2016.06.29 03:00

 先日、高名な劇作家であり評論家でもある某先生のインタビュー記事が新聞の夕刊に載っていました。夕刊は忙しくてときどき読まなかったりすることもあるのですが、突然ーー今回のようにーー非常にためになる記事が載っていたりするので、やっぱり毎日確認しようと思いました。
 その先生は戦後、非常に貧しい思いをされたとおっしゃっていました。食べることさえままならなかった。
 
 そして、何もなかったからこそ本を読み観念が発達し思想や哲学に興味を持つようになったと続けられていた。
 この「何もなかったからこそ」というのは本当にその通りで、現代人は気晴らしのようなものを生活の中心に置きすぎて貴重な可能性を浪費してしまっているような気がします。何もなければもっともっと自己の本質に迫れたかもしれない。しかし現実はテレビやゲームなどの娯楽があり、常に誰かとつながることができ、生活のいたるところに気晴らし的要素が用意されています。
 
 動画があり24時間通用する通信手段がありコンビニがあり、何もないの真逆です。とりあえずほしいものは手に入る。ただその次から次へと入手できるものは、人間の本質をどうこうするものではない可能性もあります。
 少なくとも1冊の書籍を繰り返し繰り返し読むことで観念にまで高まってくる何かではない。楽しくうきうきはまったく悪いことではないものの、自己を深く貫けるのかどうか。人格の深い部分で糧になるのかどうか。
 
 俗に生病老死と言いますが、それを経験しないですむ人間は1人もいません。であればそうしたものごとに関しても哲学を持っていてもいいはずです。昔はそれが普通だった。私の世代でさえ、若いときしょっちゅう死については話題になりましたよ。「暗い」などとは言わずに。
 二宮尊徳先生の有名な銅像あります。薪を背負いながら本を読んでいる。あれは率直に言って退屈だったからという理由もあったと思いますが、幸い本しかなかった。読書はその人の本質まで届くものです。いまだったらひょっとするとゲームをやったかもしれません。歩きスマホとか。二宮先生、現代に生まれていたらあそこまで偉くなれたかどうか。
 
 
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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