2016.11.30 00:04

 昨日(まあ、まだ「今日」ですかね)は予定通り左下の奥歯を抜歯してきました。けっこう大騒ぎで痛かったですよ。お医者さんの腕はいいのですが、精神的なダメージみたいなものがあった。なかなか抜けないわけですよ。根の部分がいわゆる「腐っている」にもかかわらず、なかなか抜けない。抜かれたくないのだろうなと思いました。永久歯ですからかれこれ50年ぐらい一緒に生きてきたことになります。自分だけがこの場所の歯として最後まで頑張ってきたのだから、ひどいことをしないで残しておいてくれよという意志みたいなものを感じて胸が痛みました。
 
 そんなことを想像しているものだから、抜いたあともうずきましたよ。痛み止めは2回飲んだのかな。
 1989年の春だったと思うのですが、当時上石神井に住んでいて近くの歯医者さんで歯を抜きました。少しだけお金があった時代で、徹底的に治してやろうと思ったのです。半年ぐらいかけて悪いところはぜんぶ治した。その過程で抜かなければならない歯が出てきて、そのときもけっこう手こずりながら何とか抜いた。
 
 その晩、武道館でオジー・オズボーン・バンドの公演があり、私は平然と出かけていきました。痛み止めも飲まなかったと思います。ドラマーだけ覚えています。トミー・アルドリッジでした。
 コンサートが終わって試しに路上につばを吐いてみたら(当時の私はそういうことをまったく下品な行為だとは感じませんでした)、まだ血が混じっていたのを覚えています。血はなかなか止まりません。少し顔が腫れているのもわかります。少なくとも現在、抜歯当日オジー・オズボーン公演に行く元気はとてもありません。
 
 おかげさまで物は食べられます。うどんとかそんなものばかりですけどね。
 痛風のときゆっくり歩きながら、なるほど人間はこうやって歩くものか! と変なことに感動しました。昨日は昨日で、なるほど人間は口内の食べ物をこうやって味わっているのか! と感動した。何でもないことというのは奇跡的なことなのだという認識は、調子が悪くなればなるほど実感できます。それはまた1つの財産ですね。感謝しながら生きていきたいと思っています。
 
 用事があって少しだけ外出していました。乗り物の中でやたらと座りたくなる。そして座るとすぐに寝てしまう。身体が静養を欲しているのでしょうね。運動も入浴ももちろん飲酒もぜんぶだめですと言われました。
 今日水曜日は仕事です。いろいろやらなければならないことがあります。最後には授業も入っている。とりあえずまず今日1日、慎重の乗り切ろうと考えています。あれ? そう言えば今日は飲酒はいいのかな。
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2016.11.28 08:24

 ときどきコンビニエンスストアーで「飲食」をテーマにした分厚いコミック誌が売られていることがあります。まあそれなりの紙を使った500円ぐらいの安いやつです。名前を聞いたことのない作家さんのマンガが大量に収録されている。深い意味はなく、たまに買うことがあります。
 暇にまかせてぱらぱらめくってみるのですが、あまり引きこまれることはありません。もともとゆるい気分に浸ろうと考えて買うわけで、最後まで読まない作品も出てきます。
 
 どうしてなのか? と考えているうちに、作家さんたちが物語にむりに教訓をこめようとしているのではないかということに気づきました。絵そのものはプロの方が描いているだけあっていいのですよ。ところが、ストーリーの運びに妙な力みがある。
 たとえば「オヤジさん、おれ目が覚めた。頑張るよ」的な作品があったり、「本当に大切なものはきみだった!」的な作品があったりする。そうしたことを短編のマンガで訴えられてもなあ・・・と感じます。
 
 本気で感動したい気持ちであれば、コンビニのコミック誌で手っ取り早くとはならないでしょうから、教訓をわずらわしく感じる方もいるでしょう。
 ここはなかなか難しい問題で、自分が過去感動した芸術作品について考えてみても、教訓にも何にもならない切ない場面で心を動かされたりしたものです。入試問題を読んでいてはっとすることがあるのですが、そこには何の教訓もなさそうに見える。しかし、感情の大きな動きだけは意識することができる。
 
 いまから10年ぐらい前でしたか、東京のある高校の入試問題で私は非常に感動したことがありました。生徒が正解を出してくれと持ってきた文章を解いて(読んで)いるうちにわけのわからない涙が出てきた。主人公の孤独が強く伝わってきました。そんなところを見られたら恥ずかしいので、中断した。
 ああいう感動は、むりやり伝えようとしない感覚から出てくる。それもまた作家の技術であると言ってしまえばそれまでなのですが、押しつけがましくない姿勢に秘密があるような気がします。
 
 これは日常生活でも言えるでしょうね。叱ったり怒ったり説教がましくならずに、何をどこまで深く伝えられるか。逆にこうるさいあまり何も伝わらないのでないか。
 昔、中学生だった息子の肩によく触れていたことがあります。顔を見てぽんと軽くたたく。「頑張れよ」とか「大変だな」という意味をこめた。言葉に出さずにただぽんとたたく。あの「コミュニケーション」はとても効いたように思っています。技術と言えば技術。ただそれ以上のものはこめたつもりですし、それはやはり伝わりますね。
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2016.11.27 00:48

 私が子どものころは「デパートに行く」というのは「お祭りや遊園地に行く」というのとほぼ同じ響きがありました。何日も前から心待ちにしていて、前日なんかうれしくてうれしくて眠れないぐらいでした。自分の母親は新宿の伊勢丹でいつも買い物をしていました。お中元だとかお歳暮だとかの季節は、母親が手続きしているのをおもちゃ売り場でずーっと待っていたものです。少し大きくなってからはマンガ売り場で待つようになり、自分なりに大人になったなと考えたりしました。
 
 当時はデパートにも週1日休みがありました。当時の伊勢丹は月曜日か水曜日がお休みだったような気がします。
 母親はデパートの序列みたいなことをよく話していて、ほかのデパートはまったく利用しませんでした。封建思想というか差別主義というか・・・そういう名残りがあったのでしょうね。
 私自身はすいているところが好きなので、後年伊勢丹ではなく別のデパートを主に使うようになりました。
 
 当時のデパートには、和洋中とすべてが揃った大食堂があり、そこがまた楽しい場所でした。いま考えると和洋中すべてたいした味ではなかったのかもしれません。学食みたいなメニューばかりでしたからね。ただどのテーブルでも家族が揃って、うれしそうに食べている様子が本当にいい感じでした。
 デパートに一家揃って来るという習慣があったのだと思います。ハレの日の行事ですね。大食堂で大人はビールを飲み、子どもはお子さまランチを食べる。
 
 最近、何かの関係でデパートに行くと本当にお客さんがいません。場合によっては見渡す限りいないこともある。つまりとりあえずはその階に私1人ということです。とくに地方のデパートは深刻そうですよ。私は地方に行くと必ずデパートをのぞくことにしていますが、平日はお客さんがいない。
 特別催事場に行ってみたら、中古のレコードやCDを安く売っていたことがあります。広い会場に瞬間的にお客はやはり私1人でした。何となく気の毒になって、ローラ・ニーロのアルバムを買いました。
 
 皆さん、買い物を自宅で済ませるようになっているのでしょう。地方のお年寄りなんかはそのほうが圧倒的に楽だということもあるでしょう。
 ただデパートをぶらぶらしていると非常にいろいろなことに気づきます。それこそ中学生や高校生の方はデパートにあまりいらっしゃらないかもしれませんが、面白いことは面白いのでーー気づけるかどうかは試されますーーお時間のあるときに各階をぶらぶら歩いてごらんになるといいと思います。
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2016.11.26 06:21

 痛んでいた右足がやっとよくなってきたとほっとしていたら、おとといの夜突然左奥の歯がとれてしまいました。何年か前にかなりのお金をかけて作った入れ歯なのです。3つ連結(?)しているもので、この歯を入れてからは月に1度歯医者さんにも通って万全を期してきたつもりでした。
 それが自宅でカキフライを食べていたらぽろりと取れてしまいました。ちょっと痛みもあるので昨晩急遽、仕事を半休にしていただいてクリニックに行ってきました。
 
 けっこう深刻なことになっていたみたいで、骨がとけていると言われました。支えになっていた部分がなくなってしまったのですね。とりあえずーー噛めませんし見てくれの問題もあるのでーー接着しておいて来週休みの日に本格的に治療しましょうということになりました。
 これだけ気をつけてきて(毎月歯医者さんで健診を受けている人なんてほかに知りませんから)また何か月も治療かーというところですが、まあ仕方がない。
 
 とっかかりみたいなものがなくなってしまうかもしれないので、そのあとはどうするのか専門家の方に任せるしかありません。
 若いときに歯を抜きましたか? ということを言われました。もともと1本足りないと。その歯があればなあとおっしゃる。じつは1978年私はある歯科にかかっていたのですが、非常に問題のある治療を受けていて(自分にはそうとしか思えません)4か月以上かけても治せずに結局抜歯されたことがありました。
 
 あの件はちょっと後悔していて、その後2度とその歯医者さんにはかからなかったのですが、今日の不便さがそんなところにつながってくるのかといまさらながら思いましたよ。
 歯を治療しているとおいしく物が食べられなかったり喋りづらかったりしますね。昨日も面談のとき少し舌がまわらなかったのですが、何かと不自由になりそうで憂鬱ではあります。まあしかし、ここからスタートするしかないからな。今日は説明会や授業がありますが、とりあえずは接着できたので大丈夫です。
 
 身体的なものだけではなく、いろいろな不調をそれぞれの方が抱えていますね。世の中そういうものでしょう。ただ私はーーあくまでも自分自身の問題としてーーそうした事情を私から過剰にアピールしていくのはあまり好ましいことではないと感じています。少なくともこんなに大変なんだぞと他者に負担をかけたくはない。仮に家族であってもです。
 自己の痛みではなく、あくまでも他者の痛みに敏感でありたいですね。さわやかに明るくいきますよ。
 
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2016.11.25 08:32

 何かが得意になるとか好きになるとか、出会いが必要ですね。その人なりに出会うのです。そして得意になる。
 私は中学生のときに洋楽に出会いました。きっかけはトミー・ロウというシンガーでした。「ヒーザー・ハニー」という曲を異様に気に入った。そこから今日に至る長い長い旅がはじまりました。トミー・ロウはどなたかに紹介されたわけではなく、ラジオで偶然聴いた。そういう偶然も大切ですね。
 
 私は自分を介して生徒が何かに出会ってくださったらいいと思っています。必ずしも勉強ではなくてもいいのです。とにかく「生きる喜び」につながるような何かに出会ってくださったらうれしい。
 私自身との出会いを楽しんでくださる方もいらっしゃって、それはそれでありがたくも感じますが、私はまあただのおじさんですから私を通じて何か大きなものに気づいてくれたらありがたいという気持ちで文学作品なんかをさりげなく紹介することがあります。
 
 さりげなく、というところが大切かもしれません。強制的な感じになると、どうしても面倒さがつきまといます。自由な中でふと手にしてみるのでないと、本当の出会いにはならないかもしれません。
 先週、太宰治の「親友交歓」と「トカトントン」という作品をさりげなく面白いよと紹介したところ、もう読みましたという生徒が出てきてうれしく思いました。よくできる子です。やっぱりそういうことに敏感な子はできますね。
 
 よくできるから敏感なのではなく、敏感なのでよくできるようになる。知的好奇心というやつですね。今週はヘルマン・ヘッセの「車輪の下」をやはり紹介しておきました。いずれ読む生徒が出てくるかもしれません。
 私はカリキュラムに従って日々授業をしています。お役にたっていると思いますが、もし私の授業を通してヘルマン・ヘッセに出会うことでもあれば、受験勉強だけではない大きな財産になると思います。
 
 昔も書いた話ですが、モネの「日の出・印象」という絵画について授業中に話したことがありました。それもまたテキストの文章との関係で何かしら話しておくといいかなと思った。「はじめは誰もが未完成の絵だと思ったそうだよ」と話した。「確かにまだ途中みたいにも見える」と。好奇心を刺激するような言い方をわざとした。
 翌週、見ましたと言ってきた生徒がいます。インターネットで簡単に見られますからね。それこそ「印象に残った」とおっしゃっていた。そうしたことが何かの種になり、やがて花を咲かせるのではないかと期待しています。
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2016.11.24 09:53

 突き抜けてできるようになりたいのであれば、生活力みたいなものがどうしても必要になります。ある程度できるようになりたいぐらいなら勉強「だけ」やっていても大丈夫なのですが。
 すごくできる子にたとえば「今日は晩御飯を作っておいて」と突然告げたとします。男女関係なくですよ。忙しくてご飯を作れないからあなたが作っておいてねと告げる。
 
 まともな料理をいままで作ったことがなくても、すごくできる子であれば絶対に作れますよ。何かしら調べて、ご飯を炊いたり味噌汁を作ったり・・・ぜんぶ手作りというわけにはいかないでしょうが、それなりに「平然と」用意するはずです。逆に言うとこんなこともできないようでは「突き抜けた優等生」にはなれません。
 生活力というか、たくましさが必要です。晩御飯作っておいてと言われて「うへー、お弁当買ってきていいでしょう?」ではいけない。
 
 臨機応変に対処できる力というのはそうした日常から身につけるものです。それこそひと昔前はいろいろ不便で、不慮の出来事がたくさんあった。どうしたらいいのかわからない。どうしたらいいのかわからないことを自力で切り抜けていくことで人間力がつく。ときには大失敗もやらかすでしょうが、自力で切り抜けていく力をつけるためには失敗も必要です。
 依頼心が異常に強いとすれば、すべて依頼して生きてきたか物事を強制されて過ごしてきたかどちらかです。
 
 その状態で、次から次へと展開していく未知の課題に自力で対処することは不可能です。どうすればいいの? と指示を仰ぐだけになってしまう。
 どうしたら国語の勉強ができるようになりますかという質問を受けますね。とにかく大量に読む以外にないよと答える。何を読めばいいのですかという問いかけ自体じつは情けない。手当たり次第に読めばいい。教科書、塾のテキスト、通信の教材・・・習ってないところもぜんぶ読む。大人の新聞、ベストセラー小説、趣味の雑誌、尊敬する選手のエッセー、チラシや広告などもぜんぶ読む。
 
 時間がなければ時間を作る。晩御飯を作った日はそのために何かを犠牲にしたはずです。国語ができるようになりたいというのが切実な願いであれば、そのために何かを犠牲にして読む時間を作る。
 そういうたくましさが身につかないとホンモノの秀才にはなれないですよ。真面目に机に向かっている以上の何かが必要なのです。
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2016.11.23 09:31

 現実問題として、弱さであるとかもろさであるとかを私は罪悪視していません。それはそれで1つの特質であり、弱さやもろさを活かしていけばそれでいいと考えます。弱さやもろさが必要な何かというのもこの世にはあるはずです。ですからどこまでも強くあろうと悪戦苦闘する必要は(もちろん悪戦苦闘する自由もありますが)ないと思っています。
 巧みに逃げる。巧みに避ける。そうした行為を卑怯だとは思いません。むしろ賢さと呼ぶべきではないでしょうか。
 
 単純な表現は語弊を与える可能性があるとは思いますが、要するにとことんいやになったらあっさりやめちゃいなよということです。仕事でも学校でも部活でも共同生活でもその他のことでも、やめてしまっていいですよ。アドヴァイスを求められたら私ならこう答えるでしょう。いやなら逃げちゃいなよと。
 逃げることもまた勇気がいるものです。弱いから逃げるのではなく、むしろ弱いから逃げられなかったりしますね。ぼろぼろになってからむりだったということに気づく。
 
 そうなる手前で、余力のあるうちに自分からこのゲームはおりると宣言できる人間はそれなりに賢く強いと思います。
 だいたいどなたでも、無意識のうちに何かから逃げているものです。逃げている感覚がないので気づかれない。たとえばりっぱな学者の先生の中には運動競技から逃げた人がいるかもしれません。また偉大なるアスリートの中には高等数学や語学から逃げた選手がいたかもしれません。しかし、それを責めることはありませんね。不得意なことがない人間は1人もいないということです。
 
 要するに深くかかわらないことを選択した。それを一面の見方から「逃げた」と称するわけです。
 余力を持って次の段階に進んでいくことができるのであれば、最後までひたすらやり通すだけでじつは使い物にならない状態になってしまうより、よっぽど世の中全体のためにもなるでしょう。逃げることをこわがらず残された力は次のよきことに温存して、世の中を少しでも明るくしてください。
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2016.11.21 08:19

 18日の金曜日にリッチー・ブラックモアズ・レインボー最新ライヴ映像のDVDが発売されました。私が入手したのはDVDとCDがセットになったものです。以前から発売日はわかっていたので心待ちにしていたのですが、当日近くのタワー・レコードに行ったら1枚もない! 売り場を何度も丁寧に探したのですが、どう考えてもない。調べてみると「取り寄せ」になっていました。
 通販みたいな形ですぐに買うことはできるのですが、やっぱり店舗で入手したいでしょう。高揚感が違う。
 
 翌日、もう1度行ってみたら何枚か入っていたので買ってきました。さすがはプロが撮ったものだけあって、映像がすごくきれいでした。Youtubeで見たものとは全然違う。
 あのライヴに関してはいろいろな意見があるみたいですが、私個人はリッチー・ブラックモアが再びハードロックを演奏してくれたという「だけ」で十分でした。それとシンガーが抜群に上手いので、どの曲も安心して聴くことができます。やっぱり歌が苦しそうだと(高音が出なかったりして)聴いているほうもはらはらしますからね。今回のシンガーは「チャイルド・イン・タイム」まで歌える大変な逸材です。
 
 リッチー・ブラックモアは昔のイメージ通りでした。体型が変わったりということはありましたが、振舞いというか動きや表情はイメージ通り。そうそう、これだからありがたいという気持ちになりましたよ。
 ライヴ会場のはるか上方を電車が走っていくシーンがいくつか入っています。ああいうのは胸を打つものがあります。涙ぐみたくなるというか何というか・・・電車に乗っている方はおそらく何かやっているなぐらいでしょう。ライヴ会場にいる方は、熱狂していて電車どころではない。
 
 その両方をどちらとも直接関係ない人間が、ふと目撃する。目撃せざるをえないように作られている。
 神の視点と言うと大げさですが、うんと高いところから人生の秘密みたいなものが垣間見える錯覚が人を感動させるのだと思います。こんなことが世の中では同時に起きているのか! という感覚ですね。
 それにしても「スターゲーザー」は圧巻でした。私は大昔、この曲を友人の家ではじめて聴いたのです。
 
 複雑な状況下で聴きました。レコードは別の友人から借りた。自宅に帰ってから聴けばよかったのですが、待ちきれずに他人の家で聴いた。畳の部屋でした。
 衝撃を受けましたよ。こんな曲はいままで聴いたことがない。唖然として友人に「この曲、何だかすごいと思わないか」と言ったのですが、その友人はハードロックの信奉者ではなかったので、ふーん・・・ぐらいでした。
 あの日から40年(正確には39年)。今日につながります。
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2016.11.20 00:26

 先月は右足が(痛風で)痛むのであまり歩けなかったのですが、さすがに回復してきました。我ながら一時期はあまりに動きがおかしいので、笑いたくなりましたよ。それでも授業中は1度も座らずに切り抜けました。もう大丈夫ですのでご安心ください。いろいろお気遣いいただきまして、ありがとうございます。
 お医者さんからはこのまま薬を飲み続けなさいと言われています。ひと月後には血液検査をしましょうとも。まあ、仕方がないのでしょうね。
 
 歩けるということがどんなにありがたいことか、つくづく痛感したひと月でした。日ごろ歩いたって面白くも何ともないと感じることもあるわけです。とくに仕事帰りなんかですね。面倒なのでもうタクシーに乗っちゃおうかなと考える。とくに疲れていなくてもそんなことを考えるときがあります。
 ところが足が痛くてタクシーで帰宅せざるをえない日々が続くと、歩いて帰れた日はどんなに楽しかったかというようなことを思い出しました。
 
 自分が日々歩いていた道をタクシーが走るわけですよ。このお宅は門扉がすごくりっぱだったなとか、このあたりで昔塾に通っていた中学生の息子に自転車で追い抜かれたなとか思い出す。あんな風にまたすたすた歩けるようになるのだろうか? と大げさなこともーー病中はそんなものですーー考えました。
 いまも若干の違和感はありますが、すでに1万歩歩けた日もありおかげさまで歩こうという気力が出てきましたよ。
 
 歩けるようになったら歩こうと考えて手帳にいくつか地名を書き出しておきました。歩きたいところですね。ところがこれが変な場所ばかりなのです。風光明媚なところは1つもない。すべて日常生活の光景ばかり。
 たとえば小岩ー新小岩。新中川のあたりですね。昔集中的に歩きました。目的もなく歩いた。小説の舞台に使ったこともありました。また新中野から青梅街道沿いに東高円寺方面。10代のころよく歩いたのでちょっと見てみたい気持ちがあります。
 
 他も五反田の川沿いとか中野ー高円寺とか品川ー高輪台とか、それがどうしたというところばかりです。リストの中でいちばん遠いのが、以前書いた豊橋市の豊橋(実際の橋)を渡りたいというもので、これももうちょっと元気になったら日帰りで行ってこようと思っています。あたりまえがいちばんですね。再認識できたことを幸せに思います。
 
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2016.11.19 00:45

 アメリカで新しく大統領になられる方は私より10歳ぐらい年上です。別の方がなる可能性もありましたが、その方も私より年上でした。政治的なことはあまり深く言及しませんが、私がひそかにこの人が大統領になれば・・・と期待していた(?)方にいたっては70代の半ばでした。
 それぐらいエネルギーがあるということで、ある意味見習わなければいけないと思ったりします。
 
 私はすぐ世間から逃げ隠れしたくなるのです。「隠者」の生活や信条に昔から憧れる傾向があり、人さまの前から姿を消したくなります。でしゃばって目立つことへの照れや実際の衰えに対する恐怖感があるのですね。
 ただ生きていくうえでエネルギーは持っていたほうがいいに決まっていますから、ちょっと考えないといけないかもしれません。どんなに優秀な方でも私より10歳も年上でアメリカ合衆国の大統領になるなどというのは、どれだけ大変な努力をいとわないガッツを持っていらっしゃるかの証明になると思います。
 
 人生を振り返ってみてーー後悔という意味ではないですがーー私は小説を書くことに関してちょっとだけ反省みたいなものを抱くことがあります。若いころは職業小説家を目指していましたが、そのときどうしても「売れなければまずいであろう」ということを考えました。実際にデビューできたあとも、つねにそういうことを考えました。
 そして、どういうものが売れるのか研究した。売れているものを読み、こういうものを書くべきなのかと悩みました。実際に私自身ではないようなものを書こうと試みた時期があります。
 
 あの努力というか試行錯誤というか、あれはやらなくてもよかったなと思うときがあります。もっと真実の自己に徹するべきだったような気がするのです。自己の美学が通用しないのであれば、それでいいという開き直りですね。少なくともその気概は必要だったと思いました。
 私はいまも個人的にはいろいろな物語を書いていますが、どなたかを面白がらせる必要はまったくないわけで、徹底的に自身を掘り下げることが可能です。そのことを幸せに感じることがあります。
 
 芸術関係の道を志していらっしゃる方は、売れない=生活が成り立たないということですから本当に大変ですね。ただやはり商業主義への過度のすりよりは何かを見失う可能性が出てくる気がします。
 そのものごとが本当に好きなのかどうか。他の何かを証明したくてやっているのではないか。手っ取り早く儲けたいので勝負をかけているのではないか。会社勤めより自由そうなので憧れているだけではないか。単純に有名になりたいのではないか。
 
 そうしたことを自問自答したものです。
 いずれにせよ本当の自分から逸脱していた時期があった。比喩的に書くと黒い服を着たいのに、好かれようとしてはでな色の服を着たりしていた。それでうまくいかなかったのはよかったのかもしれません。あくまでも自己の美学を大切にするべきだったと思います。もちろん人さまにむりに薦めたりはしませんけどね。
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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