2016.04.17 00:19

 先週、本部で会議がありました。2つの会議が重なった。会議と会議のあいだに1時間あいたので昼食でも食べようと外に出ました。その時間に食べなくてもいいのですが、まあ有効に使おうかなと。
 本部は淡路町にあります。だいたい神田まで歩くことが多い。飲食店が多いですからね。ガード下のあるお店ーーお寿司屋さんですねーーに入りました。以前も一度入ったと思ったのですが、別のお店でした。
 
 似たようなお店がたくさんあるのですよ。板前さんが1人、お運びのお嬢さんが1人、昼時ですから大変忙しい。私はカウンター席に腰を下ろして海鮮丼をお願いしました。
 テーブル席に何人か先客がいてどんどん料理が出されます。一段落したあとで、私のものが出てきました。「ん?」となった。明らかに海鮮丼ではないのですよ。お嬢さんはお盆を置いてさっとカウンター内に戻ってしまいました。忙しいですからね。
 
 しばらくどうしようかなと考えた。これは・・・おそらく定食でしょう。焼き魚にお刺身がついています。板前さんはずーっと動いている。
 ここはもう黙って出されたものをいただくしかないなと思った。定食もすごくおいしそうなのです。大根おろしに醤油をかける。それから小さなお皿にお刺身用の醤油を注いで少しためらいながらイカにお箸をつけたところにお嬢さんがすっ飛んできた。「お客さん、海鮮丼でしたよね?」私は軽くうなずいてから小さな声で「・・・でも、これでいいですよ」と言った。彼女が怒られるとかわいそうだと思ったのです。
 
 ところが、そういうことではなかった。その定食はほかのお客さんのものだったのですね。板前さんが異変に気づいて私に「どうもすみません」と言った。
 私も状況がわかったので箸を置きました。お嬢さんはお盆を下げ、それから板前さんと何か相談してから再びお盆を持ってほかのお客さんのところに行きました。お皿を取り替えたりお刺身を整えたりしていたのでしょう。
 すみませんでしたと何度も謝られましたが、そもそも私が黙っていたのが悪い。反省しましたよ。
 
 私はそういうところで自分を主張しないのです。「これ、違うのだけど」とは言わない。先日は順番を間違われて中華のお店でずーっと待たされたのですが、そういうときもぼけーっと座っているだけです。起きたことがいいことだという信念(?)がある。ただ人さまにご迷惑をおかけするのは本意ではありません。もう少し主張しようかと思います。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.16 00:41

 偏差値がどうの順位がどうのと大騒ぎする中学生を見ると微笑ましくはなりますが、その状態だけでは次の層へ進めないのも事実です。成績はよくてあたりまえ、それ以外のこともすべてしっかりできて当然という人たちがいます。それ以外のことというのは、部活動や委員会活動のような特定のものを指すわけではありません。朝、目覚ましでひとりで起きたり勧められた英語の講座を聞いたり朝食をゆっくり食べたりお手伝いしたりーー要するに生活のすべてですね。食器を洗ってと頼まれればきれいに洗う。洗濯物を畳んでねと言われれば素直に畳む。
 
 そうしたことがすべてあたりまえにやれて、ところで偏差値は? と質問されたときに、それなりにはとれていますという方がいる。もちろん服装もきちんとしています。意図的に崩すことはあっても気づかないうちに崩れているということはない。大人に対して自然な挨拶ができて、ちょっと八百屋さんに買い物に行ってねと頼まれれば落ち着いて買ってくる。なるべくいいにんじんを選んできたよ、と笑顔で言えるぐらい余裕がある。そういう生徒が現実にいます。
 
 結局長い目で見ていると、大人びた生徒のほうがうまくいきます。ただ私の見てきた生徒の中には特殊な才能が必要な仕事で成功されている方もたくさんいらっしゃって、そういう方はむしろこだわっていた部分が成功に直結した感じはあります。陶芸家とか小説家とか詩人や歌人、特定のスポーツの評論家とかダンサーとか。それはそれで素晴らしい。ある意味天才ですね。
 ですから進むべき方向によって考え方は変わってくるのですが、国立や都立のトップ校で輝かしい高校生活を送りたいと考えているのであれば、偏差値偏差値と拘泥するだけでは届かないものが出てきます。成績は成績以外の部分に支えられるからです。
 
 お若い方で異性にもてるかどうかを非常に気にされる方がいます。まあ、自分もそうでしたね。で、もてれば何でもいいと思う。もてなければだめだと思う。このもてるもてないの執着と偏差値の執着は全然違うようでいて、ちょっと似たところがあります。自分自身の本質を見失う可能性があるという意味で。
 もてても全然だめな自分というのもありうる。本当の自分を偽ってもてていても続かないですからね。じつはもてるもてないも、男女のかけひき以外の何かに支えられています。わかりますか? そこがわからないとホンモノにはなれません。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.15 00:16

 先日、クリーニング屋さんでこういうことがありました。簡単に書くと、ものすごく待たされた。10分ちょっとですが、たった1人のお客さんでこんなに待たされたのははじめてです。お客さんが悪いわけではなさそう(私はあえてガラス戸の外で待っているのでやりとりはよくわかりません)でした。要するに従業員の方が慣れていない。新人のいわゆるおばさんなのですが、もたもたしている。
 私の後ろにも列ができました。すぐに女の人が2人ついた。
 
 女の人同士はーーもともとの知り合いではなさそうでしたがーー話をされていました。「なにしてるのかしら」とか。いらいらが伝わってきます。彼女たちのまえには私がいますからね。さらに10分も待つのは大変だということでしょう。
 私にしても仕事前なのでそんなに長くは待てません。とはいえ衣類を持ってきているわけですから、このまま中止して仕事に行くわけにもいかない。自分が2人目以降になっていたら別のクリーニング屋さんに行ったかもしれません。
 
 ふと見ると従業員募集の貼紙がありました。本部の電話番号が書いてあります。こういうの、電話かけて苦情を言ったら面白いだろうなと考えました。私はそういうことをけっこう考えます。やらないだけです。いわゆるクレーマーと呼ばれる方の気持ちがわからないわけではありません。
 たとえばこの場から電話をかける。もう3人並んでいますよと告げる。すでに自分は10分以上待っていますと言う。
 
 この時間帯に1人の慣れないおばさんでは対応できないのだという事実を告げる。向こうが気づかないのであれば、そういうことをするのはむしろいいことなのではないかという気持ちがないこともない。苦情をおっしゃる方の多くは気づきすぎる部分があるのですよ。
 私の番が来ました。おばさんは「お待たせしてしまってすみません」と泣きそうな顔でおっしゃった。「いえいえ」と笑顔で応対しましたよ。「おひとりだと大変ですね」とつけ加えた。店を出るときは待っていた方に丁寧に会釈をしました。
 
 何でもできるのですよ。ただ自分なりの流儀がある。生徒ががっかりするようなことはいまの私はしません。教室内だけではないということです。ある生徒のアンケートに「ふだんの生活で先生ならどうするかと考える」と書かれていました。私のような変な人間になってしまったらちょっと問題ですが、穏やかさだけは見せていきたいと考えています。それこそいまの世界に最も足りない資源(?)の1つですからね。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.13 10:55

 自分の経験から親が子どもの何もかもを決めようとするのは危険ではないかという気持ちを持っています。正しいか正しくないかは、個人差があると思いますから1つの失敗例として読んでくださったらいい。自分のことであれば失敗例でものびのび書くことができますからね。
 幼いころ、私はとにかく勉強(というもの)をしていい大学に入りなさいと言われていました。かっこのなかに(というもの)とわざわざ入れるぐらい幼いときからです。大学名も出てきたな。
 
 いやだという気持ちはなかった。よくわからなかったからですね。
 さらに父親は私に資格を取るように言いました。コウニンカイケイシというものになるといいと言った。カタカナで書いたのはちんぷんかんぷんだったからです。もちろん質問しましたよ。何をするの? 説明してもらった記憶もあるのですが、全然わかりませんでした。当時、自分は忍者になるつもりでした。小学校の低学年までずっと忍者になろうと思っていました。
 
 親子の乖離を埋めるべく両親は動き始めました。勉強をさせる。しなければ体罰を科す。うんざりするような日々でした。
 しかし、私がつらかったのは体罰よりも彼らが自分の価値観をことごとく否定することでした。忍者なんかそもそもスパイであってくだらない仕事だとか、友だちの何々くんとはつきあうなとか。なぜ? と訊くと「バカだから」と言う。ただ成績がよくないというだけなのですよ。そういう仲間とは口もきくなと言う。
 
 ある時期から私はひたすら強くなることだけを待つようになりました。体力的に強くなったら今度は両親をやみくもにぶん殴ってやろうと考えた。おめーらの指図は受けねえ、コウニン何とかなんかにゃならねえと暴れてやろうと考えました。
 そして10代の半ばから、ことごとく彼らの価値観を粉砕すべく努力しました。右と言われれば左に、真面目にと言われれば徹底的にふざけました。両親というより、「大人の」価値観に負けるものかという気持ちですね。まあ、暴れなかったのはよかったのかな。
 
 ある晩、ふすま越しに両親の会話が聞こえた。17歳ぐらいのときだったと思います。父は母に「自分たちの子育てはどこが間違っていたのだろう・・・」とぼそりと呟いていました。勝った! と思いましたよ。おれは世間に勝った! これからも猛烈なろくでなしとして生きようと思った。
 まあ、くだらない話です。ただ厳然とした実例ではあります。私は私のような例を作り出さないことが大きな使命だと思っています。
 
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.12 04:30

 何十年も昼は外で食べる生活を続けてきました。ここ1~2年あきらかに値上がってきているなという印象を持ちます。チェーン店なんかでもそうですね。定番以外の少しだけ高い「季節もの」メニューがいろいろ出てくる。まあ皆さん、1度ぐらい食べてみるかなという感じで頼むものです。そんなことをしているうちに何となく感覚が麻痺してきて、その値段が当然みたいになる・・・そんな感じで少しずつ高くなってきているような気がします。
 
 もともと渋谷は少し高いと感じていたのですが、最近は地元の西荻窪のランチなんかも高くなってきました。ごく一般の個人店で1000円、1200円と書いてあります。もちろん仕入れ値も高騰してきているのでしょう。貪欲に儲けようとしているというより、やむにやまれぬ値上げだと思います。
 そんな風潮のなかで、ちょっとだけ便乗しようという考えのお店もあるかもしれません。どこもかしこも値上がっているのだからうちだって少しはと考えてもおかしくはないですね。
 
 もっとも、かたくなに値上げをしないお店もあります。私は意地でも上げないという姿勢に非常に哲学的(?)なものを感じます。お客さんのためということなのでしょう。
 たとえばときどき記事にする下町の飲み屋さん。私が持っている数種類の居酒屋ガイドブックに掲載されているのですが、古いものだと前世紀の本も残っています。15年以上昔に発刊されている。それから今日までに店自体の建て替えがあり、消費税の値上げもありました。しかし名物の煮こみや肉とうふの価格はいっこうに変わりません。
 
 皆さん、そこでは必ずと言っていいほどどちらかを注文される(回転寿司みたいにおかわりの皿を積み上げる方もいる)ので、仮に10円だけ値上げしたとしても莫大な利益になるでしょう。それなのに絶対に上げない。
 そのため80半ばすぎのご主人が相変わらず現役で大車輪の活躍をしています。家族総出なのは、人件費を抑える目的があるのでしょう。楽をしないことでお客さんに負担をかけないようにしているのがわかります。
 
 頭が下がりますね。同じ下町でもどんどん値上がっていく「大衆」酒場というのもあります。やはり有名な煮こみのお店。人気店なので同じ15年で100円ぐらい上がっていました。従業員の方もたくさん雇っていますからそちらが普通なのかもしれません。不自然な感じはまったくないですね。ただ、普通でないお店にはやはりすごみを感じます。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.11 08:45

 お子さんが物事をいろいろな側面から見られるようになることは非常に大切であると思います。いい悪いと短絡的に決めてしまうのではなく、こうも考えられるああも考えられると話し合える場を持てると幸せですね。
 できればご家庭がそうであるといい。ご家庭なら大恥をかくということもなくあれこれお話になれるはずです。そういうとき、大人が正しいとか間違っているとか強く決めつけてしまうのもよくないように感じます。
 
 要するに目的は「柔軟な考え方のできる大人に育てる」ということですから、自由な雰囲気を重んじてくださったらいいと思います。
 社会的なことを話題にしてくださるとさらに効果的でしょう。たとえば「パナマ文書」ですね。日本ではあまり問題視されていませんが、本当にそれでいいのかどうか。税金を納めるというのは国民の義務ですが、特権的にあまり納めないですませようとした方たちがいた。
 
 これをあたりまえじゃないかという考え方もありそうですし、とんでもないことだという考え方もありそうです。なぜそう思うのか。
 オリンピック候補選手の闇カジノの問題。法律に反することはもちろんいけないのでしょうが、だから選手としてもう永久に活動できないかもしれないという裁定が全面的に正しいのかどうか。そうすることが本当にご本人の再生につながってくるのかどうか。ご家庭内であれば自由に話し合うことができます。
 
 公にするものではないのでしょうが、私なんかは将棋の「真剣師伝説」に子どものころから憧れていましたから、自宅で息子相手であれば公の発言とは全然違った見方なんかも話せたと思います。
 もちろん現在の常識からしてみればメチャクチャではあるのですが、そういうメチャクチャな話のなかに考え方の自由さが潜んでいたりもするものです。硬直した発想からは、ときに危険な正義が生まれてしまう怖さもあるように思います。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.10 07:35

 今年もゴールデンウイーク中、首都圏のZ会進学教室(高校受験)は連休があります。休講日ではなく休室日ですね。完全に教室が閉まります。休講日は授業がないというだけで、いろいろな方のご相談を受けたりかえって忙しいときもありますから、教室が完全に閉まる日はちょっとだけ安心できます。
 今年は例年より1日長くて5月1日から6日までの6連休になります。世間の祝日と完全にかぶっているので、旅行はどうしようかなあ・・・
 
 毎年連休前には近場で行っておきたいところをリストアップしておくのですが、実際にぜんぶまわれるかとなるとなかなかうまくいきません。何十年も前の思い出の場所だったりするので、いざとなるとばかばかしくなって行かなかったりするのです。面白いものですね。暇がないときは絶対に行きたいと思っている。毎年毎年今年の連休こそと考えながら、暇ができると今日ではなくてもいいかなと思う。人間心理の不思議なところです。
 
 じつは品川駅のあたりに歩いてみたいところがあるのです。1970年代の後半、銀座のデパートでちょっとだけアルバイトをしていたことがあります。私は大学生だったのですが、学校の研修で来ていた商業高校の女子生徒と親しくなりました。親しくと言ってもおつきあいしたとかそういう感じではないですよ。彼女が研修終了日に私にあるLPレコードを貸してあげましょうかと申し出てきました。「あ、また会いたいという意味だな」と私は勝手に理解して、たいして好きでもないそのシンガーのレコードを借りた。
 
 彼女は優秀な子で、その後ある銀行に就職が決まりました。初出勤が4月1日だったのですが、その前日私たちは少しだけ会いました。渋谷で待ち合わせ代々木公園に行き、私は何かプレゼント(お誕生日のプレゼントだったように思います)を渡し夕方前に渋谷駅で別れました。別れてから原宿まで来て急に気が変わり、電車を乗り換えて品川駅で下りました。そして、深い意味もなく駅近くのある細道を歩いた。深い意味もなく歩いたところに深い意味があったような気がします。
 
 記憶はおぼろなのですが、その細道をもう一度歩いてみたいと毎年思います。今年も行かないだろうなという予感は持ちながら、行く計画をたてています。人生ですよ。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.09 07:04

 どう生きたらいいのか生きるべきなのかということは、どなたにとっても大切な問題ですね。最近、政治家の方がいろいろと不思議なお金の使い方をされているのが話題になっています。ガソリン代がどうの文具代がどうの切手代がどうの。次から次へといろいろな話題が出てくるので、こういうのはもう暗黙の慣例だったのかなという感じがしないでもありません。よくある「みんなそうしているから」というやつです。暗黙の慣例ではあるものの、攻撃したい相手が出てきたときだけそこを一突きする。
 
 正義とは何であるかというのはなかなか難しい。たとえば戦時中の正義と平和時の正義とは180度違っていたりします。殺しなさいというのと殺してはいけないというのでは真逆ですから、普通の神経を持った方なら何が何だかわからなくなってしまうのもむりはないと思います。戦時中の偉い人と戦後の偉い人もまったく置き代わってしまうときがありますね。そういうものだと言えばそれまでですが、私たちはじつはそんな世界に生きている。若干心細いですね。
 
 もし、それこそ「しっかりしよう」と思うのであれば、その「しっかり」のモデルを自分ひとりで創作するのは無理でしょう。そんな神さまみたいことは独力では不可能です。
 私たちはああなりたいというヒントを、世界中の歴史や伝統の中から探し出してくる必要があると思います。人それぞれではありますね。しかし職業、ファッション、肩書きといった表面的なことだけではなく、生きる指標を見つけていくためには歴史や古典の中に真剣に沈潜する必要があるかもしれません。
 
 難しいことを言っているわけではないですよ。ある人はミック・ジャガーかもしれない。スライ・ストーンかもしれない。ジョン・レノンかもしれない。またある人はデカルトやカントかもしれない。夏目漱石、太宰治、坂口安吾という人もいるでしょう。キリスト、ブッダ、孔子、老子、徳川家康、ナポレオン、湯川秀樹・・・果ては町道場の何とか先生だとか学校の先輩の何とかさんとかいろいろあると思います。
 いずれにせよ、自分の立ち位置を真剣に模索する試みは大切です。そして多くの場合、生き方の指標は書籍の中に見つかることが多いかもしれません。
 
 それが本当の勉強でしょうね。あなたがどう生きるかの最高のモデルを見つけることが、勉強の魅力の1つなのだと思います。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.08 07:14

 3月31日づけで定年退職を迎えた話は以前書きました。その日は1時間目から春期講習の授業がありました。そして翌朝も同じように春期講習の授業でした。ですから私の中で何か変化があったかと言えば、とくに大きな違いはありません。
 あたりまえですが、雇用条件などはいろいろ違ってきます。それをどう考えるか。個人的なことなのですが、これから社会に出られるお若い皆さんのためにあえて書いてみようかなと思います。
 
 どのようなお仕事でもそうですが、何をやってどれだけの対価をいただくかということは神さまのジャッジではありませんから場合によってはいろいろな感情が出てくることもあるでしょう。大学生になった生徒からときどき聞くことがあります。アルバイトをされている。要領よくサボっている友だちと、真面目にやっている自分と時給が同じなのは許せないという。そういう気持ちはよくわかる。わかるけれどもそこに、仕事=社会に自分のよさを還元する行為(まともなお仕事はすべてそうです)に対しての、何らかの哲学を持たれたほうがいいように感じます。
 
 私はーーあくまでも私自身の考えであり押しつける気持ちはありませんーーこう考えています。
 たとえば定年退職を迎えれば当然条件面ではいままで通りというわけにはいきません。道を譲るのが当然でしょう。上の方があれこれ苦心してくださったのですが、雇用形態が変わりますからまったく同じではありません。ただ仕事内容はいままで通りです。すごくヒマになるとかそういうことはありません。わかりやすく書けば、3月31日の授業と4月1日の授業に差はありません。
 
 仮に条件面がいままでと違っていても、自分がいままで以上に頑張ればどういうことになりますか? 別の見方をすれば要領よくサボっても同じ金額だからとあなたが真面目に働かずにすませたら、あなたは本当に「得」をしているのかどうか。
 社会という目から見れば、当然サボっているあなたより真面目にやっているあなたのほうが圧倒的にありがたい。真面目なあなたは取得するお金以外に「ありがたさを発揮する」という社会的価値の貯蓄や人間の善性の貯蓄を実行していることになります。
 
 要するに金額だけではない。得るもの失うものは数字だけで判断できないことを覚えておいてください。魂がつねに増大したり目減りしたりしているのです。
 私は条件面が変わってきたからこそ、これからはいままで以上にしっかりやろうと考えています。張り切ってわんわん騒ぐのではなく、関係する組織すべてのーーひいては社会全体のーー温かみが少しでも増すように「やわらかく」努力するつもりです。ブログや講演についてもまったく同じ気持ちです。
 
 昔、将棋の故花村元司先生がこういうことをおっしゃっていた。稽古先の待遇がどうであれ、自分は正しい手だけを教える。安いから適当な手で高いから正しい手・・・ということはありえない。ぜんぶ正しい手を教える。それこそ矜持というものでしょう。そうありたいものです。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

2016.04.06 09:03

 卒業生や保護者の方に簡単なアンケートを書いていただく機会があるのですが、目を通していて感じ入ることが多々あります。生徒は知っているわけですから、なるほどこう育てられるとああいう穏やかさが育つのかという素朴な感想です。もちろん人間の数だけ生き方はあるはずで、どれが正しいとか間違えているとかということではありません。
 保護者の方がとくに「心がけられたことは?」という項目がありました。つねに笑顔でいること、おいしいご飯を作ること、おうちのムードを温かく保つことと書かれていたものが複数ありました。
 
 非常に考えられているなと感心しましたよ。情緒の安定がなければ勉強も仕事もはかどらないですからね。腹のたつことがあっても、温かな空間を演出してくださったということなのでしょう。
 私自身がどちらかというとそういう感じなので、いい悪いはべつにして同じ視点からのアドヴァイスは非常に理解しやすいですね。息子が昨年就職活動で多少いらいらしていたときも、私は何も言わずにひたすら彼の革靴を磨いてやることだけに専念していました。靴だけはどこのだれよりもきれいにしておいてやるからなと。
 
 いまもそうです。会社の研修がいよいよはじまった。毎日靴の状態だけは必ず点検しておくからまったく心配しなくていいと言っています。ひとつに焦点をしぼったほうが本人の心に温かいものが届くものです。ですから息子は靴磨きで応援、教室の生徒は漢字テストに必ずコメントを書いて応援という感じでしょうか。注意したいことはーー実の息子であればーーそれは出てくるときもありますよ。
 
 ただいっぱいいっぱいの時期に、たとえ理路整然としていてもそんな説教をしたところで、本人の心に温かいものが灯るはずがない。冷たくひえびえとした心象風景のなかで、勉強や仕事に打ちこむことができるかどうか。
 アンケートでもう1つなるほどと感じたことがあります。こちらは大切かもしれません。スマホやパソコンの使用を管理されているご家庭が多かった。すごくしっかりした子たちなのに、念には念を入れてご家庭が管理されている。成績にも確実に連動している印象を受けました。ご参考になさってください。
Tags :
幼児・小学生
中学生
高校生
高校受験
ソーシャルブックマーク:

プロフィール

プロフィール画像
長野先生
35年以上、中学生を教え続けてきました。生徒たちが日々の学びを通じて大きく成長できますように明るいヒントを発信していけたらと思います。

カレンダー

<<   2016年04月   >>
          01 02
03 04 05 06 07 08 09
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

新着記事

月別アーカイブ