2016.12.31 03:39

 大晦日ですね。今年の記事はこれが最後になります。2016年もおつきあいいただきましてありがとうございました。2017年はーーいま現在の予定ではーー渋谷教室で仕事を続けさせていただくことになっておりますので、教室に来る日は必ず記事を更新していくつもりです。
 もともと飽きっぽい怠惰な人間なのですが、7年半も続けてこられましたのはひとえに皆さまのおかげです。
 
 内容に関しては自由に書かせていただいているのですが、私なりに漠然と「真・善・美・陽」の何かに関連するものが書けたらいいなと思っています。発信する内容がどうであれ、バックグラウンド・ミュージックのように「真・善・美・陽」をお伝えできていれば幸せです。
 最近の世の中を見ていると、いわゆるグローバル化の影響ということになるのでしょうが、何でもかんでも数字で評価しようとする傾向が見られますね。数字だけが正義になってきている。
 
 70点より80点のほうが正しい。年収500万円より600万円のほうが正しい。実際はもっともっと細かく評価されていて、72点は71点より圧倒的に正義で10万円は9万円より圧倒的に価値があるという理屈に人間はがんじがらめになって窒息しかけているように見えます。
 数字は確かにわかりやすい。どこの国のどういう背景を持った人間でも大小はすぐにわかります。大が正しく小は間違っているということに一律に決めてしまえば、便利は便利でしょう。
 
 ただ本当にそうなのか? という疑問を自分は持っています。数値で明確にあらわせないものに価値を感じられることこそが人間の真価ではないのか。
 世の中には偏差値75の優秀な子がたくさんいるから、偏差値の悪いうちの子なんてどうなっても構わないと考える親がいるわけがないのと同じです。
 自分はこれからも数字にあらわせないことにより注力していこうと考えています。このブログもそういう気持ちで書いていますかね。
 どうぞよいお年をお迎えください。
  
 
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2016.12.30 06:26

 先日、自習室がいっぱいになってしまった日がありました。できるだけ開放しているのですが、授業も重なって広い教室を開放しても足りなくなってしまいました。少し待っていただくか別の施設(図書館とか)を利用していただくかぐらいしか選択肢がないのですが、そのときある男の子がこういうことを提案した。
 ちなみにこの子は非常にたくましい子です。勉強もできるのですが、ほかに努力されていることがあり、そちらでも大きな成果を出しています。
 
 礼儀正しいですしにこやかですし、要するに人間力みたいなものが高い。その子が廊下にあった机を見て、ここで机を並べてやるのはどうだろうと言い出しました。
 じつはそれはこちらも最後の手段として考えていたことなのですが、廊下ではやりたくないという生徒もいるでしょうから冬期の間に様子を見て決めようと思っていました。大学受験の教室では、廊下でもやろうと思えば自習できる態勢になっています。
 私がすごいなと思ったのは、中学生自身でそこに気づき実行に動こうとしたところです。
 
 椅子か・・・椅子はどうしようかなみたいな話が出たところで、教務の人間が手配して廊下にいくつかの机と椅子を並べました。自習室に空きがないという窮状(?)から廊下でやったらいいのではないかともっていけたその子の知性は非常に評価できると思います。
 物事を解決する能力を養うというようなことが教育目標としてもさかんに掲げられてきていますが、そういう力が本当にあるかどうかはこういう日常的な部分にこそあらわれますね。ただ嘆いたり不満を口にしたりするのではなく、では何ができそうかと前向きに明るく考える。
 
 彼の場合、勉強だけではなく力を入れている課外活動がやはり大きく役立っているとも感じますが、どなたも机の上だけでは足りない要素を補う努力は大切でしょう。何度も何度も書きますが、受験勉強「だけ」やっているので、ろくに服も畳めない買い物にも行けない大人に手紙も書けない・・・ではうまくいくわけがないのです。人間がその人にふさわしい勉強を選択するようになるのであって、勉強が人間を自動的に高所に誘導してくれるものではないからです。
 
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2016.12.29 06:28

 最近、ある有名な(わかってしまうと思いますが)居酒屋評論家(?)さんの新しい書籍を読んでいたら、居酒屋で成功してコース料理などを出すようになる変化を「堕落」と表現されていたので思わず笑ってしまいました。おそらくお店のご主人は堕落ではなく、それこそ「出世」したと感じていらっしゃるでしょうから、見解の相違はいい悪いというよりそれぞれの立場からの真実ということになるのでしょう。
 私自身コース料理の飲み屋さんにうかがう機会はほとんどありませんが、それはどちらかというと「敷居が高い」感覚を持つからです。
 
 ものの見方というのはすべてそんな感じですね。ある人には価値のあることがほかの人にはまったく価値がない。また同じ人間でもある時期価値の高かった物事が別の時期にはまるで意味がなくなったりします。
 子どものころ友だちの真似をして切手を収集していた時期がありました。ほんの1、2年間ぐらいでしょうか。すぐに興味を失い、集めていた高価な切手の何枚かは普通の封筒に貼って出したりして「もったいない!」と驚かれたことがありました。もったいないも何も、こちらはもう興味がなくなってしまったのでせめて実用的に使おうと考えたのでした。
 
 対人関係なんかもそうですね。うんと仲のいい友だちがいる。けれどもいつかは別れてしまう。生きていますから当然お互いに成長する。親友同士だからといって同じ方向に足並みを揃えて成長しなければならないというわけでもありません。
 サッカー仲間がゴルフ狂になってしまったとか、お酒が好きだった友人が禁酒してしまったとか、2人で外を歩くと得意な気持ちになれたのにいまではお互いの洋服のセンスがすっかり変わってしまったとか・・・共通な話題が消失して、何となく縁遠くなるケースもあるでしょう。
 
 私個人は、自然の変化をこわがる必要はないと思っています。思い切った転換を試みたいのであればなさってみたらいい。思い切ったことをするのは確かにリスクが伴うものですが、何も変化しないでただ惰性で生きるのもーー気づかぬだけでーーじつはそれなりに危険なものです。変化してみたくなったらとりあえず変化して、うまくいかなければそこでまた考える。
 変化しないほうがよかったという表現がありますが、それはじつはわからないのです。あのとき変化しないでいたら現時点よりよかったに違いないと「いま」想像しているだけのことです。
 
 あのとき変化したからこそ将来はもっともっとよくなるだろうという「いま」の予想もできうるわけで、いい悪いはこの時点からのあなたの覚悟と生き方で決まってきます。生き方にはつねにその種の解釈が含まれますからね。
 とにかくつねに「これから」です。元気を出して頑張ってください。
 
 
 
 
 
 
 
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2016.12.28 05:55

 どれぐらい寝ればいいのかというのは個人差があるということになっていますが、この個人差という用語が曲者(?)で、たとえば子どものころからずーっと8時間は寝るべきだと周囲にすりこまれてきた人は、どうしたって7時間睡眠では短いという印象を持つでしょう。どんなに気分がよくても心の中では(でも、本当は寝不足気味だ)と考えるに違いありません。
 ですから適切な睡眠時間を見つけるのは、現実問題として相当難しいことなのだと思います。
 
 ときどき寝てばかりいるという人がいます。とくに問題がなければそれでもいいのでしょうが、あまり寝すぎると血液がどろどろになるという記事を何かで読んだことがあります。寝てばかりいるのは、眠いというより単純な習慣でしょう。毎日10時間寝ていたら、それはもう8時間たっぷり寝てもすっきりしなくなりますよ。惰性で睡眠時間を決めないほうがよさそうですね。
 睡眠時間を削って勉強しなさいというお話ではないですよ。ただ起きている時間を有効に自分の意志で使うことはいいことだと思います。
 
 昔からよく言われることですが、睡眠にはサイクルがあって90分単位で変化が起きているらしいですね。らしい・・・と書くのは、うろ覚えだからです。私が過去読んだ本に90分ごとに眠りは浅くなるので、そのタイミングで起きるようにするといいというようなことが書かれていた記憶があります。
 90分=1時間半、180分=3時間、270分=4時間半・・・360分眠ればいちおう6時間になりますから、それはもう普通の睡眠時間でしょう。
 
 たとえば今週の日曜日から月曜日にかけて、私は270分=4時間半寝ています。ときどきそういう日がありますが、この説がすりこまれているのでそんなにつらくはありません。乗り物に乗って腰かけたらいねむりしそうという程度です。また3時間のときもありますが、連日でなければ十分乗り切れます。
 適切な睡眠時間というのは体質というよりは、その人が睡眠についてどういう思想を抱いてきたかに関連づけられる面もありそうですね。
 
 最近私はムアツ布団というのに寝ているのですが、以前よりあきらかによく眠れます。4時間半の日に6時間の日をブレンドしていけば、だいたい大丈夫そうですかね。家内や息子はやたらとよく寝ていますよ。で、家族ばらばらに寝るようになりました。個人主義ですね。
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2016.12.27 01:27

 生活のすべての断片で、どういう人間であるかということが試されています。私はこの冬、小5生対象の3日間の講座を担当しました。そのとき強く感じたことを報告会のときお話したのですが、その中に次の話題を出しました。
 私の授業は文系の授業(簡単に言えば国語です)で90分間でした。90分通してやってもべつにいいのですが、2時間目でしたし小5ですからね。途中で5分間ほど休憩を入れました。
 
 そのとき「何をしていてもいい」と言った。食べたり飲んだりしてもいい。食べる時間はさすがにちょっととれないかもしれませんが、飲むことはできそうです。廊下に出て身体を動かしてもいいよと言いました。
 要するに完全な自由時間ということです。5分間だけ時間を与えられ、彼らはどうしたか。
 
 自分のクラスには10名ぐらいの生徒がいました。そのうち3人がすぐに何かを読みはじめた。2人は活字の書籍でした。1人はコミックでした。とにかく5分間、机のまえでじっと読み続け、授業再開とともに書籍はカバンにしまいました。
 私はそのことについて何もコメントしませんでした。ただ手持ち無沙汰にしていた生徒は仲間が読書しているところを目撃したので「ああ、ああいう時間の使い方はあるな」と感じたかもしれません。
 
 最終日の3日目になると4人の生徒が休み時間読書をしていました。コミックはなしです。コミックについても何も言いませんでしたが、何となく気恥ずかしかったのかもしれませんね。
 授業と授業のあいだのたったの5分間でさえむさぼるように活字を追う子どもがいる。こういう子がいずれ勉強ができるようにならないわけがないのです。私が日ごろから伝えたい文化的な力というのはこうした部分に宿るのです。どこの塾で問題をどれだけ解いたかの次元ではないのですよ。
 
 活字は全然読まないという生徒もいます。その選択は自由であり、いろいろな道での成功があると感じますが、あくまでも勉強の成功ということになると勉強とフォームの似た行為をどれだけしているかにかかってくるでしょう。1人で活字を黙々と読み想像力を駆使して理解する読書は、勉強に驚くほど形態が似ています。囲碁や将棋も似ているかもしれません。強い刺激で反射的に動く必要のある映像系のゲームは、似ているようでもまったく似ていません。
 断片の集積が全体を支配します。それだけに断片に違和感が生じてくると、勉強そのものはしていても伸び悩むことがあるのでしょう。
 
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2016.12.26 06:14

 あまり露骨に書いてご迷惑がかかってもいけないのですが、下町のある酒場ーー私がときどき行くお店ですーーではすでに85歳を超えたご主人が、元気いっぱいに働いていらっしゃいます。元気いっぱいというのはおおげさではなく、お店が開いている日はそこそこ広い店内でつねに大声で接客しながらてきぱきと料理や飲み物を運んでいる。
 てきぱきなどというものではないですよ。お客さんが合図するとものすごいスピードで近づいていきます。競歩みたいな感じ。
 
 文字にすると「おい、きたー!」となりますかね。お客さんがひっきりなしに出たり入ったりする繁盛店ですから(外に行列ができていることもあります)、ちょっとひと休みと腰を下ろす暇もありません。お店に出ているあいだずーっと立ちっぱなし、歩きっぱなし、運びっぱなしです。毎回ーー私はもう約20年通っていますがーーつねにそうです。
 たまにふと姿が見えない瞬間があるのですが、簡単な食事をされているらしくすぐに戻ってこられます。
 
 どのガイドブックにもそのご主人と息子さんのきびきびした動きについて書かれていますから、どなたがご覧になってもその働きぶりは「特筆」したくなるのでしょう。ふんぞり返って偉そうにしているお店の人は、ここのご主人の爪の垢でも煎じて飲んでほしいと書かれていた本までありました。
 大繁盛していますから、仮にご主人が楽をしようと思えばそうすることも可能かもしれません。息子さんやお孫さんまで元気に働いていらっしゃるので、選手交代が不可能であるとは思えません。
 
 ただ週に何回かだけでも休んでのんびりすることをご主人自らが潔しとされないのでしょう。
 私はこのご主人をある意味で理想に考えていて、周囲に迷惑をかけない状態であれば、高齢になってからも生徒を教え続けたいと考えることがあります。働かなくても余裕のある生活ではなく、働くことこそが生活であるという考え方に強く憧れるのです。
 
 ちょっと遠いことは遠いので、私がそのお店にうかがうのはふた月に1度ぐらいです。お酒や料理や雰囲気を求めてというのもあることはありますが、ご主人の大活躍の様子を見たくてという要素もおおいにあります。
 ご存知の方は多いでしょうね。そう・・・北千住のあそこです。1月になったらまた行こうと考えています。
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2016.12.25 03:40

 今日25日から31日まで7日連続で冬期講習の授業があります。そして1月1日だけぽつんとお休みがあり、2日からまた連続して授業(2日と3日は中3生の正月特訓のみですね)が続きます。
 いちばん忙しいと言えば忙しい時期です。ただ自分はもう20年ぐらいこういう正月を送っているのでそれがあたりまえで、ネガティヴな感情はまったくありません。むしろお正月にお休みが多かったら困ってしまうでしょう。
 
 お正月のお休みをどこでとりますか? と訊かれることがありますが、お正月があけるとさらに忙しくなるぐらいですよ。これまでのように週休を2日いただければ十分で、連休をとる形にはならないですね。
 息子はーー普通の会社に勤めているのでーー年末年始はお休みです。不思議な感覚なのですが、彼がゆっくりできると親の私がほっとします。そういうものですね。彼が極端に忙しそうにしていると、自分が忙しいよりよっぽど疲労(?)します。
 
 毎朝1限目から授業が入っているので、だいたい6時起き(今日は初日なので特別3時半に起きました)になりますか。この季節はまだ暗いですね。起きると必ず新聞を読み、お香を焚きます。あとだいたい濃いコーヒーをコーヒーメーカーでいれて飲みますね。目が覚めて慌しく支度だけして自宅を飛び出すということは365日まずありません。出かける前に十分時間をとっています。
 そこまで時間をとらなくてもいいのですが、まあ趣味みたいなものです。
 
 31日の真夜中(と言うより元旦の午前中)はいつも通り昔の生徒のご実家である大きな神社に行こうと思っています。その神社の中学生のお嬢さんを三鷹教室で見ていたのが2001年でした。いまはもうご結婚されていますが、大晦日~元旦の忙しい時期は社務所でお手伝いされています。
 そこに毎年ちらりと顔を出してお守りを買います。忙しいさなかでも、こちらに気づくと笑顔を見せてくださる。こちらはこちらでお仕事の邪魔にならないようにうなずくだけですが、その程度でも伝わるものがあります。人と人の「信頼」関係というのは、そういうものだと思いますよ。
 
 
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2016.12.23 00:18

 基本的に決定した未来というものはないように感じています。可能性はいろいろあるということです。とくに個々人の可能性となってくると、固定化したものはないのではないでしょうか。
 ときどきピッチャーとしてスタートした野球選手が、歴史に残る偉大なバッターになったりしますね。ああいうのもピッチャーであることにご本人が固執していたら実現しなかったわけで、未来の可能性というものは無限に開かれているように思います。
 
 ですから、あまり固定化して思いこみすぎない柔軟さも必要でしょう。どう開花していくかわからない部分がたぶんにある。ご本人の最大限の開花を許すためには、事前に何々以外に道はない・・・と決めつけないほうがよさそうです。
 昔もブログに書きました。医師を目指していたのを方向転換して、現在それこそ世界的に有名な文学関係の仕事をされている昔の生徒がいますが、彼もまた道を自ら変えられた柔軟さに成功の秘訣があったように思います。
 
 目標は便宜上必要は必要でしょうが、目標の多くは単純に未来に属することであり縛られすぎるのは現在を軽んじることにもなりかねません。本来であれば自己の開花こそが目標であるべきで、その過程で合格なり成功なりがついてくるというのが理想的です。
 ですから「苦しくて苦しくて」という状態で日々を磨耗させているのであれば、ちょっと立ち止まってその苦しみがご自身を本当に成長させているかどうかよく考えてみてください。
 
 ときどき何かに負けたくないという理由でやみくもに努力というよりは苦労している生徒がいます。いい学校に入学してみんなを見返してやるんだ・・・と熱くなったりしているのですが、目的は自己開花なのか単純な見栄なのか。
 ご自身を100%発揮できているという実感がいちばん大切です。肩書みたいなものはちょっと横に置いてください。あなたが本当に100%のご自身を発揮されれば、それなりの肩書は必ずついてくるはずです。少しはリラックスされることも必要だと思います。リラックスした状態から、真の自己実現ははじまるからです。
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2016.12.22 00:47

 先日、電車の中で何人かの方が話していました。男の方がお1人、女の方がおそらく3人だったのではないかな。位置の関係で、またそれなりに混みあっていたためそちらに視線を向けることができない状態でした。むりに顔を向けてじろじろ見たりするのはさすがにはばかられますからね。
 男の方が宝くじで1億あたらないかなーということを呟いた。そして1億あったら何するかなーと続けた。
 
 周囲の女の方たちがあれこれおっしゃった。1千万円でいいからあたらないかしら。すると別のどなたかが、1千万円じゃ遊んで暮らせないじゃないと返事をされた。
 男の方が「3千万でとりあえずマンション買うだろう。7千万あれば会社をやめてしまっても何とかなりそうかな」と笑いながらおっしゃった。それから話はそれぞれの方向に拡散していって、自分は世界中行きたいところに行くとか、何とかというリゾート地に長期滞在するとか無邪気な感じでしばらく続きました。
 
 私はいろいろ考えましたよ。お金が無限にある。すると仕事をやめるという選択は当然出てくるかもしれません。仕事というのはある種の束縛ですが、それがなくなる。もうネクタイなんかしめなくてもいいし、毎朝満員電車に乗る必要もない。髪型だって自由だしそれこそ朝からお酒を飲んで寝てばかりいたところでどなたも文句は言わない。
 非常に気楽ではあるものの、それがそんなに憧れられる生き方なのかという感じはちょっとしました。つまり自由が絶対的な善で、束縛が絶対的に悪であると言えるのかどうかということです。
 
 私が言いたいのはこういうことです。
 自己の全生活ーーありとあらゆる場面にーー真実や喜びがあるということを忘れてはいけないでしょう。ネクタイをしめないことに大きな喜びがあるのと同じぐらい、ネクタイをしめることにも大きな喜びがあります。私程度のオシャレしか楽しまない人間であっても、少しいいネクタイをしめた日はとても気分がよいものです。
 満員電車に乗らないことに大きな喜びがあるのと同じぐらい、満員電車の中にもじつは喜びがあります。そもそも今回のきっかけになったお話だって満員電車の中で聞いたものでした。
 
 喜びの源泉は自分自身であるということを自覚できるといいのですが。束縛という言葉はあまり肯定的な響きを持ちませんが、一定の枠の中の生活に大きな喜びを抱きながら生きることは十分可能です。学校、職場、ご家庭、すべて枠と言えば枠ですが、その枠の中の全員がロボットのように同じことを同じ感情でやっているわけではありません。
 掃除1つとっても優雅に上機嫌ですることもできますし、いらいらしながら乱暴にやることももちろんできます。その選択権は多くの場合、私たちにあります。
 
 1億円あたったら夢の生活というのは事実だとしても、いまの生活の中に夢がないわけでもありません。いまのこの瞬間の生活に夢を見つける能力こそ、私たちにはもっとも求められているのかもしれません。着実に、喜びの中で行為してくださったらいいと思います。いまの幸せを見つけてください。
 
 
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2016.12.21 00:38

 平均して週に2回お休みをいただいているのですが、完全な休養日というのはめったにありません。たいしたことはしていないものの、医者に行ったり私的な用件でどなたかとお目にかかったりしていてのびのびと24時間ぼーっとできる日はなかなかないものです。
 もっとも医者に行くのはともかくとして、どなたかに会うのはそれ自体が娯楽だったりしますから(居酒屋さんに行ったりとか)、楽しいことは楽しいのですよ。
 
 それでもときどき何もしなくていい1日を持ちたくなります。今週の月曜日はまさにそんな1日でした。まったく予定なし。・・・というより本当は耳鼻科に行くつもりだったのですが、火曜日の仕事前に行くことにしてあえて何もない日というのを作ってみました。
 さて、その貴重なお休みをどう使うか。前日はずっとそんなことを考えながら過ごしました。行きたい場所をいくつか書き出してみた。
 
 いっそのことーー記事に何度か書いたーー愛知県の豊橋市に日帰りで行って豊橋(とよばし)というのを渡ってみようかとも思いました。痛風もおかげさまですっかりよくなりまして(ご心配をおかけいたしました)、いくら歩いても大丈夫です。
 ただ豊橋駅は基本的にひかり号やのぞみ号は止まりませんから、行き帰りで5時間以上かかります。それは「何もしなくていい」という基本方針にちょっとはずれるのではないかとも思い、今回は見送りました。また行けるときにのんびり行こうと思います。
 
 いろいろ考えた末、五反田の目黒川沿いを目黒のほうに歩くということをやってみました。昔よく歩いたところです。20代のころなんか月に何度も歩いた。当時、たしか「Mホテル」というビジネスホテルがありました。新しいホテルで、私はそこに泊まろうと試みたときが何度かあります。当時、いろいろなビジネスホテルに泊まってみるのが自分のブーム(?)だったのです。泊まろうと「試みた」というのは、要するにいつも満室で断られ続けました。
 建物だけはいまも残っていたような気がするのですが、うろ覚えなので違っているかもしれません。
 
 そのまま目黒に抜け、バスで麻布十番に出て地下鉄とJRを乗り継いで西荻窪にもどり、立ち飲みSちゃんに入ったのがまだ午後の4時。それから近所のコンビニで当日発売の「酒のほそ道」第40巻を買い、午後5時近くまで自宅向かいの公園のベンチで読みました。
 5時になると夕焼け小焼けの音楽が流れてきます。それをきっかけに自宅にもどり、ヘレン・シャピロのベスト・アルバムを聴きながら赤ワインを飲んだのかな。
 
 ヘレン・シャピロは「悲しき片思い」が有名ですね。はじめて聴いたのが中学生のときでした。後追いですが、感動したことを覚えています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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