2017.03.18 00:30

 ときどき並行して歩いている見知らぬ方のお話が聞こえてしまうときがあります。盗み聞きしようとしているわけではないですよ。意思的に聞こうとしているわけではないのに聞こえてしまうということです。どなたにもあることだと思います。
 たまにすごく面白い話があります。ギャグではないのに。ただ結果として大笑いしてしまうような出来事というのは、世の中にいろいろあるではないですか。そういう話を先日耳にしました。
 
 若い女性の2人組でした。20代の半ばぐらい。いわゆる会社なんかに普通にお勤めされている女性だと思います。並行して歩いているので顔までは見ませんでした。わざわざのぞきこむのは失礼でしょう。現代風のお嬢さんということでわかっていただけるかなと思います。
 片方の方がこの前本当に困っちゃって・・・という話をされている。街中で西洋人の方に話しかけられたというのです。大真面目な顔で質問してくるからさー・・・と話されていました。その質問というのが信じがたい。
 
 オ江戸ハ、ドコデスカ?
 たどたどしい日本語で、そう訊かれたそうです。
「江戸なんて広いじゃない。あたし、もうどうしようかと思っちゃって」
 もう1人の方が「東京の昔の呼び名です・・・じゃだめなのかな」と言った。
 質問を受けた方もそう思って、このあたりは全部江戸ですということを身振り手振りを交えて一生懸命に説明したそうです。
 
 でも、そんな質問ないよねえ。歴史好きの外国人なんだろうけど。
 すると質問された方が真面目な声で、自分もはじめはそう思っていたのだがじつは質問が微妙に違っていたのだと言い出しました。
 話をわかりやすくまとめると、その西洋人の方はこう訊きたかったみたいです。
「大江戸線(の乗り場)はどこですか?」
 いやだーともう1人の方が笑って話は終わってしまったのですが、質問された方の困惑した様子を思い浮かべると非常に面白い話だと思いました。
 
 先日、近所でおばあさんとお孫さん(幼児)のこういう会話もありました。サイレンの音が聞こえてきた。
おばあさん「ほら、消防自動車だ! 来るよ来るよ」
幼児「消防自動車来る?」
おばあさん「そうだよ、来るよ来るよ。消防自動車」
幼児「・・・」
おばあさん「消防自動車、たくさんたくさん来るといいね。いーっぱい来るといいねえ」
 ばあさん、そりゃまずい。私は思いましたよ。大災害ですものね。
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2017.03.17 03:34

 1週間たって、犬はだいぶ馴れてきました。ただ私のことはまだちょっとこわいみたいです。
 先日、家内と息子がいないときに親睦を深めるため犬の前で歌いながら踊ってみました。
 子どものころ、ロンパールームという幼児番組がありました。そこで「にこちゃんの歌」というのが流れていて、私はいまでも何となく覚えています。それを踊りながら犬の前で歌ってみた。
 
 犬と私だけですからね、恥ずかしくはありません。すると犬はしばらくじーっと見ていました。かすかに首をかしげる。これはいったいどう考えたらいいのだろう? という深刻な顔をしています。
 犬にそういう顔をされると、私もまたこれはいったいどう考えたらいいのだろう? という気持ちになってきました。自分はどうしてこういうことをするのだろうということがわからないと言えばわからない。でも、途中でやめるのも変なので最後まで歌いました。
 
 よくはわかりませんが、私ぐらいの年齢の男性はあまり飼い犬の前で歌ったり踊ったりしないのではないかと思います。朝ですからもちろん酔っぱらっているわけではないですよ。きわめて真面目な気持ちで、そうしてみたくなるのです。
 私がいちばん気に入っている梅崎春生という作家の「幻化」という小説の中に、中年の主人公が焼酎を飲んで九州のどこかの浜辺で1人で踊るシーンがありました。正確には覚えていないのですが、チンドン屋さんの真似をしたのではなかったか。
 
 あとで見知らぬ子どもに見られていたのがわかりドキリとする。さらに自分は頭がおかしいわけではないと弁解したりしていました。
 はじめて読んだとき(まだ10代だったと思います)この場面はきっと事実に違いないとやたらと感動したのですが、結局自分の中にあるものを感じていたということになるのでしょうね。
 踊ったあとで犬に感想を訊いてみました。いまの歌と踊りをどう思うかね? すると、くーんくーんと鳴きます。
 
 なかなかよかったという意味か。くーんくーん。そうか、もう1回歌ってやろうか。くーんくーん。人がいるときは恥ずかしいから歌えないよ。くーんくーん。だから今日みたいに誰もいないときに踊って歌うようにするよ。くーんくーん。
 で、踊りながら歌いだすとまた静かになります。子犬であっても、何かの「催し」であるということは感じるみたいです。
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2017.03.15 01:07

 中学生高校生のスマホの依存症については気になっています。実際、診断された方を「複数」知っています。担当されたお医者さん(年配の方だったそうですが)が「こんなものを子どもに安易に与える世の中がおかしい」とはっきりおっしゃっていたと聞きました。もっと毒々しいセリフも口にされていたらしいのですが、要は周囲の大人が考えていないということを強調したかったのでしょう。
 もちろん依存症にならない方もたくさんいらっしゃるわけで、スマホの使用自体を判断できる立場にはありません。
 
 もっともご自身でも気づかないといけないと思いますよ。
 私はーー自慢ではありませんがーー将棋に対して依存症であると思っています。昔から指しはじめると止められなくなるのです。以前も書いたことがありましたが、夜の8時ぐらいに指しはじめて徹夜になり、翌日の昼すぎまでぶっ通しで指していたことがありました。相手の方に用事があったのでそこで中断しましたが、自分自身はもっともっと指していたい気持ちがありました。途中、食事なんか1度もとっていないですよ。1局終わったらすぐにまた駒を並べての繰り返しでした。
 
 強いからだろうと言われたことがありますが、それはあまり関係ありません。弱いときからそうでした。将棋を指しはじめるともう何が何だかわからなくなってしまう。
 10年以上昔、インターネット将棋でもそういうことがありました。まだ小さかった子どもが寝るときに私は家内のパソコンで指していました。「おやすみー」と見送ってそのまま指し続け朝になった。
 子どもが起きてきて「お父さん・・・ずっとそれやってたの?」とびっくりしたように訊いてきた。
 
 あ、これはよくないなととっさに考えて、ちょっと前に起きてからまたはじめたんだよとウソをつきました。さらにそのままやめられずに子どもが小学校に行ってしまってからもずーっと続けていました。
 いわゆるアツくなるのです。判断がつかなくなる。寝ないし食べないしという状態になる。完全に依存症だなという自覚があるので、よほど時間があるとき以外はそもそも触らないようにしています。研究したりするのは大丈夫なのです。他人と指しはじめるとおかしくなる。
 
 将棋を指す方全員がこうなるわけではありませんよ。私が個人的におかしいのだという自覚を持っています。もっとも自覚があれば気をつけますから、実害は少ないですよ。無限に時間があるとき以外は触れません。
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2017.03.14 06:41

 あたりまえのことですが、大人が仕事場で寝ていたらおかしいですね。おかしいどころかたとえば運転のお仕事をする方がうつらうつらしていたら大変なことになります。私も睡眠不足で仕事中眠いときがまれにありますが、授業中は全時間立っていますからあたりまえですが絶対に眠ることはありません。
 昔ーー30代のころですーーテストなんかをやらせているときは座っていました。すると疲れていて瞬間的に意識を失うときが何度かありました。危ないですね。それで座らなくなった。
 
 要するに仕事中は寝てはいけないということです。当然ですね。
 中学生高校生の方にとって授業時間帯は仕事中みたいなもの(?)だと思いますよ。大学生の方も本当はそうですね。授業中居眠りしているというのはちょっと問題ではないでしょうか。
 非常に忙しくてうつらうつらしてしまった日があった・・・程度ならまあいいのですよ。そういうことはありうると思います。問題なのはしょっちゅう寝ているという状態です。
 
 ときどきそういう話題になることがある。各教科の先生から何々くん(さん)は今日も寝ていたというような話題が出る。起こしてもまた眠ってしまう。次の授業もまた寝ている。
 それは確実に睡眠不足だと思います。ちょっと生活のリズムを改めないとまずいですよ。まずいというのは、授業が身につかない=当然成績は上がらないということです。それでもいいというのであればいいのですが、受験生はそういうわけにもいかないでしょう。
 
 私は中学高校時代私立の一貫校に通っていました。成績を上げようという意欲はまったくなく、毎晩遅くまで当時全盛期だったラジオの深夜放送を聴いていました。「パック・イン・ミュージック」「オールナイト・ニッポン」「セイ・ヤング」ですね。「オールナイト・パートナー」というのもあったな。リクエストがかかるとうれしかったのを覚えています。
 午前3時すぎまで聴いていることもあり、睡眠不足はこわくない先生の授業中に寝て補えばいいと考えていました。
 
 それはしかし相当問題のある発想であり、確かに成績は絶対に上がりません。中核である授業そのものに実質参加していないわけですから、上がるわけがないのです。
 上がらなくてもいいというのであれば問題はないのですが、それは困るということなら授業中寝ないですむように生活を整えてください。ぼんやりしている時間や娯楽の時間を短縮して睡眠にあてるしかないという事実に向き合うことだと思います。
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2017.03.12 00:27

 私たちはいろいろな人とおつきあいします。同性異性問わずです。深く親密な仲になることもあるでしょうし、表面だけのおつきあいで終わることもあります。人と人との関係はなかなか難しいもので、親密だった友だち同士がとくに原因があるわけでもないのにふと話さなくなってしまったり、逆に反目しあっていた2人が何かのきっかけで急速に親しくなったり、いろいろなケースがあります。
 同年輩だけでなく、先輩後輩の関係もありますね。年齢とは関係なく尊敬したり、また逆の感情を持ったり。
 
 そうやって人と人との関係でいろいろなことを学ぶわけです。いいこともくだらないことも学ぶ。できればくだらないことは最小限に抑えたいでしょうから、おつきあいする友だちを選びなさいと言われたりしますね。人間的にすぐれた友だちに触発されて、ご本人もしっかりしてきたらそれは確かに好ましいことですね。
 逆につまらない友だちから悪い遊びを教えられるということもあります。悪いほうにどっぷりというのはしかし、個々人の選択でしかないと思います。
 
 読書することを難しく考えすぎてなかなか手をつけられない人がいますが、人と人との関係と同じようなものだと考えてください。挨拶程度のおつきあいも大切ですし、じっくり語り合うようなおつきあいも大切です。対面して少し話してみないとわからないものです。
 ですから、1冊の書籍を何が何でも1ページ目から最終ページまで読み通さなければならないというものでもありません。真ん中へんの面白そうなところを少しだけ読んで終わりということがあってももちろんいい。
 
 新聞記事をちらちら読んだり、スポーツ雑誌の興味のあるところだけを読んだりというのも、挨拶程度の人間関係と同じで意味のあることです。そこから学ぶことがたくさんあります。
 難しく考えすぎないでください。とにかく面白そうなものを読む。何でもいいから読む。じっくり読まなければ読書のうちに入らないという先入観があなたを活字から遠ざけている可能性があります。挨拶「だけ」だってりっぱな人間関係ですから、新聞の折りこみちらしを読むこともまたある種の貴重な経験だと考えてください。
 
 いい友だちという意味では、同じ書籍を繰り返し読んだりある作家のものを集中的に読んだりする経験も非常に意味があります。とにかく楽しんで。本当に楽しめることだけがあなたの得意な何かになります。堅苦しく考えすぎないことです。
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2017.03.11 00:20

d473253be3ca518cb0d6c67d4e787e5bf4edeab0.jpg 木曜日、電撃的に家内が犬を買ってきました。はじめは見に行くだけだと言っていたのですが、どうしてもほしくなってしまったのでしょう。浜松の先まで日帰りで行き、用意も何もできていないところに突然持ち帰りました。
 まあ、びっくりしましたよ。柴犬というやつですね。雌です。馴れていないからでしょう。おびえてぶるぶる震えていました。私は10代の後半に犬を飼ったことがあるのですが、そのときも生まれて間もない犬がタクシーの中で震えていたことを思い出しました。
 
 そのときの犬はかまいすぎて性格がひねくれてしまいました。からかったりすると面白いのでついつい遊びすぎました。散歩に連れて行きますね。妹と2人で行く。公園なんかでつないでおいて、ふと忘れて帰るふりをする。すると犬は大慌てです。おい、おれはどうなるんだ! みたいに悲鳴に近い声をあげたりします。その慌てぶりがかわいらしくて、しょっちゅうそんなことをやっていました。
 自室で変装して犬の前に出てみたこともあります。普通、わかりますね。ところがものすごい変装だったので(登場の仕方も衝撃的な感じにした)、犬はびっくりして猛烈に吠えました。
 
 近づいていくと臭いでわかるのでしょうね。何だ、おまえか・・・ということになった。
 基本はかわいいわけです。かわいいので、ついついかまいすぎてしまう。それは本当に失敗だったと痛感したので、自分の息子が生まれたときは気をつけました。かまいすぎないようにした。すると人間はうまく育ちました。人間でうまくいったので犬には申し訳なかったのですが、とりあえず飼育経験は非常に役にたったと思っています。生き物を飼うというのは、そうしたことが学べる面があります。
 
 家内と息子にはだいぶ馴れてきたみたいですが、私は離れた部屋(犬から見て)にいるのでまだちょっとこわいみたいです。のぞきこむとあちらを向いて「なかったこと」にしようとする。
 家内と息子の犬みたいなものなので、あまりいじりまわしたりしないでおこうという気持ちもありますかね。抱きあげるととてもかわいいのですが。
 以前飼っていた犬はちょうど10年で死んでしまいました。フィラリアという病気にかかってしまった。
 
 平均的には10年以上生きるでしょう。・・・ということは私のほうが先に死ぬ可能性も十分にありますね。まあ、そういうことを考えても仕方がない。せいぜい日々かわいがりますよ。
 名前はシンプルに「いぬ」にしようと提案したのですが、あっさり却下されました。「いぬ!」と呼ぶと犬が走ってくる。簡単でわかりやすくていいのにね。
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2017.03.10 01:42

 これまで半ば意識的に政治の話題には触れずにきました。これからもそのつもりですし、その手のことは得意な方にお任せするのがいちばんだと思っています。政治に深い関心がないのも事実で、それはちょうどオリンピックや海外旅行にあまり関心がないのと同じです。
 投票には極力行くようにはしていますが皆勤というわけではなく、またどちらかというと過去私が応援した候補者は落選される確率が高いように感じます。
 
 世界全体がきな臭くなってきているのは事実でしょう。いろいろいやなことが起きていますが私たちも巻きこまれる可能性があるわけで、ちょっと考えなければならないですね。過去のどの時代よりその心配が増しているような気がするのは、自分だけではないと思います。
 人間は自身の中に二重の基準を持つものです。ですから自国のために軍備を増強するときは必ず「自衛」と表現します。そして他国が軍備を増強すると、侵略の可能性を強く指摘します。
 
 そういうのが世論を形成していくとーーまた狙いを持って世論形成を推進しようという勢力が強いとーー本当に変なことが起きかねません。
 ある種の暴挙もじつは裏にあるのは極端な怯えであり、究極的な「自衛行為」の変形した何かなのだという冷静な洞察が、世界を動かしていく層にどれぐらい認識できているか。こちらが「自衛」と呼ぶものは、別の方向からは「侵略準備」に見えていたりするでしょうから。
 
 そもそも個々人もそうです。他人の生活に「だらしない」と眉をひそめながら、自分はできるだけ楽をしようとしていることがあります。きちんと計画通り生活が送れていない人を「どうしようもない」と切り捨てる一方で、自分はしょっちゅう計画変更したりもしている。子どもに時間とお金をむだにするなと注意しながら、ふらふら飲み歩いたりしている私のような人間もいます。
 そういうものだという自覚があれば大きく相手を刺激しないのですが、二重の基準に気づいていないと相手ばかり非難してしまう。要するにすべての事象は、まず人間の心の中で起きているものですね。
 
 
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2017.03.08 09:05

 今年の受験でいちばんの志望校までは届かなかったという生徒が何人か報告に来てくださっています。皆さん、それなりにいい高校に合格しているのですよ。ただいちばん行きたいところだけは残念な結果が出てしまった。
 わざわざいらしてくださるぐらいですから、もう落ち着いています。私も大げさに慰めたりはしません。実力そのものは合格者と変わらない。そのことが何よりの財産ですね。
 
 あとはここからのご本人の覚悟次第です。どうにでもなるでしょうし、覚悟ができていなければ逆に合格していても困ったことになるかもしれません。高いレベルの高校に合格したのに、1年生のときから「落第しそうです」と青くなって相談に来る生徒は過去何人かいました。もちろん知能の問題ではないのですよ。受験時と同じような気持ちを取り戻してくだされば、絶対にうまくいくはずです。覚悟の問題ですね。
 落ちたことが恥ずかしいとおっしゃっていた方もいましたが、そんな風には考えないことです。
 
 人間、恥ずかしいのは「100%の自分になりきろうとしない」ことだけでしょう。100%の自分というのはなりたい自分、憧れている自分、夢を叶えている自分のことです。その大きな目標から見れば、すべての試験は一里塚でしかありません。大学受験でさえそうです。
 大切なのは、きちんと夢に向かって「いま」歩んでいるかということだけです。それに比べたらどこの組織に所属するかということは小さな問題です。どこの組織であってもその中で「あなた」個人が実力をつけなければ意味がないわけですから。理想が現実化するようにとにかく努力しないと。
 
 なりたい自分というのは、職業名ではありません。医師とか先生とか政治家とか料理人とか世間はひとくくりで呼びますが、全員同じではないですね。すべての医師が同じことを話し、同じ振舞いをするわけではありません。
 ですから職業名ではない。精神性や人間性、もちろん外見や財力や知力、個性、協調性というようなものが渾然一体となって人間を作ります。あなたはどうなりたいのかということを真剣に考え、そちらに向かって「いま」も歩いていると宣言できますか。
 
 宣言できるのであれば、それほどの大人物が何を恥ずかしがることがあるのかという問題ですよ。
 精神が怠惰になってくると理想を求めるのが面倒になり、職業名や所属組織名で安易に表現したりしますね。医師と言っておけば、とりあえずエリートかなとか。職業名の前にたくさんの好ましい形容がーー誠実で知的で情熱的で努力家で冷静で慈悲深いというようなーーつかないのであれば、どのような職種もむなしいかもしれないですよ。
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2017.03.06 09:22

 中学3年生のとき、両親に精神科に通わせてほしいと頼んだことがあります。だめだと言われました。
 あれは何というか・・・自分の中にある種のダンディズムのようなものがあり、徹底的に病的でありたい、できれば病んでいるという確証を得て友人たちに宣言したいという変な気持ちがありました。精神病のことを医学辞典でさかんに調べ、自分はそうではないかと考えた。読めば読むほどそう感じてくるものです。
 
 鬱という漢字を覚えたのもそのころです。鬱だと自称しながら(?)漢字が書けないようではみっともないという思いがあり、何度も何度も練習しました。まあ、変わった少年でしたよ。
 権威だとか明朗だとか、立派、元気、快活、健康などという概念に徹底的な憎しみを抱いていたように思います。そういうことを押しつけてくる大人は絶対に信用できないと考えた。
 そうなってしまった主たる原因は、やはり家庭にあったと思います。私自身の内側だけでわかっていることですが。
 
 少年期に「負」のヒーローみたいなのがほしい。暗いくせに、ものすごく女の子にもてるというような。
 それがスコット・ウォーカーでした。ミュージックライフ誌のインタビュー記事を読んだら「公演は金のためだけ」と言い放っている。さらに鬱病にかかっていたという告白もありました。端正な顔を隠すように、真っ黒なサングラスをかけた写真(インタビュー時のものではなかったかもしれません)が掲載されているのを見て、私も真っ黒なサングラスを買いました。
 当時のスコット・ウォーカーは女の子にすごい人気でした。人気があるのになぜこうなる?
 
 もっともいくら何でも美男子の典型みたいなスコット・ウォーカーと自分を重ね合わせるほど狂っていたわけではありません。目指すことはできない高峰だという気持ちは常にありました。
 漠然と、そちらの方向に歩みたいと考えただけです。黒いサングラスは夜でもかけていました。夜道が見えなくて側溝に落ちたことが2度あります。
「ジョアンナ」というバラードが有名ですが、私は「ザ・ウォー・イズ・オーバー」という曲が好きです。じつに不思議な曲。うまく説明できません。
 
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2017.03.05 06:47

 シチューの食べ方についてネット上で話題になっていました。シチューをご飯にかけるか、かけずにわけて食べるか。
 関西は比較的わける派が多いらしい。逆に関東以北はかけて食べる方が多いらしい。私はどちらかというとわけて食べているような気がします。ただ終わりのほうにかけてしまうときもあります。要するに、どちらでもありどちらでもないという禅問答みたいなことになりますかね。ご飯が汚れる(?)のはちょっと気にかかるほうかもしれません。
 
 カレーはかけるものだとはじめから思っていましたから、かけて食べます。
 ところが25年ぐらい昔でしょうか、カレーを完全にわけて食べる方を目撃したときがありました。その方は当時、現在の私より歳上だったかもしれません。勤めていた塾のまとめ役みたいな先生で、その日は偶然講師室でその先生が市販のカレー弁当を食べようとするところに私が居合わせました。
 いわゆるカレーの「ほか弁」ですね。それをおもむろに広げられた。何かしら会話も交わしたように記憶しています。
 
 カレーとご飯の容器は別々になっていました。カレーをすくって口に入れる。それから今度はご飯を単独で食べる。
 はじめはカレーの味を確認しているのかと思いました。見ているとふた口目も同じ。カレーはカレーだけ食べて、ご飯には絶対にかけません。
 私は何となくカルチャーショックを受けました。最後の最後までこんな食べ方があるのか! という感じですね。
 
 すぐに真似をして食べてみようと考えました。そういうことはすぐに真似してみたくなるのです。もちろんこだわって「ほか弁」でやってみたくなる。
 当時も杉並区には住んでいたのですが、いわゆる「ほか弁」のお店が近くにありませんでした。そこでバス停をいくつぶんか歩いて、わざわざ遠くまで買いに行きました。カレー弁当というのをお願いして意気揚々と帰ってきましたよ。ところが開けてみてびっくり。
 
 白いご飯の容器の上にレトルトのカレーの袋が乗っているだけではないですか。殺風景な袋には業務用と書かれている。
 おいおい、こんなのありかよーとがっかりしました。仕方がないのでレトルトの封を開け、他の容器に移してカレーとご飯を別々に食べてみました。そもそもレトルト食品かと思うと風情も何もない。全然おいしく感じませんでした。それきりわけて食べる機会はなかった。
 ただこの文章を書きながら、今日のお昼にでもどこかでわけて食べてみようかなと考えています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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