2016.09.30 04:05

 最近ちょっと記事にしましたが、巷で日本一難しいのではないかと目されている大学に入った学生さんがどのようなご家庭で育ったかという話題について少しだけ補足しておきます。そうしたご家庭の保護者の方は、悪い意味での過干渉ではないと書かれていました。ご本人の成長を信じてひたすら見守り、ご自身の仕事や家事に打ちこんでいらっしゃった。その空気を感じ取って、子どもたちは自分もやるべきことはやらなければだめだなと内省的に考えるようになる。
 
 ちょっと考えてみてください。こんなケースはまずありえませんが、もしお子さんが毎日毎日保護者の方のお仕事に口出ししてきたらどんな感じになるでしょう。
「今度のボーナスが少なかったのは、日ごろの自分の努力不足の結果だと反省しなよ」「仕事に真剣に向き合えていないように見えるけど」「昇進できないのは無計画で努力不足だからじゃないの」「カバンの中の書類がごちゃごちゃだったよ。あれじゃ認めてもらえっこないよ」「何々くんのお父さん(お母さん)を見てごらん。あんなに偉いお父さん(お母さん)だったらこっちはどんなに幸せだろう」
 
 善意からのアドヴァイスであったとしても、毎日毎日そんなことばかり言われていたら、大人でもノイローゼになってしまいますね。キレてしまうかもしれません。それを逆に私たち大人はやっていはしないか。
 適切に褒めるしかないですよ。これまた少しまえ記事に書いたある生徒、30点台が40点台になり50点台になり最新のテストではついに60点台まで上がりました。今回も本人に廊下で声をかけました。はじめのころの倍ぐらいとっているぞと。
 
 70点台の人も80点台の人もいますから、考え方によってはまだまだだという言い方もできるでしょう。ただそんな辛辣なことばかり言っていて、いまどきの傷つきやすい子どもがぐんぐん育つものでしょうか。傷つきやすい子ばかり育ててしまう現在の社会状況にはいろいろ問題はあるとは思いますが、現実問題として目の前にいる彼らが極端にダメージを受けやすいことだけは確かなのですから、こちらも考えないといけないでしょう。
 
 お子さんがやたらと干渉してきたら、大人は間違いなく「人のことはいいから自分のことをしっかりやりなさい」と言うでしょう。極端に干渉してくる大人に対して彼らは小物感を抱いてしまう。それもまた問題だと思います。
 私自身、そうでした。会社からとんで帰ってきて中学受験を控えた自分のノートなんかをこまごまチェックしている父親を見て、この人こんなことで大丈夫なのかなとよく心配になったものです。尊敬の念なんか全然湧いてきませんでした。
 
 大きな枠で見守るということですね。彼らが自ずから変わっていけるぐらいの大人の凄みを見せないといけないと思います。私たち自身が試されていますね。
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2016.09.28 00:03

 少年のころのことをときどき思い出します。基本的に「何も変わっちゃいない」という感じですね。いくらか品みたいなものはよくなったかもしれません。
 私は中学高校と男子校に通っていました。これがつまらない。幼稚園のときから自分は女の子とばかり親しくなる傾向がありました。男の子とは話が合わないのです。野球やサッカーの話なんかをされても、こちらはルールさえ知りません。それ、何人でやるの? なんて・・・相手もいい加減しらけますよ。
 
 中学生になってからも女の子の友だちというより、話し相手がほしいものだと思っていました。ただ知り合う機会がない。時代的な背景もあったのですね。男女交際はよくないとはっきりおっしゃる先生はどこの学校にもいました。そういうことは中学生高校生には必要ないとおっしゃるのです。
 街中で女の子を見かけますね。学校の行き帰り。電車の中でもバスの中でも女の子たちを大勢見かける。もちろん名前も何もわかりません。でも何か呼称がほしいわけです。「あの子」がいたではつまらない。
 
 当時私はFEN放送でポップスばかり聴いていました。その曲名をそれぞれ気になる女の子につけるようになりました。今日は「ロング・アゴー・トゥモロー」に会ったぞとか「マイ・ボーイ」がいたなという感じで。
 当然、それぞれの外見や個性に合わせて曲名を決めていくわけです。あれは1972年初頭だったかな。「ミスター・ロンリー」で有名なボビー・ヴィントンが「エブリデイ・オブ・マイ・ライフ」という小ヒットを飛ばしました。日本ではシングル盤も出ていません。全然ヒットしませんでした。
 
 あとで調べてみたら、昔のヒット曲を焼き直したものみたいですね。それでもFENでは比較的コンスタントにかかっていました。朝、それを聴いて自宅を出る。当時、学校の近くでよく特定の女の子とすれ違いました。
 私は彼女を「エブリデイ・オブ・マイ・ライフ」と名づけることに決めた。かわいらしい子でしたが、名づけた当初は特に感情が動くことはありませんでした。ところが名づけてしまってから、その曲がラジオで流れるたびにその子を思い出す。彼女と話せないことに胸が痛む。
 
 これはある種の恋だなと・・・まあ、単純なものです。そんな風にして私は女の子をよく好きになりました。自分で物語を作っているだけですね。
 彼女の住んでいた共同住宅は現在完全に閉鎖され、しかしまだ形だけ残ってはいます。さすがにわざわざ見に行く機会はありませんが、電車の中からは見える。するといまでもエブリデイ・オブ・マイ・ライフが脳裏に流れてきます。胸にこみあげてくるものがある。そんな感じで生きているということですね。
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2016.09.27 01:58

 自分で書くのも何ですが、私は変な人であるとは思っています。当然、変な人であることの孤独も味わうことになる。
 どう変であるかということは、いちいち発表しないものでしょう。それはそうですよ。発表して得するよりは、むしろ損をする機会のほうが多いかもしれません。ただ発表しようがしまいが、変な人という素地は厳然として残っています。ヴェルレーヌみたいに「選ばれてあることの・・・」ぐらいに考えられたらいいのかもしれませんが。
 
 以前、突然何年ぶりかで連絡してきた卒業生がいました。大学を出てお勤めされているのですが、仕事がらみで調べていることがあるという。
 20年近く昔になりますが、渋谷の神泉のアパートの空室で一流企業に勤務されていた女性が殺されるというひどい事件がありました。あの事件について「先生、本に書かれていること以外で何かご存知のことはありませんか?」という。
 
 私はなぜ自分に訊くのかと質問してみました。すると「こういう事件について先生以上に興味を持ちそうな人間は他に思いあたらない」という意味のことを答えました。教えていた期間は1年ちょっとだったと思うのですが、さすがによく見ているものだと感心しましたよ。
 確かに私はあの事件のあと現場のアパートも見に行きましたし、その女性が来ていたという飲食店も突き止めて店主のおばさんに彼女の話を聞いたりしました。
 
 写真を持っていないかと訊かれたのですが、床屋さんで週刊誌に掲載されているものは目撃したもののさすがに手許にはないよと答えました。残念そうに「先生でさえ持っていないとなると、もう入手するのは不可能でしょうね」とおっしゃっていましたよ。当時記憶に残っていた週刊誌名は伝えました。
 被害者の女性は私と歳が近かった。じつは彼女が通われていた高校の同級生を私は昔知っていました。しかし、さすがにそこまで調べたりはしないですね。
 
 こうした好奇心はもちろん仕事とは何の関係もないわけで、変な人として自然に湧いてきます。普通は本を読む程度でしょうね。
 ときどきーー疲れているときにーー座れるので、井の頭線を使って吉祥寺から渋谷まで来ることがあります。神泉のあたりを通り過ぎるとき、界隈をうろついた2000年ごろのころを思い出します。自分の本質は、じつはこういう部分にあるのではないかとも思います。
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2016.09.26 03:02

 すでに亡くなってしまった将棋の棋士で花村元司という強い先生がいました。名人戦の挑戦者になったほどで、病気で亡くなる直前まで一線で活躍されていました。アマチュア時代「東海の鬼」と呼ばれていて、特例でプロ入りされて大成した。まあ、特別ですね。才能も努力も運も何もかも特別ということだと思います。
 お弟子さんの1人が森下卓先生。森下先生のことは以前もブログに書きました。私は人間的な意味でーー年下でもあり深くは存じませんがーー森下先生のことは昔から尊敬しています。
 
 森下先生は師匠である花村九段から直接将棋を教わったそうです。普通、そんなことはないものです。師匠がじかにお弟子さんを鍛えるということはめったにない。それを千局以上指したというのですから、ただごとではないですよ。期待も大きかったのでしょう。はたして森下先生も一流棋士になられて、名人戦をはじめ何度もタイトル戦の挑戦者になっています。いまはB級にいらっしゃいますが、師匠の花村先生のようにーーこれはどなたも破ったことのない記録ですがーーたとえば60歳でA級に返り咲いてもまったく不思議ではありません。
 
 将棋を指すだけではないですね。10代の森下少年に花村先生は棋士としての心構えをいろいろと説いています。そうした話は森下先生が直接あちらこちらで発表されています。
 印象に残った言葉に「だらしない生活を送る者はだらしない将棋を指す」というのがありました。これは非常に深遠な教えだと思います。将棋に限りませんね。だらしない生活を送る者はだらしない・・・となるのではないか。
 
 ・・・のところは勉強でも仕事でも競技でもいいですし人間関係でも趣味でも家事でも何でもいいと思います。何をしても根底に「だらしない生活」があってはだめなのですよ。
 これは品行方正であるかどうかは、まったく別問題ですね。単純なものではありません。花村先生にしても賭け将棋みたいなことは平気でなさっていました。そういうことではない。個人として、人間としてだらしなさとは何か。
 
 たとえば私は教えることが自分にとっていちばん大切な仕事だと思っています。教えたり相談に乗ったりということですね。さらにこうしてブログや勉強法を書いたり講演させていただいたり趣味の小説を書いたり「表現」することに力を入れています。だらしない生活を送れば、だらしない授業だらしない表現になってしまう。
 自分にとってだらしなさとは何かということはこれからも真剣に考えて生きていきたいと思っています。
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2016.09.25 00:24

 毎日いろいろなニュースが入ってきますが、それでも知らないことは大量にありますね。知らせてもらえないこととでも表現するべきなのでしょうか。
 ときどきその種の告発本を読むことがあります。そして、こんなに健康に悪いものを食べさせられているのかと驚いたりする。つい先日も立ち食いそば屋のおそばは形だけのそばであり食べるべきではないという記事を偶然読んでしまい、教室長代理のN先生からせっかくいただいた近所の立ち食いそば屋さんの割引券を使えなくて困っています。
 
 これはまた聞きの話であり、私が直接お医者さんから聞いたわけではありません。その程度のものだとお考えになっていただけたらと思います。
 スマートフォンを手放せなくなってしまった生徒がいました。執着ぶりが半端ではないということで、おうちの方がお医者さんに連れていかれた。するとお医者さんは、最近は少年少女のスマホ依存症患者だらけだとおっしゃっていたそうです。そして「こんなものを安易に10代に与えたら依存症になるのはあたりまえでしょう」と叱られてしまったとおっしゃっていました。
 
 経済を停滞させないため・・・ということになるのでしょうか。確かにスマホにはあまりにも依存している方がーー大人にもーーたくさんいらっしゃるような気がするのですが、注意が喚起される機会はほとんどありません。そうした電子機器から少年少女を守ろうという大げさな言説も以前ほどは目にしなくなりました。
 最近、教室でもスマホを授業中いじっている生徒がいた。叱るというより、依存症が心配なので少し放れていられるようにと告げました。それでも瞬間的に何か見ている子がいます。何をするわけでもないのです。ちらりと見て安心する。
 
 まさに依存症の初期症状に見えるのですが、どうでしょうか。
 ただそんな言い方をすれば自分も自宅において音楽の依存症だと思います。ずーっと流している。音が鳴っていないとき私が不在なのかと思ったと息子が言っていました。寝るときも流していることがときどきあるので完全な依存症です。
 そのことに気づいてもいるのです。それなりのコントロールはできている。共存共栄みたいなところがあります。
 
 残念ながらスマホと勉強と、共存共栄とはいかないみたいですね。まあ、意識していてはください。少なくとも授業中は「見ない訓練である」ぐらいには考えられていたほうが健全であるとは思いますよ。
 
 
 
 
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2016.09.24 00:34

 いつも書いていることですが、ご家庭がどのような文化を持たれているかということがそのままお子さんたちの生活に出てきます。これは優劣という意味ではまったくありません。たとえば私自身の家庭にはスポーツの文化がまったくといっていいほどないのですが、そのことで猛烈に後悔したり反省したり劣等意識を抱いたりすることはありませんでした。
 家内も私もそういう人間だったな・・・ぐらいです。
 
 ただそれがそのまま息子に遺伝(?)してしまったことは事実であり、若干の申し訳なさを感じます。彼自身が体育会系の人間ではないのでとくに問題は生じてきませんでしたが、運動関係においては彼は(実技という意味だけではなく興味や知識や常識なども含めて)劣等生ということになると思います。私たち夫婦がそうであるように、スポーツ関係劣等生であってもほとんど気にならない文化圏で生活しているということです。
 ブログを読み返していて、ははあ・・・と感じたことがありました。
 
 偶然読み返しただけですので、いつのものかわからなくなってしまいました。2年半ぐらい前ですね。中1生の講習で向田邦子さんの文章が出てきました。すると「飛行機事故・・・」と呟いた男子生徒がいた。
 向田邦子さんが飛行機事故で亡くなられたのは、それこそ30年以上も昔の話です。それがぱっと「飛行機事故」と出てきた。その生徒とは講習時が初対面でしたので私もあまり突っこんだことは質問しませんでしたが、おうちの方がお好きだったみたいですね。で、すすめられて読んだりはした。
 
 その時点で彼の成績は突出したものではありませんでしたが、私はこの子はすごくできるようになると直感しました。ご家庭の文化的な厚みを感じたからです。向田邦子さんが話題になるご家庭であれば、当然村上春樹さんだとか東野圭吾さんだとか、はたまた芥川龍之介だとか夏目漱石だとかの名前が自然に出るでしょう。
 はたして現在、その生徒は(のち本科生として入会してくださいました)ものすごくできます。正確に書くとものすごくできる先頭集団のさらに上位に入っている。
 
 勉強ももちろんしていますよ。ただ勉強ならーー程度の差はありますがーーそれなりに皆さんしてくださっています。やはり文化は大きいですね。比喩的に書けば、日々何を食べているかということがじつは健康管理の基礎であるように、日々どのような文化の中で生活しているかが成績管理の基礎でもあるのです。
 私は息子が極端に成績不良だったときも全然はらはらしませんでしたが、それは彼が家内や私の文化圏にいるからでもありました。
 
 本好きで穏やかな両親に育てられているわけで、どこかで少しやりはじめれば変わるだろうという落ち着いた気持ちは持っていました。ご家庭の文化でなるべくしてなる部分は、とてつもなく大きいと思います。
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2016.09.23 00:20

 ブログの右側の学習法コラム「こちらから」をクリックしていただくと記事に飛べるようになっています。毎回毎回純粋に勉強のことだけを書いています。週にだいたい1度ずつ更新していく感じでしょうか。現在36回目まで来ています。
 じつは、かなりの人数の方が読んでくださっているということがわかってきました。多少なりともどなたかのお役にたてるのであれば、しばらくは続けていきたいと考えています。
 
 と同時に、もうすべて書いてしまって書くことがないという状態にもなりうるわけですね。この人、また同じことを書いているよとなりかねない。そのことを意識して、最近こちらのブログでは以前ほど学習法については書いていません。もうちょっと大きな枠でーーときどき音楽や飲み屋さんのお話なんかも混じっていますがーー生きることについての考察みたいな感じにしていきたいと思います。それこそ「幸せに生きるヒント」になればいいかなと。
 
 学習法コラム36回目の最新記事ですが、小学中学高校生の方はぜひ読んでくださったらいいと思います。学校の授業と教科書が基本中の基本であり、絶対に軽んじてはいけないということを書きました。
 ときどきいるのです。学校でいい加減に授業を受けていて、成績が上がらない上がらないと嘆く生徒が。それはそうです。いくら塾に来てくださっていても、教科書はろくに読まない、学校の授業中はうつらうつらしている・・・では絶対にできるようになりません。
 
 だってつまらないんだもんとおっしゃる方もいますね。特定の授業がつまらない、ある先生が自分に合っていない、塾のほうが面白い。あるいはそういうケースもあるかもしれません。どうするかはあなたの自由と選択ではあるのですが、仮に「できるようになりたい」と本気で考えていらっしゃるのなら、どんなときでも学校では全力で授業を受け教科書を覚えていくしかないと思います。
 いろいろな先生の授業を受けることは、じつは人の話を効果的に聞く能力を養う最高の訓練になります。聞いて理解するコミュニケーション能力を向上させるということです。
 
 授業を通じて知識のみを得ようとするから役に立たないなどという大胆な勘違いが出てくる。知識だけであれば、それこそ自学自習でも何とかなるかもしれません。やりとりを通じての人間力みたいなものが培われていくことを忘れてはいけない。きっちりと正確に聞く力、集中する力、こちらが理解していることを相手に伝える力、周囲がどうであれきちんとできる忍耐力や独立心・・・そうしたものを得るチャンスを毎時間毎時間捨てているようでは、成績が上がるわけがありません。
 
 教科書もそうです。学校の先生がなぜかあまり使わないので読まないという生徒がいますが、教科書はすみからすみまで(欄外まで)必ず目を通してください。入試は基本的には教科書の内容を出すことになっています。まずは教科書をぜんぶ理解する。覚えるべきことは覚える。
 基礎をしっかりやりたいとおっしゃりながら学校の授業や教科書を軽視している人は残念ながらとても多い。予習復習を含めて、学校の授業は「いまから」大切にしてください。後悔することはありません。いまからで大丈夫です。
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2016.09.21 00:18

 先日、失恋についてのコメントをいただきました。それでちょっといろいろなことを考えました。
 失恋というのは、間違いなく非常に繊細で美しいものです。世の中から失恋という要素が完全になくなったら、どれだけの詩がどれだけのメロディーがどれだけの寛容さや優雅さが失われるだろうと思うと恐ろしい気持ちになります。
 失恋があったからこその美しい過去を、じつは多くの方が持っていらっしゃるのではないでしょうか。
 
 私なんか幼稚園のころから失恋だらけでしたから、逆に言うと美しい思い出ばかりです。これからも老境に向かって、どんどん失恋しようと思います(冗談ですよ)。
 ときどきあまりにも慎重すぎて、恋ができないという人がいます。失恋するのがこわいという。結婚したくてもうまくいかなくなったり別れてしまったりするのがこわい。それこそ相手が好きだと言ってくれても、どこまで信じていいのかわからない。慎重に慎重に様子をうかがい続けるうちに、とうとう相手が好きなのかどうかわからなくなる。
 
 志望校を決めるとき慎重になりすぎる人がいますが、同じような感じです。A校とB校とC校、一長一短があります。どこが本当に自分のためになるのかよくわからない。わからないので第一志望というものがなかなか決まらない。だから勉強に身が入らないという変な現象さえ起きてきます。
 よく考えなさいと言うと、もはや疲れてしまって本当の自分の気持ちがわからないと答えたりします。
 
 中心はご自身にあるということを思い出されるといい。エゴを強くという意味ではありません。あなたはあくまでも全体の一部ですが、部分としては中心にいます。
 あなたが中心なのですから、そこから恋愛して仮にうまくいかなくなったとしても、それはそれで自分物語が進行しているというだけです。あなたがしっかりしていて魅力的なかぎりはすぐに次の恋もおとずれるでしょう。
 
 同じようにあなたが勉強や生活がしっかりしていれば、迷われているどの学校に進んでも同じぐらい成功するはずです。格闘技世界王者の青木選手が自身がうまくいかないことを「業界」のせいにするなと書いていらっしゃいましたが、そういうことだと思います。
 失恋や進んだ高校ぐらいでつぶれてしまうとしたら、自分が悪いという「生きる覚悟」は大切だと思いますよ。私なんかでも、昔いくつかの塾をうろうろしていた時期によく考えたのは、魅力的な先生であるかぎりは仕事は絶対にあるということでした。
 
 全体の物語をよくしていく義務は私たち全員に課されています。要するに、あなたも世界を救う義務があると考えてくださったらいい。
 ただそれとは別に自分物語をよりよく生きる知恵は持たないといけない。それこそ1円たりとも絶対に損をしたくない、つねにつねに得を続けたいという委縮した意識で本当に何かをなすことができるかどうか。全体の部分である「自分物語」を試行錯誤で面白く生きてやるぐらいの余裕と勢いを持つ。失恋もまたそうした試行錯誤の宝だと思いますよ。
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2016.09.19 08:22

 ・・・という曲があります。1971年から72年にかけて全米でヒットしていました。ベバリー・ブレイマースと読むのかな。髪の長い白人の女の子が歌っていた。調べてみると私より年上みたいです。
 ただこの曲は日本ではまったくウケませんでした。なぜそんな曲を知っているのかというと、当時FEN放送を四六時中聴いていたからであって、日本のラジオ局では1度も聴いた覚えがありません。そもそもシングル盤は出ていたのかな?
 
 ただそのころのミュージック・ライフ誌で、私は彼女のアルバムの広告を見たことがあります。アイドル系にあまり興味がなかったので心を動かされることもなかったのですが、哀愁を帯びたメロディーは本当に素敵だと思いました。
 彼女の容姿は白人の中の白人という感じ(?)で、手脚が折れるほど細いイメージを持ちました。写真ですけどね。極端に痩せた女の子というイメージです。
 
 この曲については長いこと忘れていたのですが、数年前ブログを書くために家内のパソコンを触る機会についでに昔の曲を調べるようになり、再発見しました。
 72年当時のプロモーション・フィルム以外にもたくさんの映像が出てきました。少女時代の彼女とおばさん(失礼)になった彼女が交互に歌う映像もあり、歳をとるということに関して考えさせられました。歳をとりあんなに細かった彼女も貫禄みたいなのが出ているわけですね。
 
 ただ声は変わらない。昔の音源に合わせて作ったフィルムなので当然と言えば当然なのですが。そこにある種の悲しみみたいなものも感じました。歳をとった彼女が悪いというわけではないのですが、いつまでもこの歌(歌詞もよくわからないながら非常に感傷的な感じです)を歌わなくてもいいだろうという複雑な感情ですね。
 それでもときどき聴いて(見て)いました。それだけいい曲なのです。
 
 最近、久しぶりに検索してみたところ何と彼女の今年のライブ映像にヒットしました。やはりこの曲を歌っています。66歳になるわけですが、とてもきれいな声で20代のころとそう変わりません。
 彼女はヒットに恵まれなかった極東の島国で、まさか彼女のことを気にかけている東洋人(私のことです)がいるとは思わないでしょうね。不思議な世の中になったものです。
 
 
 
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2016.09.18 00:11

 先日、有名な挌闘家の青木真也さんの著書を一気に読んでしまいました。非常に読みやすい本で、また内容もすごく面白かった。「空気を読んではいけない」というタイトルです。
 青木真也さんという方は私はずいぶん昔から注目していました。とにかく強い。強いですよ。その時点その時点で、日本人選手が倒せない海外のビッグネームを次々と撃破しています。私は格闘技マニアではないので表面的な戦績しか知らないのですが、あまりにも強いせいかある種反感を持たれることもあったようです。
 
 詳しくは直接読んでいただけばいいのですが、私がいつも話題にしている将棋界の巨星大山康晴永世名人と同じことをおっしゃっていたので「ははあ・・・」と思いました。試合や練習のあと人と絶対食事に行かないそうです。そうやってなれあってはいけないという。
 つい最近も書きましたが、大山名人は対局のあと皆さんでどこかに行こうとなったとき「私はここで失礼します」と断れる人間であるかどうかが超一流とそれ以外を分けるとおっしゃっていました。同じですね。
 
 青木選手はある大試合の勝利のあとで豪華な打ち上げや祝勝会に繰り出したりせず、余っていたシウマイ弁当を食べて帰宅したと書いていらっしゃった。すごい平常心というか何というか・・・浮かれないということですね。きちんとご自身を管理されているのはすごい。
 また欲望がとっ散らかっていては叶うわけがないとも書かれていた。格闘技に命を賭けていると言いながら、青木選手から見るとそれほどには思えない選手もいる。青木選手ほどのストイックさを持っていない。
 
 ときどきどうしても何々大学の何々学部(すごく難しいところ)に現役で入りたいという相談を受けることがありますが、場合によっては「勉強以外すべてあきらめる気持ちでやるといい」とアドヴァイスするケースもありますよ。高校時代をみんなで楽しく・・・などと言っていたら絶対に届かない。
 絶対に入りたいというのであれば、部活も何もあきらめて勉強につぐ勉強で生活するしかない青春もあります。選択はもちろん本人次第です。つらければやめてもいいと思います。
 
 青木選手は世界王者ですから要するに世界1です。東京1でも日本1でもなく世界1になるためには、やはりこれぐらいの壮絶な覚悟が必要なのかもしれないですね。
 世界1を目指される方はぜひ読んでみてください。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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