2017.10.31 03:17

 ある学校の説明会で、ご担当の先生がご自身がどれだけ頑張って学校のために予算をとってきたかというお話をされていました。事実、そのおかげで学校のすべての設備が本当によくなっています。その先生がいらっしゃらなかったら生徒も先生も保護者の方もまだまだ不自由な思いをされたでしょう。
 予算というのはある程度の覚悟を持たないとどんどん削られてしまうものだと思います。有能な先生であれば、やはり母校のために張り切って主張すべきところは主張していくでしょう。
 
 私ならどうしただろうということをちょっと考えた。おそらくーーというより間違いなくーー私であれば、皆さんも大変でしょうからと母校の利益を主張しなかっただろうと思いました。そして、帰ってきて「みんな大変そうだから我慢してあげようよ」と周囲に告げたでしょう。
 これはもちろん世間で言うところの「無能」ということになるのですが、私はいつでもどこでも相手がどなたであっても譲ってしまうところがあります。
 
 現在の教室でもそうです。数年前に比べて大変になっている部分がある。ひょっとすると教室長の私が強引に抵抗すればそうはならなかったかもしれない。しかし、私は全体のパランスを考えてめったなことでは反論しません。部分(私)は全体(会社という意味ではなくもっと広義の全体)の一部であるからには、全体の意志はそうは間違えてないという変な信仰(?)があり、それでいいとすぐに考えてしまうのです。
 幼いころから私はこうでした。両親はこういう私の性格をいやがり「言いたいことははっきり主張しなさい」とよく注意されました。
 
 言いたいこと? 私にはそもそもそういうものがほとんどなかった。ただ「言いたいことを言いなさい」という他人の意志の中にこれこれこういうことを言ってほしいらしいというものが透けて見えるので、言いたくもないのに何かを主張していた時期がありました。
 現在私の周囲の仲間は私のことをよくわかってくださっていますが、それはまた彼らが私に対して親のように過大な期待を抱いていないからでもあります。他者を冷静に理解するためには距離感が必要なのです。
 
 私は教室の利益を第1に考えています。と同時に私個人の利益と他者である世界全体の利益を第1にも考えています。すべての第1の接点で・・・という気持ちを持っているのですが、すると非常に曖昧な地点に行きつく感覚があります。
 この生き方を正しいと主張する気持ちは自分にはまったくありません。私は私としてしか生きられないというある種の悲しみと諦めと僅かばかりの誇りの中で、今日もまた生きているという感じでしょうか。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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