2018.06.30 00:55

 場末という言葉にはあまりいい印象を持たれない方も多いでしょうね。「あなたのお宅は場末にありますね」などと言ったら、温厚な方でも気を悪くされると思います。
 盛り場からはずれたごみごみしたところを場末と呼びますね。街中は街中です。自然の中ではありません。ごみごみしていて、小さな古い酒場が並んでいたりする。明るいうちはかえってひっそりしていますが、住居というより夜のお店が多いからでしょう。
 
 数年前かな、旅行先で夜の11時にふと目を覚ましました。その日はちゃんと計画をたててあって、午後4時から有名なお店で飲みました。そこはいわゆる大衆酒場ですが近隣の方だけでなく、新幹線で来るお客さんもたくさん混じっている。4時開店と同時に1回満員になってしまう。場合によっては7時ぐらいに閉店です。私は4時前に並んで入れてもらいました。
 ただそんなに早くから飲んでいると酔ってしまいますね。早めにホテルに帰ってきて、気がつくと寝ていました。
 
 目が覚めて、どうしたものかなと思う。せっかく1泊で来たのだから、このまま寝ているのも何だかもったいないような気がします。酔いもさめたのでどこかでまた飲みたい気持ちもある。とはいえ、11時ですからね。知っているお店はだいたい閉まっています。
 そのとき、ホテルからしばらく歩いたところに古ぼけた飲み屋街があったことを思い出しました。いわゆる場末ですね。表通りではなく、裏に入っていく。裏のさらに裏みたいなところに確かに何か・・・
 
 着替えるのは面倒ですが、そういうときだけ積極的になります。で、行ってみた。適当にちょうちんのぶら下がっているお店に入ってみたのですが、おばさんが1人でやっているなかなか凄絶なお店でした。地元のお客さんらしき人が2、3人いた。酩酊している。さらにお店のおばさん自身が酩酊に近いと言えば酩酊に近い。
 食べ物はちょっと頼みにくい雰囲気ーーおばさんが調理できない可能性があるーーでしたので、ひたすらビールを飲みました。お客さんが乱暴な言葉を口にする。おばさんが負けずに応酬するという何が何だかわからないプロレス的空間に30分近くいたでしょうか。
 
 すぐ帰るのは申し訳ないぐらいの気持ちで、静かに座っていました。何かを煮たような食べ物が勝手に出てきましたが、何だったかは忘れてしまいました。
 いよいよ勘定をすませて帰ろうとすると、おばさんが呂律の回らない調子で「こんなところに・・・すみません・・・ひとかどでしょうに」とおっしゃった。「ひとかど」という言葉にそういう用法はないと思うのですが、私のことを褒めてくださったのだなと素直に感謝して夜道を帰りました。
 
 なぜか、そのことがそのときの旅行ではいちばん印象に残っています。単にそのときだけではなく、その街についての大きな思い出になっています。
 あるとき「食べログ」で調べたのですが、お店はすでになくなってしまったみたいです。出会いというのは、不思議ですね。人生自体の出会いがじつはそうなのかもしれません。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.29 09:56

 こういうのは実話なので気をつけないといけません。個人情報云々ということに敏感な世の中ですからね。ただ非常に感銘を受けた話で、小学生中学生高校生の皆さんにもお役にたつ内容だと思うので、微妙な感じでお伝えします。
 もちろんいい話なのですよ。それでもご本人は他者にご自身であることを気づかれるのは苦痛かもしれません。ですから、性別も学年も曖昧なまま話を進めさせていただきます。
 
 ある中学生と話をしました。とくに問題を起こしたとかそういう類ではないですよ。1度ぐらい中学生活について訊いておこうか程度です。きみは部活は何をやっているのかねと質問した。するとある運動競技をあげました。週に何回? すると「毎日です」という答が返ってきた。
 ここからですね。でも・・・と話は続き、そのあとで今度は別の競技の練習に直行しているというのです。それもまた毎日!
 
 よくよく聞いてみて驚いた。その競技で全国大会の上位をキープしている。唖然として「練習は大変じゃないのか?」と訊きました。「大変だけど楽しい」
 将来はそちらの選手に? と質問すると、まだ先のことなので決めていないと言います。それで週2回電車に乗って塾に通ってくださっている。成績もいい。宿題なんかも忘れない。これ、めちゃくちゃに大変ですよ。
 競技に専念する方向であれば、とりあえずは学校の勉強中心でも大丈夫じゃないかと私は言ってみました。もちろん塾は続けてほしいのですが、つぶれてしまったら元も子もない。
 
 すると言下に「いや、勉強もやっぱりうんと頑張りたいので」と答えた。なるほど、志望校はかなり高いところでした。英語が大変ですとおっしゃっていたので、とことん音読しなよというようなことを話した。
 終始、とにかく明るい。こちらがちょっと変なことを言うと屈託なく笑う。話すときも自然な笑顔で、やりとり自体活発でした。生きているのが楽しくて仕方がないという雰囲気がびんびん伝わってきました。
 
 忙しい忙しいと嘆いている生徒にときどき何が忙しいのかと質問します。だいたい部活と答えます。忙しくて何もできないと言う。では部活も塾もない日はどうしているのかと質問すると、返答に相当時間がかかりますよ。「何だろう?」「ぼーっとしていて」「とくに何も」「寝ている」「ゲームやテレビや友だちとのやりとり」・・・あまり形になっていない。ただ「だからなかなか塾の宿題にまで手がまわらない」とはいう。
 いま話題にしている生徒には、もはやそういう時間はないということがわかりますか。その子には何かをしている時間しかない。
 
 わずかの時間、隙間の時間はーーそれ以外ないのですからーー勉強にあてると決めている。何もしない、ぼんやりしている、ぐずぐず遊ぶ・・・その余裕は彼(彼女)にはないということです。そういう生き方を選択している。
 私は人それぞれの生き方があっていいと考えていますが、漠然と「忙しいから何もできない」と困っている方は参考にしてくださったらいいと思います。ぼんやりした時間を持てない人間は、逆にすべての時間を有効活用しているということです。そしてどなたであっても、ぼんやりした時間を何かをやっている時間に変えていけば、確実に成果はあがってくると思います。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.27 02:16

 何か、世の中がはっきりしなくなってきていますね。正しいことが正しい力を発揮できなくなっている。正しさより上手さがもてはやされている。結局、もっていき方なんだよ、交渉というのはそういうものだからうまくやれるかどうかだけが問題なのさ・・・という発想が以前よりぐーっと前面に出てきた。多少のウソや不正があったとしても、うまく儲かれば、あるいはうまくおさまれば(ごまかせればという意味も含めて)それを「正義」と呼ぼうという感じでしょうか。
 
 私はこの話を書きながら特定のどなたかのことを頭の中に描いているわけではないですよ。現在そんな話ばかりが国の内外で起きているので、もはやどなたがどうという意味で個人を批判するような話題は意味がないような気がします。「だって正義ってそういうものだろう?」ということになってしまいますからね。
 ただ無意識に、気づかずにそうしたことをしているのはこわいのではないかと自身を戒める気持ちは持っています。正義という意味でもそうですし、みんながやっている的な意味でも同じですね。
 
 世間で正義と目されていてそれが普通ではないかと考えられる行為であっても、自身の中に何かしら気づきがあればやめる。あるいはあえて実行するでもいいのかな。とにかく意識的かどうかが大切だと思いました。
 先日、こういうことがありました。自宅でスティックのりを使用しようとして机の引き出しを開けた。1つ出てきたので使おうとしたらすでに使い切ってある。おかしいな、確かにここに使えるやつがあったのだがと探していて、あ! あれは教室の机の引き出しの中だったということに気がつきました。
 
 なんだ、じゃあ教室のを持ってくればいいやとはじめは考えた。スティックのりなんて何本でもあります。ただしばらくして、あののりは本当は会社が買い、仕事に使うべきだと考えて用意したものなのだということに思いあたった。それを自宅で私物に使うということは正しいことなのかどうか。考えようによっては、その程度ならいいでしょうという見方もあるでしょう。そんなところまで堅苦しく考えていたらぎすぎすしてしまう。ただ私は他者がなさっていることは関係ないのです。問題は、自分で気づいているかどうかというだけです。
 
 するとどうも「その程度のこと」でも旗色が悪い。発覚しても皆さまにご迷惑をおかけする事態には絶対にならないと思いますが、発覚しないことを「上手に生きた」と胸を張っていいものかどうか。美学に殉じているのかどうか。
 いい歳をしてこういう青臭いことを考えるのは気恥ずかしいのですが、そのゆるみは寛容さというよりむしろ精神の怠慢ではないか。個々人のその種の怠慢さが、じつは世界中をどんよりさせているのではないか。
 
 結局、のりはコンビニエンスストアで買いました。私は正しさを誇っているのではないですよ。今回「だけ」は気づいて生きていられたことを強調しているだけです。次回もそうありたいと思う。道徳とは全然関係ないお話です。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.26 02:32

 土曜日曜と調子が悪かったのですが、おかげさまで復調してきました。土曜日は午後の6時から寝て翌朝5時に目覚めました。それからお風呂に入りーー熱が落ち着いていたのでこれは気分がよかったーーまた午前6時から午前10時近くまで寝ていました。本当は9時に起きようと思ったのですが、身体が動かなくて1時間延長しました。
 まあ、自宅でめそめそ(?)しているとろくなことはないですからね。とにかく支度をして教室に来ました。
 
 雨上がりの公園で、キャッチボールをしているご夫婦(おそらく)がいらっしゃった。30代ですかね。どうしてそういうことになったのか。奥さんのほうはあまりボールを投げ慣れていない感じです。それでも一生懸命投げていた。
 その空間に非常に明るいものを感じましたよ。ああいうことこそが幸せなのだという気持ちがした。ふだんならそんなことを考えません。体調が悪いからこそ気づく美しさが、世の中にはたくさんあるという気がしました。
 
 同時にちょっとよくなったらあそこに行ってみようというようなことも考えた。手帳にいくつか歩いてみたい場所を列挙してあるのですが、いつでも行けると思うとなかなかいかない。体調を崩したときにかぎり、これは健康になったらすぐに行っておかなければと思う。面白いですね。
 食欲というものが全然なかった。24時間ほぼ水分だけでした。小さなパウンドケーキをかじったぐらい。ただ食欲のないときに栄養をとらなければ・・・とむりに食べるのはよくないとも言われていますね。
 
 治ったら何を食べようというようなことは考えました。どこへ行こう、何を食べよう・・・まあ、子どもみたいな欲求ですが。
 私は小学生のとき肺炎で1週間入院したことがあります。毎晩、遅くまで勉強させられて肺炎になった。そのとき母親が「暮らしの手帳」という雑誌を病室で読んでいました。89号でしたよ。そこにポークソテーという料理が載っていた。1967年、ポークソテーは高級料理でした。治ったらこれが食べたいと私は訴えた。
 
 いまから10年ほど前、その「暮らしの手帳」89号を偶然西荻窪の古本屋で見つけました。で、買ってきた。ポークソテーは子どものときほどおいしそうには見えませんでした。その雑誌はまだどこかに保管してあります。私たちはそうやって生きていきますね。
 いまーー火曜日の朝2時台ーーほぼ復活です。昨日、お休みをいただけたことも助かりました。また、普通に生きようと思います。普通に生きる。それがいちばんですからね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.24 05:12

 おとといの夜からちょっと具合が悪くなり、昨日は夕方で帰って来ました。喉が痛い。少しだけ熱があります。
 きのうは午前中、入研というのがありました。さらに昼すぎに授業もあった。そこまでは気が張っていたのですが、そのあとふらふらになりました。夕方帰って、何も食べずに午後6時すぎからいままで寝ていました。約11時間。もちろん寝たり起きたりですけどね。
 
 今日も夕方授業があります。そこは大丈夫そうですね。ここのところ少し疲れているような気持ちはありました。おとといも早く寝ればいいのに、藤井聡太七段と深浦九段の将棋を研究したりしていた。最後、よく詰んだと思いますよ。一見、詰みがないような感じもしました。
 熱は下がった感じなので、これからちょっとお風呂に入って少し何か食べてみます。それからまたちょっと横になるかな。午後に教室に行くつもりです。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.23 07:05

 神さまというものが実在するのかどうかわかりませんが、そうした概念は世界中の人間が持ってきたと思われるのでーーいたるところにそれぞれの種族が信奉する神さま的なものが存在していた感じですねーーそうした存在については漠然と考えたりします。
 犬を飼っていて、私はしばしば(まあ犬だからどうしようもないな)と苦笑してしまうことがあります。変なものを拾い食いしたりうなり声をあげて何かを威嚇したりですね。犬だもんなあ・・・ということで、本気で怒ったりはしません。
 
 そんなに高い基準を犬には期待していないということです。ただあたりまえですが、私は犬の創造主ではありません。単純な飼い主です。それでも犬だもんなあ・・・で許せる度量(?)は持っている。
 これが神さまと人間ということになってくると、その差は人間と犬どころではないですね。何しろ人間を含むすべてのものを神さま(的なもの)が創造したということになるわけで、あちらのレベルは犬に対する人間のレベルをはるかに凌駕しています。
 
 すると、私が「所詮犬だから」という以上に神さまは「所詮人間だから」と考えるに違いないと想像するわけです。私は昔から神さまの罰などといったものは存在しないと考えてきました。そもそもそんな高度な期待はしないでしょう。何か不都合があっても私が犬を罰したりしない以上に、神さまは人間を罰したりしないのではないかと考えてきました。
 神さまの概念というのは人それぞれでいいと思うのですが、戒律みたいなものはあくまでも人間があとから作ったものだというイメージを持ちます。あったほうが便利でしょうからね。
 
 うちの息子が幼いころ、何か悪いことをした。家内は怒って「あとでお父さんに言いつけるよ」と言った。すると息子は「お父さんには何言ったって平気だよ。お父さんはおれのことが大好きだから」と言ったそうです。家内は呆れていましたが、息子が私を好きというのではなく、私が息子を大好きであるという認識を彼が持っていたことをうれしく思いました。
 私は神さまは人間のことが好きなのではないかという気持ちをずっと抱いています。人間が神さまを好きという部分もあるかもしれませんが、神さまも人間のことがーーその言動行為に関わらずーー本質的にはとても好きなのではないかと感じるのです。
 
 これは私の体感みたいなものであり、声高に主張する気持ちはもちろんありません。犬を見ていて改めてちょっと書きたくなっただけです。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.22 09:44

 ふだん私は生徒にオプションの講座をとれとうるさく勧めてはいません。もちろんとるなとも言っていない。よく考えて絶対に必要なものだけはとりなさいということです。夏期講習期間はふだんの授業がなくなるので、夏期講習本体はとるように言っています。その期間、ずーっと休んでいるのはちょっと心配ですよ。
 もっとも1年生や2年生ですと、海外に行かれるとか部活が忙しいとかという方もいらっしゃって結果的にとれないケースも出てきます。
 
 夏期講習に付随する講座として単科ゼミというのがあります。こちらは自由参加なので、絶対に選択しなさいとまでは言っていません。夏休みにできるようになりたいのであれば当然勉強はしなければいけませんが、単科ゼミをとらないとだめだと短絡的にあおることはしていない。
 その期間(だいたい3日間です)、自宅でしっかり夏期講習の予習をしてくださってもいいですし、学校の夏休みの宿題をやってくださってもいい。自習室で何か勉強されてもいいと思います。
 
 保護者会でオプションの講座について紹介はしますが、とらないと大変なことになりますよ的な説明はしていません。むしろ変に深刻になったりあおる雰囲気になったりしないように、気をつけています。もう間に合わないんじゃないか、いったいどうしたらいいのだろう、あれもこれもぜんぶとらないとだめなんじゃないか・・・とご本人が焦るとろくなことになりません。
 そうではない。人生はご自身が気づいたところからで十分間に合います。間に合うというのは「幸福になれる」という意味です。
 
 仮にいままで全然勉強をしてこなかったとしますね。いま気づいた。では、ここからむりのないよい勉強をスタートさせてください。勉強以外でもそうです。運動してこなかった。倹約していなかった。愛情深く接してこなかった。何でも同じ。むりのない範囲でできることをいまから心がける。実践する。
 原理的に考えて、それ以上の方法は1つもないからです。わかりますか。気づいたところからベストを尽くす以上のやり方は「ない」ということです。そしてとにかく次のステップにのぼる。そこでまたベストを尽くす。
 
 気づいた瞬間からしっかり生きるということがいちばんの秘訣です。仮にあなたご自身のその気づきの中にオプションの講座が入ってくるのであれば、それは喜んで選択し、全力でやりきってほしいと思います。
 
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.20 09:14

 私はそれこそ「どうしたら勉強ができるようになるか?」などというコラムを書かせていただいていますが、とくに勉強しようと思っていない方にまでそうしたものを押しつける気持ちはまったくありません。どう生きるかということは個々の人間が考えるべき問題であって、志望校にしても偏差値が高ければどこでもいいという発想はちょっと寂しい気持ちがします。
 やみくもに志望校を難関校に決める以前に、どう生きたいかを考えることのほうが先でしょう。
 
 たとえば私自身は生まれ変わったら、他にやりたいことがあるのではじめからあまり勉強はしないと思います。仮にいまの状態でーーどうしたら勉強ができるようになるかを知っている状態でーー生まれ変わったとしてもさほど勉強はしません。
 親の経済状況が許せば、公立校ではなく私立校を、男子校ではなく共学校を選択するでしょう。さらに勉強中心にはしたくないので偏差値的にはあまり難しいところを目ざさないとも思います。中堅校で、好きな教科だけ少し勉強するという感じでしょうか。
 
 ときどき生徒と面接していて、志望校の志望理由がはっきりしないことがあります。けっこうありますよ。「大学への進学率がいいから」などという話が出てくるのですが、同じぐらい進学率がいい高校はいくらでもあります。「共学校だから」「中高一貫校ではないから」「楽しそうだから」・・・彼らを困らせるために話しているわけではないので追いつめることはしませんが、本当の志望理由については彼ら自身のためにもっと深く考えてもらいたいとも思います。
 
 また、ときにはこれは単純な見栄なのではないかと感じるときもあります。それぐらいの高校に受からないと恥ずかしいという話題になったりする。誰に対して? と質問すると、親しい友だちであったりご兄弟であったり。あるいはそれぐらいの高校に入らないとご両親に怒られるからという。極端なご家庭だとーー本気でおっしゃっているわけではないと思いますーーその高校に入れないのなら進学させないと言われてしまったので、じつはたいして知らないのだけれども志望校にしていますという例さえあります。
 
 どういう高校生活を送りたいかということは、私はどういう人間として生きていきたいかということと当然かぶってきます。
 どういう人間になりたいか。どういうことが好きなのか。どういう仕事に興味があるか。どういう人間関係を築きたいか。どういうご性格だと感じているか。どういう部分は直したいという気持ちがあるか。どれぐらいの経済状態を望むのか。普通の生活が希望なのか変わった一生を楽しみたいのか。夢は何か。持っていないのなら、どうして夢を持たずに生きることを選択するのか。
 
 そうしたことをまず考えてほしいという気持ちがある。きちんと自分自身を見つめる。その先に、だから高校時代はこうしたい、この高校がよさそうだということが見えてきます。場合によっては「こうしたい」は変化してくる可能性もありますから、志望校も当然変化する可能性がありますね。
 自分自身を見つめるのが面倒臭いという精神状態であれば、じつは「高い志望校」「将来はエリートに」どころではないですよ。ご自身のことです。毎日客観的に見つめてみてください。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.18 09:59

 勉強については右側の「どうしたら勉強ができるようになるか?」というコーナーにまとめてしまったので、単純な繰り返しになる記事は書かなくてもいいのかなと思っています。それでもたまには勉強の話も・・・
 勉強するというのは、根本的にどういうことなのか。それはやはり作業です。身体を使って何かを実際に「する」ことですね。ですから作業した事実が残っていなければ、残念ながら勉強したことにはなりません。
 
 作業の伴わない勉強時間というのは、勉強しようとしていた勉強するつもりだったというだけになってしまう。運動なんかに置き換えて考えてみるとわかりやすいかもしれないですね。実際に走ったのか走らなかったのか。たくさん走ったのか少しだけ走ったのか。素振りをしたのかしようと思いながら時間ばかりが過ぎていったのか。人より多く動いたのか人より少なめだったのか。全力で投げたのか他のことに気をとられながら投げたのか。汗はたくさんかいたのかかかなかったのか。
 
 相当の違いが出てきます。運動競技が得意になるためには、例外なくたくさん運動する(練習する)必要がありますね。
 勉強はどうでしょうか。ぼーっと机の前に座ってテキストを眺めていたなどというのは、視覚だけは使っていてもたいした作業ではない。運動で言えば「もっとも汗をかかない」練習にすぎません。
 そこはやはり作業が必要で、声を出して読み本文を書き写し辞書をひいてあれこれ調べたうえで手を動かして練習したり覚えたりする必要があります。
 
 すると紙はたくさん使うでしょう。読んでいるときには邪魔になるので他の音源を切る必要(ながら勉強はできないということです)も出てくるでしょう。消しゴムのカスもたくさん出るでしょうし、アンダーラインを何箇所も引くことになるでしょう。色も使うと思います。
 そうしたことを日々の勉強の中で意識していますか? やっているのになかなか成績が上がらないという人は、間違いなくそうした部分が欠如しているはずです。ただ座っているだけでは真面目は真面目でも、効果が乏しいということです。
 
 自習室を活用するとか、身振り手振りをつけて英文を読むなどというのも身体を使っていますからいい勉強だと思います。将来、皆さんの前でスピーチする練習のために・・・といって、教科書の英文を立って身振りをつけて音読している生徒がいました。もちろん将来発表する内容は、中学生の教科書レベルよりはるかに難しいでしょう。それでもいまからイメージしておこうとされる姿勢は、大変すばらしいと思いました。
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2018.06.17 07:58

 昨日、朝の犬の様子がおかしかった。午前9時台まではそうでもありませんでした。いつもの蒲団で寝ていたので、1度か2度撫でに行きました。そのときクッキーもやった。先日、旅行先から買ってきた高価な(?)クッキーです。松阪牛がどうのこうのと書いてありましたよ。
 ところが10時に入ってからおかしくなった。椅子の下に避難している。どうしたんだ? と声をかけても出てきません。
 
 彼女が椅子の下にもぐるのは強く叱られたときか何かしら振動(地震のような)が起きたときだけです。以前、会社に遅刻した息子が隣室で1人で怒鳴っていたときも椅子の下に入っていきました。
 ただ今回は自宅には私しかいません。自室で音楽(フリーのデビュー・アルバムでした。ふだんの私はそういうのを聴いています)は聴いていましたが、小さな音ですしあたりまえですが、私は怒鳴ったりしていません。
 
 最後の最後まで出てこないので、ひょっとして陰で粗相をしてしまったのかと思ってじっくり見てみたのですが、そんなこともない。仕事に出なければならないので、念のために家内に置手紙を書きました。犬が椅子の下から出てこないので地震でも起きるかもしれない・・・と犬のイラスト入りで書いておいた。
 私がバスに乗ったのは10時50分でした。始発なのでほぼ定刻どおりです。
 
 会社についてからーー念のためにーーどこかで地震が起きていないかすぐに調べてみた。すると11時台にたて続けに千葉県で大きな地震が起きていました。最大震度4ですから小さくはないと思います。私は電車に乗っていたので気づきませんでしたが、東京も揺れたかもしれません。
 東日本大震災のときにもペットの様子が変だったという報告が映像つきでずいぶん上がっていますが、宏観現象と呼ぶのでしょうか、何かしらそうしたものがあるような気はします。
 
 なまずが暴れるという説は有名ですね。私が子どものころからそんな話はありましたよ。千葉県ではスロー地震というーー要するにゆっくりした振動らしいーー変な現象が続いているという記事も最近目にしています。
 そう言えば私が子どものころは、地震が起きたらすぐに竹やぶに逃げようと言われていました。地盤がしっかりしているということなのでしょう。残念ながら、いまは竹やぶ自体がないですね。いずれにせよ、防災意識は大切ですね。
 
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2018年06月   >>
          01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

新着記事

月別アーカイブ