2017.11.30 00:23

 個人の情報を守ろうという動きは大変いいことだと思います。本来は1人1人が配慮できることが望ましいですね。処罰されるから黙っていようではなく、つまらないことを言いふらす人間ではありたくないという配慮が働くといちばんいいと思います。
 ある生徒ーーずいぶん昔の話ですーーご自身のご家庭の秘密(?)を当時親しい友だちに話した。むしろその友だちには知っておいてもらいたかった。相談みたいな、愚痴みたいな形で話した。
 
 友だちもとりあえず慰めてくれたそうです。話を聞いて、理解して慰めてくれた。
 ところがその友だちには他にも親しい友人がたくさんいました。で、聞いた話を何人かにもらしてしまった。悪気はなかったのだと思います。あの子のうち大変なんだって、かわいそうね・・・程度だったのでしょう。ところが友人の中にはそうした話を単純に面白がる人間もいて、次から次へと広まってしまった。こういう場合、そもそも秘密を聞いた友だちが不用意すぎますね。他言すべきではなかった。
 
 ブログでも何度も取り上げていますが、私は左足が悪い。今週はちょっと痛みます。もともとは脂肪腫という病気でした。脂肪がたまって肥大化してくる。計3回手術をしました。そしていまは骨の腫瘍に変化しています。
 これは骨の腫瘍の専門医に調べていただいた。手術のときに出てくるゴミが内側にたまって長い年月のうちに骨のように固まってくるのだそうです。そこで左足はみっともなく変形しています。息子が小学校低学年のころ、私の左足を見て「これ、遺伝するの?」と心配そうに訊いてきましたよ。
 
 そういう話を私は受け持っている生徒にすることがあります。担当している生徒は全員身内なのでべつにいいのです。手術のときに出てくるゴミが骨に変化してくるなどという話は、医学を志すきっかけにさえなりうるのではないかと考えてあえて話しました。
 ところがあるとき、入会間もない生徒に「奇形になっちゃったという足は右ですか左ですか?」と無邪気に質問されてどきりとしたことがありました。先輩に聞いたそうです。私の場合、秘密にしてくれとはひと言も言っていません。言ってはいませんが、どんどん広めてくださいという内容でもないでしょう。
 
 そのへんの配慮ですね。あの子、どこどこ高校を受けるらしいよとか内申が低くて優遇がとれないみたいだよとかあの先生独身なんだってとかあそこは親の介護が大変らしいよとか・・・相手の年齢や立場とは関係なく、思いやりを持っていただけたらと思います。あなたは確かに近しい人間のことを配慮しているかもしれません。ところがあなたが伝えた相手は、あなたほど配慮できなかったりもするのです。それは近しさの感覚が違うからです。
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2017.11.28 03:32

 現在受験校を決めていく面談の時期で、三者面談になることもあります。ご本人が参加したいという場合、それなりに遅い時間で設定します。
 するといろいろ感じますね。ご家庭なりの文化がある。いい悪いをいちがいには決めつけられないでしょう。ただこれは・・・と感心することもあります。そういうご家庭の生徒はだいたい優秀なのですが、優秀だから保護者の方が落ち着いているのではなく、落ち着いたご家庭で育ったからご本人が優秀になってきたのではないかと感じます。
 
 三者面談のときはーーあたりまえですがーー保護者の方と生徒と両方に向かってお話します。先日、こういうことがありました。よくできる子なのですが、第1志望校は極端にレベルの高い高校でした。都内でも屈指の難関校です。都立高校は1校しか受けられませんから、危険は危険です。模試などの判定を見る限り、五分五分より少しだけ危険かもしれません。
 よくできる生徒ですから、多少志望を下げればそれなりの高校に確実に入れそうです。どうするか。
 
 ご本人はわかりました、考えてみますとおっしゃった。私は隣にいたおうちの方にも「どうお考えになっていらっしゃいますか?」と質問してみました。このままではちょっと危険性が高いところをお子さんが受験しようとなさっている。親としてはこうしてほしいという希望が出てくるかもしれないと思ったのです。
 ところがお母さんの答はあっさりしたものでした。「すべてまかせています」と笑顔を見せる。それだけではなかった。「本人が難しいところを受けたいというのであればその判断を支持しますし、仮に落ちてしまっても私には何も不満はありません」
 
 さらに「安全なところを受けたいというのであれば、それもまた本人が考えた結果でしょうから親としては応援するだけです。都立がだめで私立にということでも私個人は何も文句はありません。すべて本人次第です」と繰り返しおっしゃった。笑顔でゆっくり言葉にされるところは、ご本人にわざと聞かせているのかなとも思いました。
 その生徒は情緒が非常に安定しています。そのときも隣でお母さんの表情を確認しながらうなずいていましたが、安定感はここから来ているなという気持ちがしました。
 
 以前も書きましたが、ご両親があまりにも細々としたことまで心配なさるとなかなかご本人がしっかりしてこない印象を持っています。あくまでも印象ですが、教室長会議のときにどの教室長も「本当にそうだ」とおっしゃるので、そうした傾向はあると思います。
 不安な感じがお子さんのほうに伝染してしまう。受験に例えれば頻繁にご本人が「どちら(どこ)が受かりやすいですか?」という質問をしてくるようになります。どちらが有利か? 倍率は? 今年の流れは? 第1志望が受かりやすさだけで決められてくる。
 
 第1志望がそんなに流動するのであれば、その学校に対する思い入れは薄いということになります。入りたい学校を目指すのではなく、入りやすい学校を目指す姿勢に変わってくる。入りにくいのであれば目指す価値はないということです。
 まあ、大きく構えてあげてください。ことは受験だけではありません。生きることすべてにおいて心配しすぎるのは「悪いことが起きるに違いない」という前提に立っていますから、本当に悪いことを引き寄せてしまう可能性がある。人生のすばらしさは「あなたが何をみんなにプレゼントできるか」なのだと伝えてみてください。
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2017.11.26 01:01

 昨日、中学3年生のある男の子が呟くように「おれはジョン・レノンにはなれないけれど、ジョン・レノンもおれにはなれない」と言って帰っていきました。この生徒は必ずしも最上位に位置するわけではないのですが作文なんかは抜群に上手で、昔から只者ではない雰囲気を漂わせていました。
 実際只者ではなかったということをこのセリフを聞いて再認識しました。だいたい中学生がさりげなくジョン・レノンの名前を出しますかね。
 
 ジョン・レノンが亡くなったのが1980年です。1人でそんなところまでさかのぼっていけるはずがないので、どこかでどなたかから文化を受け継いだのでしょう。中学生にジョン・レノンのことを話してくださった方も、たいしたものだと思います。と同時に、この子なら話してみたいという気持ちになられたのでしょう。
 彼はさらに帰りにニルヴァーナのアルバムを借りていくというようなことを話していました。ニルヴァーナもまた中学生が1人でたどりつくわけがないので、同じように文化の厚みで獲得したのだと思います。
 
 昔、ブログに書いたことがありました。中1の春期講習のとき向田邦子さんの作品が出てきました。すると「飛行機事故・・・」と呟いた子がいた。あとで聞いてみるとおうちの方が愛読されているらしく、30年以上昔のことを知っていました。
 彼は結局首都圏でいちばん難しいと目されている私立高校に堂々と入学していきましたが、単純に勉強ができるだけではなく「文化の厚み」で圧倒し続けた印象があります。常に常に文化による勝利がありました。おれは子どもじゃないぜということです。
 
 大人の文化に触れているということは大人の仲間入りをしはじめたということで、当然勉強もうまくいきます。ただ、ときには大人びている子があえて勉強ができる人生を選択しないケースもあります。それはそれでりっぱな生き方だと思います。
 ジョン・レノンはおれにはなれない・・・と呟いていた彼は、瞬間最大風速的な偏差値では仲間に負けることがあるかもしれませんが、すでに獲得している「何か」はすごく大きい。15歳でジョン・レノンを意識した人間はいずれ先頭集団に出てくるでしょう。もっとも先頭とか何とかに全然興味を抱かないかもしれないですけどね。
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2017.11.25 00:25

 ある高名な居酒屋さんの料理人の方の記事を読んでいたら「最近のお若いお客さんはお膳の作り方が稚拙である」という言葉が紹介されていました。そこはミシュランに掲載されるような有名店でーー私はまだ2、3回しか入ったことがありませんーーコース料理のお店ではありません。
 それぞれが適当に料理をお願いしてお酒を楽しむ。その料理を頼むタイミングですね。
 
 時間差で頼まずわーっと注文するのでいっぺんに出てきてしまって収拾がつかなくなる。昔の人間はじつに粋で、つねにお膳をきれいに保つことを考えていたと話が続いていました。
 なるほどなあと思いましたよ。私はもういい歳ですから、そのあたりは多少は考えながら頼んでいます。いつだったか息子と2人で外で飲んでいるときに彼がたて続けに料理を注文するので、もう少しあいだを空けて頼みなさいと言ったことがありました。
 
 彼は彼で「だって食べたいのだから・・・」という意味のことを答えていました。当然お膳はあふれてきます。
 バランスというか美的センスというか、食事を文化的な活動としてとらえれば、食べる量や順番、食べ方、食器の位置、食事時の会話、そうしたものが1つの小宇宙を形成していていいわけで、何もかもおろそかにはできないでしょう。これは個々人ができる範囲でというだけのお話で、お金をかけるかけないという類ではありません。牛丼なら牛丼でそれなりの粋な楽しみ方はあると思います。
 
 以前ブログに書いた「食の軍師」というコミックはまさにそんな話ばかりで、食を戦(いくさ)と考え主人公はシウマイ弁当1つ食べるときも綿密な作戦をたてていました。
 まして勉強や仕事には同じ側面があり、机の上の状況はけっこうご本人の深い感情に影響を与えているのではないかと思います。ですからたとえば、いつもいつも大量の書類に占領されていても、それがご本人の美学に昇華されていれば問題はないかもしれません。
 
 心配なのは、まったくの行き当たりばったりである場合です。単純にだらしないだけというのはちょっとどうでしょうか。そのだらしなさがすべてに行き渡っている可能性もありますから。
 仕事や勉強をするとき、机の上はやはり小宇宙ということになるでしょう。ただ漫然と散らかっているのであれば、試しに片づけてみてください。見えてくる世界があるはずです。そちらのほうがよくないですか? であれば、いつもそうしてみたらどうでしょう?
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2017.11.24 01:18

 今週は火曜日と水曜日に連休をいただきました。ブログもお休みさせていただいた。ただ両日とも教室には来ていました。火曜日はその日が好ましい面談が、何件か入っていました。そういうとき、私はまずお断りしません。相手のご家庭に配慮して・・・もありますが、一緒に働く仲間がやりやすいようにということを常に考えています。「ちょこっと来るから大丈夫だよ」と言う。入れやすいところに面談を入れてくださっていいですよということです。
 本質的に自分は偏屈な人間ですが、こういうところは柔軟なのです。
 
 水曜日は水曜日でーーどこまで書いていいのかわからないのですがーー昔の生徒が教室にご自身が翻訳された書籍を持ってきてくださった。昔の生徒といっても10年20年ではないですよ。35年も昔、べつの塾で教えていた中学生です。
 彼女のことは以前も記事にしたことがあります。日本でいわゆるトップと目されている大学の博士課程で勉強されていて、今回は発刊当日にわざわざ本を届けてくださった。
 厳密に書くと34年と9か月ぶりにお目にかかりました。1983年の3月に祝賀会みたいなことをやった。
 
 最後に会ったときは20代の国語講師(私)と合格直後の15歳だったわけで、それはそれは状況が変わっている。ところが会ってみてまったくそういう感じがしませんでした。やあ、どうかね? という感じ。その後どうなった? 感覚で話せたのは、我ながら不思議でした。
 あちらが全然構えていらっしゃらなかったのがよかったのかもしれない。持ってきてくださったのは研究社から出版された「英文創作教室」という書籍です。文章を書くことを志している方には大変示唆に富んだ内容になっています(私もまだぜんぶは読んでいません)。
 
 彼女は偶然このブログを見つけてくださったようでした。学校ではないですからね。偶然がなければ、連絡の取りようがなかった。
 35年前の教室はもうなくなってしまいました。ビルの4階を借りていましたが、ビルごとなくなり現在は大きなマンションが建っています。その塾は環7沿いにたくさん教室展開していたのですがいまはなくなっています。調べてみると、本部だけで運営なさっているらしい。過去自分がお世話になった塾や家庭教師センターは心情的に応援しているのですが、検索しても見あたらないところもあります。
 
 Z会進学教室はーーおかげさまでーー現在最も規模が大きくなっています。さまざまな理由はあるのでしょうが、本当にありがたいことです。
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2017.11.23 09:20

f4793b3390e6b4d13eed40e96ba7cc86f35b390b.JPG なんだかだんだん普通の犬になってきましたよ。体重も8、5キロぐらいになりました。以前は非常に「クール」で家族が帰ってきても退屈そうにあくびなんかをしていたのですが、最近は大喜びで飛びついてくるようになりました。尻尾も振るのですが振りかたが下手くそで、ちぎれるほど・・・という感じにはしたくてもできないみたいです。
 以前、網戸を修理する方が部屋に入ってきたときには喜ぶばかりでこりゃ全然番犬にならんわと思っていましたが、最近ピザをとったときに(私は留守でした)配達の方に猛烈に吠えたてたそうで、少しは役にたつようになってきましたかね。
 
 家内の調子が悪いときに私は朝の散歩に行くことがあるのですが、新聞配達の方に低くうなり声をあげたりするので申し訳なく感じました。あやしいあやしくないの設定が彼女の中でどうなっているのか、ちょっとわかりかねるときがあります。
 ご近所の方らしいのですが、いかにもという感じの肉体労働者風のおじさんがいます。私より年上でしょうか。おじいさんというほどではないのですが。その方を見つけるとなぜかすごく喜んで走っていこうとするので不思議です。
 
 これは家内も不思議がっていました。うちのマンションの前は大きな公園なので、くつろぐ方は規則的にくつろぎにいらっしゃいます。いい散歩道という感覚なのでしょう。そのおじさんも毎日やってくる。
 見ようによってはちょっとこわい感じもします。昔風の頑固なおじさんという感じ。いたずらしている子どもを見つけたら「こらっ!」と一喝しそうなムードをかもしだしています。そのおじさんに一直線ですからね。万が一にも飛びかかったりしたら大変なので、慌てて引き綱を握りしめます。
 
 彼女は浜松の犬屋さん(?)で生まれ3か月育ったのですが、ひょっとするとそこにああいうタイプのおじさんがいたのかもしれません。そんなことを想像しながら毎日かわいがっています。いまも遠くの部屋で小さく鳴いています。早くこっちに来い、というのでしょう。
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2017.11.20 08:40

 昨日、Z会進学教室の南浦和教室でお話してきました。南浦和は・・・確かにふらりと下り立ったことがあったように思うのですが、まったくわからなかったですね。40年も昔のことですから。
 予定通り90分お話しました。最近は準備をわざと少しゆるめにしておいて、皆さんの雰囲気によって多少流れを変えています。昨日は大人の方が多かったので、あまり細かく勉強法について説明しても退屈なさるだろうと考え、子育ての方向性を多めに話しました。
 
 皆さんが大変協力的なので、話しやすかった。そういう「空気」みたいなものがあるのですよ。柔らかくていい雰囲気。間違いなくいい教室になるでしょうね。
 遠くからもいらしてくださった。ブログや拙著のことでも、あれこれお声をかけていただいて感謝しています。
 帰り、丸広百貨店をのぞいてみました。ここが思い出の中心みたいな記憶があるのですが、ひょっとすると違うかもしれません。あまり時間がなかったので、屋上だけ確認して渋谷に戻りました。
 
 デパートの屋上でぼんやりするというのが、自分の中でブームになっていた時代があります。原民喜という作家はデパートの屋上ではじめて読んだ。どういう作家か知らずに何となくタイトルにひかれて文庫本を買った。軽い気持ちでデパートの屋上で読み進めていくうちに、これはただものではないぞという感じがした。有名作家であったことを知ったのは、ずっとあとになってからです。
 レコードもそういうことがありますが、文庫本もいわゆるジャケ買いをしました。タイトルと著者名だけで買う。原民喜「夏の花」、梶井基次郎「檸檬」、小山清「落穂拾い」などはみんなそうです。
 
 いまは前もって調べすぎてしまう。熟知してから行こう食べよう泊まろう読もう楽しもうとする。損をしたくないのは人情でしょう。少しでも安心したい。もっともその安心は「人さまの決めた平均値」でしかないのですが。
 ただその形だと衝撃的な出会いや運命的な邂逅というのはなかなか難しいかもしれないですね。人生にはダイナミズムも必要で、それが大きな活力になります。
 渋谷までの帰り、私は電車の中で偶然知人に会いました。少しだけ話もしました。こういう偶然こそが、生きる何かにつながってくるような気がします。
 
 
 
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2017.11.19 01:07

 今月号の「将棋世界」誌にタイトル保持者同士の対談が載っていました。棋界では少数派である振飛車党の先生同士でしたのでちょっと興味があり、久しぶりに買ってみました。非常に興味深いことが語られていた中でとりわけ驚いたのは、両先生とも研究するときの心構えの質問に対し、ほぼ1手目から考えていると答えていた部分でした。厳密に書くと3手目前後からということになるのかな。とにかくそんなところから「何かないか」と研究されているそうです。
 
 これは非常に驚くべきことでーー将棋には長いあいだに蓄積されてきた定跡手順というものがあり、弱いアマチュアの私でさえはじめから20手ぐらいまではほとんど何も考えずに駒組を進めることができます。それでも絶対に悪くはならないのですが、それは定跡というものがそれだけの重みを持っているからです。
 コンピュータの進化でいままでの定跡に疑問点が・・・ということはときどき話題になりますが、部分部分の問題であって根本的に定跡が否定されたわけではありません。
 
 ですから、一般的には研究するのであれば中盤近くからということになるでしょう。駒と駒がぶつかり合う少し手前ぐらいから研究する。プロアマ問わずそういう発想が大多数ではないかと思います。
 それを初手から研究しているタイトルホルダーがいらっしゃるというので本当に驚いた。驚いたと同時に、野球の広岡監督の昔のお話を思い出しました。あまり成績のよくなかった時代の西武ライオンズの監督になられた広岡さんは、絨毯の上をころがした野球ボールを素手で選手たちに受けさせたと自著に書いていらっしゃいました。
 
 これには選手もさすがにむっとします。プロ相手にこんなことをやらせるのはいったい何のためかという質問が出ます。監督の答は「素手のどこで確実にボールをつかんでいるのかじっくり味わってほしい」というものでした。どの部分がどう動くと確実さが増すのかということを改めて体感してもらおうと考えていた。
 その後、広岡監督のもとで西武ライオンズは日本一になり常勝軍団とまで呼ばれるようになるわけですが、将棋で言えばこれは1手目からの基本を重視したということでしょう。
 
 タイトルを持っている棋士や日本一の野球チームが最初の最初から、とにかく注意深く真摯な態度で取り組んでいる。そうさせるのは勝ち負けを超えた将棋や野球そのものへの畏怖の心ではないかという気がします。
 ひるがえって私たちはどうか。仕事や勉強に対して(やりゃあいいんだろ)程度の気持ちで向かってしまっているのではないか。偏差値を手っ取り早く上げたいではなく、初手から考えこむようにあるいは絨毯の上をころがってくるボールを素手で受け止めるように真剣に向き合っているかどうか。
 
 ときどき「だいたいやりました」「いちおう終わらせました」という生徒がいます。全然やっていないよりははるかにいいでしょう。しかし1手目から真剣に研究(勉強)する人に評価させたら、ずいぶんいい加減に見えるかもしれません。
 超一流と呼ばれる人たちになかなか届かないのは、そのあたりの心構えにいちばん原因がありそうです。
 
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2017.11.18 07:41

 私ぐらい名古屋に旅行していると妙なことに気づきますよ。何しろはじめて名古屋に宿泊したのは1976年、40年以上昔です。
 大学生でお金もなかったので小さなビジネスホテルに泊まりました。チェック・インが午後4時なのです。4時というのは遅いですよ。冬場だともう暗くなりかけている。最近もそうですね。日の入りが午後4時台です。ホテルにチェック・インしてひと休みしていると外が真っ暗というのは・・・いかにもわびしい。
 
 そこで働きはじめて学生時代よりはお金に余裕ができてからはもう少しいいホテルに泊まるようになりました。シティホテルというやつですね。
 するとーー1980年代90年代はーーだいたい午後12時か1時にチェック・インすることができました。ホテルによっても違うのですが、どこもそんな感じでした。1993年の名古屋のシティホテル特集の雑誌が手もとに残っているのですが、チェック・インは軒並み午後の1時になっています。2時でさえ明らかに遅い。
 
 ところが現在、名古屋の主要ホテルのチェック・インはだいだい午後3時になっています。昔は1時だったところが3時になっている。チェック・アウトの時刻は同じなのにですよ。
 2時のところもあることはあります。今回この記事を書くにあたって調べに調べた結果(土曜の朝から私はそんなことをやっています)午後1時のままのホテルが1軒だけ見つかりました。
 私にはこだわりがあり、ホテルに入ってすぐとりあえず軽く外に出たいのです。偵察を兼ねてホテルの周辺をぶらぶらしたい。ぶらぶらして部屋に戻ってから改めていつもの居酒屋の名店に向かう。
 
 そのお店は午後4時に開店します。と同時に満員になります。食べ物があっという間になくなっていく。7時ぐらいにはもう何もない。
 ですから4時前にできれば外に並んでいたい。3時チェック・インだとふらりと出たその足で直行しなければなりません。そこに何となく抵抗があるのです。
 もとは1時に入れた場所に3時からしか入れなくしたらサービスの低下だと思うのですが・・・2時間分損をしている。値上げできないので商品を小さくしていく知恵と同じなのかな。
 
 名古屋駅前には新しくきれいなホテルが続々とできています。2つほどいいなと思ったところがあるのですが、調べてみるとやはりどちらも午後3時オープンでした。うーむ・・・でも、考えようによっては昔はむりをしていたのかもしれないですね。
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2017.11.16 05:58

 今週、面白い会話を聞きました。山手線の中ですね。おそらく女子高生の方だと思います。制服姿ではなかったので、ちょっと曖昧なのですがそんな感じがしました。お互いのスマホをのぞきこんだりしながら2人で話している。都会的なタイプです。
 ある言葉が自分の耳に飛びこんできました。「くそかっこよくない?」一瞬けなしているのかとも思ったのですが、そうでもないらしいのです。しばらくして「くそイケ面じゃん」という表現も出てきました。
 
 くそという言葉は少し前まではネガティブな要素しかなかったのではないかと思います。くそおもしろくないとか、くそまずいとか。それがどこかで少し変質してきているみたいですね。くそというのが、「とても」「極端に」みたいな意味になってきているのではないか。何となくわかるような気がしますね。私は彼女たちの会話に聞き耳をたてていたのですが、くそイケ面というのは複数の人間にーー知り合いの方にもいらっしゃるみたいでーーあてはめている感じでしたよ。どう考えても肯定的な印象しか受けませんでした。
 
 やばい、などという表現も少し変わってしまったという気持ちがあります。昔は非常にまずいという意味でしか使われていなかった。いまは肯定的な意味も持っていますね。すごくいいという意味でやばいが使われている例をいくつか見たような気がします。このサウンド、やばいよ! みたいな感じで。
 1970年代にバッド・カンパニーというイギリスのロックバンドがありました。直訳すると「悪い仲間」です。日本人のインタビュアーがどうしてそんな名前をつけたのかという意味のことを質問していた。
 
 ヴォーカルのポール・ロジャースが、バッドにはいい意味があるのだというようなことを答えていたのを覚えています。面白い仲間ぐらいのニュアンスだったのでしょうね。ただグッド・カンパニーと呼んだらバカみたいです。ロックバンドとしてどうなのかという感じがする。
 まあ、言葉はどんどん変化していきますからね。そういうことを最初に試みるのが若い世代というのも面白いところです。言葉に対する感受性が鋭いのでしょう。「猿のイモ洗い文化」を思わせますね。ああいうことをするのはみんな若い猿だったそうですよ。
 
 文化の推進を大人だけがやれると考えるのはおこがましいとも思います。くそかっこいいとか、くそイケ面とか、いずれ大流行するかもしれません。ひょっとしたらもう流行っているのかもしれないのですが、そのあたりはよくわかりません。
 いずれにせよ電車の中の会話は面白いですよ。何でも勉強になります。そういう気持ちで生活していると。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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