2016.05.30 00:18

 この種の話はいかがわしい感じで好まないのですが、たとえばUFOを見たことは3回あります。ただそれが本当に空飛ぶ円盤だったのかどうかはわかりません。異常な光体で動きが不規則だったのでUFOと表記しました。
 幽霊となると、これまたとてつもなくインチキくさいですね。ですからふだん私はこの話をあまりしません。
 
 同性の友人と見ました。真夏に泊まりがけで海に遊びに行った。夜中に海辺で打ち上げ花火をやろうということになりました。あえて真夜中にそんなことをしてみたくなる年ごろだったのですね。
 桟橋のたもとのベンチに座っていました。Y印アイスクリームという広告板もはっきり覚えています。そんなところに座っていたのは、近くに暴走族らしき集団がいたからでした。ブルンブルンというたくさんのモーター音が聞こえてくる。
 
 姿は見えないので、ひょっとすると相当離れた場所にいたのかもしれません。ただ打ち上げ花火ですからね。万が一彼らが気づいて恫喝に来たりしたらこわい。こわいので完全にモーター音が消えるのを待っていました。
 そのとき彼が気づいた。「桟橋の先にアベック(当時はカップルと呼ばずにアベックと言っていました)がいるぜ」
 
 白いシャツ姿のおそらく男女があちらを向いてーーつまり海のほうを見てーー仲よさそうにくっついて座っている。高さがあるので、脚を投げ出していても海水に着いたりはしません。
 暴走族がなかなかいなくならないので私たちは退屈してきました。冗談で、打ち上げ花火を海側に水平に発射したらアベックはきっとびっくりするだろうなと話したりしました。海に転落されたりすると大変なことになるのでもちろんやりませんよ。そのうち女の子の話になりました。
 
 仲のよさそうな男女にちょっと刺激されたのかもしれないですね。3時をすぎ女の子の話も一段落したとき「あれ? アベックがいない」と彼が大きな声を出した。私たちは桟橋のたもとにずっといました。目の前を通るしか帰り道はありません。ところがいない。
 唯一考えられるのは服のまま泳いでいったということですが、わざわざ真夜中に? 私たちはぞーっとして逃げ帰りました。翌日、確かめに行きましたよ。ただの桟橋、下は海、それだけでした。
 
 海の家のおばさんは「ここはよく出るのよ」と笑っていましたが、冷静に考えて服のままどこかに泳いでいったのでしょう。なぜそんなことをしたのか。
 ベンチに座っている私たちがすごく柄が悪く見えていたのだとしたらちょっとショックです。長髪は長髪でしたが、小さな声で話していただけですからね。謎の残る出来事でした。
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2016.05.29 00:58

 東京での夏の講演会はおかげさまで満員になりました。ありがとうございます。名古屋のものはまだ余裕がありますが、こちらも少しずつ集まってくださっているというお話が伝わってきました。
 極端に言えば、日本中どこでも勉強することの価値だとかお子さんの大切さとか効果的な勉強方法とかは変わらないわけで、同じようなことをさまざまな事例を交えてお話する感じになると思います。
 
 あと、明るさが大切ですね。お話するときには少しでも明るくということを心がけています。いくら内容が詰まっていても、聞いてくださった方が疲れ果ててしまったりすごく暗い気分になったりされたら意味がない。理想を言えば「楽しかった。これから頑張るぞ!」という形がベストであると思っています。
 必ずしも勉強するぞ! でなくても前向きに丁寧に味わいながら生きるぞで十分でしょう。勉強するぞはその延長線上にいずれ必ず出てきます。
 
 ふだんの私は本当に間が抜けていて、このまえはホーム上で待っていた電車を乗り過ごしてしまいました。12時7分の電車をある駅のホームで待っていたのです。ところが電車が来る直前、べつの大切なことを考えはじめました。相当深く考えた。その間、確かに電車が来た気配はありました。ありましたと書くのは、私は手帳ばかり見ていて音しか聞いていなかったからです。
 遅いなと思って顔を上げると次の電車は12時15分となっていました。7分の電車は行ってしまった。信じられないですよ。
 
 さすがにばかばかしくなってその日は吉祥寺経由で渋谷に来ました。定期は新宿経由のものを持っているのですが、次の電車を待つのがあまりにも間抜けに思えたのです。
 ただこれぐらい間が抜けていると他人にやさしい側面は出てくるかもしれません。ホーム上で待っていた電車を乗り過ごしてしまう程度の人間ですから、生徒の失敗に対してはとことん寛容です。怒る資格はないと思っている。そういう利点はあるかもしれません。
 
 自分の子どもに対してもそうでした。なぜそんな失敗を? とは思わない。そういうこともあるよなぐらいですね。子どもは親がそう言っても、じつは自分で自分を責めている。
 ときどき、うちの子はだれかが言わないと全然こたえないのでとおっしゃるご家庭があります。ところがご本人と話してみるとけっこう傷ついていたりする。その姿を意地でも他人には見せたくない。
 寛容であるべきでしょうね。私はそう思っています。
 
 
 
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2016.05.28 00:49

 つい最近「考えながら読む=読みながら考える」以外に読解力をつける方法は1つもないと書きました。「考えながら」というところが大切だと思います。
 読書と国語の成績の相関関係はあれこれ言われますが、基本的に読んでいない人より読んでいる人のほうが成績がいいのは事実です。ただ、読んでいるのにあまり国語はできないと訴える人もいます。それでも平均値よりはいいですね。楽しみのためだけに読んでいても読んでいない人よりは点がとれています。
 
 高校時代、自分は国語の授業はほとんど真面目に受けませんでした。国語だけではないな。勉強に対して非常に不真面目でした。これにはいろいろ理由があるのですが、ここでは触れないでおきます。大人しかったですよ。ですから不良というわけではありません。優秀な友だちもいましたが、個人的に勉強に対しては強い憎しみがあって近づきたくありませんでした。
 日ごろから海外の作家の小説や思想書、哲学書などを読んでいたので、範囲の決まっていない実力テストはだいたい点がとれました。
 
 ときどき「隠れて国語の勉強をしているのだろう?」とか「やっていないのになんで点がとれるんだ?」とかつまらないことを質問してくるクラスメートがいました。こちらは学校から解放されるとキルケゴールだとか老子だとかを読んでいたわけで、高校の実力テストの文章なんかうんうんうなって考えるまでもないという自負がありましたよ。はじめから飲んでかかっていました。
 かえって定期テストのほうがーー漢字練習はしないのでーー点を落としていました。
 
 教科書だけを読んでいる程度では、やはり定期テスト以外なかなか高得点がとれないと思います。もっともっと抽象的なことを読みながら考えられるようにしないといけないですね。
 新聞を薦めることが多いですね。社説やコラム、理系の話題のページなんかは毎日必ず読む。考えながら読む。その努力を心がければ飛躍的に点数が伸びると思います。受験生の方、国語の受験勉強になるのですから今日からさっそく読みはじめてみてはいかがでしょうか。
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2016.05.27 00:08

 水曜日の読売新聞に衝撃的な記事が載っていたので、少し補足しておこうと思います。「人工知能に負けるな」という記事。「教科書読み解けぬ中高生」という副題もついていました。入試問題ではないのですよ。教科書です。どなたにもわかるように書いてあるはずの、基本中の基本である教科書が読み取れていない。
 例が出ていました。写しますね。「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている」(東京書籍・中学校社会教科書)
 
 で、問題はこうです。「オセアニアに広がっているのは(   )である」
 公立中学生の正解率が何と半分! 公立高校生(しかも進学校)でさえ2割も間違えていたそうです。こんなこともミスするようでは、確かに読解力以前の問題です。他の例も出ていました。
 おそらく間違えてしまった多くの生徒は「うっかりだ」とおっしゃるでしょう。そのうっかりを毎日毎日何度も何度もやっている可能性がある。
 
 紙面でお話されていた先生は、この状態で英語やプログラミングの勉強をやってもどうにもならないということを指摘されていましたがそれはそうでしょう。こんな簡単な文章も読み違えているようでは勉強すること自体が難しい。「最低限、教科書を読めるようにして中学校を卒業してほしい」という結論になっていました。
 実際の高校入試や大学入試の問題は教科書の文章よりは確実に難しい。多くの中高生は到底そこまで手が届いていないというのです。
 
 これはどういうことだと思いますか? ひとつにはあまりにも皆さん文章を読んでいないせいでしょう。少なくとも「紙で」読んでいない。次に真剣さが足りない。道徳のお話ではないですよ。いつも繰り返すように「いま」と「ここ」に対する真剣さが足りない。きのうの晩は何を食べた? と質問されて「えーと・・・」と答えられないのと一緒です。生きることに魂がこもっていない。生活すべての問題です。
 よく言われるスマホの依存症なんかも微妙に影響しているように思います。強い刺激でないと見過ごしてしまうクセがついている。
 
 ただ私はーーいつもそうですーーここで絶望を提供しようとはまったく思っていません。まずこうやって気づくことが大切。気づいたらこの瞬間から変えていけばいいだけの話です。紙で活字を読んでください。日常生活をより意識的に真剣に送ってください。強い刺激ばかりで享楽的に生きるスタイルは改めてください。受験生の方だって十分間に合います。いま気づいてよかった。ここからですよ。
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2016.05.25 09:25

 前回の続きです。
 叱る必要はもちろんあると思います。事実関係を確認して「それをしてはいけない。なぜなら・・・」というように。私も息子にはそうしてきました。理由は明確に伝えないといけない。「そんなことをしていると入試に落ちてしまう」程度では弱いかもしれません。そもそも入試に合格することの価値観を本当に共有できているかどうか。
 ただ「あなたはいつもそうなんだから」とか「このままいくととんでもないことになるぞ」などは、厳密に言うと叱ることの範疇から逸脱しているようにも感じます。
 
 それはある種不吉な予言であり、そうしたことを常に口にされていると相手の意識下にすり込んでしまう危険性があります。どうせおれはだめな人間だからとか、昔から全然期待されていなかったし・・・という習慣化が怖い。
 大人でも極端に弱気な方はいらっしゃいますね。子どものころ上手に励まされてきていない。叱ったあとの周囲の方(ご両親や先生など)からの、いまはそんな失敗もあるがおまえの能力の高さを考えればいずれできるようにはなるよといういい意味での予言がすりこまれていないのです。
 
 褒めることを推奨している方だって、何もひたすら天才だ! と持ち上げましょうとおっしゃっているわけではないでしょう。的確に褒める。仮にできていなくても、そこまでわかっているなら正解が出るのは目前だよと正しく激励する。
 何ごとも気分よくやらないと上達しません。苦しみながらも気分がよくなる要素がたくさんあるから努力が続くのです。その気分のよさを周囲にいる大人がプレゼントできなくていったいどうなるのだという心配があります。
 
 何よりおとしめるような発言はサイアクです。私も授業中相当気をつけています。おとしめている意識はなくても相手がそう感じてしまったらアウトだからです。これは簡単な問題だぞと言って指名したら、生徒がとんちんかんな答を口にしてしまった。そういうときこそ大事。「やさしいものも自分はわからないんだ」とすりこんでしまったらいけない。
 やさしいものほど勘違いが多いよと必ずフォローします。生徒が悪い点をとっても「まあ、そのうち見えてくるから大丈夫だよ」と励ます。褒めているというより、ひたすら手入れを細やかにということです。それが大人の務めではないでしょうか。
 
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2016.05.23 09:22

 お子さんが生まれたころ、毎日かわいいかわいいと声をかけて育てませんでしたか。「ほら、笑った笑った」とか。毎日どころか、どの瞬間もそんなものであろうと思います。子どもが生まれた当時、私はあまり赤ちゃんとか幼児とかというものが好きではありませんでした。電車やバスの中で彼らが騒いでいると、親はどうして黙っているのだろう? と腹をたてたりしていたぐらいです。小さな子どもに対しての寛容さが明らかに欠如していました。
 
 ところが、子どもが生まれてからはなかなかかわいいものだなと感じるようになりました。ひとりでにそうなりました。はじめからよく笑う子ども(若干おめでたいのだと思いますが)だったので、もっともっと笑わせようとした。どなたかが笑っている姿を見るとこちらも幸せになりますね。逆にどなたかが悲しんでいたり怒っていたりする姿を見ると、こちらも悲しくなります。
 私もいい子だとかかわいいねとかしょっちゅう声をかけていました。まあ、平均的な親でしょうね。
 
 子どもたちが大人になっていくにつれ、私たちは何も言わなくなります。いい子だともかわいいねとも言わなくなる。ある意味で当然かもしれません。いつまでたってもかわいいねではご本人が不満でしょう。
 ただ別の形で声をかけてもいいとは感じます。私たち大人だってそれこそ自分の子どもから「いつも頑張ってくれてありがとう。ぼくはお父さん(お母さん)を尊敬しているよ」と言われたらうれしくなります。少なくとも私ならそこまで言ってくれるのであれば、もっともっと世のため人のために頑張ろうと考えるでしょう。
 
 つねに激励することは絶対に必要ではないかもしれませんが、あっても十分いいことだと思います。本当はあったほうがいいとも思います。
 逆に赤ちゃんや幼児に面と向かって「全然かわいくない」とか「本当にサイアクの子だ」とか言い続けて育てたら恐ろしいことになるでしょうね。小中学生のお子さんに向かって「本当にどうしようもないんだから」とか「いくら言ってもわからないだめな子」とかおっしゃるのは、状況としては同じではないでしょうか。
 
 褒めるか叱るかみたいな議論がよくなされますが、褒めるというよりそれなりに「巧妙に励ます」ことは大切です。そしてまた叱るというよりはおとしめるような言動は非常に危険であるとも思います。「口先だけでいつまでたっても本当にだめね」というような情緒的な批判は、おとしめているようにも聞こえてしまいます。
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2016.05.22 00:27

 両親が施設に入ってしまったので、実家に残されたものをどうするかという問題が出てきました。妹と整理することになるのでしょうが、基本的に実家には私が必要なものはひとつもありません。父親には「昔のおまえの小説が載った雑誌類も・・・」と言われたのですが、少なくとも私は自分の手許に1冊は保管してあり改めて何かを必要としてはいません。子ども時代のアルバムだとか何だとか、いまこの瞬間に必要としていないものを集めてくる気持ちはないですね。そういうの、苦手なのですよ。
 
 その種の感傷を好まない。本質的に自分は非常に感傷的な人間だとは考えていますが、同じ感傷でもキモの部分はまったく違うところにあります。同窓会などに参加しないことや古い友人ととくに会いたいとは思わないこともその延長線上にあります。
 先週、私は事情があって母校(中学高校 )の近くに買い物に行きました。感傷的な気分で学校のまえもわざわざ歩きましたよ。数年前に行ったときにはまだかろうじて残っていたパン屋さんはきれいになくなっていた。感じたことはいくつもいくつもありました。
 
 私が懐かしさを感じるものは、すべて自分の内側から出てくるものばかりです。ことさらアルバムを見たりどなたかとお話したりしてどうのこうのというものではありません。懐かしさはつねに大切にしているのですが、あくまでも内側に展開するものなので個人的に完結してしまう部分があります。
 ひょっとすると外部に展開したくないという気持ちもあるのかもしれませんね。個人で噛みしめている状態がいちばん幸せなのです。
 
 約20年前、私はあるお宅に家庭教師に行っていました。驚くほどきれいな顔の中学生の男の子が生徒でした。彼は宮城県の人間でしたが受験の関係で主にお母さまと東京の高級マンションの最上階に住んでいました。窓を開けると偶然「萩の月」の巨大な広告板が見えた。「萩の月」は宮城県の銘菓ですね。彼は「見てよ、あんなところに『萩の月』が・・・」と呟いてふとおし黙りました。
 そのときのことを後年よく思い出しました。私の本当に大切な思い出というのは、そんなことばかりなのです。
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2016.05.21 00:37

 先日ーー休講期間にーーこのままいくと渋谷教室のテキスト数が足りなくなりそうだということがわかりました。それだけ急速に生徒が増えているわけで、大変ありがたいことだと思っています。去年よりもおととしよりも大勢来てくださっている。
 電話をかけて他教室から少し譲っていただくことにしましたが、他教室も生徒がたくさんいてそんなには余裕はない。そこで複数教室に譲っていただこうということになりました。
 
 具体的に書くと大宮教室と池袋教室ですね。数冊ずついただけるという話でした。これをだれがどういう手順で取ってくるか。郵送だと間に合わない可能性がある。そこで私は、自分が直接行くことにしました。
 ここは大切なところで、どなたかに「行ってきてよ」ではいけない。幸い休講期間は授業も面談もありません。こういう瑣末なことこそ「最年長」の私がやって、何かあったときに(あの人も手間のかかることをやっていたのだから)と感じていただかないといけないと思うのです。
 
 ついでにテキストをくださる教室には、あの人が来てよかったと喜んでもらえるぐらいにならないといけません。テキストを集めて準備しておいてくださるわけで、その親切にこたえるために小さなお菓子を買って行きました。
 大宮はやっぱりちょっと遠いですね。行きは運よく高崎行きでしたので早く着きました。駅前の、昼からやっている有名な大衆酒場によろよろと入りたいところをぐっとこらえて(あたりまえ)教室にうかがい、すぐ池袋に移動したのですが帰りは埼京線各駅停車だったのでけっこう時間がかかりました。
 
 池袋でテキストの残りをいただいて渋谷に戻ってきて、今度は教室で待っていてくださった仲間のためにお菓子を買って帰りました。
 ところで、私はこうした自分の一連の行動を「おめでたい人間がいるものだ」と冷笑的に見る方も多いであろうということをわかって書いています。それは一面真理であると私自身も思います。ただ個人的にはあれこれ振り返って、こんなことの中に何かしら人生をうまくいかせるコツがあるように感じています。
 
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2016.05.20 00:21

 壊れてしまったパソコンが戻ってきました。まだいろいろと手を加えなければならないところがあるのですが、少なくともこうやってブログの記事は書けるようになりました。とりあえずは十分かな。
 わからないので息子に訊いてもらったのですが、こちらに不用意な落ち度があって壊れたわけではなかったようです。落としたとか水が入ったとか。実際に電話でやり取りをしてくれた息子が「運が悪かったということですか?」と気色ばんでいたので、まあまあと。
 
 そんなに簡単に「特に理由もなく」ハードディスクが壊れるなんてことはありえないよと憤っているのですが、そういうこともあるのでしょう。
 そもそも私はあまりこうした機器に手を出したくない気持ちがあります。最低限のことはやらざるをえないのですが、不必要なものまで含めて最大限に活用しようという気持ちはありません。携帯電話でさえそうです。将来的に仕事から離れるときが来たら、電話そのものを捨てた生活に入ろうと考えています。要するに「出家」したいのですよ。
 
 私はテレビのない生活を何ヶ月も送っていますが、それは全然困りません。ただあればやはり見るものですね。先日、名古屋に旅行したとき朝何となくテレビをつけていた。すると時代劇をやっていました。こんなものを午前中から・・・とぼんやり眺めていたら、これがすごく面白い。どうなるのだろうと先が気になって1時間近くぼーっと見ていました。ふだん自宅にいるときは同じ時間帯で何かしら「やるべきこと」をやっていますから、同じ1時間でもえらい違いです。
 
 ときどき生徒たちに勉強のために「しなくてもいいこと」はしないでいなさいと話すことがあります。何をするかではなく、何をしないかを考えなさいということです。それによって活用できる時間が飛躍的に増えます。本気で探していくと「必ずしもしなくていいおつきあい」と「必ずしもなくていい娯楽」がけっこうあるものです。気づいてくださるといいのですが・・・
 
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2016.05.18 00:57

 20代のころ、よく将棋道場に通っていました。将棋雑誌に案内が出ていたので、東京中うろうろしたものです。渋谷は高柳先生の道場(畳席でした)と教室のすぐ横にあったビル(昨年取り壊されて現在は別の建物になっています)の4階の道場に来ていました。そこは責任者の先生が読売日本一(アマ名人のようなものです)になっていました。他にも印象に残っている道場があります。新宿、五反田、新橋、御徒町、池袋、大塚、中野・・・たくさん回ったな。
 
 千駄ヶ谷にある将棋連盟道場にも通った時期がありましたが、それは30代に入ってからです。そのころがいちばん強かったのではないかと思います。いまのようにインターネット対局なんてなかったですからね。対面して指す以外に方法がない。
 そうして親しくなった方もいました。あくまでも将棋だけのおつきあいでしたが。その方は私より年上でした。何の職業なのか判然としない。ただ将棋は私より明らかに強かったので教えていただいた。
 
 彼が言うわけです。「長野くん、オシャレなんかしてちゃ勝てないよ」私は昔からべつにオシャレではないのですが、当時の道場は著しくおっさん比率(?)が高かったので、普通の若者である私がオシャレに見えたのだと思います。続けて言う。「うんと汚い格好してくるんだよ。思いっきり下品に振舞うんだ」そのほうが強そうに見えていいというのです。「お上品に指してちゃ舐められるよ」
 当時はどこの道場も禁煙ではなかった。確かに彼と将棋を指していると、ときどきわざとタバコの煙を吹きかけてくるようなことがありました。
 
 同じような人は他にもたくさんいたのでそんなものかなと思っていました。彼はまた頻繁に「真剣」(賭け将棋)もやっていて、そのときもうんと下品に振舞って相手をビビらせるのがコツだみたいなことを語っていました。
 もっとも当時からプロ棋士の対局がテレビで放映されていましたが、わざと下品に指す棋士なんて1人も見たことがありません。いまもそうですね。谷川浩司永世名人の対局姿勢なんか、もはや芸術作品に近いと思います。ものすごくきれいですよ。
 
 そのあたりがアマチュアとプロの違いなのでしょうね。大相撲でもさかんに「品格」ということが言われますが、何事にもそうした要素はあると思います。勉強も仕事も。品格は大切だと思いますよ。
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長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

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