2016.10.31 08:57

 今週、お休みの日に東北地方のある進学校に日帰りでうかがってお話する予定になっています。怪談話や日本昔話ではないですよ。勉強や受験について、子育てについて、さまざまな活動を頑張れる子どもの特質について、あれこれお話しようと考えています。
 で、スーツをクリーニングに出しておこうと思いました。まあ、礼儀としてそういうことはするものでしょう。駅と自宅の中ほどにあるクリーニング屋さんがすごく早く仕上がるのでそこに行くことにしました。
 
 朝は8時半から営業開始です。昨日、ちょうど8時半ぐらいに着くように出かけていった。授業そのものは10時からでしたからクリーニングを出してそのまま駅まで歩くつもりでした。
 ところがですよ、クリーニング屋さんの直前で会員カードを出そうとしてふと気づいた。財布を忘れている! 珍しいことです。定期を忘れることはあっても、財布を忘れたことはもう何年もありません。どうしたものかと一瞬唖然としました。
 
 右足はまだ少し痛むので走ったりはできそうにない。自宅に徒歩で戻って財布をとってクリーニング屋さんには寄らずバスで駅まで行けば、授業に間に合うことは間に合いそうです。しかし、クリーニングはどうする? 
 いっそのこと後払いをお願いしてクリーニング屋さんに行く手もあるかもしれない。そんなことをしたことはありませんが、会員なので受けてくださるかもしれません。ただ万が一断られるとコインロッカー代もありませんから、洗濯物と返却するハンガーを大量に抱えたまま職場に直行することになります。
 
 頭の中に絵を浮かべてみましたが・・・うーむ、山手線内でそれはちょっと避けたいぞ。
 こういうときは不必要にあたふたしないことです。自宅に引き返しはじめたところで、日曜日の早朝にはその場所でめったにつかまらない空車のタクシーが来ました。渡りに船ということわざがありますが、幸運を信じていると往々にしてそういうことが起きるものです。
 無事、自宅で財布を確保→クリーニング屋さん→駅と回ってもらって、もちろん授業にも間に合いました。
 
 困ったとき、巨大な絵にしてながめてみるとじつはほとんど困ったことはないのだと気づくことができます。昨日の絵では、財布を持っていないそのへんのおじさん(私)が早朝洗濯物を抱えて街角に立っている「だけ」です。困る困らないというのは個人的な心情であり、そんなに破滅的な何かが描かれているわけではありません。戦場の絵というわけではないのですよ。
 であれば、何とでもなる。その自信や余裕。外出時、突然雨が降ってきたりしたときも私はよくそんなことを考えます。
 
 これは困ったぞという解釈は個々人のものであって、見る人によっては雨の中を傘をささずに悠然と歩く男の絵はあえて降雨を楽しんでいるように見えるかもしれません。要するに状況には決定的意味はなく、見る人の解釈の中にこそ本当の意味があるということです。ならば、解釈を変えればいい。人生はそういうものだと思います。
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2016.10.30 00:36

 息子のことを書くと喜んでくださる方がいらっしゃるので、このへんでまた書いてみます。本人いやがるのでやんわりと。
 就職して半年以上たちました。大変なことは多いみたいですね。家内や私にそういう話をフランクにできるのはよかったかもしれません。柳に風みたいなもので、私たちは息子が何を言い出してもそうかそうかと聞いているだけですから。とげとげしい感じになることはありません。いろいろ言いたいでしょう。乱暴なこともめちゃくちゃなことも誰かに言いたい。人間ですからね。
 
 いちいち「それはどういう意味だ?」とか「社会人としてそういう考え方はよくない」とか干渉されたら息が詰まるでしょう。なるほどなるほどと面白がって聞いてやる姿勢がいちばん大切ではないかと考えています。
 ここのところちょっと遠くに通う機会が増えました。どれぐらい遠いかと言うと、片道2時間以上かかることがある。以前は近場だったのが、担当する場所が変わったのですね。夜の電車は混んでいて非常に疲れる。
 
 まあ、高校大学と自転車通学でしたからね。大変だなと声をかける。新幹線の駅に近いところなのですが、まさか通勤に新幹線を使うわけにはいきません。在来線の快速や急行で行く。夜は各駅停車ばかりになってしまうそうです。すると2時間半かかることもある。
 私としては、相変わらず彼の革靴を磨いてやるぐらいでしょうか。靴が非常に疲弊しているので不思議に思って訊いたら、2万歩も歩く日があると言っていました。それでもいやだというような弱音は吐かないですね。幼稚園時代とは違うみたいです。
 
 このまえ新幹線の回数券をプレゼントしました。本人が買ってくれと言ったわけではありません。もともとそういう贅沢は言わない。私の気まぐれで何となく買った。
 本人にすごく疲れた日はこれを使うといいと言って渡しました。2月まで6回だけは楽して帰れるぞと。「お、ありがとう」ととくにうれしそうでもなかったのですが、いちおう礼は言っていました。すごく疲れている様子であれば、こうやってたまには援助しようかなと思っています。
 
 うちは昔から、誕生日にあれこれプレゼントを贈りあったりする習慣がありませんでした。ほしいものがあると言われれば考えますが、彼は私と同じであまり物をほしがりません。誕生日はお互いにただ「おめでとう」と言い合う程度です。
 的確に心を贈るということなのでしょうか。まあ、たいしたお話ではないですけどね。息子の近況です。
 
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2016.10.29 00:14

 ひと昔まえ、サルのイモ洗い文化がよく話題になっていましたね。特定の地域の野生のサルが海水でイモを洗う。そういうことをするのはだいたい若いサルだそうです。好奇心旺盛だからでしょうね。するとイモがおいしくなる。これはいいということで、集団全体に広まる。
 同時期に他の場所で交流のないサルの一群がそういうことをはじめていた。どうして伝播したのかはわからない。伝播と呼べるのかどうかもわからない。しかし同じ時期に同じような現象が起きてくる。
 
 だいたいそのようなお話だったと思います。まったくの偶然なのか、集団の潜在意識みたいな何かがあるのか。
 私個人は何かありそうだなと感じます。個人的にこうしたことはときどき起きますからね。ものすごく卑近な例を出せば、何ヶ月ぶりかであるお店でお昼を食べた。すると身近な人間がやはり何ヶ月ぶりかで同じ日同じ店で食事をしていたことがあとになってわかったりする。偶然は偶然ですが、何かつながりがありそうですね。
 
 ですから、先日「きみ」に呼びかけたような記事は直接「きみ」が読んでくれなくてもいいのです。私が必要を感じて励ましておけば、相手はこのブログからでなくてもどこかから必要な励ましを得るでしょう。そういうものだと信じています。ただ1匹目のサルとして、海水でイモを洗っておく必要はありそうに思うのです。で、記事を書く。
 最近はすべてそんな気持ちで書いています。今日、ある新刊書の宣伝文句に「生きる目的は品格を作ることにある」というのを(うろ覚えですが)目撃しました。
 
 私も以前ブログにそんなことを書いた記憶があります。歳をとって人生の目的はすべての振舞いを理想の姿に近づけることだと書きました。精神面も含めてですね。同じようなことを考えていますが、著者の偉い先生とはもちろん交流はない。私は私の島でイモを海水で洗っていた。その先生はその先生が住まわれている場所で海水で洗っていらっしゃった。
 どちらが早い遅いではなく同時多発的に同じことが起きている。
 
 それだけに私は、どなたかまずお1人が本気でこの世界をよくしたいと望めば、かなり多くの人間がどこかで同じように世の中をよくしたいと熱望すると思っています。平和だとか愛だとか友愛だとか慈悲だとかーー言葉にしてしまうと陳腐ですがーー本気で考える1人目が必要なのです。それは国連とか先進首脳国とか資本主義とか、あるいは国際的に活躍するためには・・・という次元とは少し異なってくるかもしれません。そういうことを度外視して、とにかく無条件に世の中をよくしようという意志を持つ人間が必要だと考えるのです。
 
 
 
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2016.10.28 08:44

 まだ学生のころの話です。都内のあちらこちらの将棋道場に行きました。いろいろな人と指してみたくなるというより観光気分でした。それであちらこちらに行った。渋谷2つ、神田、大塚、池袋2つ、中野2つ、阿佐ヶ谷、吉祥寺、御徒町、西荻窪、新宿4つ、千駄ヶ谷・・・他にもうろうろしたかもしれません。当時は都内にそれだけたくさんの道場があったということです。
 そしてどこの道場にも例外なく毎日いらっしゃっているお客さんがいました。
 
 それこそ開店から閉店までいる。出入りは自由なので、日曜日なんかは途中どこかで食事されたりもするのでしょうね。対局カードというのがあって相手の方が何局指しているかわかるようになっているのですが、1日10局どころか20局も指している。お年寄りだけではないですよ。けっこう若い方(学生さんだけではなさそうでしたが)もいらっしゃった。
 そんなに指してーー将棋に情熱と時間を注いでいてーーどんなに強いかと思うと、そうでもなかったりします。
 
 具体的に書くと級位者で何となく進歩が止まっている。
 一方でめったに来られない方ですごく強い人もいる。私はそういう強い方に憧れてときどき話をしたのですが、仕事が忙しくて日ごろは駒に触る暇もないとおっしゃるのです。息抜きに月に1度か2度やってくる。そして手当たり次第に負かしてしまう。具体的に書くと四段とかでしたね。
 日常的にはほとんど時間を将棋にさけないとおっしゃっていました。この差はどう考えたらいいのでしょうか。
 
 才能が違うという言い方をしてしまえばそれまでですが、必ずしもそうではないような気がしましたよ。惰性みたいな感じになってはいけないということです。
 ときどき勉強はしているのに成績が伸びないとおっしゃる方がいます。けっこう長時間机には向かっている。・・・とすれば理由は簡単、やり方が悪いのです。そのままのやり方を続けていてはいけないということです。たとえば国語なんかだと問題ばかり解いている人がいますね。大量に解く。問1から問8ぐらいまで次から次へと解いて、まるやばつをつけておしまいにしている。
 
 そんなことばかり繰り返していても国語力はたいして伸びません。じっくり本文そのものを読んでください。あやふやな言葉はぜんぶ辞書で調べ、印象に残った言い回し(「と言っても過言でない」とか「絶望せざるをえない」とか「はたと困り果てる」とか)はノートに残しておくぐらいの丁寧な読みを積み重ねてください。問題を解き終わった後も何度も読み返してください。作文に使えそうですか? もちろん大量にはこなせません。1回に1題で十分です。ほとんど将棋を指す暇がないのに強い人みたいになれるはずです。
 
 長い時間をかけて真剣に努力しているのに伸び悩んでいらっしゃる方は、ご自身でなさっている勉強が本当に正しい手順に基づいたものかどうか、信頼できる先生のところに行って確認されるといいと思います。
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2016.10.26 09:03

 きょうはちょっときみに伝えたいことがある。もっともきみはこの記事を読まないだろうが、それでも伝わるだろう。書くだけで伝わるものなんだよ。
 昔、ミッシェル・ポロナレフというミュージシャンがいて、世界中自分のことを理解してくれる人はだれもいないので自分はとても孤独だとインタビューで答えていた。当時、すごい人気者だったんだよ。それでも孤独だと断言する。「自分のような人間は1人もいない」というんだな。私はその記事を「ミュージック・ライフ」という音楽誌で読んだ。わかるような気がしたよ。
 
 クリシュナムルティという思想家がいる。神秘主義者だな。いまのきみは彼を知らないだろうし、読んでもあまり好きにならないと思う。彼もまた多くの偉大な言葉を吐き大勢の信奉者を残したのだが、亡くなるときには「自分のことを理解してくれた人間は1人もいない」という意味の言葉を言い残したそうだよ。この話を読んだときも、わかるような気がして微笑んでしまった。
 つまりそういう世界にきみも私も生きているということだね。マイノリティの難しさはそうした部分にある。
 
 私はきみぐらいのころ、もうちょっと自分のことを放っておいてくれないものかといつも感じていた。いまのきみが感じているとおりだよ。こちらからは害を与えないのだからあちらも無視してくれたらいいのに。相手は先生だったり親だったり近所のおじさんおばさんだったり同級生だったりした。
 ところが歳をとってわかったのだが、私たちにはじつは負の(これは悪い意味ではない)とてつもない輝きがある。それがときにはねたましい。
 
 比喩で書けばこういうことになる。彼らは億万長者で私たちは無一文だ。私たちを見ながら彼らは「億万長者の自分たちがこんなに不安なのに、何で無一文のあいつだけ幸せそうなんだ?」と不満を抱く。とくに同世代はね。彼らのアドヴァイスなんか、ぜんぶ自分たちの不安をごまかすためのものだと思うようになった。
 私はやがていまのように自分を「普通に」見せることができるようになった。見せるというより闇と光が自分の中で和解して自由自在に操れるようになったという感じかな。
 
 世界は間違いなく豊かであるべきで、私はそのことだけを伝えようという気持ちを持っている。生きている目的のすべてが豊かさの体験にあり、豊かさの伝播にあるべきなんだよ。具体的に何を持つということではなく、生きている充足感を大切にしたいという気持ちだな。
 光の側にいる人間にはなかなかできないこともたくさんある。私の言葉はきみに伝わるだろう。それはきみに「明るく積極的に生きろ」なんて言わないからさ。
 
 自身の特質を大切にしてくれ。そしてその貴重な特質を活かせるまでは、生きにくさを上手に自分で緩和してくれ。変わらなくていい。痛みを緩和するだけでいい。
 私はいつでもきみの味方だ。どんなにあちら側に見えても、じつはきみと一緒に偉大な闇の側で生きている。
 
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2016.10.25 04:11

 前回だか前々回だかの教室長会議のとき、ふと「忘れ物をしない生徒は優秀である」という話題が出ました。どの教室長も肯定していたので、そのあたりはきわめて「普遍的な」真理に近いと思います。渋谷教室でもそうですね。誤解のないように書いておきますが、頻繁に忘れ物をする生徒「全員」が優秀ではないという意味ではありません。
 同じような話で「時間を守れる生徒は優秀である」というものもありました。こちらも相関関係はあるように感じます。
 
 明確な理由でもあれば別ですが、ただ「何となく」忘れたり遅れたりというのは・・・要するに生活自体が少しだらしないのです。責めてはいませんが、まずはそのことを認めてください。何となくゆるんでいるでしょう?
 忘れ物をしない人は記憶力が特別いいというわけではありません。覚えているから忘れないのではなく、事前に必ず点検する習慣があるから忘れないのです。予習できなくても何をするのか確認するクセぐらいはついている。「あ、コンパスを持っていくのだった」と思い出す。
 
 コンパスコンパスとずーっと口ずさんでいるわけではない。明日の内容を確認していく過程で、コンパスの必要性に気づく。確認しない人は気づかない。
 中にはコンパスどころかテキストや筆記用具を忘れてくる生徒もいます。おそらく来る前にカバンの中をのぞいていないのでしょう。つまりこれからカバンを持っていく先で何をするかという最低限の確認の手間さえ惜しむ。忙しくてとは言いますが、1分もかからないじゃないですか。
 
 手間を惜しむのは勉強が特別嫌いだからではなく、そういう習慣を持たないできてしまったからです。生活すべてにおいて、事前にきちんと確認する習慣というものを持っていない。それはすぐにでも意識的に身につけたほうがいいですよ。少なくともそのほうが、これからさまざまなことを有利に運べるでしょう。
 時間を守れない代表である遅刻も同じです。いつもいつも少しだけ待ち合わせや集まりに遅刻する人がいます。ほんの5分10分、しかし頻繁にです。習慣になってしまっている。
 
 損をしているのはじつはご当人なのです。怒られる怒られないの問題ではなく、忘れ物や遅刻ばかりしていると相対的評価で絶対に損をします。
 ただ人間は変わりますからね。私は10代のころ遅刻ばかりしていました。それでよしとしていたのですが、20代で意識的に変えました。Z会進学教室に入ってからも、約20年間無欠勤どころか無遅刻です。その間交通機関の混乱、天災による停電、急な体調不良、二日酔い(こらっ!)、身内の事故などいろいろなアクシデントがありましたが、ぜんぶ時間前に来ています。
 
 絶対に遅刻しない主義を貫いているということです。そしてさきほどとは逆に、そのことでいちばん得をしているのは私自身です。少なくとも遅れることだけはないという絶対的信用を得ていますから。
 人は自分がなりたい人間になることができます。そのことは間違いないので、勇気を持って変えていかれるといいと思います。
 
 
 
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2016.10.24 09:11

 何でも勉強になりますね。私たち大人にとってはどうでもいいようなことでも、成長過程の小中高校生には大変な刺激になるからです。先日の、ボブ・ディランがノーベル文学賞を受賞した件なんかも、ご家庭で話してみたら面白いと思います。ボブ・ディランって誰? というところからスタートするでしょうから、音源を聴かせてもいい。ひょっとすると現代っ子(死語かな)は感動されないかもしれません。歌詞を見せると理解が深まるでしょう。受賞対象もその部分にあるわけですから。
 
 なぜこの歌詞がいいの? ということになってくれば、あれこれ話は広がりますね。ノーベル賞を授与した側は最近では無視されたことを非常に怒っているそうですが、それもまたどう思うか話し合うことができます。
 そもそも一方的にノーベル賞を贈った。はじめて歌手(と言えばまあ歌手です)に贈った。小説家や哲学者などではなく、ミュージシャンにノーベル文学賞はふさわしいかどうか。どう思う?
 
 ノーベル賞って何? ということになってきたら今度はその部分を調べてみる。学校の宿題ではないのでネットで見る程度で十分でしょう。
 オリンピックの問題も、どうしてそんなにオリンピックにお金がかかるのか、大歓迎している人が多い半面なぜ批判的な人がいるのか調べたり話したりする。
 そしてまたご自身はどうか。家族だから話せることもたくさんあるはずです。私はオリンピック反対派ではありませんがまったく見ないので、あってもなくても自身のわくわく感は変わらないと昔息子に話したことがありました。
 
 棋士の方のお話も先日書きました。疑わしきは罰せずという言葉が出ていますが、それをどう思うのか確認してみてもいい。それこそ将来司法関係に進もうなどというのであれば、子どものころ和やかなムードの中で家族と話したなあ・・・というのは非常に好ましい思い出として心に残るはずです。
 あれこれ考えさせる機会は無限にあるということですね。他国の大統領選挙のこと、アジアのユニークな国々、ハロウィーンの街中の騒ぎ、白紙の領収書、過労死。いくらでも話題は出てきます。
 
 いい悪いではなく、いろいろな見方を提示しあうだけで面白い。側にいる大人(ご家族とは限りません)がいろいろなことを考えるのが面倒臭いという状態では、子どもは絶対に考える人間に育ちません。勉強そのものを見なくても、勉強を応援することはできます。好奇心の文化。穏やかに話し合える土壌。まあ、そのあたりですね。ぜひひと工夫なさってみてください。
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2016.10.23 02:07

 右足が痛風ではないかという記事をちらりと書きました。5日の水曜日にすごく痛くなった。前日4日は相当の距離を歩く機会がありました。それで痛くなったのかなとも考えた。本当に足を引きずったのは2日だけです。週末は少しよくなりました。
 ただ鈍痛はずっと残っていました。とくに階段を下りるとき、ずんずんと内側で響くような疼痛があります。それでも授業中は1度も座りませんでしたし、保護者会も1度も座らずにすみました。最寄り駅からタクシーで帰宅する日はありましたが、歩いてみた日もありました。
 
 8千歩ぐらいは歩くことができるようになってきた。痛くてもこれはもうほとんど治ったなと考えていました。丸2週間・・・ところが先週また痛みがひどくなってきました。右足の甲の部分です。さらに指が曲がりにくい。
 気をつけて歩いていたので、人間の歩き方というものをずいぶん分析できたような気がします。どこの部分を早めに地表につけるといいか。故障があってはじめてありがたみがわかるということは今回もつくづく感じました。
 
 いろいろ考えたのですが、これ以上悪くなるのは避けたいところです。今回はーー忙しいのでーーお医者さんに行かずに治そうと思ったのですが、行くことにしました。おととい、会議のあとクリニックに直行しました。
 そのクリニックは四半世紀前から通っているところなので、お医者さんとも話が通じやすいのです。以前も痛風の話をしたことはありました。血液検査をして、結果は火曜日に出ます。とりあえず3種類の薬を出してくださった。
 
 何か食べてからすぐ飲むようにと言われたのですが、その時点(午後5時ぐらい)で朝から何も食べていなかった。私鉄駅前のとんかつ屋さんに入りました。そこしかお店がなかったのです。とんかつ屋さんのご主人は何と(!)パジャマ姿で、休憩中だったみたいです。「あ・・・5時からなんだけど」と呟きながら「でもまあいいや」と入れてくださった。ありがたかったですよ。自習に早めに来てしまった生徒がいたら、入れてあげようと思いました。
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2016.10.22 00:25

 ちょっと騒ぎになっていますね。将棋の棋士の先生が、対局中にスマホでカンニングをしたのではないかと疑われているそうです。次の手をご自身で考えずに、コンピュータに教えてもらった可能性があるというのです。
 疑われている先生を私はじかに電車の中で見たことがあります。池袋教室にいたころのことです。噂で聞いていた通りの実直そうな雰囲気で、電車の中でも真剣に棋譜をご覧になっていました。私の印象ではそういうことをなさる感じには見えませんでした。
 
 現在A級にも在籍されている強い先生なのでまさかとは思うのですが、どうなのでしょうね。
 カンニングというのは自分の努力や実力ではなく、点数だけ取ろう結果だけよくしようという行為です。軽い気持ちでということもあるでしょうし、うんと後ろめたい気分でやる場合もあるでしょう。不正行為であるということをわかっていてやるからには、何かしら理由があるのだと思います。また絶対にやらないという人もいる。立派なことですが、その人が神さまみたいにすべてにおいて素晴らしいかというと、そういうものでもなかったりします。
 
 数年前、下の学年でカンニング行為が発覚したことがありました。中3のクラスで私がそのことをぽつりと話した。中3の子たちはすごくしっかりしていて、カンニングなどはまずありません。そのへんはわかっていて話しました。
 するとある生徒が「自分も昔やったなあ」と言うではないですか。塾内と限定するわけではなく、そんな時代があったというのです。すごく優秀で、都立のトップ校に推薦で楽々入っていくような(事実そうなりました)生徒なのですよ。それでもそんな時代があったそうです。
 
 出来心でそういうことをした。それがどこかでーー発覚したわけではないのにーー自分の判断でしなくなったということですね。
 そうした部分に私は人間の持つ大きな可能性を感じます。進化していく、成長していく、更生(?)していく。自分なんかも子どものころは本当に変なことばかりしていました。ときどき身内に、よくまともになったものだと言われましたよ。具体的には書きませんが、情けないことばかりしていたのです。
 
 なぜそうしていたかと言うと、そこには自分なりの理由がありました。恨みつらみみたいなものがあり、反抗できない鬱憤があり、もうどうでもいいから破滅的なことをしてやりたいという捨て鉢な欲求がありました。その中で異常な行動が出てきたように思います。
 悪いことをするのは悪い人だからという決めつけ方はちょっと危険かもしれません。何かの条件が揃うと普通の人が風邪をひくように、何かの条件が揃うと普通の人が不正を働く。そういうことではないでしょうか。
 
 いい人だから不正を働かないのではなく、いまは条件が揃っていないから運よく不正を働いていないだけなのだと私は自分のことを解釈しています。地位のある優秀な大人たちが次々と不思議な事件を起こしたりしていますが、そのあたりのきちんとした認識がないのでずるずるいってしまうのでしょう。
 よりよく、より正しく、より美しく生きるというのは、意識して日々刷新していく必要がありそうです。いい人生というものもまた、時々刻々意識的に更新していく必要がありそうですね。
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2016.10.21 00:28

 先日、保護者会で数学の先生が「役に立つことだけをする」とか「役に立たないから意味がない」という発想を捨ててほしいという意味のことをおっしゃっていました。私はお話をうかがっていて非常に感銘を受けたのですが(保護者会の前にあえて緊密な打ち合わせはしないようにしています。そこはフリーに話していただいたほうがスポンティニアスないいお話がたくさん出てくるのです)、確かに役に立つことばかりしようというせせこましい感情では、器がなかなか作れないと思います。
 
 一瞬成績を上げることはできるかもしれません。しかし、そういう大きな器は作れない。
 これまた将棋の大山康晴永世名人がおっしゃっていたことですが、データに頼りすぎてそれを応用して目先の勝率を上げることばかり考えている(無理はないとも思うのですが)若手棋士に対して苦言を呈されていたことがありました。データに頼り切るのではなく、もっと自分自身で時間をかけてあれこれ考えることで苦労しなさいと言うのですね。そうしないと全盛期が長続きしないとある。全盛期が長続きしないというのは、ちょっとあたっているようにも感じます。
 
 先日ノーベル賞を受賞された大隅先生も同じことをおっしゃっていました。こちらは新聞で読みましたよ。すぐに役立てることばかり考えて研究しているようではだめだそうです。遊びの部分が大切なのですね。あれこれやった結果として、役立つことが出てくるかもしれない。出てこないかもしれない。
 こうなってしまったのは、現代人の生活感覚と関係ありますね。得することばかり考えている。絶対に損をしまいと思う。その発想の延長線上に「役に立たないことをするのは損である」という思想が出てくる。
 
 役に立たないことをできる精神の自由さは大切ですね。
 私はこうやってブログを書かせていただいていて、記事自体はたくさんの方に読んでいただいているので多少はお役に立てているかもしれません。ただ私はつねにどなたにも読ませる予定のないものを自宅で大量に書いています。そのことが文章を書く力を維持してくれているようにも感じます。
 つまり世間的には役に立たないと見えることが、結果的に役に立っているようなところがありますね。
 
 好きなことを損得関係なく夢中でできる精神性と環境が大切ということでしょうか。そんなことをやっていて何の役にたつのか、という短絡的な叱責はちょっと考えなければならないですね。
 
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プロフィール

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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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