2016.07.18 08:01

 学習法についてはべつの記事(ブログの右側に入口があります)で書いているので最近はあまりこちらに載せていないのですが、ときどき読解力をつけたいというご相談をいただくので再度書いておきます。
 まず本当に読む力をつけたいというのであれば、あなた自身が作業をしないといけません。わかりますか? たとえば熱が出て解熱剤を飲んだら熱が下がった。これはあなたの身体の中の作業であって、あなた自身はたいしたことはしていません。
 
 少なくとも意識的な努力ではない。身体の機能が薬の助けを借りて自動的にあなたを元の状態に復元してくれたということです。読解力をつけるというのはこうした自動的な作業とはまったく別の次元のお話です。あなたがきわめて「意識的に」やるべきことをするしかありません。
 やるべきことはひと言で言ってしまえばものすごく簡単です。とにかく読む。それだけですね。
 
 大人の文章を読む。説明的文章、評論、論説文の類。私は生徒たちに毎日15分は新聞を読めと言っていますが、新聞をとっていらっしゃらないご家庭であれば、高校入試問題(市販の入試問題正解で読めます)のいわゆる論説文ですね。それを片っ端から読む。全県読み尽くす。全県読み尽くしたらもう1度読む。終わったらもう1度読む。
 自分が理解できるスピードで読んでください。大人ならさっと読めますが、場合によっては辞書を引き引き20分ぐらいかかるかもしれません。辞書は当然引きますよ。わからない言葉や言い回しを残している状態は読んだとは言えません。
 
 さらに要旨を頭の中で思い浮かべる。ノートにまとめてみてもいいと思います。うんと簡単でいいですよ。科学技術には危険な側面がある。たとえばこれこれこういうこと程度でけっこうです。まとめておけば作文のネタに使えるでしょう。
 そしてまた自分なりの意見も考えてください。「へええ」だけではいけない。そんなこと言ったって科学技術は便利だしどんどん進歩する一方じゃないかとか、いろいろあるはずです。
 
 それを少なくとも2日に1度はやる。大人の文章を辞書を引きながら読んで要旨をまとめ自分の意見を思い描く。問題まで解かなくてもけっこうです。そこまで解析的に読めば解けるに決まっていますから。
 スピードはだんだんついてくるものです。ですからはじめは急がない。一文一文確認しながら進めていく。自分が理解できるスピードで丁寧に丁寧に読む。読む量を稼いで質を変える。簡単なことです。簡単なことなのに、すぐにもっと楽な方法はないかと探しはじめる。読む作業がすべてです。自分自身を鍛えるということです。
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2016.07.17 05:46

 今日は仕事ですが、授業そのものは終わっているのでーー次は夏期講習ですーーこのまま渋谷教室には行かず名古屋に直行します。13時からイベントがあり、その後半でお話することになっています。
 おかげさまで広い会場が満員になったそうです。どうもありがとうございます。第1部第2部とも通してご出席いただくと3時間近い長丁場になってしまいますが、中学生の方もできるだけ退屈なさらないよう面白いエピソードをご紹介したいと考えています。
 
 お話をするときにがちがちに台本を作ってしまうと、ちょっとつまらなくなりますね。そういうものです。原稿を棒読みする感じの説明はとてもわかりやすくまとまっているものの、何となく眠くなる。そういうご経験はどなたもおありでしょう。
 そうかと言って無手勝流(?)でお話できるほど私は熟達した話者ではありません。プロの講演家ではありませんから。だいたいのことをメモにまとめておいて、少しずつ話題を変えていくという感じでしょうか。
 
 基本は「希望を持っていただく」ということで、それ以外狙いはありません。保護者の方にもご本人にも希望を持っていただく。あるいは視点が変わればそれもまたありがたいと思います。勉強はいやなものだとばかり思っていたのが、ひょっとしたら面白いかもしれないと感じるということになればそれはもう大成功です。お話してよかったとなります。
 私はお若い世代の方こそ矛盾した世界に対する最終兵器(?)だと思っています。矛盾解決の最終兵器ということですね。
 
 世の中のことを何ひとつ知らなければやっぱり何もできない。ぜんぶ知ることはもちろん不可能ですが、何も知らないというのではあまりにも非力です。自分の得意分野のことが当然のように詳しくなってくる・・・勉強の延長線上はそういうことですよ。特定の分野だけでも強くなる。強さの自覚があると、他者に優しくできるようにもなります。
 日帰りですが、帰りの切符は直接買う予定です。ぶらっとこだまプランはやめました。前回(2月15日の記事)のようなことがありますからね。
 名古屋の方(遠くからいらしてくださる方も)、よろしくお願いいたします。
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2016.07.16 00:17

 バイキング(形式の)料理という名称を知ったのは小学生のときだったと思います。当時は珍しかったですよ。「いくらでもおかわりしていい」と聞いたものの理解できませんでした。私は私立小学校に通わせてもらっていたぐらいですから、実家はそんなに貧しくはなかったのでしょうが、それでもたとえばコーラなどは特別な日しか飲ませてもらえませんでした。昭和40年代のはじめは皆さんそんなものでしたよ。
 それが飲み放題どころかごちそうも食べ放題というのですから、にわかには信じられませんでした。
 
 父親に話したところ、そういうレストランはあることはあるがお前たち(私や妹)を連れて行くのはちょっと恥ずかしいからだめだと言う。なぜ? と訊いたらお前たちは大はしゃぎしそうでみっともないからと言うのです。当時はひでーなと思いましたが、彼の言わんとしたことはいまの私にはよくわかります。
 現在はホテルの朝食がバイキング(ビュッフェ)形式になっていますね。とくに高級ではない普通のシティホテルでもそうです。
 
 じつは、あれ楽しくて好きなのですよ。私はふだんは朝は何も食べずにコーヒーを飲む程度なのですが、ホテルに泊まったときは必ず朝食をとります。そもそも朝食が含まれた宿泊パックを予約していることが多いので、食べないのはもったいないでしょう。
 昔家族旅行したときひどい二日酔いで、私だけ朝食をとらなかったことがありました。家内と息子だけが食べてきた。私は寝ていました。小さかった息子に笑われましたよ。あれは豊橋だったな。
 
 ホテルのバイキングはなかなか奥が深くて難しい。はじめにだいたいジュースを飲みます。本当はグレープフルーツジュースを飲みたいのですが、血圧の薬に「グレープフルーツは摂取しないように」と書かれています。そこでだいたいはオレンジジュースを飲む。
 するとふらふらと流れでスクランブルエッグやポテトフライやふだんは食べないかりかりのベーコンやソーセージなんかをとってしまいます。そしてサラダも。するとどうしてもご飯ではなくパンになりませんか。
 
 で、周囲の方を見ていつも次こそはご飯と味噌汁にしようと思う。後悔と書くと大げさですが、あれ? あんな焼き魚もあったのかとか煮物や冷奴もうまそうだなとか考えます。
 その気になればもちろんおかわり出来ますよ。洋食のあとで焼き魚や味噌汁をとってくる権利は保持している。しかし、ちょっと見栄みたいなのが出てくるのです。よく「そんなこと、誰も見ていやしないから」という言い方がありますね。とんでもない! 
 
 私はそういうところでずーっと観察しているのです。趣味ですから。あのサラリーマンおかわり何度目だよ。あの奥さん旦那さんの2倍以上食べているじゃないか。朝からぜんぶ甘いものばかりでいいのか。ビールなんかいったいどこらか出てきたんだ? デザートのあとにカレーかよ! そうやって1人で無言でつっこみながら周囲を観察しています。
 お前たちを連れて行くのは恥ずかしいと言っていた父の気持ちもわかるような気がしますよ。
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2016.07.15 00:52

 30代のころの知人の話です。いわゆる「ぱっとしない」という表現がありますね。あまり優れていない、どちらかというとくすんでいる・・・ぐらいでしょうか。ぱっとしない成績という使い方のときは、平均よりは確実に下というイメージがあります。
 人間自由に生きていいわけですから、必ずしもぱっとしなくてもいい。私たちには、ぱっとしないで生きる自由もあります。ただご本人が内心ではぱっとしたい(?)のにそうではないという場合は、いろいろと原因を探る必要がありますね。
 
 その知人はたとえば仕事が続かない、異性運がない、健康状態もあまりよくないといわゆるぱっとしない生活が続いていました。深いおつきあいではなかったのですが、見ていて勉強になることはいろいろありました。
 常日ごろからあまりにも大きなことばかり口にする。夢があるのはいいことですが、現実とあまりにも乖離していました。「おれもこんなばかばかしい仕事はさっさとやめて海外でいい暮らしをしたい」みたいなことばかり言っている。そして会社をやめること「だけ」が現実化して、困惑したりしていました。
 
 おつきあいしている異性のことも悪しざまに言う。そしてそのうち「自分にふさわしい」うんとお金持ちの素敵なお嬢さんと知り合って結婚して楽をするなどという話をしていました。
 彼は仕事がうまくいかないことや異性運がないことについて、いちいち理由をあげていました。とんでもない上司がいるとか、恋人のお身内がどうだとか。聞いているとそれなりに理屈は通ってもいます。
 
 ただ私は一定期間見ていて、やっぱり原因はもうちょっと根本的なところにあると感じました。友人というわけではなかったので直接伝えたりはしませんでしたが。
 外的要因ではなくご本人の中にある。夢を語るのは悪いことではありませんが、その自分がこんなつまらない仕事を・・・などと不平不満だらけでいい加減に日々を過ごしてしまってはうまくいくわけがないということですね。「そのうちでかいことをするぜ」ではなく、望みがあるのならこの瞬間からはじめようねということです。
 
 大きな夢が叶ったあなたはいまのあなたと同一人物です。つながっています。であれば、いまからスタートしなくてどうするのですか。受験のお話だけではないですよ。私たちは自分自身にふさわしい現実を引き寄せるようにできています。現実に不満があるのであれば、いつかどこかでとは考えずにいますぐしっかり調整していかないといけないですね。
 すごい人になりたいのであれば、いますぐすごくなろうとしなければだめです。すごくならなくてももちろんいいですよ。安心してください。それはあなたの自由です。
 
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2016.07.13 01:14

 句読点というのがありますね。私は10代から文章を書き続けてきて、50歳ぐらいのときはいちおう完成したような気持ちでいました。文体というか、スタイルですね。いい悪いはべつにして、だいたいこんな感じの文章を書くなという型ができたように考えていたのです。
 ところが最近、まだ変化していくなという気持ちになります。具体的に書くとたとえば読点「、」ですね。この関係について悩むようになりました。
 
 句点「。」はさすがに悩みません。以前と同じです。しかし読点は悩む。どちらかというと、以前ほど置きたくないのです。置きたくないのですが、文章が長くなればどうしてもーーわかりやすくするためにーー置く必要が出てくる。しかし、つけたくない。いっそのこと文を短くしてしまおうかということを考えます。読点を入れたくないという理由だけで文章を短くした時期はなかったので、これは変化なのでしょう。
 
 先日、ある方と俳句の話をしました。酒席での話題だったので、そんなにまじめなものではないですよ。その方が歳をとってたとえば長編映画のDVDをずーっと見ているのが苦痛になってきたということをおっしゃっていた。集中力が衰えてきたのかもしれない。それよりは瞬間的にぱっとつかめる俳句のような芸術のほうが惹かれるとおっしゃるのです。
 私は俳句を特別好む人間ではないのですが、確かに和歌でさえ多少まだるっこさを感じるときはあります。
 
 難しい。短すぎてもまた何も感じない。「真」とか「善」とか「美」とか1文字だけではあまり伝わってくるものがない。ただそれが17字までくると組み合わせの妙味によって強く伝わってくるものがある。
 昔も書きました。有名な自由律俳句で「咳をしても一人」というのがあります。これは「咳をしなくても一人」のほうがよりいいのではないかと言ってきた生徒がいました。鋭い。勉強ができるようになりたければそうしたことを考えるべきではあるのです。それこそ文化です。
 
 彼はいまカンボジアにいるのかな。こういうことに気づける人間だけが真の国際化に寄与できるような気持ちはありますね。中学生の方、違いがわかりますか? 
 咳をしても一人。
 咳をしなくても一人。
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2016.07.11 00:17

 夏は大好きなのですが、もうあまりそんなことも言っていられない歳になりましたかね。昔は行きも帰りもうれしくて駅まで歩いたりしましたが、現在は炎天下を20分(ぐらい)てくてく行くのはちょっと危険ではないかと用心して歩くとしても帰路だけにしています。
 帰り道は深夜ですからさすがに熱中症になったりはしないでしょう。それでもけっこう汗をかきます。気持ちいいですけどね。
 
 どなたかに電話をかけるときは基本的に電話ボックスです。携帯電話はなるべく使わない。とくに長くなりそうなときはボックスに入ります。するとこれがまたものすごく暑い。サウナに入ったみたいです。夜でも異常に暑い。
 このまえこういうことがありました。ある晩、近所の電話ボックスのドアをあけたら蜘蛛の巣がかかっていました。正確に言うと、ドアを開けたことで蜘蛛の巣がちぎれてしまった感じです。
 
 大きな蜘蛛が1匹大慌てでボックスの角に逃げていった。巣そのものがかなり大きめでした。ははあ・・・と思いましたよ。昼からどなたもドアを開けなかったのでしょう。でなければあんなに大きな巣が完成するわけがない。それだけ電話ボックスの使用率が低くなっているのですね。人通りはたくさんあるのですよ。
 街のチケットショップでは50度数のテレホンカードがいまや250円で売られています。少なくとも私が買っている荻窪の店ではそうです。
 
 柄もとんでもないものが混じっています。先日無差別に購入した4枚のカードの中に結婚式の引き出物で配られたものと思われるカードが入っていました。ウエディング・アニバーサリーとあり、日づけとご夫婦のお名前と住所、電話番号まで明記されています。1990年にご成婚されたものなのですが、おいおいこんなものまで売っちゃうかなーと思いましたよ。
 これを入手したのは先月ですから、売られた方も4半世紀たっていて「ま、いっかー」みたいなお気持ちだったのでしょう。
 
 ほかにも「さよなら国鉄小山駅」とか「勲四等瑞宝章受賞記念」だとか「おかげさまで10万世帯TOKYO CABLE TV」だとかすごいテレホンカードを私は持っています。趣味ではないのですよ。生きているうちに自然にそうなりました。
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2016.07.10 00:12

 17日の日曜日の名古屋講演会、とうとう会場が締切りになったというお話が入ってきました。びっくりするぐらい遠くからの方もいらしてくださるということで、どうもありがとうございます。
 前日は普通に仕事がありますから、当日の朝新幹線でうかがう予定です。翌日もまた普通に仕事が入っているのでそのまま帰ってこようと思います。今回は「ぷらっとこだまプラン」は使いません。まあ、いろいろ考えたのですが。
 
 講演は2部構成になっていて、私は後半お話します。要するに勉強というものをどう考えたらいいのか、なぜしなければならないのか、どうしたら上手にできるようになるのか、気づいていなければならないことは何か、具体的にどんな手順で進めるといいのか・・・ブログに書いてきたことばかりですが、まとめてお話する感じになりますかね。
 じつは11月には地方のある公立中学高校からも講演のご依頼をいただきました。そちらでもまた同じようにお話しようと考えています。
 
 私は私なりにささやかでも自分にできることで世の中のお役にたちたいと考えています。お役にたつというと大げさで、より希望を持っていただきたいという感じですかね。希望だとか頑張ろうという気持ちだとか世の中捨てたものではないとか、そうしたものを投げかけていきたいと意識しています。
 それが自分の日々の全生活のあたりまえになるといいなとも考えています。以前、橋を架ける者の記事を書きました。自分なりに橋を架ける者として生きたいということなのだと思います。私はあきらめていないですよ。
 
 そう言えば今日は選挙ですね。すでに期日前投票には行ってきました。便利になりましたね。昔は期日前投票が簡単ではなかったのでーー塾の先生は日曜日朝から晩まで働かなければなりませんからーーやむなく棄権してしまうときもありました。
 意図的に棄権したときもありましたが、今回は感じるところがあり応援したい候補がいらっしゃったので、あえて早めに投票してきました。私の投票した方が当選するかどうかはわかりませんが、こうすることは何もしないよりは橋を架けているという感じはします。
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2016.07.09 08:35

 いわゆる反抗期というものがありますね。あってもいいと思います。うちの息子は「おれには反抗期らしい反抗期はなかったな」と言っています。これは私から見れば当然のことであって、非常に気をつけて思春期の彼とのコミュニケーションを図っていました。だから大きな問題は生じませんでした。
 叱らないとか迎合するとかではないですよ。それなりに厳しくはしました。ただ愛情はひしひしと感じさせた。家内が何かで叱って「お父さんに言いつけるよ!」と言った。すると息子は「お父さんはおれが大好きだから大丈夫」と笑顔で答えたそうです。
 
 高校時代、友人と2人で北海道を回ったことがあります。約半月かけて半周した。当時はユースホステルという安い宿屋があり、夜行列車を使って移動したのでそんなにお金はかかりませんでした。半月のあいだ、私は1度も自宅に連絡を入れませんでした。電話もかけないしハガキも出さない。友人はハガキを書いたり公衆電話で話したりしていました。私は自分にウソをつきたくないのだと言いました。
 帰ったら両親に怒られましたよ。ハガキの1本ぐらいよこすものだと。内心で「ハガキの1本も書きたくない家庭にしたのはそっちじゃないか」と思ったものです。
 
 ときどき「反抗期で親の言うことは何ひとつ聞かないので、先生から言ってください」という依頼を受けることがあります。もちろんいやではない。いやではないですしいくらでもそうした依頼は引き受ける用意があります。責める気持ちもまったくありません。
 ただそうではないご家庭もものすごくたくさんある。非常に円滑に意志の疎通ができている。もちろんときには喧嘩をしたりもするでしょうが、「何ひとつ聞かない」という状態ではない。
 
 親の言うことを「何ひとつ」聞かなかった私自身はそういう関係を構築したのはあちら(つまり親)側だと思っていました。自分の気持ちなんかまったく理解しようとしてくれないではないかと。子ども側から見て「取りつく島がない」ということです。だからこちらも盲目的に反抗した。
 子どもも不幸ですし親だって不幸です。そうした状況であれば、そこからよりよい方向に舵を切っていこうという意志を持つ必要があるかもしれません。子ども自身が歩み寄る以上に親側は歩み寄らないといけない。相手はまだまだ未熟ですからね。
 
 その意志をすでに放棄されているのだとしたら心配です。うちの子は何ひとつ聞かないとあきらめてしまわず、少しずつ風通しをよくしていく努力はいますぐはじめられてもいいと思います。
 慌てて話し合う必要はないかもしれません。しばらく何も言わずに放っておく、期限を定めて自分の思うようにやってごらんとアドヴァイスする、日曜日に親子でひたすら自然の中を探索する、プレゼントを買って「何のためのプレゼントか考えて」と謎をかける、反発する理由を怒らないから正直に3つあげてと言う・・・やり方は無限にあります。それを考えることすら面倒だというのは、やっぱりちょっと心配かなあ。
 
 自分が変われば世界が変わります。自分が変われば他者との関係も変わります。自分が変わればすべてが変わる。人生は、そういうものだと思います。
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2016.07.08 09:06

 昔もこんな話を書いたことがあったかもしれないですね。私は複雑な環境で育った(ような気がします)ので少年期から「友情」というものをかなり強く意識していました。家族に対してはあきらめの気持ちが強かった。ここにはもう居場所はない。深く打ち解けあうことは到底できそうにない。価値観が根本的に違う。
 だからこそ外の世界に価値観を一にするような親友を見つけたいという思いがありました。やっぱり主に同性でしたかね。
 
 ところがそれもまた難しい。小学校中学校高校といろいろな友だちができましたが、関係性がまた複雑でした。
 面白いやつはいるのですよ。いくらでもいる。ただまったく尊敬できなかったりする。ただ面白いだけでーーそれも屈折していて面白いーーこういう連中とそれこそ人生の真理について徹底的に語り合おうという気持ちにはなれない。騒ぐだけみたいな関係はむなしいと言えばむなしいですね。
 
 また周囲にはりっぱな人格者というのもいました。いかにも大人物というタイプ。勉強はできるし温厚でだれもが一目置いている。ところが今度は全然面白くないのです。それこそ「いたずら電話をしよう」と誘ったら説教されてしまいそうです。「そういうことをしたがる自分が恥ずかしくないのか?」とか。それもまた息が詰まる。
 理想を言えばいたずら電話は積極的にするものの、人生の真理について話せる相手・・・しかしそんな人間はめったにいないですよ。
 
 ある時点から、自分は親友信仰みたいなものをなくしてしまった気がします。むりだなとあきらめた。
 大人になるにつれて、あのときの他者への渇望は自身の空虚さをごまかしたい気持ちだったのかもしれないということを考えるようになりました。要するにあの当時の自分は「孤在」(造語ですよ)していることができなかった。何かしら頼りない感情が出てきて、友情という形でだれかと共にいたいと願う要素が大きかったみたいですね。
 
 私は友情というのはとてもいいものだといまも思っています。他者に対してそうした感情も持ちますが、べたべたした感覚はなくなりました。遠くからうなづきあうぐらいがちょうどいいですね。
 
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2016.07.07 01:16

 今週は1度しか休めないので、火曜日以外はすべて記事を書きます。ときどきそういう週があります。もっとも半分だけお休みがとれる「半休」という制度があるので、その半休を2回いただこうと思っています。半休2回でちょうど1日分のお休みになるのです。
 今日木曜日は本部で講師の先生方とのミーティングがあり、金曜日はやはり本部で各教室の教室長や教室長代理が集まる教室長会議というものがあります。講師ミーティングのときは簡単な挨拶をするのですが、私はなるべくくだらないことを喋るようにしています。
 
 くだらないことというのは文字通りくだらないことです。そういう場所で私は真面目なことをお話したくないのです。時間がないので、各教室話すとしてもせいぜいほんの1分か2分程度です。しかし、仮に2分だったとしてもぜんぶで11教室あるわけですから20分以上になりますね。
 つまらないですよ。20分間、いれかわりたちかわり真面目な話なんか聞かされても。ですから真面目なお話はほかの方にお任せして、私は変な話しかしません。ずっとそうです。
 
 お話する機会があれば、渋谷教室のトイレの話をしようと考えています。先日、すごく不思議な出来事がありました。どう考えたらいいのかわからないような不思議なこと。
 いまもあれはどうしてだろう? と考えることがたびたびあります。「先生方のお力で1人でも多くの生徒さんを入会させてください」などという話の何倍も面白い。私はほとんど営業の話はしませんが、生徒は入ってきてくださいます。いい授業を展開して明るく柔らかい空間を作っていけば、来てくださる方は自然に増えるものです。
 
 自然に増えないこと自体がすでに異常なのであって、その時点で「増やそう」ではなくどこに異常があるかを考え治療をスタートさせないといけない。風邪をひいたら当然風邪を治します。熱を下げたりじっくり休んだり。風邪をひいた状態で改めて「健康」を論じたり会議をしたりしていたら手遅れになりかねません。
 要するに「教室の健康状態」について敏感でなければいけないということです。それが教室を預かる者の大きな責任ではないかと考えています。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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