自身のどんなマイナス体験も、生きていく過程でプラスに変換できる可能性が十分あるということです。ですから絶望することはない。
 
 先日のコメント欄にも書いたのですが、それぞれの人間の価値はあるとき「発見」するものではありません。仮に何も見つからなくてもよき自分を「発明」していく過程で価値は作られていきます。ご自身に価値がないような気がされるときは、どういう自分になりたいかということをじっくりと考え、そちらの方向に少しずつ軸を移していかれるとよいと思います。
 たとえば「かっこいい人」にも何種類もあり、サッカーで活躍する選手もかっこいい人ですが、黙々と手術しているお医者さんもかっこいい人です。
 
 ギターをかき鳴らすミュージシャンもかっこいい人ですし、歌やダンスが上手な人もかっこいい人ですし、難解なパズルを解いていく人間もかっこいい人ですし、ひたすら詩を書き続ける詩人もかっこいい人です。
 ですからたとえば漠然と「かっこいい人」になりたいにしても、そうやって無限にある「かっこよさ」の中からご自身に近いタイプを選んで、いまからオリジナリティーあふれるあなた自身のかっこよさを発明していけばいいのではないでしょうか。
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2018.09.19 08:38

 毎年似た催しを実施しているのですが、つい先日もZ会の教室から日本を代表するような一流大学に合格された先輩たちをお呼びして、中学生や保護者の皆さんにお話していただく機会を設けました。今回は3名の大学生がいらっしゃった。そのうちのおひとりは、私もよく知っている生徒でした。Z会進学教室の渋谷教室から第一志望の高校に(そして大学に)進学されたのです。
 今回面白かったのは「保護者の方との関係性」についてのコメントでした。
 
 3人が3人とも「おいしいご飯を作ってくれた」という事実を感謝の筆頭に持ってきたではないですか。たとえば朝の4時台に起きて、部活の朝練に行くお子さんのお弁当を欠かさず作ってくれた。あるいはZ会進学教室は教室を出る際にスイカやパスモを使ってご家庭に連絡がいく仕組みになっているのですが、帰宅までに30分かかるある生徒はご家庭にちょうど着くタイミングで温かい食事が用意されていたことを感謝されていた。皆さんそうしたことに心から感謝したとおっしゃっていました。
 
 作ってくださったというところも感激したのでしょうね。いまの世の中流通が発達していますから、お金だけ渡して「適当に食べなさい」でも大丈夫は大丈夫ですがそうではなかった。相当むりしてでも、手作りのものを出してくださっていた。
 中学生高校生でもやっぱりそのあたりの温かみは伝わるものです。自分が勉強しやすいようにご家族もまた応援してくれている・・・という感謝の念は、非常に強かったように感じました。
 
 そもそもこうした席でご家庭の方との関係を問いかけたとき「進学についてのアドヴァイスがありがたかった」とか「サボり気味のときに注意してもらえてよかった」とか「成績について叱咤激励してもらった」とかという類の感謝の言葉を私はまったく聞いたことがありません。
 逆に干渉しないでくれて助かったとか、点数が悪いときは静かに見守ってくれたとか、およそ逆の形の答ばかりが出てきます。
 
 要するにご家族があれこれ心配して発言されたり行動されたりしても、悲しいことにご本人にはまったく逆の効果をもたらしている可能性がきわめて高いということです。周囲が心配しすぎると生徒自身が著しく不安定になる例はきわめて多い。その事実はこういう仕事に携わっている人間であればほぼ全員が気づいていることです。
 ご家庭内の穏やかな空気の中で、多少つまずいたってあとから追いかけていけば大丈夫だよぐらいの会話が出てくる環境であれば、彼らも落ち着いて努力できるはずです。
 
 毎年面談のときに「では、私は何もできないのでなるべく健康的でおいしいご飯を作ることにします」とおっしゃるお母さまが実際にいらっしゃるのですが、そうしたご家庭の生徒はおおむね情緒も安定していて明るく穏やかです。お子さんの成績が気になっておいしいご飯を作るどころではないという状況であれば、何かしら本末転倒気味かもしれないということは少し意識されておいてもいいのかもしれません。
 
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2018.09.18 08:49

 今年の夏、大手のコンビニエンスストアーの店頭でビールを飲ませる企画がありましたが、残念ながら中止になってしまいました。いろいろ理由はあるらしいのですが、まあ難しいのだろうという気持ちはしました。実施されたら真っ先に飲んでみようと意気込んでいたのですが、空振りに終わりました。
 ところが、終わりました・・・ではなかった。じつは別のコンビニでは、店頭で堂々と生ビールを販売しているではないですか。
 
 これはまったく偶然発見したものです。先日、ある私立高校の塾向け説明会に参加した記事を書きました。その高校は王子神谷というところにあります。私は授業があるので渋谷教室に戻ってこないといけません。いろいろルートを考えたのですが、バスで赤羽まで出て電車1本で戻るのがいちばん楽だろうということで赤羽に出ました。
 そこで偶然、コンビニ店頭の宣伝ポスターを見つけました。100円引きキャンペーンまでやっているではないですか。
 
 ただそのときはーーもちろん仕事中ということもありますしーーお店の前を通り過ぎただけです。あとでいろいろ調べてみると、そのコンビニエンスストアーのいくつかの店舗だけで店頭で生ビールを飲ませている事実がわかりました。
 おーっ! ですよ。こりゃ行かなくちゃとは思うものの、渋谷や新宿では実施していない。渋谷から行きやすいところだと池袋の西口店、自宅の近くでは高円寺店で実施しています。
 
 こういうことはすぐに実行に移すのが私のいいところ(?)です。
 さっそく池袋西口店に行ってきました。そもそも店舗自体がなかなか見つからなかった(地上をうろうろしてしまいました)のですが、執念で探しまわりました。行ってみると入口に小さな黒いカウンターがあり、でかでかとキャンペーンのポスターが貼られています。
 注文の仕方がよくわからないので、店員さんに生ビールと告げると奥からコップに入った泡だったビールを持ってきてくれました。
 
 自分でコップをセットする・・・みたいなことが書かれていたような気がするのですが、店舗によって違うのかもしれません。カウンターで通路を通る人をながめながら飲んでみたところ、けっこう落ち着かないですね。こいつコンビニで何やっているんだ? 的まなざしを浴びながら飲むことになるので、だんだん恥ずかしくなってきました。壁のほうを向いてこそこそ飲む。まあ、やっぱりふさわしいところで飲むべきなのでしょうね。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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