2018.05.30 00:10

 私はまずまず健康なほうだと考えています。ただ自分のスタイルがどなたにもあうとは限らないですから、家族にもこうしなさい的なことは一切言いません。それぞれが考えながら進んでいくのがよいのではないかと思います。
 健康法というとすぐに身体のことを、つまり肉体のことを思い浮かべますが、精神的な要素も大きいのではないでしょうか。精神的に充実しているときは、免疫力などが極端に強まっている気持ちがするのです。
 
 よく「気が張っていたので風邪をひかなかった」という表現がありますね。この考え方を全面的に肯定してしまうと、まるで風邪をひかれた方全員が気持ちがゆるんでいたみたいな変な理論展開になってしまうので全面的に正しいとは思っていないのですが、こと自分に関してはそういう傾向もあるように感じます。
 たとえば保護者会や説明会がある日は、私は基本的にダウンすることがありません。若干調子が悪くても穴をあけた経験は何十年も1度もありませんから、やはり気持ちが張っていて免疫力が強まっているのではないかと思うのです。
 
 日々の生活で、精神面において好きな活動をしているということも非常に大切になってくるのではないか。仕事を離れた部分でですね。
 何度も書いてきたように、私は将棋と小説みたいなもの(厳密に考えると一般的な小説とは違うかもしれません)を創作するのが大変好きです。それは仕事ではありませんから必ずしもやらなくてもいい。実際やっていない時期というのがあります。将棋であれば研究や対局をまったくしていない、創作活動であれば何も書いていない時期ですね。
 
 調子を崩すのはだいたいそうした活動は何もせず、通常の生活だけで終始している期間です。朝起きて支度をして定時に仕事に行き、帰宅してからは軽く飲んだり音楽を聴いたりして眠る。その繰り返しの単調さの中で微妙に自分自身の価値を見失い、調子を崩していくような印象があります。
 私はプロ棋士でも何でもないですから将棋を勝とうが負けようがどうでもいいものの、やはり実際に指しているとあとで「あの手順はわれながら天才的だな」と自画自賛したくなる瞬間があるのですよ。
 
 あるいは何かを表現していて、この主人公のセリフはすげーなというときがある。将棋でいい手を指せたときや会心の表現が思い浮かんだとき、自分の価値みたいなものを心のどこかで再確認して自信を持つのですが、そういうことをやっている時期は人生そのものがいきいきしている自覚がある。
 歩いていてもそんなことばかり思い浮かべるので自分でもわかるのです。そう考えると健康になりたいということで、身体のケアーだけに腐心するのはベストではないのかもしれませんね。心のほうからのアプローチが、じつは非常に大切だと思っています。
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2018.05.28 01:01

 先日、ホテルのことを書きました。そのときに思い出したのですが、昔はインターネットなどというものがなかったので、「ホテルガイド」という類の本がいくつも出ていました。私はそういう本がとても好きで、何冊も持っていました。更新されると新版を買ったりして、多いときは4~5冊持っていたかもしれません。
 私が大学生ぐらいのときに、いわゆるビジネスホテルのちょっとだけオシャレタイプみたいなホテルができはじめました。
 
 シティホテルという名称が使われはじめたころです。値段的にもいわゆるビジネスホテルよりは少しだけ高い。かといって、高級ホテルよりは安い。
 当時は学生でしたから、やはり高級ホテルには泊まりにくいわけですよ。帝国ホテルやニュー・オータニのようなホテルですね。値段的にもちょっと手が出ないだけでなく、昔は貧乏学生が1人でふらりと入っていける雰囲気ではありませんでした。新聞でも、ジーンズ不可のホテルのレストランのことが話題になったりしていましたよ。
 
 昔はいろいろな塾の夏の合宿で一流ホテルを使っていました。取材が来るのでいい宣伝にもなったのでしょう。私も勤めていたある塾で、何回かそうした一流ホテルに泊まったときがあります。授業もホテル内の会議室を使用します。
 まあ、忙しかったですよ。食事はホテルのレストランでとるのですが、小学生なんかはしゃいで走り回りますからね。興奮して食べものをひっくり返したりする子も出てきた。
 テレビの取材が来ていたのであとで見てみたら、小さく自分が映っていてびっくりしたことがありました。
 
 あれは80年代の初期だったな。
 生徒たち(当時の小中学生がもう50歳近くなりますね)にとってはいい思い出になったのではないかという気がします。ずいぶん遠いところからも生徒が来ていました。2泊3日だけのために海外から参加してくださった方までいらっしゃった。
 生徒たちに対するおおざっぱな服装の規定もありました。外国人の方も多くいらっしゃるようなホテルでしたから、当時はやはり何らかの規制は必要だったのかもしれません。懐かしいですよ。
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2018.05.27 07:49

 何人かの方に、最近長野(先生)は全体的に犬に似てきましたよと同じことを言われました。顔や仕草が犬に似てきた。
 毎日毎日、犬と遊んでいるからでしょうか。そう言われると自分でも以前より犬らしくなったかもしれないと変なことを感じます。ときどきーーとくに誰も見ていないときにーー私は犬とにらめっこみたいなことをしているのです。あちらと同じ位置に顔を突き出して(ということは私は寝そべっている)じーっと見つめる。
 
 すると向こうもじーっと見ている。何か起きるのかなと考えているようにも見えます。私も向こうがアクションを起こすまでひたすら見つめます。そんなことをしているから似てきたのかもしれません。
 血統はいい犬だと聞いています。育ちもいいと言えばいいでしょう。エサなどは厳選していますし、お菓子の類も家内が細かく選んでいる。人間の食べるものを安易に与えたりはしていません。
 
 そもそも毎晩蒲団に寝ているぐらいですから、上流階級(?)だと思いますよ。私の家庭がという意味ではなくて、犬の生活としてはそれなりに上流階級でしょう。
 さらに月に1度きれいにシャンプーしてもらう。獣医さんもことさら評判のいいところに連れて行って、注射だとか投薬だとか気を遣っています。
 しかし、やっぱり犬は犬ですね。先日、こういう事件がありました。家内が朝散歩に連れて行った。
 
 私の住居の前は大きな公園で、この季節は草が生い茂っています。そのあたりを歩いているとき、何かの死骸が家内の視界に入った。羽が生えていたのは確かだった。ジュウシマツだとかスズメだとかのヒナらしい。
 それを犬がぱっと噛んだ。噛んだだけではなく、ばりばりその場で食べてしまったというのです。おいおいおいですよ。そんなものを食べてしまっていいわけがない。毒殺されたものかもしれないですからね。
 
 犬は取り上げられたら大変だと思ったのでしょう。ひたすら大慌てで飲みこんでしまった。
 話を聞いて笑ってしまいましたよ。やはり獣だなと思いました。もっともらしい表情をしているときは人間にちょっと似ていますが、人間は落ちていた野鳥の死骸をばりばり食べたりしないですからね。犬に似ている私でもそんなことはしません。あたりまえか。
 幸い、お腹の調子が悪くなったりはしていなかったのでまあよかった。
 人間の言葉を理解しようと努力しているようにも見えますが、こちらがそう意識してしまうだけなのかもしれないですね。
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2018.05.26 06:47

 昔、有名などなたかが「大人は子どもが傷ついた姿である」という意味のことを語っていました。太宰だったかな。なかなかシャレた解釈で、そういう要素はあるかもしれません。
 最近、いろいろなことが話題になっています。当事者の若者が会見した。自分はこれこれこういう事情で危険な行為に及びました・・・と正直にすべて話した。私は実際の会見をくわしく見てはいません。世間の問題について特別興味があるわけでもないのです。
 
 ただ部分的には見ました。若者の会見の評価が非常に高いという話も知っています。被害を受けた側までが高く評価されているみたいですね。
 大人たちが危険行為を強制したという噂もあります。そして大人の側も急遽会見した。その会見もまた私は部分だけしか見ていない。ですからいいも悪いも語る資格はないのですが、大人側の会見の評価が著しく世間では低く語られていることはやはり知ってはいます。皆さん、腹をたてているみたいですね。
 
 部分にすぎないのですが、画面を見ていて、一般的に大人になることでいったい人は何を得て何を失うのだろうとは考えました。ちょうど政治の世界でもいろいろな事件が起きていますね。本当なのかウソなのか。不正があったのかなかったのか。
 いろいろな方がいろいろなことをおっしゃっていましたが、大量のごまかしが入っていた事実があとで発覚してきた。少なくとも正直ではなかった。話している方は優秀な方たちばかりですが、そんな優秀な方たちがここでもまた何を得た代わりに何を失ったのか。
 
 個人の問題ではなくなるのでしょうね。大人になるということはがっちりと構築された組織の一部になるということでもありそうです。組織を支えると同時に組織に支えられる。部分と全体が混じってしまう。全体と言っても所詮世界全体ではなく、組織のその時期のある傾向と一体化する程度です。
 すると個の良心は完全に麻痺してしまう。日々、そうしていないとつらいからでしょう。確かに傷ついている。組織全体によかれと考えられることだけを真理として信奉しようと努力する。
 
 私は自分の立場であればどうするだろうということを考えましたよ。やはり内面の深いところで自己の生き方の指針みたいなものは持っていたほうがいいのかもしれません。橋を架け、慈悲深く、なるべく他者を傷つけない・・・これはもちろん現在の自分の方針というだけであり、その考え方が正しいという意味ではありません。
 何かしら迷いが生じたらすぐにその基本方針に立ち返るということです。これは仕事でもプライヴェートでも同じです。私の中のある種の「宗教」なのかもしれません。
 事件が少しでも穏やかに収束していくことを、心から祈っています。
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2018.05.25 03:56

 Z会進学教室の授業は毎回カリキュラムが決まっていて、基本的にはどのクラスでも同じことをやります。振替制度というのがあり、たとえば日曜日のクラスに用事で出られなかった生徒が平日のクラスに出てくることがあります。まったく別のことをやっていました・・・ではちょっと困ってしまうので、同じ週はどのクラスも同内容の授業を実施することになっています。
 ただときどき私は、少しだけ別のことを取り入れてみることがあります。時間に余裕があるときですね。
 
 先日は新中1のクラスで、いままでで読んだ中でいちばん面白かった本を1冊だけ書いてくださいというアンケートをとりました。2冊書いたらだめですか? という質問も出たのですが(おそらく1冊にしぼりきれないのでしょう)、今回だけは1冊にしてほしいとお願いしました。面白くてみんなに薦めたい本を1冊だけ紹介してくれよと。
 無記名にしましたよ。そのほうが自由に書けるでしょう。真面目ぶらなくてもいいということです。
 
 その日は自分のクラスでは22名の生徒が参加してくれていました。前の週に「来週アンケートをとるからね」とは伝えてあったのです。いきなりでは思いつかないかもしれない。1週間考えておいてということです。
 複数名が書いてくださった本があった。まったくの偶然です。「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々」「怪人二十面相」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」この3つはそれぞれ2名の方があげていました。
 
 中にはすごい本もあった。外山滋比古先生の「思考の整理学」と書いた生徒がいる。大学生が読む本ですね。東大生に強く支持されています。まだ中学に入ったばかりですから、おそらく小学生のときに読んだのでしょう。近藤誠先生の「医者に殺されない47の心得」をあげた子もいました。医学に興味があるということなのでしょうね。「三国志」と書いて横に1から5までありますと書いてくれた生徒もいます。わざわざ付記してあるのは、ぜんぶ読みましたという意味でしょう。小学生のときから読んでいないと読みきれないですね。
 私は何か教訓めいたことを書きたいわけではないのですよ。
 
 ただこういう小学生中学1年生が実在するのは事実です。かたや「何年もまともな本なんか読んだことないや」という生徒もいます。そこに大きな差が出てくるのは歴然で、読解力という意味では何も読まないままであればどこでどのようなテキストで習っても外山滋比古先生の書籍をいちばん面白かったと考えている同級生にはなかなかかなわないでしょう。それだけの思想、概念、語彙などが備わっていないからです。
 読書というのはやはり文化であり、国語の読解力は何を勉強するか以上にどういう文化圏に属しているかで決まってしまうところがあるのです。
 
 たった1冊でマンガ以外ということであれば・・・私ならおそらくジュール・ベルヌの「彗星飛行」をあげると思います。瞬間最大風速的にはいちばん面白かったですね。この時間(夜明け前)にこんなことを書いている人間にとっては最高でしたよ。
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2018.05.23 01:38

 来月、ちょっと遠出をしてある方と会う予定になっていたのですが、先方の深刻な体調不良で中止になってしまいました。心配です。まあ、それとは関係なくせっかく連休がとれたので1人でどこかに行ってこようかなとも思っています。
 旅というのは変なもので、1回計画をたてると中止にはしたくないものですね。当初の予定とは違ってもとにかく東京から出たくなる。私なんか旅先でひたすら飲んでいるだけで観光も何もしないのですが、それでも行きたくなるから不思議です。
 
 ただあまり土地鑑のないところには行きたくない。本当は金沢だとか弘前だとか、昔1回だけ訪れた場所を再訪してみたいのですが、1人で1泊2日で行くところではないだろうという気持ちがあります。交通の便のことを考えると、やはり東海道山陽新幹線に乗ることになりますかね。
 ゴールデンウイーク中に豊橋に行ったという話を書きました。さすがに連続して豊橋には行かないですね。東海道山陽新幹線沿線では熱海、静岡、浜松、豊橋、名古屋に泊まったことがあります。
 
 その先ですと京都や大阪、神戸、姫路にも泊まりました。
 以前もこの話は書いたかもしれません。私の本籍地は姫路市なので、その本籍地の住所跡というのを確認するためだけに姫路に行ったときがありました。しかも1度目のときはうまく発見できず、2度目でやっとーーだいたいのところがーーわかりました。壁があっただけでしたよ。
 そんなところに本籍を置いておくのはちょっと面倒なのですが、何か先祖(?)がそう言っていたとかという話で、私の代はこのままにしておくつもりです。
 
 本籍地の住所跡を見に行ったとき感じたのですが、関西人は確かにバス停に並ばないですね。私はいちおう始発の姫路駅で並んでいるつもりだったのです。ところが両サイドからわーっと人が殺到してきて、あっという間に席がなくなってしまいました。ああ、こういうことなのか・・・と噂で聞いていたので腹をたてたりはしませんでした。
 知らないホテルに泊まるのはちょっとリスクがあるからなあ。またわかりきったところに行ってしまいそうですよ。
 
 
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2018.05.22 04:35

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   犬がいたずらばかりして困りますよ。いろいろと考えているということがわかってきました。
 やたらとスリッパをくわえていきます。で、メチャクチャに噛んでだめにしてしまう。こちらも注意しているのですが、さっと取っていってしまうのでなかなか難しい。自分の部屋(?)に持っていってがりがり噛んでいます。とりあげようとすると低く「うー!」とうなる。それでもむりにとろうとするとわっと威嚇する真似をします。
 
 さらに面白いのがこっちがあきらめて怒らなくなったときです。まあ、スリッパの1つぐらい仕方がないとこちらがあきらめる。こらっ! とか返しなさい! とか声をかけなくなる。好きにしなよと。
 するとつまらないらしいのです。怒られながら噛むのが楽しいらしく、もう1度のこのことやってきてスリッパをくわえている姿を見せるのです。悪いことをしているぞと見せに来るということですね。
 
 近くに来ればやっぱりこちらは「こらっ!」となります。すると狂喜乱舞してまた向こうの部屋にスリッパをくわえて逃げていく。どうもそういう遊びだと錯覚している傾向があります。
 他にもいろいろ変化がありました。私が「お座り」と命令するとどうしてだか逃げていくようになりました。椅子の下にさっと逃げていって白目を出してこちらをじーっと見ている。意地悪をしたことは1度もないのですよ。おやつを片手に「お座り」と言ったらあるときから逃げていくようになりました。
 
 何か勘違いがあるのはわかりますが、むりをするのはよくないので時期が来るまで放っておこうと思います。そのうち誤解もとけるでしょう。
 昔からそうなのですが、喜怒哀楽をあまり出しません。ただうれしいと耳が寝る傾向がある。それでクールにしていても本当は喜んでいるということがわかってしまう。私が帰ってくると耳が寝ます。まあ、出会ってよかったな。そういうことだと思いますよ。
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2018.05.20 01:21

 妙な事件が起きるとよく「あの人がまさかこんなことをするとは思わなかった」という反応が出てきます。日ごろの人づきあいもきちんとしていたし、仕事(勉強)もズル休みしたりせず真面目にこなしていた。それがこんなとんでもない事件を起こすなんて・・・という話はしょっちゅう聞きますね。
 この場合、事件を起こした本人も「まさか自分が」という気持ちを持っていたりするものです。いわゆる「魔がさす」という心境ですね。そういうことがどうして起きるのか。
 
 日ごろからきちんと自分自身に向き合っていれば避けられたはずなのですよ。ところがあまりにも厳しくしつけられてきたりすると善悪の二項対立にいつも単純化させて、他者に正しい自分だけを見せようとします。正しい自分を「装う」だけであればきわめて簡単です。そのために本当の自分は徹底的に隠す。いいところだけを見せる。
 ところが、隠しているうちにご自身でも見失ってしまう。何かしら邪悪な影を感じると「これは自分ではないな」と考えよう考えようとする。
 
 残念ながらそうではないのです。それもまたご自身の一部ですよ。善だけということはない。悪だけということももちろんない。それがないまぜになって人間が形成されています。ですからいちばんいいのは、自分は善だけではないということに気づいている状態ですね。自分を油断なく見ているかどうか。
 本当はガイドできる人間が周囲にいると助かります。誰かが何か問題を起こす。「お前は最低だ!」とただ弾劾するのではなく、なぜそんなことをしたのかね? と本人に考えさせるガイドですね。
 
 自分がした行為についてーー子どものときの小さないたずらからはじまりますーー相手に考えさせる。たとえば、なぜお金を払わずに持ってきてしまったのか? なぜ見てはいけないところをのぞこうとしたのか? なぜ弱い者いじめが楽しかったのか? ご本人に考えさせる。
 だめだとか最低だとかというセリフは、内省的な何かとしてご本人がしみじみご自身に言い聞かせるべきもので、頭ごなしに怒鳴りつけて終わりでは内側に芽生えるべき貴重なものが芽生えずに終わってしまいます。
 
 まず気づかせる、自覚させるということは非常に大切なことだと思います。
 私自身、たとえば小学生のころ嬉々としてお金を払わずに商品を持ってきてしまった経験があります。高校生のときは北海道の温泉地で知り合った悪い男子大学生数人に誘われて女湯をのぞこうとして全員岩場から転がり落ちて失敗したことがあります。そういう愚かな過去は私自身が覚えている。油断したら再びあちら側に転落しないとも限らない。まさかこの私がどころか、私だからにやりかねないという恐れがあるのです。だからこそ逆に絶対にそちらには近づきません。
 
 やたらと断罪するだけでなく、とにかくご本人に考えさせてください。そのあたりが鍵になってくるはずです。
 
 
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2018.05.19 06:18

 勉強というのはりっぱな文化ですね。やりようによってはそれなりに面白いはずですよ。ただテストがどうのこうのと点数のことばかり気にしているとあまり面白く感じられないでしょう。心がけとしては、何か面白いことがないだろうか・・・という前向きな姿勢が大事です。
 文化が成熟していくためには「楽しみ」がないといけない。楽しいことしか上達しないものです。これは勉強に限らないと思います。
 
 ですから、私個人は塾もそれなりに楽しくないといけないと思っています。げらげら笑うような楽しさでなくても、とにかく塾のある日はそれなりに充実しているという感想を持ってもらいたい。
 授業が終わって何となく教室に残っている生徒がいます。勉強をしているわけではない。ただ走り回ったりゲームをやったりしているわけでもない。友だちと学校の出来事なんかを話している。うちの学校でこれこれこんなことがあったよと夢中で喋っている。
 
 そういうときに「自習しないのならすぐに帰りなさい」ではつまらないのであって、10分15分ぐらいはそういう会話ができる余裕を与えてやったほうがいいのです。勉強をしていない瞬間はすべてむだだというような考え方はうまくいかないものです。勉強の前後に何かしら心の余裕があったほうが、間違いなく成績も上がっていく。
 塾でのくつろぎというのはまた学校とは違うもので、その中に何かしら自分もしっかりしなければというものが出てきます。
 
 「そんな難しい本、面白いの?」みたいな会話が聞こえてくるときもあります。教科の勉強とは全然関係ないものの、難しい本(何の本だか確認していないのでわかりません)を読んでいる同学年の子がいたという認識を持つだけで勉強になるでしょう。
 最近も中1のテストにいま話題の「君たちはどう生きるか」が出ていました。問いの解説なんかをしてもつまらないので、大事そうなところには線を引いてもらってただ文章を読みました。そういう文化的な後方応援がじつはいちばん大切なのです。
 
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2018.05.18 00:46

 有名なエピソードなので、ご存知の方も多いでしょう。昔、アメリカの原住民が白人と自分たちの違いを聞かれてこう答えたそうです。この答は多くの人間の予想を裏切るものでした。まさか、そんなことをいちばんの違いに考えているとは思わなかった。
 彼らは何と答えたか。
 白人は花を折るけれども自分たちは花を折らない、と答えたそうです。回答そのものが大きな暗喩になっているような気がします。少なくともある種の人間には示唆を与えるでしょう。
 
 私自身もそうありたいという気持ちを強く持っています。現代の平均的日本人と自分はどう違うのか。意志的に花を折らないということです。
 くわしくはわからないのですが、スポーツの世界で変な事件が起きたみたいですね。監督が選手に反則行為を命じた可能性もあるらしい。選手は素直に従って大きな事件に発展した。どういう方向に展開していくのかわかりませんが、監督はもちろん反則行為に実際手を染めてしまった選手もちょっと難しいことになってくるのかもしれません。
 
 政治の世界でもりっぱな立場の方たちが次々と不自然な答弁をしたということが話題になっています。忖度という言葉が流行(?)しましたが、もっともっと露骨な何かでしょう。圧力が働いて良識みたいなものが発動しにくい状況になっている。個々人が悪人であるというのとはちょっと違った何かだという気がします。
 変な話題になってしまいますが、第2次世界大戦で残虐な行為を働いた集団の幹部の人間の精神面を戦後くわしく調べたら、どなたもきわめてまともで常識的な人間だったという結果が出たという記事を読んだことがあります。
 
 きわめて常識的な人間が集まってあたりまえのように残虐な行為に走ってしまったというあたりに人間の本質的な弱点があると感じます。いわゆる悪い人が悪いことをするとは限らないということです。
 それにしても、花を折らないことの高潔さについて私たちはほとんど教育されていないように思います。生き方の美学ですね。折らなかったらどれぐらい得するの? みたいな即物的な視点があまりにも強い。精神世界の進化を目指そうという意気込みを持つ人間がいても「あぶない」とか「あやしい」とか揶揄されて終わりになってしまいます。
 
 私は若いころ、花を折っていた時期が長く続いていたかもしれません。しかし現在は花を折りませんし、今後も折らないで生きていく覚悟ができています。花を折らないことの価値をーー強制するのではなくーー少しずつ伝えていきたいとも考えています。自分ができる範囲でやらないでどうするという気持ちがあるのですよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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