2017.07.31 00:19

 いろいろな意味で疲れてしまったら、しばらく休んでください。休むことは非常に能動的な行為です。休むことを消極的な姿勢と考えずに、積極的な準備期間だと思ってください。後日の大活躍に変えていくことが十分可能です。
 場合によってはただ寝ているという日もあるかもしれません。ひたすら好きなことーー生産的なことでなくても構いませんよーーだけをしている日もあるかもしれない。それでいいと思います。私も1日中ネット将棋を指していた日がありました。
 
 そうした過ごし方ももちろんあっていいのですが、自分を再生させるために時空間を有効に使う知恵もまた大切だと思います。それこそ旅をするとか、遠くまで散歩に出るとか。映画を鑑賞する。美術館に行ってみる。神社仏閣をめぐり歩く。憧れている人物の伝記(エッセイ)を読む。尊敬する人に話を聞いてもらう・・・
 重みのある時空間で何かを感じることは自己再生につながります。自分はこうだった、こうなりたかった、こういう夢を持っていた、こんなことでつまずいている人間ではないはずだ・・・それは「リセット」に近い感覚かもしれませんね。
 
 周囲も接し方には気をつけられるといい。疲れていると人間誰しも自暴自棄になりがちです。それは疲れが運んでくる要素であり、その人の本質とは違います。あまりにも疲れているので捨てたくなるだけです。ご本人も混乱のきわみにあり、何が何だかわからなかったりしますから「それは疲れの影響であって、あなたは本当は捨ててしまうような人ではないから安心して」ということは伝える必要があるかもしれません。
 昨年だったか、勤めはじめた息子がもう会社をやめたいと言い出したときがありました。
 
 やめないほうがいいというのは理屈であって、理屈は精神的な疲労のまえではまったく意味がありませんね。極端に疲れて眠りそうになっている人間に、このタイミングで眠るのは人間としてどうなのかなどと注意しても、そんなことわかっているけど死にそうに眠いんだからどうしようもないじゃないか! と反発されるだけでしょう。
 まず落ち着いた雰囲気作りを心がける。何でも話せる時空間ですね。息子には「やめたければやめてもいいよ」と言った。反対されなかったことで、気持ちが楽になるでしょうから。
 
 仕事はどうなろうとも生きていればいいこともたくさんあるだろうし、世の中の役にたつこともいろいろ出てくるだろう。そんなことだけを話しましたかね。疲れさえ癒えればどうにでもなる。自己再生のためのキーワードは「魂の洗濯」です。
 大丈夫ですよ。ゆっくり休んでください。あなたの本質を軽く見てはいけません。それは世界の財産です。わかりますか? あなたが再生することが世界の財産なのです。
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2017.07.30 07:29

 先日、仲間と都内にあるオシャレなビアガーデンで飲みました。そこには「飲み放題」セットというのがあった。「70分間すべてのドリンクが飲み放題です」と説明され、それでいこうということになりました。
 食べ物は適当に選ぶことにしました。席自体は90分間いてもいいということでした。入れ替え制になっているのです。
 私がふだん行くようなシブいお店には、飲み放題というシステムがありません。ちょっと落ち着かない気分になりましたよ。
 
 ほかの皆さんは落ち着いているのです。おそらくその種の経験が豊富なのだと思います。もちろん私にしても「皆無」というわけではありませんが、ここ何年もそういう場で飲んだことがありません。
 そういう状況下でこそ人間の質が如実に出ますね。恥ずかしながら、私は時間内にたくさん飲まないとすごく損だという気分になりました。で、あっという間にジョッキのビールを飲み干してしまった。慌てているのです。
 
 あれ? ずいぶん早いですねと向かいの方に声をかけられて、ちょっとだけお代わりにいくのを躊躇しました。躊躇しましたが、頭の中に70分70分・・・と持ち時間がちらついてくる。ま、いいやと誰よりも先に席を立ちました。
 ビール、ハイボールと進んでいくうちに「持ち時間70分だとしても残りの10分ぐらいはないものとして考えなければいけない」という変な考えが湧いてきました。将棋の持ち時間じゃあるまいし、そんな発想はおかしいのですが酔っているせいもあってどうしてもそう感じてしまう。
 
 10分前に終わるということになると・・・時計を見ると加速度的に時間が進行していて、そろそろ45分になります。これはもう将棋で言ったら(飲み会を対局に例えること自体がおかしいのですが)秒読みじゃないかという気分になり、いつもと違ってがぶがぶとハイボールを飲み、もう十分なのにさらにお代わりに突撃しました。
 途中でどなたかに「今日は大人しいですね」と言われた記憶があります。秒読み状態なのにおちおち話なんかしていられんという切迫した精神状態でした。食事は全然慌てずにすんでいるのは、食べ放題ではないからでしょう。
 
 結局、何が何だかわからないぐらい酔っ払ってしまったのですが、あれが普通の飲み屋さんであればマイペースで飲めたわけで、まったくもって人間ができていないと痛感しましたよ。10年以上昔ある教室で火災報知機の誤作動があり、慌ててぜんぶ放り出して逃げてしまった先生(いまはもういらっしゃらない)がいて呆れたことを思い出したりしました。そういうところに本性があらわれますね。
 まあ、この程度の人間だったという自覚を持って、慎重に生活することにしますよ。
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2017.07.29 00:07

 何でもいいのですがたとえばどなたかがレスラーになりたいとしますね。すると何をしなければいけないか。あたりまえですが、相当身体を鍛えないといけないでしょう。しかもレスリングについての深い知識や経験が必要になります。当然、どなたかに習わないといけませんしご自身でも大変なトレーニングを積まないと。
 ましてチャンピオンになりたいということになってくると・・・それこそ全生活をレスリングに賭けないといけなくなるでしょう。血のにじむような努力を重ねてもチャンピオンになれる保証はありません。
 
 レスリングを例にあげましたが、何でもそうですね。その道で一流ということになってくると、全生活を賭ける必要が出てくる。スポーツに限りませんよ。棋士になる。プロのミュージシャンになる。建築士になる。芸能界で活躍する。
 どの程度になりたいかということはご本人が決めないといけません。世の中には「何ちゃって」料理人や「何ちゃって」会社員みたいな人がいることはいます。それを否定するものではありません。私なんかも「何ちゃって」先生程度かもしれません。「何ちゃって」スタイルでも生活はできるでしょうが、どこまでのぼるかということはあくまでもご本人が決めるべきだと思います。
 
 志望校がものすごく高い場合、当然「何ちゃって」受験生では受かりません。こういう書き方をするとすぐに志望校にふさわしい勉強ができるかどうかということだけを問題にしがちですが、勉強だけを見すえてもうまくいかないように思います。そうではなく、その志望校にふさわしい人間であるかどうか。それを判断基準にしてください。
 これまたすべてに言えることです。素敵な異性を好きになったら、次に考えなければならないことはあなたはその人にふさわしいレベルの人間なのかどうかです。運さえよければ・・・などということでは続かないですよ。
 
 志望校が「社会のリーダー」を求めているのであれば、あなたが考えなければならないことはあなたがいまの立場でリーダーとして生きようとしているのかどうかです。私自身はどちらかというとそういう考え方をしてきませんでしたから、必ずしもリーダー的な人間だけを高く評価しているわけではないのですが、少なくともその高校が「社会のリーダー」を目指す人間に来てほしいと高らかに宣言している以上、あなたは自分をそういう存在に創り変えていくしかありません。
 
 志望校とかなりたい職業とか明確にある場合は、自分の器をそちらに近づけていかないとだめだということです。勉強だけではだめですし、成績を上げる工夫だけでもだめです。あなた自身の波長を志望校の波長に同化させてください。私たちは自分と同じ波長の現実を経験します。全細胞、全時間を希望するものの波長に合わせる。そういうことがじつは大切だと思います。
 
 
 
 
 
 
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2017.07.27 08:09

 ときどき動画というのを見てみることがあります。一般の方が投稿されているものですね。はじめは飲み屋さんを探訪するものなんかを何となく見ていたのですが、じつに興味深い動画もあることがわかってきました。
 トラックの運転手さんがトラック内であれこれ煮炊きしてご飯を食べる動画というのがあります。1人の運転手さんだけではなく、複数の運転手さんが投稿しています。
 
 厨房があるわけではないですから市販のものをあれこれ活用するのですが、そこにひと手間加える。何となく得意そうに加える。微笑ましいというかいじらしい(?)というか、なるほどと見ていて感心しますよ。
 先日はモツ鍋を作っている運転手さんがいました。市販のものにあれこれとーー野菜なんかをーー加える。真面目な顔で解説をつけながら作業していきます。ご飯を食べたあとでしめにうどんまで作っていました。コメント欄を見たら、やたらとその運転手さんのシブい容姿を称えるものが多かった。
 
 若い運転手さんは自作のラップを披露していました。その運転手さんは食後のコーヒーまで豆から挽いて作っていましたよ。本格的なドリップコーヒーですね。ほかにも何人もの運転手さんの動画を見ました。
 コメント欄に返事を書かれている運転手さんもたくさんいました。多くの方が「楽しんでいただけてよかったです」という内容のコメントを返されていました。この「楽しんでいただけて」という部分は、やはり人間でなければ出てこない着想ではないかと感じます。
 
 はじめに漠然としたそういう感情があるのでしょう。はじめからいやがらせがしたいという方はーーよほど抑圧された生活を強要されていないかぎりーーあまりいらっしゃらないと思うのです。何かしらよいことがしたい。人を喜ばせたい。お金になるかどうかはとくに考えない。
 そのときどういう表現方法をとるかは人それぞれなのだと思います。その1つとして食事の光景を伝える。しかも特別な環境下でどんな工夫をしているかということを表現したい。人間しか持てない感覚だと思います。
 
 他にもやたらとたくさん食べてみせる方とか背後にある狙いが何かはよくわからないものの切迫した感じで食べる方とか、いろいろな形の表現方法があるものです。
 いずれにせよ、自己を表現したいという欲求を人間は持つわけですね。それが人間を他の動物からはっきり区別しているように思います。
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2017.07.26 08:03

 実話なので、ぼかして書きます。
 ときどきご相談を受けることがあります。先日もそういう機会があり、ある生徒と保護者の方が教室にいらっしゃった。学校成績が抜群(ほぼオール5)でしたので、お話の流れによっては夏期講習にお誘いしてもいいのかなと考えました。基本的に強引な勧誘は慎むようにしていますが、この子なら授業を面白がってくださるだろうとも考えたのです。
 女の子でしたが、落ち着いた独特のオーラが漂っていました。
 
 通信添削をなさってくださっているというお話でした。いろいろと話していくうちにこの生徒がよくできる理由がわかってきました。机の上の勉強だけをしてきた子ではないのですよ。
 ときどき勉強ひと筋・・・という子がいます。それだってりっぱなことですが、どこかしらひ弱な感じが否めなかったりするケースがないこともない。たとえば、入室すべき部屋がどうしてもわからなくて訊いてくる。渋谷教室は約10部屋(高校受験部だけでも)ありますから、はじめての方は迷うかもしれません。
 
 しかし各教室の上には大きく部屋番号が書かれているわけで、ほとんどの生徒ははじめてでも冷静に自分の教室を見つけて入っていきます。それがむしろ当然なのです。ところが、いつまでもおろおろしている。もちろんこの部屋だよと連れていきますが、じつはこのあたりの処理能力は勉強ができるようになるために非常に大切なのです。
 話をもどします。私がちらりと塾も面白いよと誘うと優等生は「自分の時間がほしい」とおっしゃった。
 
 お母さんがうれしそうに笑いながら、この子はお料理が大好きで毎日(!)作っているのですとおっしゃいました。「けさも仕込みをすませてきたんです。ものすごく手際がよくてびっくりしますよ」さらには野菜をたくさん育てたり、釣りに行って自分で釣ってきた魚をさばいたり、すごくいろいろなことができるのだとお子さんを見ながらゆるやかに褒めています(わざとお気持ちをお子さんに聞かせていたような感じがしました)。
 諸活動の時間を確保しながら勉強は通信添削でやりたいとおっしゃるので、私も彼女のケースは受験勉強という観点からも現在の生活を崩さないほうがいいと考えました。
 
 彼女はある職種につきたいと希望を口にされた。お母さんは興味のある活動を熱心に続けていけば何かしらいいお仕事があるのでは? ぐらいに考えていますとおっしゃっている。おうちの方の、おおらかな人生観に包まれて伸び伸びと活動してきたということなのでしょうね。
 手際よく料理が作れるとか自分で釣ってきた魚を上手にさばけるとか、その種のたくましさは人生における財産だと思います。勉強の力も所詮人間力の一部ですから、たくましく生きている方のほうが有利に決まっていますね。
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2017.07.25 07:19

 遠い昔、徐々に心を病んだ友人がいました。かなり重くなった。私たちは親しい関係であるということになっていました。同性ですよ。親しい関係ですから、おかしい状態になってからも頻繁に電話がかかってきます。当時私は家族と一緒に暮らしていたので母親が出ることがある。すると変なことをたくさん喋ってしまう。
 変なことというのは私自身の秘密ですね。彼が心を病んでいない時代は普通の友人としてとくに用心もせずに、あれこれ話していましたから。
 
 異性のことなんかも話してしまう。悩みなどをお互いにあれこれ語りあいましたからね。そういう話を次々と暴露してしまう。母からちょっと聞いたところでは「あの女はろくな女ではありません。なぜなら・・・」と余計なことを大量に話している。
 困ったなーと思いました。これが身体的な病気であれば、関係を解消するという発想は起きないのですが。心の病ですから要するに人格的に違う人間になってしまっています。するとそもそもなぜ友人でいなければならないのかよくわからなくなってくる。
 
 どう考えたものだろうと20代半ばの私は迷いました。結果的にこのままこの相手に一生つきまとわれて、あちらこちらで秘密を暴露されてはたまらないと考えた。そして、関係を解消することにしました。わかりやすく書けば「絶交」ということです。
 まあ、かなりあいまいにやりましたけどね。しばらくは何も感じなかったのですが、歳をとってから、あの判断は本当に正しかったのだろうか? とさかんに考えるようになりました。正しくなかったとしても、もはや訂正はきかなくなっていました。彼はもうこの世にはいないからです。
 
 何かしらやり方というか接し方があったのではないかとも思いますし、ああいう電話ががんがんかかってくる過程では緊急避難的に絶交するのもやむをえなかったかなとも思います。
 私が残念に感じるのは、自身の人間に対しての理解がいまぐらい深ければ対応は自然と変わっていただろうということです。私が昔の自分より少しはましになってきたのは、賢くなったからでも知恵がついたからでもなく、単純に人間というものを以前よりは理解できるようになってきたからではないかと思います。
 
 何かで迷ったときに私はブッダならどうするだろう? と考えるクセがついているのですが、それは仏教に対しての傾倒ではなく、人間というものをブッダほど深く理解した人物はいないのではないかと感じているからです。すべてのマイナスの感情を悲しみや慈悲の中に上手に溶かしこむ能力をブッダという人は持っていたように感じるのです。
 
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2017.07.23 08:13

 Z会進学教室の夏期講習がはじまります。どこの塾でも夏休みは講習がありますね。渋谷教室はおかげさまで満員の講座も出てきました。とくに受験生ですね。教室数が限られているので、入りきらなくなるのです。その場合他教室をお勧めすることになりますが、他教室でも満員になりそうなところがあったりして、この時代にそれだけ生徒がいらしてくださるのは本当にありがたいことだと思っています。
 やはり口コミが多いですね。先輩から聞いた。先輩の保護者の方から聞いた・・・というケースがとても多い感じがします。
 
 まあ、そういうものでしょう。テキストだとか先生だとか、あれこれ宣伝できる(?)要素はあるのですが、実際に通っていた方からのお話がいちばん効果があるのは確かでしょう。中には私の名前をあげてくださったりした方もいらっしゃるみたいで、たいしたお世話もできていないのに恐縮してしまいます。
 他塾も含めて夏期講習を受けられる方にちょっと書いておきます。最近は勉強に関してはもう1つの「どうしたら勉強ができるか」のほうに主軸を移しているのですが、いいタイミングですからね。
 
 夏期講習に通って真面目にやっているのにあまり成績が上がらないとおっしゃる方がいますが、夏期講習に通っているのはあなただけではなく、真面目にやっているのもあなただけではないのですから、文字通り夏期講習に通って真面目にやった「だけ」ではまったく皆さんと同じことをしているだけで、他者より努力をしているわけではありません。
 相対的にあがっていくためには自分が他の人よりどういう努力をしているかという部分が大きいのです。
 
 講習中、宿題をサボらなかったなどというのも立派は立派ですが、やはりそういう人は大勢います。するとそこでも差がつきません。
 差がつくとすれば、皆さんがやっていること以外で何をしたかということですね。それはやはり復習につきるでしょう。昨日できなかったことが今日どれだけできるようになっているか、書けなかったものがどれだけ書けるようになっているか、知らなかったことをどれだけ暗記したか・・・そうした部分は全員が心がけているわけではないので、当然差がついてきます。
 
 ときどき課題に追われて復習しない人がいますが、それだと毎日できていなかったところを残しながら進むことになるので、効果が半減します。中には講習期間が終わったらゆっくり復習しようという人もいますが、それはよくない。日々、つまずいたところをしっかり確認しながら進めていくべきです。つまずいたところを補強していく過程がいちばん大切なのです。人生とまったく同じです。煩雑さの中であれこれ工夫できる力こそが、生きる力なのです。
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2017.07.22 07:19

b297c2ae2e6e84a0368b2d329939b2e91213e605.JPG 私は自分のことをある種のコミュニケーション障害ではないかと思っています。仕事場で、私はきわめて快活に生徒や保護者の方、あるいは先生や教務の方とコミュニケーションをとることが可能です。私が不機嫌であるとか意地悪であるとかーー相手の方が判断することで私自身が決められるお話ではありませんがーー客観的に考えてものすごく珍しいのではないかと思います。
 基本的に教室内において私はコミュニケーション障害を発揮して(?)はいないということですね。
 
 では、どういうときにそういうことを意識するのか。
 犬の散歩に行きますね。犬がかわいいので声をかけられる。私はそういうのが苦痛なのです。「かわいいワンちゃんですねー」とか「なんていうお名前なんですか」とか。声をかけられると「頼むから おれに話しかけないでくれ!」と叫びたくなるのです。
 あ、もちろん叫びませんよ。へらへらにこにこしているだけですが、とにかく苦痛なのです。家内と一緒のときはそっぽを向いていればいいのですが、先日ついに単独散歩デビューした日は大変でした。
 
 犬はやたらと愛想がいいので、人のいるほうほかの犬がいるほうに行こうとする。私は話しかけられるのがとにかく苦痛なので、人のいないほういないほうに逃げていく。犬の進みたい方向と私の進みたい方向がはじめから最後まで正反対なので、散歩がはかどらないことこのうえない。
 人間というのはーーあたりまえですがーー動きます。すると人がいないと思ってうろうろしているところに誰かが近づいてくることがありますね。私はそれ、逃げろ! と犬を引っぱってさらに人のいないところに逃げていく。
 
 こりゃだめだわーと思いました。
 考えてみれば、私は飲み屋さんなんかでも声をかけられるのがあまり好きではありません。話すことはできるもののそういうところでわざわざ人間関係を構築することが美的な感じに思えないのです。
 考えてみれば少年時代からこうでした。友だち・・・的な人間はいましたが、うまく距離がとれずに苦労しました。意味なく深入りしすぎてすぐにいやになったりしました。そういうことの繰り返しでした。
 
 ただコミュニケーション障害を自覚しているからこそ公の場では上手におつきあいできる要素は確実にあります。私のようになかなかうまくいかなくて苦労されている10代の方もいらっしゃると思います。その苦労がお仕事をされてから活きてきたりするものなので、むだではない。大丈夫です。犬の散歩のときには苦労しますが。「面会謝絶」という札を首からかけて散歩しようかな。
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2017.07.21 09:18

 極めて落ち着いた気持ちで静観しているのですが、基本的に学力の本質はそうは変わらないものです。知識というのはやはりそれ相応に重視されるべきもので、たとえば「情けは人のためならず」の正しい意味であるとか、「そんなご飯は食べれないよ」のどこが間違えているのかとか、「それは杞憂だった」の意味が正確にわかっているかとか、正しい答を出せる人のほうがぜんぶ間違えてしまう人より確実に勉強家であり、入学試験などで高く評価されるはずです。
 
 ですから、マークシート方式がどうのこうので、知識に関してたいして覚えなくてもよくなるのではないかという期待はまったくできないと思います。いままでと同じ、あるいはそれ以上の知識の定着は必要であり、勉強量を減らしても心配ないという事態にはならないでしょう。
 いままでの試験はある種の骨格として残り、そのうえで「臨機応変に対処できる力を確認していく」形に移行するでしょう。
 
 この「臨機応変に対処する力」というのは、確かに教科書の勉強だけではどうしようもない部分があります。それはある種「人間力」であり、あなた自身の生き方と密接に関係してきます。
 それこそーー以前も書きましたがーー特急列車のシートをどれぐらい倒していいものか、あなたはその理由とともに即座にまとめることができますか。即座に、です。そうしたことは現実場面では瞬間的に考えるべきことです。列車に乗って背後にどなたかがいて、いままさに倒そうとしているときに考えるわけですから。
 
 そうした物事を少しだけ時間はあげるかわりに理路整然とした文章で数百字で書いてくださいというのが「人間力」のテストですね。
 次々と使えそうな言葉が浮かびますか? 遠慮、礼儀作法、自由、権利、マナー、気分を害する、思いやり、我慢、人と人との関係、自分が座席を倒す場合と倒される場合、配慮、ルール、日本の風習・・・そうした用語がいくつもいくつもぱーっと頭をかけめぐるぐらいでないと的確に対応できないでしょう。
 
 そこは机上の勉強だけでなく、日常のお手伝い(それこそたまには料理を任されて途方にくれながら仕上げたり、洋服を1人で買いに行って店員さんとあれこれ相談できるぐらいの力が必要です)が威力を発揮するでしょうし、大人とのコミュニケーション能力は絶対に必要で、そのためにはもちろん「大人が何を考えているのか」ということがある程度わかっていないといけません。
 大人との関係が大切で、命令ー服従、指示ー反抗みたいなことだけではまったく能力は開発されません。そこは大人側も育てていく過程で大切に考えないといけないでしょう。
 
 正しい「人間力」は正しい「家庭力」からついていく側面もありそうです。
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2017.07.20 00:21

 私たちには公的な顔と私的な顔とがあり、どなたもそれを使い分けて生活しています。それは当然でしょう。公的な場ではしっかりした姿を見せようとします。大勢の方に見られていますからそうせざるをえない。いい加減なこと、悪いことをしたらすぐに指摘されます。そうならないように、できるかぎりきちんと公平に正直にしようとなさるものでしょう。
 ところが私的な場面ではどなたも見ていないときがあり、そこに油断が生じます。
 
 怠惰さみたいなものが頭をもたげてくることがありますし、場合によっては不公平でも自身が得するならば構わないじゃないかという強欲さがわきおこってきます。そのときどうするか。
 私的な場面ではどなたも見ていないから・・・と考えがちですが、じつは見ている人間が確実に1人だけいます。ご自身ですね。ご自身だけは自分の発言、行為を確認し続けています。
 
 立場の弱い人間を罵倒する。あるいは自分の立身出世とは関係のない出来事や人物を著しく軽んじる。あるいは極端に自分の配分を多くしようとどこかにしわ寄せがくるほど画策する。全体のために本当にそれでいいのかということを考えられるようになるのが人間教育でしょう。本質的な意味での品格を身につけないといけないですね。
 それを授業という形態で一律に指導するのは難しいかもしれませんが、ふだんの生活の場でそうしたことを考える機会が多いのはとてもよいことだと思います。
 
 仮にご両親が私的な場で「あんな落ちこぼれはろくな大人になるわけないさ」とか「貧乏人なんか相手にしても価値がないよ」とか不用意な人生観を冗談でも口にされると、その見方は当然お子さんにうつっていくでしょう。そして公的な場ではどんなきれいごとを並べようとも、実際は思いやりのない弱者に冷たい利己的な大人に育つかもしれません。
 世の中全体をよりよくする力を身につけることが教育の究極の目的であって、すべての作戦はそこにたどり着くための方便でしかありません。
 
 生きることはあなた自身を表現することであり、どの部分も「あなた」という一大芸術作品のハイライトです。公的な部分でも私的な部分でも同じ「生」ですから、とくに他者に対しては礼節を持って接するべきだと思います。試されているのはそうした部分なのですよ。
 私的な場だからこそ「本当にそれでいいのか?」ということです。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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